大乘理趣六波羅蜜多經發菩提心品第三
大乗理趣六波羅蜜多経 発菩提心品 第三
爾時薄伽梵作師子吼,顯明祕密總持門已,時慈氏菩薩摩訶薩即從座起,偏袒右肩右膝著地,一心合掌而白佛言:「善哉,善哉!大聖世尊!能以大悲讚說如是祕密甘露勝陀羅尼守護法師。唯願世尊哀愍眾生,宣說阿耨多羅三藐三菩提法,令諸有情,未發心者云何發心?已發心者云何修行?復何因緣於大乘心得不退轉?」
その時、尊き仏陀は獅子吼をあげ、秘密の総持の法門を明らかに示された。すると慈氏菩薩摩訶薩はすぐに座より立ち上がり、右肩をあらわにし、右膝を地につけて、一心に合掌し、仏陀に申し上げた。
「まことにありがたいことです。尊き世尊よ。大いなる慈悲をもって、このような秘密の甘露なるすぐれた陀羅尼をもって法師を守護することを説き讃えてくださいます。どうか世尊よ、衆生を哀れみ、阿耨多羅三藐三菩提の法をお説きください。すべての有情が、まだ発心していない者はどのようにして発心し、すでに発心した者はどのように修行すべきでしょうか。また、どのような因縁によって大乗の心に不退転を得ることができるのでしょうか。」
爾時薄伽梵告慈氏菩薩摩訶薩言:「若有善男子、善女人,欲為有情修大乘行,欲度有情置大涅槃,應當先發五種勝心。云何為五?一者於諸有情普發平等大慈悲心;二者於一切種智心不退轉;三者於諸有情起親友想,於險難中誓當救護;四者常於有情起負債想;五者恒懷慙媿何時償畢。能發如是五種心者,速能證得阿耨多羅三藐三菩提。
その時、尊い仏陀は慈氏菩薩に告げられました。
「もし善男子・善女が、すべての生きとし生けるもののために大乗の行を修め、彼らを大いなる涅槃へと導こうと願うならば、まず五つの優れた心を起こすべきです。
その五つとは何か。
第一に、すべての生きとし生けるものに対して、平等なる大いなる慈悲の心を起こすこと。 第二に、一切種智(完全なる智慧)を得るという心を退けず、揺るがさないこと。 第三に、すべての生きとし生けるものを親しい友と思い、彼らが危難に陥った時には必ず救い守ろうと誓うこと。 第四に、常に生きとし生けるものに対して、自分が負債を負っているかのように思いを馳せること。 第五に、いつになったらこの負債を償い終えることができるのかと、常に慚愧の念を抱き続けること。
このような五つの心を起こすことができるならば、速やかに阿耨多羅三藐三菩提(完全なる悟り)を証得することができるでしょう。」
「復次,慈氏菩薩摩訶薩!云何於大乘中一心修行得不退轉?如往昔時有一商人,聰慧明達常行仁孝,恒見父母宗親貧苦,常懷憂惱逼切身心,以何方便而能給濟?作是思惟:『無過入海採如意寶而供給之,得離貧苦。』以是因緣發勇猛心,不惜軀命從家而出,種種方便求覓資糧,及諸善伴船及船師。於其中路遇一異人從海而還,乃問此人:『如是忩遽,欲何所之?』商人具答如上因緣:『為救貧窮,今欲入海求如意寶,以相資給。』彼異人言:『我昔離家亦復如是,為濟親族貧窮諸苦。既發家已路經曠野,度大砂磧絕無水草,多有野象虎豹犲狼毒蛇師子,或遇劫賊大山大河,飢渴寒熱驚懼怖畏種種危難,與彼船師方至大海。又遇惡風大魚惡龍,雷電雹雨鼓浪洄澓,多有留難不可具說。雖受如是種種諸苦,尚不能獲如意寶珠,但得資身粗自供足,猶未能濟貧乏之親。今勸仁者,勿強艱苦徒自疲勞。吾欲與仁別為經理。所以者何?然彼大海有種種難——黑風、黑山、藥叉、羅剎、摩竭蛟龍——眾難非一。但曾聞有如意珠名,往者千萬獲無一二。以是因緣,勸於仁者宜速迴還。』爾時商主聞是語已,倍復增進,發三勝心入海不退。云何為三?一者父母兄弟宗親貧苦若斯,如何空歸不相救濟?二者我之親屬昔時富有,惠我衣食憐愍於我,今者貧窮命不全濟,如何放捨而欲退還?三者我在家時處理家務,策役驅使大小僮僕種種呵責,如何貧苦不相賑恤,令彼歡喜而欲退還?以是因緣念酬恩德,發大勇猛決定前進,要當入海求如意寶,得已還家濟於親屬,恣其所用永離艱窮。
さらにまた、慈氏菩薩摩訶薩よ。いかにして大乗において一心に修行し、不退転の位を得ることができるのでしょうか。昔、ある商人がいました。聡明で道理に明るく、常に仁愛と孝行を実践していましたが、いつも父母や親族が貧しく苦しんでいるのを見て、心身を圧迫する憂いと悩みを抱えていました。どうすれば彼らを助け、養うことができるだろうか。彼はこう考えました。「海に入って如意宝珠を採り、それをもって彼らを養い、貧苦から離れさせるよりほかに道はない」。この因縁によって、彼は勇猛心を発し、命を惜しまず家を出て、様々な方法で資糧や良き仲間、船、船長を求めました。
途中で、彼は海から帰ってきたある異人に出会いました。商人はその人に尋ねました。「このように慌ただしく、どこへ行かれるのですか」。商人は上述の因縁を詳しく答えました。「貧しさを救うため、今、如意宝珠を求めて海に入り、彼らを養おうとしているのです」。その異人は言いました。「私も昔、家を離れたときは同じでした。親族の貧苦を救うためです。家を出た後、広野を通り、水も草もない大砂漠を越え、多くの野象や虎、豹、狼、毒蛇、獅子に遭遇し、ある時は賊に遭い、大きな山や大河、飢えや渇き、寒さや暑さ、驚きや恐れ、様々な危難に遭いながら、ようやく船長と共に大海に至りました。また、悪風や大魚、悪龍、雷電、雹雨、逆巻く波など、多くの障害に遭い、とても言い尽くせません。このような様々な苦しみを受けたにもかかわらず、如意宝珠を得ることはできず、ただ身を養うのに足りる程度の粗末なものしか得られず、貧しい親族を救うことさえできませんでした。今、あなたにお勧めします。無理に苦難を強い、徒らに疲労するのはやめてください。私はあなたに別の方法を提案したいと思います。なぜなら、あの大海には様々な難があるからです――黒風、黒山、夜叉、羅刹、摩竭魚、蛟龍――その難は一つではありません。ただ如意宝珠の名を聞いたことがあるだけで、往く者は千万いても、得る者は一二に過ぎません。この因縁によって、あなたには速やかに引き返すことをお勧めします」。
その時、商人の主はこの言葉を聞くと、かえってますます志を強くし、三つの勝れた心を発して、海に入ることを退きませんでした。どの三つでしょうか。第一に、父母兄弟や親族がこのように貧苦にあるのに、どうして何も持たずに帰り、彼らを救わないでいられようか。第二に、私の親族は昔、豊かで、私に衣食を与え、憐れんでくれました。今、彼らは貧しく、命さえ全うできないのに、どうして見捨てて退却しようなどと思えようか。第三に、私は家にいた時、家事を処理し、大小の下僕を駆り立て、様々に叱責しました。彼らが貧苦にあるのに、どうして救済せず、彼らを喜ばせようとせずに、退却しようなどと思えようか。この因縁によって、恩に報いることを思い、大いなる勇猛心を発し、決然と前進し、必ずや海に入って如意宝珠を求め、得て家に帰り、親族を救い、彼らが自由に使い、永遠に艱難と貧窮から離れられるようにしようと誓ったのです。
「菩薩摩訶薩亦復如是發菩提心,觀於十方六趣四生,皆是我之宿世父母,憐愍我故造諸惡業,墮於地獄、餓鬼、畜生受諸苦惱。以是因緣而自思惟:『以何方便濟斯苦難?』作是念已,唯有入於六波羅蜜多大法海中,求佛種智,拯濟有情生死之苦。如是思已,發大勇猛無退屈心,精進勤求無有懈倦,種種方便求覓資糧、菩提善伴法及法師。行至中路遇一魔王領諸眷屬,或現天身,或顯人身、婆羅門身,或作商主、苾芻、苾芻尼身,或餘種種異類之身。而彼魔王問菩薩言:『汝今忩忙,欲詣何所?』菩薩答言:『我為一切苦惱眾生,今欲入於六度大海,求佛種智如意寶珠,以救一切貧乏眾生。』魔王復云:『我初發心亦復如是,為度一切苦惱眾生,出生死家,度大流轉,曠野砂磧備受飢渴,盜賊恐怖眾難非一,方至六度大法海中。或遇乞頭,或逢乞眼耳鼻舌身手足支節,心肺腸胃肝膽脾腎,國城妻子、奴婢僕使。如是種種隨乞而施,不生慳悋勤求智寶。經無量劫,生死流轉在於苦海,雖受種種諸苦難事,猶不能獲無上菩提,而但迴求阿羅漢果,出離三界寂滅涅槃。我今勸汝勿強勞苦,應自修持,吾欲與汝共階此果。所以者何?我念三塗常受飢苦,心思吞噉仰面向空,誰來入口充我一飽。種種苦難逼切身心,人命無常過於山水,善知識者難遭難遇,若不信受後悔何追。生死海中流轉不定,心如水月何有實耶?惡知識者易見易逢,恒樂勸人行菩薩道,捨財捨命望趣菩提。況諸佛出興時乃一顯,求者千萬得無一二。以是勸仁不須勞苦,應求解脫自取涅槃。又三無數劫受諸勤苦,方能獲得佛果菩提。此生三生證阿羅漢,一種無學何用苦為。無智愚人心希佛果,備歷艱苦經無量劫,尚未聞證阿羅漢果,何況能得無上菩提。譬如有人獲一小鳥,更見有一迦嚕囉王,即放手中已所執鳥,便前捕捉迦嚕囉王。大者飛翔,小者復失。愚求佛果亦復如是,棄此求餘二果俱失。既知是已願早迴心,於此生中必證羅漢。』爾時菩薩聞是語已,轉增勇猛發三種心。云何為三?一者一切眾生從無始際生死已來,皆我所親或為朋友,現受苦惱未得免離,如何退還?二者一切眾生從無始已來,給我衣食憐愍我深,今受輪迴苦難非一,云何未報乃生退心?三者一切眾生從無始際皆我眷屬,策役驅使轉相呵責,未曾少分酬報彼恩。以是因緣不應退屈,更增勇猛求證菩提。若證菩提一切智寶,用濟生死苦難眾生。是名菩薩摩訶薩於大乘中,一心修行得不退轉。
菩薩摩いさつもまた、このように菩提心をおこし、十方の六趣四生を観じて、「これらはみな我が過去世の父母であり、我を憐れんで様々な悪業を造り、地獄・餓鬼・畜生に堕ちて苦しみを受けているのだ」と考える。この因縁によって自ら思惟する。「どのような方便でこの苦難を救うべきか」と。こう考えた末に、ただ六波羅蜜多という大きな法の海に入り、仏の種智(一切智)を求めて、有情の生死の苦しみを救い助けるよりほかにないと悟る。このように思ってから、大きな勇猛心と退屈しない心をおこし、精進して努力し、怠ることもなく、様々な方便で資糧(善根の糧)や、菩提の善き仲間、法や法師を求めて歩き出す。
途中、一人の魔王が眷属を連れて現れた。ある時は天の姿、ある時は人の姿、バラモンの姿、あるいは商主、比丘、比丘尼の姿、その他様々な異類の姿で現れる。その魔王が菩薩に問う。「あなたは今、慌ただしく、どこへ行こうとしているのか。」菩薩が答える。「私はすべての苦しむ衆生のため、今まさに六度の大海に入り、仏の種智という如意宝珠を求めて、すべての貧しい衆生を救おうとしているのだ。」魔王はさらに言う。「私も初めに心を発した時はあなたと同じだった。すべての苦しむ衆生を救うため、生死の家を出て、大きな流転を渡り、荒野や砂漠で飢えや渇きに苦しみ、盗賊の恐怖や数え切れない困難を経験して、やっと六度の大法の海に至ったのだ。ところがそこでは、頭を乞われたり、目・耳・鼻・舌・身・手足・節、心・肺・腸・胃・肝・胆・脾・腎、国・城・妻・子、奴婢・僕使などを乞われたりする。そうしたあらゆるものを乞われるままに施し、吝嗇することなく智宝を求めてきた。無量の劫の間、生死流転して苦海にあり、様々な苦しみや困難なことを受けても、まだ無上の菩提を得ることができず、ただ阿羅漢の果を求めて、三界を出離し寂滅の涅槃に入ろうとしているのだ。私は今、あなたに無理に苦労することを勧めない。自分自身で修行しなさい。あなたと共にこの果を得たいと思う。なぜなら、私は三悪道で常に飢えの苦しみを受け、食べ物を思い、仰いで空を見つめながら、誰が口に入れて一食を満たしてくれるのかと思ってきたからだ。様々な苦難が身と心を迫り、人の命は無常で山水よりも速く、善知識に出会うのは難しく、もし信じ受け入れなければ、後悔しても追いつけない。生死の海は流転して定まらず、心は水の月のようで、何が実体だろうか。悪知識は見えやすく会いやすく、常に人の菩薩道を行ずることを喜んで勧め、財や命を捨てて菩提を望ませる。ましてや仏が世に出るのは時の一度であり、求める者は千万いても得る者は一二に過ぎない。だからあなたに勧める。苦労する必要はない。解脱を求めて自ら涅槃に入りなさい。また、三つの無数の劫の間、様々な勤め苦しみを受けて、やっと仏の果である菩提を得られるのだ。この一生や三生で阿羅漢を証すれば、一種無学(さらに学ぶ必要のない境地)だ。何のために苦労する必要があるのか。智のない愚かな人は心に仏果を望み、無量の劫の間、艱難辛苦を経ても、まだ阿羅漢の果を証したと聞かず、ましてや無上の菩提を得ることなどできるはずがない。例えば、ある人が小鳥を捕まえ、さらに迦楼羅王(金翅鳥王)を見て、手に持っていた小鳥を放し、その迦楼羅王を捕まえようとする。大きな鳥は飛び去り、小さな鳥も失う。愚かな人が仏果を求めるのもまた同じで、これを捨てて他を求めて、二つの果を共に失う。これを知ったなら、どうか早く心を翻し、この生において必ず阿羅漢を証しなさい。」
その時、菩薩はこの言葉を聞いて、ますます勇猛心を増し、三つの心をおこした。三つとは何か。第一に、すべての衆生は無始の昔から生死を経て今に至るまで、みな我が親しい者か友人であり、今苦しみを受けてまだ免れていない。どうして退くことができようか。第二に、すべての衆生は無始の昔から、我に衣服や食物を与え、我を深く憐れんでくださった。今、輪廻の苦難は一つではない。どうして恩に報いる前に退く心をおこせようか。第三に、すべての衆生は無始の昔から皆我が眷属であり、互いに使役し、責め合ってきたが、その恩に少しも報いてはいない。この因縁によって、退屈してはならず、ますます勇猛を増して菩提を証することを求めるべきである。もし菩提という一切智宝を証すれば、生死に苦しむ衆生を救うことができる。これを菩薩摩いさつが大乗において、一心に修行して退転しないことという。
「復次,慈氏!當知即是菩薩摩訶薩修大乘行發五種心。此五心中,一者於諸有情起大悲心;二者為諸有情求一切智——心無退轉此二心者,於大乘法精進修行;三者一切有情皆我親友;四者一切有情於我有恩,未有毫釐用相酬報;五者一切有情皆我眷屬,我曾於彼起不善業,種種呵罵非理責罰,深心慚媿何時償畢——此之三心令諸菩薩勇猛不退,乃至證得阿耨多羅三藐三菩提。」
「さらに、慈氏よ、知るがよい。これこそが菩薩摩訶薩が大乗の道を修める際に発する五つの心である。 この五つの心のうち、 一つ目は、すべての生きとし生けるものに対して大いなる悲しみの心を起こすこと。 二つ目は、すべての生きとし生けるもののために、あらゆる智慧を求める心——この心は決して退くことがない。この二つの心によって、大乗の教えを精進して修行する。 三つ目は、すべての生きとし生けるものは、すべて私の親しい友人であると見なすこと。 四つ目は、すべての生きとし生けるものは、私に対して恩があり、まだその恩のほんのわずかも報いていないと自覚すること。 五つ目は、すべての生きとし生けるものは、すべて私の眷属であり、私はかつて彼らに対して不善の業を起こし、様々に罵り、道理に反して叱り罰したことを、深く恥じ、いつになったらその報いを終えることができるだろうかと考えること—— この三つの心によって、諸々の菩薩は勇猛で退くことなく、ついには阿耨多羅三藐三菩提を証得するのである。」
大乘理趣六波羅蜜多經卷第二
大乗理趣六波羅蜜多経 巻第二