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title: "佛果克勤禪師心要 · 示隆知藏　(住蘇州虎丘)"
description: "佛果克勤禅师心要由宋代高僧圆悟克勤禅师的法嗣弟子子文禅师编集而成。该书收录了克勤禅师对弟子、信众的开示、法语和书信，集中体现了其禅学思想与修行要旨，核心围绕禅宗心性论、顿悟法门及华严圆融境界展开。作为临济宗杨岐派的重要文献，它不仅是研究克勤禅师思想的第一手资料，更是宋代禅宗成熟期的代表作，对后世禅宗发展影响深远，被誉为禅门修行的重要指南。"
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### 示隆知藏住蘇州虎丘

> 示隆知蔵<note>蘇州虎丘に住す</note>

有祖以來唯務單傳直指。不喜帶水拖泥打露布列窠窟鈍置人。蓋釋迦老子三百餘會對機設教。立世垂範大段周遮。是故最後省要接最上機。雖自迦葉二十八世少示機關多顯理致。至於付授之際靡不直面提持。如倒剎竿。󰊇水投針。示圓相。執赤幡。把明鑑。說如鐵橛子傳法偈。達磨六宗與外道立義。天下太平翻轉我天爾狗。皆神機迅捷。非擬議思量所測。洎到梁游魏。尤復顯言教外別行單傳心印。六代傳衣所指顯著。逮曹谿大鑒詳示說通宗通。歷涉既久具正眼大解脫宗匠變格通塗。俾臣滯名相不墮理性言說。放出活卓卓地。脫灑自由妙機。遂見行棒行喝。以言遣言。以機奪機。以毒攻毒。以用破用。所以流傳七百餘年。枝分派列各擅家風。浩浩轟轟莫知紀極。鞠其歸著無出直指人心。心地既明無絲毫隔礙去。勝負彼我是非知見解會。透到大休大歇安穩之場。豈有二致哉。所謂百川異流同歸于海。要須是箇向上根器具高識遠見。有紹隆佛祖志氣。然後能深入閫奧。徹底信得及。直下把得住。始可印證堪為種草。捨此切宜寶祕慎詞。勿容易放行也。

> 祖師が伝えてきたのは、ただ一筋に直指単伝のみ。 水を引っ張り泥を引きずるような、露骨に布を広げ、巣窟を並べ立てて人を鈍らせることは好まなかった。 そもそも釈迦尊者の三百余りの法会では、機根に応じて教えを説き、世に範を垂れるために、大いに言葉を尽くした。 だからこそ最後には、最も要を得た方法で最上の機根を接いだのである。 迦葉から二十八世に至るまで、わずかに方便を示し、多くは理の本質を顕わにしたが、 法を付授する際には、いずれも直截に提げ持たせた。 倒れた旗竿を見せ、水に針を投げ入れ、円相を示し、赤い幡を執り、明鏡を把り、 「鉄の杭の如し」と説き、伝法の偈を伝えるなど。 達磨の六宗と外道が義を立て、天下太平を翻して「我は天、汝は狗」と転じたのも、 すべて神妙な機鋒は迅速敏捷で、思い計り推し量って測れるものではなかった。 梁に至り魏に遊ぶに及んで、特に教外別行・単伝心印を顕わに説き、 六代にわたる衣の伝承は、その指し示すところが顕著であった。 曹渓の大鑒慧能に至って、説通と宗通を詳しく示し、 時を経るにつれ、正法眼蔵をもち大解脱した宗匠たちは、従来の通途を変革し、 名相に囚われる者をして、理性や言説に堕することなく、 生き生きと卓然たる境地を現出させ、洒脱自由なる妙機を脱却させた。 こうして棒を行い喝を行い、言をもって言を遣い、機をもって機を奪い、 毒をもって毒を攻め、用をもって用を破る風が生まれた。 それゆえ七百余年を伝わり、枝分かれ派分かれして、それぞれ家風を擅にし、 浩浩轟轟としてその極まりを知ることができない。 その帰着を究めれば、ただ「人心を直指する」に出ず。 心地が明らかになれば、わずかな隔たりも障りもなくなり、 勝負・彼我・是非・知見・解会を超え、大休大歇の安穏なる場に透徹する。 これに二つの違いがあろうか。 いわゆる「百川異流も同じく海に帰す」である。 ただし、向上の根器を備え、高い識見と遠大な見識を持ち、 佛祖を紹隆しようとする志気のある者でなければ、 深く閫奥に入り、徹底的に信じ及ぶことができず、 直下に把捉し保つことができない。 そうして初めて印証され、種草となるに堪えるのである。 これに及ばない者は、大切に秘し言葉を慎み、安易に任せてはならない。

五祖老人平生孤峻少許可人。乾嚗嚗地壁立。只靠此一著。常自云。如倚一座須彌山。豈可落虗弄滑頭謾人。把箇沒滋味鐵酸𨃰。劈頭拈與學者令咬嚼。須到渠桶底子脫。喪却如許惡知惡見。胷次不掛絲毫透得淨盡。始可下手煅煉。方禁得拳踢。然後示以金剛王寶劒度。其果能履踐負荷淨然無一事。山是山水是水。更應轉向那邊千聖籠羅不住處。便契廼祖以來所證傳持正法眼藏。及至應用為物。仍當驅耕夫之牛奪飢人之食。證驗得十成無滲漏。即是本分道流也。

> 五祖老人は平生、孤高峻厳で人を認めることは少なかった。乾いたように厳しく壁のようにそびえ立ち、ただこの一つのことに頼っていた。常に自ら言うには、「まるで須弥山に寄りかかっているようだ。どうして空虚に弄び、ずる賢い頭で人を欺くことができようか」と。 彼は味気ない鉄の酸っぱい饅頭のようなものを、いきなり学ぶ者に差し出して噛み砕かせた。桶の底が抜けるほどに至り、これほどの悪しき知識と見解を喪失し、胸中にわずかな塵もかけず、透き通るほど清らかになるまで、初めて鍛錬に着手できる。ようやく拳や蹴りに耐えられるようになってから、金剛王の宝剣を示してその真髄を伝えた。 もし実際に歩みを進め、重荷を背負い、清らかで何一つ事なき境地に至れば、山は山のまま、水は水のままとなる。さらに向こう側へと転じ、千の聖者さえも捉えきれないところへ至れば、すなわち祖師以来伝えられてきた正法眼蔵に契合する。 そして実際に応用して衆生を導く際には、なお耕す者の牛を追い払い、飢えた者の食を奪うような厳しさで、十全に漏れなき証拠を得る。これこそが本分の道を歩む者というものである。

摩竭陀國親行此令。少林面壁全提正宗。而時流錯認遂向泯默以為無縫罅無摸索壁立萬仞。殊不知本分事。恣情識摶量便為高見。此大病也。從上來事本無如是。巖頭云。只露目前些子。箇如擊石火閃電光。若明不得。不用疑著。此是向上人行履處。除非知有。莫能知之。

> マガダ国では自らこの教えを実践した。少林寺で壁に向かい、正統の教えを完全に示した。しかし、時の人々は誤解し、沈黙を以て隙間なく、手がかりなく、壁が万丈そびえるものと思い込んだ。彼らは本来の在り方を知らなかったのである。勝手に感情や知識で推し量り、それを高見と心得た。これは大きな過ちだ。古来からの事柄は、もともとこのようなものではなかった。巌頭が言うように、「ただ目前に少しばかり現れるもの、それは石を打つ火花や稲妻の光のようだ。もし理解できなければ、疑う必要はない。これは向上の道を歩む者の行いである。知る者でなければ、これを知ることはできない」と。

趙州喫茶去。祕魔擎杈。雪峰輥毬。禾山打鼓。俱胝一指。歸宗拽石。玄沙未徹。德山棒。臨際喝。並是透頂透底直截剪斷葛藤。大機大用千差萬別會歸一源。可以與人解黏去縛。若隨語作解。即須與本分草料。譬如十斛驢乳只以一滴師子乳滴之悉皆迸散。要脚跟下傳持相繼綿遠。直須不徇人情勿使容易。乃端的也。

> 趙州和尚の「お茶を飲みに行こう」。祕魔和尚が杖を突き立てる。雪峰和尚が球を転がす。禾山和尚が太鼓を打つ。俱胝和尚の一指。帰宗和尚が石を引きずる。玄沙和尚が未だ徹せず。徳山和尚の棒。臨済和尚の喝。これらはすべて、頂点を突き抜け、底を貫き通し、まっすぐに葛藤を断ち切るものだ。大いなる機用、千差万別の働きも、一つの源に帰する。これをもって人々の執着を解き、束縛を取り去ることができる。もし言葉に従って解釈するならば、本来の分際に応じた草料を与えねばならない。たとえば、十斛のロバの乳に、たった一滴の獅子の乳を垂らせば、すべて迸り散るがごとし。肝心なのは、足元から伝え継ぎ、絶えることなく綿々と続けていくことだ。決して人情に流されず、安易にさせてはならない。これこそが真実の道なのである。

末後一句始到牢關。誠哉是言。透脫死生提持正印全是此箇時節。惟是蹋著向上關捩子者便諳悉耶。

> 最後の一句がようやく堅固な関門に至る。 誠にこの言葉は真実である。 生死を超越し、正印を提持することは、全てこの瞬間に懸かっている。 ただ、向上の関所の鍵を踏みしめる者だけが、これを熟知するのである。