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大乗理趣六波羅蜜多経 (大乘理趣六波羅蜜多經)


大乘理趣六波羅蜜多經卷第三

大乗理趣六波羅蜜多経 巻第三

罽賓國三藏般若奉 詔譯

罽賓国の三蔵般若、詔を奉じて訳す

不退轉品第四

不退転の章 第四

爾時慈氏菩薩摩訶薩,頭面著地禮佛雙足,而白佛言:「大聖世尊已說菩薩五種發心,修行大乘得不退轉。然大悲心云何發起?云何修行?唯願如來哀愍有情廣為宣說,利益安樂諸眾生故。」

その時、慈氏菩薩摩訶薩は、頭を地につけて仏の両足を礼拝し、仏に申し上げました。

「大聖なる世尊よ、すでに菩薩の五種の発心について説かれ、大乗を修行して不退転の位を得る道をお示しくださいました。しかし、大悲の心はどのようにして起こすべきでしょうか。また、どのように修行すべきでしょうか。どうか如来様、有情を哀れみ、広くお説きください。すべての衆生に利益と安楽をもたらすためです。」

爾時薄伽梵告慈氏菩薩摩訶薩言:「善哉,善哉!善男子!快問斯義。汝今諦聽!善思念之。吾當為汝分別解說,斷汝疑網。所言五種心者,第一大悲心。當持此心堅固不捨,念彼惡趣地獄眾生,復思其苦如契經說。汝應知之,今於此經重為汝說。觀諸有情,皆是宿世父母宗親所尊重境,今在地獄現受眾苦,為十三火之所纏繞——有二火焰從足而入徹頂而出,復有二焰從頂而入通足而出,復有二焰自背而入從胸而出,復有二焰從胸而入自背而出,復有二焰從左脇入穿右脇出,復有二焰從右脇入穿左脇出,復有一焰從首而纏下至於足——然此地獄諸眾生身,其形軟弱猶如熟酥,為彼眾火交絡焚熱。其地獄火燒人間火,如燒㲲花無復餘燼。或有眾生為火所燒,東西馳走以求救護,莫知所為;復有眾生,逃形無地却來赴火;復有眾生,忽被擲置糞穢深坑,坑中有蟲其觜銛利,純是銅鐵長十六指,啄噉眾生皮骨髓腦;復有眾生,處煻煨中而被燒煮;或有眾生,在醎水中而被漂溺。是時獄卒以大鐵網,從中漉出猶若捕魚,置彼眾生熱鐵地上偃臥燒炙。次以鐵鉗鑷取其舌,復以洋銅灌注其口,悶絕而死良久乃穌。即欲奔馳意求免離,終無得脫。復有鐵狗尋即逐之,鐵烏鐵觜隨飛而啄,骨肉分裂而噉食之。遙見園林,即欲攀上望得免脫,其林樹上皆生鐵刺,其一一刺長十六指,其刺炎熱。眾生欲上,刺鋒垂下,從胸而入徹背而出,受苦無量求脫無由。烏鷲飛來啄取雙眼,復劈其腦取髓食之。從此欲下,刺鋒向上,眼耳鼻舌身肉手足及十指節悉皆分散,隨掛樹上免脫無由。獄卒收取盛鐵囊中,以熱鐵棒反覆搥打。復有眾生手足頭髻,五處磔裂以鋸解之。復有眾生內鐵臼中,以其鐵杵從頭而擣。復有眾生在於鑊湯,鐵杈翻轉煮之糜爛,唯有骨在其命猶存。復有眾生處於地獄,而以紫礦將為屋舍,縱火焚燎其焰洞然,紫礦鎔流滴如熱箭。復有地獄四面鐵山,眾生處中二山相拶,或時南北或復東西,二山合時,其中眾生膿血流出。復有地獄而有鐵蛇纏眾生身,從足至首而㘅其頭,盡力縛束髓血集頂,吸而食之唯殘皮骨。復有地獄諸眾生等,而被獄卒三股鐵叉而叉其身,從兩足入至頂及肩三處通出,其火隨扠猛焰俱發,眼耳鼻口火出亦然。復有地獄以諸眾生,臥熱鐵地或偃仆側,次黑鐵繩隨身而拼,復以斤斧而𣃁斫之,如工匠師治諸濕木。復有眾生,被諸獄卒從足至頭㓟取其皮,㓟已作繩用充韁轡,銜勒眾生上高山頂,其山熱鐵驅迫令登,鞭撻萬般苦不可說。此等眾生從無始來,皆我父母內外宗親,今者流轉在於地獄,經無量劫,常受苦惱如已舍宅,惡業盡故暫生人天,於此造罪還墮地獄。菩薩摩訶薩觀此眾生受諸苦已,起大悲心。次觀鬼趣,復起悲心。見諸眾生處餓鬼中,一日一夜如人一月,以日計月十二為年,於鬼趣中壽五百歲,同於人間萬五千歲,常受飢渴,耳初不聞漿水之名,何況眼見。然彼餓鬼身如大山,頭如穹廬,咽細如針,其髮髲下垂覆兩肩,猶如利刀割切形體,變為猛焰燒爛其身,如火燎薪苦痛難忍,其兩腋毛下覆腰腹,次隱處毛下垂膝踝,刀割火燒亦復如是,經無量歲受如斯苦。或遙見水奔赴求之,及到其傍面仆而倒,以惡業力其水變為膿血糞穢或作熱砂。其水兩岸復有獄卒,執持弓箭刀棒鉞斧槍矟斫刺種種捶楚,飢火所燒熱渴迷亂,尋返馳走猛火焚熱莫知所之。獄卒隨逐撾打斫截,手足支節悉皆損折。復有餓鬼,朝產五子隨產食之,夜生五子隨生隨食,由懷飢餓未曾暫飽。或遇天雨仰口承之,由業力故一滴入口,流入腹中變成猛火直過而出。或遇夏月熱風起時,吹諸餓鬼墮砂磧中,下熱砂燒上為日炙,飢渴熱逼望見樹林,欲取蔭涼奔走至彼,蔭避餓鬼隨至皆移。何以故?昔於人間或設施會,見有乞人慳惜不與,非理打罵而驅遣之,以是業緣今受斯報。復有餓鬼於夜月時,淨無雲翳流光照觸,毒熱爍身如盛夏時日炙無異。復有餓鬼,於盛冬時有大風起,由業力故吹諸餓鬼猶若飛塵,置氷山中受諸寒苦。從是受苦經無量時,於此命終還墮地獄,如是往來經無量歲,惡業盡已希得人身,生貧賤家慳悋不施,以乞自活轉增貪惜。以貧窮故造十不善種種諸罪,從此命終復墮地獄受種種苦。其苦畢已生餓鬼中,如是往返經無數劫,受如斯苦。此等眾生亦於過去無量無邊生死劫中,恒為父母六親眷屬,常為我故造不善業,今在餓鬼受斯苦報。菩薩摩訶薩觀是苦已,起大悲心。

その時、世尊は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「善きかな、善きかな!善男子よ。よくこの意義を問うた。今、汝はよく聞き、よく思念せよ。我、汝のために分別して解き説き、汝の疑いの網を断つであろう。五種の心というのは、第一は大悲心である。この心を持ち、堅固に捨てず、あの悪趣・地獄の衆生を思い、またその苦しみを経典に説かれる通りに思え。汝は知るべきである。今、この経において重ねて汝のために説く。すべての有情を観よ。これらは皆、宿世の父母、宗族、親族、敬うべき境である。今、地獄にあって現に多くの苦しみを受けている。十三の火にからめとられて――二つの炎は足から入り、頂を徹して出で、また二つの炎は頂から入り、足を通して出で、また二つの炎は背から入り、胸から出で、また二つの炎は胸から入り、背から出で、また二つの炎は左脇から入り、右脇を穿って出で、また二つの炎は右脇から入り、左脇を穿って出で、また一つの炎は首からからみ下りて足に至る――しかるにこの地獄の諸衆生の身は、その形軟弱にして熟した酥の如く、あの多くの火が交絡して焚き熱する。その地獄の火は人間界の火を焼くこと、綿花を焼くが如く、再び余燼無し。あるいは衆生ありて、火に焼かれて東西に馳せ走り、救護を求め、なすべきことを知らず。また衆生ありて、逃げる形なく却って火に赴く。また衆生ありて、忽ち擲ち置かれて糞穢の深き坑にあり、坑中に虫ありて、その嘴鋭利にして、純に銅鉄なり、長さ十六指、衆生の皮・骨・髄・脳を啄み噉う。また衆生ありて、煻煨の中に処して焼き煮られ、あるいは衆生ありて、鹹水の中に在って漂い溺る。この時、獄卒は大なる鉄網をもって、中より漉し出すこと、魚を捕らえるが如く、彼の衆生を熱鉄の地の上に置き、偃臥して焼き炙る。次に鉄鉗をもってその舌を鑷み取り、また洋銅を以てその口に灌注し、悶絶して死に、良久にして乃ち蘇る。即ち奔馳せんと欲し、免れ離れんと意に求むるも、終に脱するを得ず。また鉄狗ありて尋いで即ちこれを逐い、鉄烏鉄嘴、飛び随いて啄み、骨肉分裂して噉い食らう。遥かに園林を見れば、即ち攀じ上らんと欲し、免脱を得んと望む。その林の樹上には皆、鉄刺を生じ、その一一の刺は長さ十六指、その刺は炎熱なり。衆生、上らんと欲すれば、刺の鋒は垂れ下り、胸から入り背を徹して出で、苦しみ無量にして脱する由無し。烏鷲飛来して両眼を啄み取り、またその脳を劈いて髄を取り食らう。ここより下らんと欲すれば、刺の鋒は上に向かい、眼・耳・鼻・舌・身の肉・手足及び十指節、悉く皆分散し、随って樹上に掛かり、免脱する由無し。獄卒は取り収めて鉄囊の中に盛り、熱鉄棒を以て反覆して搗き打つ。また衆生ありて、手足頭髻、五つの処に磔き裂かれ、鋸を以てこれを解く。また衆生ありて、鉄臼の中に内れ、その鉄杵を以て頭より搗く。また衆生ありて、鑊湯の中に在り、鉄杈に翻転されて煮られ糜爛し、唯だ骨のみ在りてその命は猶存す。また衆生ありて、地獄に処して、紫鉱を以て屋舎となし、縦火して焚き燎れば、その焰洞然として、紫鉱熔流し滴ること熱箭の如し。また地獄ありて四面鉄山、衆生その中に処し、二山相拶し、或いは時は南北、或いはまた東西、二山合する時、その中の衆生は膿血流出す。また地獄ありて鉄蛇ありて衆生の身に纏わり、足より首に至りてその頭を銜え、力を尽くして縛束すれば、髄血頂に集り、吸いて食らい、唯だ皮骨を残す。また地獄の諸衆生等ありて、獄卒に三股の鉄叉を以てその身を叉され、両足より入りて頂及び肩の三つの処を通り出で、その火は叉に随って猛焰ともに発し、眼・耳・鼻・口より火出づるもまた然り。また地獄ありて諸の衆生を以て、熱鉄の地に臥せしめ、或いは偃び仆し側る。次に黒鉄の繩、身に随って拼い、また斤斧を以て𣃁斫すること、工匠の師の諸の湿木を治むるが如し。また衆生ありて、諸の獄卒に足より頭に至りてその皮を㓟き取り、㓟き已って繩を作り、韁轡に用い充て、衆生に銜勒して高山の頂に上らしめ、その山は熱鉄なり。駆迫して登らしめ、鞭撻万般、苦しみ説くべからず。この等の衆生は無始より来たりて、皆我が父母、内外の宗族親族なり。今者、流転して地獄に在り、無量劫を経て、常に苦悩を受くること己が舎宅の如し。悪業尽きるが故に暫く人天に生まれ、ここに於いて罪を造りて還って地獄に堕つ。菩薩摩訶薩はこの衆生の諸の苦しみを受けることを観じて已って、大悲心を起こす。次に鬼趣を観じて、また悲心を起こす。諸の衆生が餓鬼中に処するを見る。一日一夜、人の一月の如く、日を以て月を計り、十二を以て年と為す。鬼趣の中に於いて寿五百歳、人間の一万五千歳に同じ。常に飢渇を受け、耳初めて漿水の名を聞かず、況んや眼に見んや。然るに彼の餓鬼の身は大山の如く、頭は穹廬の如く、咽は細く針の如く、その髪髲は下り垂れて両肩を覆い、猶お利刀の形体を割切するが如く、猛焰に変じてその身を焼き爛し、火の薪を燎うが如く、苦痛忍び難し。その両腋の毛は下りて腰腹を覆い、次に隠処の毛は下り垂れて膝踝に至り、刀割火焼もまた是の如し。無量歳を経てこの如き苦しみを受く。或いは遥かに水を見て奔赴してこれを求め、その傍に到るに及びて面仆して倒る。悪業力に以ってその水は膿血糞穢に変じ、或いは熱砂と為る。その水の両岸にはまた獄卒あり、弓箭・刀棒・鉞斧・槍矟を執持して斫刺し、種種に捶楚す。飢火に焼かれ、熱渇に迷乱し、尋いで返り馳せ走るも猛火焚熱して知る所無し。獄卒は随い逐って撾打斫截し、手足支節悉く皆損折す。また餓鬼ありて、朝に五子を産み、産むに随ってこれを食らい、夜に五子を生み、生むに随って即ち食らう。飢餓を懐いて未だ暫くも飽くこと無し。或いは天雨に遇い、口を仰いでこれを承くるも、業力の故に一滴口に入り、腹中に流れ入って猛火に変じ、直ちに過ぎて出づ。或いは夏月に遇い、熱風起こる時、諸の餓鬼を吹きて砂磧の中に堕し、下は熱砂に焼かれ、上は日に炙られ、飢渇熱逼せられて樹林を見れば、蔭涼を取らんと欲し、奔走して彼に至るも、蔭は餓鬼を避けて随いて至る皆移る。何を以っての故か。昔、人間に於いて或いは施会を設け、乞う人あるを見て慳惜して与えず、非理に打罵してこれを駆遣せし。この業縁を以って今この報いを受く。また餓鬼ありて、夜月の時、雲翳無く浄らかにして流光照触すれば、毒熱身を爍くこと盛夏の時に日に炙られるに異ならず。また餓鬼ありて、盛冬の時に大風起こり、業力の故に諸の餓鬼を吹くこと飛塵の如く、氷山の中に置きて諸の寒苦を受く。ここより苦しみを受けて無量の時を経て、この命終わりて還って地獄に堕つ。かくの如く往来して無量歳を経て、悪業尽きて已って希に人身を得て、貧賤の家に生まれ、慳悋にして施さず、乞うことを以って自ら活き、転じて貪惜を増す。貧窮の故に十不善・種種の諸罪を造り、この命終わりて復た地獄に堕ちて種種の苦しみを受く。その苦しみ畢わりて已って餓鬼中に生まる。かくの如く往返して無数の劫を経て、この如き苦しみを受く。この等の衆生もまた過去の無量無辺の生死劫の中に於いて、恒に父母・六親眷属と為り、常に我が為に故に不善業を造り、今、餓鬼に在ってこの苦報を受く。菩薩摩訶薩はこの苦しみを観じて已って、大悲心を起こす。

「復次,慈氏!鬼趣既然,次觀傍生亦復如是。有諸麞鹿野干狐兔虎豹豺狼種種諸獸,及諸飛鳥野鷄鵝鴨鳧鴈鴛鴦如是等類,若行若住棲止飛浮,恒畏於人、大力鳥獸,若飲若食未曾暫安,晝夜之中常懷怖懼。復有傍生黿鼉龜鼈魚蚌蝦蟇室獸摩羅水族之類,恒被網捕生死水中。復有傍生虵虺蜴蜥蚰蜒鼠狼,此類傍生闇中而生闇中而死。復有傍生蟣蝨蚤等,依人身生還依人死。復有傍生或依死屍,或依糞濕或依草木,當處而生還當處死,或變化生還變化死,所謂蛆蟲螟蛉蟊螣𧌓螽蛺蝶之類。復有傍生恒食膿血及諸不淨以為甘味,所謂猪狗蜣蜋蠅虻之類,遙聞臭氣以為香美,飛走馳赴恐不得飡。復有傍生不食美草唯食棘刺,不飲清流唯飲濁水。復有傍生非依草生而恒食草,所謂象馬牛驢駱駝騾等畜生之類,或以鐵鉤鉤斲其腦,令使調伏得已乘之,或穿鼻中或以轡勒,籠繫其首負重而行,常被鞭撻種種呵罵遲疾須行,或有尫羸起已復倒,捶楚無限力不能前,皆由宿因今受斯苦。或食信施無復精勤,償他宿債遭此艱苦。如是驅役種種鞭打,尚未還足,或取殺之,苦切萬端陳告無所。生乏水草病無醫藥,死已㓟剝為人噉食。如是死已墮於地獄。何以故?由心愚癡不知善惡,不念父母生育劬勞,不識因果不聞正法,亦無布施持戒善根,但念水草餘無所知。此等傍生人所畜養。除畜養外餘類傍生,所謂師子虎豹犲狼,及上所說水陸傍生,互相殘害更相噉食,由是業故生地獄中,經無量劫受諸劇苦,地獄罪畢復趣傍生,如是往來經無量劫。此等傍生亦於過去無量無邊生死劫來,恒為父母六親眷屬,常為我故造不善業,今在傍生受斯苦報。菩薩摩訶薩觀此苦已,起大悲心。傍生既然,次觀人趣。有諸眾生雖生人道多受貧窮,飢餓長時裸形露體,泥行雨宿霜穫暑耘,日夜驅馳手足皴劈,頭髮蓬亂羸步而前,乞白巡門未曾一飽,至於日暮偃臥飢眠,取給於他無相濟者。雖有言行人不信從,雖有姿容反遭輕賤,恒行忍辱饒益於人,而被嫌呵云自怯懼。或有文藝人不錄之,省覲宗親猜嫌求食。或歸信三寶謗謂邀名,或讚歎於人便云諂曲。或生下賤恒不自安,繫屬於人進退唯命,常冒寒熱不知溫涼,汲水採薪不辭勞倦。郎主之意都無愍心,小有差遲尋被鞭撻。自作自得非天與人,薄福所招過於死苦。譬如枯樹枝葉皆無,一切飛禽不來棲託,薄福之人亦復如是。」

「また、慈氏よ。鬼道がそのようなものであるならば、次に畜生道もまた同じであることを観察せよ。様々な鹿や野干、狐、兎、虎、豹、豺狼などの獣、また多くの飛鳥、野鶏、鴨、鳧雁、鴛鴦といった類がいる。これらは歩くにせよ止まるにせよ、棲みつき飛び浮かぶにせよ、常に人間や力ある鳥獣を恐れ、飲むにも食べるにも、一時たりとも安らかではなく、昼夜のうち常に恐怖と畏れを抱いている。

また、化物、鼉、亀、鼈、魚、蛤、蝦蟇、室獣、摩羅といった水生の類がいる。これらは常に網で捕らえられ、水中で生死を繰り返す。また、蛇、虺、蜥蜴、蚰蜒、鼠狼といった類がいるが、これらは闇の中で生まれ、闇の中で死ぬ。また、虱、蚤などの類がいる。これらは人の身に依って生まれ、人の身に依って死ぬ。

また、死体や糞便や湿った場所、草木に依って生まれ、その場所で死ぬものもいる。また、変化して生まれ、変化して死ぬものもいる。いわゆる蛆虫、螟蛉、蟊螣、𧌓螽、蝶々の類である。 また、常に膿血や様々な不浄なものを食べて、それを甘露の味とするものもいる。いわゆる豚、犬、蜣蜋、蝿、虻などの類である。遠くから臭気を嗅ぎつけては、それを香ばしく美味しいものと思い、飛び走り駆けつけて、食べ損なうことを恐れる。

また、美味しい草は食べず、ただ棘だけを食べるものもいる。清らかな流れは飲まず、濁った水だけを飲む。また、草に依って生きているのではないのに、常に草を食べるものもいる。いわゆる象、馬、牛、驢馬、駱駝、騾馬などの家畜の類である。あるいは鉄の鉤で頭を打ち据えられて調教され、それに乗られる。あるいは鼻に穴を開けられ、轡や手綱で首を束ねられ、重い荷物を負わされて歩く。常に鞭で打たれ、様々に罵られ、遅い早いと駆り立てられる。あるいは弱って立ち上がっては倒れ、際限なく鞭打たれても、力尽きて前に進めない。これらはすべて過去の因により、今この苦しみを受けているのである。

あるいは、信心ある者からの施しを食みながら、怠け者で努力せず、過去の負債を償うために、このような艱難辛苦に遭っている。このように酷使され鞭打たれても、まだ負債を返し終えておらず、殺されることもある。その苦しみは万端に及び、訴える場所もない。生きている間は水草も乏しく、病を得ても薬もなく、死ねば皮を剥がれ、人間に食べられる。そのようにして死んだ後は、地獄に堕ちる。

なぜか。心が愚かで、善悪を知らず、父母が自分を生み育ててくれた労苦を思いやらず、因果を知らず、正しい教えを聞かず、布施や戒律を守る善い心の根もなく、ただ水草のことだけを思い、他には何も知らないからである。これらの家畜は人が飼いならすものである。飼いならされるもの以外の畜生、いわゆる獅子、虎、豹、豺狼、および先に述べた水陸の畜生は、互いに殺し合い、食い合う。このような業によって地獄に生まれ、無量の劫の間、激しい苦しみを受け、地獄の罪が終われば再び畜生道に生まれる。このように往来して無量の劫を経る。

これらの畜生もまた、過去の無量無辺の生死の劫の間、常に互いに父母や六親眷属であり、常に私のために不善の業を造り、今、畜生に生まれてこの苦しみの報いを受けているのである。菩薩摩訶薩はこの苦しみを観察し、大いなる慈悲の心を起こす。 畜生道がこのようなものであるならば、次に人間道を観察せよ。人間に生まれながらも、多くの貧しい苦しみを受ける衆生がいる。長い間飢え、裸で体を晒し、泥の中を歩き雨の中に宿り、霜の中で収穫し暑い中草を取る。日夜駆け巡り、手足はひび割れ、髪は乱れ、弱々しい足取りで歩み、門ごとに乞い歩いても、一度も満腹になることはない。日が暮れれば、飢えたまま横になって眠り、他人に頼っても助けてくれる者はいない。

言葉や行いがあっても、人は信じ従わない。姿や顔立ちが良くても、かえって軽んじられ、蔑まれる。常に忍辱を行い、人々を益しても、臆病だと非難され嫌われる。あるいは芸や才覚があっても、人は重んじない。親戚を訪ねても、食い物にされるのを疑われる。あるいは三宝を信じても、名を求める中傷を受ける。あるいは人を称賛すれば、へつらいだと言われる。あるいは卑しい身分に生まれ、常に不安に苛まれ、人に従い、進退もただ命のままである。常に寒さ暑さに耐えても、温もり涼みを知らず、水を汲み薪を取る労苦を厭わない。主人の心には哀れみの心がなく、少しでも失敗があるとすぐに鞭打たれる。自ら作り自ら得るものであって、天や人が与えるものではない。福の薄さが招くものは、死の苦しみよりも甚だしい。

たとえば、枯れた木は枝葉がすべてなく、すべての飛鳥がやって来て止まることはない。福の薄い人もまた同じである。」

爾時薄伽梵重說頌言:

そのとき、尊きお方は再び次のように詩句をもって説かれました。

「無言稱癡闇, 有語謂風狂,
親近嫌諂諛, 遠離云恐怖,
忍辱言怯弱, 歸信謂邀名,
貧賤在人間, 實過於死苦。

無言でいれば「愚か者」と言われ、 言葉を発せれば「気が違った」と言われる。

親しくすれば「こびへつらう」と嫌われ、 遠ざかれば「こわがっている」と噂される。

耐え忍べば「臆病者」と見なされ、 信じ従えば「名声欲しさ」と非難される。

貧しく卑しい身で世に生きることは、 実に死の苦しみにも勝るのだ。

「復次,慈氏!當知貧窮極為大苦。雖常親近讚歎於人,以無福故過患隨生,以貧窮故恒遭凌辱,轉造惡業墮捺落迦。復有豪貴族姓之人,多有僕使象馬牛羊,親戚眷屬前後圍遶,受勝妙樂猶若諸天,五欲迷荒轉增貪恚,恒起我慢凌懱於人。」

また、慈氏よ、知るがよい。貧窮は極めて大きな苦しみである。貧しい者は、たとえ人に親しく近づき称賛しても、福徳がないゆえに様々な過ちが生じる。貧しさゆえに常に侮辱され、さらには悪業を積み重ねて地獄に堕ちるのである。

また、裕福で高貴な家柄の者は、多くの僕や象・馬・牛・羊を使い、親類や眷属に前後を囲まれて、まるで天人のような素晴らしい楽を受ける。しかし、五つの欲望に迷い惑わされて貪りや怒りを増長させ、常に我慢を起こして人を見下すのである。

爾時薄伽梵說伽他曰:

その時、尊き方は次のように偈(うた)を唱えられました。

「不攝五根多放逸, 貪財害己若怨家,
耽荒五欲如醉人, 貴賤皆招生死苦。」

五根をしっかりと保たず、放逸な生活を送る者は、 財を貪ることが自らを害し、あたかも怨敵のような存在となる。

五つの欲望に溺れる様は、酔った人のようであり、 身分の貴賤に関わらず、皆が生死の苦しみを招くのである。

佛告慈氏菩薩摩訶薩:「一切眾生不知現在及與未來,自所造業如影隨形,諸苦所因貪欲為本,更不修習善法津梁,燒滅宿因白法皆盡,從此沒已復墮三塗。所以者何?以貪欲故恒斷生命,恃己勢力劫奪他財,種種方便侵他妻妾,恣欲邪行不擇親踈,恒起希求作諸妄語,詭詐良善綺飾文詞,訶毀有情作麁惡語,傳說彼此離間他人,眷屬諸親不令和睦,恒懷貪嫉侮慢自高,瞋火所燒善業都盡,讚諸外道謗佛法僧,祠祀天神以求福祐。不知宿世三寶深恩,無量劫來為我勤苦修習勝行菩提資糧,具一切智號之為佛,而於生死長夜闇中,為作燈明、為歸為救、為船為筏拯濟生靈,置於人天大涅槃岸。眾生邪見我慢貢高猶如醉人,五欲纏縛不修善法。從此命終,墮於地獄、傍生、鬼趣,或在人中下賤貧窮,受諸苦惱如被毒箭中於身心。善法不修受斯苦報。菩薩摩訶薩觀是苦已,起大悲心。次觀天趣。觀彼諸天,壽命長遠無諸苦惱,將命終時五衰相現:一者頭上花鬘悉皆萎悴,二者天衣塵垢所著,三者腋下自然汗出,四者兩目數多眴動,五者不樂本居。此相現時,新生天女皆悉遠離棄之如草,舊侍天女愛戀情深圍遶而觀,如欲捨命哽咽悲哭,各各就前哀號問訊。時天報曰:『彼新天女,我亦憐愍無有二心,云何今者棄我如草?汝等於今悲哀惜我——以是因緣於舊生愛、新者生瞋——五相現前必知死至,離天宮處美妙音聲,天上色香悅意欲樂,迷亂失念離此宮耶?諸天會中不得久住,我於今日命將盡耶?如是苦惱猶箭中心,我等無依無怙、無親無主、無歸無救。』失聲悲歎:『諸天快樂而捨我耶?』又思:『善見宮城於今將絕,帝釋寶座朝謁無由,殊勝殿中永斷瞻望,釋天寶象何日同乘?眾花苑中無復能見,麁惡苑內介冑長辭,雜林苑中宴會無日,喜林園苑遊止無期。波利質多及劫波樹,白玉軟石更無坐時,善法堂中集議長隔,曼陀枳尼殊勝池水沐浴無由,四種甘露亦難得食,五妙音樂頓絕聽聞。咄哉大苦無常迅速,令我此身獨嬰此苦,剎那生滅而至死耶?』諸天壽命乃如幻夢,脫衣棄地痛割身心,如被虵螫極大苦惱。瞻仰餘天:『願垂慈愍濟我壽命,更延少日不亦樂乎!能為我身除五衰相,勿令墮彼馬頭山處沃焦海中。』雖有是言,諸天聞之無能救者。此天見已,作是思惟:『彼等諸天不能相救延我壽命,以是定知將死不久。』臨命終時其天自見當生之處,墮於地獄、傍生、鬼趣。見是相已,哽咽悲號悶絕躃地,角眼相視尋即命終,隨業而生墮三惡趣。以是當知天中大苦,流轉不絕無有盡期。菩薩摩訶薩觀是苦已,起大悲心。

仏が慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「すべての衆生は、現在と未来に自らが造った業が影が形に従うように付きまとうことを知らない。諸々の苦しみの原因は貪欲を根本としているのに、善い教えという渡し舟を修習しようとせず、過去の善因を焼き尽くし、白い善行もすべて尽きてしまう。この世から没した後、再び三悪道に堕ちる。なぜか。貪欲のために常に生命を断ち、自らの力を恃んで他者の財産を奪い、様々な手段で他者の妻妾を侵し、欲望のままに邪淫を行い、親疎を選ばない。常に希求を起こして様々な虚偽の言葉を語り、善良な人々を欺き、美辞麗句を飾り、生きとし生けるものを罵り粗悪な言葉を吐き、互いに伝え合って人々を仲違いさせ、眷属や親族を和睦させず、常に貪りと嫉妬を抱き、傲慢で自惚れ、怒りの炎に焼かれて善業はすべて尽きる。外道を称賛し仏法僧を謗り、天神に祠を祀り福徳を求める。過去世の三宝の深い恩を知らず、無量劫の間、私のために勤め苦しみ、勝れた行いと菩提の資糧を修習し、一切智を具えて仏と名乗ったにもかかわらず、生死の長夜の闇の中で、灯明となり、帰依所となり、救いとなり、船や筏となって生きとし生けるものを救済し、人天の大涅槃の岸に至らせた。しかし衆生は邪見と慢心と高慢に酔った者のようであり、五欲に縛られて善法を修しない。この命終わった後、地獄・畜生・餓鬼の道に堕ちるか、あるいは人中で下賤で貧窮し、毒矢が身心に刺さるような苦しみを受ける。善法を修しないためにこの苦報を受けるのである。

菩薩摩訶薩はこの苦しみを見て、大悲の心を起こす。次に天の世界を観察する。その天の者たちは、寿命が長く苦しみがないが、命終わろうとする時に五衰の相が現れる。一つ目は頭の花鬘がすべて萎れることであり、二つ目は天衣に塵が付くことであり、三つ目は腋の下に自然と汗が出ること、四つ目は両目が何度も瞬くこと、五つ目は元の住処を楽しめなくなることである。この相が現れる時、新しく来た天女たちは皆遠ざかり、草のように捨てる。かつて仕えた天女たちは愛情深く囲んで見守り、命を失おうとするのを悲しみ嗚咽し、それぞれ近づいて哀れみの言葉をかける。その時、天は答える。「あの新しい天女たちに対しても、私は同じように憐れみ、二心はない。なぜ今、私を草のように捨てるのか。あなたたちは今、私を悲しみ惜しんでくれる。この因縁によって古いものには愛着が生まれ、新しいものには怒りが生まれる。五衰の相が現れた以上、死が近いと知る。天宮を離れ、美妙な音声、天上の色香、心を楽しませる欲望の楽しみ、迷い乱れて正念を失い、この宮殿を離れなければならないのか。諸天の集いにも長く留まれず、今日、我が命は尽きようとしているのか。これらの苦しみは矢が心臓を射抜くようであり、私たちにはよりどころもなく、頼る者もなく、親しい者もなく、主もなく、帰依所もなく、救いもない。」声を失って悲しみ嘆く。「諸天の楽しみが私を捨てるのか。」また思う。「善見宮城は今や絶えようとしている。帝釋の宝座に朝拝する機会もなく、殊勝殿での瞻望も永遠に絶え、釋天の宝象に乗る日は何日あるのか。衆花苑の中は再び見ることができず、粗悪苑の中の鎧兜とも永遠に別れ、雑林苑での宴の日もなく、喜林園苑での遊びもいつ止むとも知れない。波利質多や劫波樹、白玉の軟らかい石に座る時もなく、善法堂での会議も長く隔てられ、曼陀枳尼や殊勝な池の水で沐浴することもできず、四種の甘露も得難く、五妙の音楽も聞くことが絶える。ああ、大いなる苦しみよ、無常は速やかで、私の身だけがこの苦しみを独り受け、刹那の生滅のうちに死に至るのか。」諸天の寿命はまさに幻の夢の如く、衣を脱ぎ捨て地に置くように、身心に痛みが走り、蛇に噛まれたように大いなる苦しみがある。残りの天を仰ぎ見て願う。「どうか慈悲をもって私の寿命を救い、もう少し延ばしてくれないか。私の身から五衰の相を取り除き、馬頭山の場所や沃焦の海に堕ちさせないでくれ。」このように言っても、諸天は聞いても救う者はない。この天はそれを見て思う。「彼ら諸天は私の寿命を延ばすことができない。これによって死が近いと確信する。」命終わろうとする時、その天は自ら生まれるべき場所を見る。地獄・畜生・餓鬼の道に堕ちる。この相を見て、嗚咽し悲しみ叫び、悶絶して地に伏し、目をそらして見つめ、すぐに命終わり、業に従って生まれ、三悪趣に堕ちる。これによって知るべきである。天の中にも大いなる苦しみがあり、流転は絶えず終わることがない。菩薩摩訶薩はこの苦しみを見て、大悲の心を起こす。」

「慈氏!當知譬如有人以角弓弰滴大海水,弓所得水與大海水,何者為多?」

慈氏よ、知るがよい。たとえば、ある人が角弓の先で大海の水を一滴すくうとするようなものだ。その弓の先に付いた水と、大海の水とでは、どちらが多いと思うか。

慈氏菩薩摩訶薩白佛言:「世尊!其弓弰水極為微少,如何以此比大海乎?以是大海極為深廣,云何方比弓弰水耶?」

慈氏菩薩摩訶薩が仏に申し上げました。「世尊(せそん)、その弓の先の水はごくわずかです。どうしてそれと大海を比べられましょうか。大海は非常に深く広大です。どうして弓の先の水を比べることができましょうか。」

爾時薄伽梵告慈氏菩薩摩訶薩言:「善男子!從人天沒墮三惡趣,如大海水;復生人天,如弓弰水。墮三塗者受苦無量,不可稱說不可思量,如上略說三惡趣苦,如殑伽河而得一沙,其未說者如殑伽沙。壽命亦爾,如人間壽經於百年,帝釋天中為一晝夜,以此晝夜三十為月,十二為年,壽一千年,如人間歲總三俱胝餘六十億。以此壽量為彼黑繩大地獄中一日一夜,以此日夜三十為月,十二月為年,滿一千年而為壽量。以此千年而於眾合大地獄中為一日夜,以此日夜三十為月,十二月為年,滿二千年以為壽量,乃至阿鼻大地獄中壽一中劫。以是當知,地獄眾生壽命長遠。諸天臨終以天眼觀,皆悉能知極懷憂惱,所有欲樂一時皆失,以其苦樂各十六分,一分苦生能滅天中十六分樂。是為菩薩摩訶薩觀見諸天,臨命終時受如是苦,起大悲心。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩第一大慈悲心。復次,應起大精進心,拔濟有情置於涅槃安樂之處。如彼商主作是思惟:『父母宗親咸悉貧匱,如何方便得免艱難?』如是思已,更無異方,唯有入海採如意珠。得已還歸色養給侍。作是念已入海求之,得如意珠置高幢上,能雨一切種種珍寶、衣服、飲食、香花、妓樂,父母宗親隨意所須悉令充足。菩薩摩訶薩發菩提心求一切智亦復如是。作是思惟:『一切眾生,皆我宿世父母親屬,流轉生死現受諸苦,以何方便而得免離?』如是思已,更無異方,唯有入於六波羅蜜法海之中,求一切智如意寶珠以濟斯苦。作是念已入法海中,而求種智如意寶珠置法幢上,布大慈雲、普雨一切神通功德陀羅尼門,慚媿衣服,施為舍宅,淨戒之香,忍辱花鬘,精進之饍,禪定為床,智慧甘露以為其食,諸法空寂而為其座,以大涅槃而為寶城,諸佛菩薩為善知識,降霔如是妙寶、衣服、香花、妓樂。如意寶珠一切種智,唯除無上調御大師,無能拔濟諸苦難者,永得安樂究竟涅槃。菩薩摩訶薩思惟是已,決定自知得不退轉,復發是願:『願我所生有苦難處,代諸眾生受諸苦惱,不願自證解脫涅槃,捨彼眾生自求安樂。所以者何?一切聲聞及辟支佛,自求解脫已入涅槃,無量無邊不可勝數,不能利樂一切眾生,不能稱揚佛身功德。菩薩摩訶薩設在三塗,能令有情捨不善業,修習善法免離眾苦而得解脫,況於人中。以是因緣,菩薩摩訶薩利樂十方一切有情。由此義故,忉利諸天、大梵天王、大自在天、諸仙外道,恭敬供養皆悉容受。而此菩薩得不退心,三世諸佛所共稱讚與授記別。菩薩摩訶薩修大乘者,自在無畏如師子王,一切眾生隨逐而行,永無怖畏直至菩提。聲聞、緣覺諸阿羅漢,聞菩薩教,深入巖窟以衣覆頭而趣涅槃。豈同大乘修菩薩行,自利利他無不蒙益。以是因緣轉加精進,寧於三塗受無量苦,終不自利而取涅槃。過現未來一切有情所造惡業,應墮惡趣受諸苦者,願集我身而代受之。我於過去及現在世。所修勝行一切善品諸功德法,願皆迴施一切有情速證涅槃。所有珍財我願悉捨,打罵凌辱終不加報皆忍受之,願彼眾生悉無罪累。無量無邊阿僧祇劫難行苦行我願盡行,而為眾生誓求無上正等菩提,精進修行禪定解脫得不退轉。又如過去無量無邊菩薩摩訶薩,精勤修習一切智智,我亦當作如是修行。所以者何?為度一切流轉有情,安置涅槃無上解脫。復願一切眾生之類——若卵生、若胎生、若濕生、若化生,若有色、若無色,若有想、若無想、若非有想非無想——我皆令入大般涅槃。一切眾生皆令圓滿六波羅蜜,具足成就無上佛身百福莊嚴,三十二相、八十種好,項背圓光過百千日,眾生樂見瞻仰無厭。復願十方世界一切眾生,功德莊嚴悉皆如佛。』復發是願:『願捨此身,為於法界一切眾生打罵訶責,或時繫縛苦切凌辱欲斷命根,種種役使承順無違,願彼眾生悉無罪累。』發是願已,復更思惟:『願我速得成滿此願,復願此身住於五趣,利益安樂一切有情,無依怙者為作依怙,遊他國者為作示導,入海之者為作船筏,涉溝㵎者為作橋梁,處曠野者為作泉井,寒凍之者為作柴薪,盛暑炎毒為作清涼,處黑闇者為作燈明,疲乏之者作軟敷具,飢餓之者作甘美饍,渴乏之者化作甜漿,為裸露者而作衣服,亢旱飢饉為雨五穀,病苦之者為作良醫令疾除愈壽命延長,孤惸鰥寡而為侍者,諸貧窮者為作伏藏。隨彼行住不相捨離,若遠行者為作伴侶,并作車馬令達所至。若邪見者為說正法令住正見。地獄苦者我誓入彼,地獄之中拔濟令出。墮餓鬼者為作清涼甘美飲食,除熱飢渴。墮傍生類虎豹犲狼熊羆師子,化作肉山以充食噉。』復發是願:『食我肉者,悉得充飽不相食噉。象馬牛羊麞鹿等獸,我為彼作肥膩軟草。若諸眾生食肉噉草五穀飲食,隨意所須悉令充足。處人趣者隨所樂欲,我悉供給令無所乏。』復發是願:『願我悉得成就一切陀羅尼身,隨諸眾生所在之處皆為救護,作如意樹及作賢瓶,出無盡財,給施一切具足圓滿。或作醫王除其疾病,以大悲手執法關鑰,開涅槃城示佛知見。三僧祇劫難行苦行,救諸眾生安住涅槃真實解脫。於所生處,常勤精進無有懈怠,利益安樂一切有情。為救眾生處捺落迦,受苦無量如涅槃樂。』復發是願:『若一切眾生未得解脫,我願常居地獄不證菩提。』慈氏!當知即是菩薩摩訶薩第二精進勤求一切智智。

そこで尊き仏は、慈氏菩薩摩訶薩に語りかけられた。「善きかな、慈氏よ。人天の世界から命を終えて三悪趣に堕ちる者は、大海の水のように無量であり、再び人天に生まれる者は、弓の先につく一滴の水のように僅かである。三悪道に堕ちた者は、言葉にできないほど、計り知れないほど、無量の苦しみを受ける。先に私は三悪趣の苦しみをほんの一部だけ説いたが、それはガンジス川の砂一粒にも満たず、説かれていない苦しみはガンジス川の砂の数ほどもあるのだ。

寿命についても同じである。人間の寿命が百年であっても、それが帝釈天の世界では一昼夜に過ぎない。その一昼夜を三十倍して一ヶ月とし、十二ヶ月で一年とする。帝釈天の寿命は一千年であり、これを人間の歳に換算すると、三俱胝(三千万)とさらに六十億年になる。この寿命を基準として、それが黒縄大地獄における一昼夜となる。その一昼夜を三十倍して一ヶ月、十二ヶ月で一年とし、満一千年が黒縄地獄の寿命となる。さらに、その一千年が衆合大地獄の一昼夜となり、同じく三十倍して一ヶ月、十二ヶ月で一年とし、満二千年がこの地獄の寿命となる。このようにして、阿鼻( Avīci )大地獄に至っては、その寿命は一中劫(一つの世界の一大周期)に及ぶ。

このようにして、地獄の衆生の寿命が非常に長いことを知るべきである。天人は命終の時に天眼でこの全てを見通し、非常に憂い悲しむ。彼らが享受してきた全ての欲望の楽しみは、その瞬間に失われる。なぜなら、彼らの苦しみと楽しみはそれぞれ十六の部分から成り立ち、たった一つの苦しみの部分が生じるだけで、天における十六の楽しみの部分全てを打ち消してしまうからである。これは、菩薩摩訶薩が天人が命終の時にこのような苦しみを受けるのを見て、大いなる慈悲の心を起こす所以である。

慈氏よ、知るがよい。これこそが菩薩摩訶薩の第一の大慈悲心である。

次に、菩薩は大いなる精進の心を起こし、迷いの世界にいる有情(衆生)を救い出し、涅槃の安楽の境地に置くべきである。それは、ちょうどある商人がこう思うようなものである。 『父母や一族は皆貧しく困っている。どうすれば彼らをこの苦難から救うことができるだろうか?』 彼はそう考えた末に、他に方法はなく、ただ海に入って如意宝珠を求めるよりないと悟る。そして宝珠を得て帰り、両親に孝養を尽くし、一族を養うのである。 このように考えて海に入り宝珠を得た彼は、それを高き幢(旗竿)の上に掲げる。すると、宝珠はあらゆる珍宝、衣服、飲食、香華、音楽を雨のように降らせ、父母や一族は思いのままに必要なものを得て、全て満たされるのである。

菩薩摩訶薩が菩提心を起こし、一切智(全てを悟る智慧)を求めるのも、全く同じである。彼はこう考える。 『全ての衆生は、過去世における私の父母であり親族である。彼らは生死を流転し、今まさに様々な苦しみを受けている。どのような方法で、彼らをこの苦しみから救い出せるだろうか?』 彼はそう考えた末に、他に方法はなく、ただ六波羅蜜(六つの完成された実践)という法の大海に入り、一切智という如意宝珠を求めて、この苦しみを救うよりないと悟る。こう考えて法の海に入り、一切智という如意宝珠を求め、それを法の幢(旗)の上に掲げる。すると、大いなる慈悲の雲を広げ、神通力や功徳、陀羅尼の法門などを雨のように降らせ、慚愧(反省と恥じらい)という衣服、施しという家屋、清らかな戒律という香り、忍耐という花の鬘(かざり)、精進という食事、禅定という寝床、智慧という甘露の飲み物、全ての法の空寂(本質的な虚ろい)という座を備える。大涅槃という宝玉の城に安住し、諸仏菩薩を善知識(善き導き手)として、このような見事な宝、衣服、香華、音楽を降り注ぐ。

しかし、この如意宝珠である一切智も、無上の調御大師(仏陀)を除いては、あらゆる苦難から衆生を救い出し、永遠の安楽である究竟涅槃へ導くことはできないのである。

菩薩摩訶薩はこのように考え、自らが不退転(決して退かない境地)に至ったことを確かに知る。さらに、こう誓願を立てる。 『どうか、私が生まれるところに苦しみや難儀があるならば、その場所で、一切の衆生に代わって苦しみや悩みを受けよう。自らだけの悟りや涅槃を証得して、彼らを捨てて自分だけの安楽を求めることは決してしない。なぜなら、全ての声聞(弟子たち)や縁覚(独覚)は、自らの解脱のみを求めて涅槃に入ってしまい、その数は無量無辺で数えきれないが、彼らは一切の衆生を利益し楽しませることはできず、また仏の身体の功徳を称えることもできないからである。菩薩摩訶薩は、たとえ三悪道に堕ちていても、有情に不善の業を捨てさせ、善法を修習させ、多くの苦しみから逃れさせて解脱させることができる。ましてや人間の世界においてはなおさらである。このような理由から、菩薩摩訶薩は十方の一切の有情を利益し楽しませるのである。この意義によって、忉利天の諸天、大梵天王、大自在天、諸々の仙人や外道までもが、菩薩を恭敬し供養し、その全てを受け入れるのである。この菩薩は不退転の心を得ており、三世の諸仏が共に称賛し、未来における成仏の記別(予言)を与えるのである。

大乗を修行する菩薩摩訶薩は、獅子王のように自在で何も恐れることがない。一切の衆生が彼に従って歩み、永遠に恐怖なく、菩提(悟り)に至る。しかし、声聞や縁覚、阿羅漢たちは、菩薩の教えを聞くと、深い岩窟に隠れ、衣を頭にかぶって(俗世を避けて)涅槃に入ろうとする。どうして彼らが、大乗の菩薩行を修め、自他共に利益し、その恩恵を受けない者がないという境地と比べられようか。

このような理由から、菩薩はますます精進する。『たとえ三悪道で無量の苦しみを受けようとも、決して自利だけのために涅槃を取ることはない。過去・現在・未来の一切の有情が作り、悪趣に堕ちて様々な苦しみを受けるべき業があるならば、どうかその全てを私の身に集めて代わりに受けよう。私は過去と現在において修めてきた、全ての優れた行いと善い功徳の法を、願わくば全ての有情に回向し、彼らが速やかに涅槃を証得することを願う。私は全ての財産を喜んで施そう。もし打たれ、罵られ、辱められても、決して報復せず、全てを受け入れよう。願わくば、あの衆生が少しの罪の重荷も背負うことがありませんように。』

『無量無辺の阿僧祇劫(計り知れない長い時間)にわたる難行苦行を、私は全て行うことを誓う。そして、衆生のために無上の正等菩提(完全なる悟り)を求めて誓い、精進して禅定と解脱を修行し、不退転の境地を得よう。また、過去の無量無辺の菩薩摩訶薩たちが、精進して一切智を修習したように、私もまたそのように修行しよう。なぜなら、迷いの世界を流転する一切の有情を救い、涅槃という無上の解脱に安置するためである。

さらに、一切の衆生の種類――卵生、胎生、湿生、化生、色を持つもの、持たないもの、想いを持つもの、持たないもの、あるいは非有想非無想のものに至るまで――私は彼ら全てを大般涅槃に入らせようと願う。一切の衆生に六波羅蜜を円満させ、完全に成就した無上の仏身における百の福徳の荘厳、三十二相、八十種の好(優れた特徴)、背中の円光が百千の太陽よりも輝き、衆生が喜んで見て飽くことがないような姿を具えさせる。また、十方世界の一切の衆生の功徳の荘厳が、全て仏のようであることを願う。』

さらに、このような誓いを立てる。 『願わくば、この身を捨てて、法界の一切の衆生のために、打たれ、罵られ、叱責され、時に縛られ、苦しめられ、辱められ、命を断たれようとも、様々に使役されても、従い逆らわないことを誓う。願わくば、あの衆生が全て、罪の重荷を負うことがありませんように。』

この誓いを立てた後、さらに考える。『願わくば、私は速やかにこの願いを成就したい。また、この身が五趣(五つの生存領域)にとどまり、一切の有情を利益し安楽にしたい。拠り所のない者には拠り所となり、他国を旅する者には道案内となり、海に入る者には船や筏となり、溝や谷を渡る者には橋となり、荒野にいる者には泉や井戸となり、寒さに凍える者には薪となり、酷暑の炎熱には涼をもたらし、暗闇にいる者には灯火となり、疲れた者には柔らかな寝具となり、飢えた者には美味しい食事となり、渇いた者には甘い飲み物を化現し、裸の者には衣服を作り、干ばつや飢饉には五穀の雨を降らせ、病に苦しむ者には良医となって病を癒し寿命を延ばさせ、孤独な者や寡婦・寡夫には従者となり、貧しい者には地下の宝蔵となろう。彼らの行く先々に付き添い、決して離れない。遠くへ行く者には仲間となり、車や馬となって目的地に到達させよう。邪見を持つ者には正しい法を説いて、正しい見解に留まらせよう。地獄で苦しむ者には、私はその地獄に自ら入り、彼らを救い出そうと誓う。餓鬼に堕ちた者には、涼やかで甘い飲食を施し、熱と飢えと渇きを取り除こう。畜生に堕ちた虎、狼、熊、豹、獅子には、私の身が肉の山と化して、彼らの食料となろう。』

さらに、このような誓いを立てる。 『私の肉を食べる者は、全て満腹し、互いに食べ合うことがなくなりますように。象、馬、牛、羊、鹿などの動物には、私が肥えた柔らかな草となりますように。もし諸々の衆生が、肉を食べ、草を食べ、五穀や飲食物を食べるならば、その思いのままに必要とするものを与え、不足することがないようにします。人間の世界にいる者には、その欲する楽しみに従って、私は全てを施し、欠乏することがないようにします。』

さらに、このような誓いを立てる。 『願わくば、私は速やかに一切の陀羅尼の身(全ての教えを保持する能力)を成就し、諸々の衆生のいる場所に従って、常に彼らを救護したい。如意樹や賢瓶(望みを叶える瓶)となり、尽きることのない財宝を出し、一切の衆生に施して、完全に満たしたい。あるいは医王となってその病気を除き、大悲の手で法の鍵を執り、涅槃の城を開き、仏の知見を示そう。三阿僧祇劫にわたる難行苦行を尽くし、諸々の衆生を救い、涅槃の真実の解脱に安住させよう。生まれるところでは、常に精進し怠ることがなく、一切の有情を利益し安楽にしよう。衆生を救うために、地獄(捺落迦)に身を置き、そこでの無量の苦しみを、涅槃の楽しみのように受け入れよう。』

さらに、このような誓いを立てる。 『もし一切の衆生がまだ解脱を得ていないならば、私は永く地獄に留まり、菩提を証得しないことを誓う。』

慈氏よ、知るがよい。これこそが菩薩摩訶薩の第二の、一切智を求めようと精進する心なのである。」

「復次,慈氏!行此行已,應當更發三種勝心求不退轉,乃至三無數劫精進修行,於一剎那無令間斷。或有眾魔作沙門形,或婆羅門形、苦行之者種種異形,於大乘中求諸過失,勸修行者令其退轉,作如是言:『佛道懸遠,經百千劫難行苦行難捨能捨,國城妻子、象馬七珍、奴婢僮僕、身肉手足無所悋惜,如是布施經千萬劫方證菩提。無量眾生如是修習,皆未成佛,悉已退轉自取涅槃。設成佛果亦入涅槃,一種涅槃何須勤苦?汝求利益修二種事,一求現生常受快樂。人天種種勝妙五欲隨意所作,小有苦者亦勿須怖。何以故?譬如農夫,豈懼蟲鹿不營種耶?人天快樂亦復如是,雖有小苦快樂無窮,但自修持何憂何怖。二者自求涅槃,此生三生得阿羅漢自當解脫,何用勤苦求佛果耶?若復不能趣二乘者,且受人天種種快樂,設後厭離疾入涅槃。譬如有人用功雖少獲利乃多,復有一人功力極多事不成辦。設汝布施種種艱勞,都無所成,自為欺誑。汝今與我行住共俱,出世涅槃進止同處。』慈氏!當知菩薩摩訶薩修大乘者,聞斯語已都不信從,作是思惟:『此是惡魔嬈亂我耳,而作障礙欲誘誑我令退菩提。』既知是已,復發是心:『我今不應違本誓願受如斯語,決定進求無上佛果。』而於大乘誓不退轉,發三種心。云何為三?一者一切有情皆我宿世父母親友,從無始際生死輪迴受大艱苦,於八寒、八熱十六地獄受諸苦惱,復於餓鬼、傍生趣中,及於人、天亦復如是。況是我之宿世父母內外親屬而無悲戀,是故我今誓取菩提不應退屈。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩不退轉中第一心也。二者一切有情從無始來既為父母,一一生處在母腹中,寢食睡眠不得安止,生育劬勞,以大悲心血變成乳,長時不倦咽苦吐甘,功德日修願我成長。自我薄祐夭壽而終,父母悲號自拔頭髮,椎胸墮淚食旨不甘。一一生中皆有斯苦,所出目淚其量淺深過四大海,所飲母乳過四大河。復次一切有情無始至今,以恩愛故為我父母,種種因緣為我捨命,以是至今流轉未息。若此有情勤苦修習無上菩提,即此有情悉合成佛,由為我故生死無窮。復次,一切有情從無始來,憐愍我故造不善業心無改悔,若此惡業可立形相,計量積集過妙高山。積業既然,墮三惡趣于今不絕。以是義故如何背恩,自取涅槃而求解脫?譬如眾人同犯王法,繫在囹圄逃刑無路。中有一人見牆小穴,設諸方便自脫而行,以是因緣免離苦難。二乘之人亦復如是,昔與眾生同為癡愛,繫在三界生死囹圄求出無由,中有一人見四諦門,知苦斷集證滅修道,獲阿羅漢自證涅槃。修大乘者則不如是,願共眾生同得解脫,以戒定為雙手、智慧為鈇鉞、大悲為鉤鑰,破煩惱賊摧生死軍,開涅槃城昇智慧殿。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩修大乘者第二不退轉心。三者菩薩摩訶薩作是思惟:『從無始際流轉至今,一一有情互相繫屬,身口意業苦惱他人,作擾亂心發彼瞋恚,劫奪財寶種種貪求,斷他命根食他血肉,如是殺害無量無邊。設彼未終,日夜思想以何方便斷彼命根,持其血肉充我飲噉。又懷憍慢恃己凌他,說彼為非自言我是,聞他勝事嫉妬心生,不耐他人中毒令死,見苦難者無有悲心,喜不自勝,何當早逝。見富貴者意不欲之,願犯刑名貶黜貧賤,願他苦惱自受榮華。願他財寶日夜銷亡,願我資財日日增長。願彼憂苦我恒安樂,彼受憎嫌我納愛敬,他作怨家自為親友,彼恒墮落我得超昇。願他貧窮我唯富有。我得智慧願彼愚癡。無始生死日夜思惟,以如是心自求安樂,利益向己苦惱屬他,無一眾生不被侵害,名聞善事皆不願他,口許心違常行如是,種種迫脅令彼不安,無量無邊不可備說。復以惡教示導他人,現在未來墮於險道,詐作知見辯證他人,令損珍財失其官爵,以離間語鬪亂親疎,巧詐多端令心相恨,墮於地獄無有出期。以麤惡言於他毀罵,如以熱箭中彼身心,乃至命終何時暫忘。假立名字毀訾多端,損惱眾生種種異語,或作外道邪見仙人,恚火燒心說邪惡法,瞋恚熾盛墜陷有情,蠱道呪術妖魅符書,令諸眾生皆共修習,互相損害疾病流行。壯者衰羸少變令老,明眼令瞽聰耳使聾,端正之者而現醜容,貢高之者而獲癩病,修善之者而令作惡,智慧之者使令癡狂,長壽之者而令夭喪,富貴之者而令貧賤,乃至今日未絕流行。』復念:『我昔為外道師,邪見教人,非法說法、法說非法,令無量無邊諸有情類退菩提心,墮於邪見非法之中,從此命終墮捺落迦、傍生、鬼趣。復有眾生於往世中受我邪教,從嶮峻山投身而下,入閻牟那河便取命終,云得生天,于今不絕。復有無量眾生,往殑伽河南、閻牟河北二水中間,有大神樹名尼拘陀,其樹端正,茂葉含翠扶踈蔭映,地平廣博此為施場,樹下多立三鈷鐵戟。彼諸眾生求生天者,於彼場中先行布施,次剃髭髮入河沐浴,望除罪垢然後上樹,當鐵戟上投身而下自取命終,從此死已云得生天,無始至今流行未絕。復有眾生受我邪教,常自慳惜不行惠施,若見施者起大瞋心,見受施人復生恚怒。何以故?我見施者及受施人,由此業緣俱墮地獄。以是見故,無量劫中受鋨鬼苦,于今未脫。復有眾生受我邪教,多殺牛羊以血祀天。何以故?如是牛羊天賜與我,我食其肉,血應祭天,無始至今受行其教,已命終者墮惡趣中,殘害未寧互相食噉,以愚癡故不得涅槃。復有眾生受我邪教。於佛法僧常行誹謗。復有眾生受我邪教,不信三世善惡因果,言無布施亦無供養,亦無其果無護魔法,無善行、無惡行亦無業果,無此世、無他世、無地獄、無餓鬼、無傍生、無天、無人、無父無母,一切眾生猶如酒醉,造酒之人而以麴米,溫涼調適遂有酒名飲則醉人,此醉豈從父母生耶?眾生亦爾,父母和合本由染愛而有我生,我命終已更無有生。譬如斫樹燒已成灰種,此灰者豈有樹生?我身亦爾,死已無生,以是故知定無因果。由此而於父母師長,無有恭敬常毀罵之,無量生中教此邪法,令諸有情墮於地獄。或有外道以火燒身;或投水中自溺而死;或利戟上宛轉而終;或修狗行以口食糞而求生天;或修牛戒如牛行李,飲水噉草裸露而行,不辨六親而作婬亂;或有外道自餓不食,盡日而立夜後方食;或有外道五熱炙身隨日而轉;或有外道常翹一足;或有外道常奉事月,白月一日噉食一口,二日二口,乃至滿月食十五口,黑月初日減食一口,二日二口,至黑月盡但食一口,或都不食;或有外道常持鷄戒,散食在地以足撥取,口拾而食知時而鳴;或有外道裸形而行無有羞恥,燖去毛髮日中而立隨日而轉,於盛寒際處陰影中當風而立;或有外道斷人命已,而取髑髏盛其飲食;或有外道裸形無恥以灰塗身;或有外道炭墨塗身,以人髑髏支節諸骨,以為瓔珞花鬘鐶釧身首莊嚴;或有外道馬尾騣髦織為衣服;或有外道樹皮為衣;或有外道鷲毛作衣;或有外道鷄毛為衣。以如是等外道邪法教諸眾生,以口業故,無數眾生至今愚迷不得解脫。復從無始乃至于今,以身惡業苦惱眾生,作獄卒身,手執鐵鉗磔眾生舌灌注洋銅,又以鐵槌打碎其骨,又以鐵鋸解諸眾生,又驅迫眾生上於劍樹,抽出腸胃五藏而食,又以鐵索縛束眾生,擲灰河中使受諸苦,旋即曳出置熱鐵上。如魚在𨫼宛轉受苦。又逼起坐以熱鐵杓,盛以洋銅灌口令飲。又以鐵鉗拔出其舌,曳令長廣鐵犁耕之。如上所說地獄苦中,無始劫來我為此事,種種身業苦惱眾生。又作師子虎豹犲狼熊羆等獸,殘害眾生飲血噉肉。又作人王宰官士庶長者居士尊位之中。抂法科稅非理捶楚,不行王法損害有情。以是思惟無始至今,五趣眾生無不惱害,斫頭剜眼刵耳劓鼻,截舌噉肉敲骨出髓,斬其手足乃至斷命。又在人中,不作餘業而為魁膾,畋獵漁捕罘網矰繳奪眾生命,所謂牛羊麞鹿狐兔鷄猪魚鼈等身,分割支節成大積聚而以販鬻,如是殺害無量無邊,經於無量俱胝劫中,如是衒賣以自活命。』

「さらに、慈氏よ、この行を修めたならば、さらに三つの優れた心を起こして退転しないよう求め、三無数劫にわたって精進修行し、一刹那の間も途切れさせてはならない。あるいは、様々な魔が沙門の姿や婆羅門の姿、苦行者の様々な異なる姿となって、大乗の中に欠点を探し、修行者に退転を勧めて、こう言うことがある。『仏道は遠く、百千劫を経て難行苦行し、捨て難きものをよく捨て、国・城・妻子・象・馬・七宝・奴婢・童僕・身・肉・手・足をも惜しまず施し、このように布施して千万劫を経て初めて菩提を証する。無量の衆生がこのように修行してきたが、皆、仏に成れず、すべて退転して自ら涅槃を取っている。たとえ仏果を得ても涅槃に入るなら、同じ涅槃ならば、なぜ苦労する必要があるのか。あなたは利益を求めて二つのことを修行しなさい。一つは現世の楽しみを常に受けること。人は天の様々な勝れた五欲を思いのままに楽しみ、小さな苦しみがあっても怖れる必要はない。なぜなら、例えれば農夫が虫や鹿を恐れて耕作をやめるだろうか。人の天の楽しみもまた同じで、小さな苦しみはあっても楽しみは限りなく、ただ自ら修行すれば何を憂い何を怖れることがあろう。二つには自ら涅槃を求めること。この生涯か三生涯で阿羅漢を得て、自然に解脱できるだろう。どうして苦労して仏果を求める必要があろうか。もし二乗に向かえないなら、ひとまず人の天の様々な楽しみを受け、後に厭い離れて速やかに涅槃に入ればよい。例えれば、ある人は労力は少ないのに得る利益は多く、またある人は労力は非常に多いのに事が成らないようなものだ。たとえあなたが布施に様々な艱難辛苦を尽くしても、何も成し遂げられず、自ら欺くことになる。あなたは今、私と共に行住し、出世の涅槃も進退も同じところにありなさい。』慈氏よ、知るべきである。大乗を修める菩薩摩訶薩は、これらの言葉を聞いても決して信じ従わず、こう考える。『これは悪魔が私の耳を惑わし、妨害して私を誘い欺き、菩提から退かせようとしているのだ。』と知ったならば、再びこう心を起こす。『私は今、本来の誓願に背いてこのような言葉を受けるべきではない。決して無上の仏果を求め進むことをやめない。』そして大乗において決して退転しないと誓い、三つの心を起こす。三つとは何か。一つには、一切の有情は皆、私の過去世の父母や親友であり、無始の昔から生死の輪廻の中で大きな苦しみを受け、八寒・八熱・十六地獄で様々な苦しみを受け、さらに餓鬼・畜生の道、そして人・天においてもまた同じである。ましてや私の過去世の父母や内外の親族に対して哀れみの心がないはずがない。ゆえに、私は今、菩提を得ることを誓い、退屈してはならない。慈氏よ、これが菩薩摩訶薩の不退転における第一の心であると知るべきである。二つには、一切の有情は無始の昔から父母であったが、生まれるたびに母の胎内にあり、寝食睡眠もままならず、生み育てる苦労は大きく、大悲の心で血を乳に変え、長い間疲れることなく苦しみを飲み甘えを吐き、功徳を日々に修めて私の成長を願った。私は薄幸で夭折して命を終えたが、父母は悲しみ叫び自ら髪を引きむしり、胸を打ち涙を流し、美味しいものを食べても味がしなかった。生まれるたびにこのような苦しみがあり、流した涙の量は四大海よりも深く、飲んだ母乳は四大河よりも多い。さらに、一切の有情は無始から今に至るまで、恩愛のゆえに私の父母となり、様々な因縁で私のために命を捨て、そのために今も流転して止まない。もしこの有情が苦労して無上菩提を修行すれば、この有情はすべて仏に成るはずであるが、私のゆえに生死が限りなく続く。さらに、一切の有情は無始の昔から、私を哀れむゆえに不善の業を造り、心に改悔がなく、もしこの悪業に形相を立てることができるなら、その量を積み集めれば妙高山よりも高くなる。積んだ業がそうであるならば、三悪趣に堕ちて今も絶えない。この義によって、どうして恩に背いて自ら涅槃を取り、解脱を求めることができようか。例えれば、多くの人が共に王法を犯して牢獄に繋がれ、刑を逃れる道がないとする。その中に一人の人が壁の小さな穴を見つけ、様々な方便を設けて自ら脱出して行き、この因縁によって苦難を免れる。二乗の人もまた同じで、昔は衆生と共に愚癡と愛欲にあり、三界の生死の牢獄に繫がれて出る術がなかったが、その中に一人の人が四諦の門を見て、苦を知り集を断じ、滅を証し道を修めて、阿羅漢を得て自ら涅槃を証する。大乗を修める者はそうではなく、衆生と共に解脱を得ることを願い、戒と定を両手とし、智慧を斧と鍬とし、大悲を鍵と鎹として、煩悩の賊を破り生死の軍を摧き、涅槃の城を開き智慧の殿に昇る。慈氏よ、これが菩薩摩訶薩が大乗を修める第二の不退転心であると知るべきである。三者、菩薩摩訶薩はこう考える。『無始の昔から今に至るまで流転し、一人一人の有情は互いに繫属し合い、身・口・意の業で他人を苦しめ、擾乱の心を起こして彼らに瞋恚を発させ、財宝を奪い取り様々に貪り求め、彼の命根を断ち、彼の血肉を食らう。このような殺害は無量無辺である。もし彼が命を終えていなければ、日夜考えて、どのような方便で彼の命根を断ち、その血肉を持って我が飲食物としようかとも思う。また、驕慢を抱いて己を恃み他を陵し、彼を非と説き自らを是と言い、他の勝れたことを聞けば嫉妬の心が生じ、他のことを耐えられず毒で死なせようとし、苦難にある者を見ても悲愍の心がなく、喜びに堪えず、早く死んでほしいと思う。富貴にある者を見ればそれを望まず、刑罰に処せられて貶され貧賤になることを願い、彼に苦しみが起こり自らは栄華を受けることを願う。彼の財宝が日夜減り失せることを願い、我が財物が日々増大することを願う。彼は憂い苦しみ我は常に安楽であり、彼は嫌悪され我は愛敬を受け、彼は怨家と為り我は親友と為り、彼は常に堕ち我は超昇することを願う。彼が貧窮し我だけが富有であることを願う。私は智慧を得、彼は愚癡であることを願う。無始の生死の間、日夜考えて、このような心で自ら安楽を求め、利益は己に向け苦しみは他に属し、一人の衆生として侵害されない者はなく、名声や善事はすべて他に与えたくなく、口では誓い心に反して常にこのように行い、様々に脅し迫り彼らを不安にさせ、無量無辺で言い尽くせない。さらに悪い教えで他人を導き、現在未来において険しい道に堕とし、偽って知識を装い他人を誹謗し、財宝を損なわせ官爵を失わせ、離間の言葉で親疎を乱し、巧みに偽り多くを用いて心を互いに恨ませ、地獄に堕ちて出る時がないようにする。粗悪な言葉で他を罵り毀ち、ちょうど熱い箭で彼の身心を射るようで、命終わるまでいつも忘れることがない。名前を借りて様々に毀ち、多くの異なる言葉で衆生を損ない悩ませ、あるいは外道の邪見の仙人となり、恚火が心を焼いて邪悪な法を説き、瞋恚が盛んに燃え上がり有情を陥れ、蠱道の呪術や妖魅の符書で、すべての衆生に共に修行させ、互いに損害し合い疾病を流行させる。壮者を衰え弱らせ少を変えて老いさせ、明眼を瞽にし聰耳を聾にし、端正な者に醜い容を現し、高慢な者に癩病を患わせ、善を修める者に悪を行わせ、智慧ある者に狂わせ、長寿の者に夭折させ、富貴の者に貧賤させ、今日に至るまで絶えることなく流行している。』さらにまた思う。『私は昔、外道の師となり、邪見で人に教え、非法を法と説き、法を非法と説き、無量無辺の有情類に菩提心を退かせ、邪見や非法の中に堕とし、この命終えてから捺落迦・傍生・鬼趣に堕ちた。また、ある衆生は過去世において私の邪教を受け、険しい山から身を投げて下り、閻牟那河に入って命を終え、天に生まれると言い、今も絶えない。また無量の衆生は、殑伽河の南、閻牟河の北、二つの河の間にあり、大きな神樹が名を尼拘陀といい、その樹は端正で、茂った葉は翠を含み、枝葉が広がって陰を作り、地面は平らで広くこれが施しの場であり、樹の下には三鈷の鉄戟が多く立てられている。それらの衆生で天に生まれようと求める者は、その場でまず布施を行い、次に髭や髪を剃り、川に入って沐浴し、罪の汚れを除くことを願ってから樹に上り、鉄戟の上に身を投げて自ら命を終え、この死から天に生まれると言い、無始から今に至るまで流行して絶えない。また、ある衆生は私の邪教を受け、常に自分は慳り惜しんで布施を行わず、施す者を見れば大いに瞋りの心を起こし、施しを受ける者を見ればまた恚り怒る。なぜなら、私は施す者と施しを受ける者を見て、この業因によって共に地獄に堕ちると考えるからである。この見解によって、無量劫の間、餓鬼の苦しみを受け、今もなお脱していない。また、ある衆生は私の邪教を受け、多くの牛や羊を殺して血で天を祭る。なぜなら、これらの牛や羊は天が私に与えたものであり、私はその肉を食べ、血は天に祭るべきだからである。無始から今に至るまでその教えを受け行い、すでに命を終えた者は悪趣に堕ち、残害して安らかならず互いに食い合い、愚癡のゆえに涅槃を得ることができない。また、ある衆生は私の邪教を受け、仏法僧を常に誹謗する。また、ある衆生は私の邪教を受け、三世の善悪の因果を信じず、布施もなく供養もなく、その果報もなく、護法の魔法もなく、善行もなく悪行もなく業果もなく、この世もなく他世もなく、地獄もなく餓鬼もなく傍生もなく、天もなく人もなく、父もなく母もないと言い、一切の衆生は酒に酔ったようであり、酒を造る者が麹や米で温涼を調えて適度にし、遂に酒の名があって飲めば人を酔わせる、この酔いがどうして父母から生じるだろうかと言う。衆生もまた同じで、父母の和合は本来、染愛によって私が生まれ、私が命終わればさらに生はない。例えれば、木を切って焼き灰にした種は、この灰にどうして木が生えるだろうか。我が身もまた同じで、死んで生はない。これによって、必ず因果はないと知る。このことから、父母や師長に対して恭敬がなく、常に誹謗し罵り、無量の生の中でこの邪法を教え、諸の有情を地獄に堕とさせる。あるいは外道は火で身を焼き、あるいは水に投じて溺れ死に、あるいは鋭い戟の上で転げ回って命を終え、あるいは犬の行いを修めて口で糞を食べ天に生まれようとし、あるいは牛の戒を修めて牛の如く振る舞い、水を飲み草を噛み裸形で歩き、六親を弁別せずに婬乱を行う。あるいは外道は自ら飢えて食べず、一日中立ち、夜になって後に食べる。あるいは外道は五熱で身を炙り日について回る。あるいは外道は常に片足を上げる。あるいは外道は常に月を奉じ、白月の一日に一口食べ、二日に二口、満月には十五口食べ、黒月の初日に一口減らし、二日に二口、黒月の終わりにはただ一口食べるか、全く食べない。あるいは外道は常に鶏の戒を持ち、食べ物を地面に散らし足で掻き取り、口で拾って食べ時を知って鳴く。あるいは外道は裸形で歩き恥ずかしさがなく、毛髪を焼き抜き、日中に立って日について回り、盛んな寒さの際には陰影のところに立ち風に向かって立つ。あるいは外道は人の命を断ってから、その頭蓋骨を取って飲食を盛る。あるいは外道は裸形で恥知らずに灰を身に塗る。あるいは外道は炭墨を身に塗り、人の頭蓋骨や四肢の骨を瓔珞や花鬘、鐶釧として身と頭を荘厳する。あるいは外道は馬の尾や鬣の毛で衣服を織る。あるいは外道は樹皮を衣とする。あるいは外道は鷲の羽で衣を作る。あるいは外道は鶏の羽を衣とする。このような外道の邪法で諸の衆生に教え、口業のゆえに、無数の衆生が今も愚かに迷い解脱できない。また無始から今に至るまで、身の悪業で衆生を苦しめ、獄卒の身となり、手に鉄の鉗を持ち衆生の舌を引き出し洋銅を注ぎ、また鉄槌でその骨を打ち砕き、また鉄鋸で諸の衆生を切り、また衆生を駆り立てて剣の樹に上らせ、腸や胃、五臓を引き出して食べ、また鉄索で衆生を縛り、灰の河に投げ入れて様々な苦しみを受けさせ、すぐに引き出して熱鉄の上に置く。魚が𨫼の上で転げ回るように苦しむ。また強制的に起き上がらせ熱鉄の杓で洋銅を盛り、口に注いで飲ませる。また鉄の鉗でその舌を引き出し、引き伸ばして広くし鉄の犁で耕す。以上に説いた地獄の苦しみの中で、無始の劫から私はこのことを為し、様々な身業で衆生を苦しめてきた。また獅子や虎、豹、豺狼、熊、羆などの獣となり、衆生を残害し血を飲み肉を食らう。また人王や宰官、士庶、長者、居士などの尊い位にある者となり、法に枉げて科税し、理非に捶楚し、王法を行わず有情を損害する。このように思惟すれば、無始から今に至るまで、五趣の衆生を悩み害さない者はなく、首を斬り、眼を抉り、耳を刵り、鼻を劓り、舌を截り、肉を噛み、骨を敲き、髄を出し、手足を斬り、命を断つことまである。また人の中で、他の業をせずに屠殺者となり、狩猟し漁捕し、罠や網、弓矢で衆生の命を奪う。所謂、牛や羊、麞や鹿、狐や兔、鶏や猪、魚や鼈などの身で、支節を分割して大きな積み重ねを作り販売する。このような殺害は無量無辺であり、無量の倶胝劫を経て、このように売り買いして自らの生計を立ててきた。』」

「復次,慈氏菩薩摩訶薩!修大乘者應發是心,如是思惟:『我以貪瞋癡故,造作如是身口意業,誘誑損害一切眾生,現墮地獄、餓鬼、畜生受諸苦惱。我今慚媿深自悔責,作何方便以酬報之?如是思惟,更無方便能償斯愆,唯有志求阿耨多羅三藐三菩提,更無有能償此債者。我得無上正等覺已,於此流轉曠野磧中,廣度眾生置涅槃城安樂之處,以一切智智如意寶珠,用酬無始所有深愆。』慈氏!當知此即菩薩摩訶薩第三不退轉心也。如上三心發起修行精勤不怠。此之三心於大乘中。一心修行得不退轉。

また、慈氏菩薩摩訶薩よ。大乗を修める者は、このような心を起こすべきである。すなわち、こう思惟せよ。 「私は貪り、怒り、愚かさのゆえに、このような身・口・意の業を造り、一切の衆生を惑わし、欺き、傷つけてきた。その報いとして、今、地獄・餓鬼・畜生に堕ちて、さまざまな苦しみを受けている。私は今、深く恥じ、自らを厳しく責め、どのような方法でこの罪を償うべきかと考える。」 このように思惟しても、この罪を償う方法は他にない。ただ、阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)を志求することのみが、この負債を償う道である。私は無上の正しい覚りを得たならば、この迷いの荒野を流転する中で、広く衆生を救い、安らかな涅槃の城へ導き入れよう。一切智智という如意宝珠をもって、無始の昔からのすべての深い罪を償おう。 慈氏よ、知るがよい。これが菩薩摩訶薩の第三の不退転の心である。 以上のような三つの心を起こして、修行に励み、怠ることなく努めよ。この三つの心をもって大乗の中で一心に修行すれば、不退転の境地に至るのである。

「復次,慈氏菩薩摩訶薩!以此五種發菩提心修行大乘,速能成就一切智智。」

また、慈氏(弥勒)菩薩摩訶薩よ。この五種の菩提心をもって大乗を修行すれば、速やかに一切智智を成就することができるのです。

大乘理趣六波羅蜜多經卷第三

大乗理趣六波羅蜜多経 巻第三


3 發菩提心品
5 布施波羅蜜多品

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