(四)佛說長阿含第一分闍尼沙經第四
(四)仏説長阿含経第一分闍尼沙経第四
如是我聞:
私はこのように聞きました。
一時,佛遊那提揵稚住處,與大比丘眾千二百五十人俱。
ある時、お釈迦さまはナディカンニャという地におられました。千二百五十人の大勢の比丘たちと共に。
爾時,尊者阿難在靜室坐,默自思念:「甚奇!甚特!如來授人記別,多所饒益。彼伽伽羅大臣命終,如來記之,此人命終,斷五下結,即於天上而取滅度,不來此世。第二迦陵伽,三毘伽陀,四伽利輸,五遮樓,六婆耶樓,七婆頭樓,八藪婆頭,九他梨舍㝹,十藪達梨舍㝹,十一耶輸,十二耶輸多樓,諸大臣等命終,佛亦記之,斷五下結,即於天上而取滅度,不來生此。復有餘五十人命終,佛亦記之,斷三結,婬、怒、癡薄,得斯陀含,一來此世便盡苦際。復有五百人命終,佛亦記之,三結盡,得須陀洹,不墮惡趣,極七往返必盡苦際。有佛弟子處處命終,佛皆記之,某生某處、某生某處。鴦伽國、摩竭國、迦尸國、居薩羅國、拔祇國、末羅國、支提國、拔沙國、居樓國、般闍羅國、阿濕波國、阿般提國、婆蹉國、蘇羅婆國、乾陀羅國、劍洴沙國,彼十六大國有命終者,佛悉記之,摩竭國人皆是王種王所親任,有命終者,佛不記之。」
その時、尊者アーナンダは静かな部屋に座り、静かに思案していました。
「なんと不思議なことか。なんと驚くべきことか。如来は人々に授記をなさり、多くの利益をもたらされる。あのガガラ大臣が命終した時、如来は彼について、この人は五下分結を断じて、天上で涅槃を得、この世には戻ってこないと記された。第二のカリンガ、第三のヴィガタ、第四のガリシュ、第五のチャル、第六のバヤル、第七のバトル、第八のソバト、第九のタリシャヌ、第十のソダリシャヌ、第十一のヤシュ、第十二のヤシュタル、これらの大臣たちが命終した時も、仏は彼らについて、五下分結を断じて、天上で涅槃を得、この世には生まれ変わらないと記された。
さらに、他の五十人の者が命終した時も、仏は彼らについて、三結を断ち、貪り・怒り・愚かさが薄らいで、一来果を得、一度この世に戻って苦の終わりに至ると記された。さらに五百人の者が命終した時も、仏は彼らについて、三結を断じて預流果を得、悪趣に堕ちることなく、多くとも七度の往還で必ず苦の終わりに至ると記された。
仏弟子たちが様々な地で命終しても、仏は皆、彼らがどこに生まれるかを記される。アンガ国、マガダ国、カーシー国、コーサラ国、ヴァッジ国、マッラ国、チェーティ国、ヴァッサ国、クル国、パンチャーラ国、アッサカ国、アヴァンティ国、ヴァツァ国、シュラセーナ国、ガンダーラ国、カンボージャ国、この十六大国において命終した者について、仏はすべて記される。しかし、マガダ国の人々は皆、王族や王の側近であるが、彼らが命終しても、仏は記されることはない。」
爾時,阿難於靜室起,至世尊所,頭面禮足,在一面坐,而白佛言:「我向於靜室默自思念:『甚奇!甚特!佛授人記,多所饒益,十六大國有命終者,佛悉記之,唯摩竭國人,王所親任,有命終者,獨不蒙記。唯願世尊當為記之!唯願世尊當為記之!饒益一切,天人得安。又佛於摩竭國得道,其國人命終,獨不與記。唯願世尊當為記之!唯願世尊當為記之!又摩竭國缾沙王為優婆塞,篤信於佛,多設供養,然後命終,由此王故,多人信解,供養三寶,而今如來不為授記。唯願世尊當與記之!饒益眾生,使天人得安。』」爾時,阿難為摩竭人勸請世尊,即從座起,禮佛而去。
その時、阿難は静室から立ち上がり、世尊のもとへと向かいました。頭を地につけて礼拝し、傍らに座ると、仏にこう申し上げました。
「私は先ほど静室で静かに思いを巡らせておりました。『なんと不思議なことでしょう。なんと特別なことでしょう。仏が人々に授記を与えられることは、多くの利益をもたらします。十六大国で命を終えた者たちは、仏がことごとくその行く先を記されています。しかし、摩竭国だけは、王が親しく信頼する者たちが亡くなっても、ただ一人として授記を授かることがありません。どうか世尊、どうか彼らのために授記をお与えください。すべての者を益し、天界の人々も安らぎを得られますように。また、仏は摩竭国で悟りを開かれました。その国の人々が命を終えても、ただ一人として授記を与えられないとは。どうか世尊、どうか彼らのために授記をお与えください。さらに、摩竭国の瓶沙王は優婆塞となり、仏を深く信じ、多くの供養を捧げられました。その後、王は亡くなられましたが、この王のおかげで多くの人々が信じ理解し、三宝を供養するようになりました。それなのに今、如来は授記をお与えになりません。どうか世尊、どうか授記をお与えください。衆生を益し、天界の人々を安らがせてください』と」
その時、阿難は摩竭国の人々のために世尊に懇願し、座から立ち上がり、仏に礼をして去っていきました。
爾時,世尊著衣持鉢,入那伽城乞食已,至大林處坐一樹下,思惟摩竭國人命終生處。時,去佛不遠,有一鬼神,自稱己名,白世尊曰:「我是闍尼沙!我是闍尼沙!」
その時、世尊は衣をまとい、鉢を持ち、那伽城に入って托鉢を終え、大林に至って一本の樹の下に坐し、摩竭国の人々の命終後の生まれ変わりを思惟しておられた。
すると、仏からさほど遠くないところに、一人の鬼神が現れ、自らの名を告げて世尊に申し上げた。
「私は闍尼沙でございます! 私は闍尼沙でございます!」
佛言:「汝因何事,自稱己名為闍尼沙?(闍尼沙秦言勝結使)。汝因何法,自以妙言稱見道迹?」
仏がおっしゃいました。「あなたはどのような理由から、自ら自分の名を闍尼沙と称しているのですか。(闍尼沙とは、中国語(秦の言葉)では「勝結使」という意味です。)どのような法によって、自ら巧みな言葉で見道の迹を称しているのですか。」
闍尼沙言:「非餘處也。我本為人王,於如來法中為優婆塞,一心念佛而取命終,故得生為毘沙門天王太子。自從是來,常照明諸法,得須陀洹,不墮惡道,於七生中常名闍尼沙。」
闍尼沙は言った。「それは、他の理由ではありません。私はかつて人間の王であり、如来の教えのもとで在家の信者(優婆塞)となり、一心に仏を念じてこの世を去りました。そのため、毘沙門天王の太子として生まれ変わることができたのです。それ以来、常に諸々の法を明らかに観察し、預流果(須陀洹)を得て、悪道に堕ちることなく、七度の生まれ変わりの中、常に闍尼沙と名乗っているのです。」
時,世尊於大林處隨宜住已,詣那陀揵稚處,就座而坐,告一比丘:「汝持我聲,喚阿難來。」
その時、世尊は大林の住処にしばらく滞在された後、那陀揵稚の場所へと向かい、座につかれると、一人の比丘に告げられた。「汝、我が声を持ちて、阿難を呼びに来させよ。」
對曰:「唯然!」即承佛教,往喚阿難。
「はい、かしこまりました。」と答えると、すぐに釈尊のお言葉に従い、阿難を呼びに行きました。
阿難尋來,至世尊所,頭面禮足,在一面住,而白佛言:「今觀如來顏色勝常,諸根寂定。住何思惟,容色乃爾?」
阿難はすぐにやって来て、世尊のもとに至り、頭面を地に接して礼拝し、傍らに立って、仏に申し上げました。「今、如来のお顔の色は普段より勝れ、諸根は静かに定まっておられます。どのようなお考えにおられて、お顔色がこのように輝いておられるのでしょうか?」
爾時,世尊告阿難曰:「汝向因摩竭國人來至我所,請記而去,我尋於後,著衣持鉢,入那羅城乞食,乞食訖已,詣彼大林,坐一樹下,思惟摩竭國人命終生處。時,去我不遠,有一鬼神,自稱己名,而白我言:『我是闍尼沙!我是闍尼沙!』阿難!汝曾聞彼闍尼沙名不?」
その時、世尊は阿難に告げられた。 「あなたは先ほど、摩竭陀国の人々が私のもとに来て、授記を請うて去ったのを見ただろう。私はその後、衣をまとい鉢を持って、那羅城に入り托鉢をした。托鉢を終え、あの大きな林に赴き、一本の木の下に坐って、摩竭陀国の人々の命終わった後の生まれ変わりを思惟していた。 すると、私からそう遠くないところに、一つの鬼神が現れ、自ら名を称えて私に申し上げた。 『私は闍尼沙です! 私は闍尼沙です!』 阿難よ、あなたはかつてその闍尼沙という名を聞いたことがあるか?」
阿難白佛言:「未曾聞也。今聞其名,乃至生怖畏,衣毛為竪。世尊!此鬼神必有大威德,故名闍尼沙爾。」
阿難は仏に申し上げました。「これまで聞いたことがありません。今その名を聞いて、恐れおののき、身の毛が逆立つほどです。世尊よ、この鬼神は必ずや大いなる威徳をお持ちなので、闍尼沙と名付けられたのでしょう。」
佛言:「我先問彼:『汝因何法,自以妙言稱見道迹?』闍尼沙言:『我不於餘處,不在餘法。我昔為人王,為世尊弟子,以篤信心為優婆塞,一心念佛,然後命終,為毘沙門天王作子,得須陀洹,不墮惡趣,極七往返,乃盡苦際,於七生名中,常名闍尼沙。一時,世尊在大林中一樹下坐,我時乘天千輻寶車,以少因緣,欲詣毘樓勒天王,遙見世尊在一樹下,顏貌端正,諸根寂定,譬如深淵澄靜清明,見已念言,我今寧可往問世尊,摩竭國人有命終者,當生何所?又復一時,毘沙門王自於眾中,而說偈言:
仏は言われた。「私はまず彼に尋ねた。『あなたはどのような法によって、自ら妙なる言葉をもって道の跡を見たと称するのですか?』と。闍尼沙は言った。『私は他のところではなく、他の法によるのではありません。私はかつて人間の王であり、世尊の弟子でした。篤い信心をもって優婆塞となり、一心に仏を念じ、その後に命終わり、毘沙門天王の子となりました。須陀洹果を得て、悪趣に堕ちることなく、極めて七度の往復を経て、苦の際を尽くします。七生の名において、常に闍尼沙と名乗っています。ある時、世尊は大いなる林の中、一本の樹の下に坐しておられました。私はその時、天の千輻の宝車に乗り、些細な因縁で毘楼勒天王のもとへ行こうとしていました。遥かに世尊が一本の樹の下におられるのを見ました。お顔は端正で、諸根は寂定し、深い淵のように澄み静かで清明でした。それを見て、私はこう思いました。今こそ世尊のもとへ行き、摩竭国の人々で命を終えた者は、どこに生まれるのかを尋ねよう、と。またある時、毘沙門王は自ら衆の中において、偈を説きました。
「『我等不自憶,過去所更事;
今遭遇世尊,壽命得增益。』
「我らは、過去に経験したことを自ら思い出すことはできない。
今、世尊に巡り会い、寿命が延びたことを知った。」
「又復一時,忉利諸天以少因緣,集在一處。時,四天王各當位坐,提頭賴吒在東方坐,其面西向,帝釋在前;毘樓勒叉天在南方坐,其面北向,帝釋在前;毘樓博叉天王在西方坐,其面東向,帝釋在前;毘沙門天王在北方坐,其面南向,帝釋在前。時,四天王皆先坐已,然後我坐。復有餘諸大神天,皆先於佛所,淨修梵行,於此命終,生忉利天,增益諸天,受天五福:一者天壽,二者天色,三者天名稱,四者天樂,五者天威德。時,諸忉利天皆踊躍歡喜言:『增益諸天眾,減損阿須倫眾。』爾時,釋提桓因知忉利諸天有歡喜心,即作頌曰:
またある時、忉利天の諸天が、ささやかな縁によって一つの場所に集まった。その時、四天王はそれぞれの定位置に座り、提頭頼吒は東方に座って顔を西に向け、帝釈天はその前にいた。毘樓勒叉天は南方に座って顔を北に向け、帝釈天はその前にいた。毘樓博叉天王は西方に座って顔を東に向け、帝釈天はその前にいた。毘沙門天王は北方に座って顔を南に向け、帝釈天はその前にいた。その時、四天王は皆、まず座った後、私が座った。また、その他の多くの大神天たちも、皆、かつて仏のもとで清らかな修行を積み、その命を終えて忉利天に生まれ、諸天の力を増し、天界の五つの福徳を受けた。一つは天の寿命、二つは天の美しい姿、三つは天の名声、四つは天の楽しみ、五つは天の威徳である。その時、忉利天の諸天は皆、喜び躍って言った。『諸天の衆は増え、阿須倫の衆は減った。』その時、帝釈天は忉利天の諸天に喜びの心があるのを知り、すぐに偈を唱えた。
「『忉利諸天人,帝釋相娛樂;
禮敬於如來,最上法之法。
諸天受影福,壽、色、名、樂威;
於佛修梵行,故來生此間。
復有諸天人,光色甚巍巍;
佛智慧弟子,生此復殊勝。
忉利及因提,思惟此自樂;
禮敬於如來,最上法之法。』
「忉利天の諸天人、帝釈天の楽しみにて、 如来を礼敬し、最上の法の法を礼す。 諸天は影の福を受け、寿命、色、名、楽しみ、威光を享く。 仏に梵行を修するにより、故にこの間に生まる。 また諸天人有り、光色甚だ巍巍たり。 仏の智慧の弟子、ここに生まるはまた殊勝なり。 忉利天及び因提天、この楽しみを思惟し、 如来を礼敬し、最上の法の法を礼す。」
「闍尼沙神復言:『所以忉利諸天集法堂者,共議思惟,觀察稱量,有所教令,然後勅四天王,四王受教已,各當位而坐。其坐未久,有大異光照于四方,時,忉利天見此異光,皆大驚愕,今此異光將有何怪?餘大神天有威德者,皆亦驚恠,今此異光將有何怪?時,大梵王即化作童子,頭五角髻,在天眾上虛空中立,顏貌端正,與眾超絕,身紫金色,蔽諸天光。時,忉利天亦不起迎,亦不恭敬,又不請坐。時,梵童子隨所詣座,座生欣悅,譬如剎利水澆頭種,登王位時,踊躍歡喜。其坐未久,復自變身,作童子像,頭五角髻,在大眾上虛空中坐。譬如力士坐於安座,嶷然不動,而作頌曰:
闍尼沙神はまた言った。「それで忉利天の諸天が法堂に集まるのは、共に議論し、考え、観察し、計量して、何らかの教えや命令を定め、それから四天王に命じるためです。四天王は教えを受け、それぞれ自分の座につきます。彼らが座ってまだ間もないうちに、大きな異様な光が四方を照らしました。その時、忉利天の者たちはこの異光を見て、皆大いに驚き怪しみました。『この異光は一体何の怪しいことの前兆だろうか?』と。他の威徳ある大神天たちもまた驚き怪しみました。『この異光は一体何の怪しいことの前兆だろうか?』と。
その時、大梵天王はたちまち童子に姿を変え、頭には五つの角のような髻を結い、天衆の上の虚空に立ちました。その顔かたちは端正で、衆を超えて優れており、体は紫金色で、諸天の光を覆い隠しました。その時、忉利天の者たちも迎えに立とうとせず、敬いもせず、また座を請うこともしませんでした。すると、梵童子は向かった座に従って、その座は喜びに満ちました。ちょうど剎帝利が水を頭に注ぐ灌頂の儀式を受け、王位に登った時のように、踊り上がって喜んだのです。
彼が座ってまだ間もないうちに、また自ら姿を変え、童子の姿に、頭には五つの角のような髻を結い、大衆の上の虚空に座りました。あたかも力士が安らかな座に座るように、どっしりと動かず、そして偈を唱えました:
「『調伏無上尊,教世生明處;
大明演明法,梵行無等侶,
使清淨眾生,生於淨妙天。』
「無上の尊き方を調伏し、世の人々に明るい道を教える。 大いなる光が明らかな法を説き、清らかな行いは比類なき友。 清浄な人々を導き、清らかで妙なる天界に生まれさせる。」
「時,梵童子說此偈已,告忉利天曰:『其有音聲,五種清淨,乃名梵聲。何等五?一者其音正直,二者其音和雅,三者其音清徹,四者其音深滿,五者周遍遠聞,具此五者,乃名梵音。我今更說,汝等善聽!如來弟子摩竭優婆塞,命終有得阿那含,有得斯陀含,有得須陀洹者,有生他化自在天者,有生化自在、兜率天、焰天、忉利天、四天王者,有生剎利、婆羅門、居士大家,五欲自然者。』時,梵童子以偈頌曰:
その時、梵童子はこの偈を説き終えると、忉利天の者たちに告げた。
「音声には五種の清らかさがあり、それらを備えてこそ梵声と名づけられる。その五つとは何か。第一に、その音は正しく真っ直ぐであること。第二に、その音は調和し優雅であること。第三に、その音は澄み切って明らかであること。第四に、その音は深く満ち足りていること。第五に、その音は広く遠くまで聞こえること。この五つを具えているからこそ、梵音と呼ばれるのだ。
今、さらに説こう。よく聞きなさい。如来の弟子である摩竭国の在家信者たちが命を終える時、阿那含を得る者あり、斯陀含を得る者あり、須陀洹を得る者あり。他化自在天に生まれる者あり、化自在天・兜率天・焔天・忉利天・四天王天に生まれる者あり。また、王族・バラモン・在家の大いなる家に生まれ、五つの欲が自然に満たされる者もある」
その時、梵童子は偈をもって次のように述べた。
「『摩竭優婆塞,諸有命終者,
八萬四千人,吾聞俱得道。
成就須陀洹,不復墮惡趣,
俱乘平正路,得道能救濟。
此等群生類,功德所扶持,
智慧捨恩愛,慚愧離欺妄。
於彼諸天眾,梵童記如是;
言得須陀洹,諸天皆歡喜。』
「マガダ国の在家信者たちよ、命を終えた者たちの中には、 八万四千人の人々が、私は聞くところでは皆、道を得たという。 彼らは須陀洹果を成就し、もはや悪しき世界に堕ちることなく、 共に平らで正しい道を歩み、悟りを得て救いをもたらすことができた。 これらの多くの生きとし生けるものは、功徳によって支えられ、 智慧によって愛執を捨て、慚愧の心から欺瞞を離れた。 かの天界の衆生たちの間では、梵童子がこのように記している; 須陀洹果を得たと語り、諸天は皆、歓喜している。」
「時,毗沙門王聞此偈已,歡喜而言:『世尊出世說真實法,甚奇!甚特!未曾有也。我本不知如來出世,說如是法。於未來世,當復有佛說如是法,能使忉利諸天發歡喜心。』
その時、毘沙門天王はこの偈を聞き終え、喜びのうちに言った。 「世尊が世に現れ、真実の法を説かれたとは、なんと稀有なことでしょう! なんと驚くべきことでしょう! 未だかつてなかったことです。 私はこれまで、如来が世に現れてこのような法を説かれることを知りませんでした。 未来の世にもまた、このような法を説く仏が現れ、 忉利天の諸天たちに歓喜の心を起こさせてくださるでしょう。」
「時,梵童子告毗沙門王曰:『汝何故作此言?如來出世說如是法,為甚奇!甚特!未曾有也。如來以方便力說善不善,具足說法而無所得,說空淨法而有所得,此法微妙,猶如醍醐。』
その時、梵童子が毘沙門王に告げました: 「なぜあなたはこのようなことを言うのですか?如来が世に現れ、このような法を説かれたことは、実に稀有であり、驚くべきこと、未だかつてなかったことです。如来は方便の力をもって善と不善を説き、法を完璧に説きながらも何も得るところがなく、空なる清浄の法を説きながらも得るところがある。この法は微妙で、ちょうど醍醐のように純粋です。」
「時,梵童子又告忉利天曰:『汝等諦聽!善思念之,當更為汝說。如來、至真善能分別說四念處。何謂為四?一者內身觀,精勤不懈,專念不忘,除世貪憂。外身觀,精勤不懈,專念不忘,除世貪憂。受意法觀,亦復如是,精勤不懈,專念不忘,除世貪憂。內身觀已,生他身智;內觀受已,生他受智;內觀意已,生他意智;內觀法已,生他法智,是為如來善能分別說四念處。復次,諸天!汝等善聽!吾當更說,如來善能分別說七定具。何等為七?正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念,是為如來善能分別說七定具。復次,諸天!如來善能分別說四神足,何等謂四?一者欲定滅行成就修習神足。二者精進定滅行成就修習神足。三者意定滅行成就修習神足。四者思惟定滅行成就修習神足,是為如來善能分別說四神足。』
時に、梵童子はまた忉利天に告げて言った。『よく聞きなさい。心を込めて考え、よく覚えておきなさい。今、さらにあなた方のために説こう。如来・至真は、四念処をよく分別して説くことができる。四つとは何か。一つは内なる身体を観察し、精進して怠ることなく、心を集中して忘れず、世の貪りと憂いを除くこと。外なる身体を観察し、精進して怠ることなく、心を集中して忘れず、世の貪りと憂いを除くこと。受・心・法を観察するのも同じく、精進して怠ることなく、心を集中して忘れず、世の貪りと憂いを除くことである。内なる身体を観察し終われば、他者の身体についての智慧が生まれる。内なる受を観察し終われば、他者の受についての智慧が生まれる。内なる心を観察し終われば、他者の心についての智慧が生まれる。内なる法を観察し終われば、他者の法についての智慧が生まれる。これが、如来がよく分別して説く四念処である。
さらに、諸天よ、よく聞きなさい。さらに説こう。如来は、七つの定の資具をよく分別して説くことができる。七つとは何か。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念である。これが、如来がよく分別して説く七つの定の資具である。
さらに、諸天よ、如来は四神足をよく分別して説くことができる。四つとは何か。一つは、欲による定によって煩悩の行を滅し、成就し、修習する神足である。二つは、精進による定によって煩悩の行を滅し、成就し、修習する神足である。三つは、心による定によって煩悩の行を滅し、成就し、修習する神足である。四つは、思惟による定によって煩悩の行を滅し、成就し、修習する神足である。これが、如来がよく分別して説く四神足である。』
「又告諸天:『過去諸沙門、婆羅門以無數方便,現無量神足,皆由四神足起;正使當來沙門、婆羅門無數方便,現無量神足,亦皆由是四神足起;如今現在沙門、婆羅門無數方便,現無量神足者,亦皆由是四神足起。』時,梵童子即自變化形為三十三身,與三十三天一一同坐,而告之曰:『汝今見我神變力不?』答曰:『唯然已見。』梵童子曰:『我亦修四神足故,能如是無數變化。』
また諸天に告げて言った。 『過去の沙門や婆羅門たちが、数え切れないほどの方法で、無量の神通力を示したのは、すべて四神足から起こったものである。 もし将来の沙門や婆羅門が、数え切れないほどの方法で、無量の神通力を示すとしても、それもまたこの四神足から起こるであろう。 今現在の沙門や婆羅門が、数え切れないほどの方法で、無量の神通力を示すのも、すべてこの四神足から起こっているのだ。』
その時、梵童子は自ら姿を変え、三十三の身となり、三十三天のそれぞれと共に座り、彼らに告げた。 『あなた方は今、私の神通力を見たか?』 答えて言った。 『はい、確かに見ました。』 梵童子は言った。 『私もまた四神足を修めたからこそ、このように数え切れないほどの変化ができるのだ。』
「時,三十三天各作是念:『今梵童子獨於我坐而說是語,而彼梵童一化身語,餘化亦語;一化身默,餘化亦默。』時,彼梵童還攝神足,處帝釋坐,告忉利天曰:『我今當說,汝等善聽!如來、至真自以己力開三徑路,自致正覺。何謂為三?或有眾生親近貪欲,習不善行,彼人於後近善知識,得聞法言,法法成就,於是離欲捨不善行,得歡喜心,恬然快樂,又於樂中,復生大喜;如人捨於麤食,食百味飯,食已充足,復求勝者。行者如是,離不善法,得歡喜樂,又於樂中,復生大喜,是為如來自以己力開初徑路,成最正覺。又有眾生多於瞋恚,不捨身、口、意惡業,其人於後遇善知識,得聞法言,法法成就,離身惡行、口、意惡行,生歡喜心,恬然快樂,又於樂中,復生大喜;如人捨於麤食,食百味飯,食已充足,復求勝者。行者如是,離不善法,得歡喜樂,又於樂中,復生大喜,是為如來開第二徑路。又有眾生愚冥無智,不識善惡,不能如實知苦、習、盡、道,其人於後遇善知識,得聞法言,法法成就,識善不善,能如實知苦、習、盡、道,捨不善行,生歡喜心,恬然快樂,又於樂中,復生大喜;如人捨於麤食,食百味飯,食已充足,復求勝者。行者如是,離不善法,得歡喜樂,又於樂中,復生大喜,是為如來開第三徑路。』
その時、三十三天の神々はそれぞれこのように思いました。『今、梵童子はただ一人で私たちの座においてこの言葉を語っている。しかし、あの梵童子は一つの化身が語れば、他の化身も語る。一つの化身が黙すれば、他の化身も黙する。』
その時、梵童子は神通力をおさめ、帝釈天の座に戻り、忉利天の神々に告げました。『私は今、説き明かしましょう。よく聞きなさい。如来・至真は自らの力によって三つの道を開き、自ら正覚に至られました。三つとは何か。
ある衆生は貪欲に親しみ、不善の行いを習っています。その人が後に善知識に近づき、法の言葉を聞くことができ、一つ一つの法を成就します。そこで欲を離れ、不善の行いを捨て、歓喜の心を得て、穏やかに楽しみ、さらにその楽しみの中から、大いなる喜びが生まれます。あたかも人が粗末な食事を捨てて百味の飯を食べ、食べて満足した後、さらに優れたものを求めるかのようです。修行者もまた同じく、不善の法を離れ、歓喜の楽しみを得て、さらにその楽しみの中から大いなる喜びが生まれる。これが如来が自らの力によって開かれた最初の道であり、最も正しい覚りを成就された所以です。
また、ある衆生は瞋恚が多く、身・口・意の悪業を捨てません。その人が後に善知識に遇い、法の言葉を聞くことができ、一つ一つの法を成就します。身の悪行、口と意の悪行を離れ、歓喜の心が生まれ、穏やかに楽しみ、さらにその楽しみの中から大いなる喜びが生まれます。あたかも人が粗末な食事を捨てて百味の飯を食べ、食べて満足した後、さらに優れたものを求めるかのようです。修行者もまた同じく、不善の法を離れ、歓喜の楽しみを得て、さらにその楽しみの中から大いなる喜びが生まれる。これが如来が開かれた第二の道です。
また、ある衆生は愚かで無知であり、善悪を識別せず、苦・集・滅・道をありのままに知ることができません。その人が後に善知識に遇い、法の言葉を聞くことができ、一つ一つの法を成就します。善と不善を識別し、苦・集・滅・道をありのままに知ることができ、不善の行いを捨てて歓喜の心が生まれ、穏やかに楽しみ、さらにその楽しみの中から大いなる喜びが生まれます。あたかも人が粗末な食事を捨てて百味の飯を食べ、食べて満足した後、さらに優れたものを求めるかのようです。修行者もまた同じく、不善の法を離れ、歓喜の楽しみを得て、さらにその楽しみの中から大いなる喜びが生まれる。これが如来が開かれた第三の道です。』
「時,梵童子於忉利天上說此正法,毗沙門天王復為眷屬說此正法,闍尼沙神復於佛前說是正法,世尊復為阿難說此正法,阿難復為比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷說是正法。」
時に、梵童子は忉利天においてこの正法を説き、毘沙門天王はまた眷属のためにこの正法を説き、闍尼沙神はさらに仏の前でこの正法を説き、世尊はまた阿難のためにこの正法を説き、阿難はさらに比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷のためにこの正法を説きました。
是時,阿難聞佛所說,歡喜奉行。
その時、阿難は仏の説かれたことを聞き、歓喜して教えを奉じ行いました。
佛說長阿含經卷第五
仏説長阿含経 第五巻