浙江西谿,宋之留下谿也,宋高宗南渡,初欲都於此,高宗覽圖曰:「且留下!」故有「留下」之名。地處武林之西,初為荒僻,自南宋都浙,遂多名蹟;此地老竹參天,長松蔽日,不僅寺庵林立,風景更屬幽絕。法華碧峰之勝,非特方外高流雲集,文人墨客屐齒亦多及焉。論其名勝,有西谿輦道,乃秦代之舊也,明唐寅有「西谿圖」,所繪者即其風物也。法華山,有晉僧法華之靈蹟,因以名山,古法華寺之遺址在焉。又有碧峰、桃源嶺、方井、北高峰塔、龍歸塢、得仙橋、東法華泉、金魚井亭、放山臺、白蕩灘、上埠谿、金蓮池、橫山草堂……等勝蹟。論其梵刹,則有古法華寺,即雲棲別室,乃晉曇翼法師所建,宋建炎中,高宗幸西谿,改龍歸;明隆萬間,雲棲宏大師重振宗風,經營三十餘年,遂成叢林,初號雲棲別室,俗名鄭庵。喜鵲寺,在秦亭下,唐鳥窠禪師道場也。佛慧寺,在碧峰山麓,後晉天福七年(九四二),普覺明禪師開山,明永樂間,本源文達禪師重建。報先寺,在佛慧寺路北,蓋唐寺也,明萬曆間有恆如禪師在此習天臺教四十年。法華律院,明嘉靖中,東暉曉禪師建。永樂庵,創自五代梁貞明間。寶壽寺,宋太平興國中有臥禪師在此施法。光明寺,唐高宗勅賜光明禪寺。隆慶寺,後唐莊宗徑山欽禪師中興。其他佛教勝蹟,不勝枚擧。宋代以降,「西谿百詠」之輯不一作,可見其勝也。清順治間,吳本泰與門人黃燦及其子啓圻、釋智一等纂輯「西谿梵隱志」,分門有四:紀勝、紀刹、紀詩、紀文,釐卷為四,西谿名勝與梵刹之文獻,略具於是矣!雖非全為梵隱而作,要為佛教勝蹟存記錄也。茲據清光緒七年(一八八一)武林丁氏八千卷樓刋本景印。
浙江の西谿は、宋の時代に「留下谿」と呼ばれた地です。宋の高宗が南遷した際、最初にここを都としようとしましたが、地図を見て「しばらくここに留めよう」と言ったことから、「留下」の名がつきました。この地は武林の西に位置し、当初は荒れ果てた辺境でしたが、南宋が浙江に都を置いてからは、多くの名所旧跡が生まれました。ここには天を突く老竹や太陽を覆い隠す巨松が茂り、寺院や庵が林立するだけでなく、その風景は幽玄で絶景の地です。法華山や碧峰の景勝は、世を超えた高僧たちが集うだけでなく、文人墨客の足跡も多く残されています。
名所としては、秦の時代に遡る「西谿輦道」があり、明の唐寅が描いた「西谿図」には、この地の風物が描かれています。法華山には、晋の僧・法華の霊跡があり、山の名の由来となり、古い法華寺の遺跡が残っています。他にも碧峰、桃源嶺、方井、北高峰塔、龍帰塢、得仙橋、東法華泉、金魚井亭、放山臺、白蕩灘、上埠谿、金蓮池、横山草堂など、多くの名所があります。
寺院に関しては、古法華寺(雲棲別室)があり、これは晋の曇翼法師によって建立されました。宋の建炎年間に高宗が西谿を訪れた際、「龍帰」と改称されました。明の隆慶・万暦年間には、雲棲宏大師が宗風を再興し、三十年以上かけて一大叢林を築き上げ、当初は雲棲別室と呼ばれ、俗に鄭庵とも呼ばれました。喜鵲寺は秦亭の下にあり、唐の鳥窠禅師の道場です。仏慧寺は碧峰の山麓にあり、後晋の天福七年(942年)に普覚明禅師が開山し、明の永楽年間に本源文達禅師が再建しました。報先寺は仏慧寺の道の北にあり、唐の時代の寺院で、明の万暦年間には恒如禅師がここで四十年間天台教学を修めました。法華律院は明の嘉靖年間に東暉暁禅師が建立しました。永楽庵は五代の梁の貞明年間に創建されました。宝寿寺では宋の太平興国年間に臥禅師が法を施しました。光明寺は唐の高宗から光明禅寺の勅額を賜りました。隆慶寺は後唐の荘宗の時代に径山欽禅師によって中興されました。その他の仏教関連の名所は枚挙にいとまがありません。
宋代以降、「西谿百詠」という詩集が何度も編まれており、その景勝のほどがうかがえます。清の順治年間には、呉本泰とその門人である黄燦、その子の啓圻、そして釈智一らが「西谿梵隠志」を編纂し、紀勝、紀刹、紀詩、紀文の四部門に分けて四巻にまとめ、西谿の名所と寺院に関する文献をほぼ網羅しました。完全に仏教の隠遁を記したものではありませんが、仏教の名所の記録として貴重なものです。ここでは清の光緒七年(1881年)に武林丁氏の八千巻楼で刊行された版本を影印しました。