大佛頂首楞嚴經會觧敘 綿一
師子林沙門 惟則
首楞嚴經者諸佛之慧命眾生之達道教網之宏綱禪門之要關也世尊成道以來五時設化無非為一大事因緣求其總攝化機直指心體發宣真勝義性簡定真實圓通使人轉物同如來彈指超無學者無尚楞嚴矣釋其名則一切事究竟堅固即所謂徹法底源無動無壞而如來密因菩薩萬行靡不資始乎此而歸極乎此耳考其所詮則談圓理以明真性開圓行以示真脩其性也體用雙彰其脩也果因一契原始要終了義之說也良由諸脩行人背真向妄不成無上菩提或愛念小乘得少為足或欲漏不除畜聞成過故阿難以多聞邪染為緣浚發大教而世尊首告之曰一切眾生生死相續皆由不知常住真心性淨明體用諸妄想此想不真故有輪轉又曰有三摩提名大佛頂首楞嚴王具足萬行十方如來一門超出妙莊嚴路斯一經理行之大本也歟由是破七處攀緣別二種根本因見顯心因心顯見雖心見互顯而正顯在心如以盲人矚暗喻見非眼屈指飛光驗見不動印觀河之非變比垂手之無遺辨於八還擇於諸物非舒非縮無是無非使悟淨圓真心妄為色空及聞見耳既悟妄為尚疑混濫故又破自然因緣示見見之非見合別業同分指見妄之所生且以一人例多人以一國例諸國總顯器界根身同一妄耳自淺而深自狹而廣雖多方顯妄而所顯惟真故又舉陰入處界廣及七大融會入於如來藏性使悟物我同根是非一體妄無自性全體即真凡十界依正之相皆循業發現而已既悟即真尚迷循發故又荅山河大地之難深窮生起之由譬虛空不拒諸相發揮顯真妙覺明圓照法界一多互應小大相容即體即用非俗非真至于離即離非是即非即則藏心妙性不涉名言矣復引照鏡狂走喻妄無因結責多聞勸脩無漏通而言之皆圓理也理觧雖圓非行莫證故又明二决定義初審因地發心伏斷無明為脩行之要次審煩惱根本意擇圓根為發行之由於是定六根優劣令一門深入擊鐘驗常綰巾示結陳二十五聖所證法門勑選耳根為初心方便而又教以攝心軌則安立道塲遂聞四重律儀頂光神咒通而言之皆圓行也乃至由三增進成就五十五位真菩提路雖談證位未𥁞行因下而戒業習於七趣情想防禪定於五陰魔邪無非行門之事必期於圓滿菩提歸無所得始得名為究竟堅固之證也然則依究竟堅固之理立究竟堅固之行脩究竟堅固之行證究竟堅固之理楞嚴教旨大抵如是是知教行理三悉號楞嚴了義之說莫此加矣科經者合理行為正宗離正宗為五分一見道二脩道三證果四結經五助道謂見道而後脩道脩道而後證果此常途之序固爾究論上根脩證如發明藏性之後謂不歷僧祇獲法身請入華屋之前謂疑惑銷除心悟實相之類又豈局於常哉大哉教乎夫欲發真歸元明心見性者於此宜𥁞心焉然是經無教不收無機不攝或言偏意圓或名同體異昧劣之士有所不達弘經者思所以達之從而為之觧自唐而宋觧者凡十餘家始余見長水璿師孤山圓師𣵪潭月師溫陵環師之說又閱吳興岳師之集併得興福慤資中沇真際節檇李敏諸師之意無不大同惟所見或各從一長乃不能不小異遂使行者泣岐莫辨良導則不達之患不在彼而在乎此矣今余會諸家要觧以通大途異不公乎眾者節之異而互通者互存之互為激揚者審其的據而取之間有隱略乖隔處則又附己意目為補註若合殊流同歸于海故為之會觧意道本無言非言不顯佛不得已而言矣言有不達道無以明則諸師之言亦不容其己也言既多而不同去道轉遠則會觧者又豈容其自己哉觧既會矣庶幾覽者因會觧以知人之言因人言以知佛之言佛言知矣究竟堅固者得矣曰行曰理曰教曰禪曰達道曰慧命皆剩語矣況所謂觧與會哉。
『首楞厳経』は、諸仏の智慧の命であり、衆生が真理に至る道であり、教えの網の大綱であり、禅の門の要所である。世尊が悟りを開かれて以来、五時にわたって説法教化されたが、それはすべて一大事の因緣のためであった。その中で、教化の機根を総括し、心の本体を直指し、真実の勝義の性質を宣べ、真実の円通を簡定して、人々が物事を転じて如来と同じくし、指を弾く間に無学の位を超えるものは、『楞厳経』に優るものはない。
その名を解釈すれば、「一切事究竟堅固」、すなわち法の根源を徹し、動かず壊れないものであり、如来の密因や菩薩の万行は、すべてここから始まり、ここに帰着するのである。その内容を考察すれば、円満な理を説いて真の本性を明らかにし、円満な行いを示して真の修行を開示する。その本性は、体と用の両方を顕わし、その修行は、因と果が一つに合う。始めから終わりまで、了義の説き方である。
これは、修行する人々が真実に背き妄に向かい、無上の菩提を成じ得ず、あるいは小乗を愛執して少しの得で満足し、あるいは欲の煩悩を除かずに聞いた知識が過ちとなるからである。そこで阿難が多聞と邪な染心を縁として、大いなる教えを引き出し、世尊はまずこう告げられた。「一切の衆生が生死を相続するのは、すべて常住の真心、清浄明らかな本体を知らず、さまざまな妄想を用いるからである。この想いは真実でないから、輪廻があるのだ」と。また、「三摩提というものがあり、名づけて大仏頂首楞厳王といい、万行を具足し、十方如来が一門より超出する妙なる荘厳の路である」と。これがこの経の理と行の大本である。
ここから、七つのところの攀縁を破り、二種の根本を区別し、見によって心を顕わし、心によって見を顕わす。心と見は互いに顕わすが、正しく顕わすのは心にある。盲人が暗闇を見る譬えで見が眼ではないことを示し、指を屈し光を飛ばして見が動かないことを験し、河を見て変わりないことを印し、手を垂れて失われないことを比べ、八つの還るもので弁じ、諸々の物を択んで、舒ぶでも縮むでもなく、是でも非でもなく、清浄円満な真心が妄として色空や聞見となることを悟らせる。
既に妄であることを悟っても、まだ混濁を疑うので、さらに自然と因縁を破り、見る見が真の見でないことを示し、別業と同分を合わせて、見の妄が生じる所を指し、一人を例として多人を示し、一国を例として諸国を示し、総じて器界と根身が同一の妄であることを顕わす。浅きより深く、狭きより広く、多くの方法で妄を顕わすが、顕わすところはただ真実である。故にさらに五陰・十二入・十八界を挙げ、広く七大に及び、融会して如来蔵性に入らしめ、物と我が同根であり、是と非が一体であり、妄には自性がなく、全体が即ち真実であることを悟らせる。十界の依報と正報の相は、すべて業に循って現れるに過ぎない。
既に即真であることを悟っても、まだ循って発現することを迷うので、さらに山河大地の難問に答え、生起の由縁を深く窮め、虚空が諸相を拒まないことに譬え、真妙なる覚明が法界を円照し、一と多が互いに応じ、小と大が相容れ、即体即用で俗でも真でもないことを顕わす。離即離非、是即非即に至っては、蔵心の妙性は名言に涉らない。さらに鏡を照らして狂い走る譬えで妄に因がないことを示し、多聞を責めて無漏の修行を勧める。総じて言えば、すべて円満な理である。
理は円満に解しても、行わなければ証することはできない。故にさらに二つの決定義を明らかにする。初めに因地の発心を審らかにし、無明を伏断することが修行の要である。次に煩悩の根本を審らかにし、円根を択ぶことが発行の由縁である。ここで六根の優劣を定め、一門深入を令し、鐘を撃って常住を験し、巾を綰じて結びを示し、二十五聖の証した法門を陳べ、耳根を初心の方便として選ぶことを勅し、さらに摂心の軌則を教え、道場を安立する。遂に四重の律儀と頂光の神咒を聞く。総じて言えば、すべて円満な行である。
さらに三増進によって五十五位の真の菩提路を成就する。証位を談じても、行の因を離れず、下って戒や業習を七趣の情想に防ぎ、禅定を五陰の魔邪に防ぐ。すべて行門の事であり、必ず円満な菩提に期し、無所得に帰して、始めて究竟堅固の証と名づけられる。
然れば、究竟堅固の理に依って究竟堅固の行を立て、究竟堅固の行を修して究竟堅固の理を証する。『楞厳経』の教旨は、おおむねこのようである。ここに教・行・理の三つがすべて『楞厳』と号し、了義の説はこれに過ぎるものはないと知る。
経を科する者は、理と行を合わせて正宗とし、正宗を離れて五分とする。一に見道、二に修道、三に証果、四に結経、五に助道である。見道の後に修道があり、修道の後に証果があるというのは、常途の順序である。しかし上根の修証を究め論ずれば、蔵性を発明した後に僧祇を経ずして法身を獲ると言い、華屋に入る前に疑惑が銷除し心に実相を悟ると言うような類いは、常に拘られるものだろうか。大いなるかな、この教えよ。
真を発して元に帰り、心を明らかにして性を見んとする者は、ここに心を留めるべきである。しかしこの経は、収めない教えがなく、摂めない機根がない。あるいは言葉は偏っていても意味は円満であり、あるいは名は同じでも体は異なる。劣った見識の士は達することができないところがある。弘経の者は、どうすれば達することができるかを考え、それに従って解釈する。
唐から宋にかけて、解釈する者は十余家あった。初め私は長水の璿師、孤山の円師、沇潭の月師、温陵の環師の説を見、また呉興の岳師の集め併せて、興福の慤師、資中の沇師、真際の節師、檇李の敏師らの意を得たが、すべて大同小異であった。ただ、それぞれが一つの長所に従ったため、小さな異なりが生じ、行者が岐路に泣いて良導を弁じることができず、達しない患いは彼らではなくここにある。
今、私は諸家の要解を会して大筋を通じさせた。異なっていて衆に公でないものは節を切り、異なっていても互いに通じるものは互いに存し、互いに激揚するものは的据を審らかにして取った。間に隠略や乖隔があるところは、さらに己が意を附して補註とし、殊なる流れを合わせて海に帰するがごとくした。故に会解と為す。
意は、道は本来言葉がなく、言葉なくしては顕わされない。仏は已むを得ず言葉を説かれた。言葉に達しないところがあれば、道は明らかにならない。ならば諸師の言葉も已むを得ないのである。言葉が多くなり異なると、道から転じて遠ざかる。ならば会解する者も、どうして已むを得ないことがあろうか。解が会せられたならば、おおよそ覧る者が会解によって人の言葉を知り、人の言葉によって仏の言葉を知る。仏の言葉を知れば、究竟堅固なるものを得る。行と言い、理と言い、教と言い、禅と言い、達道と言い、慧命と言うのは、すべて余分な言葉である。ましてや解と会と言うのはなおさらである。
時至正二年壬午佛成道日廬陵沙門惟則述于姑蘇城中之師子林
時は至正二年壬午、仏の成道の日に至り、廬陵の沙門惟則が姑蘇城中の師子林にて述べる。
昔天台智者大師聞西域有是經夙夜酉望願見而未及見也唐武后長安末般剌密帝三藏始持梵本自南海至廣州會宰相房融知南銓在廣請就制止寺譯出而筆受之中宗神龍元年乙巳五月廿三日經成謄寫入奏適朝廷多故未遑頒行有神秀禪師入內道塲見所奏本傳寫歸荊州度門寺時慧振法師訪度門而得之經始傳天寶十年西京興福寺惟慤法師復於故相房融家得其筆受之本始作䟽觧而廣傳之繼是則有長水孤山吳興諸公𮞏相發明而觧益詳矣然學者或困於詳而莫能徧探今師子林天如禪師會觧一出則不待徧探而眾羙具在不勞辨覈而群疑自消誦習之便莫便於是矣愚與師遊從既久自其搜括諸家叅酌去取凡三年而會觧成皆愚所目擊盖亦頗知其深有功於是經者也茲因募眾梓以流通乃復紀經來之嵗月云。
昔、天台の智者大師が西域にこの経典があると聞き、日夜、願って見たいと思いながらも叶わなかった。 唐の武后の長安の末年に、般剌密帝三蔵が初めて梵本を南海から広州に持ち来たり、宰相の房融が南銓を知り広州にいたので、制止寺に請じて訳出し、筆受した。 中宗の神龍元年乙巳の五月二十三日に経典が完成し、写しを奏上したが、朝廷に多事があったため、頒布する暇がなかった。 神秀禅師が内道場に入り、奏上された本を見て、写しを取り、荊州の度門寺に伝えた。 時に慧振法師が度門寺を訪れてこれを得て、経典は初めて世に伝わった。 天宝十年に、西京興福寺の惟慤法師が、また故相・房融の家でその筆受の本を得て、初めて疏解を作り、広く伝えた。 その後は、長水、孤山、吳興の諸公が相次いで発明し、解釈はますます詳しくなった。 しかし、学ぶ者は詳しさに困り、広く探求することができなかった。 今、師子林の天如禅師の会解が一出すると、広く探求しなくても多くの美点が備わり、労せずに弁核しなくても群疑は自ずから消える。 誦習の便は、これにまさるものはない。 愚かにも私は師と長く交わり、諸家を搜括し、参酌して取捨するのを三年かけて会解が完成するのを目の当たりにした。 深くこの経典に功績があることを知っている。 ここに衆を募って版を刻み、流通させるにあたり、再び経典が来た年月を記す。
臨川沙門克立題