一、五蘊(亦名五陰五眾)——色、受、想、行、識(色相十一全,受想各當一;七十二行蘊,八王識蘊收。無為無積聚,不向蘊門攝;將旨就詮論,色行二蘊中。)
一、五蘊(またの名を五陰・五衆ともいいます)——色、受、想、行、識のことです。色は十一の種類すべてを含み、受と想はそれぞれ一つずつです。七十二の行蘊は八つの心王の識蘊に含まれます。無為法は積聚ではないため、蘊の範囲には含まれません。宗旨を解釈の面から論じれば、色と行の二つの蘊に該当します。
二、十二處(亦名十二入)——六根:眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根;六塵:色塵、聲塵、香塵、味塵、觸塵、法塵。(根塵各五處,十色隨自名;八王意處收,八十二皆法。)
二、十二処(十二入ともいう)——六根:眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根;六塵:色塵、聲塵、香塵、味塵、觸塵、法塵。(根と塵はそれぞれ五つの処をなし、十の色はそれぞれの名に従う。八つの王は意処に収められ、八十二はすべて法である。)
三、十八界(六識及意根為七心界)——六根:眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根;六塵:色塵、聲塵、香塵、味塵、觸塵、法塵;六識:眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識。(根塵各五界,十色隨自名;八王歸七心,八十二皆法。)
三、十八界(六識と意根を合わせて七心界とする)——六根:眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根;六塵:色塵、聲塵、香塵、味塵、觸塵、法塵;六識:眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識。(根と塵はそれぞれ五界に分かれ、十の色はそれぞれの名に従う;八王は七心に帰し、八十二はすべて法に属する。)
因中四重量果——相分、見分、自證分、證自證分,為所量;見分、自證分、證自證分、自證分,為能量;自證分、證自證分、自證分、證自證分,為量果。
因の中に四重の量果がある——相分、見分、自証分、証自証分は、測られる対象である。見分、自証分、証自証分、自証分は、測る働きである。自証分、証自証分、自証分、証自証分は、測りの結果である。
果中五重量果——自證分、證自證分、相分、相分、見分,為所量;見分、見分、自證分、證自證分、證自證分,為能量;自證分、自證分、證自證分、自證分、自證分,為量果。
ここでいう五つの重なり合う結果とは、認識の主体である「自證分」、それを確認する「證自證分」、対象である「相分」、同じく「相分」、そして認識の働きである「見分」を指します。これらが「測定されるもの」です。一方、「見分」「見分」「自證分」「證自證分」「證自證分」は「測定する側」であり、「自證分」「自證分」「證自證分」「自證分」「自證分」が「測定の結果」となります。
陳那云:似鏡相所量,能取相自證,即能量及果,此三體無別。無別體者,唯一識故,則離心無境。護法云:應有第四證自證分,若無此者,誰證第三?證自體者必現量故。第三四分既是現量,故得相證。永明云:鏡像為相分,鏡明為見分,鏡面如自證分,鏡背如證自證分;面依於背,背復依面,故得互證也。
陳那は言う:鏡に映る像のような相分が所量(対象)であり、それを捉える見分が能取(認識作用)であり、自証分がエネルギーと結果である。この三つは実体を別にしない。別の実体がないのは、ただ一つの識だからであり、心を離れて境(対象)は存在しない。護法は言う:第四の証自証分があるべきである。もしこれがなければ、誰が第三の自証分を証明するのか?自己の本体を証明するものは必ず現量(直接知覚)でなければならないからだ。第三と第四の分は現量であるため、互いに証明し合うことができる。永明は言う:鏡に映る像は相分であり、鏡の明るさは見分であり、鏡の表面は自証分のようであり、鏡の裏面は証自証分のようである。表面は裏面に依り、裏面はまた表面に依る。だから互いに証明し合うことができるのだ。