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  1. 円覚経夾頌集解講義 (圓覺經夾頌集解講義)
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円覚経夾頌集解講義 (圓覺經夾頌集解講義)

「圓覺經夾頌集解講義」について

宋 · 周琪述 著

17.2 万字 · 約 574 分

『円覚経夾頌集解講義』は、宋代の学僧・周琪による仏教の重要経典『円覚経』に対する注釈と解説です。この著作は、中国仏教の教理研究が隆盛した宋代に生まれ、周琪法師は夾頌集解という形式を用いて、『円覚経』に説かれる円覚妙心、如来蔵思想、そして頓悟による禅修行の法門を体系的に解き明かしました。内容は経文の解釈、頌文の要約、そして核心的な講義を融合させ、修行者がいかにして清浄なる自性を悟るかを深く分析しています。この講義は『円覚経』を学ぶための権威ある補助書と見なされ、仏教教理の研究と禅修行の実践の分野で重要な位置を占め、歴代の学ぶ者たちが円頓の教理を理解するための鍵となる指針を提供してきました。


No. 253-A
光嚴住持,是謂眾生清淨覺地。這一叚話,直指後學路頭,十分徑捷。蓋不入大光明藏,不得清淨覺地。未到清淨覺地,不為大圓滿。此圓則明,明則覺之本旨也。矧大疏略疏,大鈔少鈔,總而計之,奚翅數萬言。橫說竪說,總在圓覺圈裏,要人各自識破。或者字字鑽刺,不尋的當,隨前人脚後跟,已落第二誼。是終日圓覺,而未甞圓覺久,況依幻而說覺者乎。琪夙耽是經,遍閱諸疏,偶因糟粕,忽悟醇醲。敬以 孝宗皇帝御註,及眾大知識講義頌偈,章分類附,用鋟諸梓,願與 諸高德共之。如大海水,隨意斟酌,無不清涼。如恒河沙,隨意取捨,無不具足。讀卷未終,便即感悟,固自有頓機者。若曰捨筌而得魚,則是猶幻翳,妄見空華。必欲刻舟而求劒,則有照有覺,俱名障碍。今日對面說破,輪轉生死,故曰無明。若無輪轉,方始是覺。休將螢火燒須彌,要得針芒湊芥子。

光厳住持とは、これすなわち衆生の清らかな悟りの境地を指す。この一節は、後学の修行者に道筋を直接示すものであり、非常に手っ取り早い。なぜなら、大光明蔵に入らなければ、清らかな悟りの境地を得ることはできず、清らかな悟りの境地に至らなければ、大いなる円満とはならないからである。この円満が明らかとなり、明らかとなることが悟りの本質である。ましてや、大疏や略疏、大鈔や小鈔をすべて合わせれば、数万の言葉にものぼる。縦に論じ横に説いても、すべては円覚の圏内にあり、各自が自ら見抜くことを求めている。ある者は、言葉の一字一句をしつこく追いかけ、真意を探ろうとせず、ただ先人の後ろに従うだけでは、すでに二義的な解釈に落ちている。それでは、終日円覚を説きながら、一度も本当の円覚を経験したことがないのと同じであり、ましてや幻に依って覚りを語るなど、なおさらである。

私はかねてよりこの経典を愛好し、諸々の注釈書を広く読んできた。偶然にも糟粕(かす)を通じて、かえって醇醲(純粋な味わい)を悟ることができた。謹んで孝宗皇帝の御註、ならびに多くの高僧方の講義や偈頌を、章ごとに分類し付して、版木に彫り、諸々の高徳の方々と共にしたいと思う。大海の水のように、思いのままに汲めば、清涼でないものはない。ガンジス河の砂のように、思いのままに取捨すれば、満ち足りないものはない。巻を読み終える前に、すぐに感悟する者もおり、それはもともと頓悟の機根を持つ者である。もし、仕掛け(筌)を捨てて魚を得ると言うならば、それはなおも幻の翳(かげ)のようなものであり、空花を虚しく見るに等しい。必ずや刻舟求剣(舟に刻みをつけて剣を探す)のようにするならば、照らし、覚るということが、すべて障碍となる。今日、面と向かって言い切ろう。輪廻して生死を繰り返すこと、これを無明という。もし輪廻がなければ、それこそが覚りである。蛍の火で須弥山を焼こうとするな。針の先で芥子粒に合わせることを要するのだ。

旹淳祐六秊丙午﨟月辛丑旦日丙戌覺如周琪序

ここに淳祐六年(丙午)晩秋の月、辛丑の日、丙戌の日にあたり、覚如、周琪が序文をしたためる。


No. 253-B 十二章來意

CBETA コード: X0253

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