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  1. 楞厳経精解評林 (楞嚴經精解評林)
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  3. No. 301-A 釈教総論 (No. 301-A 釋教總論)
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楞厳経精解評林 (楞嚴經精解評林)

「楞嚴經精解評林」について

明 · 焦竑纂 著

10.1 万字 · 約 336 分

『楞厳経精解評林』は、明代の学者焦竑によって編纂され、万暦年間に成立しました。本書は『大仏頂首楞厳経』に対する集注的な解釈書であり、天台宗、華厳宗、禅宗など歴代の高僧・大徳の見解を集約し、儒教・仏教・道教の三教思想を取り入れて精要な評釈を加えています。内容は心性論、修行の階梯、禅観の実践、如来蔵体系などを含み、首楞厳定の修証とその深妙な理を体系的に解き明かしています。明代の楞厳学研究における重要な文献として、本書は学術的な深さと実践的な指導性を兼ね備え、仏教教理の解釈史上において先人の成果を受け継ぎ後世に橋渡しする役割を果たしています。『楞厳経』および漢伝仏教思想の展開を研究する上での鍵となる典籍です。


No. 301-A釋教總論
人之恒性,廼上帝降衷,人所同具者。以其無思無為,故謂之寂;以其不可覩聞,故謂之微;以其無物,故謂之虗;以其無欲,故謂之靜;以其智周萬物,故謂之覺。而其歸不出於無之一言。無者,有之基也。故寂以通天下之感,靜以貞天下之動,微以效天下之顯,虗以御天下之實,覺以神天下之應,是謂千聖相傳無所倚之學。漢儒徒以訓詁為學,補綴張皇,攷訂於形名器數之末,取古聖賢已行之跡,著為典要,相守以為世法,不知以無為用。彼佛氏者,見吾儒學術之弊,奮然攘臂其間,取吾學之精義,據而有之於己。凡古聖賢已行之跡,一切掃歸於無。而吾儒廼競競自守,拘滯於形器之中,終身煩惱而不自覺。語及虗寂,則曰:此異端之教也,避之惟恐不及。不知佛氏所謂虗寂,本吾儒之故物,彼直竊而據焉。韓、歐原道本論,欲以虗聲嚇之,直指其粗迹耳。請言其精:有謂吾儒之學主於經世,佛氏之學主於出世,以為公私之辨者矣;有謂躭悅禪味,偏於靜虗者矣;有謂絕情去念,流於斷滅者矣;有謂經是言詮,直指單傳,不立文字者矣。夫佛氏慈悲喜捨,普度眾生,雖身命有所不惜,未嘗自私也。偏於靜虗,乃二乘見解。若上乘之禪,從塵勞煩惱中作佛事,於眾生心行中覓佛法,未嘗厭動而有所偏也。最上乘之禪,亦以斷滅為外道,於念離念,即情忘情,不即不離,是究竟法,未嘗絕情去念也。經何有過,何妨於誦?此不立文字,便是文字之相。出息不涉於眾緣,入息不居於陰界,是謂轉經要法。不能心悟,反為法華所轉,始落言詮爾。此其大凡也。善乎文中子之言曰:佛為西方之聖人,中國則泥。盖吾儒之學,以萬物各得其所為盡性;佛氏之教,欲使萬物同歸寂滅,不可以治天下國家,是則所謂泥也。此又為儒者所當知。
龍溪王 畿 譔

No. 301-B 譯經便覽

CBETA コード: X0301

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