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長部経典 (長部經典)


二 沙門果經

第二章 沙門果経

一

一

如是我聞。爾時,世尊與千二百五十人之大比丘眾俱,住王舍城小兒醫師耆婆之菴羅園。其時,摩揭陀國王韋提希子阿闍世,於四月迦底迦之十五布薩日滿月之夜時,坐於殊勝之宮殿高樓,被諸大臣所圍繞。如是,摩揭陀國王韋提子阿闍世於布薩日,發感興而言:「嗯!真實可愛之明月夜!嗯!真實美麗之明月夜!嗯!真實和藹之明月夜!嗯!真實幸福之明月夜!今我等如何親近沙門、婆羅門,以親近能使我等之心得清淨愉悅耶?」

私はこのように聞きました。そのとき、世尊は千二百五十人の大比丘たちとともに、王舎城の小児医師耆婆の菴羅園におられました。

そのとき、摩掲陀国の王、韋提希の子である阿闍世は、四月の迦底迦の十五日、布薩の満月の夜、すばらしい宮殿の高楼に座り、多くの大臣たちに囲まれていました。そこで、摩掲陀国の王、韋提希の子である阿闍世は、布薩の日に、こう感興を込めて言いました。「ああ、なんとまことに愛らしい月の夜だろう。ああ、なんとまことに美しい月の夜だろう。ああ、なんとまことにやさしい月の夜だろう。ああ、なんとまことに幸せな月の夜だろう。さて、私たちはどのようにして沙門や婆羅門に親しみ、そのように親しむことで、私たちの心を清らかにし、喜ばせることができるだろうか。」

二

二

於此,有一大臣,對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有不蘭迦葉,彼是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人之尊敬,出家甚久,富有經驗之長老。大王親近彼不蘭迦葉,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是上奏,摩揭陀國王韋提希子阿闍世,默然〔不應〕。

そこで、一人の大臣が、マガダ国の王・韋提希(いだいし)の子である阿闍世(あじゃせ)にこう奏上しました。「大王さま。ここに不蘭迦葉(プラーナ・カッサパ)という者がおります。彼は僧伽の主であり、教団の指導者であり、一派の導師です。知恵深く、名声も高く、一派の開祖として人々の尊敬を集め、出家して久しく、経験豊かな長老でございます。大王さまが彼に近づかれれば、その縁によって大王さまの心は清らかになり、安らぐことでございましょう。」このように奏上されましたが、マガダ国の王・韋提希の子である阿闍世は、黙ったままでした。

三

さん

其時,其他之大臣,亦對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有末伽梨瞿舍利,是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人之尊敬,出家甚久,富有經驗之長老。大王!親近彼末伽梨瞿舍羅,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是上奏,摩揭陀國王韋提希子阿闍世默然〔不應〕。

そのとき、他の大臣たちもまた、マガダ国の王であるヴェーディヒーの子アジャータシャトルにこう申し上げました。「大王さま。ここにマッカリ・ゴーサーラという方がおられます。僧団の主であり、教団の指導者であり、一学派の導師です。広く深い知識を持ち、名声も非常に高く、一派の開祖として多くの人々の尊敬を集めておられます。出家されてからも長く、経験豊かな長老でいらっしゃいます。大王さま。どうかマッカリ・ゴーサーラに近づいてください。そうすることで、大王さまの心は清らかになり、喜びを得られるでしょう。」このように申し上げましたが、マガダ国の王ヴェーディヒーの子アジャータシャトルは、黙ったままでした。

四

四

其時,其他之大臣,亦對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有阿耆多翅舍欽婆羅,是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人所尊敬,出家甚久,富有經驗之長老。大王!親近阿耆多翅舍欽婆羅,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是奏上,摩揭陀國王韋提希子阿闍世默然〔不應〕。

そのとき、他の大臣たちもまた、マガダ国の王である韋提希(いだいけ)の子アジャータシャトルにこう申し上げました。「大王さま。ここにアジタ・ケーサカンバラという方がおられます。僧団の主であり、教団の指導者であり、一つの学派の師であり、知識が広く、名声も非常に高く、その学派の開祖として人々から敬われ、出家してからも長く、経験豊かな長老であります。大王さま。どうかアジタ・ケーサカンバラに近づいてください。その方に近づくことで、大王さまの心は清らかになり、喜びに満たされるでありましょう。」このように申し上げましたが、マガダ国の王である韋提希の子アジャータシャトルは、黙ったままでした。

五

五

其時,其他之大臣,亦對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有婆浮陀迦旃延那,是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人之尊敬,出家甚久,富有經驗之長老,大王!親近婆浮陀迦旃延那,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是奏上,摩揭陀國王韋提希子阿闍世默然〔不應〕。

その時、他の大臣たちもまた、摩掲陀国の王である韋提希子阿闍世にこう申し上げました。「大王さま。ここに婆浮陀迦旃延那という方がおられます。この方は僧伽の主であり、教団の首領であり、一派の導師であり、智識広く、名聞高く、一派の開祖として人々の尊敬を受けておられます。出家されて久しく、経験豊かな長老でいらっしゃいます。大王さま、どうか婆浮陀迦旃延那に親しんでください。そのように親しむことによって、大王さまの心は清らかになり、安らぐことでございましょう。」このように申し上げましたが、摩掲陀国の王である韋提希子阿闍世は、黙ったままでした。

六

六

其時,其他之大臣,亦對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有散若夷毘羅梨沸,是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人之尊敬,出家甚久,富有經驗之長老。大王!親近散若夷毘羅梨沸,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是奏上,摩揭陀國王韋提希子阿闍世默然〔不應〕。

そのとき、他の大臣たちもまた、摩揭陀国の王・韋提希の子アジャータシャトルにこう申し上げました。「大王さま。ここに散若夷毘羅梨沸という者がおります。この方は僧伽の主であり、教団の指導者であり、一つの流派の導き手であります。知識は広く深く、その名はたいへん高く知られ、一つの流派の開祖として人々の尊敬を集めております。出家してからも久しく、経験豊かな長老でございます。大王さま。どうか散若夷毘羅梨沸に近づいてください。その方に近づかれますれば、大王さまのお心は清らかになり、お喜びいただけることでございましょう。」そう申し上げましたが、摩揭陀国の王・韋提希の子アジャータシャトルは、黙ったままでした。

七

七

其時,其他之大臣,亦對摩揭陀國王韋提希子阿闍世奏言:「大王!茲有尼乾子,是僧伽之主,教團之首領,一派之導師,智識廣博,名聞甚高,為一派之開祖,受眾人之尊敬,出家甚久,富有經驗之長老。大王!親近尼乾子,由於親近彼,能使大王之心得清淨愉悅。」雖如是奏上,摩揭陀國王韋提希子阿闍世默然〔不應〕。

そのとき、他の大臣たちもまた、マガダ国の王である韋提希子アジャータシャトルにこう申し上げました。「大王さま。ここにニガンタ子という方がおられます。僧伽の主であり、教団の指導者であり、一派の導師であり、広く深い知識を持ち、名声もたいへん高く、一派の開祖として人々の尊敬を集め、出家して久しく、経験豊かな長老であります。大王さま。どうかニガンタ子に親しんでください。親しむことで、大王さまの心は清らかになり、喜びに満たされるでしょう。」しかし、このように申し上げても、マガダ国の王である韋提希子アジャータシャトルは黙ったままでした。

八

八

其時,小兒科醫師耆婆,離於摩揭陀國王韋提子阿闍世不遠處,默然而坐。如是摩揭陀國王韋提希子阿闍世言耆婆曰:

そのとき、小児科医の耆婆は、マガダ国の王、ヴェーディー妃の子アジャータシャトルのすぐ近くで、黙って座っていました。そこでマガダ国の王、ヴェーディー妃の子アジャータシャトルは、耆婆にこう言いました。

「汝,是忠誠予之耆婆!汝今何故默然耶?」

「あなたは、私に忠誠を尽くす耆婆ではありませんか。なぜ今、黙っているのですか。」

〔耆婆曰:〕「大王!茲有世尊、應供、等正覺者,與千二百五十人之大比丘眾俱,住我等之菴羅園。對世尊瞿曇起如是之稱譽:『彼世尊,實是應供、等正覺、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛陀、世尊。』大王!親近彼世尊,由於親近,能使大王之心得清淨愉悅。」

〔耆婆が申しました。〕「大王さま! ここに世尊、すなわち応供・等正覚の方が、千二百五十人の大比丘僧とともに、私たちの菴羅園に滞在しておられます。世尊ゴータマについて、このような称賛がささげられています。『かの世尊は、まさに応供であり、等正覚であり、明行足であり、善逝であり、世間解であり、無上士であり、調御丈夫であり、天人師であり、仏陀であり、世尊であります。』大王さま! どうかかの世尊に近づいてください。近づくことによって、大王さまの心は清らかになり、喜びに満たされます。」

〔大王曰:〕「然者,忠誠予之耆婆!預備眾乘!」

大王がおっしゃいました。「それならば、忠実な耆婆よ、多くの車を用意しなさい。」

九

九

小兒科醫師耆婆答王:「大王!如是。」以備五百牝象,及王自用之象乘,對王奏言:「大王!象乘已備,今思正舉措〔出發〕時。」

小児科医の耆婆(ぎば)が王に答えました。「大王、そのとおりです。」そして五百頭の雌象と、王ご自身がお乗りになる象の乗り物を用意して、王に申し上げました。「大王、象の乗り物の準備が整いました。今こそ出発の時です。」

其時,王,乘自己所乘之象乘,令彼等婦人各乘五百牝象,隨伴持炬者〔之照明〕,以大王之威嚴從王舍城出發,往小兒科醫師耆婆之菴羅園。

そのとき、王は自分の乗る象に乗り、それらの婦人たちをそれぞれ五百頭の牝象に乗せ、松明を持つ者たちの明かりに伴われて、大王の威厳をもって王舎城を出発し、小児科医耆婆の菴羅園へ向かいました。

一〇

十

如是至菴羅園不遠之處,摩揭陀國王韋提希子阿闍世,〔突然〕心生恐怖、戰慄、身毛豎立。充滿恐怖與敬愕而身毛豎立之摩揭陀國王韋提希子阿闍世言小兒科醫師耆婆曰:

そのようにして、菴羅園(あららおん)のほど近い場所まで来たとき、摩掲陀国(まかだこく)の王である韋提希(いだいき)の子・阿闍世(あじゃせ)は、突然、恐怖に襲われ、震え上がり、全身の毛が逆立ったのです。恐怖と驚きに満ち、身の毛もよだつ思いになった摩掲陀国の王、韋提希の子・阿闍世は、小児科医の耆婆(ぎば)にこう言いました。

「忠誠我之耆婆!汝非謀害我耶?忠誠我之耆婆!汝非欺騙我耶?忠誠我之耆婆!汝非從我交與怨敵耶?實有千二百五十人之大比丘眾,而無任何之音聲,亦絕無嚏、咳之音,如何得有〔可能〕耶?」

忠実なるわが耆婆よ、あなたは私を害しようとしているのではありませんか。忠実なるわが耆婆よ、あなたは私を欺いているのではありませんか。忠実なるわが耆婆よ、あなたは私を怨敵に引き渡そうとしているのではありませんか。千二百五十人もの大いなる比丘の集まりがありながら、まったく声もなく、くしゃみや咳の音さえも絶えてないなど、どうしてあり得るでしょうか。

「大王!勿恐怖!大王!臣非謀害君、非欺君、非從君交與怨敵。大王!前進,大王!前進。彼圓堂諸燈輝燃!」

大王、恐れないでください。大王、私はあなたを害そうとしているのではありません。あなたを欺いているのでも、あなたの敵に通じているのでもありません。大王、お進みください。大王、お進みください。あの円堂では、たくさんの灯りが輝いて燃えています。

一一

(一々)

如是摩揭陀國王韋提希子阿闍世,進行其象乘能至之處,即下象乘而行近圓堂之門前,詣已而言耆婆曰:

そこでマガダ国の王、韋提希(ヴェーデーヒー)の子である阿闍世(アジャータシャトル)は、象の乗り物で行けるところまで進み、そこから象の乗り物を降りて、円堂の門の前に歩み寄りました。そして、耆婆(ジーヴァカ)にこう言いました。

「忠誠我之耆婆!今,世尊在何處耶?」

「忠誠なるわが耆婆よ、今、世尊はどこにおられるのですか。」

「大王!世尊在彼處,大王!世尊近中央柱面東,向比丘眾而坐。」

大王さま。世尊はあちらにおられます。大王さま。世尊は中央の柱の近くで東を向き、比丘の集まりに向かって座っておられます。

一二

いち、に。

如是,摩揭陀國王韋提希子阿闍世詣世尊處,詣已,坐於一面。坐於一面已,摩揭陀國王韋提子阿闍世,面視比丘眾默然靜坐,恰如清澄之湖水,感興而言曰:「今比丘眾具如此之寂靜!予太子優陀夷跋陀亦願具此寂靜。」時,世尊告王曰:

まさにこのように、摩掲陀国の王、韋提希の子である阿闍世は、世尊のもとへ参りました。参りまして、一方の側に座りました。一方の側に座ってから、摩掲陀国の王、韋提希の子である阿闍世は、比丘たちの集まりが面と向かって黙して静かに座っているさまを、ちょうど澄み切った湖の水のように見て、感興を催してこう言いました。「今日、比丘たちの集まりはこのような寂静を備えています! わが太子ウダーイバッダも、この寂静を備えますように。」そのとき、世尊は王にこう告げました。

「大王!汝亦傾心於所好耶?」

「大王、あなたもお好きなものに心を傾けていらっしゃるのですか。」

「然,大德!予愛好太子優陀夷跋陀。今比丘眾具如是寂靜,予太子優陀夷跋陀亦願具之。」

「はい、大徳。私は太子ウダーイン・バッダを愛しております。今、比丘たちがこのような静けさを備えているように、私の太子ウダーイン・バッダもそれを備えることを願っております。」

一三

一三

如是,摩揭陀國王韋提希子阿闍世恭敬頂禮世尊,合掌禮拜比丘眾,坐於一面,坐於一面已,白世尊曰:

次のように、摩掲陀国の王・韋提希の子である阿闍世は、世尊を恭敬して頭を垂れ、比丘の僧団に合掌して礼をし、一方に座りました。一方に座ってから、世尊にこう申し上げました。

「大德!若世尊准許予質問者,予欲請問。」

「大徳よ、もし世尊が私の質問をお許しになるのなら、お尋ねしたいことがあります。」

「大王!隨卿之所欲問。」

「大王さま、どうぞお尋ねになりたいことをお聞きください。」

一四

十四

「大德!〔世間〕有種種技能職業〔者〕,如:調象師、調馬師、車術師、弓術師、軍旗手、元帥、戰士、高級武官、象力士、裝甲兵、奴隸出身者、廚師、理髮師、助浴者、製菓者、編髮者、漂白業、織師、製籠者、陶師、計算師、印相師。如是世間所知之種種技能職業者——彼等於現世,享受彼等技能職業之成果,以令自己安樂幸福,令父母安樂幸福,令妻子安樂幸福,令朋友安樂幸福。以此,向沙門、婆羅門行布施,得尊勝天界安隱之福報。大德!如是,得見沙門〔修行〕現世之果報耶?」

「大徳よ、世間にはさまざまな技能や職業があります。たとえば、象を調教する人、馬を調教する人、馬車の技術者、弓術師、軍旗手、元帥、戦士、高級武官、象の力士、装甲兵、奴隷出身の人、料理人、理髪師、入浴を手伝う人、菓子職人、髪を編む人、布を漂白する業、織物師、かごを作る人、陶工、計算師、印相師などです。このように世間で知られているさまざまな技能や職業に就く人々は、この現世でその技能や職業の成果を楽しみ、自分を安楽にし幸福にし、父母を安楽にし幸福にし、妻子を安楽にし幸福にし、友人を安楽にし幸福にしています。そしてまた、沙門や婆羅門に布施を行うことで、すぐれた天界の安らぎという福報を得ています。大徳よ、このように、沙門の修行による現世の果報を見ることができるのでしょうか。」

一五

十五

「大王!曾記憶以此質問其他之沙門、婆羅門否?」

「大王、かつてこの質問を他の沙門や婆羅門に尋ねたことを覚えておられますか。」

「然,大德!予記憶曾以此質問其他沙門、婆羅門。」

「はい、大徳よ。私は以前、他の沙門やバラモンにもこのことを質問したと記憶しています。」

「然者,若大王不介意者,請依彼等所答而述之。」

それでは大王、もしよろしければ、彼らの答えたとおりにお話しください。

「大德!我不介意於世尊或在坐如世尊者之處說此。」

「大徳よ、私は世尊に対しても、あるいはここにおられる世尊のような方々に対しても、このことを話すことを気にしません。」

「然,大王!請述之。」

「はい、大王。それでは申し上げましょう。」

一六

十六です。

「大德!時,我詣訪不蘭迦葉,詣已,與彼不蘭迦葉互相交談可感銘之語後,坐於一面。坐於一面已,我如是言彼曰:『迦葉!〔世間〕有種種技能職業〔者〕。如:調象師、調馬師、車術師、軍旗手、元帥、戰士、高級武官、象力士、裝甲兵、奴隸出身者、廚師、理髮師、助浴者、製菓者、漂白業、織師、製籠者、陶師、計算師、印相師。如是世間所知之種種技能職業者——彼等於現世,享受彼等技能職業之成果,以令自己安樂幸福,令父母安樂幸福,令妻子安樂幸福,令朋友安樂幸福。以此,向沙門、婆羅門行布施,得尊勝天界安穩之福報。迦葉!得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、私はかつて不蘭迦葉のもとを訪ねました。訪ねてから、彼と互いに心に残る言葉を交わし、一方に座りました。座ってから、私は彼にこう言いました。「迦葉よ、世間にはさまざまな技能や職業があります。たとえば、象を調教する人、馬を調教する人、馬車の技術者、軍旗手、元帥、戦士、高級武官、象の力士、装甲兵、奴隷出身の人、料理人、理髪師、入浴を助ける人、菓子を作る人、漂白業の人、織物師、籠を作る人、陶工、計算師、印相師などです。このように世間に知られるさまざまな技能や職業を持つ人々は、この現世でその技能や職業の成果を楽しみ、自分を安楽で幸福にし、父母を安楽で幸福にし、妻子を安楽で幸福にし、友人を安楽で幸福にしています。そして、沙門や婆羅門に布施をすることで、尊い天界の安穩な福報を得ることができます。迦葉よ、沙門の修行が現世で果報を得るのを見ることができますか。」

一七

一七

大德!如是問已,不蘭迦葉如次言我曰:『大王!實然,作者、令作者、斬人、令斬者、煎烤、令煎烤、悲惱、令悲惱、戰慄、令戰慄、令殺害生命、令取不與者、破墻串壁而入〔他家〕者、掠奪者、竊盜者、劫奪者、姦通他妻者、妄語者、〔自作教他作〕此等者,無犯何等罪惡。若有人以尖銳之利刀,將此地上之眾生,作為一肉聚、一肉堆者,由此因緣,無罪惡、亦無罪惡之果報。若彼於恒河之南岸,行殺戮、又令殺戮、斬人、令斬者、煎烤、令煎烤者,由此因緣,無罪惡、無罪惡之果報。若人於恒河之北岸,行布施、令布施、祭祀、令祭祀,由此因緣,無功德、無功德之果報。雖因布施、調御、禁戒、實語,由此因緣,無功德、無功德之果報。』

大徳よ、このようにお尋ねしたところ、プラナ・カッサパは私にこう言いました。

「大王よ、そのとおりです。殺す者、殺させ る者、切り裂く者、切り裂かせる者、焼く者、焼かせる者、悲しませる者、悲しませる者、震え上がらせる者、震え上がらせる者、生き物を殺す者、与えられないものを取る者、壁を破り塀を越えて〔他家に〕押し入る者、略奪する者、盗む者、強奪する者、他人の妻と通じる者、うそをつく者、〔自ら行い、また他人に行わせる〕このような者たちにも、いかなる罪もありません。たとえ誰かが鋭い利刀で、この地上の生きとし生けるものを一つの肉の塊、一つの肉の山にしてしまっても、そのことによって罪もなく、罪の報いもありません。もし彼がガンジス川の南岸で殺戮を行い、また殺させ、切り裂き、切り裂かせ、焼き、焼かせる者であっても、そのことによって罪もなく、罪の報いもありません。もし人がガンジス川の北岸で布施を行い、布施をさせ、祭祀を行い、祭祀をさせても、そのことによって功徳もなく、功徳の報いもありません。布施や調御や禁戒や真実を語ることによっても、そのことによって功徳もなく、功徳の報いもありません。」

一八

(十八)

大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,不蘭迦葉,而答非業〔無作用。〕大德!猶如,問菴羅樹之果實,而答以羅孛闍(麵包樹)果。問羅孛闍樹之果實,而答以菴羅樹果。大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,不蘭迦葉而答以非業。然,大德!我生起如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不訶責。不稱讚亦不訶責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、このように、沙門の修行が現世でどのような果報をもたらすのかと本当にお尋ねしたのに、不蘭迦葉は業ではないとお答えになりました。大徳よ、それはちょうど、マンゴーの木の実についてお尋ねしたのにパンの木の実でお答えし、パンの木の実についてお尋ねしたのにマンゴーの木の実でお答えするようなものです。大徳よ、このように、沙門の修行が現世でどのような果報をもたらすのかと本当にお尋ねしたのに、不蘭迦葉は業ではないとお答えになったのです。しかし、大徳よ、私は次のように思いまし た。『私のような者が、私の領内に住む沙門や婆羅門に対して、どうして不快な思いを抱くことがあろうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言葉を称賛もせず、非難もいたしませんでした。称賛もせず非難もせず、しかし私の心の内には大きな不満を抱き、不満の言葉を一切口にすることなく、静かに彼の話を聞き、敬意を払うことなく、座を立って出てまいりました。

一九

一九

大德!一時,我詣訪末伽梨瞿舍羅。詣已,與彼交談友誼之語後,坐於一面,坐於一面已,我如是言彼曰:『瞿舍羅!〔世間〕有種種技能職業者……〔詳如一六節〕,瞿舍羅!如是得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、あるとき、私は末伽梨瞿舎羅のもとを訪ねました。訪ねてから、彼と親しく挨拶を交わした後、一方に座りました。一方に座ってから、私は彼にこう言いました。『瞿舎羅よ、〔世間には〕さまざまな技能や職業がある者……〔詳しくは一六節のとおり〕、瞿舎羅よ、このようにして沙門〔修行〕の現世の果報を見ることができるのでしょうか。』

二〇

に〇

大德!如是問時,末伽梨瞿舍羅,如次言我曰:『大王!諸有情之雜染是無因無緣,無因無緣諸有情而雜染。諸有情之清淨是無因無緣,無因無緣諸有情而清淨。非自作、非他作、非餘人作,無力、無精進、無體力亦無氣力。一切之有情,一切之生物,一切之有類,一切之命者〔靈魂〕,無自在力、無力無精進,由〔自然〕之決定、結合、由自然之性質而互相變化,如是於六種階級感受苦樂。實於百四十萬種胎為首,及有六千六百種胎。有五百種業、五種業、三種業、一業、半業。有六十二種之道跡,六十二種之中劫,六種之階級,八種之人地。四千九百種生業、四千九百遊行者、四千九百龍住處,二千根、三千地獄、三十六塵界、七想胎、七無想胎、七節胎、七天、七人、七鬼、七池、七林、七百林、七崖、七百崖、七夢,有八百四十萬大劫;於此間,愚者、智者流轉輪迴已,為苦之終止。於此期間,謂實無:「我以戒行、苦行、梵行,令成熟未熟業,或忍受已熟業以作滅盡。」如是,實以斗定量苦、樂,輪迴有終限,無盛、衰,無增、減。猶如〔於高處執絲〕球,以擲下絲球,令解盡為止,愚者及智者,輪迴流轉已,當為苦之滅盡。』

大徳よ、このように問いましたとき、末伽梨瞿舎羅は次のように私に言いました。

「大王よ、すべての生きとし生けるものの汚れは、原因も条件もありません。原因も条件もなく、生きとし生けるものは汚れるのです。すべての生きとし生けるものの清らかさも、原因も条件もありません。原因も条件もなく、生きとし生けるものは清らかになるのです。これは自らなしたものではなく、他者がなしたものでもなく、他の人々がなしたものでもありません。力もなく、努力もなく、体力もなく、気力もありません。すべての生きとし生けるもの、すべての生物、すべての存在、すべての命あるものは、自在な力もなく、力もなく、努力もなく、自然の定めと結びつきと自然の性質によって互いに変化しながら、このように六つの階級で苦しみと楽しみを感じるのです。

実に、百四十万種の胎をはじめとし、六千六百種の胎があります。五百の業、五の業、三の業、一の業、半の業があります。六十二の道筋、六十二の中劫、六つの階級、八つの人の境地があります。四千九百の生業、四千九百の修行者、四千九百の龍の住処、二千の根、三千の地獄、三十六の塵の世界、七つの想いの胎、七つの想いのない胎、七つの節の胎、七つの天、七つの人、七つの鬼、七つの池、七つの林、七百の林、七つの崖、七百の崖、七つの夢があり、八百四十万の大劫があります。この間、愚かな者も賢い者も輪廻を巡り続けたのち、苦しみが終わるのです。この期間には、実にこう言われます――『私は戒めを行い、苦行を行い、清らかな行いによって、まだ熟していない業を熟させ、あるいはすでに熟した業に耐えて滅ぼし尽くす』と。このように、実に升で量るように苦しみと楽しみは定められ、輪廻には終わりがあり、盛んになることも衰えることもなく、増えることも減ることもありません。ちょうど、高いところから糸の玉を投げ下ろし、糸が解け尽きるまで転がるように、愚かな者も賢い者も輪廻を巡り続けたのち、苦しみが滅し尽くされるのです。」

二一

(二十一)

大德!如是問沙門〔修行〕現世之果報時,末伽梨瞿瞿舍羅,而答輪迴之淨化。大德!猶如問菴羅樹之果實,說明以羅孛闍果,問羅孛闍之果實,而答以菴羅果。大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,而答以輪迴之淨化。然,大德!我生如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不呵責。不稱讚亦不呵責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、このように沙門の修行の現世における果報を問うたとき、末伽梨瞿舎羅は輪廻の浄化を答えたのです。大徳よ、ちょうど菴羅樹の果実を問うたのに羅孛闍の果実で説明し、羅孛闍の果実を問うたのに菴羅の果実で答えるようなものです。大徳よ、このように、実に沙門の修行の現世における果報を問うたのに、輪廻の浄化を答えたのです。しかし、大徳よ、私は次のように思いました。『実に私のような者が、私の領内に住む沙門や婆羅門に対して、どうして不快に思うことがあろうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言説を称賛もせず、非難もいたしませんでした。称賛もせず非難もせず、しかし内心は非常に不満を抱きながらも、不満の言葉を一切口にせず、平静に彼の話を聞き、敬意を払うことなく、座を立って出てまいりました。

二二

(二十二)

大德!一時,我詣訪阿耆多翅舍欽婆羅。詣已,與彼交談友誼之語已,坐於一面,坐於一面已,我如次言彼曰:『阿耆多翅舍欽婆羅!〔世間〕有種種技能職業。……阿耆多翅舍欽婆羅!如是得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、あるとき、私はアジタ・ケーサカンバリンを訪ねました。訪ねてから、彼と親しみのある言葉を交わし、一方に座りました。一方に座ってから、私は次のように彼に言いました。「アジタ・ケーサカンバリンよ、〔世間には〕さまざまな技能や職業があります。……アジタ・ケーサカンバリンよ、このようにして沙門〔の修行〕の現世における果報を見ることができるでしょうか。」

二三

二、三

大德!如是問時,阿耆多翅舍欽婆羅,如次言我曰:『大王!無布施、無供牲、無祭祀,無善、惡業之異熟果,無今世、無他世,無父、無母、無化生之有情,世間無有沙門、婆羅門之正住正行、自知、證知今世他世。人由四大種而成,死即地歸還於地身、水歸還於水身、火歸還於火身、風歸還於風身,諸根移入於虛空。〔四〕人以擔架為第五,從屍體運往至火葬止,雖〔對死者言諸讚〕語,〔但被火化後〕,骨成鴿色,供物變為灰。布施之說,唯對愚者之所設;若說人〔死後〕之存在,此為無根之妄言而已。愚者及智者,身之死歿,即斷滅、消失,死後沒有任何物之存在。』

大徳よ、このようにお尋ねしたとき、アジタ・ケーサカンバリンは、次のように私に申しました。

「大王よ、布施もなく、供牲もなく、祭祀もなく、善悪の業の異熟果もなく、この世もなく、他世もなく、父もなく、母もなく、化生の有情もありません。世間に、正しく住し正しく行じ、みずから知り、この世と他世を証知した沙門・婆羅門は存在しません。人は四大種から成っており、死ねば地は地身に帰り、水は水身に帰り、火は火身に帰り、風は風身に帰り、諸根は虚空に移ります。人は担架を第五として、屍体を火葬の場まで運びます。死者に対して称賛の言葉を述べても、火に焼かれた後には、骨は鳩の色となり、供物は灰となります。布施の教えは、愚か者のためだけに設けられたものです。人が死後も存在するというなら、それは根拠のない虚言にすぎません。愚者も智者も、身体が死ねば断滅し、消え失せ、死後には何ものも存在しません。」

二四

二十四

大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,阿耆多翅舍欽婆羅,而答斷滅論。大德!猶如問菴羅樹之果實,而答以羅孛闍果;問羅孛闍樹之果實,而答以菴羅樹果。大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,阿耆多翅舍欽婆羅,而答以斷滅論。然,大德!我生起如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不呵責。不稱讚亦不呵責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、そのとおりです。沙門の修行が現世でどのような果報を受けるかとお尋ねしたのに、アジタ・ケーサカンバリンは断滅論を答えたのです。大徳よ、それはちょうど、マンゴーの木の実を尋ねたのに、ローヒタカの実で答えるようなものです。ローヒタカの木の実を尋ねたのに、マンゴーの実で答えるようなものです。大徳よ、そのとおり、沙門の修行が現世でどのような果報を受けるかとお尋ねしたのに、アジタ・ケーサカンバリンは断滅論で答えたのです。しかし、大徳よ、私は次のように思いまし��。『私のような者が、私の領内に住む沙門や婆羅門に対して、どうして不快な思いを抱くことがありましょうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言葉をほめることも、責めることもしませんでした。ほめることも責めることもせず、心の内には大きな不満を抱きながらも、不満の言葉を一切口にせず、静かに彼の話を聞き、敬意を払うことなく、座を立って出てまいりました。

二五

二十五

大德!一時,我詣訪婆浮陀迦旃延那。詣已,與彼交換友誼之語後,坐於一面,坐於一面已,我如是言彼曰:『婆浮陀迦旃延那!〔世間〕有種種職業者……〔詳如一六節〕……婆浮陀迦旃延那!如是得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、あるとき、私は婆浮陀迦旃延那のもとを訪ねました。訪ねてから、互いに親しみの言葉を交わした後、一方の側に座りました。一方の側に座ってから、私は彼にこう言いました。『婆浮陀迦旃延那よ、〔世間には〕さまざまな職業がある……〔詳しくは一六節のとおり〕……婆浮陀迦旃延那よ、このようにして沙門〔修行〕の現世における果報を見ることができるでしょうか。』

二六

にじゅうろく

大德!如是問時,婆浮陀迦旃延那,如次言我曰:『大王!此等七身,非能作、非所作、非能創造、非所創造,無能生產任何物,常住如山頂直立不動之石柱。此等不動搖、不轉變、無互相侵害、不導致互相苦樂、亦苦亦樂。是故無能殺者,亦無所殺者;無能聞者,無所聞者;無能識者亦無所識者。若人以利刀截斷他人之頭,無有何人奪何人之生命。唯刀劍揮過此七身之間隙而已。』

大徳よ、そのように問われたとき、婆浮陀迦旃延那は、次のように私に言いました。「大王よ、これら七つの身は、作るものではなく、作られるものでもなく、創造するものではなく、創造されるものでもありません。何ものも生み出すことができず、山の頂に立つ石柱のように常住で動きません。これらは揺れ動かず、変化せず、互いに害を与え合うこともなく、互いに苦や楽をもたらすこともなく、苦でもあり楽でもあります。ですから、殺す者もなく、殺される者もなく、聞く者もなく、聞かれる者もなく、識る者もなく、識られる者もありません。たとえ人が鋭い刀で他人の首を切り落としても、誰かが誰かの命を奪うことはありません。ただ刀剣がこれら七つの身の隙間を通過するだけです。」

二七

二十七。

大德!如是實問沙門〔修行〕現世之果報,婆浮陀迦旃延那,而答由異而異。大德!猶如問菴羅樹之果實,而答以羅孛闍果。大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,婆浮陀迦旃延那,而答由異而異。然,大德!我生起如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不呵責。不稱讚亦不呵責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、このように沙門の修行の現世における果報を実にお尋ねしたのに、婆浮陀迦旃延那は異なることをもって異なるものとしてお答えになりました。大徳よ、ちょうど庵羅樹の果実を尋ねたのに羅孛闍果をもってお答えになるようなものです。大徳よ、このように、沙門の修行の現世における果報を実にお尋ねしたのに、婆浮陀迦旃延那は異なることをもって異なるものとしてお答えになりました。しかし、大徳よ、私は次のような思いを生じました。『実に私のような者が、私の領内に住む沙門や婆羅門に対して、どうして不満や不快を抱くことがありましょうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言説を称賛もせず、呵責もいたしませんでした。称賛もせず呵責もせず、しかし内心は非常に不満を抱きながらも、不満の言葉を一切発することなく、平静に彼の説くところを聴き、これを敬うことなく、座を立って出てまいりました。

二八

二十八。

大德!一時,我詣訪尼乾子。詣已,與彼交換友誼之語後,坐於一面,坐於一面已,我如是言彼曰:『尼乾子!〔世間〕有種種職業者……〔詳如一六節〕……尼乾子!如是得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、あるとき、私はニガンタの子のもとを訪れました。訪れてから、彼と親しみの挨拶を交わした後、一方に座りました。一方に座ってから、私は彼にこう言いました。『ニガンタの子よ、〔世間には〕種々の職業に従事する者がいます……〔詳細は一六節のとおり〕……ニガンタの子よ、このようにして、沙門〔の修行〕が現世において果報を得るのを見ることができるでしょうか。』

二九

二十九

大德!如是問時,尼乾子,如次言我曰:『大王!尼乾子〔離繁者〕行四種防護禁戒。大王!尼乾子,如何行四種防護禁戒耶?大王!尼乾子,〔避〕一切水,以防(殺生之惡);以〔避〕一切水,控制(殺生之)〔惡〕;以〔避〕一切水,抖落〔惡〕;以〔避〕一切水觸,達〔制惡〕。大王!如是尼乾子行四種防護禁戒。大王!是故尼乾子被稱為心最高之自達、自抑制、自在者。』

大徳よ、私がそのように問いた時、ニガンタ子は次のように私に言いました。

「大王よ、ニガンタ子は四つの防護の戒を守っています。大王よ、ニガンタ子はどのように四つの防護の戒を守るのでしょうか。大王よ、ニガンタ子は、すべての水を避けることによって(殺生の悪を)防ぎ、すべての水を避けることによって(殺生の)悪を制し、すべての水を避けることによって悪を振り落とし、すべての水に触れることによって(悪を制する)ことに達します。大王よ、このようにニガンタ子は四つの防護の戒を守っています。大王よ、それゆえニガンタ子は、心の最高に自ら達し、自らを制し、自在なる者と呼ばれています。」

三〇

三十

大德!如是實問沙門〔修行〕現世之果報,尼乾子,而答以四種禁戒。大德!猶如問菴羅樹之果實,而答以羅孛闍果。大德!如是,實問沙門〔修行〕現世之果報,尼乾子而答以四種禁戒。然,大德!我生起如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不訶責。不稱讚亦不呵責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、サマナ(修行者)の現世における果報についてお尋ねしたのに、ニガンタの子は四つの禁戒を答えるばかりでした。大徳よ、これはちょうど、マンゴーの実について尋ねたのに、ローバジャの実を答えるようなものです。大徳よ、そのように、サマナの現世における果報についてお尋ねしたのに、ニガンタの子は四つの禁戒を答えるばかりでした。

しかし、大徳よ、私は次のように思いました。『私のような者が、自分の領内に住む沙門やバラモンに対して、どうして不愉快な思いを抱くことがあろうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言葉をほめることも、責めることもしませんでした。ほめることも責めることもせず、心の中では大きな不満を抱えながらも、不満の言葉を一切口にせず、静かに彼の話を聞き、敬意を払うことなく、座を立って出てまいりました。

三一

三一

大德!一時,我詣訪散若夷毘羅梨弗。詣已,與彼交換友誼之語後,坐於一面,坐於一面已。我如是言彼曰:『散若夷毘羅梨弗!〔世間〕有種種業者……〔詳如一六節〕……散若夷毘羅梨弗!如何得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』

大徳よ、ある時、私は散若夷毘羅梨弗のもとを訪ねました。訪ねてから、互いに親しみの言葉を交わした後、一方に座りました。一方に座ってから、私は彼にこう言いました。「散若夷毘羅梨弗よ、〔世間には〕さまざまな業を行う者たちがいます……〔詳しくは一六節のとおりです〕……散若夷毘羅梨弗よ、どのようにすれば沙門の〔修行による〕現世の果報を見ることができるのでしょうか。」

三二

(三二)

大德!如是問時,散若夷毘羅梨弗,如次言我曰:『汝若問我「他世有耶?」我若以為「他世有」者,當答汝「他世有。」然,我不如是想、不想如此、亦不想其他、不想非如此、亦不想非非如此。汝若問我:「他世無耶?」〔……乃至……〕「他世亦有亦無耶?」〔……乃至……〕「他世非有亦非無耶?」〔……乃至……〕。「有化生之有情耶?」〔……乃至……〕「無化生之有情耶?」〔……乃至……〕「化生之有情亦有亦無耶?」〔……乃至……〕「化生之有情非有亦非無耶?」〔……乃至……〕。「有善惡業之異熟果耶?」〔……乃至……〕「無善惡業之異熟果耶?」〔……乃至……〕「善惡業之異熟果亦有亦無耶?」〔……乃至……〕「善惡業之異熟果非有非無耶?」〔……乃至……〕。「如來死後存在耶?」〔……乃至……〕「如來死後非存在耶?」〔……乃至……〕「如來死後亦存在亦不存在耶?」〔……乃至……〕「如來死後非存在亦非不存在耶?」〔……乃至……〕。我若以為「如來死後非存在亦非不存在」者,我當答汝「如來死後非存在亦非不存在。」然,我不如是想、不想如此、亦不想其他、不想非如此、亦不想非非如此。』

大徳よ、そのように問われたとき、散若夷毘羅梨弗は、次のように私に言いました。

『あなたが私に「他世はあるか」と問うなら、私が「他世はある」と思うならば、あなたに「他世はある」と答えるでしょう。しかし、私はそのようには思いません。そのようには思わないとも思いません。他のようにも思いません。そのようでないとも思いません。そのようでないのでもないとも思いません。

あなたが私に「他世はないか」と問うなら……(中略)……「他世はあり、またなし」と問うなら……(中略)……「他世はあるのでもなく、ないのでもない」と問うなら……(中略)……。

「化生の有情はあるか」と問うなら……(中略)……「化生の有情はないか」と問うなら……(中略)……「化生の有情はあり、またなし」と問うなら……(中略)……「化生の有情はあるのでもなく、ないのでもない」と問うなら……(中略)……。

「善悪の業の異熟果はあるか」と問うなら……(中略)……「善悪の業の異熟果はないか」と問うなら……(中略)……「善悪の業の異熟果はあり、またなし」と問うなら……(中略)……「善悪の業の異熟果はあるのでもなく、ないのでもない」と問うなら……(中略)……。

「如来は死後も存在するか」と問うなら……(中略)……「如来は死後も存在しないか」と問うなら……(中略)……「如来は死後も存在し、また存在しないか」と問うなら……(中略)……「如来は死後も存在するのでもなく、存在しないのでもないか」と問うなら……(中略)……。

私が「如来は死後も存在するのでもなく、存在しないのでもない」と思うならば、あなたに「如来は死後も存在するのでもなく、存在しないのでもない」と答えるでしょう。しかし、私はそのようには思いません。そのようには思わないとも思いません。他のようにも思いません。そのようでないとも思いません。そのようでないのでもないとも思いません。』

三三

三三

大德!如是實問沙門〔修行〕現世之果報,散若夷毘羅利弗,答以矯亂〔如鰻〕論。大德!猶如問菴羅樹之果實,而答以羅孛闍果。然,大德!我生起如次之想念:『實如余者,對住我領內之沙門、婆羅門,應如何想與不愉快焉?』大德!是故我對彼之言說,不稱讚亦不呵責。不稱讚亦不呵責,而我內心甚抱不滿,不發任何不滿之言,平靜聽彼所說,不敬重此,起座而出。

大徳よ、このように沙門の修行の現世における果報を実に問うたのに、散若夷毘羅利弗は、うなぎのようにどっちつかずの論で答えました。大徳よ、それはちょうど、庵羅樹の果実を問うたのに、羅孛闍の果実で答えるようなものです。しかし、大徳よ、私は次のように思いが生じました。『私のような者が、自分の領内に住む沙門や婆羅門に対して、どうして不快な思いを抱くことがあろうか』と。大徳よ、それゆえ私は彼の言葉を称賛もせず、非難もしませんでした。称賛もせず非難もしないまま、しかし内心では非常に不満を抱き、不満の言葉を一切口にせず、平静に彼の話を聞き、敬意を払わずに座を立って出てまいりました。

三四

三と四。

大德!予對世尊問:『〔此世間〕有種種技能職業〔者〕,如:調象師、調馬師、車術師、弓術師、軍旗手、元帥、戰士、高級武官、象力士、裝甲兵、奴隸出身者、廚師、理髮師、助浴者、製菓者、編髮者、漂白業、織師、製籠者、陶師、計算師、印相師。如是世間所知之種種技能職業者——彼等於現世,享受彼等技能職業之成果,以令自己安樂幸福,令父母安樂幸福,令妻子安樂幸福,令朋友安樂幸福。以此,向沙門、婆羅門行布施,得尊勝天界安隱之福報。大德!如是,得見沙門〔修行〕現世之果報耶?』」

大徳よ、私は世尊にこうお尋ねしました。「この世には、さまざまな技能や職業があります。たとえば、象を調教する人、馬を調教する人、馬車の技術者、弓術の達人、軍旗を持つ人、元帥、戦士、高級武官、象使いの力士、装甲兵、奴隷の出身者、料理人、理髪師、入浴を助ける人、菓子作り、髪結い、漂白業、織物師、籠作り、陶工、計算師、占相師などです。このように、世に知られたさまざまな技能や職業に就く人々は、この現世でその技能や職業の成果を享受し、自分を安楽にし幸福にし、父母を安楽にし幸福にし、妻子を安楽にし幸福にし、友人を安楽にし幸福にしています。そして、沙門や婆羅門に布施を行うことで、すぐれた天界の安らぎという福報を得るとされています。大徳よ、このように、沙門の修行が現世で果報を得ることを、お示しいただけますか。」

〔世尊曰:〕「大王!我〔說此為〕可能。大王!我對此問卿,可隨汝所思而答之!

〔世尊がおっしゃいました。〕「大王よ、私はこれが可能であると申します。大王よ、このことについてあなたに伺いますので、思うままにお答えください。

三五

三十五位です。

大王!汝如何思惟耶?卿雇一奴僕,彼奉事於〔卿〕:晚睡早起、聽順卿之任何雜務、和顏悅色、言愛語、恭順可意之行為。彼如是思惟:『成熟其功德之果報,實希有哉!未曾有哉!此摩揭陀國王韋提希子阿闍世是人,我亦是人。然,此摩揭陀國王韋提希子阿闍世以具足持受五欲樂,想彼戲樂如神,我於此乃彼之奴僕,而奉事彼:晚睡早起,聽〔順王〕之任何雜務,和顏悅色、言愛語、恭順可意之行為。實彼我〔得為如此,〕乃彼我之福德。然,令我剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。』於彼而後,即剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。如是出家,彼防護身、口、意而住,以滿足最低限度之衣、食,樂於離世靜居。對彼,卿之諸臣奏言:『願大王有知,彼人乃大王之奴僕,以奉事〔大王〕:晚睡早起、聽順〔王〕之任何雜務、和顏悅色、言愛語、恭順可意之行為。大王!而後,彼剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。如是出家,彼防護身、口、意而住,以滿足最低限度之衣、食,樂於離世靜居。』彼時,卿能言:『令彼人還歸我處,再為奴僕,為我奉事,晚睡早起、聽順雜務、和顏悅色、言愛語、恭順可意之行為』耶?」

大王、どのようにお考えですか。あなたが一人の召使いを雇い、その者があなたに仕えていたとします。夜遅く寝て早く起き、どんな雑用でも素直に聞き、にこやかな顔で、優しい言葉をかけ、恭順で意にかなう行いをしていたとします。

その者はこう考えました。「功徳が熟して得られる果報は、なんと希有なことでしょう。未曾有なことでしょう。このマガダ国の王、韋提希の子アジャータシャトルは人であり、私もまた人です。しかし、このマガダ国の王、韋提希の子アジャータシャトルは五欲の楽しみを具足して受け、神のように遊び楽しんでいると聞きます。私はここで彼の奴僕として、彼に仕えています。夜遅く寝て早く起き、どんな雑用でも素直に聞き、にこやかな顔で、優しい言葉をかけ、恭順で意にかなう行いをしています。まことに、私がこのような状態にあるのは、私の福德によるものです。それでは、私は髭と髪を剃り、袈裟を身にまとい、家を捨てて出家しましょう。」

そしてその後、その者はすぐに髭と髪を剃り、袈裟を身にまとい、家を捨てて出家しました。こうして出家したその者は、身と口と意を守って暮らし、最低限の衣と食に満足し、世を離れた静かな暮らしを楽しんでいました。

そのとき、あなたの家臣たちがこう申し上げます。「大王、ご存じください。あの者は大王の奴僕であり、あなたに仕えておりました。夜遅く寝て早く起き、どんな雑用でも素直に聞き、にこやかな顔で、優しい言葉をかけ、恭順で意にかなう行いをしておりました。大王、しかしその後、その者は髭と髪を剃り、袈裟を身にまとい、家を捨てて出家しました。こうして出家したその者は、身と口と意を守って暮らし、最低限の衣と食に満足し、世を離れた静かな暮らしを楽しんでおります。」

そのとき、あなたはこう言うことができるでしょうか。「その者を私のもとへ連れ戻し、再び奴僕として、私に仕えさせよ。夜遅く寝て早く起き、雑用を素直に聞き、にこやかな顔で、優しい言葉をかけ、恭順で意にかなう行いをさせよ」と。

三六
〔王曰:〕「大德!不然,我等可向彼問訊、起迎,與座請坐。供彼衣、食、住宿及病之醫藥、用具,并如法保護、蓋護、守護彼。」

「大徳よ、そうではありません。私たちはその方に挨拶をし、立ち上がって迎え、席を勧めて座っていただくことができます。そして、衣・食・住む場所・病気のための薬や道具を差し上げ、法にかなったかたちで保護し、守り、見守ることができます。」

〔世尊曰:〕「大王!卿如何思惟耶?果然如是,得見沙門〔修行〕現世之果報,或不然耶?」

世尊はおっしゃいました。「大王よ、どのようにお考えになりますか。修行者に、この世でその修行の成果が現れるのをご覧になることは、やはりできるのでしょうか。それとも、できないのでしょうか。」

〔王曰:〕「大德!確實如是,得見沙門〔修行〕現世之果報。」

王が言いました。「大徳よ、まさにそのとおりです。沙門の修行によって、この現世でその果報を得ることができるのです。」

〔世尊曰:〕「大王!此是我所施設於沙門〔修行〕現世之第一果報。」

〔世尊はおっしゃいました。〕「大王よ、これが私が沙門〔の修行〕において説く、現世における第一の果報です。」

三七

三十七。

〔王曰:〕「大德!其他亦得有如是沙門〔修行〕現世果報之施設耶?」

「大徳さま、そのほかにも、沙門の修行が現世で果報を得ることを示す別の教えはありますか?」

〔世尊曰:〕「大王!能〔為〕之。大王!然,我對此問卿,可隨汝所思而答之。

世尊はおっしゃいました。「大王よ、それはできます。大王よ、しかし、私はこのことについてあなたにお尋ねしますから、あなたの思うままにお答えください。

大王!對此如何思惟?於此,卿有一農夫,彼從事家業,納〔王〕租稅,增益卿之財寶。一日,彼如是思惟:『希有哉!未曾有哉!此摩揭陀國王韋提希子阿闍世是人,我亦是人。然,此摩揭陀國王韋提希子阿闍世,持受具足五欲樂,想彼戲樂如神,我於此,乃彼之農夫,從事家業,納〔王〕租稅,增益彼之財寶。實彼我〔得為如此,〕乃彼我之福德。然,令我剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。』於彼而後,捨棄財產、親族,剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。如是出家,彼防護身、口、意而住,滿足最低限度之衣、食,樂於離世靜居。對彼,卿之諸臣奏言:『願大王有知,彼人乃大王之農夫,從事家業,納〔王〕租稅,增益大王之財寶。大王!而後彼剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。如是出家,彼防護身、口、意而住,滿足最低限度之衣、食,樂於離世靜居。』其時,卿能言:『令彼還歸我處,再為農夫,從事家業,以納租稅,增益我之財寶』耶?」

大王、これについてどうお考えですか。ここに、あなたの農夫が一人いて、家業に励み、あなたに租税を納め、あなたの財宝を増やしていたとします。ある日、彼はこう思いました。『なんと稀なことか。なんと未曾有のことか。この摩揭陀国の王、韋提希子アジャータシャトルは人であり、私もまた人である。しかし、この摩揭陀国の王、韋提希子アジャータシャトルは、五欲の楽しみを十分に受け、神のように戯れ楽しんでおられる。私はというと、彼の農夫であり、家業に励み、租税を納め、彼の財宝を増やしている。実に、私がこのような境遇にあるのも、彼がこのような境遇にあるのも、それぞれの福德によるものです。では、私は鬚髪を剃り、袈裟を着けて、家を捨てて出家し、無家の者となりましょう。』そして彼は、財産や親族を捨て、鬚髪を剃り、袈裟を着けて、家を捨てて出家し、無家の者となりました。こうして出家した彼は、身と口と意を守って暮らし、最低限の衣と食に満足し、世を離れた静かな暮らしを楽しんでいます。彼について、あなたの大臣たちがこう奏上したとします。『大王、ご存知ください。あの者は大王の農夫であり、家業に励み、大王に租税を納め、大王の財宝を増やしておりました。大王、その後、彼は鬚髪を剃り、袈裟を着けて、家を捨てて出家し、無家の者となりました。こうして出家した彼は、身と口と意を守って暮らし、最低限の衣と食に満足し、世を離れた静かな暮らしを楽しんでおります。』そのとき、あなたはこうお命じになることができますか。『あの者を私のもとへ連れ戻し、再び農夫として家業に励ませ、租税を納めさせ、私の財宝を増やさせよ』と。」

三八

三十八

〔王曰:〕「大德!不然。我等可向彼問訊,起迎,與座請坐,供彼衣、食、住宿及病之醫藥、用具,并如法保護、蓋護、守護彼。」

「大王よ、そうではありません。私たちはその方に挨拶をし、迎えの礼をとり、座を勧めてお掛けいただき、衣・食・住まい・病のための薬や道具を差し上げ、法にかなったかたちで守り、かばい、護るべきです。」

〔世尊曰:〕「卿如何思惟耶?果然如是,得見沙門〔修行〕現世之果報,或不然耶?」

〔世尊はおっしゃいました。〕「あなたはどう思いますか。本当にそのように、修行者として生きることで現世の果報を見ることができるのでしょうか、それともできないのでしょうか。」

〔王曰:〕「大德!確實如是,得見沙門〔修行〕現世之果報。」

王が言いました。「大徳よ、まさにそのとおりです。沙門の修行によって、この現世でその果報を得ることができるのです。」

〔世尊曰:〕「大王!此實我所施設於沙門〔修行〕現世之第二果報。」

[世尊がおっしゃいました。]「大王よ、これこそ、私が沙門の修行において説いた、この世での第二の果報なのです。」

三九

三十九

〔王曰:〕「大德!此兩種以外,更有如是沙門〔修行〕現世果報微妙殊勝之施設耶?」

〔王が言いました。〕「大徳よ、この二つ以外に、さらにこのような沙門の修行が現世で得る果報が、微妙で殊勝であるという教えがございますか。」

〔世尊曰:〕「大王!能〔為〕之。然,大王!諦聽善思念之,我當說。」

〔世尊はおっしゃいました。〕「大王よ、できます。ただし、大王よ、よく聴き、よく心に留めてください。これからお話ししましょう。」

摩揭陀國王韋提希子阿闍世答世尊曰:「如是,世尊!」

マガダ国王・韋提希(いだいけ)の子である阿闍世(あじゃせ)は、世尊にこうお答えしました。「そのとおりでございます、世尊。」

世尊如次曰:

世尊は次のようにおっしゃいました。

四〇

四十

「大王!如來出現於世,是應供、等正覺、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫,天人師、佛、世尊。如來是含括天界、魔界、梵天界、此世界、沙門、婆羅門、天、人之眾〔生〕,開示自己之證悟。如來宣說初善、中善、後亦善,具足文義之教法及無比圓滿清淨之梵行。

大王よ、如来が世に現れるのは、応供、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊としてです。如来は、天界、魔界、梵天界、この世界、沙門、婆羅門、天、人のすべての生けるものに、ご自身の証悟を開き示されます。如来は、初めも善く、中も善く、後も善く、文と義を具えた教えと、比類なく円満で清らかな梵行を説かれます。

四一

四一

居士或居士子,或其他族姓子,聽聞如來之教法;聽聞此法已,對如來得信仰,而彼如是熟慮:『在家多障礙、塵道,出家之生活是自由自在。住在家者,不容易一向修圓滿清淨如螺細光耀之梵行。然,即令我剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。』而後,彼捨棄財產及親族,剃除鬚髮,著袈裟衣,出家而為無家者。

在家の居士や居士の子、あるいは他の氏族の子が、如来の教えを聞きます。この教えを聞いたあと、如来に信を抱き、こう深く考えます。「在家の生活には多くの妨げや塵があり、出家の生活は自由で束縛がありません。在家のままでいる者は、螺貝のように細やかで光り輝く清らかな梵行を、どこまでも完全に修めることは容易ではありません。それならば、私は鬚と髪を剃り、袈裟を身に着け、家を捨てて出家し、家なき者となりましょう。」そして彼は、財産や親族を捨て、鬚と髪を剃り、袈裟を身に着け、家を捨てて出家し、家なき者となります。

四二
如是出家,依波羅提木叉之禁戒,持戒而住,精勤於正行,見小罪亦恐怖,受學處而修學。具足清淨之身業語業,過清淨生活,戒具足,守護諸根門,圓滿具足正念正智。

このように出家し、波羅提木叉の戒めに従い、戒を守って暮らし、正しい行いにはげみ、小さな罪でも恐れを抱き、学ぶべき教えを受けて学びます。清らかな身の行いと言葉の行いを備え、清らかな生活を送り、戒を十分に保ち、諸々の感覚の扉を守り、正念と正智を円満に備えています。

四三

四十三

大王!如何為比丘戒具足耶?大王!於此有比丘,捨殺生,離殺生,不用刃、杖,有羞恥之念,充足慈悲心,憐愍利益一切生物、友善而住。此為比丘戒之一份。

大王様、どのようにして比丘の戒が完全になるのでしょうか。大王様、ここに比丘がおり、殺生を捨て、殺生から離れ、刃や杖を用いず、恥じる心を持ち、慈悲の心に満ち、すべての生き物をあわれみ、利益を与え、友好的に暮らしています。これが比丘の戒の一部です。

捨不與取,離不與取,取所與物,期望所與,無何等之盜心,自清淨而住。此為比丘戒之一份。

与えられていないものを捨て、与えられていないものを取らず、与えられたものだけを受け取り、与えられたものを期待し、少しも盗む心がなく、自ら清らかに暮らします。これが比丘の戒の一つです。

捨非梵行而修梵行,離染污濁,離淫欲法。此為比丘戒之一份。

非梵行を捨てて梵行を修め、汚れを離れ、淫欲の法を離れること。これは比丘の戒の一つです。

四四

四四

沙門瞿曇捨妄語、離妄語,語真實、不外真實,誠實可信賴,不欺世間,此為比丘戒之一份。

沙門ゴータマは、うそをつくことを捨て、うそをつくことから離れ、真実を語り、真実に背かず、誠実で信頼でき、世間を欺きません。これは比丘の戒の一つです。

捨兩舌,離兩舌,不此處聞往彼處告以離間此等諸人,亦不彼處聞來此處告以離間此等之諸人。如是和合離間者,親密者更令親密,愛和合、好和合、喜和合、持和合。此為比丘戒之一份。

二枚舌を捨て、二枚舌を離れ、ここで聞いたことをあちらへ行って告げ、これらの人々を仲違いさせるようなことはしません。また、あちらで聞いたことをこちらへ来て告げ、これらの人々を仲違いさせるようなこともいたしません。このように、和合している者にはさらに和合を促し、親密な者にはさらに親密を深め、和合を愛し、和合を好み、和合を喜び、和合を保ちます。これが比丘の戒の一つです。

捨惡口,離惡口,凡語無過失、樂耳、悅意、感銘、眾人所愛。此為比丘戒之一份。

悪口を捨て、悪口から離れ、すべての言葉に過ちがなく、耳に心地よく、心を喜ばせ、人を感動させ、多くの人に愛されるようにします。これは比丘の戒の一つです。

捨綺語,離綺語,語適時,語真實,語法,語義,語律儀,語應明確、有段落、適義、可銘記於心。此為比丘戒之一份。

無駄話を捨て、無駄話から離れ、時にふさわしい言葉を語り、真実の言葉を語り、法の言葉を語り、意味のある言葉を語り、律儀にかなった言葉を語り、明確で、まとまりがあり、意味にふさわしく、心に留められる言葉を語ること。これは比丘の戒の一つです。

四五

四と五。

離採伐諸種之植物,〔日中〕一食,夜不食,離非時食;遠離觀劇、歌謠、舞、樂之娛樂;離持華鬘、香料、塗香之化裝;離使用高牀、大牀;遠離受蓄金銀;遠離受生穀物;遠離受生肉;遠離受婦人、少女;遠離受男、女之奴僕;遠離受牝牡之山羊;遠離受雞、豬;遠離受象、牛牝牡之馬;遠離受耕田荒地;遠離差使、仲介所為之事;遠離買賣;遠離欺瞞秤、升、尺〔之計量;〕遠離賄賂、詐欺、虛偽之邪行;遠離傷害、殺戮、捕縛、劫奪、竊盜,強盜。此為比丘戒之一份。

採伐してはならない諸種の植物を離れ、〔日中〕一食にして、夜には食さず、非時食を離れます。観劇・歌謡・舞・音楽の娯楽から遠ざかり、華鬘・香料・塗香の化粧を離れ、高牀・大牀の使用を離れます。金銀を受け蓄えることから遠ざかり、生の穀物を受けることから遠ざかり、生の肉を受けることから遠ざかり、婦人や少女を受けることから遠ざかり、男や女の奴僕を受けることから遠ざかり、雌雄の山羊を受けることから遠ざかり、鶏や豚を受けることから遠ざかり、象・牛・雌雄の馬を受けることから遠ざかり、耕田や荒地を受けることから遠ざかります。使者や仲介の仕事から遠ざかり、売買から遠ざかり、秤・升・尺を欺く計量から遠ざかり、賄賂・詐欺・虚偽の邪行から遠ざかり、傷害・殺戮・捕縛・劫奪・窃盗・強盗から遠ざかります。これが比丘の戒の一部です。

四六

四六

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於採伐諸種植、樹木,例如從根生、從幹生、從節生、從芽生、第五為從種子生者。遠離如是諸種植、樹木之採伐。此為比丘成之一份。

食べ物の施しを受けて生活している修行者や祭司の中には、草や木を伐採することに専念している人がいます。たとえば、根から生えるもの、幹から生えるもの、節から生えるもの、芽から生えるもの、そして五番目に種子から生えるものです。修行者はそのような草や木の伐採から離れています。これが修行者の戒律の一つです。

四七

四七

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於享樂積蓄物,例如食物之積蓄、飲物之積蓄、乘具之積蓄、衣服之積蓄、臥具之積蓄、香類之積蓄、財物之積蓄等。遠離如是享樂積蓄物。此為比丘戒之一分。

托鉢で信者から施しを受けて暮らしながら、食べ物や飲み物、乗り物、衣服、寝具、香、財産などをため込んで楽しむことに専念する修行者やバラモンがいます。そのような蓄財の楽しみから離れること、これが比丘の戒の一つです。

四八

四八

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於觀〔聽〕娛樂。例如觀劇、歌謠、舞樂、表演、古譚、手鈴、鳴鉢、銅鑼、摩術奇境、賤人之竹棒戲、象、馬、水牛、牡牛、山牛、山羊、牡羊、雞鶉之鬥技、棒擊、拳鬥、角力、模擬戰、列兵、配兵、閱兵等之娛樂。遠離如是等巡迴演藝之娛樂物。此亦為比丘戒之一份。

修行者は、在家の人々から施された食べ物によって生活しながら、もっぱら見たり聞いたりする娯楽に心を向けてはなりません。たとえば、芝居や歌謡、舞楽、芸能、昔話、手鈴、鉢を鳴らすこと、銅鑼、奇術、賤しい人の竹棒芸、象・馬・水牛・牡牛・山牛・山羊・牡羊・鶏やウズラの闘技、棒で打つ遊び、拳闘、角力、模擬戦、兵の整列、兵の配置、閲兵などの娯楽です。このような巡業芸能の娯楽から遠く離れること、これもまた比丘の戒の一つです。

四九

四九

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心耽住於賭博之放逸處。例如八目碁、十目碁、無盤碁、踢石、擲骰、棒打、占手痕、拋球、葉笛、鋤戲、倒立、風車戲、升戲、車戲、弓戲、字戲、測意戲、模擬殘傷戲等。遠離如是等之賭博放逸處。此亦為比丘戒之一份。

ある修行者や祭司たちは、信者から施された食べ物で生活しながら、賭け事のような怠けた遊びに夢中になっています。たとえば、八目碁、十目碁、盤のない碁、石蹴り、さいころ賭博、棒打ち、手の跡当て、毬投げ、葉笛、鍬遊び、逆立ち、風車遊び、升遊び、車遊び、弓遊び、字遊び、心当て遊び、けがのまねごと遊びなどです。こうした賭け事の怠けた遊びから遠ざかること、これもまた修行者の戒めの一つです。

五〇

五十

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於享用高牀、大牀等。例如過大之牀座、獸形之脚臺、覆以長羊毛之織物、有文彩之白氈、繡花圖繪之牀墊、於兩邊有垂緣、單側有垂緣、鏤綴寶石、絹布之被蓋、大毛氈、象覆、馬褂、車衣、羚羊皮、迦達利鹿皮之殊勝敷物、寶蓋、上下之紅枕等。遠離享用如是等之高牀、大牀。此亦為比丘戒之一份。

ある修行者やバラモンの中には、信者の施しを受けて暮らしながら、高い寝台や大きな寝台などを使うことに専念している人たちがいます。たとえば、大きすぎる寝台や座、獣の形をした脚の台、長い羊毛の織物をかけたもの、文様のある白い毛氈、花の刺繍を施した寝具、両側に垂れ飾りのあるもの、片側だけに垂れ飾りのあるもの、宝石をちりばめたもの、絹の布団、大きな毛氈、象の覆い、馬の衣、車の覆い、羚羊の皮、カダリ鹿の皮を使った特別な敷物、宝の傘、上下に赤い枕を備えたものなどです。こうした高い寝台や大きな寝台を使うことを遠ざけること、これもまた比丘の戒の一つです。

五一

五月一日。

有某沙門、婆羅門,受食信施而生活,專心住於裝飾之放逸處。例如塗身、按摩、沐浴、鏡、眼塗〔色〕料、華蔓、塗香、臉粉、面油、手環、髮飾、手杖、藥袋、刀劍、蓋傘、彩履、頭巾、寶珠、拂塵、白衣、長袖等。遠離如是等任何裝飾之放逸處。此亦為比丘戒之一份。

食べ物の布施を受けて暮らしながら、身を飾ることだけに心を奪われている修行者や祭司がいます。たとえば、体に香油を塗ること、マッサージ、入浴、鏡、目の化粧、花飾り、香を塗ること、顔の粉、顔の油、腕輪、髪飾り、杖、薬入れ、刀や剣、傘、色とりどりの履物、頭巾、宝珠、払子、白い衣、長い袖の衣などです。このような飾りの放逸からは遠ざかっています。これもまた、比丘の戒の一つです。

五二

五二

有某沙門、婆羅門、受食信施而生活。專心住於無益徒勞之論。例如王論、盜賊論、大臣論、軍兵論、恐怖論、戰爭論、食物論、飲料論、衣服論、臥具論、華鬘論、香料論、親族論、乘具論、村里論、鄉鎮論、都市論、國土論、婦女論、英雄論、路邊論、井邊風傳論、祖先論、種性論,世界起源論、海洋起源論、如是有無之論等。遠離如是等無益徒勞之論。此亦為比丘戒之一份。

ある沙門や婆羅門は、信施の食べ物を受けて生活しながら、無益で徒労な論議に専念して住んでいます。たとえば、王の論、盗賊の論、大臣の論、軍兵の論、恐怖の論、戦争の論、食物の論、飲料の論、衣服の論、臥具の論、華鬘の論、香料の論、親族の論、乗具の論、村里の論、郷鎮の論、都市の論、国土の論、婦女の論、英雄の論、路辺の論、井戸端の風聞の論、祖先の論、種性の論、世界の起源の論、海洋の起源の論、このような有無の論などです。このような無益で徒労な論議から遠ざかっています。これもまた比丘の戒の一部です。

五三

五三

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於諍論。例如『汝不知此法、律、我知此法、律,汝如何知此法、律耶?』『汝是邪行者,我是正行者。』『我言〔前後〕相應,汝言不相應。』『汝應言於前者而言於後,應言於後者而言於前。』『汝無細慮而〔自〕言返復。』『汝之立論,墮於負處。』『為解汝負說而尋思,若能者即自解!』遠離如是等任何諍論。此亦為比丘戒之一份。

また、ある修行者やバラモンたちは、信者の施しを受けて生活しながら、ひたすら論争に明け暮れています。たとえば、「あなたはこの法や戒律を知らないが、私は知っている。あなたにどうしてこの法や戒律がわかるだろうか」「あなたは邪な行いをしており、私は正しい行いをしている」「私の言葉は筋が通っているが、あなたの言葉は筋が通っていない」「前で言うべきことを後で言い、後で言うべきことを前で言っている」「あなたはよく考えもせずに、いいかげんなことを言っている」「あなたの議論は破綻している」「あなたの負けを認めさせるために、よく考えてみなさい。できれば自分で答えなさい」といった論争です。このようなあらゆる論争から離れること。これもまた、修行者として守るべき戒めの一つです。

五四
有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。專心住於差使者、傳信之行作。例如國王、大臣、剎帝利、婆羅門、居士、童子〔令〕:『汝來此處、往彼處,汝來持此、持此往彼。』遠離如是任何使者、傳信之行為。此亦比丘戒之一份。

托鉢で信者の施しを受けて生活しながら、使者や伝令として働く沙門や婆羅門がいます。たとえば、国王、大臣、武士、バラモン、在家の信者、若者たちに「ここへ来て、あそこへ行きなさい」「これを持って来て、あそこへ持って行きなさい」と命じられるままに働くことです。このような使者や伝令の務めからは、遠く離れていなければなりません。これもまた、比丘の戒の一つです。

五五

五五

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。而於欺瞞、饒諛騙詐。遠離如是饒諛騙詐。此亦為比丘戒之一份。

また、ある修行者やバラモンたちは、信心から施された食べ物を受けながら生活しています。しかし、だましやへつらい、ごまかしを行うことはありません。このようへつらいやごまかしから遠ざかることも、修行者の戒めの一つです。

五六

五十六

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等依無益徒勞之橫明(畜生)而過邪命生活。例如占卜手足之相、占前兆〔吉凶〕、占夢、占體〔全身〕相、占鼠所咬、火護摩、杓子護摩、穀皮護摩、糠護摩、米護摩、熟酥護摩、油護摩、口護摩、血護摩、肢節明、宅地明、剎帝利明、濕婆明、鬼神明、地明、蛇明、毒藥明、蝎明、鼠明、鳥明、鴉明、命數豫言、防箭咒、解獸聲法等。遠離如是等任何無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信者の施しを受けて生活しています。そうした人々は、意味のないむだな畜生明によって、正しくない暮らしをしています。たとえば、手足の相を占うこと、前兆の吉凶を占うこと、夢を占うこと、体の相を占うこと、鼠にかまれた跡を占うこと、火の護摩、杓子の護摩、穀皮の護摩、糠の護摩、米の護摩、熟酥の護摩、油の護摩、口の護摩、血の護摩、肢節明、宅地明、刹帝利明、湿婆明、鬼神明、地明、蛇明、毒薬明、蝎明、鼠明、鳥明、鴉明、命数を予言すること、矢を防ぐ呪、獣の声を解する法などです。このような、あらゆる意味のないむだな畜生明から遠く離れています。これもまた、比丘の戒の一つです。

五七

ごしち

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。〔彼等依無益徒勞之橫明而過邪命生活。〕例如占珠相、杖相、衣服相、劍相、矢相、弓相、武器相、婦人相、丈夫相、童子相、童女相、象相、馬相、水牛相、牡牛相、山羊相、羊相、雞相、鶉相、蜥蜴相、耳環相、龜甲相、獸相等。遠離如是無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信施の食べ物を受けて生活しています。〔彼らは無益でむだな占いによって邪命の生活を送っています。〕たとえば、珠の相、杖の相、衣服の相、剣の相、矢の相、弓の相、武器の相、婦人の相、丈夫の相、童子の相、童女の相、象の相、馬の相、水牛の相、牡牛の相、山羊の相、羊の相、鶏の相、鶉の相、蜥蜴の相、耳環の相、亀甲の相、獣の相などを占うことです。このような無益でむだな占いから遠く離れています。これもまた比丘の戒の一つです。

五八

五八

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等以占無益徒勞之橫明以過邪命生活。例如占『王應進軍、王不應進軍。』『內部諸王當迫進、外部諸王當退卻。』『外部諸王當迫進、內部諸王將退卻。』『內部諸王當勝利、外部諸王將敗退。』『外部諸王當勝利、內部諸王將敗退。』『此人當勝利、此人將敗退。』遠離如是等無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信じる人々からの施しを受けて生活しています。しかし、彼らは無益でむだな占いによって、正しくない生活を送っています。たとえば、「王は進軍すべきだ、王は進軍すべきではない」「内側の王たちは迫り、外側の王たちは退く」「外側の王たちは迫り、内側の王たちは退く」「内側の王たちは勝ち、外側の王たちは敗れる」「外側の王たちは勝ち、内側の王たちは敗れる」「この人は勝ち、この人は敗れる」などと占うことです。このような無益でむだな占いから遠く離れること、これもまた比丘の戒の一つです。

五九

五九

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等以占無益徒勞之橫明過邪命生活。例如占:『應有月蝕、應有日蝕、應有星蝕、日月應行正道、諸星宿應行正道、諸星宿應行非道,流星應隕落、應有天火、應有地震、天鼓將鳴、應有日月星宿之昇沈明暗。如是之果報,應有月蝕……〔乃至〕……如是之果報,應有日月星宿之昇沈明暗。』遠離如是無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある修行者や祭司たちは、施しを受けて生活しながら、意味のない占いによって不正な生計を立てています。たとえば、「月食があるだろう、日食があるだろう、星食があるだろう、太陽と月は正しい道を行くだろう、星々は正しい道を行くだろう、星々は誤った道を行くだろう、流星が落ちるだろう、天の火があるだろう、地震があるだろう、天の太鼓が鳴るだろう、太陽・月・星の昇り沈みや明暗があるだろう。このような結果として、月食があるだろう……(中略)……このような結果として、太陽・月・星の昇り沈みや明暗があるだろう」と占うことです。このような意味のない占いから遠く離れています。これもまた、修行者が守る戒めの一部です。

六〇

六十

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等以占無益徒勞之橫明過邪命生活。例如占:『應有多雨、應無雨、應有豐收、應無收穫、應來太平、應無恐怖、應有疫病、應有健康。』〔並占〕記號、計算吉凶數、作詩、順世論等。遠離如是任何無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信者の施しを受けて生活しています。しかし、そうした無駄で役に立たない占いによって、邪(よこしま)な生活をしている者たちがいます。たとえば、「雨が多く降るだろう」「雨は降らないだろう」「豊作になるだろう」「不作になるだろう」「平和が訪れるだろう」「恐怖はないだろう」「疫病が流行るだろう」「健康であろう」などと占います。また、印やしるしを読み、吉凶の数を計算し、詩を作り、世間の論を唱えることなどもします。こうした無駄で役に立たない占いは、すべて遠ざけなければなりません。これもまた、比丘の戒の一つです。

六一
又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等以占無益徒勞之橫明過邪命生活。例如占:娶、嫁、和睦分裂、貸入、貸出、〔以咒術令〕開運、遇禍、墮胎、啞口、不能言、〔舉手〕不下、耳聾、問鏡、問童女、問天神、拜太陽、奉祭大〔梵天〕、口吐火、奉請吉祥天等。遠離如是任何無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信者の施しを受けて生活しています。しかし彼らは、無益で労多い占いなどの邪な生計によって暮らしています。たとえば、結婚、嫁入り、仲睦まじさや別離、貸し借り、呪術による開運、災難の予知、堕胎、口がきけなくなること、ものが言えなくなること、手が下ろせなくなること、耳が聞こえなくなること、鏡に問うこと、少女に問うこと、天神に問うこと、太陽を拝むこと、大梵天に祭祀を捧げること、口から火を吐くこと、吉祥天を招き請うことなどです。このような無益で労多い占いから遠く離れています。これもまた、比丘の戒の一部です。

六二

六二

又有某沙門、婆羅門,受食信施而生活。彼等以無益徒勞之橫明過邪命生活。例如許願、還願、對地基作咒、得精力〔有子〕、失精力〔無子〕、相宅地、對宅地撒〔祭物〕;漱口、沐浴、供犧牲、吐藥、下劑、上吐、下瀉、頭痛藥、點耳、洗眼、灌鼻、眼藥、藥油;眼科醫、外科醫、小兒科醫、與根本藥、草藥、瀉藥等。遠離如是任何無益徒勞之橫明。此亦為比丘戒之一份。

また、ある沙門や婆羅門は、信仰の施しを受けて生活しています。しかし彼らは、無益でむなしい低劣な知識によって、邪な生活を送っています。たとえば、願かけ、願ほどき、地面への呪術、精力を得ること(子を授かること)、精力を失うこと(子がないこと)、屋敷地の占い、屋敷地への供物まき、うがい、沐浴、犠牲の供養、吐き薬、下剤、吐かせること、下すこと、頭痛薬、耳への点薬、目の洗浄、鼻への注入、眼薬、薬油、眼科医、外科医、小児科医、根本薬、草薬、下し薬などです。このような無益でむなしい低劣な知識からは、遠く離れています。これもまた、比丘の戒の一つです。

六三

六三

大王!此比丘如是戒具足者,無論於何處,由戒之護持故,皆不見怖畏。大王!恰如一灌頂之剎帝利制伏怨敵,無論於何處,皆不見怖畏。比丘而戒具足者,由戒之護持故,無論於何處,皆不見怖畏。具足此聖戒蘊,彼之內心,感受無垢純淨安樂。大王!如是比丘乃戒具足。

大王よ、この比丘はこのように戒を完全に守っています。ですから、どこにいても、戒に守られているため、恐れを感じることがありません。大王よ、ちょうど灌頂を受けたクシャトリヤが敵を制圧したとき、どこにいても恐れを感じないのと同じです。比丘が戒を完全に守っているときも、戒に守られているため、どこにいても恐れを感じることがありません。この聖なる戒の集まりを身につけた人の心は、汚れのない清らかな安らぎを感じます。大王よ、このようにして比丘は戒を完全に守っているのです。

六四
大王!又比丘如何防護諸根門耶?大王!茲有比丘以眼見色時,不執取〔總〕相,不執取別相。彼若放逸不防護,而隨著貪愛、憂悲、過惡、不淨法,即攝御眼根,防護眼根,令達眼根之防護。以耳聞聲時……乃至……以鼻嗅香……乃至……以舌味味……乃至……以身觸觸……乃至……以意知法時,不執取總相,不執取別相。彼若放逸不防護,而隨著貪愛、憂悲、過惡、不淨法,即攝御意根,以防護意根,令達意根之防護。彼依此聖具足諸根之攝御,感受內心無垢純淨之安樂。大王!比丘如是攝護諸根門。

大王よ、比丘はどのようにして諸々の感覚の門を守るのでしょうか。大王よ、ここに比丘がいます。目で形や色を見るとき、全体の姿に執着せず、細かな特徴にも執着しません。もし放逸にして感覚を守らなければ、貪りや愛着、憂いや悲しみ、過ちや悪、汚れた心の働きが心に流れ込んできます。そこで、目の感覚を制御し、目の感覚を守り、目の感覚の守りを完成させます。耳で音を聞くときも、鼻で香りを嗅ぐときも、舌で味を味わうときも、体で触れ合うときも、心で物事を認識するときも、全体の姿に執着せず、細かな特徴にも執着しません。もし放逸にして感覚を守らなければ、貪りや愛着、憂いや悲しみ、過ちや悪、汚れた心の働きが心に流れ込んできます。そこで、心の感覚を制御し、心の感覚を守り、心の感覚の守りを完成させます。この聖なる感覚の制御を円満に備えることによって、内に汚れのない清らかな安楽を味わいます。大王よ、比丘はこのように諸々の感覚の門を守るのです。

六五

第六十五番です。

大王!又如何比丘具足正念、正智耶?大王!茲有比丘於進、於退以具正智,於瞻前、於顧後亦具正智。又屈伸手足時、持下衣、上衣及鉢時,飲食嘗味時,大小便時,行住坐臥時,覺醒時,語時,默時,皆具正智。大王!比丘如是具足正念、正智。

大王よ、どのようにして比丘は正念と正智を具足するのでしょうか。大王よ、ここに比丘がいます。進むときも退くときも正智を備え、前を見るときも後ろを顧みるときも正智を備えています。また、手足を曲げ伸ばすとき、下衣・上衣・鉢を持つとき、飲食し味わうとき、大小便をするとき、行き・住み・座り・臥すとき、目覚めているとき、語るとき、黙するとき、そのすべてにおいて正智を備えています。大王よ、比丘はこのようにして正念と正智を具足するのです。

六六

ろくろく

大王!又比丘如何為滿足耶?大王!茲有比丘,滿足其護身之衣及其養體之施食,〔彼〕往何處,唯持此等(衣、鉢)而往。大王!猶如有翼之鳥,飛往何處,亦只持其翼而飛。大王!比丘如是滿足其護身之衣及養體之施食,往何處,唯持此等而往。大王!比丘如是滿足。

大王様、また比丘はどのように満足しているのでしょうか。大王様、ここに一人の比丘がいます。その身を守る衣と、体を養うための施しの食べ物に満足し、どこへ行くときも、ただこれら(衣と鉢)だけを持って行きます。大王様、それはちょうど、翼のある鳥がどこへ飛んで行くときも、ただその翼だけを持って飛ぶようなものです。大王様、比丘もこのように、その身を守る衣と体を養う施しの食べ物に満足し、どこへ行くときも、ただこれらだけを持って行きます。大王様、比丘はこのように満足しているのです。

六七

六七

具足此聖戒蘊、聖諸根之防護、聖正念正智、聖之滿足,選〔住〕空閑處、樹下、山岳、峽谷、巖窟、藪林、露地、塚間、藁堆。彼乞食而歸,食已而結跏趺坐、端身安住,現起深正念。

聖なる戒の集まりを具え、聖なる感覚器官の守りを具え、聖なる正念と正智を具え、聖なる満足を具えて、人は閑静な場所、木の下、山、峡谷、岩窟、藪の中、露地、墓場、藁の山を選んで住みます。その人は托鉢に出て、食事を終えると、結跏趺坐を組み、体をまっすぐにして安住し、深い正念を現前にします。

六八

六八

彼對世間,捨棄貪欲、無貪欲心而住,由〔離〕貪欲令心淨化。

その人は世間に対して、貪りを捨て、貪りのない心で過ごし、貪りを離れることで心を清めます。

捨棄害心及瞋恚,不害心而住,利益慈愍一切生物有類,由〔離〕害心及瞋恚令心淨化。

害する心や怒りを捨て、生きとし生けるものを害さない心で過ごし、すべての生き物を慈しみ、利益をもたらそうと願います。害する心と怒りを離れることで、心は清らかになります。

捨棄惛沈及睡眠,脫離惛沈、睡眠而住,光明想而正念正智,由〔離〕惛沈、睡眠令心淨化。

昏沈(こんじん)と睡眠(すいみん)を捨て、昏沈と睡眠から離れて過ごし、光明(こうみょう)を想い、正念(しょうねん)と正智(しょうち)を保ち、昏沈と睡眠を離れることで心を清らかにします。

捨棄掉舉及惡作,心輕而住,內心寂靜,由〔離〕掉舉、惡作令心淨化。

掉挙と悪作を捨て去り、心は軽やかになり、内面は静まります。掉挙と悪作を離れることで、心は浄化されるのです。

捨棄疑,脫離疑而住,於淨法無有疑,由〔離〕疑令心淨化。

疑いを捨て、疑いから離れて生き、清らかな法に対して何の疑いもなく、疑いを離れることで心を清めます。

六九

六九

大王!猶如有人,以負債而營事業,其事業繁榮,得還清負債之本金,尚有剩餘,得以養妻。其時,彼思惟:『我曾負債以營事業,事業繁榮,得還清負債之本金,尚有剩餘,得以養妻。』而彼其喜亦悅樂。

大王様、たとえば、借金をして事業を営み、その事業がうまくいって、借金の元金を返し終え、さらにお金が残って妻を養うことができる人がいるとします。そのとき、その人はこう思います。「私はかつて借金をして事業を営み、事業がうまくいって、借金の元金を返し終え、さらにお金が残って妻を養うことができる」と。そして、その人は喜び、楽しくなります。

七〇

(七〇)

大王!猶如有人,為重病所惱,不喜食物,而消失體力。然,其後,彼脫離其疾病,喜得食物,以恢復體力。其時,彼思惟:『我曾為重病所惱,不喜食物,而消失體力。然今,我脫離疾病,喜得食物,恢復體力。』而彼其喜亦悅樂。

大王様。たとえば、重い病気に苦しむ人が、食べ物を欲しがらず、体力を失ってしまうようなものです。しかし、その後、その人は病気から回復し、食べ物をおいしくいただけるようになって、体力を取り戻します。そのとき、その人はこう思います。「私は以前、重い病気に苦しみ、食べ物を欲しがらず、体力を失っていた。しかし今、私は病気から回復し、食べ物をおいしくいただけるようになり、体力を取り戻した」と。そして、その人は喜び、楽しくなります。

七一

第七十一章です。

大王!猶如有人,繫禁於牢獄,彼其後健全安樂,又不減損彼之財物,得解放此牢獄。其時彼思惟:『我雖嘗繫禁於牢獄,但今健全安穩,又不減損我之財物,得解放此牢獄。』而彼喜其所悅樂。

大王よ、たとえば牢獄に囚われていた人が、その後、健康で安らかになり、財産も損なわれることなく、その牢獄から解放されたとします。そのとき、その人はこう思います。「私は以前、牢獄に囚われていたが、今は健康で安らかであり、財産も損なわれることなく、この牢獄から解放された」と。そして、その喜びと楽しみを味わいます。

七二

七十二。

復次,大王!猶如有人為奴隸,不隸屬自己而隸屬他人,不得如自己所欲而往;然後彼得解放奴隸之境遇,隸屬自己,不隸屬他人,獨立自由,任自己所欲而往。其時,彼思惟:『我曾為奴隸,不隸屬自己而隸屬他人,不得如自己所欲而往;今我得解放奴隸之境遇,隸屬自己,不隸屬他人,獨立自由,得任自己所欲而往。』而彼其喜亦悅樂。

もう一つ、大王。たとえば、ある人が奴隷であり、自分自身のものではなく他人に属していて、自分の思い通りに行くことができなかったとします。しかし、その後、その人は奴隷の身分から解放され、自分自身に属し、他人に属さず、独立して自由になり、自分の思い通りに行くことができるようになります。そのとき、その人はこう思います。「私はかつて奴隷であり、自分自身のものではなく他人に属していて、自分の思い通りに行くことができなかった。今、私は奴隷の身分から解放され、自分自身に属し、他人に属さず、独立して自由になり、自分の思い通りに行くことができる。」そして、その人は喜び、楽しみます。

七三

七三

復次,大王!猶如有人,財豐富裕,不能踏行曠野之道以求食,於危險〔怖畏戰慄〕。然後,彼出此曠野,安穩無難,而安達無怖畏之村落。某時,彼思惟:『我為財豐富裕,不能踏行曠野之道以求食,於危險(怖畏戰慄),然今,我出此曠野,安穩無難,安達無怖畏之村落。』而彼其喜亦悅樂。

また、大王よ、たとえばある人が、豊かで裕福でありながら、食を求めて危険で恐ろしい荒野の道を歩くことができなかったとします。そして後に、その人はこの荒野を抜け出し、無事で困難もなく、恐れのない村に安らかにたどり着きました。そのとき、その人はこう思います。『私は豊かで裕福でありながら、食を求めて危険で恐ろしい荒野の道を歩くことができなかった。しかし今、私はこの荒野を抜け出し、無事で困難もなく、恐れのない村に安らかにたどり着いた。』そして、その人は喜び、また楽しみます。

七四

七四

大王!比丘不捨離此等之五蓋,以觀自己猶如負債者、如疾病者、如囚獄者、如遇奴隸之境、曠野之路者。大王!然,比丘捨離此等之五蓋,以觀察(自己),猶如無負債、無疾病、出獄、自由、安穩者。

大王よ、修行者はこれら五つの覆いを捨て去らないなら、自分を借金を抱えた者、病に臥せる者、牢獄に囚われた者、奴隷の身の者、荒野の道を行く者のように見なします。大王よ、しかし修行者がこれら五つの覆いを捨て去れば、借金がなく、病もなく、牢獄から出て自由になり、安らかな者のように、自分を見つめるのです。

七五

七五

觀察自己,捨離彼五蓋者,而生歡喜,生歡喜者而身輕安;身輕安者而覺樂,覺樂者而心得三昧。彼離諸欲、離不善法;有尋有伺、由離生喜樂,達初禪而住。彼由離生喜樂,以流潤充滿盈溢周徧其身;以由離生喜、樂,無不普洽其全身。

自分自身をよく観察し、五つの蓋(心を覆う煩悩)を捨て離れると、喜びが生まれます。喜びが生まれると、体が軽やかで安らかになります。体が軽やかで安らかになると、楽しみを感じます。楽しみを感じると、心は三昧(集中安定)に入ります。その人はさまざまな欲望を離れ、不善の法を離れます。尋と伺(粗い思考と細かい思考)があり、離れることから生まれる喜びと楽しみによって、初禅に達してとどまります。その人は離れることから生まれた喜びと楽しみで、全身を潤し、満たし、あふれさせ、隅々まで行き渡らせます。離れることから生まれた喜びと楽しみによって、全身が等しく潤わないところはありません。

七六

第七十六番です。

大王!猶如浴室之熟練助浴者,或其弟子,撒洗粉於銅盆,注入水滴而混合,洗粉潤濕,由潤濕而溶化,其內外具潤濕而周徧不遺漏。大王!比丘如是由離生喜樂,流潤充滿盈溢周徧其身;以由離生喜樂,無不普洽其全身。

大王様。たとえば浴室で働く熟練した助手、あるいはその弟子が、銅の盆に洗い粉を入れ、水を注いでよく混ぜると、その洗い粉は湿り、湿って溶け合い、内も外もすっかり湿って、どこにも漏れるところがありません。大王様。同じように、比丘は、離れることから生まれる喜びと楽しみによって、体じゅうを潤し、満たし、あふれさせ、行き渡らせます。離れることから生まれる喜びと楽しみによって、その全身が隅々まで潤わないところはありません。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更為殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行による現世の果報であり、先ほどのものよりもさらにすぐれ、微妙であります。

七七

七十七

大王!更有比丘,以滅尋伺,內心安靜、心為專一,無尋無伺,由定生喜樂,達第二禪而住。彼以由定生喜樂,流潤充滿盈溢周徧其身;以由定生喜樂,無不普洽其全身。

大王よ!さらに、ある比丘は、尋と伺を滅ぼし、内心は静まり、心は一つに専注し、尋も伺もなく、定から生まれる喜びと楽しみによって、第二禅に達して住みます。その方は、定から生まれる喜びと楽しみで、体を潤し、満たし、あふれさせ、隅々まで行き渡らせます。定から生まれる喜びと楽しみによって、全身が潤わないところはありません。

七八

七八

大王!猶如有深池湧出水,於此〔水池〕,無東方之流入〔口〕,無西方之流入〔口〕,無北方之流入〔口〕,無南方之流入〔口〕,而天神時時與驟雨,而且,由此深池湧流泠水,以泠水充滿盈溢、周徧流潤此深池;無不以泠水普洽此深池。大王!比丘如是以由定生喜樂,充滿盈溢、周徧流潤其身;以由定生喜樂,無不普洽其全身。

大王様。たとえば深い池があり、そこに水が湧き出ているとします。この池には東からの流れ口もなく、西からの流れ口もなく、北からの流れ口もなく、南からの流れ口もありません。しかし、天の神が時折、激しい雨を降らせます。そして、この深い池から冷たい水が湧き出て、その冷たい水でこの深い池を満たし、あふれさせ、くまなく潤します。この深い池が冷たい水で隅々まで満たされないことはありません。大王様。同じように、修行僧は定から生まれる喜びと楽しみによって、その身を満たし、あふれさせ、くまなく潤します。定から生まれる喜びと楽しみによって、その全身が隅々まで満たされないことはありません。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

七九

七九

大王!更有比丘,離喜而住捨,正念正智,以身感受樂。諸聖者言:『以捨而正念樂住』達第三禪而住。彼無喜樂,充滿盈溢、周徧流潤其身;無喜樂,無不普洽其全身。

大王、さらに比丘は喜びを離れて捨て住し、正念と正智をそなえ、身で楽を受けるのです。聖者たちが『捨によって正念に楽しく住する』と言う第三禅に達して住むのです。その人には喜びのない楽が満ちあふれ、あまねく流れ潤し、その身を遍く満たします。喜びのない楽が、その全身に及ばないところはありません。

八〇

八十

大王!猶如於青蓮池、紅蓮池、白蓮池中,有青蓮、紅蓮、白蓮生於水中、長於水中、浸於水中,吸引水底之營養,由頂上至根,受冷水所充滿、盈溢、周徧之流潤,冷水無不普洽青蓮、紅蓮、白蓮。大王!比丘如是以喜樂,充滿盈溢、周徧流潤其身;以喜樂無不普洽其全身。

大王よ、たとえば青蓮池、紅蓮池、白蓮池において、青蓮、紅蓮、白蓮が水中に生まれ、水中に育ち、水中に浸り、水底の栄養を吸い上げ、先端から根に至るまで、冷たい水に満たされ、あふれ、隅々まで潤されているように、冷たい水が青蓮、紅蓮、白蓮の全体に行き渡らないことはありません。大王よ、比丘もまた、同じように喜びと楽しみに満たされ、あふれ、隅々まで潤されています。その喜びと楽しみが全身に行き渡らないことはありません。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

八一

八一

大王!更有比丘!捨樂離苦,前所感受之悅、憂具滅,不苦不樂,成為捨念清淨,達第四禪而住。彼以純淨心,徧滿其身而坐,其純淨之心,無不普洽其全身。

大王、さらに比丘がいます。その比丘は楽しみを捨て、苦しみを離れ、以前に感じていた喜びや憂いがすべて消え、苦しくもなく楽しくもない、捨と念の清らかな状態となり、第四禅に達してとどまります。その方は清らかな心で全身を遍く満たして座り、その清らかな心は全身にくまなく行き渡らないところがありません。

八二

(八二)

大王!猶如有人,從頭至足,被覆白淨之衣而坐,其白淨衣,無不普洽其全身。大王!比丘以如是純淨之心,徧滿其身而坐;以純淨之心,無不普洽其全身。

大王様、たとえばある人が、頭から足まで真っ白で清らかな衣をまとって座っているとします。その白い清らかな衣は、その人の全身をすみずしく覆わないところがありません。大王様、修行僧もまた、このように純粋で清らかな心で全身を満たして座ります。その清らかな心は、全身をすみずしく満たさないところがありません。

大王!此亦沙門〔修行〕現世果報,比前者更為殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行による現世の果報であり、先ほどのものよりもさらに優れて微妙であります。

八三
如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且在安住不動之狀態時,比丘之心,傾注於智見。彼如次知:『我此身是由色所成、四大種所成、父母之所生,飯粥所長養者,是無常、破壞、粉碎、斷絕、壞滅之法。我之識與此相關連、依此而存在者。』

心が静かで純粋になり、煩悩もなく、随煩悩からも遠ざかり、柔らかく、常に働きながらも、安らかに動かない状態にあるとき、比丘の心は智と見に傾いていきます。そして、次のように知ります。「私のこの体は、色によって成り、四大種によって成り、父母から生まれ、飯や粥によって養われたものであり、無常であり、壊れ、砕け、断たれ、滅びる法である。私の識はこれと関わり、これに依って存在しているのだ」と。

八四

八四

大王!猶如琉璃寶珠,美麗而玉質優異,為八面之〔結合〕體,善磨精製而光耀,清澄無濁,具足一切美相,濃青色、或濃黃色、或赤色、或純白色、或淡黃色,以通此等之〔質色〕,具眼者以此置於手中而善觀察:知『此琉璃寶珠,美麗而玉質優異,為八面之〔結合〕體,善磨精製而光耀、清澄無濁、具足一切美相,濃青色、或濃黃色、或赤色、或純白色、或淡黃色,以通此等〔之質色〕。』

大王よ、たとえば瑠璃の宝珠が美しく、その質もすぐれ、八面に組み合わされ、よく磨き上げられて輝き、清らかで濁りがなく、すべての美しい相をそなえ、濃い青色、あるいは濃い黄色、あるいは赤色、あるいは純白、あるいは淡い黄色であって、これらの色を透かしているのを、目のある人が手に取ってよく観察し、「この瑠璃の宝珠は美しく、その質もすぐれ、八面に組み合わされ、よく磨き上げられて輝き、清らかで濁りがなく、すべての美しい相をそなえ、濃い青色、あるいは濃い黄色、あるいは赤色、あるいは純白、あるいは淡い黄色であって、これらの色を透かしている」と知ります。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且在安住不動之狀態時,比丘之心傾注於智見。而彼如次知:『我此身是由色所成、四大所成、父母所生、飯粥所長養者,是無常、破壞、粉碎、斷絕、壞滅之法。又我之識與此相關連、依此而存在。』

大王よ、このように心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠ざかり、柔らかく、常に働きながらも、安らかに動じない状態にあるとき、比丘の心は智と見に傾いていきます。そして、その比丘は次のように知ります。「私のこの体は、色によって成り、四大によって成り、父母から生まれ、飯や粥によって養われたものであり、無常であり、壊れ、砕け、断たれ、滅びる法である。また、私の識はこれと関わり、これに依って存在している」と。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更為殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行による現世の果報であり、先ほどのものよりもさらにすぐれ、微妙であります。

八五

八五

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於化作意所成身。而且彼由其色身,化作意所成,而有一切〔大〕肢小肢及不異其自己之身。

心が静かで純粋になり、煩悩もなく、煩悩に伴う細かい乱れからも遠ざかり、柔らかく、常に働きながらも、動じない状態に安住しているとき、比丘の心は、意によって作られた体へと向かいます。そしてその人は、自分の色身から、意によって作られた体を現し、大きな手足も小さな手足もすべて備え、自分の体と変わりのない体を持ちます。

八六

八六

大王!猶如有人,由文奢草,取拔其莖,彼思惟:『此是文奢草,此是莖。文奢草與莖是相異。但由文奢草取拔草莖。』

大王さま。たとえば、ある人がムンジャ草からその茎を抜き取るとします。そのとき、その人はこう考えます。「これはムンジャ草で、これは茎だ。ムンジャ草と茎は別のものだ。しかし、ムンジャ草から茎を抜き取ったのだ」と。

大王!猶如有人,由鞘拔取刀,彼思惟:『此是刀,此是鞘。刀與鞘是相異。但刀由鞘拔取也。』

大王様、たとえば、ある人が鞘から刀を抜き出したとします。その人はこう考えます。「これは刀で、これは鞘だ。刀と鞘は別のものだ。しかし、刀は鞘から抜き出されたのだ」と。

大王!猶如有人,蛇由蛇皮蛻出,彼思惟:『此是蛇、此是蛇皮也。蛇與蛇皮是相異。但蛇由蛇皮薄出也。』

大王様、たとえば蛇が蛇の皮を脱ぎ捨てるとき、人はこう考えます。「これは蛇であり、これは蛇の皮である。蛇と蛇の皮は別のものである。しかし蛇はこの蛇の皮から抜け出たのだ」と。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於化作意所成身。而且彼由其色身,化作意所成,而有一切(大)肢小肢及不異其自己之身。

大王よ、このように心が静まり、純粋で、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔軟で、常に働き続け、そして動じない状態にとどまっているとき、比丘の心は、意によって作られた身を現すことに向かいます。そしてその人は、自分の色身から、意によって作られた身を現し、すべての大きな手足や小さな手足を備え、自分自身と異ならない身を持ちます。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

八七

八七

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於種種神通,而彼證得種種神通。一身而〔化為〕多身,多身而〔合為〕一身,或現身、或隱身;通過壁、透過墻,穿過山無有障礙,猶如於空中;出沒於大地,猶如於水;行於水上不沈,猶如於地上;趺坐、經行於空中,猶如有翼之鳥;有如是大威德,能以手捫摸日月,以身到達梵天界。

このように心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き続け、しかも動かない状態に安住しているとき、比丘の心はさまざまな神通に注がれ、その人はさまざまな神通を証し得ます。一つの体を多くの体に変え、多くの体を一つの体に合わせ、あるいは姿を現し、あるいは姿を隠します。壁を通り、塀を抜け、山を貫いても何の障りもないこと、ちょうど虚空の中を行くかのようです。大地に出入りすること、ちょうど水の中におけるかのようです。水の上を歩いても沈むことなく、ちょうど地面の上を行くかのようです。空中に結跏趺坐し、また空中を経行すること、ちょうど翼のある鳥のようです。このような大きな威徳をもって、手で日月に触れることができ、身をもって梵天の世界に到達します。

八八

はちはち

大王!猶如熟練之陶師或其弟子,能整泥土,任其所欲,完成製作種種容器。

大王様、熟練した陶芸師やその弟子が、粘土を思いのままに整えて、いろいろな器を作り上げることができるように。

大王!猶如熟練之象牙師或其弟子,能整刻象牙,任其所欲,完成製作種種象牙之〔彫刻〕物。

大王様、たとえば熟練した象牙細工師やその弟子が、象牙を巧みに彫り刻み、思いのままにさまざまな象牙細工を仕上げることができるように。

大王!猶如熟練之彫金匠或其弟子,能整彫黃金,任其所欲,完成製作種種容具。

大王、熟練した金細工師やその弟子が、黄金を思いのままに彫り整えて、さまざまな器を立派に作り上げるようなものです。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於種種之神通,而彼證得種種之神通。一身而〔化為〕多身,多身而〔合為〕一身,或現身、或隱身;通過壁、透過墻、穿過山無有障礙,猶如於空中;出沒大地,猶如於水;行於水上不沈,猶如於地上;趺坐、經行於空中,猶如有翼之鳥;有如是神力、大威力,以手能捫摸日月,以身到達梵天界。

大王よ、このように心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き、動かない状態に安住しているとき、比丘の心はさまざまな神通に向かい、その人はさまざまな神通を証し得ます。一つの体を多くの体に変え、多くの体を一つの体に合わせ、あるいは姿を現し、あるいは姿を隠します。壁を越え、塀を通り抜け、山を貫くことには何の障りもなく、それはまるで空を行くかのようです。大地に出入りすることは、まるで水の中のように自由です。水の上を歩いても沈まず、それはまるで地面の上を歩くかのようです。空中に座り、空中を歩くことは、まるで翼のある鳥のようです。このような神通力と大きな力をもって、手で日月に触れることができ、体は梵天の世界にまで届きます。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

八九

はちく

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心傾注於天耳界。而彼清淨超越人間〔耳界〕,以天耳界,聞人天兩界遠近雙方之音聲。

このように、心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き続け、しかも動じない状態にとどまっているとき、比丘の心は天耳界へと向かいます。そして、人の耳を超えた清らかな天耳界によって、人と天の二つの世界の、遠くも近くもあらゆる音声を聞き取ります。

九〇

九十。

大王!猶如有人行於道路,彼得聽大鼓聲、小鼓聲、螺貝、腰鼓、銅鑼之聲,而思惟:『彼是大鼓聲、小鼓聲,彼是螺貝、腰鼓、銅鑼之聲!』

大王さま。たとえば、人が道を歩いているとします。その人は、大きな太鼓の音、小さな太鼓の音、法螺貝の音、腰鼓の音、銅鑼の音を聞きます。そしてこう考えます。「あれは大きな太鼓の音、あれは小さな太鼓の音、あれは法螺貝や腰鼓や銅鑼の音だ」と。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動狀態時,比丘之心,傾注於天耳界。而以清淨超越人間〔耳界〕,以天耳界,聽聞人天兩界及雙方遠近之聲。

大王様、このように心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働きながらも、動じない状態に安住しているとき、比丘の心は天耳界に傾いていきます。そして人間の耳を超えた清らかな天耳界によって、人間と天の両方の世界、およびその双方の遠く近くの音を聞くことができます。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

九一

(九十)

如是心寂靜、純淨,無煩惱,遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於〔他〕心智。而以自己之心,徹〔見〕其他眾生及他人之心。如次證知之:

その心が寂靜で純粋であり、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔軟で、常に働き続け、しかも動じない状態に安住しているとき、比丘の心は〔他者の〕心のあり方に注がれます。そして自らの心によって、他の衆生や人々の心を〔ありのままに〕見通します。次のように証知します。

證知有貪欲心,為有貪欲心。

貪欲の心があると、はっきりと知ります。

證知離貪欲心,為離貪欲心。

貪欲を離れた心であることを、そのままに見きわめて知ります。

證知有瞋恚心,為有瞋恚心。

怒りの心があると知れば、それは怒りの心があると正しく理解します。

證知離瞋恚心,為離瞋恚心。

怒りの心を離れたことを、ありのままに知ることが、怒りの心を離れるということです。

證知有愚癡心,為有愚癡心。

愚かな心があると知ることは、愚かな心があると知ることです。

證知離愚癡心,為離愚癡心。

愚痴を離れた心を証知するために、愚痴を離れた心があります。

證知是統一心,為是統一心。

その一心をはっきりと悟り知ることは、その一心そのものです。

證知是散亂心,為是散亂心。

それは散乱した心であると、ありのままに知っています。

證知是廣大心,為是廣大心。

その広大な心を証知するとは、その広大な心のためであります。

證知非廣大心,為非廣大心。

広大ではない心を証知して、広大ではない心とされます。

證知是有上心,為是有上心。

有上の心であると正しく知ることは、それが有上の心であると知ることです。

證知是無上心,為是無上心。

この無上の心を証知することが、すなわち無上の心なのです。

證知是有定心,為是有定心。

定まった心があると证知し、定まった心があるのです。

證知是無定心,為是無定心。

定まった心がないことを、そのまま「定まった心がない」と知っているのです。

證知是解脫心,為是解脫心。

この解脱の心を証し知ることが、すなわち解脱の心なのです。

證知非解脫心,為非解脫心。

「解脱していない心」を、解脱していない心であると、ありのままに知っています。

九二

(九二)

大王!猶如好裝飾之男女,或家有青年男女,於潔白清澄之鏡或水鉢,細觀自己所反映之顏貌。若掛耳環時,知掛耳環,不掛耳環時,知不掛耳環。大王!確實如是,心寂靜、清淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動狀態時,比丘之心,傾注於他心智。而以自己之心,徹〔見〕其他眾生及他人之心。如次證知之:

大王よ、たとえば美しい飾りを身につけた男女、あるいは家にいる若い男女が、白く澄んだ鏡や水の入った鉢に映る自分の顔かたちをじっと見るとき、耳飾りをつけていれば耳飾りをつけていると知り、耳飾りをつけていなければつけていないと知ります。大王よ、まさにそのように、心が寂静で清らかであり、煩悩がなく、随煩悩から遠く離れ、柔軟で、常に働き、しかも動かない状態に安住しているとき、比丘の心は他心智に傾きます。そして自分の心によって、他の衆生や他人の心をありのままに見通します。次のように証知します。

證知有貪欲心,為有貪欲心。

貪欲の心があると、はっきりと知ります。

證知離貪欲心,為離貪欲心。

貪欲を離れた心であることを、そのままに見きわめて知ります。

證知有瞋恚心,為有瞋恚心。

怒りの心があると知れば、それは怒りの心があると正しく理解します。

證知離瞋恚心,為離瞋恚心。

怒りの心を離れたことを、ありのままに知ることが、怒りの心を離れるということです。

證知有愚癡心,為有愚癡心。

愚かな心があると知ることは、愚かな心があると知ることです。

證知離愚癡心,為離愚癡心。

愚痴を離れた心を証知するために、愚痴を離れた心があります。

證知是統一心,為是統一心。

その一心をはっきりと悟り知ることは、その一心そのものです。

證知是散亂心,為是散亂心。

それは散乱した心であると、ありのままに知っています。

證知是廣大心,為是廣大心。

その広大な心を証知するとは、その広大な心のためであります。

證知非廣大心,為非廣大心。

広大ではない心を証知して、広大ではない心とされます。

證知是有上心,為是有上心。

有上の心であると正しく知ることは、それが有上の心であると知ることです。

證知是無上心,為是無上心。

この無上の心を証知することが、すなわち無上の心なのです。

證知是有定心,為是有定心。

定まった心があると证知し、定まった心があるのです。

證知是無定心,為是無定心。

定まった心がないことを、そのまま「定まった心がない」と知っているのです。

證知是解脫心,為是解脫心。

この解脱の心を証し知ることが、すなわち解脱の心なのです。

證知非解脫心,為非解脫心。

「解脱していない心」を、解脱していない心であると、ありのままに知っています。

九三

九三

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於宿住隨念智,而隨念彼於宿世之種種住處,猶如一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、十萬生、幾壞劫、幾成劫、幾成壞劫:『於彼處,我有如是名、生於如是種族、如是階級、取如是食、享受如是苦樂、有如是壽量。我由其處死而生於他處,於此我有如是名、生如是種族、如是之階級、取如是食、享受如是苦樂、有如是壽量。而我由彼處歿,生來此處。』具如是形相、境遇,隨念種種宿世之住處。

心が静かで、純粋で、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き続け、しかも動じない状態に安住しているとき、比丘の心は過去世を思い出す智慧へと向かいます。そして、過去世におけるさまざまな暮らしを思い出します。それはまるで、一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、十万生、いくつかの壊劫、いくつかの成劫、いくつかの成壊劫を思い出すかのようです。

「あの場所では、私はこういう名前で、こういう種族に生まれ、こういう階級で、こういう食べ物をとり、こういう苦しみや楽しみを味わい、こういう寿命を持っていました。私はその場所で死んで別の場所に生まれ、そこではこういう名前で、こういう種族に生まれ、こういう階級で、こういう食べ物をとり、こういう苦しみや楽しみを味わい、こういう寿命を持っていました。そして私はその場所で命を終えて、ここに生まれてきたのです。」

このように、その姿かたちや境遇をありのままに、過去世のさまざまな暮らしを思い出すのです。

九四
大王!猶如有人,從己之村落到其他之村落,又從其村落往其他之村落,又由此村落,回來自己之村落,其時,彼自隨念:『我由此村落到某村落,於彼如是住、如是坐、如是語、默。我由此村落,往其他之村落,於彼如是住、如是坐、如是語、默。而我由其村落,回來自己之村落。』

大王さま。たとえば、ある人が自分の村から他の村へ行き、またその村から別の村へ行き、そしてその村から自分の村へ戻ってきたとします。そのとき、その人はこう思い出すでしょう。「私は自分の村からある村へ行き、そこでこう過ごし、こう座り、こう話し、こう黙していた。私はその村から別の村へ行き、そこでこう過ごし、こう座り、こう話し、こう黙していた。そして私はその村から自分の村へ戻ってきた」と。

大王!實如是心寂靜、純淨,無煩惱,遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於宿住隨念智。而彼隨念於宿世種種住處,猶如一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、十萬生、幾壞劫、幾成劫、幾成壞劫:『於彼處,我有如是名、生如是種族、如是之階級、取如是食、享受如是苦樂、有如是壽量。我由其處歿,生其他之處;於彼,我有如是名、生如是種族、如是之階級、取如是食、享受如是苦樂、有如是壽量。而又由彼處歿,生來此處。』具如是形相、境遇,隨念種種宿世之住處。

大王よ、このように心が静かで、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に活動し、しかも動じない状態にとどまっているとき、比丘の心は宿住随念智に傾けられます。そして、過去世のさまざまな住処を思い出します。まるで一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千生、十万生、いくつかの壊劫、いくつかの成劫、いくつかの成壊劫のように、「あの場所で、私はこのような名前を持ち、このような種族に生まれ、このような階級に属し、このような食べ物をとり、このような苦楽を味わい、このような寿命を持っていました。私はその場所から死んで、別の場所に生まれました。そこで、私はこのような名前を持ち、このような種族に生まれ、このような階級に属し、このような食べ物をとり、このような苦楽を味わい、このような寿命を持っていました。そしてまたその場所から死んで、ここに生まれてきました」と。このような形相と境遇を備えて、過去世のさまざまな住処を思い出すのです。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

九五

きゅうご

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於生死智。而彼以超越人界之天眼,觀察眾生,見眾生之死而又生;證知眾生應其所為之業,〔而有〕貴賤、美醜、幸福、不幸福。即:『諸賢!此等眾生具身、語、意之惡業,誹謗聖者,以懷邪見,得邪見業;彼等於身壞死後,生於惡生、惡趣、地獄。諸賢!此等眾生具身、語、意之善業,不誹謗聖者,以懷正見,得正見業;彼等身壞死後,生於善趣、天界。』如是,彼以清淨超越人界之天眼,觀察眾生,見眾生死而又生;證知眾生應其所為之業,〔而有〕貴賤、美醜、幸福、不幸福。

心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き、しかも動かない状態にとどまっているとき、比丘の心は生死を観る智慧へと傾いていきます。そしてその人は、人間を超えた天の眼によって、すべての生きものを見つめ、生きものが死に、また生まれるのを見ます。生きものが自分の行いによって、貴いか賤しいか、美しいか醜いか、幸せか不幸せか、という結果を受けることを知ります。すなわち、「皆さん、これらの生きものは、体と言葉と心で悪い行いをなし、聖なる者をそしり、邪見を抱いて邪見の行いを積みました。そのため、体が壊れて死んだ後、悪い生まれ、悪い世界、地獄に生まれます。皆さん、これらの生きものは、体と言葉と心で善い行いをなし、聖なる者をそしらず、正見を抱いて正見の行いを積みました。そのため、体が壊れて死んだ後、善い世界、天の世界に生まれます」と。このように、その人は清らかで人間を超えた天の眼によって、すべての生きものを見つめ、生きものが死に、また生まれるのを見ます。生きものが自分の行いによって、貴いか賤しいか、美しいか醜いか、幸せか不幸せか、という結果を受けることを知るのです。

九六

(九十)

大王!猶如有眼者,立於四衢街道中之高樓,見諸眾人出入其家,又往來於車道、人道,或坐於四衢街道之中。彼思念:『此等諸眾人出入其家,往來於車道、人道,或坐於四衢街道之中。』

大王さま。たとえば、目のある人が四つ角の高い楼閣に立ち、人々が家を出入りし、車道や歩道を行き来し、あるいは四つ角に座っているのを見て、「あの人々は家を出入りし、車道や歩道を行き来し、あるいは四つ角に座っている」と思い巡らすようなものです。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於生死智。而彼以清淨超越人界之天眼,觀察眾生,見眾生死而又生;證知眾生應其所為之業,〔而有〕貴賤、美醜、幸福、不幸福。

大王よ、このように心が静まり、純粋で、煩悩がなく、随煩悩からも遠ざかり、柔らかく、常に働き続け、しかも動じない状態にとどまっているとき、比丘の心は生死を見通す智慧へと傾いていきます。そしてその人は、人間を超えた清らかな天眼によって、すべての生きものを見つめ、生まれては死に、死んではまた生まれる姿を見て取ります。そして、生きものたちがそれぞれの行い(業)に応じて、尊い者と卑しい者、美しい者と醜い者、幸せな者と不幸な者になることを、ありのままに知るのです。

大王!此亦沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。

大王、これもまた沙門の修行が現世で得る果報であり、先ほどのものよりもさらに優れ、微妙であります。

九七

第九十七章

如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於漏盡智。而彼如實證知:『此是苦』,如實證知:『此是苦之集』,如實證知:『此是苦之滅』,如實證知:『此是到達苦滅之道』。如實證知:『此是漏之滅』,如實證知:『此是到達漏滅之道』。如是知、如是見故,其心解脫欲漏、解脫有漏、解脫無明漏,而『於解脫,解脫』之智慧生,證知:『生已盡、梵行已修、應作已作、更不再生。』

心が静まり、純粋で、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き、しかも動かない状態にとどまっているとき、比丘の心は漏尽智へと向かいます。そして、そのままに证知します。「これが苦である」と。「これが苦の集である」と。「これが苦の滅である」と。「これが苦の滅に至る道である」と。そのままに証知します。「これが漏の滅である」と。「これが漏の滅に至る道である」と。このように知り、このように見るゆえに、その心は欲漏から解脱し、有漏から解脱し、無明漏から解脱します。そして「解脱において、解脱した」という智慧が生じ、「生はすでに尽き、梵行はすでに修められ、なすべきことはすでになされ、もはや再生することはない」と証知します。

九八

(九八)

大王!猶如有峽谷,無染污而澄明、淨潔之水池,有眼者立其岸,見牡蠣之殼、砂石、礫、及群魚之或動、或止,彼思念:『此水池,實是澄明,清淨而無染污;於此,有牡蠣之殼、砂石、礫、及群魚之或動、或止。』

大王さま。たとえば、谷あいに、濁りのない澄みきった清らかな池があるとします。目のある人がその岸に立って、池の中の牡蠣の殻、砂や小石、そして魚の群れが動いたり止まったりするのを見て、こう思います。「この池は、実に澄みきっていて、清らかで、濁りがない。その中に、牡蠣の殻、砂や小石、そして魚の群れが動いたり止まったりしている」と。

大王!如是心寂靜、純淨,無煩惱、遠離隨煩惱,柔軟、恒常活動,而且安住在不動之狀態時,比丘之心,傾注於漏盡智,而彼如實證知:『此是苦』,如實證知:『此是苦之集』,如實證知:『此是苦之滅』,如實證知:『此是到達苦滅之道』。如實證知:『此是漏』,如實證知:『此是漏之集』,如實證知:『此是漏之滅』,如實證知:『此是到達漏滅之道』。如是知,如是見故,其心解脫欲漏、解脫有漏、解脫無明漏,而『於解脫,解脫』之智慧生,證知:『生已盡、梵行已修、應作已作、更不再生。』

大王よ、このように心が静まり、清らかで、煩悩がなく、随煩悩からも遠く離れ、柔らかく、常に働き続け、しかも動じない状態にとどまっているとき、比丘の心は漏尽智に向かいます。そして、そのままに悟ります。「これが苦である」と。「これが苦の集まりである」と。「これが苦の滅びである」と。「これが苦の滅びに至る道である」と。また、そのままに悟ります。「これが漏である」と。「これが漏の集まりである」と。「これが漏の滅びである」と。「これが漏の滅びに至る道である」と。このように知り、このように見るゆえに、その心は欲漏から解き放たれ、有漏から解き放たれ、無明漏から解き放たれます。そして、「解脱において解脱した」という智慧が生まれ、「生は尽きた。梵行は修められた。なすべきことはなされた。もはや二度と生まれることはない」と悟るのです。

大王!此實沙門〔修行〕現世之果報,比前者更殊勝微妙。大王!此沙門〔修行〕現世之果報,其他絕無有比此更殊勝之沙門〔修行〕現世之果報。」

大王様、これこそが沙門の修行による現世の果報であり、先ほどのものよりもさらにすぐれ、微妙であります。大王様、この沙門の修行による現世の果報にまさるものは、ほかには決してございません。」

九九

きゅうじゅうきゅう

時,世尊如是宣說已,摩揭陀國王韋提希子阿闍世,白世尊言:「殊勝哉!大德!殊勝哉!大德!猶如使倒者起、覆者顯現、示迷者以道、於黑暗中揭油燈、使有眼者見〔諸〕物,如是,世尊以種種方便說示法。大德!予今自歸依世尊,歸依法,歸依比丘僧。願世尊攝受予,自今以後,以至命終,歸依〔三寶〕為優婆塞。予如狂愚、如癡暗、如不善、受罪過所制伏,為獲得王位,予正弒殺父王。大德!請世尊受納,予確認罪過為罪過,於將來必自調御。」

そこで、世尊がこのようにお説きになったとき、マガダ国の王、ウェーディヒーの子アジャータシャトルは、世尊にこう申し上げました。「実にすばらしいことです。尊いお方よ。実にすばらしいことです。尊いお方よ。ちょうど、倒れた者を起こし、覆われたものを開き、迷っている者に道を示し、暗闇の中に油の灯をともして、目ある者が物を見るようにしてくださるのと同じです。このように、世尊はさまざまな方法で法をお示しになりました。尊いお方よ。私は今、世尊に帰依いたします。法に帰依いたします。比丘の僧に帰依いたします。どうか世尊、私をお受けください。今から以後、命の終わるまで、三宝に帰依する在家信者としてお受けください。私は、狂った者のように、愚かで暗く、善ならざる者として、罪過に支配されて、王位を得るために、父である王を殺してしまいました。尊いお方よ。どうか世尊、お受けください。私は罪過を罪過として認めます。将来は必ず自らを律してまいります。」

一〇〇

(百)

〔世尊曰:〕「大王!實是狂愚、癡暗、不善、罪惡制伏卿,正弒殺卿之父王。然,大王!卿認罪過為罪過,依法懺悔故,對此,我當納受卿之懺悔。然,大王!若人認罪過為罪過,其如法懺悔者,以將來自調御,此乃聖者之律,繁盛之所以也。」

〔世尊がおっしゃいました。〕「大王よ、実に狂おしく愚かで、痴(おろか)で暗く、善ならざる悪しき心があなたを打ち負かし、まさにあなたの父王を殺してしまったのです。しかし大王よ、あなたが罪過を罪過として認め、法に従って懺悔したので、私はあなたの懺悔を受け入れます。大王よ、もし人が罪過を罪過として認め、法にかなった懺悔をするならば、将来、自らを調え御することができる。これこそが聖者の律であり、栄えるゆえんなのです。」

一〇一
世尊如是說時,阿闍世王白世尊曰:「然,世尊!予今歸〔去〕。予有多忙、多作。」

世尊がこのようにお話しになったとき、阿闍世王は世尊に申し上げました。「それでは、世尊。私はこれで失礼いたします。やることが多く、忙しいものですから。」

〔世尊曰:〕「然者,大王!當隨意。」

世尊はおっしゃいました。「それでは、大王よ、ご自由になさってください。」

摩揭陀國王韋提希子阿闍世,隨喜、歡喜世尊之所教,從座立起,敬禮、右繞世尊而離去。

マガダ国の王、韋提希(イダイケ)の子である阿闍世(アジャセ)は、世尊の教えを喜び、その教えに心から随喜して、座から立ち上がり、世尊に敬礼し、右に回って世尊を礼拝してから、その場を去りました。

一〇二
如是,阿闍世王,去後不久,世尊言諸比丘曰:「諸比丘!彼王衷心感激而悔過。諸比丘!彼王若不弒殺父王者,今,王於此座,應離塵垢,以生法眼。」

このように、阿闍世王が去って間もなく、世尊は比丘たちにこうおっしゃいました。「比丘たちよ、あの王は心から感謝し、悔い改めました。比丘たちよ、もしあの王が父王を殺めていなければ、今、王はこの場で、塵垢を離れ、法眼を開いていたことでありましょう。」

世尊如是說已,諸比丘隨喜、歡喜世尊之說法。

世尊がこのようにお説きになると、比丘たちは世尊の教えを喜び、歓喜しました。


第三 誦品
三 阿摩晝經

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