---
title: "妙法蓮華經要解（選錄「要解」本文） · 法師品第十"
description: "妙法莲華經要解是宋代高僧戒環對法華經的權威注釋。該書成於宋代佛教義學興盛之際，戒環法師以天臺宗圓教思想為基礎，系統闡釋法華經的深層義理。全書十二卷緊扣經文核心，重點解析諸法實相、十如是、一念三千等哲理，深入詮釋會三歸一、開權顯實的經旨。此解歷來被視為法華經注疏中的典范之作，既承繼智顗大師的學脈，又融匯時代見解，對漢傳佛教法華學體系構建影響深遠，是研究宋代天臺宗和法華思想的重要文獻。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmgn0hcdf09jhjl04wf2wa5jv"
---

妙法蓮華經法師品第十

> 法華経 法師品 第十

能持正法足以師人謂之法師此授廣記以圓該前記而號法師品者所以廣記持經之人而推尊之故也經舉現前八部四眾等類及佛滅後聞經隨喜皆與授記是謂廣記前雖對三周法授三根記而𭣣機未盡故此圓該乃圓教之統要也既為統要允属正宗而舊科於此遂分流通亦隨所見。

> 正しい法を保ち、人々の師となるに足る人を「法師」といいます。ここで広く記別を授けるのは、前の記別を円満に含みこむためであり、「法師品」と名づけるのは、経を保つ人々に広く記別を授けて尊ぶからです。経の中では、現前に集まった八部・四衆などの人々、および仏滅後にこの経を聞いて随喜する者にも、みな授記を与えています。これが広記です。前に三周の法に対して三根の記別を授けましたが、まだ機縁をすべて収めきっていなかったため、ここで円満に含みこむのです。これは円教の統要であり、すでに統要である以上、まさに正宗分に属します。ところが旧来の科判では、ここで流通分を分けており、これも各自の見解によるものです。

爾時世尊因藥王菩薩告八萬大士藥王汝見是大眾中無量諸天龍王夜叉乾闥婆阿脩羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽人與非人及比丘比丘尼優婆塞優婆夷求聲聞者求辟支佛者求佛道者如是等類咸於佛前聞妙法華經一偈一句乃至一念隨喜者我皆與授記當得阿耨多羅三藐三菩提。

> そのとき、世尊は薬王菩薩を通して、八万人の大士たちにこう告げられました。「薬王よ、あなたはこの大集衆の中に、無数の天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽、人と人ならざるもの、また比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、声聞を求める者、辟支仏を求める者、仏道を求める者、このような者たちが、みな仏の前で妙法華経の一偈一句を聞き、あるいは一念だけでも随喜したならば、私はそのすべてに授記を与え、まさに阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。

將授廣記而因藥王告大士者以廣記渺漠法利勝妙非深知宿契及大菩薩無能證知故也藥王即喜見菩薩久持此經燒身然臂可謂深知宿契矣八萬大士即經首八萬菩薩現前八部四眾皆與授記者所謂若有聞法者無一不成佛也。

> 広く記し授けようとするにあたり、薬王に託して大士に告げたのは、広記が遥か遠く、法の利益が勝れ尊いもので、深く宿縁を知り、大菩薩でなければ証明知見できないからである。薬王とはすなわち喜見菩薩であり、久しくこの経を保ち、身を焼き臂を燃やしたのであるから、まさに深く宿縁を知っていると言えよう。八万の大士とは、経の初めにある八万の菩薩であり、現前に集う八部四衆すべてに授記を与えたのである。いわゆる、もし法を聞く者があれば、一人として成仏しないものはない、ということである。

佛告藥王又如來滅度之後若有人聞妙法華經乃至一偈一句一念隨喜者我亦與授阿耨多羅三藐三菩提記。

> 仏は薬王に告げられた。「また、如来が滅度した後、妙法華経を聞いて、たとえ一偈一句でも、一念のうちに随喜する者があれば、私もその者に阿耨多羅三藐三菩提の記を与える。」

言滅後有人則其機未兆亦懸記之則此品廣記無所不圓無所不該矣。

> 滅後、その機がまだ現れていない人々についても、あらかじめ記しておかれる。この品は広く記され、円かならざる所なく、該わざる所はないのである。

若復有人受持讀誦觧說書寫妙法華經乃至一句於此經卷敬視如佛種種供養華香瓔珞末香塗香燒香繒盖幢幡衣服伎樂乃至合掌恭敬藥王當知是諸人等已曾供養十萬億佛於諸佛所成就大願愍眾生故生此人間。

> もし人が妙法華経を受持し、読誦し、解説し、書写し、あるいはただ一句だけでも、この経典を仏と同じように敬い、さまざまな供物——花や香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、絹の蓋や幢幡、衣服や音楽——を捧げ、さらには合掌して恭敬の心を表すならば、薬王よ、知るがよい。これらの人々はすでに十万億の仏に供養し、もろもろの仏のもとで大きな願を成就し、衆生をあわれむがゆえに、この人間の世界に生まれてきたのである。

自受持讀誦至合掌恭敬為六種法師一受持二讀三誦四觧說五書寫六供養能備六種難故必由供佛宿福及大願也。

> 自分で受け持って読み、唱え、さらに合掌して恭敬するに至るまでが六種の法師です。一つは受持、二つは読、三つは誦、四つは解説、五つは書写、六つは供養です。この六種をすべて備えることは難しいため、必ず仏を供養した過去の功徳と大きな願いによるのです。

藥王若有人問何等眾生於未來世當得作佛應示是諸人等於未來世必得作佛。

> 薬王よ、もし誰かが「どのような衆生が未来世において仏になれるのか」と問うなら、その人たちに「あなた方は未来世において必ず仏になれる」と示しなさい。

令藥王宣明勝因也。

> 薬王よ、優れた行いの理由を明らかにしなさい。

何以故若善男子善女人於法華經乃至一句受持讀誦觧說書寫種種供養經卷華香瓔珞抹香塗香燒香繒盖幢幡衣服伎樂合掌恭敬是人一切世間所應瞻奉應以如來供養而供養之當知此人是大菩薩成就阿耨多羅三藐三菩提哀愍眾生願生此間廣演分別妙法華經何况盡能受持種種供養者。

> なぜでしょうか。もし善い男性や善い女性が、法華経のたった一句でも受け持ち、読み、唱え、理解して人に説き、書き写し、さまざまな方法で経典を供養するなら――花や香り、宝石の首飾り、塗る香、焼く香、絹の傘や旗、衣服や音楽をもって、合掌して敬うなら――その人は、すべての世界の人々が仰ぎ尊ぶべき存在であり、如来に対するのと同じ供養を受けるにふさわしいのです。この人は大きな菩薩であり、悟りを完成させ、生きとし生けるものを哀れみ、この世に生まれたいと願って、すばらしい法華経を広く詳しく説き示しているのだと知るべきです。ましてや、すべてを受け持ち、さまざまな供養を尽くす人は、なおさらです。

釋上以顯緣勝人尊故當作佛但於一句能具六種法師之功猶足推尊瞻奉而當成菩提况於一經盡能受持則其緣愈勝其人愈尊其作佛必矣。

> 一つの句を説くだけでも、六種の法師としての功徳を備えているので、その人を敬い仰ぎ見るに十分であり、ましてや菩提を成し遂げることはなおさらである。ましてや一つの経典全体をよく受持するならば、その縁はますます勝れ、その人はますます尊く、必ず仏になるのである。

藥王當知是人自捨清淨業報於我滅度後愍眾生故生於惡世廣演此經。

> 薬王よ、知るべきだ。この人は自ら清らかな業報を捨てて、私が滅度した後、衆生を哀れむがゆえに悪世に生まれ、広くこの経を説き広めるのである。

自捨淨報者當是淨土果人示生惡世。

> 自ら清らかな報いを捨てた方とは、浄土の果を得た人が悪しき世に生まれを示したのである。

若是善男子善女人我滅度後能竊為一人說法華經乃至一句當知是人則如來使如來所遣行如來事何况於大眾中廣為人說使即將命之人遣有付托之義此令敬持經人視同將如來命為如來付托讚揚大事宜在尊尚也。

> 善男子、善女人が、私が滅度した後、ひそかに一人のために法華経を説き、たとえ一句だけであっても、その人は如来の使いであり、如来に遣わされて如来の仕事を行う者であると知るべきです。ましてや、大衆の中で広く人々のために説く場合はなおさらです。「使」とは、命令を受けた人を遣わすこと、すなわち託すという意味があります。これは経を持つ人を敬い、如来の命令を受けた者、如来の託された者として、この大事を讃えて宣べ伝えることを、尊ぶべきであると示しています。

藥王若有惡人以不善心於一劫中現於佛前常毀罵佛其罪尚輕若人以一惡言毀呰在家出家讀誦法華經者其罪甚重。

> 薬王よ、もし悪人が不善の心で一劫の間、仏の前に現れて常に仏を毀り罵ったとしても、その罪はまだ軽い。しかし、もし人がたった一つの悪い言葉で、在家・出家を問わず法華経を読誦する者を毀ったなら、その罪ははなはだ重い。

萬德慈尊不可毀也然毀之其罪尚輕者以無能損故毀持經之人其罪尤重者以斷佛種故。

> 万徳の慈尊を誹謗することはできませんが、それを誹謗する罪はまだ軽いのです。損なうことができないからです。しかし経典を保つ人を誹謗する罪は特に重いのです。仏の種を断つことになるからです。

藥王其有讀誦法華經者當知是人以佛莊嚴而自莊嚴則為如來肩所荷擔其所至方應隨向禮一心合掌恭敬供養尊重讚歎華香瓔珞抹香塗香燒香繒盖幢幡衣服肴饌作諸伎樂人中上供而供養之應持天寶而以散之天上寶聚應以奉獻。

> 薬王よ、もし法華経を読誦する人がいれば、その人は仏の荘厳をもって自らを荘厳しているのだと知るべきです。その人は如来の肩に担われているのです。その人が向かう先のどんな方角にも、心を一つにして合掌し、恭敬し、供養し、尊重し、讃嘆しながら、花や香や瓔珞、抹香や塗香や焼香、絹の蓋や幢や幡、衣服や食べ物、さまざまな伎楽を用意して、人の上なる最高の供物を捧げて供養すべきです。また天の宝を持ってその人に散らし、天上の宝の集まりを捧げるべきです。

以佛莊嚴而自莊嚴者謂具佛眾德也則為如來肩所荷擔者謂佛所尊重也佛尚尊之則人者固當隨方欽向尊重之也。

> 仏の功徳を身にまとうことは、仏のように自らを整えることです。それは、仏のすべての徳を備えているという意味です。如来が肩に担い背負うとは、仏が重んじ尊ぶという意味です。仏でさえこれを尊ぶのですから、まして人々は、それぞれの場所で敬い、尊ぶべきなのです。

所以者何是人歡喜說法須󱅨聞之即得究竟阿耨多羅三藐三菩提故。

> なぜなら、この人は喜んで法を説き、それを聞いた者はただちに究極の悟りを得ることができるからです。

徵釋所應尊重之意也。

> これは、尊敬すべき相手を明らかにする意味です。

爾時世尊欲重宣此義而說偈言。

> その時、世尊はこの教えの意味を改めて明確に示そうとして、次のように偈（うた）を説かれました。

若欲住佛道 成就自然智 常當勤供養受持法華者

> 仏の道にとどまり、自然の智慧を成就したいと願うなら、常に法華経を保つ人を敬い、供養に励むべきです。

自然智即本覺真智也欲住佛道成就此智必藉法師發明故當勤供養持法華者。

> 自然智とは、もともと備わっている悟りの智慧のことです。仏の道にとどまり、この智慧を完成させたいと願うなら、必ず法を説く師の助けによってそれを明らかにしなければなりません。ですから、法華経を保つ人を、心をこめて供養すべきなのです。

其有欲疾得 一切種智慧 當受持是經并供養持者

> 一切種の智慧を早く得たいと願う人は、 この経典を受け持ち、 また経典を保つ人を供養すべきです。

一切種智即諸佛果智也欲求佛果疾得此智必依此經修證故當持是經并供持者。

> 一切種智とは、諸仏の悟りの智慧のことです。仏の悟りをすみやかに得て、この智慧を求めようとするならば、必ずこの経によって修行し証をえることが大切です。ですから、この経を保ち、またこの経を保つ人を供養すべきです。

若有能受持 妙法華經者 當知佛所使愍念諸眾生

> もし妙法華経を保ち唱える人がいれば、 その人は仏から遣わされた者であり、 すべての生きとし生けるものを慈しんでいるのだと知るべきです。

頌於諸佛所成就大願愍眾生故生此人間。

> 諸仏のもとで大きな願いを成就し、衆生をあわれむがゆえに、この人間世界に生まれてこられたのだ。

諸有能受持 妙法華經者 捨於清淨土愍眾故生此 當知如是人 自在所欲生能於此惡世 廣說無上法 應以天華香及天寶衣服 天上妙寶聚 供養說法者

> 妙法華経を心に保ち、実践する人々は、 清らかな国土を捨てて、众生をあわれむゆえにこの世に生まれてくる。 このような人こそ、思いのままに生まれることができ、 この悪しき世において、この上ない法を広く説くことができるのだ。 天の花や香、天の宝の衣、天上のすぐれた宝を集めて、 法を説く人に供養するがよい。

頌是人自捨清淨業報等自在所欲生者所欲生處隨願自在。

> 自分から清らかな業の報いを捨て、望むままに生まれたいところへ、願いに従って自在に生まれることを讃えている。

吾滅後惡世 能持是經者 當合掌禮敬如供養世尊 上饌眾甘美 及種種衣服供養是佛子 冀得須󱅨聞

> 私が亡くなった後の悪い時代に、この経典を保ち続ける人がいれば、その人に対して合掌して礼を尽くしなさい。 ちょうど、世尊を供養するかのように、上等な食べ物やさまざまな甘い味のもの、そして色々な衣服を用意して。 この仏の子を供養するのだ。どうか須菩提が聞くことを得られますように。

此令推尊以求妙法。

> この教えを広く尊び、すぐれた法を求めなさい。

若能於後世 受持是經者 我遣在人中行於如來事

> もし後の世において　この経を保ち続ける人がいるなら 私は人々の中に遣わし 如来のなすべきことを行わせよう

非如來遣則莫之能。

> 如来に遣わされなければ、それを行うことはできない。

若於一劫中 常懷不善心 作色而罵佛獲無量重罪 其有讀誦持 是法華經者須󱅨加惡言 其罪復過彼

如科。

> 如科のとおりです。

有人求佛道 而於一劫中 合掌在我前以無數偈讚 由是讚佛故 得無量功德歎羙持經者 其福復過彼

> ある人が仏の道を求めて、一劫のあいだ、私の前で合掌し、 数えきれないほどの偈で讃えたとします。この仏を讃える功徳によって、無量の功德を得るでしょう。 しかし、この経を保つ人を讃える福は、それをも超えています。

顯讚羙之福也。

> 褒めたたえることの幸いを明らかに示すものです。

於八十億劫 以最妙色聲 及與香味觸供養持經者 如是供養已 若得須󱅨聞則應自欣慶 我今獲大利

> 八十億劫もの長い間、 最もすばらしい色や声、香りや味わい、触れ合いをもって、 この経を保つ人を供養しなさい。 このように供養したならば、よく教えを聞くことができたなら、 自分で喜びなさい。 「私は今、大きな利益を得た」と。

頌花香伎樂人中上供等文於八十億劫言不倦持久之志以冀須󱅨之聞須󱅨聞之即得菩提故為大利。

> 花の香りや音楽を人中の最上の供え物として捧げ、八十億劫の間、疲れることなく語り続ける。その志を長く持ち続けて、須菩提がこれを聞くことを願う。須菩提がこれを聞けば、ただちに菩提を得る。それゆえ、大きな利益となるのである。

藥王今告汝 我所說諸經 而於此經中法華最第一 故宜信向也

> 薬王よ、今あなたに告げよう。私が説いてきたさまざまな経典の中で、この法華経が最もすぐれている。だからこそ、信じてこの教えに向かうべきである。

爾時佛復告藥王菩薩摩訶薩我所說經典無量千萬億已說今說當說而於其中此法華經最為難信難觧。

> そのとき、仏は再び薬王菩薩摩訶薩に告げられた。「私が説いた経典は無量千万億あり、すでに説いたもの、今説いているもの、これから説くものがある。その中でも、この法華経は最も信じがたく、理解しがたいものである。

已說即般若等今說即法華當說即涅槃而獨法華所詮皆妙法所示皆實相非眾生知見所以難信是諸佛秘要所以難觧也。

> すでに説かれた教えは般若などであり、今説かれているのは法華であり、これから説かれるのは涅槃です。しかし、ただ法華だけは、その説かれる内容のすべてが妙なる法であり、示されるもののすべてが真実の姿です。それは衆生の知見ではかり知れないものだからこそ、信じるのが難しいのです。諸仏の秘められた大切な教えだからこそ、理解するのが難しいのです。

藥王此經是諸佛秘要之藏不可分布妄授與人諸佛世尊之所守護從昔已來未曾顯說而此經者如來現在猶多怨嫉况滅度後秘密法要妄授則上慢退席顯說則窮子怖父而怨誹憎嫉生焉如來現在尚爾况滅後惡世可不擇機。

> 薬王よ、この経典はもろもろの仏の秘められた重要な教えであり、みだりに人に授けてはならない。もろもろの仏世尊が守り護ってきたもので、昔からこれまで一度もはっきりと説かれたことはなかった。しかもこの経典に対しては、如来が今ここにいらっしゃる時でさえ、なお多くの恨みや妬みがある。ましてや如来が入滅された後においてはなおさらである。秘密の法要をみだりに授ければ、慢心の者は席を立って去り、はっきりと説けば、貧しい子が父を恐れるように、恨みやそしり、憎しみや妬みが生じる。如来が現におられる時でさえこのような有様であるのに、ましてや入滅後の悪い世においては、機根を選ばずに説くことができようか。

藥王當知如來滅後其能書持讀誦供養為他人說者如來即為以衣覆之又為他方現在諸佛之所護念是人有大信力及志願力諸善根力當知是人與如來共宿則為如來手摩其頭。

> 薬王よ、知っておきなさい。如来が亡くなった後、この経典を書き写し、持ち、読み、唱え、供養し、他の人のために説く者がいれば、如来はその者のために衣をかけて覆い、また他の世界にいる現在の諸仏がその者を護り心に留められるのです。この人には大きな信の力、願いの力、さまざまな善根の力があります。この人は如来と同じ宿に泊まる者であり、如来がその頭を手で撫でてくださるのだと知りなさい。

是經難得聞信受者亦難故凡書持讀說非假如來覆護及自有信願善根莫之能矣為如來衣覆謂得佛忍力也與如來共宿謂栖心同佛也為如來摩頂謂蒙佛慰安也如此故能於後惡世持說是法。

> この経典は聞くことが難しく、信じて受け入れる人もまた少ない。だからこそ、書き写し、持ち、読み、説くことができるのは、如来の覆い守りと、自らの信と願と善根によるのでなければ、決してできないことである。如来の衣に覆われるとは、仏の忍耐の力を得ることをいう。如来とともに宿るとは、心を仏と同じところに置くことをいう。如来に頭を撫でられるとは、仏の慰めを受けることをいう。このような力があるからこそ、後の悪い時代にあってこの法を保ち、説くことができるのである。

藥王在在處處若說若讀若誦若書若經卷所住之處皆應起七寶塔極令高廣嚴飾不須復安舍利所以者何此中已有如來全身三周開示及餘助顯無非如來全身也此塔應以一切華香瓔珞繒盖幢幡伎樂歌頌供養恭敬尊重讚歎若有人得見此塔禮拜供養當知是等皆近阿耨多羅三藐三菩提為其因正而緣勝故也。

> 薬王よ、どこであれ、この経典が説かれ、読まれ、唱えられ、書き写され、またこの経巻が安置されている場所には、すべて七宝の塔を建てるべきである。できるかぎり高く広く、立派に飾りたてるがよい。改めて舎利を納める必要はない。なぜなら、そこにはすでに如来の全身がおられるからである。三度にわたる説示も、その他の助けとなる教えも、みな如来の全身にほかならない。この塔には、あらゆる花や香、瓔珞、繒蓋、幢幡、伎楽や歌頌をもって供養し、恭敬し、尊重し、讃嘆すべきである。もしこの塔を見て、礼拝し供養する人があれば、その人たちはみな阿耨多羅三藐三菩提に近づいていると知るべきである。その因が正しく、縁がすぐれているからである。

藥王多有人在家出家行菩薩道若不能得見聞讀誦書持供養是法華經者當知是人未善行菩薩道若有得聞是經典者乃能善行菩薩之道。

> 薬王よ、在家であれ出家であれ、菩薩の道を実践する者が、この法華経を見たり聞いたり読誦したり書写して保持し供養したりすることができないならば、その人はまだ菩薩の道をよく実践していないと知るべきである。もしこの経典を聞くことができた者は、はじめて菩薩の道をよく実践することができるのである。

行菩薩道而不聞是經如欲濟渴而不知須水也。

> 菩薩の道を歩みながら、この経を聞かないのは、喉の渇きを癒そうとして、水の必要性を知らないようなものです。

其有眾生求佛道者若見若聞是法華經聞已信觧受持者當知是人得近阿耨多羅三藐三菩提。

> 仏の道を求める众生が、この法華経を見たり聞いたりし、聞いた後に信じて理解し、受け持つならば、その人は無上正等覚に近づいていると知るべきです。

如人鑿井已近泉源。

> 人が井戸を掘って、もうすぐ泉の源に近づいたようなものです。

藥王譬如有人渴乏須水於彼高原穿鑿求之猶見乾土知水尚遠施功不已轉見濕土遂漸至泥其心决定知水必近。

> 薬王よ、たとえば人が喉の渇きに水を求めて、高い台地で穴を掘り続けるとしよう。まだ乾いた土しか見えなければ、水はまだ遠いと分かる。しかし掘り続けて怠らなければ、やがて湿った土が現れ、しだいに泥に至る。そのとき心は確信し、水が必ず近いと知るのである。

高原鑿水譬修菩薩道不得其要猶見乾土施功不已譬從乾慧地由漸而進轉見濕土喻歷聞般若遂漸至泥喻初聞法華然尚滯修習則於佛智水近之而已若夫脫然造其真源則妙湛圓發不勞功用視前所為皆滓濁矣經不言此者所謂引而不發使其自進盖無功用處不容言諭也。

> 高原で水を掘り求めるたとえは、菩薩の道を修める者がその要点をつかめず、まだ乾いた土を見ているようなものである。しかし努力を続けるうちに、乾いた智慧の地からしだいに進み、やがて湿った土を見るようになる。これは般若を聞き学んで次第に進むことをたとえている。さらに泥に至るのは、初めて法華を聞くことにたとえられる。とはいえ、まだ修行にとどまっているうちは、仏の智慧の水に近づいているにすぎない。もしひとかたならず真の源に到達すれば、妙なる清らかな智慧が円かに輝き出て、苦労して努力する必要もなくなる。それ以前の行いはすべて濁った澱のようなものだと見えてくる。経典がこのことを語らないのは、いわゆる弓を引きしぼっても矢を放たないように、修行者みずから進み行くのに任せるためである。おそらく、努力の不要な境地は言葉で説き明かすことができないからであろう。

菩薩亦如是若未聞未觧未能修習是法華經當知是人去阿耨多羅三藐三菩提尚遠若得聞觧思惟修習必知得近阿耨多羅三藐三菩提所以者何一切菩薩阿耨多羅三藐三菩提皆属此經。

> 菩薩も同じです。もし法華経を聞かず、理解せず、修行していなければ、その人は悟りからまだ遠いと言えます。しかし、法華経を聞いて理解し、よく考え、修行すれば、必ず悟りに近づいたと言えるのです。なぜなら、すべての菩薩の悟りは、この法華経に属しているからです。

佛果菩提皆属此經則未聞未觧安可得道。

> 仏の悟りも菩提も、すべてこの経典の中にあります。それを聞かず、理解しなければ、どうして道を歩めるでしょうか。

此經開方便門示真實相是法華經藏深固幽遠無人能到今佛教化成就菩薩而為開示。

> この経は方便の門を開いて真実の相を示す。これが法華経の蔵であり、深く固く、はるか遠くて、誰も到達できない。今、仏が教化して菩薩を成就させ、そのために開いて示されるのである。

開方便門猶鑿井也示真實相猶見水也法華經藏即眾生如來藏也於眾生則蘊在塵勞於菩薩則蘊在萬行於寶所則過乎五百由旬可謂深固幽遠也人無能到故唯菩薩可以開示。

> 方便の門を開くのは、井戸を掘るようなものであり、真実の相を示すのは、水を見るようなものである。法華経の蔵とは、すなわち衆生の如来蔵である。衆生においては煩悩の中に秘められ、菩薩においては万行の中に秘められ、宝の在所においては五百由旬を過ぎている。まことに深く固く、幽かに遠いと言える。人はそこに到ることができない。それゆえ、ただ菩薩だけが開き示すことができるのである。

藥王若有菩薩聞是法華經驚疑怖畏當知是為新發意菩薩若聲聞人聞是經驚疑怖畏當知是為增上慢者。

> 薬王よ、もし菩薩がこの法華経を聞いて驚き、疑い、恐れるなら、その者は新たに志を発した菩薩であると知りなさい。もし声聞の人がこの経を聞いて驚き、疑い、恐れるなら、その者は増上慢の者であると知りなさい。

大根有新發意小根有增上慢皆非機也。

> 大いなる素質の者は新たに悟りを求める心を起こし、小さい素質の者は慢心を増長させる。いずれも本当にふさわしい器ではない。

藥王若有善男子善女人如來滅後欲為四眾說是法華經者云何應說。

> 薬王よ、もし善男子・善女人が、如来の滅後において、四衆のためにこの法華経を説こうとするならば、どのように説くべきか。

先標次釋。

> まず見出しを示し、次に説明する。

是善男子善女人入如來室著如來衣坐如來座爾乃應為四眾廣說斯經如來室者一切眾生中大慈悲心是如來衣者柔和忍辱心是如來座者一切法空是安住是中然後以不懈怠心為諸菩薩及四眾廣說是法華經。

> 善い男子、善い女人が、如来の室に入り、如来の衣を着て、如来の座に座ってこそ、四衆のためにこの経を広く説くべきである。如来の室とは、一切の衆生に対する大いなる慈悲の心のことである。如来の衣とは、柔和で忍辱の心のことである。如来の座とは、一切の法が空であることである。これらのうちに安らかにとどまり、その後、怠りのない心をもって、もろもろの菩薩および四衆のために、この法華経を広く説きなさい。

夫說法教化之道必己有所處然後能安人己有所服然後能伏人己有所據然後能達人如來以慈悲為室柔忍為衣法空為座入慈悲室則己有所處也著柔忍衣則己有所服也坐法空座則己有所據也如此則具佛之體乃可廣說斯經苟未體此自無至正何以為人哉故曰安住是中然後以不懈怠廣說是法今夫據寶花座而聖讀庸行者宜深鑒乎此一切法空者非斷空也即一切法廓然了達之謂也。

> 法を説き教化する道は、まず自分自身が安らかなよりどころを持ってこそ、人を安んじることができます。まず自分に従うべきものがあってこそ、人を従わせることができます。まず自分によるべき基盤があってこそ、人を導くことができます。如来は慈悲を部屋とし、柔和と忍耐を衣とし、法の空を座とされました。慈悲の部屋に入るとは、自分に安らかなよりどころがあるということです。柔和と忍耐の衣をまとうとは、自分に従うべきものがあるということです。法の空の座にすわるとは、自分によるべき基盤があるということです。このようにして仏の本体をそなえてこそ、この経を広く説くことができるのです。もしこのことを体得していなければ、正しいよりどころもなく、どうして人のために説くことができましょうか。だから「この中に安住して、そして不懈怠にこの法を広く説け」と言うのです。いま宝の花の座にすわりながら、聖なる読経と凡庸な行いに甘んじている者は、よくよくこのことを見つめるべきです。一切法空とは、断滅の空ではなく、一切の法をありのままに広くはっきりと悟ることを言うのです。

藥王我於餘國遣化人為其集𦗟法眾亦遣化比丘比丘尼優婆塞優婆夷𦗟其說法是諸化人聞法信受隨順不逆若說法者在空閑處我時廣遣天鬼神乾闥婆阿修羅等聽其說法。

> 薬王よ、私は他の国々に化身の人々を遣わして、そのために法を聞く人々を集め、また化身の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして、その説法を聞かせる。これらの化身の人々は法を聞いて信じ受け入れ、素直に従い逆らうことはない。もし説法者が静かな場所にいるなら、その時私は多くの天・鬼神・乾闥婆・阿修羅などを遣わして、その説法を聞かせるのである。

此佛力變化讚揚大事也餘國則他方世界。

> これは仏の力による変化を讃える大切な教えであり、他の国とはすなわち他方の世界のことです。

我雖在異國時時令說法者得見我身若於此經忘失句逗我還為說令得具足。

> 私が異国にいても、常に法を説く者たちに私の姿を見せている。もしこの経典の句や区切りを忘れてしまったなら、私は再び説いて、完全に理解できるようにしよう。

在異國而令見所謂隱顯化眾生。

> 異国の地で、いわゆる隠れた姿と現れた姿で众生を導くのです。

爾時世尊欲重宣此義而說偈言。

> その時、世尊はこの教えの意味を改めて明確に示そうとして、次のように偈（うた）を説かれました。

欲捨諸懈怠 應當聽此經 是經難得聞信受者亦難

> 怠け心を捨てたいなら、この経典を聞くべきです。この経典は聞くことが難しく、信じて受け入れる人もまた難しいのです。

欲於正道易進而無懈者當依此為津要。

> 正道を歩みやすくし、怠ることなく進むためには、この教えを導きの要とすべきです。

如人渴須水 穿鑿於高原 猶見乾燥土知去水尚遠 漸見濕土泥 决定知近水藥王汝當知 如是諸人等 不聞法華經去佛智甚遠 若聞是深經 决了聲聞法是諸經之王 聞已諦思惟 當知此人等近於佛智慧

> 喉が渇いた人が水を求めて、高原を掘り進んでいく。まず乾いた土を見て、まだ水は遠いと知る。しだいに湿った土や泥を見て、きっと水が近いと確信する。 薬王よ、あなたは知るべきだ。このような人々は、法華経を聞いていないので、仏の智慧からはとても遠い。しかし、この深い経を聞き、声聞の法をはっきりと理解すれば、これはもろもろの経の王であるから、聞いた後に深く思惟すれば、これらの人々は仏の智慧に近づいていると知るべきである。

决了聲聞直入佛慧。

> 声聞の悟りを超越し、ただちに仏の智慧へと入ることを決めたのです。

若人說此經 應入如來室 著於如來衣而坐如來座 處眾無所畏 廣為分別說大慈悲為室 柔和忍辱衣 諸法空為座處此為說法 若說此經時 有人惡口罵加刀杖瓦石 念佛故應忍

> この経典を説く人は、如来の室に入り、如来の衣をまとい、如来の座に坐るべきです。人々の中にあって恐れることなく、広く詳しく説きなさい。 大きな慈悲が室であり、柔和で忍辱の衣であり、すべての法が空であることが座です。ここにいて法を説きなさい。 この経典を説くとき、悪口を言って罵る人や、刀や杖、瓦や石を投げつける人がいても、念佛のゆえに耐え忍びなさい。

以佛為念當忍諸惡所謂著如來衣。

> 仏を心に念じるとは、あらゆる悪を耐え忍ぶことです。いわゆる如来の衣をまとうということです。

我千萬億土 現淨堅固身 於無量億劫為眾生說法 若我滅度後 能說此經者我遣化四眾 比丘比丘尼 及清信士女供養於法師 引導諸眾生 集之令聽法若人欲加惡 刀杖及瓦石 則遣變化人為之作衛護 若說法之人 獨在空閑處寂寞無人聲 讀誦此經典 我爾時為現清淨光明身 若忘失章句 為說令通利若人具是德 或為四眾說 空處讀誦經皆得見我身 若人在空閑 我遣天龍王夜义鬼神等 為作聽法眾 是人樂說法分別無𦊱礙 諸佛護念故 能令大眾喜

> 私は千万億の国土に清らかで堅固な身を現し、 無量億劫のあいだ、すべての生きとし生けるもののために法を説きます。 もし私が滅度した後、この経を説く人があれば、 私は化身の四衆――比丘・比丘尼、および清らかな信をもつ在家の男女――を遣わし、 その法師を供養させ、多くの生きとし生けるものを導いて、 集めて法を聞かせます。 もし誰かが害を加えようとして、刀や杖、瓦や石を投げるなら、 私は変化の人を遣わしてこれを守らせます。 法を説く人がただ一人、静かな空き地にいて、 寂として人の声もなく、この経典を読誦するなら、 私はそのとき清浄な光明の身を現します。 もし章句を忘れ失うなら、それを説いて通じさせます。 もし人がこの徳を備え、あるいは四衆のために説き、 空き地で経を読誦するなら、 みな私の身を見ることができます。 もし人が静かなところにいれば、私は天龍王や 夜叉・鬼神たちを遣わして、法を聞く集まりとさせます。 この人は法を説くことを楽しみ、 分別することに妨げがなく、諸仏が護念してくださるから、 大いなる集まりを喜ばせることができます。

皆餘國遣化護助事也若人具是德謂具慈悲柔忍德也空處讀經得見我身者令於法空座行柔忍德使心空境寂則此中全身昭然可見是謂清淨光明身也若未具是德徒誦此經而欲以色相見我是行邪道。

> 他の国々から遣わされた化身が護り助けるという話です。人がこれらの徳を備えているなら、それは慈悲と柔軟な忍耐の徳を備えているということです。空の境地で経を読めば、私の姿を見ることができるというのは、法の空の座において柔軟な忍耐の徳を実践し、心を空にして対象を静寂ならしめれば、この中に全身がはっきりと現れるということです。これが清浄な光明の身と呼ばれるものです。もしこれらの徳を備えずに、ただこの経を唱えて色や形によって私を見ようとするなら、それは邪道を行くことになります。

若親近法師 速得菩薩道 隨順是師學得見恒沙佛

> もし法師に親しみ学べば、すみやかに菩薩の道を得る。この師に従い学べば、恒沙の仏に会うことができる。

恒沙諸佛全身在此。

> 数えきれないほどの仏様のすべてが、ここにいらっしゃいます。

## 妙法蓮華經要解卷第十

> 妙法蓮華経要解 巻第十