ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 長阿含経 (長阿含經)
  2. 巻一 (卷一)
  3. 序 (序)
←と→
矢印キーでページをめくれます

長阿含経 (長阿含經)


長阿含經序

長阿含経序

長安釋僧肇述

長安の釈僧肇が述べる

夫宗極絕於稱謂,賢聖以之沖默;玄旨非言不傳,釋迦所以致教。是以如來出世,大教有三:約身口,則防之以禁律;明善惡,則導之以契經;演幽微,則辨之以法相。然則三藏之作也,本於殊應,會之有宗,則異途同趣矣。

宗なる極みは、呼び名を超えて存在し、賢聖はそれによって静かに沈黙する。深遠な教えは言葉なくして伝わらず、釈迦はそれゆえに教えを説いた。このように、如来が世に現れ、大いなる教えには三つがある。身と口については、戒律をもって防ぎ、善悪を明らかにするには、経典をもって導き、深遠で微細なことを説くには、法相をもって弁じる。しかしながら、三蔵の教えは、それぞれ異なる応現に基づいており、それらを一つの宗旨に集約すれば、異なる道も同じ目的地に至るのである。

禁律,律藏也,四分十誦。法相,阿毗曇藏也,四分五誦。契經,四阿含藏也:《增一阿含》四分八誦,《中阿含》四分五誦,《雜阿含》四分十誦,此《長阿含》四分四誦,合三十經以為一部。

禁律は律蔵であり、四分十誦に分かれています。法相は阿毘曇蔵であり、四分五誦に分かれています。契経は四阿含蔵であり、『増一阿含』は四分八誦、『中阿含』は四分五誦、『雑阿含』は四分十誦、そしてこの『長阿含』は四分四誦で、合わせて三十の経典が一つの部を成しています。

阿含,秦言法歸。法歸者,蓋是萬善之淵府,總持之林苑。其為典也,淵博弘富,韞而彌廣;明宣禍福賢愚之迹,剖判真偽異齊之原,歷記古今成敗之數,墟域二儀品物之倫。道無不由,法無不在,譬彼巨海,百川所歸,故以法歸為名。開析修途,所記長遠,故以長為目。翫茲典者,長迷頓曉。邪正難辨,顯如晝夜;報應冥昧,照若影響;劫數雖遼,近猶朝夕;六合雖曠,現若目前。斯可謂朗大明於幽室,惠五目於眾瞽,不闚戶牖,而智無不周矣。

阿含は、秦の言葉で「法の帰する所」を意味します。法の帰する所とは、あらゆる善の源であり、すべての教えが集まる園林のようなものです。この経典は、深く広大で豊かな内容を持ち、内に秘められた真理はますます広がりを示します。そこには、幸不幸や賢愚の行いが明らかに説かれ、真偽や異同の根本がはっきりと分けられ、古今の成敗の道理が記され、天地万物の秩序が示されています。道はここを通らずしてはなく、法はここに在らずしてはありません。まるで大海が百川の流れの帰する所であるように、だからこそ「法の帰する所」と名付けられたのです。修行の道筋を明らかにし、記された内容が遠大であるため、「長い」という名が付けられました。この経典に親しむ者は、長い迷いがたちまち晴れます。邪と正の区別が難しかったものが、昼と夜のように明らかになります。報応が暗くて見えなかったものが、影や響きのようにはっきりと照らし出されます。劫の数がどんなに遠くても、まるで朝と夕べのように近く感じられます。世界がどんなに広大でも、目の前に現れているかのようです。これはまさに、暗い部屋に大きな明かりを灯し、多くの盲人に五つの眼を与えるようなもので、戸や窓を覗かなくても、智慧が行き届かないところはないのです。

大秦天王,滌除玄覽,高韻獨邁,恬智交養,道世俱濟,每懼微言翳於殊俗。以右將軍使者司隸校尉晉公姚爽,質直清柔,玄心超詣,尊尚大法,妙悟自然,上特留懷,每任以法事。以弘始十二年歲次上章閹茂,請罽賓三藏沙門佛陀耶舍出律藏一分四十五卷,十四年訖。十五年歲次昭陽赤奮若,出此《長阿含》訖。涼州沙門佛念為譯,秦國道士道含筆受。時,集京夏名勝沙門,於第校定,恭承法言,敬受無差,蠲華崇朴,務存聖旨。余以嘉遇猥參聽次,雖無翼善之功,而預親承之末,故略記時事,以示來賢焉。

大秦の天王は、心の曇りを洗い清め、高遠な境地にただ独り進み、静かな智慧と互いに養い合い、道と世をともに救済されました。常に、微妙な教えが異なる風俗の中で曇らされることを憂慮されました。

右将軍使者司隸校尉晋公の姚爽は、質朴で正直、清らかで柔和、玄妙な心は超然としており、大法を尊び重んじ、自然の理を妙に悟っておられました。上(天王)は特に彼に心を留められ、常に法事を任せられました。

弘始十二年、干支は庚戌(かのえいぬ)の年に、罽賓(けいひん)の三蔵沙門、仏陀耶舎(ブッダヤシャス)に律蔵の一部、四十五巻を出させられ、十四年に完成しました。十五年、干支は癸丑(みずのとうし)の年に、この『長阿含経』が出され完成しました。

涼州の沙門、仏念が翻訳を務め、秦国の道士、道含が筆受を担当しました。その時、京師と中原の著名な沙門たちを集め、邸宅で校定を行い、恭しく法の言葉を受け、敬って誤りなく受け取り、華美を排して質朴を尊び、ひたすら聖なる趣旨を保ちました。

私は幸運にもこの場に陪聴する機会を得ました。善を助ける功績はありませんでしたが、親しく承る末席に預かったので、ここに時の事柄を略記し、来るべき賢者に示すものです。


1 分

CBETA コード: T0001

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません