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title: "續比丘尼傳 · 一一八、清嘉興參同庵尼超琛傳"
description: "續比丘尼傳由釋震華法師於民國時期編述，是中國佛教史上專門記載比丘尼事蹟的重要傳記。該書編撰於二十世紀上半葉，繼承了梁代寶唱《比丘尼傳》的傳統，系統收錄了自南北朝至民國以來的傑出比丘尼傳記。內容詳實記錄了她們的修行經歷、弘法事蹟及對佛教的貢獻，填補了佛教史傳中女性修行者記載的空白。此書不僅是研究中國比丘尼歷史與佛教女性地位的關鍵文獻，也是了解近現代漢傳佛教發展的重要史料，具有極高的學術與宗教價值。"
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### 一一八、清嘉興參同庵尼超琛傳

超琛，字一揆，嘉興大司寇孫簡肅公之曾孫女。仲兄子麟，少年得道，登三教壇。琛幼聰敏，不由師傳，而通書義，兼善繪墨。及笄，適盛，盛遘疾不起，思為出世計。自後毀容變服，茹素焚修，立志堅貞。其兄子麟，見琛心切，語之曰：「待吾拼卻性命，倘有所悟，汝不難出世也。」奮身打七，大事得明，即告琛曰：「汝急做工夫，絕後再甦，欺君不得。」琛晝夜參究，話頭難破，如吞鐵丸，愈疑愈悶。一日，同母夫人參謁伏獅剛，一見，稱為法器。是冬結制，坐至二七，忽爾定去，香盡四炷，瞬息而過，大地平沉，洞徹本來面目。其兄聞之，笑曰：「這不唧𠺕漢，遲至今朝，方摸著鼻孔，何鈍如之？」剛即為披剃印可，出住參同，繼住伏獅。康熙己未春，抱微恙，至六月，絕粒飲水，至示期七月初三立秋永別。初三黎明，先期報鐘，琛曰：「又擔閣我一日。」初四日辰時，沐浴更衣，說偈曰：「這漢一生骨硬如釘，一處轉腳，最難移根。二十四上，知有此事，十年克苦忘形。四十九上，憫絕娑婆世界，覷得世態如冰。實求早離如願，業緣又使七春。目今葉落知秋，正是歸根時節。呵呵呵！逍遙惟我。」端坐而逝，世壽五十五，僧臘三十一。

> 超琛、字は一揆、嘉興の大司寇孫簡肅公の曾孫女。仲兄の子麟は、若くして道を得、三教壇に登った。琛は幼い頃から聡明で、師の教えを受けずに書の義理を通じ、絵画にも長じた。成人し、盛に嫁いだが、盛は病に倒れ、世を捨てることを考えた。その後、容姿を変え、粗服をまとい、菜食をして修行に励み、志は堅固であった。兄の子麟は、琛の切なる心を見て言った。「私が命をかけて悟りを開いたら、あなたも容易に世を出られるだろう。」奮起して七日間の修行に打ち込み、大悟を得て、すぐに琛に告げた。「急いで修行に励みなさい。絶望の後にこそ目覚めがある。自分を欺いてはならない。」琛は昼夜を問わず参究したが、公案は難しく、まるで鉄の玉を飲み込むようで、疑えば疑うほど苦しんだ。ある日、母と共に伏獅剛を訪ねると、一目で「法を伝える器」と称された。その冬、修行を始め、二週間目に突然座禅に入り、香が四本燃え尽きるほどの時間が一瞬で過ぎ、大地が平らに沈み、本来の面目を明らかに見た。兄はそれを聞いて笑い、「この鈍い者め、今になってようやく鼻をつまんだとは、なんと鈍いことか。」と言った。剛はすぐに剃髪し、印可を与え、参同に住し、その後伏獅に住した。康熙己未の春、微かな病を得、六月には食事を断ち水のみを飲み、示された期日である七月初三の立秋に永遠の別れを告げた。初三の明け方、早くから鐘が鳴らされると、琛は言った。「また一日遅らせられた。」初四日の辰の刻、沐浴して衣を替え、偈を述べた。「この漢、一生骨が釘のように硬く、一か所で足を転じると、根を移すのが最も難しい。二十四でこのことを知り、十年間苦行して形を忘れた。四十九で娑婆世界を憐れみ、世の有様を氷のように見た。早く離れたいと願ったが、業縁がまた七年を過ごさせた。今、葉が落ちて秋を知る、まさに根に帰る時。あははは！逍遥自在は我のみ。」端座して逝った。世寿五十五、僧臘三十一。