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優婆塞戒経 (優婆塞戒經)


優婆塞戒經義菩薩心堅固品第九

第9章 菩薩の心の堅固さ

善生言:「世尊!義菩薩者,云何自知是義菩薩?」

善生が尋ねました。「世尊よ、『義菩薩』と呼ばれる者は、どのようにして自分が義菩薩であると知るのでしょうか?」

「善男子!菩薩摩訶薩修苦行時,先自誡心。善男子!我念往昔行菩薩道時,先從外道受苦行法,至心奉行,心無退轉。無量世中以灰塗身,唯食胡麻、小豆、粳米、粟米𢇲等,日各一粒;荊棘、惡刺、㭬木、地石以為臥具;牛屎、牛尿以為病藥。盛夏之月,五熱炙身;孟冬之節,凍氷儭體。或受草食、根食、莖食、葉食、果食、土食、風食,作如是等諸苦行時,自身他身俱無利益。雖爾,猶故心無退轉,出勝一切外道苦行。

「善男子。菩薩摩訶薩が苦行を修行する時は、まず自らの心を戒めます。善男子。私はかつて菩薩の道を歩んでいた時、まず外道の苦行の教えに従い、心からそれを実践し、決して退転しませんでした。無数の世にわたり、灰を身に塗り、胡麻、小豆、粳米、粟米などの食べ物だけを一日一粒ずつ食べました。荊や棘、鋭い杭、石などを寝具とし、牛の糞や尿を薬としました。真夏の暑い季節には五熱で身を焼き、真冬には氷に身をさらしました。また、草・根・茎・葉・果物・土・風などを食べ物とし、このような様々な苦行を行いましたが、自分自身にも他人にも何の利益もありませんでした。それでもなお、心は退転せず、あらゆる外道の苦行よりも優れたものでした。」

「善男子!我於往昔為四事故,捨棄身命:一者、為破眾生諸煩惱故,二者、為令眾生受安樂故,三者、為自除壞貪著身故,四者、為報父母生養恩故。菩薩若能不惜身命,即自定知是義菩薩。

「善き者よ。私はかつて、四つの理由によって自らの身や命を捨てました。第一に、人々の悩みや苦しみを断ち切るため。第二に、人々に安らぎと喜びをもたらすため。第三に、自分自身の体への執着を打ち壊すため。第四に、父母から生まれ育てられた恩に報いるためです。菩薩が自らの身や命を惜しまないなら、その人は真の菩薩だと自ずと知れるでしょう。」

「善男子!我於往昔為正法故,剜身為燈三千六百。我於爾時具足煩惱,身實覺痛,為諸眾生得度脫故,諭心令堅,不生退轉。爾時即得具足三事——一者、畢竟無有退轉,二者、得為實義菩薩,三者、名為不可思議——是名菩薩不可思議。

「善きかな、男子よ。私は昔、正しい教えのために、自らの体を削って灯明とすること三千六百回に及んだ。その時、私はまだ煩悩を抱えていたため、実際に体の痛みを感じていた。しかし、すべての生きとし生けるものの救いのため、心に言い聞かせてその決意を固くし、決して退くことはなかった。すると、その瞬間に三つの素晴らしいことが成就した。第一に、もう迷い退く心が全くなくなり、第二に、真実の意味での菩薩となり、第三に、それは言葉では言い表せない境地となったのだ。これこそが、菩薩の言葉では言い表せない素晴らしさである。」

「又我往昔為正法故,於一劫中,周身左右受千瘡苦。爾時具足一切煩惱,身實覺苦,為諸眾生得度脫故,諭心令堅,不生退轉,是名菩薩不可思議。

また、私はかつて正法のために、一劫の間、全身に千もの傷を受けて苦しみました。その時、私はあらゆる煩悩を抱えていましたが、身体は確かに苦しみを感じていました。しかし、すべての生きとし生けるものを救い導くために、心に言い聞かせて強く持ち、決して退転しませんでした。これを菩薩の不可思議な働きといいます。

「又我往昔為一鴿故,棄捨是身。爾時具足一切煩惱,身實覺苦,為諸眾生得度脫故,諭心令堅,不生退轉,是名菩薩不可思議。

また、私は過去世において、一羽の鳩の命を救うために、この身を捨てました。その時、私はあらゆる煩悩を具え、身体は確かに苦しみを感じていましたが、すべての衆生を救い導くために、心に誓いを立てて堅固にし、退転することはありませんでした。これこそが菩薩の不可思議な行いなのです。

「善男子!一切惡友、諸煩惱業,即是菩薩道莊嚴伴。何以故?一切凡夫無有智慧、正念之心,故以煩惱而為怨敵,菩薩智慧、正念具足,故以煩惱而為道伴;惡友及業,亦復如是。善男子!捨離煩惱,終不得受惡有之身。是故菩薩雖現惡業,實非身、口、意惡所作,是誓願力。以是願力受惡獸身,為欲調伏彼畜生故。菩薩現受畜生身已,善知人語、法語、實語、不麁惡語、不無義語,心常憐愍,修集慈悲,無有放逸,是名菩薩不可思議。

「善男子よ。あらゆる悪友や、諸々の煩悩や業は、まさに菩薩の道を荘厳する伴侶である。なぜか。すべての凡夫は智慧と正念の心が無いがゆえに、煩悩を怨敵とする。菩薩は智慧と正念を具えているがゆえに、煩悩を道の伴侶とするのである。悪友や業もまた、これと同じである。

善男子よ。煩悩を捨て離れてしまえば、ついに悪い有りの身を受けることはないであろう。それゆえに菩薩は、悪業を現し示すけれども、実は身・口・意の悪によって為したものではなく、これは誓願の力によるのである。この願いの力によって悪獣の身を受け、かの畜生たちを調伏しようと欲するがゆえである。

菩薩が畜生の身を受けてのちは、よく人の言葉、法の言葉、真実の言葉、粗悪でない言葉、無意味でない言葉を知り、心は常に憐れみを抱き、慈悲を修め集め、放逸なること無し。これを菩薩の不可思議と名づけるのである。」

「善男子!我於往昔受熊身時,雖具煩惱,煩惱於我無自在力。何以故?具正念故,我於爾時,憐愍眾生,擁護正法,修行法行。受瞿陀身、劫賓耆羅身、兔身、蛇身、龍身、象身、金翅鳥身、鴿身、鹿身、獼猴、羖羊、雞雉、孔雀、鸚鵡、蝦蟇——我受如是鳥獸身時,雖具煩惱,煩惱於我無自在力。何以故?具正念故,憐愍眾生,擁護正法,修行法行。

「善男子よ。私はかつて熊の身を受けたとき、煩悩を具えていながらも、煩悩は私に対して自在の力を得ることができませんでした。なぜでしょうか。正念を具えていたからです。その時、私は衆生を哀れみ、正法を擁護し、法の行いを修行しました。また瞿陀の身、劫賓耆羅の身、兎の身、蛇の身、龍の身、象の身、金翅鳥の身、鳩の身、鹿の身、猿、山羊、鶏・雉、孔雀、鸚鵡、蝦蟇の身を受けました。私がこのような鳥獣の身を受けたときも、煩悩を具えていながらも、煩悩は私に対して自在の力を得ることができませんでした。なぜでしょうか。正念を具えていたからであり、衆生を哀れみ、正法を擁護し、法の行いを修行したからなのです。」

「善男子!於飢饉世,我立大願,以願力故受大魚身,為諸眾生離於飢渴,食我身者,修道、念道,無惡罪過;疾疫世時,復立大願,以願力故身為藥樹,諸有病者,見、聞、觸我,及食皮膚、血肉、骨髓,病悉除愈。善男子!菩薩摩訶薩受如是苦,心不退轉,是名義菩薩。

「善き人よ。飢饉の時代には、私は大いなる願いを立てる。その願いの力によって大きな魚の身を受け、人々を飢えと渇きから救う。私の身を食べる者たちは、道を修行し、道を念じ、悪しき罪過を持つことがないように。疫病が流行る時代には、再び大いなる願いを立てる。その願いの力によって自らを薬の木とし、病に苦しむ者たちが、私を見、聞き、触れ、あるいは皮膚や血肉、骨髄を食用とすることで、その病がすべて癒えるように。善き人よ。菩薩大士はこのような苦しみを受けても、心が退転することがない。これこそを義の菩薩と名付けるのである。」

「菩薩修行六波羅蜜時,終不悕求六波羅蜜果,但以利益眾生為事。菩薩深知生死過患,所以樂處,為利眾生受安樂故。菩薩了知解脫安樂、生死過患而能處之,是名菩薩不可思議。菩薩所行,不求恩報;受恩之處,常思反報。善男子!一切眾生常求自利,菩薩所行恒求利他,是名菩薩不可思議。菩薩摩訶薩具足煩惱,於怨親所平等利益,是名菩薩不可思議。

菩薩が六波羅蜜を修行するとき、決して六波羅蜜の果報を求めることはなく、ただ衆生を利益することをもっぱらとします。菩薩は生死の過ちや苦しみを深く知っていますが、それでもなお喜んでそこに留まるのは、衆生を利益し安楽をもたらすためです。菩薩は解脱の安楽と生死の過患を明確に理解したうえで、なお生死の世界に身を置くことができる——これを菩薩の不可思議といいます。菩薩の行いは、恩や報いを求めることがなく、恩を受けたときには、常に報い返すことを思います。善男子よ、一切の衆生は常に自己の利益を求めますが、菩薩の行いは常に他者の利益を求める——これを菩薩の不可思議といいます。菩薩摩訶薩は煩悩を完全に具えていながら、怨みある者にも親しい者にも平等に利益をもたらす——これを菩薩の不可思議といいます。

「善男子!若諸外道化眾生時,或以惡語、鞭打、罵辱、擯之令出,然後調伏。菩薩不爾,化眾生時,無麁惡語、瞋語、綺語,唯有濡語、真實之語,眾生聞已,如青蓮遇月,赤蓮遇日。善男子!菩薩施時,財物雖少,見多乞求,不生厭心,是名菩薩不可思議。菩薩教化盲、聾、瘖、瘂,愚癡、邊地惡眾生時,心無疲厭,是名菩薩不可思議。

「善き人よ、もし外道が衆生を教化するとき、ある者は悪口や鞭打ち、罵倒、侮辱をもって追い出し、その後に調伏する。しかし菩薩はそうではない。衆生を教化するとき、荒々しい言葉、怒りの言葉、飾った言葉は一切なく、ただ柔らかい言葉と真実の言葉のみを用いる。衆生がそれを聞けば、青い蓮が月に出会い、赤い蓮が太陽に出会うかのような喜びを得る。善き人よ、菩薩が布施を行うとき、財物は少なくとも、多くの求める者を見ても厭う心を生じない。これを菩薩の不可思議と名づける。菩薩が盲人、聾者、唖者、愚か者、辺地の悪い衆生を教化するとき、心に疲れや厭うことがない。これを菩薩の不可思議と名づける。」

「善男子!菩薩有四不可思議:一者、所愛重物能以施人,二者、具諸煩惱能忍惡事,三者、離壞之眾能令和合,四者、臨終見惡說法轉之。是名菩薩四不可思議。

「善き男子よ、菩薩には四つの思いもよらぬことがある。第一に、愛し重んじる貴重な物を、他者に施すことができること。第二に、さまざまな煩悩を抱えながらも、悪い出来事を耐え忍べること。第三に、仲違いした人々を、再び仲良くまとめることができること。第四に、命の終わりに悪しきものを見ても、説法によってそれを転じさせられること。これらを菩薩の四つの思いもよらぬことと名付ける。」

「復有三事不可思議:一者、呵責一切煩惱,二者、處煩惱中而不捨之,三者、雖具煩惱及煩惱業而不放逸。是名菩薩三不可思議。

さらに、三つの思いはかるべからざる事があります。一つ目は、すべての煩悩を責め戒めること。二つ目は、煩悩の中にあってもそれを捨てないこと。三つ目は、煩悩や煩悩による業を具えていながらも、怠らずに努力し続けること。これらを菩薩の三つの思いはかるべからざる事といいます。

「復有三事不可思議:一者、始欲施時心生歡樂,二者、施時為他不求果報,三者、施已心樂不生悔恨。是名菩薩三不可思議。

さらに、三つの不可思議なことがあります。第一に、施しを始めようとする時、心に喜びが生じること。第二に、施しを行う時、他人のためを思い、報いを求めないこと。第三に、施しを終えた後、心が楽しく、悔やむ気持ちを生じないこと。これを、菩薩の三つの不可思議な徳と名づけます。

「善男子!菩薩摩訶薩作是行時,自觀其心:『我是名菩薩也?義菩薩乎?』眾生若能作如是事,當知是人即義菩薩也。

「善男子よ。菩薩大士がこのような行いをする時、自分の心をこう観じるのです——『私は名ばかりの菩薩であろうか、それとも真実の菩薩であろうか』と。もし衆生がこのような行いをなすことができるなら、その人はまさに真実の菩薩であると知るべきです。」

「善男子!菩薩有二種:一者、在家,二者、出家。出家菩薩作如是事,是不為難;在家菩薩為如是事,是乃為難。何以故?在家之人多惡因緣所纏繞故。」

「善男子よ、菩薩には二種類ある。一つは在家の菩薩、もう一つは出家の菩薩である。出家の菩薩がこのような行いをすることは、それほど難しいことではない。しかし在家の菩薩がこのような行いをすることは、実に難しいことなのである。なぜなら、在家の人は多くの悪い因縁に絡み取られているからである。」


8 名義菩薩品
10 自利利他品

CBETA コード: T1488

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