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  1. 妙法蓮華経玄義釈籤 (妙法蓮華經玄義釋籤)
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妙法蓮華経玄義釈籤 (妙法蓮華經玄義釋籤)


釋籤緣起序 祿一

# 疏註の起源に関する序

君山除饉男普門子屬辭

君山の除饉男普門子が辞を属した。

四教成列開合之旨蘊乎其中十子既往幽贊之功在人方絕惟三轉遂周一乘載導經文顯而約玄記愽而深後進難窺蒙求尚壅不遠而復存乎其時我哲匠湛然公當之矣公孩提秀發志學名成淵解得於自心博贍振於先達無適不可以虛受人洎毘壇以至于國清其從如雲矣間者島夷作難海山不寧徇法之多仄身巖宇或謂身危法喪莫如奉法全身僶俛遂行暴露原野是樂法者請益恱隨且法實無邊身則有待弘敷未暇籤訪有憑因籤以釋思逸功倍美哉洋洋乎登門者肯綮未嘗望涯者恥躬不逮乘是以訓文其可廢耶先德既詳雖大科不舉諸生未達在小疑必䟽凡十卷不忘於本以天台命家善繼其宗以釋籤順學信所謂觀象得意俾昏作明永代不朽者也普早嵗在塵後時從道徒欲擊其大節獨不愧於心乎。

四教が列なり開かれ合わさる趣旨は、その中に蘊かされている。十子が既に去りし後、幽冥を賛える功績は人において絶えようとしている。ただ三転をめぐらして一乗を導き出す。経文は顕かで簡潔であり、玄記は広くして深遠である。後学の者は窺い難く、蒙りを求める者には尚塞がりがちである。遠からずして復ることは、その時を存するのである。我が哲匠・湛然公がこれに当たった。公は孩提の頃より秀でて発現し、志学の歳にして名を成した。深き悟りは自らの心において得られ、博くして豊かなることは先達を振るった。何に適するもなく、虚ろなるをもって人を受け入れることができた。毘壇を経て国清に至るまで、その従う者は雲の如くであった。間にあるとき、島夷が難を作し、山海が安らかならず、法を徇う者の多くは身を仄めて岩宇に隠れた。あるいは言う、身は危うく法は喪われんと、法を奉じて身を全うするに如かずと。僶俛として遂に行き、原野に曝された。これ、楽法の者が益を請い、悦びとして随ったのである。かつ法は実に辺辺として無く、身には則ち待つところがある。弘敷の暇は無く、籤を訪ねるに憑るところがある。籤に因って以て解釈し、思は逸し功は倍す。美なるかな、洋洋たるかな。門を登る者は肯綮を嘗めず、涯を望む者は躬の及ばざるを恥じる。これに乗じて訓文を作ることは、其れ廃つべけんや。先徳は既に詳らかにすといえども、大科は挙げず。諸生未だ達せず、小疑において必ず疏す。凡そ十巻、本を忘れず、天台をもって家に命じ、善くその宗を継ぐ。釈籤をもって順学と為す。いわゆる象を見て意を得、昏きをして明と作すとは、永代朽ちざる者也。普、早歳は塵に在り、後時は道に従う。徒だにその大節を撃たんと欲すれども、独り心に愧ぢざらんや。

天王越在陝郛之明年甲辰嵗紀月貞于相

天王が陝の城に移られてから翌年、甲辰の年、月は相の月にあたる。


玄義序釋籤

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