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仏説維摩詰経 (佛說維摩詰經)

「佛說維摩詰經」について

呉 · 底本の訳者:支謙

2.5 万字 · 約 83 分

仏説維摩詰経は、三国時代の呉において訳経師支謙によって漢訳され、初期中国仏教における重要な経典の一つである。本経は維摩詰居士を中心人物とし、文殊菩薩をはじめとする聖者たちとの対話を通じて、大乗仏教の不二法門、菩薩道の精神、在家修行の優れた意義を明らかにする。経文は「心浄ければ即ち仏土浄し」と強調し、出家と在家という形式的な区別を超え、大乗仏教の円融無碍なる智慧を顕わしている。大乗経典の代表作として、中国仏教の禅宗や浄土宗など諸宗派に深遠な影響を与え、仏教思想史および文学史上において崇高な地位を占め、歴代の高僧大徳によって広く注釈され研鑽されてきた。


佛說維摩詰經卷上(維摩詰所說不思議法門之稱一名佛法普入道門三昧經)

仏説維摩詰経 上巻

吳月氏優婆塞支謙譯

呉の月氏優婆塞支謙訳

佛國品第一

仏国品第一

聞如是:

このように私は聞きました。

一時,佛遊於維耶離奈氏樹園,與大比丘眾俱,比丘八千。菩薩三萬二千,皆神通菩薩,一切大聖能隨俗化,佛所住者皆已得住,為法城塹護持正法,為師子吼十方聞聲,眾人不請祐而安之,興隆三寶能使不絕,皆已降棄魔行仇怨,一切所化莫不信解,皆度死地,脫無罣礙,不失辯才。其念及定、總持,諸寶悉成;其所布施、調意、自損、戒、忍、精進、一心、智慧,善權已下。得無所著、不起法忍,阿惟越致法輪已轉。隨眾人相為現慧德,在諸眾為正導,以無畏而不動,已成福祐慧之分部,已得相好能自嚴飾,色像第一;捨世間財,志行高妙,名稱普至,有金剛志,得佛聖性;以法感人,為雨甘露,曉眾言音,所說如流,其聲清淨,入微妙法;見生死本,眾厄已斷,度諸恐畏,為師子吼,不以多言,其講說法,乃如雷震,無有量,已過量;以道寶之智,導為大師,以知足之行,現遠佛聲及法功德,博入諸道順化眾生,說無比正佛之智慧;以十力、無畏、佛十八法,往度惡道諸墮塹者;其生五道,為大醫王,以慧以善,救眾生病,應病與藥,令得服行。無量善事皆悉得,無量佛國皆嚴淨,無量佛慧皆修學,明智之講皆聽聞,明者之迹皆履行,慧之德本隨次興,深法之要皆已入,三昧無量能悉成,佛力無畏,一切具足。

ある時、仏はヴァイシャーリーのナイダナ樹園に滞在され、八千人の大比丘衆と共におられました。また、三万二千人の菩薩たちもおられました。彼らは皆、神通力を備えた菩薩であり、すべての大聖者たちは俗世の教化に従うことができ、仏が住まわれる境地にすでに到達していました。法の城壁となって正法を護持し、獅子吼のように十方に響き渡る声をあげ、人々が請わなくても安らぎを与え、三宝を興隆させて絶えることなく、すでに魔の行いと怨みを降伏させ、一切の教化された者たちは信解を得、死の境地を超え、無碍の境地に解脱し、弁才を失うことはありませんでした。

彼らの念と禅定、総持は、すべての宝を成就し、布施、心の調御、自らの損害、戒律、忍耐、精進、一心、智慧、善巧方便など、すべての修行を完成させていました。無所得の境地に達し、法忍を起こさず、不退転の法輪をすでに転じていました。衆生の相に従って智慧の徳を現し、あらゆる衆生のなかで正しい導き手となり、無畏の心で動じることなく、福徳と智慧の分け前をすでに成就し、相好を具えて自らを荘厳し、色相は第一でした。世間の財を捨て、志行は高妙で、名声は広く行き渡り、金剛のような志を持ち、仏の聖性を得ていました。

法をもって人々を感化し、甘露の雨を降らせ、あらゆる言語を理解し、説法は流れるように滑らかで、その声は清浄で微妙な法に入りました。生死の根本を見極め、あらゆる苦厄を断ち切り、すべての恐れを超え、獅子吼のように、多くを語らずとも説法は雷鳴のように響き渡り、量を超え、すでに量を過ぎていました。道の宝である智慧をもって大師となり、知足の行いをもって遠く仏の声と法の功徳を現し、あらゆる道に入って衆生を教化し、比類なき正しい仏の智慧を説きました。

十力、無畏、仏の十八法をもって、悪道に堕ちた者たちを救い、五道に生まれて大医王となり、智慧と善巧をもって衆生の病を救い、病に応じて薬を与え、服従させました。無量の善事をすべて成就し、無量の仏国土をすべて荘厳清浄にし、無量の仏の智慧をすべて修学し、明智の説法をすべて聴聞し、明者の跡をすべて履行し、智慧の徳本を次々と興し、深遠な法の要諦をすべて悟り、無量の三昧をすべて成就し、仏の力と無畏をすべて具えていました。

其名曰:正觀菩薩,見正邪菩薩,定化王菩薩,法自在菩薩,法造菩薩,光造菩薩,光淨菩薩,大淨菩薩,辯積菩薩,寶積菩薩,寶掌菩薩,寶印手菩薩,常舉手菩薩,常下手菩薩,常慘菩薩,常笑菩薩,喜根菩薩,喜王菩薩,正願至菩薩,虛空藏菩薩,寶甚持菩薩,寶首菩薩,寶池菩薩,寶水菩薩,水光菩薩,捨無業菩薩,智積菩薩,燈王菩薩,制魔菩薩,造化菩薩,明施菩薩,上審菩薩,相積嚴菩薩,師子雷音菩薩,石磨王菩薩,眾香手菩薩,眾手菩薩,常應菩薩,不置遠菩薩,善意諫菩薩,蓮華淨菩薩,大勢至菩薩,闚音菩薩,梵水菩薩,𤁷水菩薩,寶幢菩薩,勝邪菩薩,嚴土菩薩,金結菩薩,珠結菩薩,慈氏菩薩,濡首菩薩,其三萬二千菩薩,皆如此上首者也。

その名は次の通りである。

正観菩薩、見正邪菩薩、定化王菩薩、法自在菩薩、法造菩薩、光造菩薩、光浄菩薩、大浄菩薩、弁積菩薩、宝積菩薩、宝掌菩薩、宝印手菩薩、常挙手菩薩、常下手菩薩、常惨菩薩、常笑菩薩、喜根菩薩、喜王菩薩、正願至菩薩、虚空蔵菩薩、宝甚持菩薩、宝首菩薩、宝池菩薩、宝水菩薩、水光菩薩、捨無業菩薩、智積菩薩、灯王菩薩、制魔菩薩、造化菩薩、明施菩薩、上審菩薩、相積厳菩薩、師子雷音菩薩、石磨王菩薩、衆香手菩薩、衆手菩薩、常応菩薩、不置遠菩薩、善意諫菩薩、蓮華浄菩薩、大勢至菩薩、闚音菩薩、梵水菩薩、𤁷水菩薩、宝幢菩薩、勝邪菩薩、厳土菩薩、金結菩薩、珠結菩薩、慈氏菩薩、濡首菩薩。

この三万二千の菩薩は、みなこの上首のような方々である。

復有萬婆羅門,皆如編髮等,從四方境界來詣佛所而聽法。一切諸天各與其眾,俱來會聚此。彼天帝萬二千釋從四方來,與他大尊神妙之天,及諸龍神、揵沓和、阿須倫、迦留羅、甄陀羅,摩睺勒等,并其眾皆來會。諸比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,并其眾會坐。彼時,佛與若干百千之眾,眷屬圍遶,而為說經。其從須彌方外來者,四面雲集,一切眾會皆坐自然師子之座。

さらに、一万のバラモンたちも、編み髪の者たちなど、四方の国境からやって来て、仏の御前に集い、法を聞いた。すべての諸天も、それぞれの眷属と共に、ここに集い来たった。天帝釈をはじめ一万二千の神々が四方から集い、他の尊い神々や妙なる天衆、そして諸々の龍神、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽など、その眷属たちも皆、集い来たった。比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷たちも、それぞれの集いをなして座した。その時、仏は幾百幾千もの衆に囲まれ、眷属に取り巻かれながら、経を説かれた。須弥山の外からやって来た者たちも、四方から雲のように集い、すべての会衆は自然に現れた獅子座に座っていた。

於是維耶離國有長者子,名羅隣那竭(漢言曰寶事)與五百長者子俱,皆有決於無上正真之道,持七寶蓋來詣佛所,稽首佛足,以其寶蓋,共覆佛上。佛之威神,令一寶蓋,覆此三千大千佛國。於是世界諸來大眾,皆見寶蓋覆此三千世界,諸須彌目隣、大目隣山、雪山、寶山、黑山、鐵圍山、大鐵圍山,悉現於寶蓋中。此三千世界,大海江河,川流泉源,及上日月星辰,天宮龍宮,諸尊神宮,悉現於寶蓋中。十方諸佛佛國嚴淨,及十方佛在所說法,皆現於寶蓋中,悉遙見聞。一切魔眾得未曾有,禮佛而立。國界若干,莫不目見。

そこでヴァイシャーリー国に長者の息子がいました。名をラトナラークシャといい(漢訳では「宝事」といいます)、五百人の長者たちの息子たちと共に、皆、無上正真の道に決意を固め、七宝の蓋を持って仏陀のもとに参りました。仏陀の足に頭を地につけて礼拝し、その宝の蓋を捧げて、共に仏陀の上を覆いました。仏陀の威神によって、一つの宝の蓋がこの三千大千世界の仏国土を覆いました。すると、この世界に集まった大衆は皆、宝の蓋がこの三千世界を覆うのを見ました。諸々の須弥山、目隣山、大目隣山、雪山、宝山、黒山、鉄囲山、大鉄囲山が、ことごとく宝の蓋の中に現れました。この三千世界の大海、江河、川の流れ、泉の源、そして天上の日月星辰、天宮、龍宮、諸々の尊い神々の宮殿が、すべて宝の蓋の中に現れました。十方の諸仏の仏国土の荘厳清浄さ、および十方の仏陀がそれぞれ説法している様子が、ことごとく宝の蓋の中に現れ、はるか遠くからも見聞きすることができました。すべての魔衆は未だかつてない光景に驚き、仏陀を礼拝して立ちました。さまざまな国々の様子が、目の当たりに見えるようになりました。

童子寶事,即於佛前以偈讚曰:

童子宝は、すぐに仏の御前で偈をもって讃嘆しました。

「清淨金華眼明好,淨教滅意度無極,
淨除欲疑稱無量,願禮沙門寂然迹。
既見大聖三界將,現我佛國特清明,
說最法言決眾疑,虛空神天得聞聽。
經道講授諸法王,以法布施解說人,
法鼓導善現上義,稽首法王此極尊。
說名不有亦不無,以因緣故諸法生,
非我不造彼不知,如佛清淨無惡形。
始在佛樹力降魔,得甘露滅覺道成,
以無心意而現行,一切異學伏其名。
三轉法輪於大千,受者修正質行清,
天人得見從解法,為現三寶於世間。
佛所說法開化人,終已無求常寂然,
上智愍度老死畏,當禮法海德無邊。
供養事者如須彌,無誡與誡等以慈,
所演如空念普行,孰聞佛名不敬承?
今奉能仁此慈蓋,於中現我三千世,
諸天龍神所居宮,犍沓和等及閱叉。
以知世間諸所有,十力哀現是變化,
眾覩希有皆歎佛,稽首極尊大智現。」

清らかな金華の眼、澄み渡るまなざし、 清浄な教えは迷いを滅ぼし、限りなく救い渡す。 欲望と疑いを清め除き、無量の徳を称える、 静寂の沙門の足跡に、心から礼を捧げます。

大聖なる三界の将に会い、 我が仏国土の清らかな明るさを見せていただき、 最も尊い法の言葉で、多くの疑いを解き明かし、 虚空の神々や天までもが聞き入りました。

経の道を説き授ける諸々の法王、 法をもって布施し、人々に解き明かす方、 法の鼓は善を導き、最高の真理を現す、 この最も尊き法王に、深く頭を下げます。

名づけられるものは有るのでもなく、無いのでもない、 因縁によって、すべての現象は生じるのです。 「我」が造るのでもなく、彼が知るのでもない、 仏のように清らかで、悪しき形はありません。

初めに仏陀の樹の下で、力をもって魔を降し、 甘露の滅を得て、覚りの道を成就されました。 無心のままに行動を現し、 あらゆる異なる教えも、その名の前に伏します。

三度法輪を大千世界に転じ、 受け取る者は正しく修め、行いを清めます。 天と人は理解から解き放たれ、 世の中に三宝を現すためです。

仏の説かれた法は人を開き導き、 終わりには何も求めず、常に静寂です。 最高の智慧は老死の恐れを憐れみ救う、 限りなき徳の法の海に、礼を捧げるべきです。

供養の功徳は須弥山のごとく、 戒めなくとも戒めある者と等しく慈しみをもって、 説かれることは虚空の如く、思いは広く行き渡る、 誰が仏の名を聞いて敬わずにおられましょう?

今、能仁のこの慈しみの蓋を奉り、 その中に我が三千世界を現します。 諸天や龍神の住む宮殿、 健闥婆や夜叉なども。

世の中のすべてのことを知り、 十力の哀れみによってこの変化を現し、 多くの人々が稀有なるものを見て皆、仏を称え、 最も尊き大いなる智慧の現れに、頭を下げます。

童子寶事說此偈讚佛已,以恭肅敬意,長跪叉手,白佛言:「此五百童子,皆有決於無上正真之道,願聞得佛國土清淨。佛惟解說如來佛國清淨之行。」

童子宝はこの偈を唱えて仏を讃えた後、恭しく敬意を表し、長跪して合掌し、仏に申し上げました。「この五百人の童子たちは皆、無上正真の道を求める決意を持っております。どうか仏国土の清らかさを得る方法をお聞かせください。仏よ、如来の仏国土を清らかにする行いについてお説きください。」

於是佛告寶事曰:「童子!諦聽!善思念之,吾當為汝解說如來菩薩佛國清淨。」於是寶事與諸大眾受教而聽。

そこで仏は宝事に告げられた。「童子よ、よく聞きなさい。善く思念しなさい。私はあなたのために如来菩薩の仏国清浄を解き明かそう。」すると宝事と大衆一同は教えを受け、耳を傾けた。

佛言:「童子!蚑行喘息人物之土,則是菩薩佛國。所以者何?菩薩欲教化眾生,是故攝取佛國;欲使佛國人民盡奉法律,故取佛國;欲使佛國人民入佛上智,故取佛國;欲使佛國人民見聖典之事而以發意,故取佛國。所以者何?欲導利一切人民,令生佛國。譬如有人欲度空中造立宮室,終不能成。如是,童子!菩薩欲度人民,故願取佛國;願取佛國者,非於空也。童子!當知菩薩以無求於國故,於佛國得道,以不言我教照人民,生于佛土;菩薩以善性於國故,於佛國得道,能成眾善,為人重任,生于佛土;菩薩弘其道意故,於佛國得道,恒以大乘正立人民,得有佛土;菩薩布施為國故,於佛國得道,一切布施施諸人民,生于佛土;菩薩持戒為國故,於佛國得道,周滿所願,以十善行合聚人民,生于佛土;菩薩忍辱為國故,於佛國得道,有三十二相而自嚴飾,以其忍行調正人民,生于佛土;菩薩精進為國故,於佛國得道,以諸德本善修勤力合聚人民,生于佛土;菩薩禪思為國故,於佛國得道,已知所念正安人民,生于佛土;菩薩智慧為國故,於佛國得道,能以正導成就人民,生于佛土;菩薩行四等心為國故,於佛國得道,慈悲喜護,護諸人民,生于佛土;菩薩行四恩為國故,於佛國得道,惠施仁愛利人等利,一切救濟合聚人民生,於佛土;菩薩行善權方便故,於佛國得道,一切行權攝人為善,生于佛土;菩薩行三十七道品之法故,於佛國得道,以根、力、覺、意勉進人民,生于佛土;菩薩分流法化故,於佛國得道,一切示現賢善之行,得見佛土;菩薩說除八難故,於佛國得道,一切為斷惡道眾難而有佛土;菩薩自覺不譏彼受故,於佛國得道,斷諸邪受而有佛土;菩薩淨修十善之行故,於佛國得道,而不離偶大財梵行,誠諦之語,免于惡道,言以柔軟,不別眷屬,恒與善俱,無有嫉慢,除忿怒意,以正見誨人,生于佛土。如是,童子!菩薩以應此行,便有名譽;已有名譽,便生善處;已生善處,便受其福;已受其福,便能分德;已能分德,便行善權;已行善權,則佛國淨;已佛國淨,則人物淨;已人物淨,則有淨智;已有淨智,則有淨教;已有淨教,則受清淨。如是,童子!菩薩欲使佛國清淨,當以淨意作如應行。所以者何?菩薩以意淨故,得佛國淨。」

仏は言われた。「童子よ、這うもの、息づくもの、人、物のいるこの大地こそ、菩薩の仏国土なのだ。なぜか。菩薩は衆生を教化しようと願うゆえに、仏国土を摂取するのである。仏国土の人々がすべて法(教え)に従うようにするために、仏国土を取るのである。仏国土の人々が仏のすぐれた智慧に入るようにするために、仏国土を取るのである。仏国土の人々が聖なる教えの事柄を見て、発心するようにするために、仏国土を取るのである。なぜか。一切の人々を導き利益し、仏国土に生まれさせたいからだ。たとえば、空中に宮殿を建てようとする人がいても、ついに完成することはできない。このように、童子よ、菩薩は人々を救おうと願うゆえに、仏国土を願い取るのである。仏国土を願い取るということは、空(むな)しいことではないのだ。童子よ、知るがよい。菩薩は国を求めないがゆえに、仏国土において道を得るのである。『私が人々を教え導くのだ』と言わないゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国に対して善き心性を持つがゆえに、仏国土において道を得るのである。多くの善を成し遂げ、人々の重い責務を担うがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩はその道心を広げるがゆえに、仏国土において道を得るのである。常に大乗の正しい道によって人々を立ち上がらせるがゆえに、仏国土を得るのである。菩薩は国のために布施を行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。一切の布施を施して人々に与えるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国のために戒律を保つがゆえに、仏国土において道を得るのである。願いをことごとく満たし、十善の行いによって人々を集め合わせるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国のために忍辱を行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。三十二相をもって自らを飾り、その忍辱の行いによって人々を調え正すがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国のために精進するがゆえに、仏国土において道を得るのである。諸々の徳の根本をもって善く修め、勤め努めて人々を集め合わせるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国のために禅定と思惟を行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。自らの念ずることを知り、人々を正しく安らげるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は国のために智慧を用いるがゆえに、仏国土において道を得るのである。正しく導いて人々を成就させるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は四無量心(慈・悲・喜・捨)を国のために行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。慈しみ、悲しみ、喜び、護る心をもって人々を護るがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は四恩(父母・衆生・国王・三宝の恩)を国のために行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。恵みを施し、仁愛をもって人々を利益し、一切を救い済わして人々を集め合わせるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は善巧方便を行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。一切の行いを巧みに用いて人々を善に導き入れるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は三十七道品の法を行うがゆえに、仏国土において道を得るのである。五根、五力、七覚支、八正道などをもって人々を励まし進ませるがゆえに、仏国土に生まれるのである。菩薩は法の教えを分け流すがゆえに、仏国土において道を得るのである。一切の賢く善き行いを示し現すがゆえに、仏国土を見ることができるのである。菩薩は八難(仏法に遇い難い八つの障害)を除くことを説くがゆえに、仏国土において道を得るのである。一切の悪道と多くの難を断つがゆえに、仏国土があるのである。菩薩は自ら覚り、他をあざけらず受け入れるがゆえに、仏国土において道を得るのである。諸々の邪な受け取り方を断つがゆえに、仏国土があるのである。菩薩は十善の行いを清らかに修めるがゆえに、仏国土において道を得るのである。そして、大いなる財(功徳)と梵行(清らかな行い)を伴うことを離れず、誠実な言葉を用い、悪道を免れ、言葉は柔らかく、眷属を差別せず、常に善きものと共にあり、嫉みや慢心がなく、怒りの心を除き、正しい見解をもって人を教え導くがゆえに、仏国土に生まれるのである。このように、童子よ、菩薩はこの行いに応じるゆえに、名誉を得るのである。すでに名誉を得れば、善き処(所)に生まれるのである。すでに善き処に生まれれば、その福を受けるのである。すでに福を受ければ、徳を分かち与えることができるのである。すでに徳を分かち与えることができれば、善巧方便を行うのである。すでに善巧方便を行えば、仏国土は清らかになるのである。すでに仏国土が清らかになれば、人も物も清らかになるのである。すでに人も物も清らかになれば、清らかな智慧があるのである。すでに清らかな智慧があれば、清らかな教えがあるのである。すでに清らかな教えがあれば、清らかさを受けるのである。このように、童子よ、菩薩が仏国土を清らかにしようと願うならば、清らかな心をもって、あるべき行いをなすべきである。なぜか。菩薩は心が清らかであるがゆえに、仏国土が清らかになるからである。」

賢者舍利弗,承佛威神,心念是語:「以意淨故得佛國淨,我世尊本為菩薩時,意豈不淨,而是佛國不淨若此?」

舎利弗尊者は、仏の威神力を受け、心にこう思いました。「心が清らかであるからこそ仏国土は清らかになる。では、わが世尊が菩薩であった時、その心は清らかではなかったのか。それなのに、この仏国土はなぜこのように穢れているのか」と。

佛知其意,即報言:「云何,舍利弗!我日月淨,不見色者,豈日月過耶?」

仏はその思いを知り、すぐに答えられた。「どうだろう、舎利弗よ。私の日月が清らかなのに、色が見えないのは、果たして日月の過ちだろうか?」

對曰:「不也。非日月過。」

お答えします。「いいえ、月や太陽が過ぎ去ったのではありません。」

佛言:「此,舍利弗!咎在眾人無有智慧,不見如來佛國嚴淨,非如來咎。此,舍利弗!我佛國淨,汝又未見。」

仏は言われた。「舎利弗よ、このことについて。過ちは人々に智慧がなく、如来の仏国土の厳かな清浄さを見ることができないことにあるのであって、如来の過ちではない。舎利弗よ、わが仏国土は清浄であるが、あなたはまだそれを見ていないのだ。」

編髮梵志謂舍利弗言:「惟,賢者!莫呼是佛國以為不淨。我見釋迦文佛國嚴淨,譬如彼清明天宮。」

おい、舎利弗よ。その仏の国土を不浄だと言うのはやめてくれ。私は釈迦文仏の国土が、まるであの清らかな天の宮殿のように荘厳で清浄であるのを見ている。

舍利弗言:「我見此中亦有雜糅,其大陸地則有黑山石沙穢惡充滿。」

舎利弗は言いました。「私はここにも雑多なものが混ざっているのを見ます。この広大な大地には、黒い山や石、砂があり、汚れと悪しきものが満ちています。」

編髮答曰:「賢者以聞雜惡之意、不猗淨慧視佛國耳。當如菩薩等意清淨,倚佛智慧,是以見佛國皆清淨。」
於是佛即以足指按地,此三千大千世界皆為震動,若干百千珍寶積嚴,處處校飾,譬如眾寶羅列淨好,如來境界無量嚴淨於是悉現。一切魔眾歎未曾有,而皆自見坐寶蓮華。佛告舍利弗:「汝且觀此佛國嚴淨?」
對曰:「唯然。本所不見,本所不聞,今佛國土好淨悉現。」
「然,舍利弗!我佛國如是,為當度不肖人故,如來隨此多怒害者現佛國異。譬如諸天同金鉢食,其福多者,舉手自淨。如是,舍利弗!若人意清淨者,便自見諸佛佛國清淨。」
當佛現此佛土嚴淨之時,八萬四千人發無上正真道意,長者子寶事并五百童子皆得柔順法忍。佛現神足,於是國土莫不欣然,各得其所。弟子行者,天與人三萬二千,遠塵離垢,諸法法眼生;其八千人漏盡意解。

2 善權品

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