住長沙府瀏陽南源禪寺
長沙府瀏陽南源禅寺に住す
元旦示眾諸佛心印歷代傳持謂之教外別傳不立文字實相無相心地法門也得之者妙用無虧失之者觸途成滯山僧得此心印運大鉗鎚啟大爐鞴鎔凡鍛聖開徃繼來增光佛日祝贊今上皇帝聖天子得此心印闢土開疆安邦定國端拱南靣子育蒼生諸大臣宰得此心印惟忠惟孝克讓克恭澤及生民海山伊頼以及我現前眾職事得此心印輔佐知識光贊叢林臨事則應變無窮當機則箭鋒相拄諸仁者正恁麼時且道印紋作何形狀驀豎拂子云看若也於斯薦得則叅尋事畢平生事辦其或未然有寒暑兮促君壽有鬼神兮妬君福復舉磬山和尚元旦示眾云今日新年頭昨日舊年尾識得本來人無憂亦無喜且道如何是本來人先和尚自代云眉橫鼻直山僧則不然設今日眾中有人問如何是本來人但向道行不出戶坐不當堂。
元旦、示衆す。諸仏の心印、歴代に伝持する、これを教外別伝、文字を立てず、実相無相の心地法門と謂う。これを得る者は妙用欠けることなく、これを失う者は途に触れて滞りを成す。山僧、この心印を得て、大いなる鉗鎚を運び、大いなる炉鞴を啓き、凡を鎔かし聖を鍛え、往きを開き来を継ぎ、仏日の光を増す。今上皇帝聖天子、この心印を得て、土を闢き疆を開き、邦を安んじ国を定め、端拱して南面し、蒼生を子の如く育む。諸大臣宰、この心印を得て、忠に惟り孝に惟り、譲るに克く恭に克く、その沢生民に及び、海山これに頼る。および我が現前の衆職事、この心印を得て、知識を輔佐し叢林を光賛し、事に臨めば応変窮まりなく、機に当たれば箭鋒相拄す。諸仁者、正に恁麼の時、且つ道え、印紋は何の形状をなすと。驀に拂子を豎てて云く、看よ。もしここに於いて薦得せば、則ち参尋の事畢り、平生の事辦ず。其れ或いは未だ然らずんば、寒暑有りて君の寿を促し、鬼神有りて君の福を妬む。復た挙す、磬山和尚の元旦示衆に云く、今日は新年の頭、昨日は旧年の尾。本来の人を識得すれば、憂いもなく喜びもなし。且つ道え、如何が是れ本来の人なる。先和尚自ら代って云く、眉横鼻直。山僧は則ち然らず。設い今日衆中に人有りて問う、如何が是れ本来の人なるかと。但だ向って道うべし、戸を出でずして行き、堂に当たらずして坐すと。
晚叅云山僧住南源來將兩月許未曾舉着宗門中事諸人作務遲了山僧不是喊便是罵諸人若作喊罵會自合入拔舌地獄若不作喊罵會累及山僧入拔舌地獄有人向者裏知得落處山僧拄杖子今夜兩手分付如或未然只知事逐眼前過不覺老從頭上來。
示眾朔風凜凜玉雪飄飄知有底途中受用不知有底孤露貧寒所以道得之於心伊蘭作旃檀之𣗳失之於旨甘露乃蒺藜之園雖然如是知有底不知有底若到南源門下好各與三十拄杖大眾不知有底且置只如知有底因甚亦喫三十拄杖還知落處麼喝一喝云選佛若無如是眼宗門那得到而今。
楊憩南居士入山晚叅師云探究此事貴在叅學人手親眼快逴得便行覰得便了不見當時龐居士叅馬祖問不與萬法為侶者是甚麼人祖云待汝一口吸盡西江水即向汝道士於言下大悟遂還家將百萬家財沉於湘江之水日與妻子兒女賣笊籬以供朝夕因賣弄家風說一偈云有男不婚有女不嫁大家團圞頭共說無生話師以拄杖畫一畫云是事且置今夜楊居士問山僧不與萬法為侶者是甚麼人好與和聲便棒大眾且道與馬祖是同是別聽取一頌馬師言句指南源棒下通豁開頂門眼無別亦無同。
楊憩南居士が山に入り、夜の参禅に臨む。師は云う、 この事を探究するには、参学人が自ら手を下し、眼を速やかにし、捉えれば直ちに行い、見れば即座に了えることが肝要である。 かつて龐居士が馬祖に参じた時を思い出そう。彼は問うた、「万法を伴わぬ者は、何者か」と。 馬祖は云う、「汝が一口で西江水を吸い尽くした時、汝に告げよう」と。 居士はこの言葉の下に大悟し、そのまま家に帰ると百万の家財を湘江の水に沈め、日々妻と子と共に笊籬を売って暮らしを立てた。 そして家風を顕わすべく、一つの偈を説いた、 「男あれど婚せず、女あれど嫁がず、みな共に円く座り、無生の話を語らう」と。 師は杖で一画を地に描き、云う、 「この事はひとまず置く。今夜、楊居士が山僧に問う、『万法を伴わぬ者は何者か』と。さあ、それに和する声をあげ、直ちに一棒を下そう。」 大衆よ、今しばらく考えよ。これは馬祖と同じか、別か。一つの頌を聴け。 馬祖の言葉は源を指し示す指南、棒の下に頂門眼は開けり。別もなく、また同じもなし。
示眾諸人不遠千里而來南源寺裏受戒且問諸人受戒者是誰若道是者現前底肉塊子能受戒只如一口氣不來者肉塊子刀割火燒也不知猪拖狗拽也不知香塗糞污也不知讚譽毀辱也不知既總不知决定不是者肉塊子能受戒明矣且道畢竟是甚麼受戒山僧未敢道破須要諸人回光返照自悟始得不見古人云塵勞逈出事非常緊把繩頭做一場不是一番寒徹骨爭得梅花透鼻香伏惟珍重。
皆さんは遠く千里を越えて、この南源寺に戒を受けに来られました。ではお尋ねします。戒を受ける者とは、いったい誰でしょうか。
もし、それが「この私」だと言うなら、今ここにある肉体の塊が戒を受けることになります。しかし、一息切れてしまえば、この肉の塊は刀で切られても、火で焼かれても、何も感じません。豚に引きずられ、犬に奪われても、香で塗られても、糞で汚されても、褒めそやされても、辱められても、すべてを知ることはありません。すべてを知らないのであれば、決してこの肉の塊が戒を受ける主体ではないことは明らかです。
では、結局のところ、何が戒を受けるのでしょうか。私はあえて言葉で道破しません。皆さん自身が、内なる光を返し、自分自身を照らして悟らなければならないのです。
古人がこのように言ったのを思い出しましょう。 「塵労を離れることは並大抵ではない。 しっかりと縄の端を握り、一大事に取り組め。 一度ならず身に沁む寒さを経験してこそ、 梅の花は鼻を衝く香りを放つのだ」
どうか、それぞれが大切にお過ごしください。
戒壇示眾舉一秀才問長沙景岑禪師百千諸佛但聞其名未審居何國土岑云黃鶴樓崔顥題後還有人題得也無才云無岑云秀才得間題取一篇好師云殺人刀活人劍藏鋒句向上機岑老拈出了也只是罕遇知音山僧則不然今日眾中有人問百千諸佛但聞其名未審居何國土只向道親言出親口諸人若向此語下薦得則覿體戒光現前當處業冤冰釋否則聽取一頌親言已出親人口大丈夫兒解知有懞懂禪和自不知扶墻摸壁外邊走。
戒壇で衆に示す。一秀才が長沙景岑禅師に問うた例を挙げる。 「百千の諸仏、その名は聞くが、どの国土におられるかわからない」 岑禅師が云う、 「黄鶴楼に崔顥が題した後、まだ誰か題する者がいるか」 秀才が云う、「いない」 岑禅師が云う、「秀才、問いを得たなら、一篇を題するがよい」 師(戒壇)が云う、 「人を殺す刀、人を生かす剣。 鋒を潜める句、向上の機。 岑老がこれを拈じ出したが、ただ知音に遇うことは稀であった。 山僧(私)はそうではない。 今日、衆中に人がいて問うたならば、 『百千の諸仏、その名は聞くが、どの国土におられるかわからない』と、 ただ向こうに告げよう、 『親の言葉は親の口から出る』と。 諸人がこの言葉の下で悟りを得るならば、 たちまち体全体に戒の光が現れ、その場で業の怨みは氷解する。 そうでなければ、一つの頌を聞き取るがよい」
親の言葉はすでに親の口から出た 大丈夫の子は「有る」ことを知り解する 朦朧たる禅和は自ら知らず 壁を撫でて壁に寄りかかり、外辺を歩く
示眾舉楊岐會禪師云薄福住楊岐年來氣力衰寒風凋敗葉猶喜故人歸囉囉哩拈上死柴頭且向無煙火師云門庭冷峻語脈藏鋒此我遠祖楊岐和尚荷擔法道綱維叢社之典型山僧忝為後裔亦有一頌薄福住南源霜風茆屋寒擁衲爐頭坐灰形似懶殘赤骨𩪸不相瞞煩汝諸人掃黃葉千峰月上煑冰團。
大衆に示す。楊岐会禅師の言葉を挙げる。 「福薄くして楊岐に住む。年来、気力衰う。 寒風、敗葉を凋ませ。猶、故人の帰るを喜ぶ。 囉囉哩。 死せる柴頭を拈じて上げ、且つ無煙の火に向かう」
師云わく、 「門庭は冷峻、語脈は鋒を蔵す。これ我が遠祖、楊岐和尚が法道を荷擔し、叢社を綱維した典型なり。 山僧、忝くも後裔として、亦た一頌有り。 福薄くして南源に住む。霜風、茆屋寒し。 衲を擁して炉頭に坐す。灰形、懶残に似たり。 赤骨𩪸、相瞞かず。汝ら諸人の黄葉を掃うを煩わす。 千峰、月上りて冰団を煑す」
臘八示眾僧問立地家風即不問如何是根本大戒師良久云會麼僧云不會師云因甚不會僧擬議師便打乃云當陽顯露豈容擬議商量覿靣提持貴在知音唱和是則我若師子吼你須野干鳴我若野干鳴你須師子吼若是上無攀仰下絕己躬底衲僧聞恁麼說話直下承當一肩擔荷則自然常光現前壁立千仞恁麼也得不恁麼也得恁麼不恁麼總得驀卓拄杖云大眾還委悉麼但存一念歸家計孰見雲山千萬重師復云今晨乃我本師釋迦如來當年在正覺山前冷地擡眸睹明星出現豁然大悟遂爾嘆云奇哉一切眾生具有如來智慧德相但以妄想執着不能證得曾有一同叅問磬山先和尚云如何是妄想先和尚云立人立我如何是智慧德相先和尚云忘人忘我大眾且道先和尚為伊答話耶為伊解說耶若向者裏簡點得出許你具一隻眼山僧則不然今日設有人問如何是妄想只向道木雞啼子夜如何是智慧德相只向道蒭狗吠天明且道與先和尚是同是別試定當看。
臘八の法要で僧たちに示す。ある僧が尋ねた。「立地家風についてはいったんおき、いかなるものが根本の大戒でしょうか」。師はしばらく沈黙してから言われた。「わかるか」。僧が「わかりません」と答えると、師は「なぜわからぬ」と問われた。僧が考えようとしたところ、師はすぐに打たれた。そして言われた。
「目の前に明らかに現れているものを、どうして考えや議論の余地があろうか。真正面から示すのは、理解し合う者同士の呼応にかかっている。つまり、私が獅子吼なら、あなたは野干(ジャッカル)の声をあげよ。私が野干の声なら、あなたは獅子吼せよ。もし、上には攀(よ)じるものもなく、下には己の身さえも絶したような衲僧(修行僧)が、このような話を聞いて、直ちに受けとめ、一肩に担いでいくならば、自然と常の光明が眼前に現れ、千仞の壁のように屹立するのだ。こうであってもよし、こうでなくてもよし。こうでもあり、こうでなくもあり、すべてよし」。
突然、杖を地に突き立てて言われた。「大衆よ、よくわかったか。ただ一念、家に帰ろうとする心さえあれば、いったい誰が雲山千万重の隔たりを見るだろうか」。
師はさらに言われた。「今朝は、わが本師・釈迦如来が、かつて正覚山の前で冷たい地に目を上げ、明星の出現を眺め、豁然と大悟された日である。そのとき如来は嘆じて言われた。『奇なるかな、一切の衆生はことごとく如来の智慧徳相を具えている。ただ妄想執着のために証得することができないだけである』。かつて一人の同参が磬山先和尚に尋ねた。『いかなるものが妄想ですか』。先和尚は言われた。『人を立て、我を立てることだ』。『いかなるものが智慧徳相ですか』。先和尚は言われた。『人を忘れ、我を忘れることだ』。大衆よ、さて先和尚は彼のために答えられたのか、それとも解き明かされたのか。もしここに分別を働かせて見極めることができれば、あなたに一隻眼(真の見識)があることを認めよう。山僧(私)はそうはしない。今日、仮に誰かが『いかなるものが妄想ですか』と尋ねたら、ただ『木鶏が真夜中に啼く』と言おう。『いかなるものが智慧徳相ですか』と尋ねたら、ただ『刍狗(わらの犬)が夜明けに吠える』と言おう。さて、これは先和尚と同じなのか、別なのか。よく考えてみよ」。
師偕眾開田示眾云者一片田地從上來分付多時矣只為兒孫不肖拋家撒業馳逐外遊致令祖父田園荊棘年生草茆日長山僧今日將原本契書揭示諸人須要諸人各各急着精彩認取者片田地斬無明草除邪見林然後放兩拋三深耕淺種披蓑帶月挈耙連雲到此不妨改禾莖為粟柄變土塊作黃金都盧只在者片田地上顯現大眾正恁麼時且道承誰恩力乃以钁頭𡎺地三下云幾度賣來還自買為憐松竹引清風。
師は大衆と共に田を開き、大衆に示して言う。
この一片の田地は、古くからずっと受け継がれてきたものだ。ただ、子孫が不肖で、家業を捨て、外をさまよい歩くため、先祖伝来の田園には荊棘が生い茂り、雑草が日に日に伸びてしまった。
今日、山僧(私)はもとの契約書を皆さんに明らかに示す。皆さん一人ひとり、しっかりと心を留めて、この一片の田地を認め取らなければならない。無明の草を切り払い、邪見の林を取り除き、それから二つ(の執着)を放ち、三つ(の毒)を捨てて、深く耕し、浅く種をまく。蓑をまとって月の下に立ち、雲をつくばかりの耙を手に取る。ここまで来れば、稲の茎を粟の柄に変え、土塊を黄金に変えることもできる。すべては、この一片の田地の上に現れているのだ。
大衆よ、まさに今この時、誰の恩力によって成り立っているというのか。
そして、钁頭で地面を三度打ちながら言う。
幾度売ってもまた自ら買い戻す、 松と竹を愛でて清風を引き入れるがため。
師與眾圍爐次垂問云趙州道火爐邊有個無賔主句如何是無賔主句眾無對自代云大家在者裏。
師が大衆と共に囲炉裏を囲んでいるとき、ふと問いを垂れた。 「趙州和尚が『火炉辺に賓主なき句あり』とおっしゃった。では、『賓主なき句』とは何か」 大衆は誰も答えられなかった。そこで師は自ら代わりに言われた。 「皆、ここにいるではないか」
除夜示眾師云出家兒莫違時失候若違時失候即是虛度光陰諸仁者且作麼生說個不違時失候底道理今日是一年三百六十日末底一日叢林恒規供佛供祖燒香散花佛殿上雲集僧堂裏和南人事既畢普請齋堂喫茶喚作不違時失候者麼且喜沒交涉莫是終日蒲團兀兀定水澄澄喚作不違時失候者麼且喜沒交涉莫是孤峰頂上木食草衣眠雲臥月天子詔不來諸侯請不赴喚作不違時失候者麼且喜沒交涉莫是十字街頭披一片挂一片口裏水漉漉地喚作不違時失候者麼且喜沒交涉既總都沒交涉畢竟如何是不違時失候底道理山僧今夜八字打開去也乃卓拄杖一下復喝一喝云恁麼恁麼渴鹿飲溪冰作水野猿啼𣗳霧成煙不恁麼不恁麼縱然一夜風吹去只在蘆花淺水邊雖然此猶是唱教門中提獎嬰兒撫憐赤子底事更須知有向上一着始得以拄杖畫一畫云拶到年窮與日窮轉身消息不多工急着眼露全容驀擲拄杖云誰道夜䦨年已盡曉來依舊日東紅。
除夜、衆に示して師云く、出家の者よ、時を違えず機を失うな。もし時を違え機を失えば、すなわち光陰を虚しく過ごすこととなる。諸仁者、いかにして「時を違えず機を失わない」という道理を説くべきか。今日は一年三百六十日の最後の一日。叢林の恒例として、仏を供え祖を供え、香を焚き花を散じ、仏殿に雲集し、僧堂にて和南す。人事既に畢わり、普く齋堂に請じて茶を喫する。これを「時を違えず機を失わない」者というか。さあ、喜ばしいことには関係ない。まさか終日、蒲団に兀兀として、定水澄澄たることを「時を違えず機を失わない」者というのではないか。さあ、喜ばしいことには関係ない。まさか孤峰の頂上にて、木を食み草を衣とし、雲に眠り月に臥し、天子の詔も来たらず、諸侯の請いにも赴かぬことを「時を違えず機を失わない」者というのではないか。さあ、喜ばしいことには関係ない。まさか十字街頭にて、一片を披ぎ一片を掛け、口には水漉漉たるを「時を違えず機を失わない」者というのではないか。さあ、喜ばしいことには関係ない。既に総じて関係ないならば、畢竟いかにしてか「時を違えず機を失わない」という道理。山僧今夜、八字に打開して去ろう。すなわち杖を卓して一下し、復た一喝して云く、「かくの如くかくの如く、渇いた鹿は渓流の氷を水と飲み、野の猿は樹の霧を煙と啼く。かくの如からずかくの如からず、縦然一夜風吹き去るとも、只だ蘆花浅水の辺に在り」。とはいえ、これなお唱教の門中にて嬰児を提げ奨め、赤子を撫で憐れむことの類い。更に須らく向上一着有ることを知って始めてよろし。杖を以て一画し云く、「年窮まり日窮まるまで拶し詰められ、轉身の消息は多くを要せず。急いで眼を着けて全容を露せ」。驀地に杖を擲ちて云く、「誰かが夜は更け年は既に尽きると言おうとも、暁来るも依舊として日は東に紅なり」。
為雲居印心院主挂鐘師云祗桓林內忽鐘聲撩倒阿難悟本真今日山僧重擊着阿誰會得證圓聞乃擊鐘三下云若將耳聽終難會眼裏聞來方始親。
雲居印心院の鐘をつかさどる師に示して云う。 祇桓精舎の林の中、忽ち鐘の声が響き、 阿難をひっくり返して本来の真実を悟らせた。 今日、山僧が再び打ち鳴らすこの音を、 誰かが聞き分けて円満なる聞性を証するだろうか。 そして鐘を三度打ち鳴らし、云う。 もし耳で聞こうとするなら、到底会得することは難しい。 眼で聞くことができて、初めて真実に親しむことができるのだ。
又為挂板師云叢林號令佛祖紀綱懸起也有眼皆見擊着也有耳咸聞既見既聞直下是觀音入理之門當處即善財功圓之際雖然如是且不落聲色句作麼生遂擊板云騎聲葢色甚分明。
燈節示眾今朝正月十五處處村歌社舞惟我南源寺裏舉令超佛越祖不是秘魔擎扠豈學雲門道普剔起無盡燈光照徹主中之主大眾且道主中主作麼靣目良久云聻。
燈節の示衆
今日は正月十五日、あちこちで村歌や社舞が賑わう中、ただ我が南源寺では、超仏越祖の令を掲げる。秘魔の扠を挙げるようなものではなく、雲門が「普」と道ったようなものでもない。無尽の灯をかかげ、その光で主中の主を照らし尽くす。
さて、大衆よ、主中の主とはどのようなお姿であろうか。
しばし沈黙して、言う。
「ねえ。」
示眾諸方有玄妙禪有性理禪有細膩禪有逐日常進禪有休去歇去禪有大法小法禪與人理會與人齩嚼山僧此間且無如許多禪只有遠祖百丈大智禪師留得一把鈍鐵鋤頭逐日要諸人使用使用得純熟若到力忘於己手忘於心目前不見有可開之田脚下不見有可立之地忽然鋤轉山河大地百雜碎露出當人雙眼睛大眾即今把柄在阿誰手裏驀擲拄杖云當陽拈出大家看。
示します。諸方には、玄妙な禅あり、性理の禅あり、細やかな禅あり、日々に進む禅あり、休み去り歇み去る禅あり、大法小法の禅あり、人と理を会させ、人に噛みしめさせるものがあります。 ここ山僧の間には、そのように多くの禅はありません。ただ、遠祖・百丈大智禅師が残された一振りの鈍い鉄の鋤があるだけです。日々、皆さんに使っていただき、使いこなして熟達する。もし力が己を忘れ、手が心を忘れ、目前に耕すべき田畑が見えず、足下に立つべき土地も見えなくなった時、忽然として鋤が転じ、山河大地が粉々に砕けて、当人の両眼が露わになるでしょう。 さあ、大衆よ、今、その柄は誰の手にあるのか。 (突然、杖を投げ出して言う) 陽の当たる所に拈り出した、皆で見よ。
示眾舉臨濟大師云山僧有時一喝如金剛王寶劍有時一喝如踞地師子有時一喝如探竿影草有時一喝不作一喝用師遂喝一喝云且道是金剛王寶劍耶是踞地師子耶是探竿影草耶是一喝不作一喝用耶汝等諸人若向此緇素得出許你具叅學眼如或未然光陰迅速生死事大切須薦取復喝一喝歸方丈。
大衆に示して、臨済大師の言葉を挙げる。 「山僧、時に一喝は金剛王の宝剣の如く、時に一喝は地に踞す師子の如く、時に一喝は探竿影草の如く、時に一喝は一喝の用をなさず」
師はそこで一喝し、言う。 「さて、これは金剛王の宝剣か、地に踞す師子か、探竿影草か、それとも一喝の用をなさぬ一喝か。汝ら諸人、もしここに黒白を弁え得るならば、参学の眼を具えていると認めよう。もしまだならば、光陰迅速、生死の事大である。切に悟りを求めよ」
再び一喝し、方丈に帰った。
示眾舉洞山云須知有佛向上事僧問如何是佛向上事山云非佛雲門云名不得狀不得所以言非師云大小雲門猶作者般見解山僧當時若在座下但冷笑三聲。
示眾舉南泉示眾云昨夜三更文殊普賢起佛見法見各與二十棒貶向二鐵圍山趙州出眾云和尚棒教誰喫泉云王老師有甚麼過州便禮拜雲門云深領和尚慈悲某甲歸衣鉢下得個安樂師拈云雲門代語大似雷門布皷取笑旁觀殊不知趙州禮拜不是好心。
大衆に示す。南泉が大衆に示して言う、「昨夜三更、文殊と普賢が仏見・法見を起こしたので、それぞれに二十棒を与え、二鉄囲山に貶しやった」と。趙州が大衆の中から進み出て言う、「和尚の棒は誰に喰わせるおつもりですか」と。南泉が言う、「王老師に何の過ちがあろうか」と。趙州はすぐに礼拝した。雲門が言う、「和尚のご慈悲を深く拝領いたしました。私めは衣鉢の下に帰って、ひとときの安楽を得ることにいたします」と。師が拈じて言う、「雲門の代語は、まるで雷門で太鼓を打つようなもの、傍らで見る者の笑いを取るばかり。知らないのは、趙
示眾舉閩中韋監軍尋常見僧云某甲待官滿出江西湖南置一問問殺江西湖南老宿僧云監軍作麼生問軍云不勞手脚僧無語師代云監軍與麼問直是笑殺江西湖南老宿。
大衆に示す。かつて閩中(福建省)の韋監軍が普段から僧に向かって言っていたことがある。 「私は任期が満了したら、江西や湖南へ出向いて、一つの問いを立てよう。江西や湖南の古参僧たちを、その問いで言い負かしてやる」 ある僧が尋ねた。 「監軍はどのように問うのですか」 監軍は答えた。 「手足を煩わせる必要はない」 僧は言葉に詰まった。 師(禅師)が代わりに言った。 「監軍がそのように問うなら、まさに江西や湖南の古参僧たちを笑い殺すことになるだろう」
南嶽山茨際禪師語錄卷一
南嶽山茨際禅師語録 巻一
音釋斆
(胡孝切音效教也)。𦥝
胡孝は、音を切って教えることです。
(伊鳥切遙上聲抒臼也)。糝
伊鳥が切れ、遙かに上声を抒べて臼となる。
(桑感切音𢕕雜也)。喊
桑の感ずる切なる音が入り混じって雑然としています。
(苦濫切音闞呵也)。逴
苦しみは激しく、切れ間なく、まるで雷鳴のようだ。
(敕角切音踔綽略速行也)。膩
(乃計切音殢肥也)。[骨*(歷-秝+林)]
その音は「殢肥」と切るのです。
(狼敵切音歴病骨出也)。