ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 太虚大師全書.第十四編 支論 (太虛大師全書.第十四編 支論)
  2. 第2
  3. 大乘與人間兩般文化
  4. 一 釋題
←と→
矢印キーでページをめくれます

太虚大師全書.第十四編 支論 (太虛大師全書.第十四編 支論)


一 釋題

一 題名の解説

此題、嘗標為「佛法與東西洋文化」,在廬山及如皋兩處講演之。聽者既未能紀錄成章,復以所題東西洋文化一名,義猶未當,乃易為今題一演繹之。

このテーマは、かつて「仏法と東西洋文化」と題して、廬山(ろざん)と如皋(じょこう)の二ヶ所で講演したものです。当時、聴衆の皆さんが記録をまとめることができず、また「東西洋文化」という題名の意味も適切でなかったため、今回新たな題に改めて解説することにしました。

「人間」一名,包括歷史所載交通所及之全地球人類以言。佛法之在人間流布者,固亦為人間範圍內文化之一,而大乘之在佛法範圍內,更不待言。今既抽出「大乘」與「人間兩般文化」對裁,則「大乘」且置後論,先一審人間兩般文化之義。

「人間」という言葉には、歴史に記録され、交流が及ぶ全世界の人類が含まれています。仏法がこの人間の世界で広まっているのは、まさに人間の範囲内における文化の一つです。そして、大乗が仏法の範囲内にあることは言うまでもありません。さて、ここで「大乗」と「人間の二つの文化」を取り出して比較するにあたり、「大乗」は後回しにして、まず人間の二つの文化の意味を検討しましょう。

此人間之兩般文化,以橫的空間分別之,似可言東西洋文化。甲為東洋文化,乙為西洋文化。然甲種文化在西洋亦非絕無,若梭、柏、亞三氏與基督教及康德下之各派,多為甲類;而乙類文化在東洋亦非絕無,若中國之法家、名家、兵家、縱橫家、與墨家一分,及印度之順世外道等,皆為乙類。故梁漱溟君東西文化之分為未當,而此亦不能以東西洋文化名也。以縱的時間分別之,又似可言古今文化——若近人所言新學、舊學,或新舊文化等——,然古文化中非無甲種文化,若法家及順世外道等;今文化中亦非無乙種文化,若生命派及人文主義等。故亦不能以古今文化名也。以性質分別之,又似可言動靜文化,然甲類文化非不動,但調伏「激烈的動」為「安靜的」動耳,雖靜而恆動。乙類文化雖尚動,但動之結果則化為物質的、法制的死靜之件,由動而成靜。故亦不能以動靜文化名也;由此可見李大釗所言東西文明根本之異點之不然。又似可言精神文化、物質文化。然甲種文化所產之工藝器物非不燦然,而乙種文化亦由憑藉一種精神而產生之,若渴求真理及慾望等,故亦不能以精神物質文化名也;由此可見泰戈爾等所言之不然。又似可言乙種為改善依報——謂器世間即改造環境——的文化,甲種為改善正報——謂有情世間即改造自己——的文化,然改善依報非不憑仗正報,改善正報亦必施及依報,且其名費解,故亦不能以依正文化名也。又似可言甲種為提高——謂提高人性以向上發展——的文化,或擇善其質的文化;乙種為擴大——謂擴大人力以向下普及——的文化,或廓充其量的文化。然提高非不兼藉擴大,若賢人政治亦言衣食足而後知禮義等;而擴大亦非不並冀提高,若多數政治,亦期望由眾愚或全民執政後,當如何美善。且提高、擴大,名不雅馴,故亦不能以提高、擴大名也。又似可借用白璧德語,以人文主義、人道主義區別之。然此二名之界說猶混,而白璧德所持之人文主義,亦不足包括吾所言之甲種文化,故亦不能以人文人道名也。然大較言之,則上來之東西也,古今也,動靜也,依正也,精神與物質也,提高與擴大也,人文與人道也,其名皆有可用;而各各不無未當之處。故今不嫌笨拙,祇得題之為「人間兩般文化」。

人間の二つの文化の型を、横の空間で分けるなら、東洋文化と西洋文化と呼べるように思われる。甲は東洋文化、乙は西洋文化である。しかし、甲の類の文化は西洋にも全くないわけではない。例えばソクラテス、プラトン、アリストテレスの三氏やキリスト教、そしてカント以降の諸派の多くは甲に属する。また、乙の類の文化は東洋にも全くないわけではない。例えば中国の法家、名家、兵家、縦横家、墨家の一部、そしてインドの順世外道などは皆、乙に属する。よって、梁漱溟氏の東西文化という区分は適切ではなく、これを東西文化と呼ぶこともできない。

縦の時間で分けるなら、古今の文化——近人が言う新学・旧学、あるいは新旧文化など——と呼べるように思われる。しかし、古文化の中にも甲の文化(法家や順世外道など)は存在し、今文化の中にも乙の文化(生命派や人文主義など)は存在する。よって、これを古今文化と呼ぶこともできない。

性質で分けるなら、動の文化と静の文化と呼べるように思われる。しかし、甲の文化は決して動かないわけではなく、「激しい動き」を調伏して「静かな動き」としたものであり、静かでありながら常に動いている。乙の文化は動きを重視するが、その動きの結果は物質的・法制的な死んだ静けさへと変わり、動きから静けさへと至る。よって、これを動静文化と呼ぶこともできない。これにより、李大釗氏が言う東西文明の根本的な差異が正しくないことが分かる。

また、精神文化・物質文化と呼べるようにも思われる。しかし、甲の文化が生み出す工芸品や道具は決して素晴らしくないわけではなく、また乙の文化も、真理への渇求や欲望といった一種の精神に依って生み出される。よって、これを精神文化・物質文化と呼ぶこともできない。これにより、タゴールなどの言説が正しくないことが分かる。

また、乙は依報(器世間、つまり環境)を改善する文化、甲は正報(有情世間、つまり自己)を改善する文化と呼べるようにも思われる。しかし、依報の改善は正報に依らないわけではなく、正報の改善も必ず依報に及ぶ。しかも、その名称は理解しにくい。よって、これを依正文化と呼ぶこともできない。

また、甲は向上(人間性を高めて上へ発展させる)の文化、あるいはその質を善く選択する文化、乙は拡大(人間の力を拡大して下へ広く普及させる)の文化、あるいはその量を大きくする文化と呼べるようにも思われる。しかし、向上も拡大を兼ねないわけではない(賢人政治でも衣食足りてから礼儀を知ると言う)。また、拡大も向上を願わないわけではない(多数政治でも、大衆や全民が執政した後、いかに美しく善くなるかを期待する)。しかも、向上・拡大という名称も洗練されていない。よって、これを向上文化・拡大文化と呼ぶこともできない。

また、白壁徳(アーヴィング・バビット)の言葉を借りて、人文主義と人道主義で区別することも考えられる。しかし、この二つの名称の定義はまだ曖昧であり、バビットが唱える人文主義も、私が言う甲の文化を十分に含んではいない。よって、これを人文文化・人道文化と呼ぶこともできない。

しかし、大まかに言えば、ここまで挙げた東西・古今・動静・依正・精神と物質・向上と拡大・人文と人道という名称も、それぞれ用いることはできる。ただ、どれも不適切な点がないわけではない。そこで、あえて拙いながらも、本稿ではこれを「人間の二つの文化」と題することにする。

今此兩般文化之分別,乃從人間的理智上——知的、行為上——情的、信向上——志的、之兩般各異性質以區別之也。今準此說其區別於下:

ここでいう二つの文化の違いは、人間の理性における──知識面・行動面(情)・信仰面(志)──という、それぞれ異なる性質によって区別されるものです。ここでは、この考えに基づいて、その違いを以下に述べます。


綱要
二 甲種文化

CBETA コード: TX0014

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません

『太虚大師全書』は無料オンライン閲覧のために許諾を得ています。