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釈浄土群疑論 (釋淨土群疑論)


釋淨土群疑論序

浄土群疑論序

屯田員外郎平昌孟銑撰

屯田員外郎 平昌 孟銑 撰

虛空無際。天地生其中。墟宇既形。品庶滋其內。於是群生競起。眾識齊奔。沈浮愛欲之河。驅馳生死之躅。因報紛糺。非累墨之能分緣對循環。豈積塵之可計。前佛後佛。報身化身。各返行迷。咸祛溺喪。敞三明以濟俗。臨八苦已宣慈。皇矣彌陀聿采淨國。發弘誓願。現大光明。既疏方便之門。又闡感通之路。十念云就。俄引伏於金地。九輩往生。遽偕遊於銀國。理浮敻劫。事驗無邊。道安幽贊於秦中。慧遠始通於晉末。爰茲已降。同贊前聲。其有克任紹隆。遙膺付囑。思成就於往法。將究竟於來今。疏奧旨於貫華。讚微言於貝葉者。其唯懷感法師乎。法師以本無今有。既生則逝。信力堅正。戒品清嚴。妬路之文。既弘宣而走譽。毘尼之旨。乃演暢以馳聲。雖善說而不窮。恐有言之為累。思練神以息際。佇依定而保光。捨義學共遺蹤。遂誠求而取證。霜懷特發。氷踐孤超。功由理諧。機與神會。斂容赴寂。乃覲安養。法師則意歸真。即是阿鞞聖侶。雖念存有相。而情體無著。眾所知識。俗共歸仰。勝幢雖建。魔壘尚高。未悟聖力所牽。多以常途致惑。青眼以之鶚視。赤髭由其蝟張。始則干非。後遂淩讟。請戰之曹踵武。設伏之黨肩隨。法師先據不竭之貲。次命無前之語。洪鐘纔振。短兵已北。燒須之渠折角。鍱腹之侶流腸。領屈者。拔旗以祈生。吞負之者。與櫬而歸西。安養之師告捷。般舟之旅載寧。式詮詶問之機。遂有釋疑之論。當其詰朝相見任氣爭前。問既直錐以起心。詶亦推鋒而陷腦。故有疑必問。客無問而不深。有問必詶。主無詶不當。因權告實。語為四部所宗。即生宣常。理為五眾攸報。信往生之逸路。乃淨域之亭衢。撰次未修。門成乃化。遺編累復。有懷惲法師惲與感師。并為導公神足。四禪俱寂。十勝齊高。契悟之深。詎止同遊七淨。緣習之重。寧唯共趣一乘。𨳿歲易掩。長年先逝。三門徒然。七眾同悲。惲以。昌言之書。既成之於舊友。釋疑之論。敢行之故人。以平昌孟銑早修淨業。憑為序引。資以播揚。輒課蕪旨。式旌寶昌。言之為七卷。宣之為一部。云爾。

虚空は際限なく広がり、その中に天地が生じる。家屋や城郭が形を成すと、そこに無数の人々が育まれていく。そこで様々な命が競い起き、あらゆる意識が一斉に走り回る。愛欲の大河に沈み浮かび、生死の道を駆け巡る。因と報いは複雑に絡み合い、幾重もの墨をもってしても書き分けることはできない。縁と対(つい)は巡り続け、積もる塵をもってしても数え尽くせない。

過去の仏も未来の仏も、報身も化身も、それぞれに迷いの道から帰り、溺れ死にゆく者を救済される。三明(さんみょう)を開いて世を救い、八苦(はっく)に臨んで慈悲を示される。尊い阿弥陀仏は浄土を選び取り、広大な誓願を起こし、大いなる光明を現された。すでに方便の門を開き、また感応道交の道を説かれた。十念(じゅうねん)を成就すれば、たちまち金の大地へと導かれ、九輩(くはい)の往生者は、ともに銀の国で遊戯する。

その理は遠い劫を越えて明らかであり、その事績は限りなく確かである。道安(どうあん)は秦の地でひそかにこれを賛嘆し、慧遠(えおん)は晋の末に初めてこれを弘通した。それ以来、諸師はみな同じくその教えを讃えてきた。その中で、法を継承し隆盛させ、遠く仏の付嘱(ふしょく)を受けて、過去の教えを成就し、未来永劫にまで究めようと志し、花の髪飾りのような深遠な経典の奥義を解き明かし、貝葉(ばいよう)に記された微細な教えを称揚した方、それがまさに懐感(えかん)法師であろう。

法師は、すべては本より無く今あるものであり、生まれたからには滅するのだと悟り、信念は堅固で、戒律は清らかで厳しかった。経典(修多羅)の文を広く説いて名声を馳せ、戒律(毘尼)の旨を講じてその名声はさらに広まった。善く説いても尽きることがないと雖も、言葉のあることの煩わしさを恐れ、心を練りて静寂に至り、禅定に依ってその光明を保とうと願われた。義学の探究を捨てて、古人の跡を慕い、誠実に求道して真理の証明を得ようとされた。その志は霜のように清く、行いは氷のように孤高であった。

その功徳は理と調和し、その機は神と合一した。やがて心を静めて禅定に入り、安養浄土を親しく拝見されたのである。法師はその心を真理に帰し、すなわち阿鞞跋致(あびばっち)不退転の聖なる仲間となられた。念ずるところは有相にありといえども、その心は無著(むちゃく)の境地にあった。多くの人々が智者として知り、世の人々がともに帰依仰慕した。

勝利の法幢(ほうどう)は立てられたが、魔の砦はなお高く聳えていた。人々は聖者の力に導かれていることを悟らず、多くは常識の理で疑いを起こした。青眼の者たちはこれを見て鷲のように睨み、赤髭の者たちは針鼠のように逆立った。初めは過ちを犯し、後には誹謗に及んだ。戦いを挑む者が相次ぎ、伏兵を設ける者どもが続いた。

法師はまず尽きせぬ財を用い、次に無敵の議論を展開された。大鐘がようやく鳴り響くと、敵の短い武器はすでに敗北した。須弥山を焼く者のごとき敵は角を折られ、鉄の腹を張った者どもは腸を流した。降参する者は旗を抜いて命乞いをし、敗北を認める者は棺を担いで西方へと帰っていった。安養浄土の軍は勝利を告げ、般舟三昧(はんじゅざんまい)の修行の旅はついに安穏となった。

ここにおいて問答の機微を示され、ついに疑問を解く論が著されたのである。明け方の対論では、互いに気勢を張って先を争った。問いはまさに錐のごとく相手の心を突き、答弁は刃を推して相手の脳を砕くがごときものであった。それゆえ、疑いあれば必ず問い、客は問わざるなきこと深遠であり、問いあれば必ず答え、主は答えて当たらざるなきことなかった。

仮の教えによって真実を告げ、その言葉は四部の徒の宗とするところとなった。生の教えを説いて恒常の理を示し、その理は五衆が報いる所となった。まことにこれは往生への安らかな道であり、浄土への広い大路である。

彼はこの著作を完成させる前に、教化の門を成して世を去られた。遺された教典は繰り返し復習され、その後に懐惲(えおん)法師がおられた。

惲法師と感法師は、ともに導公(どうこう)の高弟であり、四禅(しぜん)をともに寂滅し、十勝(じっしょう)をともに高くそびえさせた。悟りの深さは、同じく七浄(しちじょう)を遊ぶに留まるものではない。修行のゆかりの深さは、同じく一乗に向かうのみであろうか。

歳月は容易く過ぎ去り、長逝された年は先に移った。三つの門は徒らに立ち、七衆(しちしゅう)はともに悲しんだ。

惲法師は思われた。師の著作はすでに旧友によって成されている。『釈疑論』を、どうして旧友のために刊行しないことがあろうか。平昌の孟銑(もうせん)は早くから浄業を修めていたので、彼に序文を頼み、もって広く世に伝えようとされた。ここに拙い言葉を尽くして、尊い教えの宝典を飾り立て、七巻の書として刊行し、一部の教えとして世に伝えるのである。


第一

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