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title: "金剛經感應分類輯要 · 延壽"
description: "清代王泽泩编集的《金刚经感应分类辑要》是一部汇集历代持诵《金刚经》灵验事迹的佛教文献。该书分类整理了大量感应故事，涵盖消灾解难、福慧增长等内容，反映了《金刚经》在中国民间的深远影响。作为一部重要的感应录著作，它不仅弘扬了般若空性思想，也为信众提供了修行实践的信心依据，在佛教典籍中具有独特的宗教价值与历史地位。"
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### 延壽

> 延寿

梁。天監中。琰法師。居長安招提寺。十一歲為僧。一日遇相士曰。可惜聰明壽夭。數盡十八歲。琰歸焚香。禮三寶發願。乞賜經一卷。精專受持。禱畢。隨手抽得一卷。乃金剛經也。專心受持。晝夜不捨。忽夜至更深。見房中五色光現。須臾見一梵僧。身長丈五。語琰曰。汝十八當亡。因持念大乘經功。增延壽數。言訖不見。因此愈加精勤。後壽至九十二歲。無疾坐化。

> 梁の天監年間、琰法師は長安の招提寺に住していました。彼は11歳で僧侶となりました。ある日、人相見に出会うと、「残念だが、あなたは頭脳明晰だが寿命が短く、18歳で亡くなるだろう」と言われました。琰は帰って香を焚き、三宝に礼拝して願をかけました。「どうか功徳ある経典一巻をお授けください。それを専心に受持します」と。祈り終えて手近な経典を手に取ると、それは『金剛般若経』でした。それから一心に昼夜を分かたず読み続けました。 ある夜、更けてから部屋の中に五色の光が現れ、間もなく一人のインド僧が現れました。身の丈は一丈五尺（約4.5メートル）あり、琰にこう言いました。「あなたは18歳で死ぬはずだったが、大乗経典を唱え続けた功徳により寿命が延びた。」そう言い終えると姿は消えました。 これを機に、琰はますます勤め励み、結果的に92歳まで生き、病むことなく座ったまま亡くなりました。

唐。吳思玄。天后朝。為太學博士。持金剛經日兩遍。多有靈應。思玄在京病。有巫褚細兒。言事如神。星卜祈禱。思玄往見。細兒驚曰。公有何術。鬼見皆走。思玄知是經力。信加精勵。日念五遍。兄疾。醫無效。思玄至心念經。三日而愈。思玄曾於渭橋。見一老人。年八十餘。著縗麻衣。問之曰。為所生母也。思玄恠之。答云。母年四十三歲。有異僧教云。汝欲長壽。但念金剛經。母發心日念兩遍。壽一百七歲。姨及鄰母誦之。並過百歲。

> 唐の時代、呉思玄という人物がいた。則天武后の頃、太学博士を務めていた。彼は『金剛経』を1日に2回読誦しており、多くの霊験があった。 思玄が都で病に伏せていた時、巫女の褚細児という者がいた。その占いは神がかりに当たり、星占いや祈祷を行う者だった。思玄が彼女のところへ行くと、細児は驚いて言った。「あなたはどのような術をお持ちですか？鬼たちがあなたを見て皆逃げていきます。」思玄はこれが経文の力だと悟り、ますます精進励んで1日に5回読誦するようになった。 ある時、兄が病気になり、医者の治療も効かなかった。思玄は心を込めて経を唱え続けたところ、3日で兄は全快した。 また思玄はかつて渭橋で、80歳を超える老人に出会った。その老人は喪服を着ていた。思玄が理由を尋ねると、老人は「生みの母のためです」と答えた。思玄が不思議に思って詳しく聞くと、老人はこう語った。 「母が43歳の時、異様な僧が教えてくれました。『あなたは長寿を望むなら、ただ『金剛経』を唱えなさい』と。母は発心して1日に2回唱えました。その結果、母は107歳まで生きました。母の姉や隣の老女たちも唱え、皆100歳を超えました。」

江陵。李玄宗。其女年十三。夢梵僧曰。汝有善心。何不持念金剛經。凡世間男女。每日能淨心誦一卷。陽間增延福壽。壽筭百年而終。即生天界。若能究竟般若。直登涅槃彼岸。或有看經未圓滿者。即死入陰府。不能拘錄。判生福貴家。受諸福報。李女依僧囑。日誦三卷。年二十四。不願嫁。忽患傷寒。三日而卒。有二使引見閻君。照看其女無罪。見頭上有佛光。王曰。此女既有般若功。宜判還魂。臨行。王囑曰。汝父有殺害之仇。先減壽二紀。不久追入陰司對證。汝父好將活魚切膾。今有魚七千餘頭。狀訴索命。汝父每夜。夢落網中。日日頭痛。此是魚求報也。女還魂。以此白父。父驚惶。遂同女往天寧寺。齋僧百員。願發斷除葷酒。手寫金剛經。四十九卷。寫畢。玄宗夜夢。數千青衣童子來拜謝。口稱我等被君殺戮。各訴宿冤。索君性命。今蒙寫經功德。出離三途之苦。往生善道。君既釋冤。復還原壽。又添遐筭。玄宗聞之。不勝忻喜。自爾持經不輟。壽至百二十歲。無疾而終。

> 江陵の李玄宗という者に、十三歳になる娘がおりました。ある夜、娘の夢にインドの僧が現れて言いました。「あなたには善い心があります。どうして『金剛経』を唱えないのですか。世の中の男女が毎日心を清めて一巻ずつ唱えれば、現世で寿命や幸せが増え、百歳まで生きてこの世を終えた後は、天界に生まれ変わることができます。もし『般若経』の教えを極めれば、直接涅槃の彼岸に至るでしょう。また、経を最後まで唱えきれなかった人は、死後に冥土へ行っても拘束されることはなく、福徳のある家に生まれ変わって多くの幸せを受けるのです」と。 娘は僧の言葉に従い、毎日三巻の経を唱えました。二十四歳になっても結婚を望まず、ある時、突然の寒気で三日のうちに息を引き取りました。 すると二人の使いが現れ、娘を連れて閻魔大王の前に参りました。大王が娘の罪を調べると何もなく、頭の上には仏の光が輝いています。王は言いました。「この女性は般若の功徳がある。よって生き返らせるべきだ」と。 娘が帰る間際、王は告げました。「あなたの父親は殺生の罪があり、すでにあらかじめ寿命を二十四年縮められている。やがて冥土に呼び出し、対決させることになる。あなたの父は生きた魚を切って膾（なます）にするのが好きで、今や七千匹以上の魚たちが父を訴え、命を奪えと要求している。そのため父は毎晩、網にかかる夢を見て、毎日頭痛に悩んでいる。これこそ魚たちの報復だ」と。 娘が生き返って父にこの話をすると、父は恐れおののきました。そして、娘と一緒に天寧寺へ行き、百人の僧に食事を施しました。さらに、酒と肉を断つことを誓い、自ら『金剛経』を四十九巻書き写しました。 書き終えた夜、李玄宗は夢を見ました。何千人もの青衣の童子たちが来て、こう言って礼をしました。「我々はあなたに殺された者たちです。それぞれに恨みを訴え、あなたの命を奪おうとしていました。しかし今、あなたが経を書き写した功徳のおかげで、三悪道（地獄・餓鬼・畜生）の苦しみから救われ、良い世界に生まれ変われました。あなたが恨みを解いたので、あなたの寿命も元に戻り、さらに長生きできるようになりました」と。 玄宗はこれを聞いて非常に喜び、それ以来、経を唱えることをやめませんでした。そして百二十歳まで生き、病気もせずに生涯を終えたということです。

明。正德間。南嶽有大德僧。曰楚石。博通三藏。而專持金剛經。人有禮之乞佛法者。無賢愚貴賤。輒大聲曰。好持金剛經去。年一百七十一歲始化。同時有白藤和尚。無極和尚。亦專勸化持金剛經。白藤終一百三十歲。無極終一百二十四歲。

> 明の時代、正徳年間のことです。南嶽に「楚石」という名の高徳の僧がいました。彼は経・律・論の三蔵に深く通じていましたが、特に『金剛経』を大切に実践していました。人々が彼のもとを訪れ、仏法を乞うと、賢者であれ愚者であれ、身分の高い者も低い者も関係なく、必ず大きな声で「しっかりと『金剛経』を保ち、お勤めなさい」と言いました。そして171歳でついにこの世を去りました。 同時に、白藤和尚と無極和尚という僧もおり、やはりひたすら人々に『金剛経』を保つよう勧めていました。白藤和尚は130歳、無極和尚は124歳で生涯を終えました。