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title: "金剛經感應分類輯要 · 登科"
description: "清代王泽泩编集的《金刚经感应分类辑要》是一部汇集历代持诵《金刚经》灵验事迹的佛教文献。该书分类整理了大量感应故事，涵盖消灾解难、福慧增长等内容，反映了《金刚经》在中国民间的深远影响。作为一部重要的感应录著作，它不仅弘扬了般若空性思想，也为信众提供了修行实践的信心依据，在佛教典籍中具有独特的宗教价值与历史地位。"
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### 登科

> 科挙に合格する

唐。大曆中。夔州推司。揚旬。常持金剛經。處心正直。陰德播傳。有子年二十三歲。習舉業。將入試。旬。夜夢金剛神曰。汝念經有感。特預報汝子必貴。若應試。須改名揚椿納卷。吾于中助筆也。次日令子改名納試卷。果中第六名。次年赴省試。椿自夢一金剛神語曰。今年省題。乃行王道而王。汝可預辦入院。無洩。試日。正應此題中九十六名。就赴殿試畢。試官徼納上三名卷。奏御榻。當夜椿又夢前神曰。汝䇿極好。却不中主文意。打在第五卷。吾已簡尋汝真卷。却去御榻上。抽換了第一名卷子。後日唱名。定奪天下都魁。盖汝同父平昔念真經之騐也。及唱名果應。

> 唐の大暦年間、夔州の推司・揚旬は、常に『金剛経』を誦持し、心は公正で、陰徳を広く施していました。彼には二十三歳になる息子がおり、科挙の勉強をしていました。まさに試験を受けようとした時、揚旬は夜に夢で金剛神からこう告げられました。「あなたは経典を誦して功徳がある。特別に先報として、あなたの息子は必ず貴くなるだろう。試験を受けるなら、名前を揚椿と改めて答案を提出しなさい。私がその中で筆を助けよう。」そこで翌日、息子に改名させて試験を受けさせたところ、見事に第六位で合格しました。 翌年、省試（中央の試験）に臨む際、揚椿自身が夢に金剛神が現れ、こう告げました。「今年の省試の課題は『王道を行いて王となる』である。事前に用意して試験場に入りなさい。ただし漏らしてはならない。」試験日、その課題はまさに的中し、第九十六位で合格しました。さらに殿試（最終試験）が終わると、試験官が上位三名の答案を選び、天子の前へ進上しました。その夜、揚椿は再び前に現れた神の夢を見ました。「あなたの答案は素晴らしいが、主文官の意にかなわず、第五位の巻にされてしまった。私はあなたの真の答案を探し出し、天子の机の上の第一位の答案と差し替えておいた。後日、合格者名が発表される時、必ず天下の魁（首席）に決まるだろう。これは、あなたの父親が平生に真経（金剛経）を誦持した功徳の証である。」そして発表の時、その通りになりました。

項希憲。憲副。初名德茶。夢己為辛卯鄉科。以汙兩少婢。被主科名籍神人削去。遂力行種德事。捐資懇友高松聲。精楷金剛經刊板歲施之。凡十餘年。夢至一所。見黃紙第八名為項姓。中字糢糊。下為原字。傍一人曰。審視此汝天榜名次也。因易名夢原。壬子中北京鄉試第二十九名。己未會試第三名。共疑夢名次之爽。迨殿試為二。甲第五名。方悟合鼎甲數之恰第八也。鄉試榜紙俱白。而殿榜獨黃。尤為冥定云。

> 項希憲は、副都御史となった人物である。初めの名は徳茶といった。ある夜、自分が辛卯年の郷試に合格する夢を見た。しかし二人の若い召使いの女性を汚したため、科挙の合格者名簿を司る神人によって名を削られてしまった。そこで彼は善行を積むことに努め、金を出して友人・高松声に懇願し、楷書で美しく書写された『金剛経』の版木を彫らせ、毎年これを施し続けた。こうして十余年が過ぎた。ある時、夢の中で一つの場所に至ると、黄紙に第八位として項姓の名があった。その中の一文字はぼやけて見え、下の字は「原」であった。そばにいた一人の人が言った。「よく見なさい。これこそ天の掲示板におけるあなたの順位です。」これを機に名を夢原と改めた。その後の壬子年に北京の郷試で第二十九位に合格し、己未年の会試では第三位となった。人々は夢に見た順位と違うのではないかと疑ったが、殿試に臨んで二甲の第五位となった時、初めて鼎甲（一甲の三人）と合わせて数えるとちょうど第八位になることに気づいたのである。郷試の及第者名簿の紙は全て白いが、殿試の名簿だけが黄色であるという事実も、このことがまさに冥界であらかじめ定められていた証左というべきであろう。

嘉禾。沈公光華。嘗判兩淮鹽鐵。歸田日。偶與同郡運同吳公淞。閑坐。從容󳯝問日間所為。沈云。晨朝茹素。持誦金剛經。積二十年。已踰二藏。吳亦漫然置之。居無何。吳忽晨起疾馳。詣沈賀云。郎君南闈必第矣。沈問何故。云夢一人言。郡中一士夫。以持金剛經功德。其子得雋。覺來。惟憶公當酬是夢。是歲之秋。沈公叔子應明。果登應天鄉薦。聞沈公持誦金剛經最虔。而行住坐臥。能自暗誦。嘗從東郭季子家往還。塗間一心持誦。計所經屠門市肆。及虗空一切。霑經功德超脫者。不知凡幾。又以無四相心。修一切善法。累世積德。故子孫蟬聯科第。為禾郡冠族。皆金剛經證驗云。

> 嘉禾に沈公という人物がいました。名は光華。かつて両淮地方の塩鉄の役所を務め、隠居後は同じ郡の運同であった呉公松とよく雑談を交わしていました。ある時、沈公が日頃何をしているのか問われ、次のように答えました。「毎朝、精進料理で身を清め、『金剛経』を読誦しております。二十年間、怠らずに続け、すでに二蔵（二万巻）を超えました。」呉公はそれを聞いて、さして気に留めずにいました。 しばらくして、ある朝のことです。呉公が急に早起きして馬を飛ばし、沈公のもとへ駆けつけて言いました。「お宅のご子息が、南の試験場で必ず合格なさるでしょう！」驚いて理由を尋ねる沈公に、呉公は続けました。「夢の中で一人の人がこう告げました。『郡内のある士大夫が、金剛経を読誦した功徳により、その子が栄誉を得るであろう。』目が覚めて、その夢はあなたのことを示していると確信しました。」 その年の秋、沈公の三男・応明は、果たして応天の郷試に合格しました。聞くところによると、沈公の金剛経読誦は誠心誠意極まりなく、行住坐臥（あらゆる動作や休息の時）に自然と暗誦していたといいます。東郭の季子の家を行き来する道すがらも、一心に読誦に励みました。彼が通り過ぎた屠殺場や市場、虚空のすべてに至るまで、経典の功徳が触れて解脱した者たちは、数え切れないほどだったのです。さらに、四相（自己、他人、衆生、寿命という執着）のない心をもってあらゆる善法を実践し、幾世代にもわたって徳を積み重ねたため、子孫は科挙で次々と成功し、嘉禾の名門となりました。これらはすべて金剛経の功徳が証明した事例なのです。