大方等陀羅尼經不思議蓮華分第五
第五 不可思議蓮華分
爾時祇陀林中無量億千那由他大眾之中,有寶蓮華從地踊出,高七多羅樹。其花有八十萬恒河沙重,一一重中各有一佛,與無量大眾前後圍遶,為說陀羅尼義。如是次第八十萬恒河沙諸佛,各說陀羅尼義。而此華中放大光明,遍至三千大千世界。爾時大眾見此瑞已得未曾有,不知為以何緣忽有此相。爾時大眾各有疑惑:「如來何緣示現如是妙寶蓮華,其中諸佛說妙法藏?」各各相謂:「今當問誰?」爾時文殊師利知大眾心疑,即從座起,偏袒右肩,右膝著地而白佛言:「世尊!五百大弟子及一切大眾心有疑惑,我亦未了。此華名何?為以何緣忽來到此?此華不可思議,復有諸佛而在其中,與無量大眾說妙法藏,此事不可思議。復有光明普照十方微塵世界,此事亦為不可思議。此華復有三十二種微妙莊嚴,亦不可思議。此華有是四不可思議事。此華名何?其中諸佛光明重數,而從何方忽來在此?以何因緣而現此相?」爾時佛告文殊師利:「善男子!此華者名優曇鉢羅羅闍,其中諸佛名釋迦牟尼,俱同一字。是諸佛等,我乃久遠常以供養,於諸佛所深入法性,汝等大眾亦應供養。」爾時無量大眾即從座起,各各奉花供養諸佛。到已頭面禮足,華供養已,瞻仰諸佛目不暫捨。
その時、祇陀林の中にあった無量億千那由多の大衆の中から、宝の蓮華が地より湧き出でました。その高さは七多羅樹に及び、その花には八十万ものガンジス河の砂の数ほどの層がありました。その層の一つ一つの中には一人の仏がおられ、無量の大衆に前後を囲まれながら、陀羅尼の意味を説いておられました。このようにして、次々と八十万ものガンジス河の砂の数ほどの諸仏が、それぞれ陀羅尼の意味を説かれました。そして、この花の中からは大いなる光が放たれ、三千大千世界にまで届きました。
その時、大衆はこの瑞相を見て、かつてないことと感じ、何の縁があってこのような姿が忽然と現れたのか知ることができませんでした。その時、大衆は皆、疑問を抱きました。「如来は何の縁によってこのような妙なる宝の蓮華を示し、その中の諸仏は妙なる法の宝庫を説いておられるのか。」互いに語り合って、「今、誰に問うべきか」と言いました。
その時、文殊師利は大衆の心に疑いがあるのを知り、即座に座を立ち、右肩をあらわにし、右膝を地につけて仏に申し上げました。「世尊よ、五百の大弟子および一切の大衆は心に疑惑を抱き、私もまた納得しておりません。この花の名は何といいますか。何の縁あって忽然とここに来たのですか。この花は不可思議であり、さらに諸仏がその中にいて、無量の大衆と共に妙なる法の宝庫を説いておられます。この事もまた不可思議であります。さらに、光明が十方の微塵の世界を普く照らしております。この事もまた不可思議であります。この花にはまた三十二種の微妙な荘厳があり、これもまた不可思議であります。この花にはこの四つの不可思議な事があります。この花の名は何といいますか。その中の諸仏の光明の重なりや数は、どちらの方角から忽然とここに来たのですか。何の因縁によってこの相を現しているのですか。」
その時、仏は文殊師利に告げられました。「善き男子よ、この花の名は優曇鉢羅羅闍という。その中の諸仏は皆、釈迦牟尼と名乗り、同じ一字である。これらの諸仏を、私は遠い昔から常に供養してきた。諸仏の所において法性に深く入ったのである。あなたがた大衆もまた供養すべきである。」
その時、無量の大衆は即座に座を立ち、各々花を捧げて諸仏を供養しました。そこに至り、頭を面して足に礼し、花の供養を終えた後は、諸仏を仰ぎ見て、瞬きさえもせずに見つめました。
爾時舍利弗念欲供養是諸佛故,即修神通遶此華王,經八十七日百千萬分不周其一,即大嘷泣涉路而還,到大眾中而白佛言:「我定失神通必無疑也。何以故?向與無量大眾往詣佛所,念欲供養是諸佛故,我即修通欲遍觀此華,經八十七日百千萬分不周其一。以是因緣,我今定知必失神通而無疑也。」爾時佛告舍利弗:「假使鳥飛疾於電光百千萬倍,有阿羅漢復過於是百千萬倍,復有菩薩復過億倍,復有菩薩復過萬萬倍,假使百千萬億劫猶尚不周,況八十七日汝能周耶?咄善男子!汝不失通。譬如有鹽大如微塵,此鹽自謂世間鹹者更無過我。世有智者而便取之投於大海,唐失其身,鹹何所在?汝等聲聞亦復如是,神通大小如彼鹽身,法味多少如彼鹹味,云何欲知此華邊際?」爾時世尊即從座起,到於華所,以華供養是諸佛等。華供養已,即說陀羅尼曰:
その時、舎利弗は、「これらの諸仏を供養しよう」と思い立ち、神通力を発揮してこの華の王の周りを巡ろうとした。しかし八十七日が経っても、その百千万分の一すらも巡り尽くせなかった。そこで彼は大声で泣き叫びながら、道を戻って来た。大衆の中に到り、仏に申し上げた。「私は確かに神通力を失ったに違いありません。どうしてでしょう?先ほど無量大衆と共に仏の御許に参り、これらの諸仏を供養しようと思い、神通力を修してこの華を全て見渡そうとしました。八十七日を費やしましたが、その百千万分の一すらも巡り尽くせませんでした。この理由により、私は今、確かに神通力を失ったと断定せざるを得ません。」
その時、仏は舎利弗に告げられた。「たとえ鳥の飛ぶ速さが電光の百千万倍であっても、その速さを更に百千万倍上回る阿羅漢がいて、更にその億倍の菩薩がいて、更にその万万倍の菩薩がいたとしても、百千万億劫の時間をかけても、なおこの華の周りを巡り尽くせないのである。ましてや八十七日で、お前に巡り尽くせるはずがあるだろうか。よく聞きなさい、善き男子よ。お前は神通力を失ってなどいない。譬えば、微塵のように小さな塩の粒があるとしよう。この塩は、『世の中で自分より塩辛いものはない』と自負している。しかし世の中の賢い者がそれを手に取り、大海に投げ込めば、その塩は無駄に消え去り、その塩辛さはどこに存在するだろうか。お前たち声聞もまた同じである。神通力の大きさはその塩の粒のようなものであり、法の味わいの多寡はその塩辛さのようなものである。どうしてこの華の果てを知ろうなどと思うのか。」
その時、世尊は座を立ち、華のところへ行き、その華で諸仏たちを供養された。華の供養を終えると、陀羅尼を説かれた。
「婆呵羅帝 婆帝羅 毘留瀨多 其呵帝莎 呵呵呵梨呵咥𫪦悉 作浦醯阿醯浦醯呵 欝呵蛇醯 復蛇醯蛇 浦醯蛇醯𮌵蛇醯 阿㝹蛇醯 阿㝹蛇醯醯蛇 復蛇醯醯蛇 浦蛇醯醯蛇 復蛇醯醯蛇 復蛇脇復蛇 浦蛇醯醯蛇 到𫪦莎呵」
バラハテイ バテイラ ビルライタイ タカハタイサ ハハハリ ハアトウホシイ サクホエア アヒホエハ ウツカヤシイ フカヤシイ ポカヤシイ カシャヤシイ アヌカヤシイ アヌカヤシイカヤ フカヤシイカヤ ポカヤシイカヤ フカヤシイカヤ フカシャ フカシャ ポカヤシイカヤ トウホソワカ
爾時諸佛各各說陀羅尼已,爾時世尊即從座起,語諸佛言:「今此大方等陀羅尼經,當囑授誰耶?」爾時會中有八十萬恒河沙法身大士,即從座起,恭敬合掌白佛言:「世尊!我等從今日,若佛在世若去世後,若有善男子善女人能修行解其義者,若城邑聚落淨處、若山林樹下神仙居處,修行此經解其義者,我等八十萬恒河沙菩薩,必往彼人所,擁護此人令不遭橫身無疲倦,常得色力名譽等利。此人所至到處,我等菩薩往彼人所,作種種宮殿飲食臥具,隨意供給令無所乏。以此陀羅尼故,如是供給令其不失上妙之心。」
その時、全ての仏が陀羅尼を説き終えられました。すると、世尊が座を立ち、諸仏にこう問われました。「今この大いなる方等陀羅尼経は、誰に託すべきであろうか。」その時、会衆の中に八十万のガンジス河の砂の数ほどの法身の大菩薩たちがいました。彼らは立ち上がり、敬って合掌し、仏に申し上げました。「世尊よ、我々は今日より、仏が在世の時も、また入滅された後も、善男子・善女がこの経を修行し、その義を解するならば、たとえ城や村の清らかな場所、あるいは山林の木の下、神仙の住まう所であっても、この経を修行しその義を解する者に対し、我々八十万のガンジス河の砂のごとき菩薩たちは、必ずその人のもとへ参り、その人を守護し、不意の災難に遭わせず、疲れさせることなく、常に容色・体力・名誉などの利益を得させましょう。この人の赴くところ、我々菩薩たちはそのもとへ参り、様々な宮殿や飲食や寝具を、意のままに供養し、不足なく与えましょう。この陀羅尼の力によって、このように供養し、その人の尊い心を失わせないように致しましょう。」
爾時諸佛讚諸菩薩:「善哉善哉!舊住娑婆土者能受持修行陀羅尼典,及以供養持此典者,即為供養十方諸佛。汝等不久當得阿耨多羅三藐三菩提。何以故?此經有無量威神力故。汝等受持此經,有無量方便。汝等受持此經,有無量慈悲。汝等受持此經,有無量神通。汝等受持此經,神力如是,云何不得阿耨多羅三藐三菩提?」爾時諸佛告諸菩薩:「善男子!若諸佛在世若去世後,若有眾生來詣汝等一一菩薩者,若欲定問:『何者當先得阿耨多羅三藐三菩提?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人先入總持陀羅尼門?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問言:『何者能知十方世界莊嚴之事?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人當生嚴淨世界?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人來世作轉輪王?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人當於來世能廣化眾生,令堅住阿耨多羅三藐三菩提心?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人當於來世為諸佛所讚?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能知十方世界有邊際無邊際耶?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能遠離六賊?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離諸煩惱賊?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離十二食也?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離十纏?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離三種甜食?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離毒害?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離四毒?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離一詐親者?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能離世惡知識?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人不為三愛所牽?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能於今世後世不謗方等經?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能知十方世界幾許眾生發三菩提心、幾許眾生發聲聞緣覺心?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能分別十方諸佛說法之聲、緣覺聲、聲聞聲、具住菩薩聲、不具住菩薩聲、轉輪王聲、諸天聲、婆羅門聲、大臣聲、富聲貧聲、樂聲苦聲、夜叉聲、餓鬼聲、地獄聲、畜生聲、劫數苦報聲非劫數苦報聲?』汝等應示:『能修行解其義者。』或有問者:『何人能別世間諸香、海渚彼岸香、多摩羅伽香、頻婆伽羅婆香、婆首伽羅香、薰陸香、蘇漫陀香、婆師伽香、塗香、末香、鷄舌香、沈水香、常在世香非常在世香、佛菩提香、菩薩究竟香、聲聞分段香、緣覺限際香、初果人香非初果人香、究竟涅槃香非究竟涅槃香、分際香非分際香、轉輪王香、粟散王香、大臣香、婆羅門香、居士香、童男香童女香非童男童女香、地獄餓鬼畜生香、十方世界香非十方世界香?』汝等應示:『能修行解其義者。』
そのとき、諸仏は菩薩たちをほめたたえました。「善いかな、善いかな。娑婆の国土に古くから住んでいる者たちは、よく陀羅尼の典を保ち受け修行しています。また、この典を保つ者を供養することは、すなわち十方の諸仏を供養することになります。あなたがたはまもなく、阿耨多羅三藐三菩提を得るでしょう。なぜなら、この経には無量の威神力があるからです。あなたがたがこの経を保ち受けるなら、無量の方便があります。あなたがたがこの経を保ち受けるなら、無量の慈悲があります。あなたがたがこの経を保ち受けるなら、無量の神通があります。あなたがたがこの経を保ち受けるとき、神力がこのようであるのに、どうして阿耨多羅三藐三菩提を得られないことがありましょうか。」
そのとき、諸仏は菩薩たちに告げました。「善男子よ。もし諸仏が世にいらっしゃる場合も、世を去られた後も、ある衆生があなたがた一人ひとりの菩薩のもとへ来て、定めて問いたいと思うならば、『誰が先に阿耨多羅三藐三菩提を得るのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が先に総持陀羅尼の門に入るのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十方世界の荘厳のことを知ることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が清らかで厳かな世界に生まれるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が来世に転輪王となるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が来世において広く衆生を教化し、阿耨多羅三藐三菩提の心に堅く住ませることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が来世において諸仏にほめたたえられるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十方世界に辺際があるか辺際がないかを知ることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が六賊を遠く離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰がもろもろの煩悩の賊を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十二食を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十纏を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が三種の甘い食を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が毒害を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が四毒を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が一人の詐親者を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が世の悪知識を離れることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が三愛に引かれないのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が今世と後世において方等経を謗らないのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十方世界でどれほどの衆生が三菩提心を起こし、どれほどの衆生が声聞・縁覚の心を起こすかを知ることができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が十方諸仏の説法の声、縁覚の声、声聞の声、具住菩薩の声、不具住菩薩の声、転輪王の声、諸天の声、婆羅門の声、大臣の声、富の声と貧の声、楽の声と苦の声、夜叉の声、餓鬼の声、地獄の声、畜生の声、劫数の苦報の声と非劫数の苦報の声を分別することができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。あるいは問う者があれば、『誰が世間のもろもろの香、海渚の彼岸の香、多摩羅伽香、頻婆伽羅婆香、婆首伽羅香、薫陸香、蘇漫陀香、婆師伽香、塗香、末香、鶏舌香、沈水香、常在世香と非常在世香、仏菩提香、菩薩究竟香、声聞分段香、縁覚限際香、初果人の香と非初果人の香、究竟涅槃香と非究竟涅槃香、分際香と非分際香、転輪王香、粟散王香、大臣香、婆羅門香、居士香、童男の香と童女の香と非童男童女の香、地獄・餓鬼・畜生の香、十方世界の香と非十方世界の香を区別することができるのか』と。あなたがたは示すべきです。『よく修行し、その意味を理解する者である』と。
「復次善男子!若諸佛在世若去世後,若有眾生得遇此陀羅尼者,當知是人去佛不遠。譬如巧木作家往趣林野,到諸山中先見小木,必定自知吾今得木而無疑也。若使諸佛去世之後,若有眾生遇此陀羅尼者,當知是人去佛不遠。如人趣河遙聞水聲,必定自知吾今得水而無疑也。若使諸佛去世之後,若有眾生得遇此經,當知是人去佛不遠。譬如迷人還得正路,必定自知去舍不遠將無疑也。若佛去世後,若有眾生得遇此經,當知是人去佛不遠而無疑也。如掘井家漸見濕土,必定自知去水不遠而無疑也。若使諸佛去世之後,若有眾生得遇此經,當知是人去佛不遠。」
また、善き者よ。仏陀が在世の時であれ、入滅の後であれ、この陀羅尼に出会う者があれば、その人は仏陀から遠くないと知るべきである。例えるなら、巧みな木工が林や山に入り、先に小さな木を見つければ、「私は今、材木を得た」と疑いなく悟るようなものだ。
たとえ仏陀が入滅した後であっても、この陀羅尼に出会う者があれば、その人は仏陀から遠くないと知るべきである。それは、人が川に向かって遠くから水の音を聞けば、「私は今、水を得た」と疑いなく悟るようなものだ。
たとえ仏陀が入滅した後であっても、この経典に出会う者があれば、その人は仏陀から遠くないと知るべきである。それは、道に迷った人が正しい道に戻れば、「家は遠くない」と疑いなく悟るようなものだ。
もし仏陀が入滅した後、この経典に出会う者があれば、その人は仏陀から遠くないと疑いなく知るべきである。それは、井戸を掘る人が次第に湿った土を見れば、「水は遠くない」と疑いなく悟るようなものだ。
たとえ仏陀が入滅した後であっても、この経典に出会う者があれば、その人は仏陀から遠くないと知るべきである。
爾時諸佛告諸菩薩:「當來有劫名妙音聲,汝等菩薩當生此劫。劫中有國名妙童幢花,彼界有城名無染行,城中有王名曰嚴身。此嚴身王常以十善教化眾生,汝等菩薩當生此王家,出家學道次第成佛,俱號釋迦牟尼。爾時此華從地出已,在於虛空放大光明,於此光中有種種妙聲讚諸菩薩:『善哉善哉!諸菩薩等!汝等不久實當得於阿耨多羅三藐三菩提,如諸佛語而無疑也。汝等必當堅固阿耨多羅三藐三菩提,得常樂我淨。』」是時此華於虛空中忽然不現。爾時五百大弟子心有疑惑,作如是唱言:「嗚呼異哉!以何因緣有如是事?此大蓮華無有邊際,在於虛空忽然不現。今何所在不知歸趣,此華中有無量諸佛今亦隨無。」
その時、諸仏は菩薩たちに告げられた。
「未来に『妙音声』という名の劫(こう)が訪れる。あなたがた菩薩は、この劫に生まれることとなる。その劫には『妙童幢花(みょうどうどうげ)』という国があり、その世界には『無染行(むぜんぎょう)』という都がある。都には『厳身(ごんしん)』という名の王がいる。この厳身王は、常に十善によって人々を教え導いている。あなたがた菩薩は、この王の家に生まれ、出家して修行し、順に仏となり、皆同じく『釈迦牟尼』と名乗るであろう。」
その時、この花が地より現れ、虚空にあって大いなる光明を放った。その光の中から、様々な妙なる声が菩薩たちを称えた。
「善きかな、善きかな、菩薩たちよ! あなたがたは、まもなくまさに、正しい目覚め(阿耨多羅三藐三菩提)を成就するであろう。諸仏の言葉の通り、疑うことはない。あなたがたは必ずや、この正しい目覚めを固く保ち、常・楽・我・浄の境地を得るであろう。」
すると、この花は虚空の中で、忽然と姿を消した。
その時、五百人の大弟子たちは心に疑問を抱き、こう唱えた。
「ああ、なんと不思議なことか! どのような因縁でこのようなことが起きたのか? この大蓮華は限りなく広がり、虚空にあったのに、突然消えてしまった。今、どこにあるのか、その行方もわからない。この花の中に無量の諸仏がおられたが、今はその方々も共に消えてしまわれた。」
爾時佛知眾會心念,告諸大眾:「我之所說陀羅尼典,今亦當無,如彼華相。一切諸法如幻如化、如虛空雲。一切諸法亦復如是,假使有法過於是華,亦如幻化而無定相。善男子!不須驚疑,如是等事非汝聲聞之所思議。向所出華是陀羅尼力,今還無者亦陀羅尼力。欲說陀羅尼故,此華從地踊出;今已說竟,此華還無。非汝聲聞之所議也。諸法興故相貌亦興,諸法衰故相貌亦衰。陀羅尼興故諸花亦興,說陀羅尼竟故諸花衰滅。善男子!汝不見乎?我向初轉法輪之時,無量無邊大眾人天阿修羅等前後圍遶,是名法興。我已說竟,名諸法衰,天人阿修羅隨意所往。當知諸法如幻化相。譬如人生至於五十常趣衰路。我所說法亦復如是,初始說時已有盡性,非說已而有此盡性也。此華初出必有去性無有疑也。法性常爾,何所疑也。」
爾時に仏は、会衆の心の中の念いを知り、大衆に告げられた。「私が説いた陀羅尼の経典も、今はもう存在しない。あの花のように、一切の諸法は幻や化け物のようなものであり、虚空の雲のようなものである。一切の諸法もまたまったく同じである。仮にこの花を超える法があったとしても、それも幻や化け物のようなものであり、一定の姿はない。善き男子よ、驚き疑うことはない。このようなことは、あなたがた声聞の思い計り及ぶものではない。先ほど出た花は陀羅尼の力であり、今、消え去ったのもまた陀羅尼の力である。陀羅尼を説こうとしたから、この花は地から涌き出たのである。今や説き終えたので、この花は消え去った。これはあなたがた声聞の議するところではない。諸法が興るときには姿もまた興り、諸法が衰えるときには姿もまた衰える。陀羅尼が興るときに諸々の花も興り、陀羅尼を説き終えると諸々の花は衰え消える。善き男子よ、あなたは見ていないのか? 私がかつて初めて法の輪を転じたとき、無量無辺の大衆、天、人、阿修羅などが前後に囲んだ。これを法が興ると言う。私が説き終えたとき、これを諸法が衰えると言う。天、人、阿修羅は思いのままに去ってゆく。知るがよい、諸法は幻や化け物のようなものである。例えば、人が五十歳に達すれば、常に衰えの道に向かうようなものだ。私が説いた法もまた同じである。説き始めたときから、すでに尽きる性質を有しているのであって、説き終えた後に初めてこの尽きる性質が生じたのではない。この花も初めて出たときから、必ず去る性質があった。疑いの余地はない。法の性質は常にこのようなものである。何を疑うことがあろうか。」
爾時佛告阿難:「汝當受持此陀羅尼經。我今出世已三轉此陀羅尼經:初始說時付囑於汝,救攝眾生病苦之厄;第二說時救護我法,令諸波旬不得毀亂;今第三說者,皆為救攝一切眾生置於涅槃。是故一法方便三說度諸眾生,以此三法付囑於汝。譬如長者有三方便恒常用行身,心方便念、眼方便視、手方便作,如是三事和合成一。此陀羅尼經亦復如是,初說喻心、二說喻眼、三說喻手,雖有三名其實是一,一佛菩提。如彼居士臨欲終時,唯有一子,以此三事付囑於子。子已受教,然後修行常得高位。善男子!我即汝父,汝是我子,修我三因大方便者,然後得作天中尊王。如居士子而順父教然後高貴,若不順父教云何而貴?汝若不順我此教者,云何而得天中尊王?
その時、仏は阿難に告げられた。「汝はこの陀羅尼経を受持せよ。私はこの世に出現して、この陀羅尼経をすでに三度転じた。初めて説いた時は、汝に付嘱し、衆生の病苦の厄を救い摂った。第二に説いた時は、我が法を救護し、諸々の悪魔がこれを壊し乱すことを得させなかった。今、第三に説くのは、すべて衆生を救い摂って涅槃に置くためである。ゆえに一つの法を、方便として三度説き、衆生を度するのである。この三つの法を汝に付嘱する。
譬えば、長者に三つの方便があり、常に身を用いて行うことがある。心の方便は念じ、眼の方便は見、手の方便は作す。この三つの事が和合して一つとなる。この陀羅尼経もまた同じである。初めの説は心に譬え、第二の説は眼に譬え、第三の説は手に譬える。三つの名があるが、その実は一つである。一つの仏菩提である。
あたかもかの居士が、まさに終わろうとする時、ただ一人の子があり、この三つの事をその子に付嘱した。子はすでに教えを受け、その後修行して常に高い位を得た。善男子よ!私はすなわち汝の父であり、汝は我が子である。我がこの三つの大方便の因を修めるならば、その後、天中の尊王となることを得るであろう。
居士の子が父の教えに従って後に高貴となるように、もし父の教えに従わなければ、どうして高貴となれようか?汝がもし我がこの教えに従わなければ、どうして天中の尊王を得ることができようか?」
「復次善男子!譬如大河在於大谷。於意云何?谷大、河大耶?」阿難言:「世尊!谷能盛河,河非盛谷,谷必大也。」佛言:「善哉善哉!善男子!快說是語。谷喻於我,河喻於汝。谷擁大水,展轉而流到於大海。若復有水而不隨谷,漫墮鹵土,為鹵所淋而失其身。善男子!復有一水,住在谷中而不肯出。善男子!谷喻大海,用喻於我,水喻菩薩,住喻聲聞,鹵喻緣覺。雖入鹵中,展轉而行入於大海。雖住谷中,展轉所推亦入大海。善男子!如是三事都歸大海。我今所說陀羅尼義,初說救病、二說護法、三說護身,雖三名說,其實是一。
「また、善き男子よ。たとえば大河が大きな谷の中にあるようなものだ。あなたはどう思うか。谷が大きいか、川が大きいか。」 阿難が答えた。「世尊よ、谷は川を収めることができても、川は谷を収めることはできません。したがって、谷の方が大きいのです。」 仏は言われた。「善きかな、善きかな。善き男子よ、よくその言葉を述べた。谷は私を譬え、川はあなたを譬える。谷は大水を抱え、流れ伝わって大海に至る。もしも水がありながら谷に従わず、あちこちに漏れ出て塩地に落ち、塩に侵されてその身を失うことがある。 善き男子よ。また、一つの水が谷の中にありながら、出ようとしないものがある。 善き男子よ。谷は大海を譬え、用は私を譬え、水は菩薩を譬え、留まることは声聞を譬え、塩地は縁覚を譬える。たとえ塩地に入っても、流れ伝わって大海に入る。たとえ谷に留まっても、流れに押されて大海に入る。 善き男子よ。この三つの事は、すべて大海に帰する。 私が今説く陀羅尼の意義は、初めに病を癒すことを説き、次に法を護ることを説き、三番目に身を護ることを説く。三つの名で説かれても、その実は一つなのである。」
「復次善男子!譬如大樹因地而生,頭有二岐。於汝意云何?樹因地生、地因樹生耶?」阿難言:「世尊!樹因地生,非樹生地。」「善哉善哉!善男子!快說是語。地喻於我,樹喻菩薩,奇喻聲聞緣覺。善男子!如是三事可言非類不?」阿難言:「一類所生,不可異也。何以故?一大地生故、一根長故,不可言非類也。」佛言:「善哉善男子!我所說陀羅尼義亦復如是而無有異。何以故?一金剛身故、一意生故、一口說故,以是因緣而無餘雜。我今已三說陀羅尼,持付囑於汝,一佛菩提乘亦付於汝。汝今諦聽受持,慎莫忘失此陀羅尼。若我去世,汝當流布此陀羅尼。」又告阿難:「譬如國王,髻中明珠愛之甚重,若臨終時授與所愛之子。我今為諸法王,此經即如髻中明珠,汝如我子。我今以此大方等陀羅尼經授與於汝,譬如此王以髻中明珠授與其子。」又告阿難:「譬如大王王領一切國,臨欲終時,國政之事付囑於子。我今亦復如是,為一切諸法中之王而得自在,大小乘典付囑於汝。譬如此王好醜之事付囑於子。阿難!我今以此大方等陀羅尼經付囑於汝。若有眾生來詣汝所欲求此經,如上十二夢王,汝當善為說其事相。前人所可為說境界之事,於一會中莫為多說。譬如估客周遊四方,若到一國若賣寶時不都示人。汝今亦應如是少少而說。」又復告阿難:「譬如女人而有一子,作諸飲食置舍宅中不都示子。如是諸食都為其子,終不頓與悉令盡也。汝今亦應如是,不應一會悉為眾生盡說境界之事。
「また、善男子よ。譬えば大きな木が地によりて生じ、その頭に二つの枝があるようなものだ。あなたの考えではどうか。木は地によりて生じるのか、地は木によりて生じるのか。」阿難が言った。「世尊よ。木は地によりて生じ、地が木によりて生じるのではありません。」「善きかな、善きかな。善男子よ、よくその言葉を言った。地は私を譬え、木は菩薩を譬え、その枝分かれは声聞と縁覚を譬えている。善男子よ。この三つのものは、種類が違うと言えるだろうか。」阿難が言った。「同じ種類から生まれたものであり、異なるものとは言えません。なぜなら、一つの大地から生まれ、一つの根から伸びるからであり、種類が異なると言うことはできません。」仏が言われた。「善きかな、善男子よ。私の説く陀羅尼の意味もまた、これと同じであり、異なるところはない。なぜなら、一つの金剛身によるからであり、一つの意から生じるからであり、一つの口によって説かれるからであり、この因縁によって混ざり合うことがないのである。私は今、すでに三度陀羅尼を説き、それをあなたに託し付属した。一仏の菩提乗もまたあなたに付属する。あなたは今よく聞き、受け持ち、決してこの陀羅尼を忘れ失ってはならない。もし私がこの世を去ったなら、あなたはこの陀羅尼を流布させなさい。」また阿難に告げられた。「譬えば国王が、髻の中の明珠を非常に大切に愛し、もし臨終の時に最愛の子に授けるようなものだ。私は今、諸々の法の王である。この経はまさに髻の中の明珠のごときものであり、あなたは私の子のようなものである。私は今、この大方等陀羅尼経をあなたに授ける。譬えばこの王が髻の中の明珠をその子に授けるようなものである。」また阿難に告げられた。「譬えば大王が一切の国を統べ治め、臨終に臨んで国政のことを子に託すようなものだ。私もまた今、これと同じである。一切の諸法の中の王として自在を得ており、大小の乗の典籍をあなたに託す。譬えばこの王が善いこと悪いことの一切を子に託すようなものである。阿難よ。私は今、この大方等陀羅尼経をあなたに託す。もし衆生があってあなたのところに来てこの経を求めようとするなら、先の十二の夢の王のように、あなたはその事相をよく説きなさい。その人に対しては、境界の事を説くことができるが、一度の会座で多くを説いてはならない。譬えば、商人が四方を回り歩き、もしある国に到着して宝を売る時には、全てを人に見せないようなものだ。あなたもまた今、これと同じように、少しずつ説きなさい。」また阿難に告げられた。「また譬えば、女が一人の子を持ち、様々な飲食を作って家の中に置いても、全てを子供に示さないようなものだ。これらの飲食は全てその子のためのものであるが、一度に全てを与えて尽きさせてしまうことはしない。あなたもまた今、これと同じように、一度の会座で全ての衆生に境界の事を尽く説いてはならない。」
「復次阿難!此陀羅尼者,不得用呪方道病、乾陀鬼病、狂亂鬼病、不語鬼病、不開眼鬼病、吸人精氣鬼病、唾人鬼病、視人鬼病、食膿血鬼病、棄米火鬼病、魑魅鬼病、迷人鬼病、食髮鬼病、能令人無心識鬼病、食人心鬼病、大疫鬼病。若有如是諸病悉不得用,除自憶念大方等陀羅尼經。何以故?非對治故。善男子!於汝意云何?若有善男子善女人,磨大地土而用作食供四大身,日日常食,得活身不?」阿難白佛言:「不也。世尊!如是等土非本所食,云何活身?」佛告阿難:「善哉善哉!善男子!實語不虛。土者定不中食。我今此法定不中用治下世病。何以故?此陀羅尼非對治故。阿難!我今已說大方等陀羅尼,所應受持者而已受持、所應化者而已受化、所應說者我已說竟。所應持者菩薩持竟,聲聞所持而未應也。阿難!於汝意云何?受持如是章句不?」阿難白佛言:「世尊!我當受持如是章句。若佛去世之後,若有比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、婆羅門婆羅門子、居士居士子、天、龍、夜叉、摩睺羅伽等,若來詣我所推問陀羅尼義,我當為說如佛世尊。願賜聽不?」
「また、阿難よ。この陀羅尼は、呪術を用いて病気を治したり、乾陀の鬼の病、狂乱の鬼の病、言葉を話せなくする鬼の病、目を開けさせない鬼の病、人の精気を吸い取る鬼の病、人に唾をかける鬼の病、人を睨みつける鬼の病、膿や血を食べる鬼の病、米や火を捨てさせる鬼の病、魑魅の病、人を惑わす鬼の病、髪の毛を食べる鬼の病、人の心や意識を奪う鬼の病、人の心を食べる鬼の病、大疫病の鬼の病などには、使ってはならない。もしこのような病があっても、決して用いてはならない。ただし、自ら『大方等陀羅尼経』を心に思い浮かべることは別である。なぜか?それは、それらの病には対応していないからである。善男子よ!あなたはどう思うか。もし善男子や善女人が、大地の土をすりつぶして食べ物とし、四大からなるこの身を養い、毎日それを食べ続けたならば、その身は保たれるだろうか?」
阿難は仏に答えた。「いいえ、世尊よ。そのような土は、本来食べ物ではありません。どうして身を保つことができましょうか?」
仏は阿難に告げた。「善いかな、善いかな。善男子よ、その言葉は真実で偽りがない。土は確かに食べ物として適さない。私が今説くこの教えも、末世の病を治すのには適さない。なぜか?この陀羅尼は、それらの病には対応していないからである。阿難よ、私は今すでに『大方等陀羅尼』を説いた。受持すべき者はすでに受持し、教化すべき者はすでに教化し、説くべきことは私がすでに説き終えた。保持すべきことを菩薩は保持し終えたが、声聞が保持すべきことはまだ成就していない。阿難よ!あなたはどう思うか。この章句を受持するか?」
阿難は仏に申し上げた。「世尊よ、私はこの章句を受持いたします。もし仏が世を去られた後、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、バラモンやその子、在家信者やその子、天、龍、夜叉、摩睺羅伽などが、私のもとに来て陀羅尼の意味を問うならば、私は世尊がお説きになった通りに説きましょう。どうか、私にそのお許しを賜れませんでしょうか?」
佛告阿難:「善哉善哉!真我弟子,真用我法出三界苦。善哉善哉!阿難!眾生不能受持如是經典,違犯重戒、毀謗正法、逆害聖人。阿難!以是因緣,我今重以此經付囑於汝,當為眾生除滅重罪。」
仏が阿難に告げられた。「よく言った、よく言った。まことによく我が教えを理解し、我が法を用いて三界の苦しみから解脱しようとしている。阿難よ、実に素晴らしい。しかし、人々はこのような経典を受け持ち、守ることができない。重い戒めを破り、正しい教えを誹謗し、聖者に逆らって害を加えるのだ。阿難よ、そのような理由によって、私は今、重ねてこの経をあなたに託す。人々の重い罪を取り除いてあげなさい。」
爾時阿難及五百大弟子,文殊師利及諸菩薩,波斯匿王及五百比丘,優婆塞優婆夷、居士居士子,及與十方天子、婆蓃大士,及諸罪人,八十萬億恒河沙諸菩薩,九十二億諸天人阿修羅,無量大眾歡喜奉行,各禮佛足,頂戴信受。
その時、阿難尊者と五百人の大弟子たち、文殊師利菩薩と菩薩たち、波斯匿王と五百人の比丘たち、優婆塞・優婆夷(在家の信者たち)、居士・居士子たち、そして十方の天子たち、婆蓃大士たち、および様々な罪人たち、さらに八十万億のガンジスの砂の数のごとき菩薩たち、九十二億の天・人・阿修羅たち、限りない大衆は皆、喜びをもってこの教えを受け入れました。それぞれ仏の足に礼拝し、深く敬って心から信受しました。
大方等陀羅尼經卷第四
大方等陀羅尼経 巻第四
婆呵羅帝(一)婆帝羅毘留賴多(二)唭呵帝莎呵(三)呵呵梨呵𭉐𫪦阿醯(四)蒲醯呵欝呵蛇醯(五)蒲醯蛇醯槃蛇醯(六)阿㝹蛇醯(七)阿㝹蛇醯醯蛇(八)復蛇醯醯蛇(九)蒲蛇醯醯蛇(十)復蛇醯醯蛇(十一)蒲蛇醯醯蛇(十二)復蛇槃復蛇槃𭉐𫪦(十三)莎訶(十四)