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重修普陀山志 (重修普陀山志)

「重修普陀山志」について

明 · 周應賓撰 著

5.7 万字 · 約 189 分

『重修普陀山志』は、明代の官吏・周応賓によって編纂された、普陀山仏教道場の重要な歴史文献です。本書は万暦年間に編纂され、当時、普陀山は観音菩薩の霊場としてすでに規模を整え、参詣者の信仰を集めていました。この志書には、普陀山の地形や景勝、寺院の変遷、高僧の事績、霊験譚、朝廷からの下賜記録などが体系的に記されており、明代における普陀山仏教発展の貴重な史料が保存されています。 中国仏教四大名山の志の一つとして、本書は観音信仰と海島仏教文化を研究する上での核心的な根拠を提供するだけでなく、明清仏教史、地方志編纂、海洋を介した宗教伝播を理解するための重要な典籍でもあります。仏教文献と文化遺産の分野において、代替のきかない学術的価値を有しています。


普陀山,原名「小白華」,梵稱「普陀洛迦」,又作補陀洛迦、補陁洛伽、補怛洛伽、補陀羅伽,皆梵語翻譯之異文也。山位於浙江定海東南海中,距治東百里許。其山境,東盡青鼓壘,西盡風洞嘴,南盡短姑道頭,北盡伏龍山,周遭屈曲百里。唐以前,傳為梅子真、葛稚川之寄隱;又傳於宣宗大中間,有天竺僧來,卽洞中燔盡十指,親睹觀音,與說妙法,授以七色寶石。自五代梁貞明二年(九一六)建「不肯去院」,而法址始開。自宋神宗元豐三年(一〇八〇)敕建寶陀寺,而香灺始盛。自高宗紹興元年(一一三一),真歇建海岸孤處,易律為禪。厥後歷元明清三代,經各代高僧之經營,梵剎林立,為中國佛教之聖地,與峨眉、五臺、九華,合稱四大名山,素有「海天佛國」之稱,為觀音大士之道場。論其聲望,又遠非他山所能及也。其梵剎主寺有三:普濟禪寺,舊傳為梁不肯去觀音院;法雨禪寺,始於明萬曆八年(一五八〇)麻城僧大智所建之「海潮庵」;慧濟禪寺,始於明僧圓慧所建之「慧濟庵」。其餘精藍近百,庵堂無數,號稱佛國,洵不虛也。記錄普陀者,舊有元龜茲盛熙明撰《補陀洛迦山傳》,今存一卷;明侯繼高始撰山志,惜未通行。至萬曆間,周應賓以《侯志》重山而略於寺,乃為重修,釐為六卷,分為十二門:宸翰、圖考、山水、殿宇、規制、建制、靈異、頒賜、命使、釋子、物產、藝文。宸翰收勑諭四通、御製序文二首,皆萬曆年間明神宗所撰也。體例尚稱嚴謹,搜羅亦頗宏富,有為後志所不及者。是志刋於萬曆間,流通不廣,民國十二年(一九二三)王亨彥修新志時亦不得見。茲據國立中央圖書館代管北平圖書館所藏明萬曆三十五年(一六〇七)太監張隨原刋本景印。

普陀山は、かつて「小白華」と呼ばれ、サンスクリット語では「普陀洛迦」(補陀洛迦、補陁洛伽、補怛洛伽、補陀羅伽とも表記)と称され、いずれも梵語の音訳による異なる表記です。この山は浙江省定海の東南の海上に位置し、定海の町から東へ約百里の距離にあります。山域は東は青鼓壘に、西は風洞嘴に、南は短姑道頭に、北は伏龍山に至り、周囲は曲がりくねって百里余りに及びます。

唐の時代以前には、仙人の梅子真や葛稚川が隠棲した地と伝えられています。また、唐の宣宗の大中年間には、インド(天竺)の僧が訪れ、洞窟の中で十本の指を焼いて供養し、観音菩薩を目の当たりに拝し、妙法を説かれ、七色の宝石を授かったと伝えられています。五代の後梁の貞明二年(916年)に「不肯去院」が建立されてから、仏法の道場としての歴史が始まりました。宋の神宗の元豊三年(1080年)に勅命により宝陀寺が建立されると、香火が盛んになりました。さらに、宋の高宗の紹興元年(1131年)、真歇禅師が海岸の孤絶した地に庵を結び、律宗から禅宗へと改めました。その後、元、明、清の三代にわたり、歴代の高僧たちによって寺院が整備され、多くの梵刹(寺院)が林立するに至り、中国仏教の聖地となりました。峨眉山、五台山、九華山とともに「四大名山」と称され、「海天仏国」とも呼ばれる観音菩薩の根本道場です。その声望は、他の山々の及ぶところではありません。

主要な寺院は三つあります。普済禅寺は、かつて梁代の「不肯去観音院」が起源と伝えられます。法雨禅寺は、明の万暦八年(1580年)に麻城の僧・大智が建立した「海潮庵」が始まりです。慧済禅寺は、明の僧・円慧が建立した「慧済庵」が起源です。このほかにも、近百の精舎(修行道場)と無数の庵堂があり、「仏国」と称されるにふさわしい様相を呈しています。

普陀山について記録したものとしては、古くは元代の亀茲(クチャ)出身の盛熙明が著した『補陀洛迦山伝』(全一卷)が現存しています。明代には侯継高が初めて山志(地誌)を編纂しましたが、残念ながら広く流通しませんでした。万暦年間に至り、周応賓は『侯志』が山の記述を重視する一方で寺院に関する記述が簡略であったため、これを改めて重修し、六巻十二門(宸翰、図考、山水、殿宇、規制、建制、霊異、頒賜、命使、釈子、物産、芸文)に分類して編纂しました。宸翰の門には、万暦年間の明の神宗による勅諭四通と御製序文二篇が収録されています。その体裁は比較的厳密で、収集した内容も非常に豊富であり、後世の志書にも見られない価値ある記述を含んでいます。

この志書は万暦年間に刊行されましたが、流通は広くなく、民国十二年(1923年)に王亨彦が新たな山志を編修した際にも目にすることができませんでした。ここに掲載するものは、国立中央図書館が代わりに保管する北平図書館所蔵の、明の万暦三十五年(1607年)に太監・張随が原刊した版本の影印によります。


序

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