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title: "淨名玄論 · 6 約治病辨三門"
description: "淨名玄論由隋代高僧吉藏大師撰述，是對維摩詰經的權威注疏。該論誕生於中國佛教興盛的隋唐時期，系統闡釋了般若性空與中道實相思想，深入剖析不二法門等核心教義。吉藏作為三論宗集大成者，通過此論彰顯中觀學派精髓，對南北朝佛學爭鳴進行了總結性回應。此論不僅是研究維摩經的重要依據，更是漢傳佛教義學發展的里程碑之作，為後世天台、華嚴等宗派奠定了理論基礎，在中國佛教哲學史上佔有崇高地位。"
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### 六約治病辨三門

> 六つの約束による病気治療の三つの門の弁別

問，考聖心以息患為主，統教意以開道為宗。不二之興，為治何病？答：總而言之，為泯生心動念，令悟無得無依，故生死以取相為原、涅槃以無著為本。約人不同，總為三類：一凡夫之惑、二小乘勞累、三菩薩煩惱。凡夫惑者，所謂愛見。九十六術諸見紛紜，在家之流嘉生貪愛，故此門云我所為二。知此二不二，名入不二門，謂破見也。眼色為二，知眼本空，不生貪染，則破愛也。如此等門，謂破凡夫惑矣。小乘之流，無漏解生，滅斯愛見。此生滅觀，謂二乘煩惱。故今門云，生滅為二。惑本不生，今亦無滅，名入不二法門。三者菩薩之人，謂聲聞為小心，菩薩行大道。小乘則唯破二輪，大士則具傾五住。捨小取大，名菩薩煩惱。故今門云，聲聞心菩薩心為二，達此二無二，名入不二門。問：此門俱通泯諸二，何以則別破三人？答：斯經垣平等之大道、敞不二之洪門，無累不夷、無人不化，故〈方便品〉破彼凡夫，〈弟子品〉行於小道，〈菩薩章〉呵於大見。然後攝此三人，同歸一道。今悟不凡不聖、非大非小，然後從緣大小、適化聖凡。原夫凡聖，豈凡聖之所能？良以非凡非聖，故能凡能聖耳。問：破此三人，何門所攝？答：三病雖殊，同皆是二，故並屬初門。是以初門歷泯諸法，然後從初門轉入第二，從第二迴入第三，便等淨名之默然、同釋迦之掩室，僧那乙願豈不滿哉！

> 問：聖なる心を考えれば、患いを鎮めることが主であり、教えの意を統べれば、道を開くことが宗である。不二の教えが興されたのは、いかなる病を治すためか。 答：総じて言えば、生じた心や動く念を消し去り、得るものなく依るものもないことを悟らせるためである。故に、生死は相を取ることを源とし、涅槃は執着しないことを根本とする。人によって異なるが、大きく三類に分けられる。第一は凡夫の惑い、第二は小乗の労累、第三は菩薩の煩悩である。 凡夫の惑いとは、いわゆる愛と見である。九十六種の術や諸々の見解が入り乱れ、在家の者は生きることを喜び貪愛する。故にこの門では「我と我所が二である」と説く。この二が不二であると知り、不二の門に入ることを名付ける。これは見を破ることを指す。眼と色が二であるが、眼が本来空であると知り、貪り染まることを生じなければ、愛を破ることになる。このような門は、凡夫の惑いを破ると言える。 小乗の者は、無漏の解が生じ、この愛と見を滅する。この生滅の観念を、二乗の煩悩という。故に今の門では「生と滅が二である」と説く。惑いの根本は生じず、今も滅することがないと知り、不二法門に入ることを名付ける。 第三に、菩薩たる者は、声聞を小心とし、菩薩は大道を行くとする。小乗はただ二輪を破るのみであるが、大士は五住をことごとく傾ける。小を捨てて大を取ることを、菩薩の煩悩という。故に今の門では「声聞の心と菩薩の心が二である」と説き、この二が無二であると達し、不二の門に入ることを名付ける。 問：この門はすべての二を消し去ることに通じているのに、なぜ特に三人を別々に破るのか。 答：この経は平等の大道を垣とし、不二の洪門を開き、累いを平らげずといえども、人を化さずといえどもない。故に〈方便品〉では凡夫を破り、〈弟子品〉では小道を行じ、〈菩薩章〉では大見を戒める。そしてこの三人を摂め、同じ一つの道に帰する。今、凡でも聖でもなく、大でも小でもないことを悟り、それから縁に従って大小をなし、聖凡に適うように化す。そもそも凡聖とは、果たして凡聖がなすことのできるものか。まさに凡でも聖でもないからこそ、凡にも聖にもなれるのである。 問：この三人を破ることは、どの門に含まれるか。 答：三つの病は異なるが、すべて二であることに同じであるから、ともに初門に属する。それゆえ初門は諸法を次々に消し去り、それから初門から第二の門に転じ、第二から第三の門に回り入る。こうして浄名の黙然に等しく、釈迦の掩室と同じとなる。僧那の願いも、果たして満たされないことがあろうか。