緣起陁羅尼...
譬如因陁羅體德備五珠一為本法攝餘四珠如舉一為本法餘四隨舉為本法亦如是又白珠中餘四現及本白影影又影現如白珠現影中又影現一切珠亦如是如是重重重重重重重重重重無盡無盡無盡無盡無盡無盡無盡無盡無盡無盡不可具說又諸眾生所造作業影現善𢙣無記現又無漏聖人所證因果上中下位分於中皆具現如天珠中現一切宮殿樓閣柱楹梠桷現亦如是是時諸天見此事已深起慈悲心救護心三業中不作𢙣心三業中勤行精進心且時不起放逸心又此五色珠中隨眾生業影現白中天清淨業現赤中無記業現青中餓鬼畜生業現黃中人間種種輪轉不相捨離世善業現黑中地獄種種苦業現以要而言諸天此沒善道𢙣道中生得聖果遠近乃至諸菩薩得道坐道場樹王下降魔軍轉法輪劫住遠近入涅盤流布舍利皆於中現心等五色珠因陁羅網亦如是於中有業識細相轉識中相現識麤相目見可貪色時眼脉走黃黃熏隨色摩尼黃色現是名貪業現五道業作目見可瞋色時目脉走青青熏隨色摩尼青色現是名瞋業現五道業作目見可善可𢙣不識不知色時目脉走黑黑熏隨色摩尼黑色現是名癡業現五道業作純白色此諸天業現表以可知約實而言一一業中具一切如是重重無盡不可具說是即德用自在門此諸業用業轉二相秘密難知佛菩薩境界現相相現凡夫境界根互用等一切法意此中在是即根本因陁羅。
例えば、インドラの網には五つの珠が備わり、一つの珠を根本とすれば、それが他の四つの珠を統べる。一つの珠を根本として掲げれば、他の四つの珠もまた随って根本となる。同様に、白い珠には他の四つの珠の姿と、根本である白い珠の影が映り、その影の中にさらに影が映る。白い珠の影の中に映る影のように、またすべての珠にも同様に映る。このように、幾重にも幾重にも重なり合い、無限、無限、無限、無限、無限、無限、無限、無限、無限、尽きることなく、全てを語ることはできない。
さらに、すべての衆生が造りなす業の影は、善、悪、無記として現れる。また、無漏の聖人が証する因果は、上・中・下の位に分かれて、その中にすべて現れる。まるで天の珠の中に、すべての宮殿や楼閣、柱や梁、垂木や棟木が現れるのと同じである。この時、諸天はこのことを見て、深く慈悲の心と救いの心を起こし、三業において悪心を作さず、三業において勤め行う精進の心を起こし、放逸の心を起こさない。
また、この五色の珠の中には、衆生の業に従って影が現れる。白には天の清らかな業が現れ、赤には無記の業が現れ、青には餓鬼や畜生の業が現れ、黄には人間の様々な輪廻が絡み合い離れない世の善業が現れ、黒には地獄の様々な苦しみの業が現れる。要するに、諸天がこの世を去り、善道や悪道に生まれ変わること、聖果を得ることの遠近、さらには諸菩薩が悟りを得て、道場の樹王の下に座し、魔軍を降伏し、法輪を転じ、劫の住する遠近、涅槃に入り、舎利を流布することまでも、すべてその中に現れる。
心などの五色の珠、インドラの網もまた同じである。その中には、業識の微細な相、転識の中間の相、現識の粗い相がある。目で愛しい色を見るとき、目の脈は黄に走り、黄の熏習が色に随って、摩尼が黄色に現れる。これを貪りの業が五道の業を現すという。目で怒りを起こす色を見るとき、目の脈は青に走り、青の熏習が色に随って、摩尼が青色に現れる。これを瞋りの業が五道の業を現すという。目で善悪や無記の識別できない色を見るとき、目の脈は黒に走り、黒の熏習が色に随って、摩尼が黒色に現れる。これを痴の業が五道の業を現すという。純粋な白色は、これらの天の業が現れたものである。表からは推測できるが、実のところを言えば、一つ一つの業の中にすべてが備わり、このように幾重にも重なり無限で、全てを語ることはできない。これが「徳用自在の門」である。これらの業を用いること、業と転の二つの相は秘密で知りがたく、仏や菩薩の境界である。現相としての相は凡夫の境界であり、根・境・用など一切の法は、この中に存する。これが根本インドラ網である。
(是正證法界盤出真陁摩尼寶依證珠出阿含光)。