一、梁湖州法華寺尼道蹟傳
一、梁の湖州法華寺尼道蹟伝
道蹟,一名明練,號總持,吳興人,或作梁武帝女。事達摩為弟子,悟心要法。達摩將返天竺,命門人各言所得。道蹟曰:「我今所解,如慶喜見阿閦佛國,一見更不再見。」達摩曰:「汝得吾肉。」後遁居湖州弁嶺峰,晝夜誦法華經,誦滿萬部,不下山者,凡二十年。感空中白雀常來聽經,山遂以白雀名。既圓寂,塔全身於結廬之所。大同元年,塔內忽有青蓮華一朵,道俗異之,啟視,見華從舌根生。州郡錄奏,勅建法華寺,事具褚詢望所寫塔碑。
道蹟(どうせき)は、別名を明練(みょうれん)といい、号を總持(そうじ)と称しました。呉興(ごこう)の出身で、ある説では梁の武帝(りょうのぶてい)の娘であったとも伝えられます。達磨大師(だるまだいし)に師事して弟子となり、心の要法を悟りました。
達磨大師が天竺(てんじく)へ帰国される際、弟子たちにそれぞれ悟りの境地を述べさせました。道蹟はこう答えました。「私の今の理解は、あたかも慶喜(きょうき、阿難尊者)が阿閦仏(あしゅくぶつ)の国を見たように、一度見れば二度と再び見る必要のないものです。」すると達磨大師は言われました。「汝は我が肉を得たり。」
その後、道蹟は湖州(こしゅう)の弁嶺峰(べんれいほう)に隠遁し、昼夜を問わず『法華経』を誦経しました。一万部を誦み終えるまで、二十年もの間、山を下りることはありませんでした。その修行に感じて、空から白い雀が常に経を聞きに来たため、山は「白雀山」と呼ばれるようになりました。
道蹟が円寂(おんじゃく)した後、遺体は塔に納められ、生前に庵を結んだ場所に安置されました。大同元年(だいどうがんねん)、塔の中から突然、一輪の青蓮華(しょうれんげ)が現れました。僧侶も在家もこれを奇跡と感じ、塔を開いてみると、その