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  1. 太虚大師全書.第十一編 宗依論(上) (太虛大師全書.第十一編 宗依論(上))
  2. 第1
  3. 第一章 能知現實之方法
  4. 第一節 現比真似
  5. 三 能知之現量心
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太虚大師全書.第十一編 宗依論(上) (太虛大師全書.第十一編 宗依論(上))


三 能知之現量心

三 能知の現量心

若「能知心」於「現知境」無有遮隱迷亂,如光顯色,各別顯現,分明證知一一事之自相,則為能知之現量心。剋實而言,唯有離二執障時之淨智相應心品,方是真現量心。然在因明家之量論,須共通俗,不同佛陀學之內明,故說四類:一者,依色根之前五識現量心──官覺──,依眼、耳等根覺色聲等自相故。二者,依意根之第六識現量──心,謂與前五識同時起之第六識,亦明了覺知一一色聲等之自相故。三者,此諸識心及相應心所等,於現知時一一各自證知之自證現量心,凡起一心及一心所,各自知故。一一心及心所各自知其自相。四者,依意根識定心相應心品之現量心,定心於定境中,不論觀事體與事義,皆離共相之名理等各別顯現,故皆證知境之自相。此四皆為俗間及佛陀學內明共通之現量心。俗間即以凡境一一事義自相為所知故,佛等即以聖境一一事義自相為所知故。而第四定心相應之現量,尤為溝通俗間與內明之樞要,離我法執及煩惱所知障之淨智亦依之起故。今之現實主義,即為內明,故應更說內明現量。一者,一切種識之現量心,於攝持之一切種子及變現之根身、器界,一一了知其自相故。二者,離二執障之淨智相應心品現量心,此通妙觀察智等之四智相應心品,了一一事體、事義自相故。前者不共凡愚──愚指小乘──,後雖不通凡俗,然與小乘聖者或通不通。或通者,離我執煩惱障之淨智;不通者,離法執所知障之淨智,唯大乘聖者能有故。故內明之現量,較前四現量大有勝劣之差別。然前四現量,平等為比量所依,人間以至佛陀,無勝無劣。以比量之為用,或明俗事,或明勝義,皆不定故。今為了知現實而說明現實故,將以現量作比量之所依,以為立正破邪之據,則必依人間共同承認之現量,乃可為是非裁判之標準。故所宗雖在內明之現量,而同時亦兼重因明之現量也。

もし「心」が「対象」をあるがままに捉え、そこに隠れや迷いがなく、光が物の形を照らし出すように、一つ一つの事物の自相を明らかに、はっきりと認識するならば、それが認識する心の現量(げんりょう)です。

本来、正しく言えば、我執と法執の二つの障りを離れた清らかな智慧を伴う心のはたらきだけが、真の現量です。しかし因明(いんみょう)の論理学では、一般の人の理解に合わせる必要があり、仏陀学の内明(ないみょう)とは異なります。

そこで、因明では次の四種類を説きます。

1. **五根による現量(感官知)**: 眼、耳などの五つの感覚器官によって、色や音などの自相を直接認識するはたらきです。 2. **第六意識による現量**: 五つの感覚と同時に生じる第六意識のはたらきで、これもまた、色や音などの一つ一つの自相を明らかに認識します。 3. **自証分の現量(自己認識)**: 上記の心や心のはたらきが、対象を知る時に、それ自身を明らかに自覚するはたらきです。心や心のはたらきが生じる時、それらはおのずから自分自身を知るのです。 4. **禅定の智慧による現量**: 意識の定まった心(禅定)に対応する心のはたらきです。禅定の境地では、対象を観察する時もその意味を考える時も、すべてが概念や言葉を離れて、ありのままに現れます。そのため、対象の自相をそのまま証知します。

これら四つは、世俗の世界と仏陀学の内明の両方に共通する現量です。世俗は日常の事柄の自相を知る対象とし、仏陀など聖者は聖なる境地の事柄の自相を知る対象とするからです。

特に**第四の禅定の智慧による現量は、世俗と内明をつなぐ重要な役割**を担います。これは、我執や法執、煩悩障や所知障を離れた清らかな智慧も、この現量に基づいて生じるからです。

さて、ここで説く「現実主義(リアリズム)」は内明に当たります。そこで、内明における現量についてさらに説明します。

1. **阿頼耶識の現量**: すべての種子(潜在的要素)を保持し、身体や世界を顕現させる根本識(阿頼耶識)のはたらきです。これは、保持する種子や、顕現させた身体・世界の一つ一つの自相をありのままに知ります。 2. **煩悩と所知の二障を離れた清らかな智慧の現量**: これは妙観察智など四つの智慧(四智)を伴う心のはたらきであり、あらゆる事物の自相をありのままに知ります。

前者(阿頼耶識の現量)は凡人や小乗の聖者には理解できません。後者(清らかな智慧の現量)も一般の人には及びませんが、小乗の聖者には通じる場合と通じない場合があります。つまり、我執(煩悩障)を離れた清らかな智慧には通じますが、法執(所知障)を離れた清らかな智慧は大乗の聖者だけが持つものだからです。

このように、内明の現量は先の四つの現量より優れている点と劣っている点があります。しかし先の四つの現量は、推論(比量)の基礎となる点では、凡人から仏陀に至るまで優劣はありません。なぜなら、推論のはたらきは、日常の事柄を明らかにする場合も、最高の真理を明らかにする場合もあり、一定しないからです。

今、現実を理解し説明するために、現量を推論の基礎とし、正しいことを立て間違いを破る拠り所とするには、人間社会で共通に認められる現量を基準としなければ、正誤の判断規準とはなり得ません。そのため、目標は内明の現量にありますが、同時に因明の現量も重視するのです。


二 自相與共相
四 現量之所知境

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