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天隠和尚語録 (天隱和尚語錄)


天隱和尚語錄序
予不會佛法,讀《磬山語》而歎:「石磬音嘹亮,聾人耳更聞。」斯言不我欺也。獨步大方,風颯颯地,盡大地人亡鋒結舌,如鴆鳥落水,魚鱉皆死,是吾師正令。頂門放光照四天下,如衣穿瘦骨露,屋破看星眠,覺他人見煙知火,猶隔一山在,是吾師金剛眼。推倒慈氏樓,拆卻空王殿,如向黑暗獄中敲枷打鎖,餓鬼隊裏放火奪漿,又如引人向萬丈懸崖一推命斷,是吾師白拈手。大用現前,不存軌則,拈頭作尾、指實為虛,有時點鐵成金、有時點金成鐵,如臨敵布陳,改旗變勢,分合無窮,是吾師殺活劍。有時海底生塵、須彌鼓浪,夜半日頭出,日午打三更,有時冬即言寒、夏即言熱,上來道箇不審,下去道箇珍重,觀根逗機,如袖頭打領、腋下剜襟,是吾師相體裁。有時如無孔笛氈,拍板咬嚼不破,是吾師鐵牛機。有時如桃花浪裏、七里灘頭拋綸擲餌,是吾師鉤頭意。有時如九鳥射盡,三足猶存,一箭墮地,天下暗黑,換骨洗腸重整頓,通身是眼更須參,是吾師竿頭步。有時坐斷舌頭,直得無出氣處,說詩呈劍,退三千里,寧自碎身如微塵,不敢瞎卻一僧眼,是吾師生鐵牢關。或疑今之談禪者幟赤白分,請問磬山與諸方有何分別?昔漢武帝以兵法教霍去病,去病曰:「不在學古,顧方略何如?」唐明皇示韓幹以御府圖,幹曰:「不願觀也。」去病胸中有活法,韓幹胸中有活馬,磬山胸中有活玄,要猛虎口邊拾得、毒蛇頭上安排,為一切抱椿搖艣人抽釘拔楔,是吾師別有生涯。昔鄭玄居家考索,便從著述起念;孔明身比管樂,便從勳業起念;叔子峴山墮淚,便從名稱起念;儀秦力攻揣摩,便從勢和起念。今諸方簇錦攢花搭東瓜印,便從熱鬧門庭起念。讀師語一過,如脫衣卸甲,素面相呈、摩胸示人,不遮不覆,是吾師直心道場。昔包敏道勸象山與晦翁各自著書,以待天下後世之自擇。象山正色厲聲曰:「且道天地間,有箇朱元晦,陸子靜便添得些子,無了後便減得些子。」今諸方無明熾盛,人我崢嶸,如獰龍變水,留一涔滴變為八萬四千繇旬海。磬山空谷音,非為好辨,如逢磨大師歎六宗之陷牛跡,我若不除,永纏邪見。又如世尊折伏外道,使知義墮,寧於有智人前斬首,不於無智人前得勝,是吾師老婆心切,獨是吾師鼻孔未易摸索,請以俟出格英靈之善讀師語者。

私は仏法を会得せず、ただ『磬山語』を読み、感嘆して言う。「石磬の音は澄みわたり、聾者の耳にもさらに聞こえる」と。この言葉は私を欺かない。独りで大道を歩み、風がさっと吹くように、大地の人々はみな言葉を失い、舌を結ぶ。まるで毒鳥が水に落ち、魚や亀が皆死ぬがごとく、これが我が師の正しい教えである。頂門より光を放ち、四天下を照らす。衣が破れて痩せた骨が露わになり、屋根が破れて星を見ながら眠るがごとく、他人が煙を見て火を知るも、なお一山隔てたるがごとし。これが我が師の金剛の眼である。

慈氏の楼を推し倒し、空王の殿を打ち壊す。暗黒の獄中で枷を叩き鎖を打ち、餓鬼の隊列で火を放ち漿を奪うがごとく、また人を万丈の懸崖に導き、一押しで命を断つがごとし。これが我が師の白拈の手である。大用が前に現れ、軌則にとらわれず、頭を拈って尾とし、実を指して虚となす。時に鉄を点じて金となし、時に金を点じて鉄とする。敵に臨んで陣を布き、旗を改め勢いを変え、分合窮まりなし。これが我が師の殺活の剣である。

時に海底に塵が生じ、須弥山が波を鼓し、夜半に日頭が出て、日午に三更を打つ。時に冬は即ち寒と言い、夏は即ち熱と言う。上がって「不審」と言い、下がって「珍重」と言う。根機を見て機に逗し、袖頭で領を打ち、腋下で襟を剜るがごとし。これが我が師の相体裁である。

時に無孔の笛氈のごとく、拍板を咬み嚼みても破れず。これが我が師の鉄牛の機である。時に桃花の浪裏、七里の灘頭にて綸を拋げ餌を擲つがごとし。これが我が師の鉤頭の意である。時に九鳥射つこと尽くし、三足なお存す。一箭地に墮ち、天下暗黒となる。骨を換え腸を洗い、重ねて整頓す。通身眼なり、さらに参ずべし。これが我が師の竿頭の歩である。

時に舌頭を坐断し、直ちに出気の処無きを得る。詩を説きて剣を呈し、三千里を退く。寧ろ自ら身を微塵のごとく砕くとも、敢えて一僧の眼を瞎卻せず。これが我が師の生鉄の牢関である。

あるいは疑う、今の禅を談ずる者は幟を赤白に分け、磬山と諸方と何の分別があるかと。昔、漢武帝が兵法を以て霍去病に教えしに、去病曰く、「古を学ぶに在らず、顧みて方略如何なるかを」と。唐の明皇が御府の図を以て韓幹に示ししに、幹曰く、「観るを願わず」と。去病の胸中には活法あり、韓幹の胸中には活馬あり、磬山の胸中には活玄あり。猛虎の口辺に拾い得、毒蛇の頭上に安排し、一切の抱椿搖艣の人に為って釘を抽き楔を抜く。これが我が師の別に生涯あり。

昔、鄭玄が家に居て考索し、便ち著述より念を起こす。孔明、身を管楽に比し、便ち勲業より念を起こす。叔子、峴山にて涙を墮し、便ち名称より念を起こす。儀秦、力を攻めて揣摩し、便ち勢和より念を起こす。今、諸方、錦を簇し花を攅え、東瓜の印を搭す。便ち熱鬧の門庭より念を起こす。師の語を一過読みしは、衣を脱ぎ甲を卸し、素面を呈し、胸を摩して人に示すがごとし。遮らず覆わず。これが我が師の直心の道場である。

昔、包敏道が象山を勧め、晦翁と各自著書し、以て天下後世の自ら択ぶを待たんとす。象山、正色厲声して曰く、「且つ道え、天地の間に、箇の朱元晦、陸子靜有りて便ち些子を添え得、無く了て後便ち些子を減じ得んや」と。今、諸方、無明熾盛、人我崢嶸。獰龍の水を変ずるがごとく、一涔の滴を留めて八万四千の繇旬の海と為す。磬山の空谷の音、好辨の為に非ず。磨大師に逢い六宗の牛跡に陷るを歎ずるがごとし。我もし除かざれば、永く邪見に纏わる。また世尊が外道を折伏し、義墮るを知らしむるがごとし。寧ろ智有る人の前において首を斬らんも、智無き人の前において勝を得じ。これが我が師の老婆心切なり。

ただ我が師の鼻孔は未だ易く摸索し難し。出格の英霊にして善く師の語を読む者を俟たんことを請う。

崇禎癸酉八月江上弟子黃毓祺和南識

總目

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