請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼三昧儀(金光明最勝懺儀同)
『観世音菩薩消伏毒害陀羅尼三昧儀』
宋東山沙門遵式始於天台國清集於四明大靁山蘭若再治
宋の東山沙門遵式、初め天台国清に於いて集め、四明大靁山蘭若に於
敘緣起第一
縁起を説く第一
此文再治凡四因緣。一者為國清始集之日。正欲於靈墟自修。既迫所期遽取成就。其間事理文句錯雜。廣略未允一往難曉。依百錄題請觀音懺法是也。今之再治務本有在。命用經題以異眾製及所治本。二者為國清集。多潤色之語並削去之。悉用經疏止觀等言。既援據有在。俾後之人增長正信。三者近得國清所集。晚學狂簡於懺願文後。更添法華懺文中四悔并音切梵字。又見一本刪去諸儀及觀慧等文。直寫佛位并懺願而已。題云觀音禮文。又一本應是耄年書寫。全行脫落麁注不分。却於行間私安注字。意欲區別傷此等人。好而不習輒便去取。毀甘露門殃累非淺。今用再治為遠諸過。四者盡取觀慧諸文安於事後。令運念周備。免使行人時有虛擲。應知大乘三種懺悔必以理觀為主。止觀云。觀慧之本不可闕也。輔行釋云。若無觀慧乃成無益苦行故也。禪波羅蜜云。一切大乘經中明懺悔法。悉以此觀為主。若離此觀。則不得名大乘方等懺也。補助儀云。夫禮懺法。世雖同斆事儀。運想多不周旋。或粗讀懺文半不通利。或推力前拒理觀一。無斆精進之風闕入門之緒。故言勤修苦行非涅槃因。吾祖大醫明誡斯在。上四意擬四悉檀。敘因緣竟。
この文を再び整えるには、四つの理由があります。
第一に、国清寺で最初に集められた時、私は霊墟で自ら修行しようとしていました。期限が迫っていたため、急いで完成させたため、事柄と道理、文章の句が入り乱れ、詳しさと簡潔さのバランスが取れておらず、一読では理解しにくいものでした。『百録』に「観音懺法を請う」と題されているのがそれです。今回の再整では、根本に立ち返り、経典の題名を用いて、他の多くの制作や整えられた本とは異なるものとしました。
第二に、国清寺で集められたものには、多くの修辞的な言葉が含まれていましたが、それらをすべて削除しました。経典の注釈や『止観』などの言葉だけを用い、確かな根拠に基づくことで、後の人々の正しい信心を増すようにしました。
第三に、最近得た国清寺の集録では、若い学僧が軽率にも懺悔の願文の後に、『法華懺文』の中の四つの悔いと音訳・梵字を追加していました。また、ある写本では、諸々の儀式や観想の智慧などの文章を削除し、ただ仏の位と懺悔の願文だけを書き写して、「観音礼文」と題していました。さらに別の写本は、おそらく年老いて書写したもので、行が抜け落ち、注釈が粗雑で区別がつかず、行間に私的に注釈の字を加えていました。このような人々は、違いをつけようとして、良いものでも学ばずにすぐに取捨選択し、甘露の門を毀損して、災いを招くことは少なくありません。今回の再整は、これらの過ちを遠ざけるためです。
第四に、観想の智慧に関する文章をすべて取り上げ、事後の部分に配置し、思念を巡らせて完全なものとし、修行者が無駄に時間を費やすことがないようにしました。大乗の三種の懺悔は、必ず道理の観想を主とすべきであることを知るべきです。『止観』には、「観慧の根本は欠くことができない」とあります。『輔行』の解釈には、「もし観慧がなければ、無益な苦行となる」とあります。『禅波羅蜜』には、「一切の大乗経典に明かされる懺悔法は、すべてこの観想を主とする。もしこの観想を離れるならば、大乗方等の懺悔とは名づけられない」とあります。『補助儀』には、「礼懺の法は、世間では同じように儀式を学ぶが、思念を巡らせることは多くは行き届かず、あるいは粗雑に懺文を読んで半分も流暢でなく、あるいは推して前を拒み、道理の観想が一つもなく、精進の風もなく、入門の糸口も欠いている。だから、勤めて苦行を修めても涅槃の因とはならないと言われる。我が祖師である大医王は、このことを明らかに戒められている」とあります。
以上の四つの意図は、四悉檀に擬えられます。因縁を述べ終わりました。