---
title: "金剛般若波羅蜜經（註解） · 淨心行善分第二十三"
description: "金刚般若波罗蜜经注解是元代僧人释思聪对鸠摩罗什所译金刚经的权威阐释。本书成于元代中国佛教发展时期，融合了禅宗与般若学要义。释思聪通过逐段解说经中无我相、无人相、无众生相、无寿者相等核心概念，深入剖析般若空性思想。此注疏既保持原始经文精髓，又以浅白语言阐释缘起性空之理，在汉传佛教注疏体系中具有承前启后的重要地位。作为金刚经研究的关键文献，它至今仍是佛学修习者体悟般若智慧的必备典籍，对东亚佛教思想传播产生深远影响。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmglzcq1v00vnjp04ln0hlfv6"
---

淨心行善分第二十三

頌曰。

> 頌に曰く。

但自胷膺無垢穢任他長短是和非眼中着沙耳盛水妙行如如同道知

> ただし、自らの胸中に汚れがなければ、 他人の長短や是非はそのままに任せよ。 眼に砂を入れ、耳に水を盛るがごとし。 妙なる行いは如如の道と知るがよい。

復次須菩提。是法平等。無有高下。是名阿耨多羅三藐三菩提。以無我。無人。無眾生。無壽者。修一切善法。即得阿耨多羅三藐三菩提。須菩提。所言善法者。如來󵘸即非善法。是名善法。

> さらに、須菩提よ。この法は平等であり、高低の差はない。それを阿耨多羅三藐三菩提（完全なる悟り）と名付ける。我なし、人なし、衆生なし、寿者なしという境地で、あらゆる善い行いを実践すれば、すぐに阿耨多羅三藐三菩提を得られる。須菩提よ、いわゆる善い行いとは、如来はそれを善い行いとは言わない。ただ、それを善い行いと名付けるのである。

工夫做到人法俱忘心空境寂不見內不見外不見中間忘彼我心離於見見法性湛然冤親平等離人我見華嚴經云觀一切眾生具有如來智慧德相皆有成佛之分無高下心也是名無有高下上善若水平等普潤淨佛国土成就眾生心空寂照忘其所得冥然無證纔興善念即同染污如此會理是名善法當下無生離見聞斍知圓明泯合雲去雲來天本靜花開花落樹常閑。

> <note place="inline">修行を極めると、自分も他人も忘れ、心は空となり、外界は静寂になる。内も見えず、外も見えず、中間も見えない。自分と他人の心を忘れ、見ることから離れる。法の本性は湛として静かで、怨みも親しみも平等であり、人と我の見解から離れている。『華厳経』には「すべての衆生が如来の智慧と徳の相を具えているのを観よ。皆、仏となる素質を持ち、優劣の心はない」とある。これを「優劣なし」という。最高の善は水のようなものであり、平等にすべてを潤し、仏の国を清め、衆生を成就させる。心は空しく静かに照らし、得たものを忘れ、暗然として証もない。もし善い心が起これば、それすなわち汚れである。このように理を悟ることを「善法」という。当下に生なく、見聞覚知を離れ、円明に融け合う。雲が行き来しても、空は元から静か。花が咲き散っても、木は常に閑かである。</note>