文殊師利菩薩(幼き姿の菩薩)に敬礼いたします。
下士・中士・上士という 三つの者があると知るべし ここにその相を書き記さん 各々の違いを明らかにせん
もしも方法として ただ輪廻の楽しみだけを求め 自分の利益だけを願う者 これを「下士」と知るべし
三つの世界の楽しみを捨て あらゆる悪しき行いを避け ただ自分の静かな悟りを求める者 これを「中士」と名づける
自分の苦しみをもって 他のすべての苦しみと思いやり そのすべてを永遠に終わらせたいと願う者 それが「上士」である 尊い生きとし生けるもののために 大いなる悟りを求める方々のために
さあ、師たちが示してくださった 正しい方法を説こう 仏の絵像や あらゆる聖なる塔の前で 花や香などの供え物を ありったけ捧げなさい
また普賢の行いが説く 七つの供養の行いで 悟りの座に至るまで 退かない心を持ち 三つの宝を信じ敬い 両膝を地につけ
敬いの心で手を合わせ まず三度、帰依の唱えをなせ 次にすべての生きとし生けるものに 慈しみの心をまず抱き 地獄などに生まれる苦しみや 死ぬことなどの苦しみを見つめよ
余すところなくすべての生き物が 苦しみに苦しめられているのを見て 苦しみと苦しみの原因から 生き物たちを救い出さんと 決して退かない誓いを立て 菩提心を起こすのだ
こうして願いの心を起こせば 生まれるあらゆる功徳は 『華厳経』の中で 弥勒菩薩が説いている通りである
勇施が問うた経にも この功徳は広く説かれている それを簡潔に三つの偈にまとめた 今ここで抜き出そう
菩提心の功徳 もしも形あるものならば 虚空の世界を満たしても なお余りあるほどである
もし人が珍宝をもって ガンジスの砂の数ほどの 全ての仏の世界に 諸仏に捧げ供養しても
もし誰かが合掌して 心から大いなる菩提を敬うならば この供養こそ最も勝れ その功徳は限りがない
菩提心の願いを起こしたならば、努めてそれをさらに大きく育てねばなりません。 それは来世においても常に心に留め、教えの通りに学ぶべき戒律を全て守りましょう。 実際に行動するという心そのものによる戒律がなければ、正しい願いの心を育てることはできません。 菩提心の願いを育てたいと望むなら、この戒律を受けるために精進すべきです。
七つの別解脱律儀を常に具えていれば、 菩薩の戒律も備わります。 それ以外に善根はありません。 如来がお説きになった七衆の別解脱のうち、 梵行は最も勝れており、それが比丘の律儀です。 ですから、菩薩地の戒品に説かれた軌範に従い、 徳を備えた師からその律儀を受けるべきです。
律儀の作法に巧みで、自らも律儀に安住し、 戒を伝えるにふさわしく、悲心を具えた者―― これを良き師と知るべきです。 しかし、努力して求めても、そのような師を得られない場合は、 別の律儀を受ける作法を説くべきです。
かつて妙吉祥(文殊菩薩)が虚空王であった時に 菩提心を発したように、 また『妙祥荘厳仏土経』に説かれているように、 ここにその儀軌を記します。 全ての依怙(仏・菩薩)の前で、 大いなる菩提心を発し、 一切の衆生を請い願って、彼らを生死から救い出しましょう。
害する心、怒りの心、 吝嗇と嫉妬―― これらの心は、今日から悟りを証するまで、 決して起こしません。 清らかな行いを修行し、 罪と欲望を断ち切りましょう。
戒律を愛好し、諸仏に随って学びます。 自分のためだけに速やかに大菩提を得ようとはせず、 一人の有情のためという理由で、最後の最後まで留まり続けます。
計り知れない、不可思議な仏土を清め、 名号を受持し、十方の世界に住します。 私の身の業、言葉の業、 全てを清らかにし、 意の業も清らかにし、不善の業を作りません。
自らの心が清らかである理由は、心の在り方に戒律の規範が確立しているからである。 三つの戒めをよく学ぶことによって、これら三つの戒めに対して敬いの心が生じる。
入無分別陀羅尼(ダーラニー)ともいう。
仏子よ、この法を思惟するに、 もし分別を執らなければ、 分別の危険な障害を超え、 徐々に無分別を得る。
聖教と正理によりて、 一切の法を 無生にして自性なしと 確かに理解し、 無分別を修すべきである。
このように真実の性質を修すれば、 徐々に暖位などを得て、 やがて極喜地などに至り、 仏の菩提は遠くない。
真言の力によって、 寂静・増益などの事業や、 宝瓶などの修行を成就し、 八つの大成就の力を得て、 安楽円満のために、 大菩提の資糧を積む。
もし事部・行部などの 続部に説かれる 様々な真言を修習しようと 望むならば。
師長に灌頂を求めるなら、 真心を込めて仕え、宝などの供物を捧げなさい。
教えの通りにすべてを行い、 良き師長の心を喜ばせなさい。
師長が心から喜ぶことによって、 完全な灌頂が伝授されるのです。
これは諸々の罪を清める根本であり、 成就を修めるための善い根を育てる行いなのです。
菩提道の灯り 大阿闍梨吉祥燃燈智造論 おわり
法尊訳 広済寺にて 1978年8月8日
(編集者注:本論はアティーシャ・燃燈・吉祥智尊者により作られ、法尊法師により翻訳された)