『大方等陀羅尼経 護戒分 巻第四』
北涼の沙門法衆が高昌郡で翻訳
その時、文殊師利が席を立ち、右肩を露わにして右膝を地につけ、仏に申し上げた。「世尊よ。もし比丘が世尊の入滅後に四重禁を破り、比丘尼が八重禁を犯し、あるいは菩薩、沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷がこれらの戒の一つ一つを破ったならば、その犯した重罪はどのようにして滅すべきでしょうか。」
仏は言われた。「ああ、善きかな、文殊師利よ。汝はよくこのようなことを問うた。汝の慈悲が勝れているがゆえに、この問いを発することができたのだ。もし汝がこの問いを発さなければ、私はついに、かの悪しき世における比丘の犯す過ちについて語らなかったであろう。善きかな、善きかな、文殊師利よ。汝、今よく聴け。汝のために説こう。
私の入滅後、もし悪しき律儀を持つ比丘が四重禁を破りながら、黙って檀越の供養を受け、悔い改めることなく過ごすならば、その比丘は必ず地獄の苦しみを受けること、疑いない。私は今、良き薬を施して、その比丘の重い病を救おう。
もし私の入滅後、四重禁を破りながら、恥じて発露しない者があるならば、汝、今よく聴け。汝のために説こう。」
離婆離婆帝(一) くかくか帝(二) だらり帝(三) にから帝(四) びまり帝(五) そわか(六)
文殊師利よ、この陀羅尼は過去七仏によって説かれたものである。そして、このように七仏を七七回数えても、その数は計り知れず、測ることもできない。この陀羅尼は、衆生を救い摂るために説かれたのである。現在、十方にいる、数えきれず、測り知れない七仏たちも、この陀羅尼を説いて衆生を救い摂っている。未来にいる、数えきれず、測り知れない七仏たちも、またこの陀羅尼を説いて衆生を救い摂るであろう。あなたが今、この陀羅尼の意味を問うたので、私はすでに説き終えた。この陀羅尼の経典は、未来の戒律に背く比丘たちを救い摂り、彼らを清らかな境地にしっかりと留まらせるためのものである。
善き男子よ、もし比丘が四つの重い禁戒を破ったとしても、心を込めてこの陀羅尼の経典を思い起こし、千四百回誦しなさい。千四百回誦したならば、その後に一度懺悔し、一人の比丘を請じて証人とし、仏像の前で自らの罪を告白しなさい。このようにして、八十七日の間、精進して懺悔を続けなさい。そうすれば、もし戒めの根が再び生じないということは、決してないであろう。その人が八十七日の間、精進して懺悔をしたならば、無上なる悟りの心(阿耨多羅三藐三菩提心)が堅固にならないということも、決してないであろう。
また、文殊師利よ、どうすれば清らかな戒めを得たと知ることができるのか。善き男子よ、もし夢の中で、師匠がその人の頭を撫でるのを見たり、父母やバラモン、年長の徳ある人々が、飲食や衣服、寝具、薬を与えるのを見たなら、その人は清らかな戒めに住していると知りなさい。もしこのような一つ一つの相を見たならば、師に告げ、その教えに従って罪過を除き滅ぼしなさい。
さらに、善き男子よ、比丘尼が八つの重い禁戒を破った場合について述べよう。もし八重の禁戒の罪を除き滅ぼそうとするならば、まず、内外の律に通じた一人の比丘を請じて、その比丘に罪を告白しなさい。その比丘は、法に従ってこの内外の律を教えるべきである。すなわち、
「アレイレイバ ソラテイ(一) ラテイバ(二) マラテイ(三) アマラテイ(四) ソワカ(五)」
「善男子よ。この陀羅尼を、もし読誦し受持し、教えの通りに九十七日間修行し、毎日四十九回誦し、一度懺悔し、師に従って修行するならば、これらの悪業が消滅しないということは決してありえない。善男子よ。あなたがもし信じないなら、今、私があなたのために少し説こう。私は昔、愚かな行いの業因縁によって、十方の虚空法界、大地の土、山河、林叢をすべて数え尽くして微塵のように細かくしても、その数を知ることはできるが、諸仏などを除いては、私の犯した戒律を誰も知ることはできない。十方は限りなく、私の犯した戒もまた限りがない。微塵は数え切れず、私の犯した戒もまた数え切れない。衆生は限りなく、私の犯した戒もまた限りない。方便は限りなく、私の犯した戒もまた限りない。法性は限りなく、私の犯した戒もまた限りない。善男子よ。私はこれらの業を見て、非常に恐ろしいものと考えた。菩薩から声聞に至るまで、私をこのような苦しみから救うことはできない。私はこのことを考えた後、この陀羅尼の経典を求めた。得た後、九十七日間修行し、毎日四十九回読誦したところ、虚空から声がして私に言った。『善きかな、善きかな。善男子よ。よくぞこの陀羅尼の経典を求めた。』その時、私はそれを聞いて四方を見渡すと、諸仏が前に並んでいるのが見えた。一人ひとりの仏が私の頭を撫で、私の悔過を聞いてくださった。善男子よ。この因縁によって、私が世を去った後、比丘尼が八重禁を犯したならば、この陀羅尼の経典を求めて読誦修行すべきである。もし夢の中で上のようなことを見たら、その比丘尼が清らかな境地に住み、清らかな戒を備えていると知るべきである。また、善男子よ。もし菩薩が八重禁を受けた後、それを破り、心が狂乱し熱に苦しみ、自ら告白したくても行き場がなく、消すことのできる者がいないとする。そのような罪過に対して、僧団は既に和合して彼を境界の外に追放したならば、大きな恐怖を抱くべきである。その人は一つの静かな部屋に住み、内外を清らかに塗り飾り、内外の一部の律を知っている一人の比丘を招き、自ら過ちを告白し、この比丘に向かってこう言うべきである。『僧団は私をここに追放しました。今、私は師をこの場に招きました。』この師は清らかな律の法を教えるべきである。すなわち、」
「バラレイ、クナラレイ、アナンラレイ、ゴナラレイ、ガナレイ、アレイナレイ、アダイナレイ、アダイナレイ、ソワカ」
「善男子よ。この陀羅尼は、三世の諸仏が守護し、また三世の諸仏が密かに蔵するものである。善男子よ。私はかつて説かなかったが、今これを説いた。かつて行わなかったことを、今日行った。かつて開かなかったものを、今日開いた。この三つの因縁の方便を開いたことにより、あらゆる衆生がこの三つの因縁の方便に出会えば、速やかに三界を出ることができる。それは、盲人が太陽を見るようなもの、乳児が母を得るようなもの、鳥が卵から出るようなもの、飢えた人が食べ物を得るようなもの、縛られた人が解き放たれるようなもの、寒い人が火を得るようなもの、裸の人が衣を得るようなもの、迷い人が道を得るようなもの、渇いた人が水を得るようなものである。
善男子よ。私のこの法の味わいもまた、同じである。もし長く世に留まり、一劫であれ、あるいは一劫に満たなくとも、あらゆる衆生のためにこれを受け持ち、読み誦し、その意味を説き、愚かな人々に説くならば、その人は私と異ならず、清らかな境地に住するのだと知るべきである。その人は心の内に、私に遇ったという思いを生じ、自らの罪過を告白せよ。もし罪が滅びないならば、そのようなことは決してありえない。」
文殊師利が仏に申し上げた。 「世尊よ、この陀羅尼は何回唱え、何日修行すれば終わりとなるのでしょうか?」
仏は答えられた。 「善男子よ、この陀羅尼は六百回唱えるごとに一度の懺悔を行うべきである。懺悔の際には、一人の比丘を前に立たせ、自分の罪を口に出して述べ、必ずその声が聞こえるようにしなさい。このようにして順に六十七日間行い、夢の兆しが先に述べた通りで異なることがなければ、その菩薩は清らかな境地に住し、清らかな戒律を具えていると知るがよい。
また、善男子よ、沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷の中で戒律を破った者があれば、内外の律法に詳しい一人の比丘を請い、仏像や尊い経典(般若経など)の前で、その比丘に向かって自らの過ちを述べなさい。その比丘は、清らかな戒律の法、すなわち…」
「イカラテイ モカラテイ アテイマラテイ ウツカラテイ バラテイ バザラカイテイ ザラカイテイ トラシャカイテイ ビシャカイテイ リバカイテイ バラレイ アレイ キラレイ アレイ ジラレイ アレイ キランレイ アレイ テイランレイ アレイ ビラアレイ ソワカ」
「善き男子よ。この陀羅尼は、私はすべての衆生を哀れみ、慈しむがゆえに説いたものだ。たとえ下劣な沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷であっても、この陀羅尼を読誦し修行すべきである。四百回誦した後に一度懺悔し、この順序で四十七日間行いなさい。懺悔の時には、自らの過ちを告白し、はっきりと聞こえるようにしなさい。このように四十七日を終えた後、先に述べたように夢の中で一つ一つの事柄を見たなら、その沙弥、沙弥尼、優婆塞、優婆夷は清らかな境地に住し、清らかな戒を具えていると知るべきである。」
その時、文殊師利と五百人の大弟子たちは少し疑念を抱いた。仏はその心を知り、すぐに告げられた。「あなたがたが思う通り、修行者は五つの事柄を修めて、戒の本質を保つべきである。すなわち、陀羅尼の意味を犯さないこと、方等経を謗らないこと、他人の過ちを見ないこと、大乗を褒め称えず小乗を毀らないこと、善き友を離れず常に衆生の素晴らしい行いを説くこと。この五つの事が、修行者の業であり、戒の本質を犯さないことである。さらに、善き男子よ。上界で見たことを語らず、また自分の行いの良い悪いことも語らず、毎日三回、地面に塗香を行い、毎日一度読誦し、毎日一度懺悔しなさい。この五つの事が、修行者の業であり、戒の本質を犯さないことである。」
「さらに、善男子よ。五つのことがある。比丘であれ在家者であれ、この法を行う者が以下の五つを守るならば、鬼神に祭祀を行ってはならない。また、鬼神を軽んじてはならない。また、鬼神の祠を破壊してはならない。たとえ人が鬼神に祭祀を行うとしても、それを軽んじてはならず、その人と交際してはならない。これら五つのことが、修行者の業を守る戒の境涯である。
「さらに、善男子よ。五つのことがある。方等経を謗る者と交際してはならない。戒を破る比丘と交際してはならない。五戒を破る優婆塞とも交際してはならない。猟師の家と交際してはならない。常に比丘の過失を語る者と交際してはならない。これら五つのことが、修行者の業を守る戒の境涯である。
「さらに、善男子よ。五つのことがある。脳皮を扱う家と交際してはならない。藍染めを行う家と交際してはならない。養蚕を行う家と交際してはならない。搾油を行う家と交際してはならない。埋蔵物を掘り出す家と交際してはならない。これら五つのことが、修行者の業を守る戒の境涯である。
「さらに、善男子よ。五つのことがある。盗賊の家と交際してはならない。窃盗を行う家と交際してはならない。僧坊を焼く人と交際してはならない。僧伽の物を盗む人と交際してはならない。たとえ一人の比丘の物を盗む人とも交際してはならない。これら五つのことが、修行者の業を守る戒の境涯である。
「さらに、善男子よ。五つのことがある。豚、羊、鶏、犬を飼う家と交際してはならない。星占いを行う家と交際してはならない。淫女の家と交際してはならない。寡婦の家と交際してはならない。酒を賣る家と交際してはならない。これら五つのことが、修行者の業を守る戒の境涯である。
「善男子よ。このように七つの区分にわたる五つのことについて、修行者はその根源を深く観察し、理解した上で捨て離れるべきである。その他の事柄についてもまた同様である。」
「また、善男子よ。行いには二種ある。一つは、世間を超えた人の行い、二つは、世間にある人の行いである。世間を超えた人の行いは、先に述べたような様々なことを禁じない。世間にある人の行いに対しては、私はそれを禁じる。なぜか。例えば、幼児が歩き始めたばかりの時、その母親は守り支えて、遠くに行かせない。もし遠くに行かせれば、乳を断たれて死んだり、水や火に落ちて死んだり、虎や狼、獅子に食われたり、大きな鳥や梟に傷つけられたりするからである。このように幼児は、母親が常に守り支えて、危害を加えられないようにする。そして成長した後は、何かをしようと思えば必ず成し遂げることができる。
善男子よ。私もまた、一切の衆生の母である。一切の衆生は、すなわち私の子である。私は常に守り助けて、不慮の災いに遭わせず、速やかに三界を出て、成し遂げることを可能にさせる。もしこのように弟子たちを制しなければ、どうして無上正等覚を得ることができようか。あの女が自分の子を制しなければ、どうして成長して何かを成し遂げることができようか。
さらに、善男子よ。私の弟子たちが、先に述べたような様々な悪しき戒律や行いをする不善の人々、占いや吉凶を占う者、商売や売買をする者など、一つとして正しくない様々な悪事を見て、私の教えを捨てて、さらに悪しき戒律や行いの法に執着し、その後命を終えて無量の苦しみを受けることがある。私はその時、それを見て、心に慈しみと哀れみを生じ、衆生のために、このような方便を設けたのである。衆生に、この方便に乗って、三界の苦しみから出て、究極の楽を得させようとしたのだ。私が今、様々な方便を設けるのは、衆生を救い導き、究極の寂滅涅槃を得させるためである。」
その時、文殊師利および五百の大弟子、無量の大衆は、喜んでこれを受けて行った。