法身章
法身章
法身義四門分別。初釋名者。法是軌持義。身是依止義。則法為身。亦名自性身。二體性者略有十種。一依佛地論。唯以所照真如清淨法界為性。餘四智等並屬。報化。二或唯約智。如無性攝論。以無垢無罣礙智為法身故。謂離二障。諸德釋云。此據攝境從心名為法身。匪為法身是智非理。今釋一切諸法尚即真如。況此真智而不如耶。既即是如何待攝境。三亦智亦境。如梁攝論云。唯如如及如如智獨存。名為法身。四境智雙泯。經云。如來法身非心非境。五此上四句合為一無礙法身。隨說皆得六。此上總別五句相融形奪泯茲五說。通然無寄以為法身。此上單就境智辨。七通攝五分。及悲願等法行功德。無不皆是此法身收。以修生功德必證理故。融攝無礙如前智說。八通收報化色相功德。無不皆是此法身收故。攝論中三十二相等。皆入法身攝有三義。一相即如故歸理法身。二智所現故屬智法身。三當相並是功德法。故名為法身。九通攝一切三世間故。眾生及器無非佛故。一大法身具十佛故。三身等並在此中。智正覺攝故。十總前九為一總句。是謂如來無礙自在法身之義。三出因者有四。一者了因。照現本有真如法故。二者生因。生成修起勝功德故。三者生了無礙因。生了相即二果不殊故。四者總此勝德為所依因。印機現用為所成果。四業用者亦有四。一此理法身。與諸觀智為所開覺。經云。法身說法授與義故。二依此以起報化利生勝業用故。三或作樹等密攝化故。四遍諸塵道毛端等處。重重自在無礙業用也。
法身の意味を四つの観点から解説する。
第一に、名称の意味。「法」とは規範・保持の意義、「身」とは依りどころとなる意義であり、「法を身とする」という意味で、自性身とも呼ばれる。
第二に、その本体には十種の区別がある。
一、『仏地論』によれば、ただ照らし出される真如・清浄法界のみを本体とし、残りの四智などはすべて報身・化身に属する。
二、あるいは智慧のみを法身とする。『無性摂論』が「無垢・無掛礙の智慧を法身とする」と説くように、これは二障を離れた智慧を指す。諸師の解釈では「これは境を摂めて心に従うことを法身と名づけるのであり、法身が智慧であって理ではないという意味ではない」という。今の解釈では、すべての諸法すら真如そのものである。ましてやこの真智が真如でないはずがあろうか?すでにそうであるなら、なぜわざわざ「境を摂める」と言う必要があるのか。
三、智慧と境の両方である。『梁摂論』が「ただ如如と如如智のみが独自に存在する」と説き、これを法身と名づける。
四、境と智の両方が泯滅する。経典に「如来の法身は心でも境でもない」とある。
五、以上の四句を合わせて一つの無礙な法身とする。どのように説いても構わない。
六、以上の総別五句は相互に融け合い、互いに形を奪い合って、この五つの説を泯滅させる。すべてを超越して何にも寄らないことを法身とする。以上は境と智のみに関して弁じた。
七、五つの修行(五分法身)および慈悲の誓願などの法行の功徳をすべて含み、これらのすべてがこの法身に収まる。修行によって生じる功徳は必ず真理を証得するからである。融け合って無礙であることは、先の智慧の説と同じである。
八、報身・化身の色相の功徳をもすべて含み、これらのすべてが法身に収まる。ゆえに『摂論』では三十二相などもすべて法身に含まれるとされ、三つの意義がある。第一に、相は即ち真如であるから理法身に帰する。第二に、智慧によって現れるから智法身に属する。第三に、その相そのものが功徳法であるから、法身と名づける。
九、すべての三つの世間(正覚世間・衆生世間・器世間)を含む。衆生も器世間もすべて仏でないものはない。一大法身は十の仏(十仏)を具える。三身などもすべてこれに含まれ、智慧による正覚の範囲であるからである。
十、以上の九つを総合して一つの総句とする。これが如来の無礙自在な法身の意義である。
第三に、法身を生じる原因には四つある。
一、了因。本有の真如の法を照らし現すから。
二、生因。修行によって勝れた功徳を生じ成就させるから。
三、了因と生因が無礙な因。了因と生因は相即し、その二つの果も異ならないから。
四、この勝れた功徳すべてを所依の因とし、機縁に応じて現れる働きを所成の果とする。
第四に、法身の働きにも四つある。
一、この理法身は、様々な観智に対して開き悟らせる対象となる。経典に「法身が説法し、意義を授ける」とある通りである。
二、これによって報身・化身を起こし、衆生を利益する勝れた働きを生じるから。
三、あるいは樹木などの形をとって密かに教化・摂受するから。
四、微細な塵や毛端などのあらゆる場所に遍く現れ、重々しく自在で無礙な働きをする。