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  1. 健拏標訶一乗修行者秘密義記 (健拏標訶一乘修行者秘密義記)
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健拏標訶一乗修行者秘密義記 (健拏標訶一乘修行者秘密義記)


若夫教海鏗宏真源眇𥊑二鳥經空不見其邊三獸渡河不識其底然則高德聲聞受聾盲稱積功菩薩見假者名但以機緣塵沙教網森羅境智一味混能所相寂用無方眇眇叵測於是無相大日照揔法界現像萬差無住大輪轉別相界無住示住是故揔相法界光明羅網照臨山王令階佛境然後化流別相攝末歸本推其相也平等而常差別觀其理也差別而常平等

そもそも、仏法の教えという大海は広大で、その真の源は限りなく深遠である。二羽の鳥が空を飛んでも、その果てを見極めることはできない。三匹の獣が川を渡っても、その底を知ることはできない。それゆえ、高い徳を備えた声聞(しょうもん)でさえ、耳が聞こえず目が見えない者のように扱われ、長い間修行を積んだ菩薩(ぼさつ)も、仮の名前を持つ者と見なされるのである。

ただ、衆生(しゅじょう)の機縁は塵のように数えきれず、教えの網は森のように広がっている。境(きょう)と智(ち)は一体であり、能(のう)と所(しょ)の区別もなく、静けさと働きは偏りなく、その深遠さは計り知ることができない。

そこで、形のない大日(だいにち)は、すべての法の世界を照らし、すべての現象を様々な姿として現し出す。とどまることのない大いなる輪は、それぞれ異なる世界を回転させながら、とどまることなく、しかもとどまることを示す。

ゆえに、すべてを包む法の世界の光明の網は、山王(さんのう)を照らして、仏の境地に到達させる。その後に、教化はさまざまな世界に流れ、枝葉から根本へと帰り集める。

その姿を見れば、平等であるが、常に差別があり、その道理を観(み)れば、差別があるが、常に平等なのである。

竊見古今立教雖有塵沙今且就五教以顯其義也五教者從教主得名初生身化身即穢土佛是也即止心花也二自受用身即色究竟處佛是也即止肝花也三寶王性身即他受用身是也即止脾花也即無勝世界佛是也四阿閦佛即不動佛妙喜世界佛是也即止腎花也五盧舍那佛即蓮花臺藏世界佛是也即止肺花也此五教約實而言其唯一圓音何以故小乘始終初教始終熟教始終頓教始終圓教始終小乘終即初教始如小乘初教其餘教始終亦尒手相鈎鏁以成一音約此而言由一音故非五別由應機異故非一音(此有為法界中教門)。
若依無為法界亦有五教一因緣揔相為破外道自然執故說一切諸法因緣生即小乘始因緣無常即小乘終此教中許悉達一人成不許餘人成二始教此教中因緣無常是始教始雖因緣無常猶由知少分有佛性故以此為始教終此教中許一分有性定性無性俱不成故未盡大乘法理故立為大乘始教三熟教此教中佛性常住不問有性無性凡有心悉當成佛盡大乘至極之說立為熟教然上二教並依位階漸次修行成俱名漸教四頓教此教中動想生心皆此虛妄無所有分別一切諸法無名無相離言絕慮一切諸法本來寂滅以為此教體故立為頓教五圓教此教中盛明一位即一切位一切位即一位一断即一切断一切断即一断無住無我普賢法界帝網重重主伴具足故名圓教其餘義理如別記說又此經七處九會心地有五餘地各一又此經所立二十二位心地有十八肝地一脾地一腎地一肺地一六道十信等妙(已上心)解(肝)行(脾)迴向(腎)十地(肺)五位亦尒准以可知(此唯有相法界門中位也)若無相行位今日一剎那中所起菩提心普攝諸位如一剎那一切剎那亦尒如是展轉歷位皆尒乃至等妙此法門即前後而即無前後前後即行布無前後即圓融上來一切諸說雖段數多其義在此也。

無為法界に基づいても、五つの教えがある。

第一に、因縁の総相である。これは外道の自然説を破るため、すべての諸法は因縁によって生じると説く。これは小乗の初めの教えであり、因縁による無常を説くのが小乗の終わりの教えである。この教えでは、悉達(釈迦)一人だけが成仏できると認め、他の者は成仏できないとする。

第二に、始教である。この教えでは、因縁による無常を説くのが始まりである。因縁による無常を説きながらも、一部の者は仏性を持つと知るため、これを始教の終わりとする。この教えでは、一部の者は成仏できる性質を持ち、宿命として成仏できない者や性質を持たない者は、どちらも成仏できないとされる。大乗の教えの真理を完全に示していないため、大乗の始教と立てられる。

第三に、熟教(終教)である。この教えでは、仏性は常住であり、性質を持つ持たないにかかわらず、心あるものはすべて成仏できると説く。大乗の究極の教えを示すため、熟教と立てられる。しかし、上の二つの教えは、いずれも位階に従って段階的に修行し成仏するものであり、共に漸教と呼ばれる。

第四に、頓教である。この教えでは、動かす心や生じる想いもすべて虚妄であり、実体はないとする。すべての諸法は名もなく形もなく、言葉を離れ思惟を絶している。すべての諸法は本来寂滅であるということを、この教えの本体とするため、頓教と立てられる。

第五に、円教である。この教えでは、一つの位がすべての位であり、すべての位が一つの位であることを盛んに説く。一つの断がすべての断であり、すべての断が一つの断である。住するなく我がない普賢の法界は、帝網のように重なり合い、主となり伴となって互いに完全に備わる。そのため円教と名付けられる。その他の教義は、別の記録に詳しく述べられている。

また、この経典(華厳経)は七つの場所で九つの会が開かれ、心の地は五つあり、その他の地はそれぞれ一つずつある。また、この経典の立てる二十二の位は、心の地に十八、肝の地に一、脾の地に一、腎の地に一、肺の地に一である。六道や十信、等覚・妙覚などの位も、これに準じて理解できる。

もし相のない行の位について言えば、今の一刹那に起こした菩提心がすべての位を包括する。一刹那がそうであるように、すべての刹那もまたそうである。このように転々として位を経ても、すべてがそうである。等覚・妙覚に至るまで、この法門は前後しながらも前後がない。前後は行布(段階的修行)であり、前後がないのは円融(円満な融和)である。以上のすべての説は、たとえ段落が多いとしても、その義はここにあるのである。

(以上、心について)解(肝)行(脾)回向(腎)十地(肺)の五位も同様に、これに準じて知ることができる(これは相のある法界の門における位である)


緣起陀羅尼二
十八錢輪

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