佛說菩薩行方便境界神通變化經卷中
仏説菩薩行方便境界神通変化経 中巻
宋天竺三藏法師求那跋陀羅譯
宋天竺三藏法師求那跋陀羅訳
「文殊師利!如轉輪王小功德成有盡德聚,有貪、有瞋、有癡、有取、有結、有使,是轉輪王,一切無有作怨敵者。所以者何?文殊師利!是轉輪王無有諍惱。文殊師利!豈況如來轉大法輪,無量大智,功德莊嚴具足成就,得無斷大悲,遊行無漏法虛空中,七助菩提法寶成就,以不忘法,轉大法輪,外有諍訟諸怨敵怖,無有是處。文殊師利當知!若見此佛剎土外道出家,汝善男子當知,一切安住一道,所謂佛道。文殊師利!喻諸禽獸無力能住師子王前。如是文殊師利!諸外道出家無能便入如來境界,亦不能與如來諍論,大人師子,持於十力,得四無畏,在其前吼,無有是處,惟除如來之所加持。文殊師利!喻日宮出放光明網,一切螢火皆悉隱蔽,一切珍寶火光星宿悉無照明。如是文殊師利!無上如來大日宮出時,放大智光明,諸外道出家皆悉隱蔽,無有照明。文殊師利!喻勝鐵王隨其地分所出之處,一切諸鐵無有住者,以諸鐵聚不共相故。如是文殊師利!若有佛土有佛出世,當知一切諸外道等無出家行。何以故?不共相佛出於世故。文殊師利!喻如意寶王隨所出處,不生一切偽摩尼寶。如是文殊師利!如來大智寶所出處,當知是處不出外道。文殊師利!喻如寶性有出閻浮檀金之處,是處不出下賤銅等。如是文殊師利!若有世界有佛出世,是處不出一切外道。文殊師利!當知方便隨佛出處,不應出諸外道出家。文殊師利!汝今當知,如來受持不可思議方便境界,以是緣故,此佛剎土現諸一切外道出家。所以者何?一切外道上首,皆是住於不可思議解脫,從般若波羅蜜出,遊戲方便,亦不捨離念佛、法、僧,教化眾生到於彼岸,如來受持化眾生故。」
文殊師利よ、たとえば転輪王は、小さな功德を積み重ねて限りある德の集まりを持ち、貪りがあり、怒りがあり、愚かさがあり、執着があり、煩悩の結びつきがあり、煩悩の使いに縛られていながらも、その転輪王には一切、敵対する者がいない。なぜか。文殊師利よ、この転輪王には争いや悩みがないからである。文殊師利よ、ましてや如来が大いなる法の輪を転じ、無量の大いなる智慧と、功德の荘厳を完全に成就し、断えることのない大いなる慈悲を得て、漏れのない法の虚空を遊行し、七つの菩提を助ける法の宝を成就し、忘れることのない法によって大いなる法の輪を転じるのに、外に争いや訟えの敵対者の恐れがあるなどということは、ありえない。文殊師利よ、知るべきである。もしこの仏の国土の外に外道の出家者を見るならば、善男子よ、知るべきである。一切は一つの道に安住している、いわゆる仏道である。文殊師利よ、たとえば獣たちは、獅子王の前に立つ力がない。同様に文殊師利よ、外道の出家者たちは如来の境界に入ることができず、また如来と争うこともできない。偉大な人である獅子が、十の力を保ち、四つの畏れなさを得て、その前に吼えるなどということは、ありえない。ただ如来の加持による場合を除いて。文殊師利よ、たとえば太陽が昇って光明の網を放つと、すべての蛍の光は皆隠れてしまい、すべての珍宝の火や星々も皆照らすことができない。同様に文殊師利よ、無上の如来という大いなる太陽が昇る時、大いなる智慧の光明を放ち、もろもろの外道の出家者は皆隠れてしまい、照らすことができない。文殊師利よ、たとえば勝れた鉄の王が、その土地の区画に応じて現れるところでは、すべての鉄はとどまることができない。もろもろの鉄の集まりは共に存在しないからである。同様に文殊師利よ、もし仏の国土に仏が世に現れるならば、知るべきである。すべての外道たちには出家の行がない。なぜか。共に存在しないという相がある仏が世に現れるからである。文殊師利よ、たとえば如意宝珠の王が現れるところには、偽の摩尼宝は生じない。同様に文殊師利よ、如来の大いなる智慧の宝が現れるところには、知るべきである。その場所に外道は現れない。文殊師利よ、たとえば宝の性質として閻浮檀金が産出する場所には、そこから下賤な銅などは産出しない。同様に文殊師利よ、もし世界に仏が世に現れるならば、その場所には一切の外道は現れない。文殊師利よ、知るべきである。方便として仏が現れる場所には、もろもろの外道の出家者は現れないはずである。文殊師利よ、あなたは今、知るべきである。如来は不可思議な方便の境界を受持している。その理由によって、この仏の国土には一切の外道の出家者が現れているのである。なぜか。一切の外道の上首たちは、みな不可思議な解脱に安住し、般若波羅蜜から出て、方便に遊び、また念仏・念法・念僧を捨て離れることなく、衆生を教化して彼岸に到らせている。如来が衆生を教化するために受持しているからである。
說是法時,八千天子依聲聞乘者,聞說一乘,發於無上正真道心;五百比丘得一乘燈三昧,千二百菩薩,得無生法忍。普此三千大千世界六種震動,天於空中雨天青、黃、赤、白蓮華,雨天末栴檀,於佛之前,百千天子,住虛空中,發聲唱呼,天衣空中而自迴轉。諸天作樂說如是言:「本未曾聞是經出世。世尊,令此經典久行於閻浮提,八百比丘、比丘尼,脫優多羅僧以奉上佛。」
この法を説かれた時、八千の天子で声聞乗に依っていた者たちは、一乗の教えを聞いて、無上の正真の道心を発した。五百の比丘は一乗灯三昧を得、千二百の菩薩は無生法忍を得た。この三千大千世界は六種の震動を起こし、天は空中から青、黄、赤、白の蓮華を降らせ、天末栴檀を降らせた。仏の前では、百千の天子が虚空に住し、声をあげて呼びかけ、天衣が空中で自ら回転した。諸天は音楽を奏で、このように言った。「これまでこのような経典が世に出たことは一度もありません。世尊よ、どうかこの経典が長く閻浮提に広まりますように。」八百の比丘、比丘尼は、優多羅僧を脱いで仏に捧げた。
爾時世尊,欲重宣此義,而說偈言:
時に世尊は、この意味を重ねて説かれるために、偈を唱えられた。
「方便境界不思議, 文殊師利當知我;
我精練時覺菩提, 我又示現如此時,
時節過咎我所無, 常恒有於妙法時,
眾生聞我法過度, 眾生過患我所無。
精練劫殘功德物, 精練福田淨無垢;
我精練時得菩提, 是故知我無有濁。
我已從久多億劫, 成就無量佛智慧,
如我得道命亦爾, 於是中間無滅度。
我方便現示滅度, 有常想故示無常,
我今示現於餘殘, 我壽命等未來劫。
我惟一乘一滅度, 我差別乘不可得,
作如是三說三乘, 當知方便之境界。
有懈怠心及小心, 聞即生於驚怖畏,
為是等故示三乘, 惟有一乘無有二。
我隨欲於法者說, 入於佛道法事故,
以是一乘演說三, 然於此乘無傷損。
如巧智度到彼岸, 以是智示現於三,
世尊亦爾知勝法, 以是一乘演說三。
等心調御諸眾生, 我都無有於異想,
我意喜敬於下乘, 我則有於慳悋咎。
紺琉璃寶眾寶上, 隨其所在住止處,
一切皆同作一色, 而是紺色無差別。
調御智寶亦如是, 一切佛土普放光,
一切眾生作一色, 菩提心色無差別。
猶如小火之所燒, 漸漸增長成大焰,
聲聞智焰亦如是, 斯亦放佛功德光。
須彌山王歸向者, 以威德故同一色,
歸依十力亦如是, 柔忍者得菩提色。
喻如一切眾蜂口, 採拾種種眾淨妙,
一切眾物共和合, 皆悉作於一蜜相。
知世讚世亦如是, 示現作於三乘已,
一切白淨和合已, 作菩提想無異想。
轉輪人王無憂惱, 無有餘方怨敵故,
我以法界普告勅, 云何當有外道界?
猶如日宮初出時, 隱蔽螢火諸星宿,
智慧宮出亦如是, 蔽諸外道無明照。
隨有勝鐵所住處, 一切餘鐵無能行,
若有國土如來行, 是處無有外道行。
隨有金玉所出處, 是處不出生餘銅,
若有剎土證菩提, 是處不雜外道眾。
意珠偽珠不和雜, 過去未來亦不雜,
佛寶外道亦如是, 一剎土中常不雜。
禪定神通忍自在, 一切智門此外道,
慧方便行智慧者, 示現種種諸變化。
聞於方便境界已, 爾時佛子甚歡喜,
生於慶樂喜無量, 散華供養於調御,
此地六種大震動, 空中伎樂而鼓作,
億天虛空中合掌, 讚言善哉調御說。」
方便の境界は不思議です。文殊師利よ、私を知りなさい。 私が修行を積んだ時、菩提を覚りました。また私はこのような時を示し現します。 時期に過ちは私にはありません。常にいつも妙なる法の時があります。 衆生は私の法を聞いて彼岸へ渡ります。衆生の過ちは私にはありません。
修行の劫を残した功德の物、修行の福田は清らかで汚れがありません。 私が修行した時、菩提を得ました。ですから私には濁りがないと知りなさい。 私はすでに久しい多くの億劫から、無量の仏の智慧を成就しました。 私が道を得たように命もまたそのとおりです。その間には滅度はありません。 私は方便として滅度を示し現します。常想があるために無常を示します。 私は今、残りのものを示し現します。私の寿命は未来の劫と等しいのです。 私にはただ一乗、一つの滅度だけです。私に差別の乗は得られません。 このように三つと言い三乗と説きます。方便の境界だと知りなさい。
懈怠の心や小さな心のある者は、聞くとすぐに驚き怖れを生じます。 これらの者のために三乗を示します。ただ一乗のみで二つはありません。 私は欲に随って法を求める者に説きます。仏の道と法の事に人るために、 この一乗をもって三つを演べ説きます。しかしこの乗に損傷はありません。 巧みな智慧で彼岸に到るように、この智慧をもって三つを示し現します。 世尊もまた同じく勝れた法を知って、この一乗をもって三つを演べ説きます。 平等の心で多くの衆生を調御し、私はすべてに異なる想いはありません。 私の意が下乘を喜び敬うなら、私は慳悋の咎を持つことになります。
紺琉璃の宝は多くの宝の上にあり、そのあるところに従って住まる場所、 一切は皆同じく一つの色を作します。しかもこの紺色に差別はありません。 調御の智慧の宝もまたそのとおりです。一切の仏土に普く光を放ち、 一切の衆生を一つの色と作します。菩提心の色に差別はありません。 小さな火が焼くところのように、次第に増えて大きな炎となります。 声聞の智慧の炎もまたそのとおりです。これもまた仏の功德の光を放ちます。 須彌山王に帰向する者は、威徳のために同じ一つの色となります。 十力を帰依するもまたそのとおりです。柔忍の者は菩提の色を得ます。 たとえば一切の多くの蜂の口が、種々の清らかで妙なるものを採り集め、 一切の多くのものが和合して、皆ことごとく一つの蜜の相を作します。 世を知り世を讃えるもまたそのとおりです。三乗を示し現し終えて、 一切の白浄を和合し終えて、菩提の想いを作し異なる想いはありません。
転輪人王に憂悩はありません。他の方角に怨敵がないからです。 私は法界をもって普く告げ勅します。どうして外道の界がありましょうか。 太陽の宮が初めて出る時のように、螢火や多くの星宿を隠し蔽います。 智慧の宮が出るもまたそのとおりです。多くの外道の無明の照りを蔽います。 勝れた鉄のあるところに随って、一切の他の鉄は行うことができません。 もし国士に如来が行じるなら、この処には外道の行はありません。 金や玉の出るところに随って、この処には他の銅は生じません。 もし刹土で菩提を証するなら、この処に外道の衆は雑じりません。 意珠と偽珠は和雑しません。過去未来もまた雑じりません。 仏宝と外道もまたそのとおりです。一つの刹土の中に常に雑じりません。 禅定・神通・忍・自在、一切智の門、この外道、 慧方便行の智慧ある者は、種々の多くの変化を示し現します。
方便の境界を聞き終えて、その時仏子は非常に歓喜し、 慶びと楽しみと喜びを無量に生じ、華を散らして調御に供養しました。 この地は六種に大きく震動し、空中に伎楽が鼓られ奏でられ、 億の天が虚空の中で合掌し、讃えて言いました「善哉、調御の説」と。
說此偈時,薩遮尼乾子與八十億諸尼乾俱,從南方次第遊行於諸國界,向優禪尼大城之所,百千大眾圍遶莊嚴唱叫喚呼。爾時旃茶鉢樹提王,遙見薩遮尼乾子來,於是薩遮,生愛樂心,生清淨心,與諸大臣內宮眷屬,國土人民,子息四兵,大王威德,大王神力,百千滿瓨以用莊嚴;鼓百千伎樂,擎幢幡寶蓋以為莊嚴,即出往迎薩遮尼乾。
この偈を説いたとき、サッチャ・ニルグランタ子は、八十億のニルグランタたちとともに、南方から順々に諸国を巡り歩き、ウッジャイニーの大城へと向かっていました。百千の大衆に囲まれ、飾り立てて声高に呼ばわっていました。そのとき、チャンダ・パッラヴァ王は、遠くからサッチャ・ニルグランタ子が来るのを見て、サッチャに対して愛念の心を起こし、清らかな心を起こしました。そして大臣たち、後宮の眷属、国の人民、息子たちと四種の兵、大王の威徳、大王の神通力、百千の満杯の水瓶で飾り立て、百千の楽器を打ち鳴らし、幢・幡・宝蓋を掲げて飾りとし、すぐにサッチャ・ニルグランタを迎えに出かけました。
爾時薩遮尼乾子,遙見旃茶鉢樹提王,柔軟愛語:「善來大王!汝國界中無有怨敵相逼切也,無有病患苦惱熱也。是國臣屬諸伎卒,惡不肖之人,守羅關稅,是等不亂壞國土不?大王!汝國沙門諸婆羅門安樂行不?大王!汝常安法治理國不?大王!不應害於眾生獵張魚捕逼諸眾生。何以故?大王當知!一切眾生皆悉愛命。是故大王!應受不殺,不應偷奪,於自國封應生知足,不應邪婬自足妻色,終不妄語真實而言,不應兩舌有異言說,不應惡口常柔軟語,不應綺語隨所念語,於他財封勿生貪心。大王!應當離於瞋恚,以慈莊嚴於身、口、意。大王!不應生於邪見,行聖正見。大王!汝今不應放逸,善觀無常。大王當知!壽命短促速至他世。大王!汝今應怖畏後世,應信業報。」
そのとき、サッチャカ・ニルグランティの子は、遠くからチャンダ・パッラバ王を見て、やわらかい慈愛の言葉でこう言った。「よく来られた、大王よ。あなたの国のうちに、敵に脅かされることはありませんか。病や苦しみに悩まされることはありませんか。この国の臣下や兵士たち、悪い行いをする者たちが、関所や税を取り仕切って、国を乱し壊すようなことはありませんか。大王よ、あなたの国では、修行者やバラモンたちは安楽に暮らしていますか。大王よ、あなたはいつも法にかなった政治を行っていますか。大王よ、生き物を傷つけ、狩りをし、網を張り、魚を捕り、生き物たちを苦しめてはなりません。なぜなら、大王よ、知っておられるように、すべての生き物はみな命を愛しているからです。ですから大王よ、殺さないことを受け入れ、盗みをしてはならず、自分の国の領地に満足し、邪な淫行をしてはならず、自分の妻の色に満足し、決して嘘をつかず真実を語り、二枚舌で異なることを言ってはならず、悪口を言わずにいつもやわらかい言葉で話し、無駄話をせずに思うままに語り、他人の財産や領地に貪りの心を起こしてはなりません。大王よ、怒りを離れ、慈しみをもって身と口と意を飾るべきです。大王よ、邪な見解を起こしてはならず、聖なる正しい見解を行いなさい。大王よ、あなたは今、放逸にあってはなりません。無常をよく観察しなさい。大王よ、知っておられるように、寿命は短く、速やかに来世へと至ります。大王よ、あなたは今、後の世を恐れ、業の報いを信じるべきです。」
重說勝偈:
勝れたる偈を重ねて説く。
「人主常應不放逸, 護持境土不放逸;
若放逸者墮惡道, 若不放逸生善道。
亦莫抂斷眾生命, 一切眾生愛壽命;
慧者不應害眾生, 愛護眾生如己身。
常應遠離於偷盜, 常不應說於妄語,
常應護持實言誓, 大王當來生善趣。
所說言語耳樂聞, 不應說強麁惡語,
常應愛語柔軟語, 大王不應說兩舌,
人主不應說綺語, 有所言說隨順說;
離於瞋恚過患惡, 如大象王生善道。
王不應行於邪婬, 於他妻女離欲心,
於自妻色常知足, 汝當來生於善道。
大王不應懷於見, 當安住於妙善見;
當修行於如是法, 大王受天娛樂樂。
持戒沙門婆羅門, 及孝順供於父母,
得遠離於惡道已, 當受天中歡喜樂。」
人々の主は、常に気を緩めてはいけません。 国の領土を守り、気を緩めないことです。 もし気を緩めれば悪い世界に落ち、 気を緩めなければ善い世界に生まれます。
また、生き物の命を無理に断ってはいけません。 すべての生き物は自分の命を愛しています。 賢い人は生き物を傷つけてはいけません。 自分の身体のように生き物を愛し、守りなさい。
常に盗みから離れ、 常に嘘をついてはいけません。 常に真実の言葉と誓いを守りなさい。 大王よ、そうすれば来世に善い世界へ生まれます。
語る言葉は耳に心地よく、 強い荒々しい悪い言葉を言ってはいけません。 常に愛の言葉、柔らかい言葉を使いなさい。 大王よ、二枚舌を使ってはいけません。
人々の主は美辞麗句を使ってはいけません。 何かを言うときは、相手に合わせて言いなさい。 怒りと過ちの悪から離れれば、 象の王のように善い道に生まれます。
王は邪な淫らな行いをしてはいけません。 他人の妻や娘には欲望の心を離れ、 自分の妻の美しさに常に満足しなさい。 そうすればあなたは来世に善い道に生まれます。
大王よ、誤った見解を抱いてはいけません。 素晴らしい善い見解に安らぎなさい。 このような法を修行しなさい。 大王よ、天の楽しみと喜びを受けます。
戒を守る沙門や婆羅門、 そして孝行し父母に仕える者は、 悪い道から遠く離れて、 天での喜びと楽しみを受けます。
是薩遮尼乾子,以此不放逸法,勸鉢樹提王已。爾時栴茶鉢樹提王,向薩遮尼乾子,說於愛軟安樂之語,自言:「不作如是之事,汝婆羅門可至我家。何以故?我今請汝及諸眷屬,欲設飯食。」
サージャ・ニルグランタ子は、この不放逸の教えをもってハシュティ王を導いた。そこで、チャンダ・ハシュティ王はサージャ・ニルグランタ子に向かって、やさしく穏やかな言葉を述べた。「そのようなことはいたしません。バラモンよ、どうか私の家にお越しください。なぜなら、私はあなたとお連れの方々を招いて、食事を用意したいのです。」
尼乾子言:「善哉,善哉!當如是作。何以故?大王!我來道遠飢乏所須,大王如是,如汝所請。」
尼乾子が言いました。「よかった、よかった。ぜひそうしてください。なぜなら、大王よ、私は遠くから参りまして、飢えと疲れで必要なものがございます。大王がそのようにおっしゃってくださるのは、まさに私の願いどおりです。」
爾時大王,在薩遮尼乾子眷屬後行,前入王宮,入已薩遮尼乾坐御座,餘諸尼乾隨次而坐。爾時彼王善心恭敬手自料理,薩遮尼乾及其眷屬,食充足已。
そのとき、大王はサッチャ・ニガンタの一団の後ろについて王宮に入り、サッチャ・ニガンタが王の座に着くと、ほかの尼乾たちも順に座りました。そこで王は真心こめてうやうやしく自ら給仕し、サッチャ・ニガンタとその一団は食事をじゅうぶんにいただきました。
爾時此王如是思惟:「我今當少問是薩遮尼乾子,於如來所有信敬不?」王思是已,取小卑床,坐於薩遮尼乾子前,作如是言:「婆羅門!我欲少論,若聽許者,我當問汝,汝為我說。」
そのとき、この王は次のように考えました。「今、私はサジャ・ニルグラ子に少し尋ねてみよう。如来に対して信と敬いの心があるかどうか。」王はそう考えてから、小さく低い床を持ってきて、サジャ・ニルグラ子の前に座り、こう言いました。「バラモンよ、私は少し話をしたい。もし聞き入れてくださるなら、あなたに問いかけましょう。どうか私に説いてください。」
薩遮尼乾語大王言:「隨汝所欲自恣而問,我當善答悅可汝心。」
サッチャ・ニルグランタは大王にこう言いました。「どうぞお望みのままに、思う存分お尋ねください。私はあなたの心を満足させるよう、よくお答えいたしましょう。」
王聞聽已,問言:「婆羅門!世眾生中頗有眾生慧者明了無亂心智,然有過耶?」
王はこれを聞いて尋ねました。「バラモンよ、この世の生きとし生けるものの中で、慧があり、心が明らかで乱れのない者でも、過ちを犯すことがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王又問言:「婆羅門!此是誰也?」
王はまた尋ねました。「バラモンよ、これは誰ですか?」
薩遮答言:「跋沙婆羅門是。」
サッチャが答えました。「バッサバラモンです。」
王又問言:「跋沙婆羅門有何過耶?」
王はまた尋ねました。「バッサパラモンにはどんな過ちがあるのですか。」
薩遮答言:「跋沙婆羅門,善瞻星曆,善知節會,善學唱說,善知月蝕,善知地動,善知豐儉,善知世俗會,善學瞻相,然實邪婬愛他妻婦。大王!慧人不應行於邪婬。何以故?大王!行邪婬者,現世來世得大苦法,乃至天人之所呵責。」
薩遮は答えました。「跋沙というバラモンは、星や暦をよく見て、季節の祭りをよく知り、唱え言をよく学び、月食をよく知り、地震をよく知り、豊作凶作をよく知り、世間の集まりをよく知り、占いをよく学んでいます。しかし、実際には邪な淫らな行いをし、他人の妻を愛しています。大王、賢い人は邪な淫らな行いをしてはなりません。なぜでしょうか。大王、邪な淫らな行いをする者は、現世でも来世でも大きな苦しみを受け、天の人々からも責められるからです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「貪欲他婦女, 不護惡境界;
不足自妻色, 世所有呵責。」
他人の妻を欲しがり、悪い行いに身を任せ、 自分の妻だけでは満足できない―― 世間の人々は皆、これを非難します。
王言:「婆羅門!世眾生中復有眾生慧者明了無亂心智,然有過耶?」
王が言いました。「婆羅門よ。世の中の衆生の中には、また智慧があり明らかで、乱れない心を持つ衆生がいますが、それでも過ちがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王。」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
薩遮答言:「此頗羅墮婆羅門是慧者明了知時非時,彼有過患。」
サッチャが答えて言いました。「このポーラ堕のバラモンは慧があり、時と非時を明らかに知っています。彼に過ちがあります。」
王又問言:「有何過耶?」
王はまた尋ねました。「どんな過ちがあるのですか?」
答言:「大王!此婆羅門多所睡眠。大王!慧者不應多於睡眠。何以故?大王!睡眠退失世出世法若智若斷。」
「大王様、この修行者はよく眠ってばかりおります。大王様、智慧ある者は決して多く眠るべきではありません。なぜなら、大王様、眠りは世間の法も出世間の法も、智慧も断ち切ることも、すべて失わせてしまうからです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「若多樂睡眠, 懈怠所覆蔽,
睡眠放逸覆, 凡夫退諸利。」
眠りをむさぼり、 怠け心に覆われているなら、 眠気と気のゆるみに包まれて、 凡(ただ)の人はあらゆる善きものを失っていく。
王復問言:「婆羅門!世眾生中復有眾生成就如是諸法然有過耶?」
王はまた尋ねた。「バラモンよ、世の生きとし生けるものの中で、このような諸々の法を成就しながら、なお過ちを犯す者はいるのでしょうか?」
薩遮答言:「實有,大王。」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王,黑王子是。」
「大王、黒王子です」とお答えしました。
王又問言:「是黑王子有何過耶?」
王はまたお尋ねになった。「その黒い王子には、どんな過ちがあるのですか。」
答言:「大王!多於嫉妬。大王!慧者不應多於嫉妬。何以故?大王!若得成就於封邑,行於嫉妬,是人封邑不得堅牢,空手而死,死已便墮於餓鬼界。」
「大王、嫉妬の心が多いのです。大王、智慧ある者は嫉妬に心を満たしてはなりません。なぜなら、大王、封邑を得て栄えても、嫉妬の心で行動するなら、その封邑は堅固ではなく、何も持たずに死に、死後は餓鬼の世界に堕ちてしまうからです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「嫉妬覆蔽心, 彼人成封邑,
彼有空手死, 墮在餓鬼界。」
「嫉妬の心に覆われた人は、 たとえ封土を授かっても、 結局は何も持たずに死に、 餓鬼の世界に堕ちてしまう。」
王又問言:「復有眾生成就如是上功德法,有過患耶?」
王はまたお尋ねになった。「また、このような優れた功徳の法を成就した衆生に、過ちや災いがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!此吉軍王子是。」
「大王、こちらが吉軍王子でございます」とお答えしました。
王又問言:「吉軍王子有何過耶?」
王はまたお尋ねになった。「吉軍王子にどんな過ちがあったのですか。」
答言:「大王!是吉軍王子甚嬉殺生。大王!慧者不應好嬉殺生。何以故?殺生短壽,當墮地獄餓鬼畜生。」
「大王、吉軍王子は殺生をとても楽しんでおられます。大王、慧ある者は殺生を楽しむべきではありません。なぜなら、殺生は寿命を縮め、地獄・餓鬼・畜生に堕ちることになるからです」と答えました。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「人王殺生者, 少力及短命,
命終墮地獄, 是故不害生。」
人の命を奪う王は、 力も弱く、命も短くなり、 死後は地獄に堕ちる。 だからこそ、生き物を傷つけてはならない。
王又問言:「婆羅門復有眾生慧者明了無亂心智,有過患耶?」
王はまたお尋ねになった。「バラモンよ、また、慧があり明らかで、心が乱れていない衆生には、過ちがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!此即無畏王子是也。」
お答えしました。「大王さま、こちらが無畏王子でございます。」
王又問言:「無畏王子有何過耶?」
王はまたお尋ねになった。「無畏王子にはどんな過ちがあるのですか。」
答言:「大王!多悲愍他。大王!慧者不應多悲愍他。何以故?大王!多悲愍他,若自在者,是國多賊,難可降伏,多有過患。」
「大王、私は他者を深く哀れみます」
「大王、智慧ある者は、むやみに他者を哀れんではなりません。なぜなら、大王、あまりに他者を哀れみ、自分の思い通りにできる立場にあると、その国には盗賊が増え、平定するのが難しくなり、多くの災いが生じるからです」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「多悲愍於他, 若人自在者,
不能降伏是, 不能執短己。」
他人を深くあわれみながらも、自分が自由に振る舞える立場にある人は、この心を抑えることができず、自分の過ちを認めることもできません。
王又問言:「頗眾生中復有眾生慧者慧讚,有過患耶?」
王はまたお尋ねになった。「生きとし生けるものの中に、智慧ある者が智慧を讃えることについて、何か過ちがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王。」王言:「誰是?」
サッチャは答えました。「はい、大王、確かにあります。」 王は言いました。「それは誰ですか?」
答言:「大王!此天力王子是,慧者慧讚,然實有過。」
「大王、この天力王子こそが、慧ある者による慧の讃えです。しかし、実際には過ちがあります。」
王言:「婆羅門!天力王子有何過耶?」
王が言いました。「バラモンよ、天力王子にどんな過ちがあるのですか。」
答言:「大王!天力王子飲酒放逸。大王!慧者不應多飲酒也。何以故?大王!酒多失念障礙上義,亦失於世及出世義。」
大王、お答えします。天力王子は酒を飲んで気ままに過ごしておられます。大王、賢い人は酒をたくさん飲むべきではありません。なぜでしょうか。大王、酒をたくさん飲むと、正しい記憶を失い、大切な道理を妨げ、この世の利益も悟りの利益も失ってしまうからです。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「常作放逸, 一切王事, 酒放逸蔽, 退出世義。」
いつも怠け放題で、王としての務めもなおざりにし、酒に溺れて分別を失い、世の道理からも遠ざかってしまう。
王又問言:「婆羅門!復有眾生慧者慧讚,有過患耶?」
王はまたお尋ねになった。「バラモンよ、賢い人に賢いと褒められるような生き物にも、何か過ちはあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!此天勳王子是,慧者慧讚,然有過患。」
「大王、こちらは天勳王子です。智慧ある方が智慧を讃えるのは当然ですが、欠点もあります。」
王言:「婆羅門!天勳王子有何過患?」
王が言いました。「バラモンよ、天勲王子にはどんな問題があるのですか。」
答言:「大王!天勳王子長思慮過。大王!慧者不應有長思慮。何以故?大王!長思慮者妨廢失利,令重事起不得寂靜。是故,大王!大聰慧者不應長思。」
「大王、天勳王子は考えすぎています。大王、智慧ある者は長く思い悩むべきではありません。なぜなら、長く思い悩むことは利益を妨げ失わせ、面倒なことを引き起こして心の静けさを得られなくするからです。ですから大王、すぐれた智慧を持つ者は長く思い悩むべきではないのです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「若有長思慮, 事失不吉利,
以是善莊嚴, 妨廢發意事。」
長く思い悩んでいると、 物事を逃して不運になる。 だから善い行いで心を整え、 決意したことを妨げてはならない。
王又問言:「薩遮!復有眾生慧者慧讚,有過患耶?」
王はまた尋ねました。「サッチャよ、智慧ある者を智慧あると称賛することにも、何か問題があるのだろうか?」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!此大軍王子是,慧者慧讚,然有過患。」
「大王、この大軍王子は慧ある方です。慧ある方が讃えるにふさわしいお方ですが、過ちもございます」とお答えしました。
王又問言:「大軍王子有何過耶?」
王はまた尋ねました。「大軍王子にはどんな過ちがあったのですか」
答言:「大王!有大慳惡覆蔽之過,劫奪他財。大王!慧者不應有大慳惡。」
「大王、大きな欲張りや悪い心に覆われると、他人の財産を奪うことになります。大王、慧ある人は大きな欲張りや悪い心を持ってはなりません。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「若人主有慳, 得封不知足,
是所聚集財, 至他世憂愁。」
もし王がけちで、与えられた領地にも満足せず、 そうやって集めた財産は、来世で悲しみをもたらす。
王又問言:「薩遮!復有慧者慧讚,然有過患?」
王はまた尋ねました。「サチャよ、また慧ある者を慧と讃めることには、過ちがあるのか?」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!波斯匿王,慧者慧讚,然有過患。」
「大王、波斯匿王は、慧ある者は慧を讃えますが、過ちもございます」とお答えしました。
王言:「婆羅門!波斯匿王有何過患?」
王が言いました。「婆羅門よ、波斯匿王にはどんな過ちがあるのか。」
答言:「大王!波斯匿王有多食過。大王!夫有慧者不應多食。何以故?大王!若有多食,懶怠身重所食難消。」
「大王、波斯匿王は食べすぎです。大王、慧ある者は食べすぎるべきではありません。なぜなら、大王、食べすぎると体が重く怠くなり、食べたものが消化しにくくなるからです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「人主多食, 懶怠身重, 又損覺知, 顏狀不鮮。」
食べすぎる王は、体が重くてなまけがちになり、感覚も鈍り、顔色もさえなくなります。
王又問言:「婆羅門!世眾生中復有慧者慧讚,然有過患?」
王はまたお尋ねになりました。「婆羅門よ、世間の衆生の中には、さらに慧ある者、慧を讃える者がいますが、そこには過ちがあるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!汝是。世間慧者慧讚,汝亦有過。」
「大王、おっしゃるとおりです。世間の人々はあなたを賢い者と褒めていますが、あなたにも過ちがあります。」
王言:「婆羅門!我有何過?」
王様が言いました。「バラモンよ、私にどんな過ちがあるというのですか。」
答言:「大王!汝多暴虐惡性卒急麁獷無慈。大王!夫有慧者不應麁暴,若慧者麁暴,人不多附,乃至父母亦不適意,況餘眾生。大王!若聰慧者不應麁暴。大王!有慧之人應深長思。」
お答えして申し上げます。「大王よ、あなたはあまりに暴虐で、怒りっぽく、荒々しく、慈しみがありません。大王よ、慧ある者は荒々しくあってはなりません。もし慧ある者が荒々しければ、人はあまり従いません。父母でさえ心穏やかではいられないでしょう。まして他の生き物たちはなおさらです。大王よ、聡明な慧ある者は荒々しくあってはなりません。大王よ、慧ある人は深くじっくりと考えるべきです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「若有麁暴, 不長覺思, 必有呵責, 無人親附。」
荒々しく乱暴な振る舞いをして、 よく物事を考えようとしない者には、 必ず非難が向けられ、 誰も親しく寄ってはこない。
爾時栴茶鉢樹提王,面聞自過,瞋恚忿惱,不適其意,不能忍耐。語薩遮尼乾子言:「汝應於是大眾之中呵責我耶?」以瞋恚故,勅令斬殺。
そのとき、栴茶鉢樹提王は、自分の過ちを面前で指摘され、怒りと腹立ちで心が乱れ、耐えられませんでした。王はサッチャ・ニルグラント子に言いました。「おまえは、この大勢の前で私を責めるのか。」そして怒りのあまり、斬り殺すよう命じました。
爾時薩遮驚怖,向王說如是言:「大王!不應作是卒暴,施我無畏,聽我所白。」
そのとき、サッチャは恐れおののき、王に向かってこう言いました。「大王よ、どうかこのような粗暴なことをなさらないでください。私に安心を与え、私の申し上げることをお聞きください。」
王言:「與汝無畏,汝欲何說?」
王は言われた。「あなたに恐れることはない。何を話したいのか。」
「大王!我亦有過,我王面前說王過惡,言多暴虐,惡性卒急,麁獷無慈,如實而說。大王!慧者不應於一切時說他實事。大王!慧者應當知時非時。何以故?大王!如實說他,多不適意,人不親附,無慧者呵。」
大王、私にも過ちがございます。王の面前で王の過ちを申し上げるとは、なんと暴虐で、気性が荒く短気で、粗野で慈しみがないことか、ありのままに申し上げました。大王、賢い者は、すべての時に他人の真実を語るべきではありません。大王、賢い者は時と時でないことを知るべきです。なぜならば、大王、ありのままに他人を語れば、多くは意に沿わず、人に親しまれず、智慧のない者に責められるからです。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「如實說人王, 凡夫者所毀,
是以智慧者, 思量然後說。」
真実を語る王を、凡夫はけなす。 だからこそ、智慧ある人はよく考えてから語るのです。
爾時此王歎言善說,復重問論:「婆羅門!世眾生中,頗有眾生慧者明了,無亂心智,無過咎耶?」
そのとき、この王は感嘆して「よく説いてくださいました」と言い、さらに重ねて問いました。「婆羅門よ、世間の衆生の中に、智慧があり明らかで、心が乱れず、過ちのない者は、いるのでしょうか。」
薩遮答言:「實有,大王!」
サッチャはお答えしました。「はい、大王、確かにございます。」
王言:「誰是?」
王が言いました。「あなたは誰ですか。」
答言:「大王!此沙門瞿曇,是釋王種釋種出家,如我等所瞻,彼無過咎。其種貴故無有過咎,生於轉輪王種姓故,無有過咎。不生廝下種姓中故,無有過咎。釋種生故,無有過咎。色貌威德極端嚴故,無有過咎。相好莊嚴故,無有過咎。以是義故,無有過咎。是釋瞿曇若不出家,當作於大轉輪王,七寶成就:所謂輪寶、象寶、馬寶、摩尼寶、女寶、藏臣寶、主兵寶,千子具足勇健端正,能壞他眾,亦皆成就轉輪王相,於四天下統領自在。正法之王,兵仗不用,正法治國。既出家已,苦行六年,日日食於一麻一米,坐菩提樹降伏魔眾。既降伏已,一念心慧,如所知,如所得,如所觸,如所覺,如所證,一切覺知,無有眾生與等等者,何況有勝。是沙門瞿曇無有等者,故無過咎。何以故?大王!是沙門瞿曇家種無等,端正威德無與等者,智慧威德無與等者,是故無過。」
お答えします。「大王よ、この沙門ゴータマは、釈迦王の一族から出家した釈迦族の者です。私たちが見るかぎり、彼には何の過ちもありません。一族が尊いから過ちがないのです。転輪王の家系に生まれたから過ちがないのです。低い身分の家に生まれなかったから過ちがないのです。釈迦族の生まれだから過ちがないのです。容姿と威徳がこの上なく立派だから過ちがないのです。相好が荘厳だから過ちがないのです。こうした理由で、過ちがないのです。この釈迦のゴータマは、もし出家しなければ、大きな転輪王となったでしょう。七つの宝を備えていたのです。すなわち輪宝、象宝、馬宝、摩尼宝、女宝、蔵臣宝、主兵宝です。千人の子らは勇ましくたくましく端正で、他者の軍を破ることができ、みな転輪王の相を備えていました。四天下を自在に統領し、正法の王として武器を用いず、正法によって国を治めたのです。しかし出家してからは、六年の苦行を修め、毎日一麻一米だけを食べ、菩提樹の下に坐って魔の軍勢を降伏しました。降伏し終えると、一念の心の智慧によって、知るままに、得るままに、触れるままに、覚るままに、証するままに、すべてを覚知し、彼と等しい者はもちろん、まして勝る者など誰もいません。この沙門ゴータマに等しい者はおりません。だから過ちがないのです。なぜなら、大王よ、この沙門ゴータマは家柄に等しいものがなく、端正さと威徳に等しいものがなく、智慧と威徳に等しいものがありません。ですから過ちがないのです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「持於三十二相好, 出生釋種人師子,
是淨飯王之太子, 世尊一切智無咎。」
三十二のすぐれた特徴を備え、 釈迦族から生まれた人々の導き手、 浄飯王の太子であり、 一切を知る世尊は、とがめのない方です。
薩遮尼乾子如是說已,鉢樹提王言:「大婆羅門!汝今當說,何等是如來三十二大丈夫相?」
サッチャ・ニガンタ子がこのように説き終えると、鉢樹提王が言いました。「大婆羅門よ、どうか今、如来の三十二の大丈夫相とはどのようなものかをお説きください。」
婆羅門言:「我今當說。」
婆羅門が言いました。「では、私がこれからお話ししましょう。」
王言:「何謂也?」
王がお尋ねになった。「それはどういうことでしょうか。」
「大王!是沙門瞿曇,善安跱立,足下平滿,輪輻圓足,手足柔軟,指長𦟛䑎,手足網鞔。是沙門瞿曇,足跟𦟛平,足骨鉤鎖。是沙門瞿曇,其𨄔鹿𨄔。是沙門瞿曇,其身端正。是沙門瞿曇,陰藏隱密。是沙門瞿曇,其毛一一右旋。是沙門瞿曇,毛悉上靡。是沙門瞿曇,其髮紺青。是沙門瞿曇,皮膚金色極上細軟。是沙門瞿曇,七處圓滿。是沙門瞿曇,身體𦟛滿。是沙門瞿曇,極好支節。是沙門瞿曇。身不逶迤。是沙門瞿曇,身極長廣。是沙門瞿曇,周身團圓如尼拘陀樹。是沙門瞿曇,身如師子王。是沙門瞿曇,具四十齒。是沙門瞿曇,其齒密緻。是沙門瞿曇,牙齒齊平。是沙門瞿曇,牙齒鮮白。是沙門瞿曇,得上勝味。是沙門瞿曇,其舌廣長。是沙門瞿曇,有梵音聲。是沙門瞿曇,眴則俱眴。是沙門瞿曇,其目紺青。是沙門瞿曇,白毫相具。是沙門瞿曇,其頂有髻。大王!是沙門瞿曇,具三十二大丈夫相,以是義故,無有過咎。」
大王、この沙門ゴータマは、足の裏が平らでしっかりと地を踏み、足裏には車輪の跡がくっきりと現れ、手足は柔らかく、指は長くうっすらと水かきがあり、足の甲は高くふっくらとしています。かかとは丸く平らで、足の骨はたくみに組み合わさっています。ふくらはぎは鹿のように引き締まり、体は端正です。陰部は隠れて見えず、体毛はすべて右に巻き、上を向いてなびいています。髪は紺青色で、肌は金色に輝き、この上なくきめ細かく柔らかいのです。七つの部分は円満にふくらみ、体全体はよく整い、関節は見事に調和しています。体はゆがみなく、長く広く、全体がニグローダ樹のように円満で、獅子王のような威厳ある姿です。四十本の歯が備わり、歯は密に並び、揃って白く輝いています。最上の味わいを得て、舌は広く長く、梵の声をお持ちです。まばたきは両目同時にし、目は紺青色です。白毫の相を備え、頭頂には髻があります。大王、この沙門ゴータマは、これら三十二の大丈夫の相をすべて備えておられるのです。それゆえ、なんら欠けたところはありません。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「出生釋種頂有髻, 其髮紺青而右旋,
目如青蓮牛王眴, 是故世尊無過咎。
迦陵頻伽梵音聲, 其舌長廣淨鮮薄,
人中世尊齒齊密, 含齒四十而白淨,
一切世人及諸天, 瞻覩其美皆歡喜。
佛世尊舌遍覆面, 是故眾生無與等,
一切眾味悉和集, 世尊舌相之所出,
一切眾味作一味, 是故世尊無過咎。
如師子身頻婆脣, 其肩端嚴廣滿好,
世尊身如尼拘樹, 周匝團圓善安住。
世尊莊嚴身端直, 人師子身極長廣,
七處旋滿無與等, 上妙金色善鮮淨。
人師子毛而上靡, 其體皮膚極細軟,
其髻各各合螺成, 是故眾生無與等。
又師子跱不曲垂, 陰藏隱密如馬王,
髀𦟛圓滿鹿王𨄔, 其誰瞻視不歡喜。
世尊手足有網曼, 其指纖長赤銅爪,
足跟𦟛平鉤鎖骨, 足下平滿無高下。
世尊手足莊柔軟, 纖長指普有輪相,
人尊足安而平跱, 履行地時不傾動。
無與等者如是相, 世燈如是善莊嚴,
處在大眾甚尊妙, 猶如月王處眾星。
是大丈夫色如是, 世尊為世作燈明,
何況其餘無漏法, 以是法故自然覺。
釈迦族に生まれた方は、頭の頂に髻(もとどり)があり、 その髪は紺青色で右に巻いています。 目は青い蓮のように清らかで、牛王のようにまばたきし、 それゆえ世尊には少しの過ちもありません。 迦陵頻伽(かりょうびんが)のような梵(清らかな)の声を持ち、 その舌は長く広く、清く鮮やかで薄いのです。 人中の世尊の歯は揃って密であり、 四十本の歯は白く清らかです。 すべての世の人々も、多くの天(神々)も、 その美しさを仰ぎ見て、みな喜びます。 仏世尊の舌は顔をすっかり覆い、 それゆえ衆生(生きとし生けるもの)に並ぶものはありません。 あらゆる味がことごとく一つに和まり、 世尊の舌の相(すがた)からあらわれます。 あらゆる味が一つの味となり、 それゆえ世尊には少しの過ちもありません。 獅子のような体、ビンバ(果実)のような唇、 その肩は端厳(きちんと整い)で広く満ちて美しいのです。 世尊の体はニグローダ樹(菩提樹)のようで、 まわりは円く丸みを帯び、よく安らかにそなわっています。 世尊の荘厳なお体は端正でまっすぐ、 人の中の獅子の体はきわめて長く広いのです。 七か所が円満に旋(めぐ)り、並ぶものはありません。 最上の妙なる金色で、よく鮮やかに清らかです。 人の中の獅子の体毛は上向きに巻き、 その体の皮膚はきわめて細やかで柔らかいのです。 その髻はそれぞれが螺(つぶ)状に合わさってでき、 それゆえ衆生に並ぶものはありません。 また獅子のようにかがみ、垂れ曲がらず、 陰部は馬王のように隠れています。 腿(もも)は円満で、鹿王のような脛(すね)を持ち、 これを仰ぎ見て喜ばない者がいるでしょうか。 世尊の手足には網(あみ)の相があり、 その指は細長く、赤銅色の爪を持っています。 足の踵(かかと)は円く平らで、鉤鎖(こうさ)の骨があり、 足の裏は平らで満ち、高い低いがありません。 世尊の手足は荘厳で柔らかく、 細長い指にはすべて輪(法輪)の相があります。 人の中の尊き方の足は安らかで平らに踏み、 大地を歩むときも傾き動くことがありません。 並ぶもののないこのような相(すがた)、 世の灯(ともしび)はこのように善く荘厳されています。 大衆の中にあってきわめて尊くすぐれており、 まるで月の王が星々の中にあるかのようです。 この大丈夫(だいじょうぶ)の色(すがた)はこのようであり、 世尊は世のための灯明となられます。 ましてやその他の無漏(むろ)の法においてはなおさらです。 この法によって、おのずから覚られたのです。
「大王!是沙門瞿曇,其色尊妙,一切眾生無與等者,以是義故無有過咎。大王!是沙門瞿曇大慈力成,於諸眾生其心無礙,常行大慈無礙無著,自然普到一切世界入諸眾生。大王!如摩尼寶能清濁水,寶性淨故,能令一切濁水清淨。大王!沙門瞿曇亦復如是,內清淨故,能淨一切眾生結使濁污淤泥,是故無過。」
「大王よ、この沙門ゴータマは、その姿は尊くすばらしく、すべての生きとし生けるものの中で比べるものがありませません。ですから、何の咎もありませません。大王よ、この沙門ゴータマは大きな慈しみの力によって成り立っておられ、すべての生きとし生けるものに対してその心にさわりがなく、いつも大きな慈しみを行い、さわりも執着もなく、自然にすべての世界に遍く至り、すべての生きとし生けるものの中に入ってゆかれます。大王よ、たとえば摩尼珠が濁った水を清らかにできるのは、宝の本性が清らかであるからこそ、すべての濁った水を清らかにできるのです。大王よ、沙門ゴータマもまた同じです。内面が清らかであるからこそ、すべての生きとし生けるものの煩悩の濁りや泥を清らかにできるのです。ですから、何の過ちもありませぬ。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「慈心普遍世, 三世諸世界;
一切眾生心, 一切智普慈。
無處不普至, 是慈無與等;
普覆虛空界, 一切智無過。
善淨摩尼寶, 能淨淤濁水;
世尊淨諸有, 淨眾生結垢。
慈しみの心は世に遍く広がり、 過去・現在・未来のあらゆる世界に及ぶ。 すべての生きとし生けるものの心に、 一切を知る智慧の慈しみが普く注がれる。 届かないところはどこにもなく、 この慈しみに並ぶものはない。 虚空の世界を余すところなく覆い、 一切を知る智慧に勝るものはない。 よく清らかな摩尼の宝は、 濁った水を清めることができる。 世尊はあらゆる存在を清め、 生きとし生けるものの煩悩の垢を浄めてくださる。
「大王!是沙門瞿曇,成三十二大悲之行。何等三十二?見世眾生沒愚癡闇,是沙門瞿曇,於是眾生行於大悲。見世眾生在大無明㲉,是沙門瞿曇,於是眾生行於大悲。見世眾生墮在於大生死輪迴,是沙門瞿曇,於是眾生行於大悲。見世眾生常勤行於不善寂法,是沙門瞿曇,於是眾生行於大悲。見世眾生隨於大流順流而去,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生墮於大山大苦逼切,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生離於聖道墮於邪道,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生閉大牢獄自然纏縛,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生貪於色、聲、香、味、觸故無厭無滿,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生是愛奴僕常繫屬他,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生老死逼切羸劣困悴,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生常病逼切,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生為三火燒常觸燋熾,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生下纏所纏增長生死,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生心常驚怖,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生貪嗜少味不見過患,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生久眠放逸,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生墮大飢餓常互相害,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生常在衰損互相劫奪,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生無明所盲常不明了,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生共相鬪諍惱亂不息,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生如芒草滋萁,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生不淨交會離於清淨,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生行於諸難離於無難,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生多於疑惑著諸邪見,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生如兜羅華依種種見,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生想心見倒,無常常想,苦有樂想,不淨淨想,無我我想,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生擔負重擔常受苦乏,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生依止羸劣不堅牢想,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生常在垢污,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生繫縛欲有而心貪著,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生利養覆蔽常求於利,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。見世眾生墮在種種病苦,憂悲啼哭愁惱,眾苦大聚,是沙門瞿曇,於是眾生而起大悲。大王!此沙門瞿曇,成就如是三十二種大悲行故,是故無過。」
「大王よ、この沙門ゴータマは、三十二の大悲の行を成就しておられます。どのような三十二か。
世の衆生が愚かさの闇に沈んでいるのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を行じられます。世の衆生が大きな無明の殻の中にいるのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を行じられます。世の衆生が大きな生死の輪廻に堕ちているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を行じられます。世の衆生が常に不善の寂静ならざる法を勤めて行じているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を行じられます。世の衆生が大きな流れに随って流れのままに去っていくのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が大きな山に堕ち、大きな苦に逼められているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が聖なる道を離れ、邪な道に堕ちているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が大きな牢獄に閉じ込められ、自ら縛られているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が色・声・香・味・触に貪り、厭くことなく満ちることもないのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が愛の奴僕となり、常に他に縛られているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が老と死に逼められ、弱り衰え困り果てているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が常に病に逼められているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が三つの火に焼かれ、常に焦がされ燃えているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が下の煩悩に纏われ、生死を増やしているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生の心が常に驚き恐れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生がわずかな味に貪り、その過ちを見ないのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が長く眠り、放逸に耽っているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が大きな飢えに堕ち、常に互いに害し合っているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が常に衰え損じ、互いに奪い合っているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が無明に盲われ、常に明らかでないのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が互いに争い、悩まし乱れが止まないのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が芒草や蘆のように茂り乱れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が不浄に交わり、清浄を離れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が諸々の難難にを行じ、無難を離れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が疑いに惑い、諸々の邪見に執着しているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が綿絮のように種々の見に依っているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が想と心と見を倒し、無常を常と思い、苦を楽と思い、不浄を浄と思い、無我を我と思っているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が重い荷を担い、常に苦しみ疲れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が弱く堅固でない想に依り止まっているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が常に垢に汚れているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が欲と有に縛られ、心に貪り執着しているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が利養に覆い隠され、常に利を求めているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。世の衆生が種々の病苦に堕ち、憂い悲しみ啼き哭き、愁え悩み、多くの苦の大きな集まりとなっているのを見て、この沙門ゴータマは、その衆生のために大悲を起こされます。
大王よ、この沙門ゴータマは、このような三十二種の大悲の行を成就しておられるがゆえに、過ちはないのです。」
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「無明愚癡大闇黑, 見無明㲉蔽眾生,
見眾生趣生死獄, 是故人尊生大悲。
眾生常勤造眾行, 正覺見眾生流漂;
恒常隨順此流漂, 十力常生大悲心。
墜墮於極高大山, 見眾生行於邪道,
善安止於聖道中, 安寂靜處無煩惱。
諸邪見者所繫縛, 愛怒境界無滿足,
為生老死之所沒, 是故十力有大悲。
種種眾苦所逼切, 見世三火燒熾然,
驚怖畏之被鹿皮, 以是緣故十力悲。
眾生貪著嗜於味, 放逸貪著於境界,
見其墮於飢餓道, 調御能救於怨害。
見諸眾生互相害, 為無明闇所覆蔽,
猶如芒草蔓滋萁, 以是緣故十力悲。
婬欲所生諸繫縛, 見諸眾生行難行,
行於邪見稠林中, 以是緣故十力悲。
於不淨中有淨想, 無常有常無我我,
見諸眾生厭重擔, 是故十力生於悲。
見擔負於大重擔, 凡夫常依止羸劣,
常為諸結所污染, 是故十力有大悲。
見為利養所覆蔽, 復次境界無厭足,
墮於欲有之大海, 是故十力有大悲。
多於種種憂愁病, 見諸眾生苦惱已,
為是一切諸苦惱, 是故十力有大悲。
知於非有亦非無, 彼常有於大悲心,
一切眾生普遍心, 是故一切智無過。
無明という愚かさの大きな闇が、众生を覆い隠しているのを見て、 众生が生死の獄に流れていくのを見て、それゆえ人尊は大きな悲しみを生じる。 众生は常にさまざまな行いを造り続け、正覚者は众生が流れ漂うのを見る。 常にこの流れに随い漂う众生を、十力ある者は常に大悲の心を生じる。 極めて高い大きな山から墜ち、众生が邪道を行くのを見て、 聖なる道の中に善く安止させ、煩悩のない安らかな静けさの場所に置く。 諸々の邪見に縛られ、愛と怒りの境界に満足することなく、 生老死に沈む众生を、それゆえ十力ある者は大悲を持つ。 さまざまな苦しみに逼められ、世の三つの火に焼かれるのを見て、 驚き怖れ鹿の皮を被る者たちを、この縁により十力ある者は悲しむ。 众生は味に貪り執着し、放逸に境界に貪着し、 飢餓の道に堕ちるのを見て、調御者は怨害から救う。 众生が互いに害し合い、無明の闇に覆われているのを見て、 まるで芒草が蔓のように茂るのを、この縁により十力ある者は悲しむ。 婬欲から生じる諸々の束縛、众生が難しい行いをするのを見て、 邪見の密林を行くを、この縁により十力ある者は悲しむ。 不浄の中に浄という想いを、無常を常と、無我を我と見て、 众生が重い荷を厭うのを見て、それゆえ十力ある者は悲しみを生じる。 大きな重荷を負い、凡夫は常に弱いものに依止し、 常に諸々の結に汚染されているのを見て、それゆえ十力ある者は大悲を持つ。 利養に覆われ、さらに境界に満足することなく、 欲の大海に堕ちるのを見て、それゆえ十力ある者は大悲を持つ。 さまざまな憂いと病が多く、众生が苦しむのを見て、 これらすべての苦悩のために、それゆえ十力ある者は大悲を持つ。 有でもなく無でもないと知り、彼は常に大悲の心を持つ。 すべての众生に遍く心を向ける、それゆえ一切智に過ぎたるものはない。
「大王!今復略說,是沙門瞿曇成就四念處,四正勤,四如意足,四禪,五根,五力,七助道法,八聖道分。成就具足,是故,大王!是沙門瞿曇,無有過咎。」
大王よ、今また簡潔に申し上げましょう。この沙門ゴータマは、四念処、四正勤、四如意足、四禅、五根、五力、七覚支、八聖道分を成就しておられます。これらを完全に具えているのです。ですから大王よ、この沙門ゴータマには、何の過ちもありません。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「常勤精進修念處, 大覺善知於正斷,
大仙禪定得自在, 勝出眾生無過咎。
調御世成諸神通, 諸辯自在到彼岸,
如來善知解脫呪, 大覺善通達諸諦。
於梵行處得自在, 修於慈悲及喜捨,
善安止住於定慧, 是故常無眾過咎。
大仙善知助菩提, 如來善知八聖道,
見眾生苦於聖道, 究竟安止安樂渚。
一切世界無眾生, 有與世調齊等者,
一切智成一切德, 恒常不毀呰於他。
常に怠らず精進し、念処を修め、 大いなる覚りは正断をよく知り、 大仙人は禅定を得て自在であり、 すべての生きるものを超え出て、とがめがない。
世を調御し、もろもろの神通を成し遂げ、 諸々の弁才に自在で彼岸に到り、 如来は解脱の呪をよく知り、 大いなる覚りは諸々の真理によく通達している。
梵行の境地に自在を得て、 慈悲と喜捨を修め、 定と慧によく安住している。 それゆえ、常にとがめがない。
大仙人は菩提の助けとなるものをよく知り、 如来は八聖道をよく知り、 生きるものの苦しみを聖なる道において見て、 究竟の安楽の洲に安住する。
すべての世界に、世を調える者と等しい生きるものはない。 一切智はすべての徳を成就し、 常に他をそしることがない。
「大王!是沙門瞿曇,成就十力。」
大王よ、この沙門ゴータマは、十力(じゅうりき)をそなえています。
王言:「大婆羅門!何等是名如來十力?」
王がおっしゃいました。「大婆羅門よ、如来の十力とは、いったいどのようなものでしょうか。」
「大王!是佛如來,是處如實知是處、非處如實知非處;去來現在,作業受業,住處因報如實而知;無量諸界種種世界如實知之;若諸餘人餘眾生等種種所解如實而知;若餘眾生餘人等根,勝非勝根如實而知;一切至道如實而知;若餘眾生餘人諸根諸力,助道諸禪解脫定次第定,一切結使污染白淨,隨各各處如實了知;念於無量種種宿命,若於一生若無量生,如其所行如其所說如實而知;天眼清淨過於人眼,見諸眾生種種生死,乃至生於善道惡道如實而知;諸漏盡無漏心解脫及慧解脫如實而知。大王!是名如來十力成就。具足力故,名持十力,名無降伏,是故無過。」
大王よ、如来はこれらのことをありのままにご存じです。道理にかなうことは道理にかなうこととして、道理にかなわないことは道理にかなわないこととして、ありのままにご存じです。過去・現在・未来において、行為をなし、その結果を受けること、その状態や原因と報いを、ありのままにご存じです。無数の世界やさまざまな領域を、ありのままにご存じです。他の人々や生きとし生けるものたちの、さまざまな理解のしかたを、ありのままにご存じです。他の生きとし生けるものたちの能力が、すぐれているか、そうでないかを、ありのままにご存じです。すべての道を、ありのままにご存じです。他の生きとし生けるものたちの諸能力、道を助けるさまざまな禅定と解脱と定とその段階、すべての煩悩や汚れと清らかさを、それぞれのあり方のままにご存じです。無数のさまざまな過去の生を、あるいは一生、あるいは無数の生を、その行いとその言葉のとおりに、ありのままにご存じです。天の眼は清らかで、人の眼をはるかに超え、生きとし生けるものたちのさまざまな生死を見、善い道に生まれること、悪い道に生まれることを、ありのままにご存じです。すべての漏れが尽き、漏れのない心の解脱と智慧による解脱を、ありのままにご存じです。大王よ、これが如来の十の力の成就であります。この力を完全に備えているゆえに、十の力を持つ者と呼ばれ、打ち負かすことのできない者と呼ばれます。それゆえ、過ちはありません。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「是處非處, 如實而知; 實說大人, 彼無有過,
過去無障, 彼有智慧, 未來現在, 知不失之。
善知業報, 知有因緣, 如實不錯, 世調御知。
知於無量, 種種諸界, 善知諸界, 世人無等。
世種種解, 無量諸佛, 照世明知, 如實不異。
知於鈍根, 亦知中根, 又知熟根, 到於彼岸。
一切至道, 如實而知; 根力助道, 神通解脫,
污染白淨, 各各了知。 無有障礙, 知見無礙,
念於平等, 無量稱實。 自身及他, 如實不異。
天眼清淨, 過於人眼, 生死眾生, 調御悉見。
知諸漏盡, 亦知解脫, 無漏有異, 亦悉知見。
是人尊力, 覺了自在, 是一念有, 心無分別。
動發非發, 自然而有, 始初轉輪, 無分別行。
一心而知 諸眾生思, 及眾生心, 無有二相。
是故無過, 佛得自在, 一切善法, 出諸德事。
真実をあるがままに知り、 真理を説く偉大な方は、過ちがありません。 過去に障りがなく、その方には智慧があります。 未来も現在も、知り損なうことがありません。
業と報いをよく知り、 因縁があることを知り、 あるがままに誤りなく、世を調御する方はご存じです。
無量のさまざまな世界を深知し、 世界をよくご存じで、世に並ぶ者がありません。 世のさまざまな理解を、無量の諸仏が 世を照らし明知し、あるがままに異なりません。
鈍い根を知り、 中ほどの根も知り、 また熟した根も知り、 彼岸に到ります。
すべての道に至ることを、あるがままに知り、 根・力・助道、 神通・解脱、 汚れと清らかさを、それぞれに悟っています。
障りがなく、知見に妨げがなく、 平等を念じ、 無量にして真実にかなっています。 自分も他も、あるがままに異なりません。
清らかな天眼は、人の眼を超えており、 生死を巡る衆生を、調御する方はすべて見通します。
諸の漏れ尽きることを知り、 また解脱も知り、 漏れのないことにも違いがあることを、すべて知り見ています。
この方は尊い力を持ち、 覚りて自在であり、 これが一念にあり、心に分別がありません。
動き起こることも起こらないことも、 自然に備わり、 初めに法輪を転じ、 分別のない行いをされます。
一心で、すべての衆生の思いと、 衆生の心を知り、 二つの相がありません。 それゆえ過ちがなく、 仏は自在を得て、 すべての善法が、もろもろの徳を生み出します。
「大王!是沙門瞿曇,成就四無畏。」
大王よ、この沙門ゴータマは四つの恐れなき力を成就しておられます。
王又問言:「大婆羅門!何等如來四無畏也?」
王はまたお尋ねになった。「大婆羅門よ、如来の四つの恐れなき自信とは、どのようなものでしょうか。」
「大王!是沙門瞿曇自言:『我得於正遍知。』若有沙門、諸婆羅門、魔梵及世言:『汝於諸法不正遍知,我不見是相,不見相故得安隱行,得無畏行。』自言:『我得最勝處行,在大眾中,正師子吼,能轉梵輪。沙門、婆羅門及餘諸世,無有能轉是正法者。』佛自誓言:『我諸漏盡。』若有說言:『汝漏未盡。』佛不見是相,不見相故,如來得於安樂之行,得無畏行,得勝處行,在大眾中,正師子吼,能轉梵輪。沙門、婆羅門及餘諸世,無有能轉是正法者。佛說障道法。若有說言:『親近是法無有障礙。』佛不見是相,不見相故得安樂行,得無畏行,得勝處行。在大眾中,正師子吼,轉於梵輪。沙門婆羅門及餘諸世,無有能轉是正法者。我說聖出道。若有說言:『親近是者不能出世。』佛不見是相,不見相故,得安樂行,得無畏行,得勝處行,在大眾中,正師子吼,能轉梵輪。沙門婆羅門及餘諸世,無有能轉是正法輪。大王!此是如來四無所畏,如來成就是四無畏,在大眾中,正師子吼,是故無過。」
大王よ、沙門ゴータマはこう自ら宣言なさっています――「私は正しい悟りを得た」と。もし沙門や婆羅門、魔、梵天、その他の世の者たちが、「あなたは諸法を正しく悟っていない」と言うなら、私はそのような姿を見ない。その姿を見ないがゆえに、安らかな行いを得、恐れのない行いを得ているのです。また自ら宣言なさっています――「私は最上の境地に至る行いを得て、大衆の中で正しく獅子吼し、梵の輪を転じることができる。沙門や婆羅門、その他の世の者たちで、この正しい法を転じることができる者は誰もいない」と。
仏は自ら誓っておられます――「私の煩悩は尽きた」と。もし「あなたの煩悩はまだ尽きていない」と言う者がいても、仏はそのような姿を見ない。その姿を見ないがゆえに、如来は安楽の行いを得、恐れのない行いを得、最上の境地の行いを得て、大衆の中で正しく獅子吼し、梵の輪を転じることができるのです。沙門や婆羅門、その他の世の者たちで、この正しい法を転じることができる者は誰もいません。
仏は道を妨げる法を説かれました。もし「この法に親しんでも何の妨げもない」と言う者がいても、仏はそのような姿を見ない。その姿を見ないがゆえに、安楽の行いを得、恐れのない行いを得、最上の境地の行いを得て、大衆の中で正しく獅子吼し、梵の輪を転じることができるのです。沙門や婆羅門、その他の世の者たちで、この正しい法を転じることができる者は誰もいません。
私は聖なる出離の道を説きました。もし「これに親しんでも世を出ることができない」と言う者がいても、仏はそのような姿を見ない。その姿を見ないがゆえに、安楽の行いを得、恐れのない行いを得、最上の境地の行いを得て、大衆の中で正しく獅子吼し、梵の輪を転じることができるのです。沙門や婆羅門、その他の世の者たちで、この正しい法の輪を転じることができる者は誰もいません。
大王よ、これが如来の四つの恐れなき力です。如来はこの四つの恐れなき力を成就しておられるがゆえに、大衆の中で正しく獅子吼するのです。ですから何の過ちもありません。
如說偈言:
次のように偈に説かれています。
「眾中師子吼, 人調無所畏;
更無與我等, 況眾生有過。
若我所覺法, 是真實不虛,
是正遍知見, 鹿王師子吼。
若有違逆者, 不見有彼相;
以不見相故, 人調無所畏。
我一切漏盡, 我身是無漏,
無有似等者, 諸天及世人,
有是障礙法, 世調御所說;
是真實空虛, 無有可變異。
我說出道法, 自覺已演說;
修行此法者, 無有於障礙。
大健知是已, 如來得安樂;
得於無畏樂, 勝大丈夫行。
轉於梵法輪, 餘無有能轉;
世間所不轉, 惟除兩足尊。
大衆の中で獅子が吼えるように、私は恐れなく説く。 私に並ぶ者はいない。ましてや過ちのある衆生においてをや。 私が悟った法が真実で偽りなく、正しい遍知の見であるなら、 それは鹿王の獅子吼である。 もし逆らう者がいても、そのような姿は見えない。 姿が見えないからこそ、人は調えられて恐れがない。 私はすべての漏を尽くし、この身は無漏である。 私に等しい者はなく、天も人も含めて存在しない。 これが障礙の法であるなら、世を調える者(仏)が説いたものである。 これは真実の空であり、変わることはない。 私は出離の道の法を説き、自ら覚ってすでに演べた。 この法を修行する者に、障礙はない。 大いなる健者(仏)はこれを知って、如来は安楽を得た。 無畏の楽を得て、大丈夫の行に勝る。 梵の法輪を転じ、他に転じる者はない。 世間で転じられないものを、ただ両足尊だけが転じる。
佛說菩薩行方便經卷中
佛説菩薩行方便経 中巻