大乘理趣六波羅蜜多經序
大乗理趣六波羅蜜多経 序
御製
皇帝の詔
大朴既散,有為遂作。名利牽乎代,巧智喪乎真,愛惡攻其性情,因緣堅其染習,內則百慮無節,外則六根競誘,天理滅而莫知,道源迷而忘返,淪溺苦海,劫盡還初。惟至人了萬物之宗,越三界之表,廓獨立而不改,遍諸有而常然,故能開導群疑濟拔流品。六波羅蜜經者,眾法之津梁,度門之圓極也。昔日月燈明如來為菩薩說,歷劫曠遠真偈寂寥。文殊師利往於耆闍會中,甞與彌勒菩薩語及斯事。成一切種智,會無量義因,唯佛能知,唯佛能說,教必有主,其在茲乎。是以釋迦如來,為法而出俟時而現,三身不異故處代而常離,萬行無修故隨方而自在。運慈悲之力,開護攝之門,因其六塵示之六度,導於法分令證法身,結習紛綸,乘理而悟,是真般若之旨也。故有慈氏善問大音讚言,天垂寶花雲集仙蓋,甘露流液光明燭幽,使迷方淺深皆得自然之慧,恒沙億眾能通般若之智。甞試論之。先儒有言:「誠者自成而道自導也。」夫誠己於內,則不勉而中、不思而得;誠物於外,則不言而應、不為而成。其內者,證法之身;其外者,大悲之力。德產之致也密,化育之功也大,春風發吹,萬類咸滋,旭日昇晝,群陰盡釋,乾坤易簡之道是則大同,神明幽贊之情孰云區別,殊塗一至,其理固然。
大道がまだ完全だった時代が過ぎ去り、作為に基づく世の中が生まれました。名誉や利益が人々を惑わし、巧みな知恵が真実を失わせ、愛憎が心を攻め、因縁が習慣を固く染め付けました。内面には無数の煩悩が際限なく、外面には六根(感官)が競って誘惑します。天の道理は滅びて誰も知らず、道の源は迷い、帰る場所を忘れ、苦しみの海に沈み、劫(長い時間)が尽きても初めに戻れません。
ただ、至った人(悟りを開いた人)だけが万物の根源を理解し、三界(欲界・色界・無色界)の彼方に超越し、広く独り立ちして変わることなく、あらゆる存在に遍く常にそのままです。それゆえ、人々の疑惑を開き導き、迷いの類を救い上げることができるのです。
『六波羅蜜経』は、あらゆる教えの手段であり、悟りの門における究極の完成です。昔、日月灯明如来が菩薩のために説きましたが、長い劫を経て、真実の偈はほとんど伝わらなくなりました。文殊師利菩薩は、かつて耆闍崛山(ぎしゃくつせ)の会合で、弥勒菩薩とこのことについて語り合いました。あらゆる智慧を完成し、無量の意味を会得する因を結ぶこと、これは仏のみが知り、仏のみが説くことができます。教えには必ず主体があり、それがここにあります。
それゆえ、釈迦如来は法のために世に現れ、時を待って姿を現しました。三身(法身・報身・応身)は異なるものではないので、世にありながら常に離れており、すべての行は修めることがないので、場所に従って自由自在です。慈悲の力によって、保護し摂取する門を開き、その六つの塵(色・声・香・味・触・法)に応じて六波羅蜜を示し、法の区分に導いて法身を悟らせます。長年の習慣や煩悩が入り乱れていても、真理に従って悟ることができ、これが本当の般若の教えなのです。
そのため、慈氏(弥勒菩薩)がよく問い、仏が大音で賛嘆されると、天から宝の花が降り、雲のように花が集まり、甘露が流れ、光明が闇を照らし、迷えるものが浅い深いに関わらず自然の智慧を得ることができ、恒河の砂の数のような無数の衆生が般若の智慧に通じるのです。
試しに論じてみましょう。先儒の言葉に「誠とは自己を完成することで、道は自らを導くものである」とあります。内に誠があれば、努力しなくとも中道にかなり、考えなくとも得ることができます。外へ誠に向かえば、言葉がなくとも応じ、行いがなくとも成し遂げられます。内にあるものは法を証する身であり、外にあるものは大いなる慈悲の力です。徳の生み出す働きは密かであり、育み変える功徳は大きいものです。春の風が吹き出すと、あらゆる種類のものが潤い、朝日が昇り昼になると、すべての陰が解き放たれます。天地の易簡の道はこれと大きなところで同じであり、神や明の隠れた賛美の感情を、どうして区別できるでしょうか。異なる道も一つの目的に至るという道理は、もともとこのようになっているのです。
朕虔奉丕圖保乂蒸庶,思建皇極以昇大猷,遐想靈蹤期於叶契。而舍城妙說久祕梵文,徒懷瀉瓶未啟遺夾,微言不昧將或起予。於是罽賓沙門般若受旨宣揚,光宅寺沙門利言為之翻譯,時大德則有資聖寺道液、醴泉寺超悟、慈恩寺應真、莊嚴寺圓照、光宅寺道岸、西明寺圓照、章敬寺𮗿空、西明寺良秀等,法門領袖、人中龍象,證明正義,輝潤玄文,知釋迦之寶城,識眾尊之滿字,以貞元四年歲次戊辰十一月二十八日,於西明寺譯成上進,凡一部十卷,龍神翼衛如從金口之傳,梵眾護持無異毫光之現。
私は広大な国土を敬い守り、民の安寧を願い、王道を確立して大きな道を高めようと努めてきました。遠く霊妙な聖跡を想い、その心と深く合致することを希求してきました。
しかし、舎衛城における妙なる教えは、長らくサンスクリット語の原典に秘められたままでした。私は法の継承を願いながらも、未だ開かれた経典を得ることができずにいました。しかし、微細なる真理の言葉は決して滅びることなく、ついに私を目覚めさせる時が来たのです。
そこで、カシミール出身の沙門・般若が戒めを受け、教えを宣揚することを志し、光宅寺の沙門・利言がその翻訳を務めました。この時、高徳の僧として、資聖寺の道液、醴泉寺の超悟、慈恩寺の応真、荘厳寺の円照、光宅寺の道岸、西明寺の円照、章敬寺の𮗿空、西明寺の良秀といった方々がおられました。彼らこそ、仏法の門の指導者であり、人の中の龍や象の如き存在。正しい義を証明し、深遠なる教えの文に光を輝かせ、釈迦の宝城を知り、衆尊の完全なる教えを識る者たちです。
貞元4年(西暦788年)11月28日、歳は戊辰、西明寺において翻訳は成し遂げられ、御前に捧げられました。この全1部10巻の経典は、龍神が翼となって守護し、あたかも仏陀の金口より伝えられたかの如く、梵天の衆が護持し、毫光の現れと異なることのないものであります。
朕齋心滌慮仰味宗源,聞所未聞實為希有。然以汲引之旨流布為先,庶憑真筌永濟浮俗。聊因暇日三復斯經,雖法海甚深而波流不讓,舉其梗概照悟將來。
心を清め、思いを洗い、宗の源を仰ぎ味わうことは、未だ聞かざるを聞くこと、実に稀なることである。しかしながら、導きの趣旨は流布を先とし、願わくば真の道によって永く浮世の俗を済わんことを。いささか暇な日に因って、この経を三たび繰り返す。法の海は甚だ深いが、波の流れは譲らず、その大要を挙げて、将来を照らし悟らしめん。
大乘理趣六波羅蜜多經卷第一
大乗理趣六波羅蜜多経 巻第一
罽賓國三藏般若奉 詔譯
罽賓国の三蔵般若、詔を奉じて訳す