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大聖文殊師利菩薩仏刹功徳荘厳経 (大聖文殊師利菩薩佛剎功德莊嚴經)


大聖文殊師利菩薩佛剎功德莊嚴經卷中

**巻中**

開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戶賜紫贈司空諡大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉 詔譯

開府儀同三司・特進・試鴻臚卿・肅国公・食邑三千戸・紫衣賜与・司空

爾時如來,告慈氏菩薩摩訶薩言:「汝今為佛嚴辦法座,我當昇已,說往昔意樂所修諸行,善巧出生諸佛剎土功德莊嚴,趣向正行法門。」

その時、如来は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。 「あなたは今、仏のために法座を厳かに整えなさい。私はここに登り、昔、心の願いによって修行された様々な行い、巧みに生み出された諸仏の浄土の功徳の荘厳、そして正しい行き方へと向かう教えの門について説こう。」

時慈氏菩薩,即作是念:「今者世尊以何義故,令我嚴座?不使阿難陀、大目揵連等?云何棄捨彼諸聲聞、緣覺,將非唯為清淨諸菩薩說?或彼聲聞、緣覺,於此法門而非器故,為菩薩故令我敷座?」

その時、慈氏(弥勒)菩薩はこう考えた。

「今、世尊はどのような意味があって、私に座を整えさせたのであろうか。 阿難陀や大目犍連らを遣わされなかったのはなぜか。 なぜあの声聞や縁覚たちを差し置かれたのか。 まさか、清らかな菩薩たちのためだけに説法されるのではないだろうか。 あるいは、あの声聞や縁覚たちは、この法門を受ける器ではないからであろうか。 菩薩たちのための教えだから、私に座を整えさせたのだろうか。」

爾時慈氏菩薩摩訶薩,即作神通現行境界,由此通故化師子座,高四萬踰繕那,以無量寶周匝鈿飾,以天妙衣而敷其上,其衣柔軟而觸之者,獲得安樂,從其座出種種光明,照此三千大千世界。是時如來,從本座起而昇此座,三千大千世界六種振動有異於常。

その時、慈氏菩薩摩訶薩(弥勒菩薩)は神通力を現し、その力によって獅子座を変化させました。その高さは四万由旬にも及び、無数の宝で美しく飾られ、天の妙なる衣が敷かれていました。その衣は柔らかく、触れる者は安らぎを得ました。そして、その座からは様々な光が放たれ、この三千大千世界を照らし出しました。そこで如来は、元の座から立ち上がり、その獅子座に昇られました。すると、三千大千世界は常とは異なる六種の震動を起こしました。

爾時世尊告具壽舍利子:「菩薩成就四法,能令所願皆得滿足。云何為四?一者、發趣菩提意樂。二者、於諸有情起悲愍心。三者、發起精進。四者、近善知識。菩薩由成就此四法故,圓滿大願。

その時、世尊は尊者の舎利子にこう告げられました。「菩薩が四つのことを身につけるならば、願い求めることはすべて叶えられる。その四つとは何か。第一に、悟りを目指す真摯な思いを起こすこと。第二に、すべての生きとし生けるものに対して慈しみの心を抱くこと。第三に、たゆまぬ努力を起こすこと。第四に、善き師友に親しむこと。菩薩はこの四つの法を身につけることにより、大きな願いを完全に成就するのである。」

「復次,舍利子!菩薩成就一法,不退大願,淨剎成就。云何一法是菩薩應當學?不動如來為菩薩時,本所修行發弘誓願言:『我當所在生處,若不出家,則為欺誑十方諸佛世尊。』如是,舍利子!是諸菩薩應隨順學,若佛出世若不出世,一切生處皆悉決定,捨家趣於非家。何以故?而諸菩薩最勝利益者,所謂出家。舍利子!菩薩摩訶薩樂出家者,則能攝取十種功德。云何為十?一者、不著諸欲。二者、樂阿蘭若。三者、行佛所行。四者、不著妻子貪愛財利。五者、離惡趣行法。六者、習善趣行法。七者、而能獲得善根成就。八者、積集善根而不退失。九者、恒為諸天之所歎美。十者、常為非人之所擁護。舍利子!樂出家者,則能攝取如是十種功德。是故,舍利子!菩薩摩訶薩欲求正覺者、欲解脫有情者,是故常樂出家。如是,舍利子!是名一法獲得成就,不退大願,得隨意樂清淨佛剎。

また、舎利子よ。菩薩が一つの法を成就すれば、大いなる誓願を退かず、清らかな仏国土を成就することができる。その一つの法とは何か。菩薩が学ぶべきこととは、こうである。動かざる如来が菩薩であった時、本来修行されたように、広大な誓願を発して言われた。「私は生まれる所々において、もし出家しなければ、それは十方の諸仏世尊を欺くこととなるであろう」と。 このように、舎利子よ。諸々の菩薩はこれに随順して学ぶべきである。仏が世に現れようと現れまいと、すべての生まれる所において、必ず決定して家を捨て、家なき者となるのである。なぜなら、諸々の菩薩にとって最も勝れた利益とは、すなわち出家であるからだ。 舎利子よ。菩薩摩訶薩が出家を喜ぶならば、十の功徳を摂取することができる。その十とは何か。第一に、諸々の欲望に執着しない。第二に、閑静な修行の場を喜ぶ。第三に、仏の行われる所を実践する。第四に、妻や子、貪りの愛着や財産の利益に執着しない。第五に、悪趣へ向かう行ないを離れる。第六に、善趣へ向かう行ないを習う。第七に、善根の成就を得ることができる。第八に、善根を積み集めて退失しない。第九に、常に諸天によって称賛される。第十に、常に人間ならざる者たちによって守護される。 舎利子よ。出家を喜ぶ者は、このように十の功徳を摂取することができるのである。 それゆえ、舎利子よ。菩薩摩訶薩は、正しい覚りを求める者であり、有情を解脱させようとする者であるから、常に出家を喜ぶのである。 このように、舎利子よ。これを一つの法と名づけ、成就を得れば、大いなる誓願を退かず、心のままに清らかな仏国土を得るのである。

「復次,舍利子!菩薩成就二法,不退大願,隨其意樂淨佛剎土。云何為二?所謂菩薩不樂求聲聞,不樂求聲聞乘,不愛樂聲聞所說法,不樂親近聲聞乘者,不學聲聞律儀戒,不樂宣說共聲聞乘相應之法,亦不勸他行聲聞乘;於緣覺乘亦復如是;唯為勸發有情成就最上阿耨多羅三藐三菩提。是名為二。舍利子!若有勸他趣入佛乘,而此菩薩則能攝取十種功德。云何為十?一者、攝取無聲聞、緣覺佛剎。二者、得純一清淨大菩薩眾。三者、諸佛世尊之所護念。四者、常為諸佛稱名讚歎而為說法。五者、於一切事生廣大心。六者、若生天上當作帝釋或梵天王。七者、若生人中作轉輪聖王。八者、常見諸佛世尊而不遠離。九者、為諸天人之所愛樂。十者、獲得不壞眷屬及無量福聚。何以故?舍利子!若有能令三千大千世界諸有情類,一切皆得阿羅漢果或緣覺地,若復有能置一有情於佛菩提,此之功德甚多於彼。何以故?舍利子!若聲聞、緣覺出現於世,則不能令佛種不斷,若佛如來不出於世,亦無聲聞及以緣覺。舍利子!以佛世尊出現於世,是故能令佛種不斷,則有聲聞、緣覺施設。舍利子!由此勸他住菩提心,獲得如是十種功德,不退大願,得隨意樂清淨佛剎。

また、舎利子よ。菩薩が二つの法を成就すれば、大いなる誓願を退かず、心のままに清らかな仏の国を浄めます。その二つとは何か。すなわち、菩薩は声聞を求めず、声聞の乗り物を楽しまず、声聞の説く法を愛好せず、声聞の修行者に親しむことを好まず、声聞の戒律を学ばず、声聞の乗り物に相応する法を説くことを好まず、また他人に声聞の乗り物を修行するよう勧めないことです。縁覚の乗り物についてもまた同じです。ただ、もっぱら有情を奮い立たせて、最上の阿耨多羅三藐三菩提を成就するよう導くのです。これを二つの法と名づけます。

舎利子よ。もし他人を仏の乗り物へと導くならば、この菩薩は十の功徳を得ることができます。その十とは、一には、声聞や縁覚のいない仏の国を得ること。二には、純一で清らかな偉大な菩薩の集団を得ること。三には、諸仏世尊に護られ、心に留められること。四には、常に諸仏から名を呼ばれ、讚嘆され、説法を受けること。五には、すべてのことに対して広大な心を起こすこと。六には、もし天に生まれれば、帝釈天や梵天王となること。七には、もし人に生まれれば、転輪聖王となること。八には、常に諸仏世尊を見て、遠ざかることがないこと。九には、天や人の愛するところとなること。十には、壊れることのない眷属と無量の福徳の集まりを得ること。

なぜなら、舎利子よ。もし三千大千世界のすべての有情をして、皆が阿羅漢の果や縁覚の境地を得させる者がいたとしても、もし一人の有情を仏の菩提に置く者がいれば、この功徳はそれよりもはるかに勝っているからです。なぜか。舎利子よ。声聞や縁覚が世に現れても、仏の種を絶やさないようにすることはできません。しかし、仏如来が世に出なければ、声聞も縁覚も存在しません。舎利子よ。仏世尊が世に現れるからこそ、仏の種を絶やさずにいられ、その結果として声聞や縁覚も説かれるのです。

舎利子よ。このようにして、他人を菩提心に留めることによって、このような十の功徳を得、大いなる誓願を退かず、心のままに清らかな仏の国を得るのです。

「復次,舍利子!菩薩成就三法,不退大願,攝取佛剎功德莊嚴。云何為三?一者、尊重住阿蘭若。二者、無所悕望而行法施。三者、安住淨戒律儀。舍利子!菩薩安住淨戒律儀,即能獲得十種無畏。云何為十?一者、入聚落無畏。二者、眾中說法無畏。三者、食飲無畏。四者、出聚落無畏。五者、入寺無畏。六者、入僧眾無畏。七者、安坐無畏。八者、詣和尚阿闍梨無畏。九者、教誡大眾住慈心無畏。十者、受用衣服飲食臥具醫藥資緣之具無畏。

また、舎利子よ。菩薩が三つのことを成就すれば、その大いなる願いが退くことなく、仏の国(浄土)の功徳や荘厳さを自らのものとすることができる。その三つとは何か。第一に、静かな山や林(阿蘭若)に住むことを尊重すること。第二に、何の見返りも求めずに教えを施すこと。第三に、清らかな戒律をしっかりと守り通すことである。舎利子よ。菩薩がこの清らかな戒律を守り通せば、十の恐れのない境地(無畏)を得ることができる。その十とは何か。第一に、村や町に入ることへの恐れがない。第二に、人々の集まりで説法することへの恐れがない。第三に、飲食をすることへの恐れがない。第四に、村や町を出ることへの恐れがない。第五に、寺に入ることへの恐れがない。第六に、僧の集まりに入ることへの恐れがない。第七に、座に坐ることへの恐れがない。第八に、師匠や指導者(和尚・阿闍梨)のもとへ行くことへの恐れがない。第九に、大衆を教え戒め、慈しみの心を持ち続けることへの恐れがない。第十に、衣・食・寝具・医薬などの必要な品々を用いることへの恐れがない。

「舍利子!所謂安住淨戒律儀,獲得如是十種無畏。

舎利子よ、清らかな戒律をしっかりと守り行うことによって、このような十の恐れなき境地が得られるのです。

「又,舍利子!菩薩說法心不悕望,復能攝取十種功德。云何為十?一者、不為多欲。二者、不求他人識知。三者、不求名稱。四者、於施主家心不繫著。五者、不占悕貴族門徒。六者、於麁於細而生知足。七者、諸天來詣不生驕慢。八者、而不退於觀佛作意。九者、所說言教為他信受。十者、起念佛心。舍利子!菩薩法施心不悕望,獲得如是十種功德。

また、舎利子よ。菩薩が説法する際、心に見返りを望まなければ、さらに十の功徳を得ることができる。その十とは何か。第一に、多くを欲することがない。第二に、他人に知られようと求めない。第三に、名声を求めない。第四に、施主の家に心を執着しない。第五に、高貴な家柄の門徒を占めて求めない。第六に、粗いものにも細やかなものにも足ることを知る。第七に、天人が訪れても高ぶった心を起こさない。第八に、仏を観想する心を退けない。第九に、説いた教えを他者が信じて受け入れる。第十に、仏を念じる心が起こる。舎利子よ。菩薩が法施において心に見返りを望まなければ、このような十の功徳を得るのである。

「又,舍利子!菩薩尊敬住阿蘭若,復能成就十種功德。云何為十?一者、遠離無益談話。二者、樂於寂靜。三者、心緣定境。四者、不營諸務。五者、愛敬諸佛。六者、不捨禪定喜樂。七者、修梵行時無有障礙。八者、少加功用證三摩地。九者、所受教法名句文身未曾忘失。十者、所聞法義皆悉了知。舍利子!菩薩尊重住阿蘭若,獲得如是十種功德。若菩薩成就三法,不退大願,得隨所樂淨佛剎土。

また、舎利子よ。菩薩が阿蘭若(あらにゃ)に住むことを尊べば、さらに十の功徳を成就することができる。その十とは何か。一つには、無益な話を遠ざける。二つには、静けさを喜ぶ。三つには、心を禅定の対象に向ける。四つには、様々な仕事を営まない。五つには、諸仏を敬い愛する。六つには、禅定の喜びを捨てない。七つには、清らかな行いを修めるのに妨げがない。八つには、わずかな努力で三昧を証得する。九つには、受けた教えの名・句・文身を決して忘れない。十には、聞いた法の意味をすべて理解する。舎利子よ。菩薩が阿蘭若に住むことを重んじれば、このような十の功徳を得るのである。また、菩薩が三つの法を成就すれば、大いなる願いを退かず、望むままに清らかな仏の国を得る。

「復次,舍利子!菩薩成就四法,不退大願,獲隨所樂淨佛剎土。云何為四?一者、實語如說修行。二者、常自謙下剪除我慢。三者、遠離慳嫉。四者、見他榮盛心生歡喜。如是名為成就四法。

また、舎利子よ。菩薩が四つの行いを実践すれば、大いなる誓いを退かず、望むままに清らかな佛の国を得ることができる。その四つとは何か。第一に、真実の言葉を語り、その通りに修行すること。第二に、常に自分を低くして、我(が)を慢(まん)する心を取り除くこと。第三に、物惜しみやねたみを遠ざけること。第四に、他の人の栄えある姿を見て、心から喜ぶこと。これらを四つの行いというのである。

「又,舍利子!菩薩實語有四種功德。云何為四?一者、口中常出青蓮華香。二者、語業清淨言辭無礙。三者、人天之中以為準繩。四者、攝取諸佛圓滿音聲。舍利子!菩薩實語,獲得如是四種功德。

さらに、舎利子よ。菩薩が真実の言葉を語ることには、四つの功徳がある。どのような四つか。第一に、口から常に青い蓮華の香りが漂う。第二に、言葉の行いが清らかで、語る言葉に障りがない。第三に、人々や天人の間で、模範とされる。第四に、諸仏の円満な響きを身に受ける。舎利子よ、菩薩が真実の言葉を語ることで、このような四つの功徳を得るのである。

「又,舍利子!菩薩謙下有四種功德。云何為四?一者、遠離惡趣,不受駞驢牛馬狗等諸傍生身。二者、不被輕毀。三者、惡友怨敵不能淩突。四者、常為人天恭敬禮拜。舍利子!是為菩薩謙下獲得如是四種功德。

また、舎利子よ、菩薩が謙虚であることには四つの功徳がある。どのような四つか。第一に、悪い生き物の世界から遠ざかり、ラクダやロバ、牛、馬、犬などの動物の身を受けることがない。第二に、軽んじられたり誹謗されたりすることがない。第三に、悪い友人や敵に脅かされたり攻撃されたりしない。第四に、常に人や天の生き物から敬われ礼拝される。舎利子よ、これが菩薩が謙虚であることによって得られる四つの功徳である。

「又,舍利子!菩薩遠離慳嫉有四種功德。云何為四?一者、不忘捨心。二者、於飢饉時作大施主。三者、常不閉戶。四者、見律儀者,於施於受不生嫉妬。舍利子!是為菩薩遠離慳嫉獲得如是四種功德。

また、舎利子よ。菩薩が吝嗇(りんしょく)や嫉妬から遠ざかることには、四つの功徳があります。その四つとは何か。第一に、施しの心を決して忘れないこと。第二に、飢饉のときに大きな施主となること。第三に、常に戸を閉ざさないこと。第四に、戒律を守る人を見て、施しや受け取りに嫉妬しないことです。舎利子よ、これが菩薩が吝嗇や嫉妬から遠ざかることによって得る、四つの功徳なのです。

「又,舍利子!菩薩見他榮盛心生歡喜,有四種功德。云何為四?一者、常起是心,為彼有情被此甲冑,令彼快樂;彼等既以自福及以己力,獲得財寶而受安樂,而令於我倍生歡喜。二者、所有財物,王難、水火、劫賊、惡友無能侵奪。三者、隨所生處,財寶男女及其眷屬,皆悉具足,帝王歡喜,何況餘人。四者、財寶廣大受用無窮。舍利子!是為菩薩見他榮盛,心生歡喜獲得如是四種功德。

また、舎利子よ。菩薩が他者の繁栄を見て心から喜びを生じることには、四つの功徳がある。その四つとは何か。第一に、常にこうした心を起こす。「あの生きとし生けるもののために、この鎧を身に着け、彼らを喜ばせよう。彼らは自らの福と力によって財宝を得て安楽を享受している。それによって、私の喜びはさらに倍増する」と。第二に、すべての財物は、王の難、水害・火災、盗賊、悪友によっても奪われることがない。第三に、生まれるところごとに、財宝、男女、およびその眷属がすべて満たされ、帝王でさえ喜ぶ。ましてや他の人々はなおさらである。第四に、財宝は広大で、受用することに限りがない。舎利子よ。これが菩薩が他者の繁栄を見て心から喜びを生じ、得るべき四つの功徳である。

「復次,舍利子!菩薩成就五法,不退大願,得隨所樂淨佛剎土。云何為五?一者、菩薩為淨佛剎、成就莊嚴而應求法,從彼聞法應當諮問:『菩薩云何成就如是功德莊嚴?』既得聞已如說修行,即應求證真如實相。

さらに、舎利子よ。菩薩が五つのことを成就すれば、大いなる願いを退けず、望むままに清らかな仏の国土を得ることができます。その五つとは何か。第一に、菩薩は清らかな仏の国土を築き、荘厳を成就するために法を求めるべきであり、その教えを聞いたならば、次のように尋ねるべきです。『菩薩はどのようにしてこのような功徳の荘厳を成就するのですか?』そうして聞いた通りに実践し、真実の如実な相(真如)を求め、証得すべきです。

「又,舍利子!二者、菩薩欲發願生淨佛國土,應當清淨持淨律儀,由律儀淨故,隨其所願決定得生,既得生于淨佛剎已,即應觀察彼土取其相狀,種種莊嚴聲聞菩薩,大眾受用資具,既得相已,深生恭敬而為合掌詣佛問法。

また、舎利子よ。第二に、菩薩が清らかな仏の国に生まれたいと願うならば、清らかな戒律を守り、行いを清めるべきである。戒律が清らかであれば、その願いのままに必ず生まれることができる。清らかな仏の国に生まれたならば、ただちにその国を観察し、その形相やさまざまな荘厳、声聞や菩薩の大衆、そして彼らが享受する道具や備えを正しく捉えるがよい。その相を捉えたならば、深く敬いの心を起こし、合掌して仏のもとへ赴き、教えを問うのである。

「又,舍利子!三者、菩薩取彼廣大佛剎功德莊嚴,彼佛世尊知其增上意樂,即便為說。由佛說故,即能成就廣大佛剎功德莊嚴,彼聞法已如說修行。

また、舎利子よ。第三に、菩薩がその広大な仏国土の功徳荘厳を求めると、かの仏世尊はその増上の意楽を知って、すぐに説法される。仏が説法されることによって、即座に広大な仏国土の功徳荘厳を成就できる。その菩薩は教えを聞いた後、説かれた通りに修行する。

「又,舍利子!四者、菩薩於事於智而令清淨,遠離非法。云何事?云何智?於能緣、所緣,遠離聲聞、緣覺智故,名之為智;謂所聞法皆當修行,名之為事。

また、舎利子よ。第四に、菩薩は「事」と「智」において清らかになり、正しくない道から遠ざかるのです。では「事」とは何でしょうか。「智」とは何でしょうか。「智」とは、心が捉える対象と捉える働きについて、声聞や縁覚の智慧から離れていることを指します。そして「事」とは、聞いた教えをすべて実践すべきことを意味します。

「又,舍利子!五者、菩薩知佛自性,知剎土自性。云何佛自性?云何剎土自性?佛及剎土唯有其名,知其名清淨,如是知故不生執著。如是,舍利子!是為菩薩成就五法,不退大願,獲隨意樂清淨佛剎。

また、舎利子よ。第五に、菩薩は仏の自性(本質)と、仏国土の自性を理解します。では、仏の自性とは何か?仏国土の自性とは何か?それらはただ名前があるだけであり、その名前が清らかであると知ることで、執着が生まれません。このように、舎利子よ。これが菩薩が五つの法を成就し、大いなる願いを退かず、思いのままに清らかな仏国土を得る方法なのです。

「復次,舍利子!菩薩成就六法,速得阿耨多羅三藐三菩提,超越一切世間取淨佛剎。云何為六?一者、此菩薩為大施主而行捨施,所有愛樂戀著珍玩物等,而生愧恥悉能捨施,踊躍歡喜,作是思惟:『我行大施圓滿大乘,我當滿足無上菩提。』又作是念:『不應以斯少分而能獲得無上正覺。』如是思惟已,所有榮盛盡皆捨施,乃至身命應當捨施,況餘財產妻子男女而不施耶?何以故?舍利子!薩婆若者,謂何句義?舍利子!菩薩摩訶薩行菩薩行時,於自所有一切皆捨,以是義故,獲得菩提,名一切智。

「また、舎利子よ。菩薩が六つの法を成就すれば、速やかに無上正等覚を得て、すべての世間を超越し、清らかな仏の国を現すことができる。その六つとは何か。第一に、この菩薩は大施主となって施しを行い、所有する愛着する宝飾品や珍しい物などに対しても恥じらいの心を起こし、それらをすべて施し与え、喜び躍る心でこう思う。『私は大施を行い大乗を円満し、無上の菩提を満たすべきである』と。またこうも考える。『このわずかな施しで無上の正覚を得ることはできない』と。このように思惟した後、すべての繁栄をすべて施し、さらに自分の命さえも施すべきであり、ましてや財産や妻子を施さないことがあろうか。なぜなら、舎利子よ。薩婆若とは、どのような意味か。舎利子よ。菩薩摩訶薩が菩薩行を行う時、自分が所有するすべてのものをすべて施す。この意味によって、菩提を得て、一切智と名づけられるのである。」

「又,舍利子!二者、在家菩薩、出家菩薩,若安住淨戒律儀,設為活命終不毀犯淨戒學處所持律儀,要期功德迴向一切有情,成阿耨多羅三藐三菩提生大歡喜。我是持戒者,於淨戒律儀深生愛樂,晝夜專修梵行安樂,即佛法現前,與理相應得實相觀,住實相觀故得甚深忍,證深忍故即得正見,由正見故則正修行,由住正修行故厭惡三界,由厭三界故便生怖畏,由怖畏故即求出離,由懷出離見故作是念言:『我既有如是苦惱,一切有情亦應如是,我應為彼有情荷茲重擔,令彼獲得究竟安樂。』作於如是觀察之時即得大悲,既住大悲發大精進,猶如救於頭衣之燃不捨精進,即能獲得薩婆若智。

「また、舎利子よ、在家の菩薩と出家の菩薩の二者について、もし清らかな戒律と儀軌に安住し、たとえ生きるためであっても、ついに清らかな戒律の学処(まなぶところ)によって保たれる律儀を毀(やぶ)らず、その誓いの功徳を一切の有情(いっさいのうじょう)に回向(えこう)して、無上正等覚(むじょうしょうとうかく)を成就せんと大いなる喜びを生じるならば、『我は持戒者なり』とて、清らかな戒律の儀軌を深く愛楽し、昼夜(ちゅうや)も専ら清らかな行いである梵行(ぼんぎょう)を修して安楽を得る。すなわち仏法が目前に現れ、理と相応して実相(じっそう)の観を得る。実相の観に住するがゆえに甚深(じんじん)の忍(にん)を得、深き忍を証(しょう)するがゆえに正見(しょうけん)を得る。正見によって正しく修行し、正しい修行に住するがゆえに三界(さんがい)を厭(いと)い、三界を厭うては便(すなわ)ち怖畏(ふい)を生じ、怖畏によって出離(しゅつり)を求める。出離の見を懐(いだ)くがゆえにかくのごとく念(おも)う。『我にこのような苦悩があるならば、一切の有情もまた同じであるはずだ。我は彼らのためにこの重荷を担い、彼らをして究竟(くきょう)の安楽を得させしめん』と。このように観察する時、すなわち大悲(だいひ)を得る。大悲に住しては大いなる精進を発(おこ)し、あたかも頭や衣服の燃えているのを救うように、精進を捨てずにいれば、すなわち薩婆若(さばにゃ/一切智/さいち)の智を得ることができる。」

「又,舍利子!三者、菩薩應被忍辱甲冑,離於憍慢,得大忍力,若遇罵辱及捶打時,忍辱成就不生嗔恨。作是思惟:『假使有棒如蘇迷盧山,有人執持而見捶打,盡俱胝劫常見惡罵,而我不應起嗔恨心。何以故?彼諸有情未隨佛學,而我欲於佛菩薩學。是故若彼所有打罵,便能增長爾所大悲。我當為彼有情被弘誓甲冑,攝取有情令得解脫,離於生死入於涅槃,是故我今不應嗔恨。』若被如是忍辱甲冑,即能獲得十種成就。云何為十?一者、族姓成就。二者、財產成就。三者、眷屬成就。四者、色相成就。五者、捨施成就。六者、善友成就。七者、得聞正法成就。八者、如說修行成就。九者、臨命終時,得見諸佛承事成就。十者、既見佛已,生淨信心成就。舍利子!是為菩薩十種成就。

また、舎利子よ。第三に、菩薩は忍辱の鎧を身にまとい、驕りを離れ、大いなる忍びの力を得るべきである。もし罵られ、侮辱され、打たれるようなことがあっても、忍辱を成就して怒りの心を起こさない。彼はこう思惟する。「たとえ須弥山のような大きさの棒をもって、誰かが私を打ち、幾劫にもわたって酷く罵り続けようとも、私は怒りの心を起こすべきではない。なぜなら、かの人々はまだ仏の教えに従っておらず、私は仏や菩薩の教えを学ぼうとしているからである。それゆえ、もし彼らが私を打ち罵るならば、それは私の大いなる慈悲をいっそう成長させるのである。私は彼ら有情のために広大な誓いの鎧をまとい、彼らを救い取り、解脱させ、生死を離れ涅槃に入らせよう。ゆえに、今、私は怒ってはならない。」このように忍辱の鎧を身にまとえば、十の成就を得ることができる。その十とは何か。第一に、家系の成就。第二に、財産の成就。第三に、眷属の成就。第四に、容姿の成就。第五に、布施の成就。第六に、善き友の成就。第七に、正しい教えを聞くことの成就。第八に、説かれたままに修行する成就。第九に、命終の時に、諸仏に会い、供養する成就。第十に、仏を見たのち、清らかな信心を生じる成就である。舎利子よ、これらが菩薩の十の成就である。

「又,舍利子!四者、菩薩發大精進堅固要期,成就善法,被於如是精進甲冑,作是思惟:『為一一有情盡未來際,於生死中次第修行諸精進行而不疲倦,以善要期。為一切有情,於爾所劫流轉生死,發是精進不捨有情。』舍利子!若有菩薩,以十方各如殑伽沙數世界滿中七寶,於念念中奉上如來,如是相續盡未來際。若有菩薩,內懷增上意樂住大悲心,以如是心被精進甲冑,而此功德復多於彼。舍利子!菩薩具此精進得十種功德。云何為十?一者、離凡愚行。二者、攝取佛行。三者、於生死中作過患想。四者、由此攝取大悲。五者、不退往昔本願。六者、少諸疾病。七者、不違越三世諸如來故。八者、薄婬怒癡。九者、隨其所聞於名句文皆悉通達。十者、修行成就。舍利子!發精進者獲得如是十種功德。

「また、舎利子よ。第四に、菩薩は大いなる精進を起こし、堅固な決意をもって善い行いを成就するために、このような精進の鎧をまとい、次のように思惟する。『一人ひとりの有情のために、未来永劫にわたって生死の輪廻の中で様々な精進の修行を続け、決して疲れることなく、善き決意を固めよう。すべての有情のために、無数の劫の間、生死を流転しながらも、この精進を起こし、決して有情を見捨てることはない。』 舎利子よ。もし、十方のガンジス川の砂の数ほどの世界に満ちた七宝を、瞬間瞬間に如来に捧げ、その行いを未来永劫続ける菩薩がいたとする。また、内に増上の意楽を抱き、大悲の心をもって、その心で精進の鎧をまとう菩薩がいたとする。この後者の功徳は、前者よりもはるかに勝るのである。 舎利子よ。菩薩がこの精進を具えると、十の功徳を得る。その十とは何か。第一に、凡夫や愚者の行いから離れること。第二に、仏の行いを摂取すること。第三に、生死の世界を過患であると観じること。第四に、これによって大悲を摂取すること。第五に、過去の本願を退けないこと。第六に、病気が少ないこと。第七に、三世の如来の教えに違背しないこと。第八に、貪り、怒り、愚かさが薄らぐこと。第九に、聞いたことを、名・句・文のすべてにおいて、よく理解すること。第十に、修行が成就すること。 舎利子よ。精進を発する者は、このような十の功徳を得るのである。」

「又,舍利子!五者、菩薩憶念諸佛世尊,由此心得專注觀於如來,常恒得定靜念成就。作是思惟:『我應行如來行,若心散動失念,則不能得殊勝之處所謂佛智,是故應當捨離心所攝受一切之物,亦捨一切利養恭敬、聚落城邑、飲食資生及諸親友,為欲利益諸有情故不捨有情,樂阿蘭若住寂靜處,獨行無侶如犀一角。』住阿蘭若寂靜處已起大慈心,初遍一方二三四方乃至十方,普遍有情住於慈心,住已則得名為住禪那者。舍利子!若有菩薩以一切樂具,於殑伽沙劫供養一切殑伽沙諸佛,及苾芻僧并諸眷屬。若有出家菩薩求於寂靜,往阿蘭若而行七步,如此福德甚多於彼。何以故?以能速得大菩提故。舍利子!樂於寂靜住禪那者,則能獲得十種功德。云何為十?一者、得念。二者、得慧。三者、得正修行。四者、堅志勇猛。五者、得迅疾辯。六者、得陀羅尼。七者、於生於死而得善巧。八者、於戒蘊等處而不動搖。九者、諸天奉事。十者、於他榮盛而不貪羨。舍利子!樂於寂靜住禪那者。獲得如是十種功德。

「さらに、舎利子よ。第五に、菩薩は諸仏世尊を心に思い浮かべる。このことにより心は集中して如来を観じ、常に静かな心で、確かな念を成就してとどまる。そして、こう考える。『私は如来の行いを実践すべきだ。もし心が散り乱れて念を失えば、仏の智慧という殊勝な境地を得ることはできない。だからこそ、心の拠り所としているすべてのものを手放し、また、すべての物質的な供養や尊敬、村や町、飲食物や生活の糧、さらには親しい人々までも手放すべきである。しかし、生きとし生けるものを利益するために、彼らを見捨てはしない。静かな修行の場を喜び、独り犀の角のように、伴侶なくして歩むのだ』と。静かな修行の場にとどまったなら、広大な慈しみの心を起こす。まずは一方、二方、三方、四方から、ついには十方に至るまで、あまねく生きとし生けるものに向けて、慈しみの心にとどまる。こうしてとどまるとき、その人は「禅定に住する者」と呼ばれるのだ。舎利子よ。もし、ある菩薩が、あらゆる喜びの道具を用いて、ガンジス河の砂ほどの数の劫の間、ガンジス河の砂ほどの数の仏陀と、比丘たち、そしてその眷属のすべてに供養したとする。一方で、別の出家した菩薩が、静けさを求めて、静かな修行の場へと七歩を歩み出るとする。この場合、後者の功徳は、前者よりもはるかに大きい。なぜか? それは、後者によって速やかに大いなる悟りが得られるからである。舎利子よ。静けさを喜び、禅定に住する者には、十の功徳が得られる。その十の功徳とは何か。第一に、念を得る。第二に、智慧を得る。第三に、正しい修行を得る。第四に、意志が堅固で勇猛になる。第五に、速やかな弁舌を得る。第六に、陀羅尼を得る。第七に、生と死について巧みになる。第八に、戒の集まりなどにおいて動じなくなる。第九に、天人が仕える。第十に、他人の繁栄を羨まない。舎利子よ。静けさを喜び、禅定に住する者は、このような十の功徳を得るのである。」

「又,舍利子!六者、菩薩善應了知慧所流出而作是念:『慧從何生?謂從淨戒律儀處生,而是慧者能令一切白法增長,是故菩薩應學一切世間智慧。』工巧呪術醫方,難作難成悉皆遍學,如是學已,復作是念:『而今此慧,不能證入離欲寂滅,亦復不能趣向神通及以正覺。非向沙門、非向婆羅門、非向涅槃,是故我今應更遍求法藥工巧,以如是慧令我得彼究竟寂滅。』而彼菩薩求諸法本,不見少法能起於法,以不見故住於寂滅,住寂滅故則無熱惱,無熱惱故了知生死,為於有情而作利益,令諸有情滅除眾苦。舍利子!是為菩薩成就六法,不退大願,得隨意樂淨佛剎土。

また、舎利子よ。第六に、菩薩は智慧から生じるものを善く理解し、こう思惟する。『智慧は何から生じるのか。清らかな戒律から生じるのである。そしてこの智慧は、あらゆる善い法を増大させる。ゆえに菩薩は、世の中のあらゆる智慧を学ぶべきである。』工芸、呪術、医術など、たとえ成し難く達成し難いものであっても、それらすべてをくまなく学ぶ。こうして学んだ後、さらにこう思惟する。『しかし、この智慧は、欲望を離れた静かな境地に達することも、神通力や悟りへと向かうこともできない。沙門(修行者)の境地にも、バラモンの境地にも、涅槃へも向かわない。それゆえ、私は今、さらに法の薬や工芸の智慧を広く求め、それによって究極の寂滅を得るべきである。』そして、その菩薩は諸々の法の根源を追求するが、法を生じさせるような微細な法さえも見出すことができない。見出せないがゆえに、寂滅の境地に安住する。寂滅に安住するゆえに、煩わしさがない。煩わしさがないゆえに、生死をありのままに知り、迷いの世界に生きる者たちのために利益を施し、彼らの苦しみを滅ぼすのである。 舎利子よ。これこそが、菩薩が六つの法を成就し、大いなる誓いを退けず、心のままに清らかな仏の国を得る道である。

「復次,舍利子!菩薩成就七法,不退大願,得隨所樂淨佛剎土。云何為七?一者、自己所有一切皆捨,所捨不可得故。二者、於戒不缺,不思惟戒故。三者、忍辱柔和,有情不可得故。四者、發起精進,於身口意不可得。故五者、成就靜慮,不住靜慮故。六者、智慧圓滿,無分別故。七者、隨念諸佛,遠離相故。舍利子!菩薩如是成就七法,不退大願,獲得一切淨佛剎土種種莊嚴。

さらに、舎利子よ。菩薩が七つの法を成就すれば、大いなる誓願を退転させず、望むままに清らかな仏の国土を得ることができる。その七つとは何か。第一に、自らのすべての所有物をすべて施すことである。しかし、施されたものは実体として捉えられないと観じる。第二に、戒律を欠かさず守ること。しかし、戒律そのものを固定的なものとして思惟しない。第三に、忍耐と柔和を身につけること。しかし、他者という実体は捉えられないと観じる。第四に、精進を発起すること。しかし、身・口・意の働きも実体として捉えられないと観じる。第五に、静慮(瞑想)を成就すること。しかし、静慮の境地に執着しない。第六に、智慧を円満にすること。しかし、分別を起こさない。第七に、諸仏を心に念ずること。しかし、形相に執着しない。舎利子よ。菩薩がこのように七つの法を成就すれば、大いなる誓願を退転させず、あらゆる清らかな仏の国土の種々の荘厳を獲得するのである。

「復次,舍利子!菩薩成就八法,不退大願,得隨所樂淨佛剎土。云何為八?一者、心不嫉妬。二者、施莊嚴具。三者、其心廣大。四者、尊敬法師。五者、不行邪命。六者、平等惠施。七者、不自矜高。八者、不輕懱他。舍利子!是為菩薩成就八法,不退大願,得隨意樂淨佛剎土。

また、舎利子よ。菩薩が八つの法を成就すれば、大願を退転させず、思いのままに清らかな仏の国土を得ることができる。その八つとは何か。第一に、心に嫉妬しないこと。第二に、荘厳な供養具を施すこと。第三に、心が広大であること。第四に、説法者を敬うこと。第五に、不正な生計を営まないこと。第六に、平等に施しを行うこと。第七に、自分を高く見せないこと。第八に、他人を軽んじないこと。舎利子よ。これが菩薩が八つの法を成就し、大願を退転させず、思いのままに清らかな仏の国土を得る方法である。

「復次,舍利子!菩薩成就九法,不退大願,得隨所樂淨佛剎土。云何為九?一者、具身律儀。二者、具語律儀。三者、具意律儀。四者、令貪欲衰謝。五者、令瞋恚衰謝。六者、令愚癡衰謝。七者、不行欺誑。八者、為堅固善友。九者、不輕慢善友。舍利子!菩薩如是成就九法,不退大願,得隨意樂淨佛剎土。

また、舎利子よ。菩薩が九つの行いを身につけるなら、その大いなる願いは退かず、望むままに清らかな仏の国(浄土)に生まれることができる。その九つとは何か。 一つ目は、身体の行いを正しく保つこと。 二つ目は、言葉の行いを正しく保つこと。 三つ目は、心の行いを正しく保つこと。 四つ目は、貪りの心を衰えさせること。 五つ目は、怒りの心を衰えさせること。 六つ目は、愚かさの心を衰えさせること。 七つ目は、ごまかしを行わないこと。 八つ目は、確かな善い友となること。 九つ目は、善い友を軽んじないこと。 舎利子よ。菩薩がこの九つの行いを身につけるなら、その大いなる願いは退かず、望むままに清らかな仏の国に生まれることができるのである。

「復次,舍利子!菩薩成就十法,不退大願,得隨意樂淨佛剎土。云何為十?一者、菩薩執持妙花,詣如來所或窣堵波興供養時,作是願言:『如此妙花色香殊勝,見者欣悅。我成佛時,令我剎中種種妙花遍布其地,及眾寶樹周匝莊嚴,乃至燒香末香塗香,衣服飲食、寶蓋幢幡,金銀瑠璃、真珠車𤦲、珊瑚等寶,用奉獻時,亦應如是迴向佛剎功德莊嚴;菩薩應當住淨律儀,若住戒者隨心所願皆得成就。』

「また、舎利子よ。菩薩が十の法を成就すれば、大いなる誓いを退けず、思いのままに清らかな仏の国を楽しむことができる。その十の法とは何か。 第一に、菩薩が見事な花を持って、如来のもとや仏塔に供養するとき、こう誓うべきである。『この花は色と香りが殊勝で、見る者を喜ばせる。私が仏となるとき、私の国には様々な素晴らしい花が地一面に咲き、多くの宝の木々が周囲を飾るように。また、香や塗香、衣服や飲食、宝の傘や旗、金銀や瑠璃、真珠や瑪瑙、珊瑚などの宝を捧げるときも、同じように仏の国の功徳ある荘厳を願うべきである。』菩薩は清らかな戒律を保つべきであり、戒律を守る者は、心のままに願いがすべて成就するのである。」

「復次,舍利子!二者、菩薩觀察自受樂時,作是願言:『兼他同受如是之樂。』是故菩薩成正覺時,其佛剎中所是有情,悉皆具足一向安樂。

また、舎利子よ。菩薩が自ら楽を受ける時、このように願うのです。「他の者も共に、このような楽を受けることができますように。」と。それゆえ、菩薩が正覚を成就した時、その仏の国にいる生きとし生けるものは、みな一様に安楽を具えているのです。

「復次,舍利子!三者、菩薩不於他發不喜悅言辭,常出善巧語言。作如是願:『得菩提時,我佛剎中勿令有情聞不悅聲,常使得聞悅意之聲。』

また、舎利子よ。第三に、菩薩は他者に対して不快な言葉を発せず、常に巧みな言葉を用います。そしてこう誓います。「悟りを得た時、私の仏の国では、生きとし生けるものに不快な声が聞こえることなく、常に心楽しい声が聞こえるようにあれかし」と。

「復次,舍利子!四者、菩薩常勸有情修十善道,所有善根共諸有情,迴向薩婆若智:『得菩提時,我佛剎中悉令成就十善業道。』

また、舎利子よ。第四に、菩薩は常に生きとし生けるものに十の善い行いを勧め、その善い行いの根をすべての生きとし生けるものと共に、すべてを知る智慧へと向けます。「私が悟りを開いた時には、私の仏の国にいるすべての者が、十の善い行いを完全に身につけることができるように願います」と。

「復次,舍利子!五者、菩薩隨所至方眼所見者,有情男女童男童女,一切皆勸令修無上正等菩提,終不讚揚二乘果故。是故菩薩得菩提時,彼佛剎中所生有情,一切皆悉發於無上菩提之心,遠離聲聞緣覺之意,獲得如是清淨剎土,諸菩薩眾充滿其中。

さらに、舎利子よ。第五に、菩薩は至るところで、その目に見えるあらゆる衆生(男、女、子供たち)に対して、無上の正等覚(完全な悟り)を求めるよう皆に勧め、決して二乗(声聞や縁覚)の果を称賛しない。それゆえ、菩薩が悟りを開いたとき、その仏の国に生まれる衆生はすべて、無上の悟りを求める心を起こし、声聞や縁覚の考えを離れる。こうして、菩薩は清らかな仏の国を得、多くの菩薩の集まりがその国に満ちあふれるのである。

「復次,舍利子!六者、菩薩於他利養終不遮斷,見他得利常生歡喜。是故菩薩得菩提時,彼佛剎中所是有情,受用資具恒無斷絕,獲得如是大法光明。

さらに、舎利子よ。 第六に、菩薩は他の人の利養を決して妨げず、他の人が利益を得るのを見て常に喜びを生じます。 このゆえに、菩薩が悟りを開くとき、その仏の国にいるすべての生きとし生けるものは、生活に必要な道具が常に絶えることなく、このような大きな法の光を得るのです。

「復次,舍利子!七者、菩薩若見苾芻、苾芻尼有犯過者終不發揚,但自安住正法之中。是故菩薩得菩提時,彼佛剎中一切無有過失之聲。何以故?以彼大眾皆得清淨無過失法故。

また、舎利子よ。 七つ目。 菩薩は、もし比丘や比丘尼に過ちや犯しがあるのを見ても、決してそれを暴露しません。 ただ自ら正しい教えの中に安んじて住むのです。 それゆえ、菩薩が悟りを得た時、その仏の国には一切、過ちを非難する声がありません。 なぜなら、そこに集う人々は皆、過ちのない清らかな法を得ているからです。

「復次,舍利子!八者、菩薩樂法求法不生熱惱,凡所聞法正住修行。得菩提時,彼佛剎中,有情樂法皆無熱惱,如所聞法隨順修行。

また、舎利子よ。 第八に、菩薩は法を楽しみ、法を求めても、熱悩(心の苦しみ)を生じない。聞いた法を正しく受け止め、修行に励む。 この菩薩が悟りを開く時、その仏の国に生まれる者たちは皆、法を楽しみ、悩み苦しむことなく、聞いたままの教えに従って修行するのである。

「復次,舍利子!九者、菩薩以商佉鼓角絃管種種音樂,奉獻如來窣堵波時,以此善根迴向成就佛剎莊嚴。是故菩薩得菩提時,彼佛剎中百千音樂不鼓自鳴。

また、舎利子よ。菩薩が法螺貝や太鼓、角笛、弦楽器など、様々な音楽を如来やその塔に捧げるとき、その善い行いの根を、仏の浄土の荘厳を成就するための願いに向けます。そのため、菩薩が悟りを得た時、その仏の国では、何百、何千もの音楽が、誰が奏でるでもなく、自然と響き渡るのです。

「復次,舍利子!十者、菩薩若見失念有情,作是願言:『令得正念。』是故菩薩得菩提時,彼佛剎中一切有情得禪悅食。

また、舎利子よ。十番目に、菩薩はもし心が散乱している生きとし生けるものを見たら、こう願うのです。「彼らに正しい心のあり方が与えられますように。」と。 このように願うことで、菩薩が悟りを開いた時、その仏の世界にいるすべての生きとし生けるものは、禅定の喜びを糧として得ることができるのです。

「舍利子!如是佛剎具足功德,設使如來辯才,或於一劫或過一劫,說不能盡。舍利子!然我今者隨諸菩薩之所樂欲,如是略說,令增上意樂者聞已趣向,當獲圓滿佛剎功德。

舎利子よ、このように如来の仏国土はあらゆる功徳を備えている。たとえ如来がその弁才を尽くして、一劫の長きにわたり、あるいはそれ以上の長い時間をかけて説こうとも、そのすべてを語り尽くすことはできないのである。舎利子よ、しかし私は今、諸々の菩薩たちの望むところに従って、このように簡潔に説き示す。それによって、より高次の決意を持つ者たちがこれを聞き、その教えに向かって進み、ついには円満な仏国土の功徳を得ることができるのである。

「復次,舍利子!菩薩成就三法,速得無上正等菩提,所求佛剎皆得成就。云何三法?一者、住不放逸。二者、如所聞法起正修行。三者、發殊勝大願。

「さらに、舎利子よ。菩薩が三つの法を成就すれば、速やかに無上の正しい悟りを得て、願う仏の国をすべて成就する。その三つの法とは何か。第一に、油断せずに修行を続けること。第二に、聞いた教えの通りに正しく実践すること。第三に、優れた大きな願いを起こすこと。」

「舍利子!若菩薩成就此三法者,速證無上正等菩提,隨其所樂淨佛剎土皆得圓滿。」

舎利子よ、もし菩薩がこの三つの法を成就するならば、速やかに無上の正しい悟りを証し、その望みに従って清らかな仏の国土をすべて円満に成就するであろう。

爾時具壽舍利子白佛言:「世尊!希有如來善說此法。世尊!由住不放逸故,獲得一切菩提分法,住正修行故得大菩提,以大願殊勝故成就佛剎。」

その時、舎利子が仏に申し上げました。「世尊よ、如来がこの教えを巧みに説かれたことは、まことに稀有なことです。世尊よ、決して怠らずに心を保つことによって、あらゆる悟りへの道が得られます。正しい修行に留まることによって、大いなる悟りが得られ、大いなる誓願が秀でていることによって、仏の国が成就されるのです。」

佛告舍利子:「如是,如是!如汝所說,由不放逸故得菩提分法,由住正修行故得大菩提,由發殊勝大願故得淨佛剎圓滿莊嚴。舍利子!如我往昔依勝願故,成如是剎。舍利子!我由住不放逸故滿其本願,由正修行故得大菩提。舍利子!若但言說而不修行,尚不能至聲聞之地,何況能得無上菩提?是故,舍利子!菩薩應當要期真實,如說修行,於諸學處應如是學。」

仏は舎利子に告げられた。「その通り、その通りです。あなたがおっしゃる通り、決して怠らないこと(不放逸)によって悟りに至る教え(菩提分法)が得られ、正しい修行に安住することによって大いなる悟り(大菩提)が得られ、特別で偉大な願いを起こすことによって、清らかな仏の世界(浄仏刹)が完全に荘厳されるのです。

舎利子よ、私(仏)が過去世において、優れた願いに従ったことにより、このような清らかな世界を成就したのです。舎利子よ、私は決して怠らないことに安住することで本来の願いを満たし、正しい修行によって大いなる悟りを得ました。

舎利子よ、もしただ言葉で語るだけで修行しなければ、声聞の境地にすら到達することはできません。ましてや、この上ない悟り(無上菩提)を得ることなど、到底できるものではありません。

それゆえ、舎利子よ、菩薩は真実を目指し、説いた通りに修行し、あらゆる学ぶべきことにおいて、そのように学ぶべきなのです。」

爾時會中四萬菩薩,從座而起,合掌向佛,異口同聲白言:「世尊!如佛所說,菩薩學處我當隨學,住不放逸成就修行,滿其大願嚴淨佛剎。如是之行我當行之,若諸菩薩隨其所願,我當滿足。」

その時、会場にいた四万の菩薩たちが立ち上がり、合掌して仏に向かい、声を揃えて申し上げました。

「世尊よ。仏がお説きになったように、菩薩の学ぶべき道を、私たちはしっかりと学び、怠ることなく修行に励み、大きな願いを成就させ、仏の国を清らかに荘厳いたします。そのような行いを、私たちは実践いたします。また、菩薩たちがそれぞれに願うところがあれば、私たちはそれを叶えさせていただきます。」

爾時世尊熙怡微笑,時舍利子白佛言:「世尊!以何因緣現此微笑?」

その時、世尊は慈しみの微笑みを浮かべられました。 そこで舎利子が仏に申し上げました。 「世尊よ、どのような因縁によってこの微笑みを現されたのでしょうか。」

佛告舍利子:「汝見此諸善男子作師子吼不?」

仏は舎利子にお告げになりました。「あなたは、これらの善男子たちが師子吼をなすのを見ましたか。」

舍利子言:「唯然已見。」

舎利子が申し上げました。「はい、すでに見ました。」

佛言:「舍利子!此諸善男子過百千劫,各於異剎得阿耨多羅三藐三菩提,同號願莊嚴,亦如當來師子佛等,其國清淨與無量壽如來剎土不增不減,唯除壽量。」

仏陀は言われた。「舎利子よ、これらの善き男たちは、百千劫を経て、それぞれ異なる仏国土にて阿耨多羅三藐三菩提(完全なる悟り)を得る。その名は共に『願荘厳』と号し、未来の師子仏などと同じである。その国土の清らかさは、無量寿如来の仏国土と変わらず、増えも減りもしない。ただ、寿命の長さだけが異なるのである。」

舍利子言:「彼諸如來壽量幾何?」

舎利子がお尋ねしました。「あの如来方の寿命の長さは、どれほどなのでしょうか。」

佛言:「彼一一佛皆壽十劫。」

仏は言われた。「それぞれの仏は、みな十劫の寿命を持つ。」

爾時師子勇猛雷音菩薩,即從座起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,白言:「世尊!是文殊師利童真菩薩,諸佛如來常所稱讚。是文殊師利久如當得無上菩提?所得佛剎當復云何?」

その時、師子勇猛雷音菩薩は立ち上がり、右肩を露わにして右膝を地につけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げた。 「世尊よ。この文殊師利童真菩薩は、諸仏・如来が常に称賛されておられます。この文殊師利は、どれほどの時を経て無上菩提を得るのでしょうか。その得られる仏の国土は、いったいどのようなものなのでしょうか。」

佛告師子勇猛雷音菩薩摩訶薩言:「善男子!汝當自問文殊師利童真菩薩。」

仏は獅子勇猛雷音菩薩摩訶薩に告げられた。「善き男子よ。あなたは自ら文殊師利童真菩薩に問いなさい。」

師子勇猛雷音菩薩,問文殊師利言:「汝於何時當得阿耨多羅三藐三菩提?」

獅子勇猛雷音菩薩が文殊師利菩薩に尋ねました。「あなたは、いつ、この上なく完全な目覚め(阿耨多羅三藐三菩提)を得るのでしょうか?」

答言:「善男子!汝何不問我云何住於無上菩提?而乃問我成菩提也?何以故?我於菩提尚猶不住,云何令我證菩提耶?菩提之法不住不證,而我云何有所證住?」

答えて言われた。「善男子よ、どうしてあなたは、私がどのようにして無上の悟りに安住しているのかを尋ねないのか。その代わりに、どうして私が悟りを成就したのかを尋ねるのか。なぜなら、私は悟りにすら安住していないのに、どうして私に悟りを証せと言うのか。悟りの法は、安住することもなく、証することもない。それなのに、どうして私に証や安住があるというのか。」

師子勇猛言:「文殊師利!汝豈不為利一切有情證菩提耶?」

師子勇猛が尋ねた。「文殊師利よ、あなたはすべての生きとし生けるものを利益するために、悟りを求めて修行しているのではないのですか。」

答言:「不也!善男子!何以故?有情不可得故。若有情可得,我當為彼有情證於菩提而住菩提。有情壽命及補特伽羅皆無所有,是故我今不住菩提亦不退轉。」

答えて言われた。「いいえ、善男子よ。なぜなら、生きとし生けるものは実体として得られないからです。もし生きとし生けるものが実体として得られるなら、私は彼らのために悟りを證し、悟りに安住するでしょう。しかし、生きとし生けるもの、寿命、そして個我はすべて実体として存在しません。ですから、私は今、悟りに安住することもなく、退転することもないのです。」

師子勇猛言:「文殊師利!汝豈不住於佛法耶?」

師子勇猛が言った。「文殊師利よ、あなたは仏法に安住しているのではありませんか?」

「不也!善男子!一切諸法住於佛法,凡所有法,無漏無際無相無形,是故佛住於如;如佛所住,一切諸法亦復如是。」

「いいえ、善男子よ。全ての諸法は仏法に住しています。およそあらゆる法は、漏れもなく、際限もなく、形相もなく、姿かたちもありません。それゆえに、仏は「如」に住しています。仏が住するように、すべての諸法もまた、そのようなのです。」

師子勇猛復言:「善男子!今汝所言,我不住於佛法。我今當問如是之義,應當忍許而為我說。」

獅子勇猛がさらに言った。「善男子よ。今、あなたが『私は仏法に住していない』と言った。私は今、この意味について問いたい。どうかお許しいただき、私に説いてほしい。」

答言:「善男子!於意云何?為色求菩提耶?為色本性、為色如如、為色自性、為色空性、為色遠離、為色法性,求菩提耶?善男子!於意云何?若色是菩提,色豈證菩提耶?色本性、色如如、色自性、色空性、色遠離、色法性,證菩提耶?」

答えました。「善男子よ、あなたはどう思うか。色(物質的なもの)を求めて菩提(悟り)を得ようとするのか。それとも、色の本質、色の真如(あるがまま)、色の自性(本来の性質)、色の空性(空であること)、色の遠離(執着を離れること)、色の法性(真理の性質)を求めて悟りを得ようとするのか。善男子よ、あなたはどう思うか。もし色そのものが悟りであるならば、色が悟りを証明するだろうか。色の本質、色の真如、色の自性、色の空性、色の遠離、色の法性が、悟りを証明するだろうか。」

答言:「不也!文殊師利!色不求菩提,菩提無色、本性無色、如如無色、自性無色、空性無色、遠離無色、法性無色,而證菩提,乃至廣說色法性亦不證菩提。」

答えていわく、「そうではない、文殊師利よ。色は菩提を求めず、菩提には色がなく、本性には色がなく、如如には色がなく、自性には色がなく、空性には色がなく、遠離には色がなく、法性には色がない。それによって菩提を証するのである。さらに広く説けば、色の法性もまた菩提を証することはない。」

文殊師利言:「善男子!於意云何?受、想、行、識求菩提耶?善男子!受、想、行、識證菩提耶?乃至識法性證菩提耶?」

文殊師利が言いました。 「善き人よ、あなたはどう思うか。感受作用(受)、表象作用(想)、意志作用(行)、認識作用(識)にさとり(菩提)を求めるのか? 善き人よ、それらの心の働きがさとりを証(あかし)するのか?さらには、認識のはたらきそのものの本質(識法性)がさとりを証するのか?」

答言:「不也!文殊師利!受、想、行、識不求菩提、不證菩提,乃至識法性,不求菩提、不證菩提。」

答えていう。「いいえ、文殊師利よ。受・想・行・識は菩提を求めもせず、悟りもしません。さらに言えば、識の法性に至るまで、菩提を求めもせず、悟りもしないのです。」

文殊師利言:「善男子!於意云何?離於五蘊,有我我所施設耶?」

文殊師利(もんじゅしり)が言いました。「善男子(ぜんねんし)よ、どう思いますか?五蘊(ごうん)を離れて、私や私のものと仮に呼べるものがあるでしょうか?」

答言:「不也!」

答えて言う、「いいえ」

文殊師利言:「善男子!云何二法而證菩提?」

文殊師利が言いました。「善男子よ、どのような二つの法によって悟りを証するのですか。」

師子勇猛言:「文殊師利!初發心菩薩聞如是語,對文殊師利皆生驚怖,以文殊師利此語便為定量。此諸菩薩而作是言:『我不求菩提、不證菩提。』」

獅子勇猛が言いました。「文殊師利よ。初めて発心した菩薩たちは、あなたの言葉を聞いて皆驚き恐れ、この言葉を決定的なものと受け止めます。そしてその菩薩たちはこう言うのです——『私は菩提を求めず、菩提を証しない。』と。」

文殊師利言:「善男子!一切諸法無有驚怖,於實際中亦無驚怖,佛為無驚怖者而演說法,若驚怖者彼則生厭;若生厭者,彼則離欲;若離欲者,彼則解脫;若解脫者,則無菩提;若無菩提,是則不著;彼若無著,是則無去;若無有去,是則無來;若無有來,則無願求;若無願求,則無所求;若無所求,則不退轉;若不退轉,從何而退?從我執退耶?從有情壽命及補特伽羅若斷若常取相分別而生退耶?彼若退轉,無退轉者云何而退?從空性、無相、無願、實際及諸佛法退耶?從何佛法而退轉耶?謂不離佛法不究竟佛法,無所觀無所出入,無所行亦無表示,唯有其名,空、無生無滅、無去無來,遠離清淨雜染,無塵離塵、不平不等,遠離作意,無盡無執著,無等無非等,是為佛法。善男子!所有佛法此法無法。何以故?其處不可得故。若如是佛法生者,善男子!新發意菩薩聞此說已心生驚怖,速證菩提;若不驚怖,不證菩提。」

文殊師利が言いました。「善き人よ。すべての諸法には驚きやおそれというものがありません。真理の世界(実際)においても、驚きやおそれはありません。仏は、すでに驚きおそれのない者のために法を説かれます。もし驚きおそれを抱く者があれば、その者は厭う心を生じます。厭う心を生じれば、欲望から離れようとします。欲望から離れれば、解脱します。しかし、解脱したならば、菩提(悟り)はありません。菩提がなければ、それに執着することもありません。執着がなければ、どこへ行くこともありません。行くことがなければ、来ることもありません。来ることがなければ、願い求めることもありません。願い求めることがなければ、求めるものもありません。求めるものがなければ、退くこともありません。退かないのならば、何から退くというのでしょうか。それは『私』という執着から退くのでしょうか。あるいは、生きとし生けるもの、命あるもの、個体(補特伽羅)という見解、あるいは断滅や常住といった見解、そうした取られた相(イメージ)への執着のゆえに、退くのでしょうか。もし退くのだとしても、真に退くものなどないのですから、どのようにして退くと言うのでしょうか。空性、無相、無願、真理(実際)、そして諸々の仏法から退くと言うのでしょうか。いったい、どのような仏法から退くと言うのでしょう。それは、仏法を離れることなく、仏法を究めることもなく、観察するところもなく、出入りすることもなく、行うこともなく、示すこともありません。ただその名があるだけで、空であり、生じも滅びもせず、去ることも来ることもありません。清らかさや汚れを遠く離れ、塵もなく、塵を離れ、平等でも不平等でもありません。心を向けること(作意)を遠く離れ、尽きることも執着もなく、等しいことも等しくないこともありません。これが仏法なのです。善き人よ、すべての仏法も、この法も、そもそも『法』というものではありません。なぜなら、その在り処が得られないからです。もしこのように仏法が説かれた時、新しく発心した菩薩がこの説法を聞いて驚きおそれを抱くならば、速やかに菩提を証するでしょう。しかし、驚きおそれを抱かないならば、菩提を証することはありません。」

師子勇猛言:「文殊師利!云何如是密意而說?」

獅子勇猛が問うた。「文殊師利よ、どのような意図があって、そのようにお説きになったのですか?」

答言:「善男子!若驚怖、若分別,彼等咸皆證於菩提。如是發心、若不發心,為於正覺所求之者,皆證菩提。復次,不發心者彼不得菩提,亦不思惟,彼菩提心實無所得,亦不分別,若不分別不證正覺。以何因緣不證正覺?彼不得菩提,亦不證菩提。何以故?善男子!虛空界豈證菩提耶?」

答えはこうです。「善き人よ。もし恐れを抱く者も、分別を起こす者も、そのすべてが悟りを証するのです。このように発心する者も、発心しない者も、正しい覚りを求める者は皆、悟りを証します。さらに、発心しない者は菩提を得ず、また思惟もしません。その菩提心は実に得るものではなく、分別もありません。もし分別しなければ、正覚を証しません。では、何の因縁によって正覚を証さないのでしょうか?それは菩提を得ず、また菩提を証さないからです。なぜなら、善き人よ、虚空の世界がどうして菩提を証するでしょうか?」

答言:「不也。」

いいえ、違います。

文殊師利言:「善男子!如來豈不說一切法同虛空耶?」

文殊師利は言いました。「善き人よ、如来はあらゆるものが虚空と同じであると説かれなかったでしょうか。」

答言:「如是,如是!文殊師利!言如虛空,菩提亦爾;如菩提,虛空亦然。虛空菩提無二無別。若菩薩知此平等,則無所知,亦無不知。」

答えていわく、「その通り、その通りです、文殊師利よ。虚空の如く、菩提もまた然り。菩提の如く、虚空もまた然り。虚空と菩提は二つではなく、別のものではありません。もし菩薩がこの平等を悟るならば、知るところもなく、知らざるところもありません。」

說此法時,一萬四千苾芻盡諸有漏心得解脫;十二那庾多苾芻遠塵離垢,於諸法中得法眼淨;九萬六千有情,昔未曾發無上菩提之心,今皆已發;五萬菩薩得無生法忍。

この教えが説かれた時、一万四千の比丘たちはあらゆる煩悩を尽くし、心が悟りの境地に至りました。十二那由多の比丘たちは塵や垢を遠く離れ、諸々の法において清らかな法眼を得ました。九万六千の生きとし生けるものたちは、かつて無上の悟りを求める心を起こしたことがありませんでしたが、今、皆がその心を起こしました。五万の菩薩たちは、無生法忍(すべての存在が生じもせず滅しもせぬと悟る境地)を得ました。

爾時師子勇猛雷音菩薩白文殊師利言:「汝發無上菩提心來,為幾時耶?」

その時、師子勇猛雷音菩薩が文殊師利菩薩に問いかけました。「あなたは、この上ない完全な覚りを求める心(菩提心)を起こしてから、どれほどの時が経ちましたか?」

文殊師利言:「止!善男子!莫於無生法中而起分別。善男子!若有作如是言:『我發菩提心,我為菩提行。』彼等是大邪見者。善男子!我不見彼心為菩提發故,我以心不可見故,是故不為菩提發心。」

文殊師利が言いました。 「お待ちなさい、善き方よ。生まれのない真理において、あれこれと分別を起こしてはいけません。 善き方よ、もし『私は菩提心を起こした』『私は悟りのために修行している』と言う人がいるとすれば、その人たちは大きな誤った見解に陥っています。 善き方よ、私は、心が悟りのために起こされたのを見ません。なぜなら、心は捉えどころがないからです。そのため、悟りのために心を起こすことはないのです。」

師子勇猛言:「文殊師利!是何句義?」

獅子勇猛が尋ねました。「文殊師利よ、これはどういう意味でしょうか?」

文殊師利言:「善男子!若無所見是名平等,如向所說。」

文殊師利は言いました。 「善男子よ。何ものも見ないこと、これを平等と名づけるのです。それは先ほどお話しした通りです。」

師子勇猛言:「文殊師利!云何名為平等?」

師子勇猛が尋ねた。「文殊師利よ、何を『平等』と名づけるのですか?」

「善男子!平等者無種種相,由此平等說一切法一味,一味者說一性,說一性者寂靜性,則無雜染亦無清淨。如是說法,不斷不常、不生不滅,無我無攝受、不取不捨;如是說法,說已無所思亦無所分別。善男子!於此平等法中起修行智,名為平等。復次,善男子!菩薩入於如是法性,不見異不見一,名為平等。其平等者離不平等,於不平等中及以平等,本來清淨。」

「善男子よ。平等とは、様々な相(すがた)がないことである。この平等によって、あらゆる法(ものごと)は一つの味わいであると説く。一つの味わいとは、一つの本性(ほんしょう)を説くことであり、一つの本性とは寂静性(静けさの本質)である。そこには、煩わしい汚れもなく、また清らかさもない。このように説くことは、断(断滅)にも常(常住)にもなく、生にも滅にもなく、我(自己)もなく、執着もなく、取ることも捨てることもない。このように説くとき、説いた後に何も思わず、何も分別しない。善男子よ。この平等なる法の中において、修行の智慧を起こすことを、平等と名づける。さらに、善男子よ。菩薩がこのような法の本性に入るとき、異なるものを見ず、一つのものとも見ない。これを平等と名づける。その平等とは、不平等を離れたものである。不平等の中にあるものも、平等そのものも、もともと清らかなのである。」

爾時師子勇猛雷音菩薩白佛言:「世尊!今文殊師利不肯自說我於無上菩提發心遠近,大眾皆欲樂聞。」

その時、獅子勇猛雷音菩薩が仏に申し上げた。「世尊よ、今、文殊師利は自ら、私が無上の悟りを求める心を発してからどれほどの時が経ったのかを語ろうとしません。大衆は皆、それを聞くことを切に望んでおります。」

佛言:「善男子!文殊師利是甚深忍者,乃至甚深忍亦不可得,菩提不可得,心亦不可得,以心不可得故,是故不說發心遠近。善男子!汝應善聽,我今當說。文殊師利童真菩薩,久已發於無上菩提之心。善男子!過去久遠過七十萬阿僧企耶百千殑伽沙劫,彼時有佛,號雷音如來、應、正等覺、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊,出現于世,在於東方去此過七十二那庾多佛剎,有世界名無生,彼雷音如來於中說法,諸聲聞眾有八十四俱胝那庾多,諸菩薩眾二倍過前。

佛がおっしゃった。「善き男子よ、文殊師利はこの深い忍びの境地に達している。そのため、深い忍びの境地さえも捉えられず、菩提も捉えられず、心もまた捉えられない。心が捉えられないがゆえに、発心の遠近について語ることはないのだ。善き男子よ、あなたはよく聞きなさい。今、私が説こう。文殊師利童真菩薩は、はるか昔から無上正等覚の心を起こしていたのだ。善き男子よ、遠い過去、七十万アサンキヤ百千ガンガーの砂の数の劫を超えた時、その時に雷音如来・応・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊という仏が世に現れた。その仏は東方にあり、ここから七十二那由多の仏の世界を過ぎた所に、無生という世界があった。その雷音如来がそこで法を説き、声聞の衆は八十四コーティ那由多、菩薩の衆はその二倍を超えていた。」

「善男子!彼時有王名曰虛空,七寶具足,王四天下,正法理化為法輪王。善男子!彼虛空王,於雷音如來會中,八萬四千歲以種種樂具衣服飲食宮殿臺觀,僮僕給侍一一殊妙,恭敬供養承事雷音如來及諸菩薩聲聞大眾,其王親族、中宮綵女、王子大臣,唯務供養餘無所作,雖經多歲初無疲倦,過八萬四千歲後,其王是時獨居無侶,作是思惟:『我已積集無量善根,我今迴向如是善根欲求何願?為求帝釋?為梵王耶?為轉輪聖王耶?為求聲聞、緣覺耶?』善男子!彼虛空王作是念已,空中諸天告言:『大王!止!止!勿起如是下劣之心。何以故?王之所集福聚甚多,大王應發無上菩提之心。』善男子!時虛空王聞是語已,歡喜念言:『我今於此決定不退。何以故?天知我心而來告我。』

「善き男子よ。その時、虚空という名の王がおりました。彼は七つの宝をすべて備え、四つの天下を治め、正しい法によって世を統べる法輪の王でした。善き男子よ。その虚空王は、雷音如来の説法の集いにおいて、八万四千年の間、様々な楽器や道具、衣服、飲食、宮殿や楼閣、召使いや給仕の者に至るまで、すべてを殊勝に見事に整え、敬意を込めて供養し、雷音如来や菩薩たち、声聞の大衆に仕えました。その王の一族、后宮の女官たち、王子や大臣も皆、ただ供養に専念し、それ以外のことは何も行いませんでした。長い年月が過ぎても、彼らは少しも疲れを見せませんでした。八万四千年の後、その王は一人で過ごし、こう考えました。『私は無量の善根を積んできた。この善根を、いったいどのような願いのために回向しようか。帝釈天となることを求めるべきか。梵天となるべきか。転輪聖王となるべきか。あるいは声聞や縁覚となることを求めるべきか。』 善き男子よ。虚空王がこう考えていると、空中の天人が告げました。『王よ、おやめなさい。そのような卑しい心を起こしてはなりません。なぜなら、王が積まれた福徳の集まりは非常に大きいからです。王よ、無上なる菩提心を起こすべきです。』 善き男子よ。その時、虚空王はこの言葉を聞いて、喜びながらこう言いました。『私は今、このことにおいて決して退かないと誓おう。なぜなら、天人たちが私の心を知って、こう告げてくれたからだ。』」

「善男子!爾時虛空王即與八十俱胝那庾多百千有情,往詣雷音如來所,頂禮雙足右遶七匝退坐一面。又,善男子!彼虛空王向雷音如來合掌說伽他曰:

「善男子よ。その時、虚空王は八十俱胝那由他百千の有情たちと共に、雷音如来のもとへ向かい、その両足に額を触れて礼拝し、右に七回まわってから、静かに横に座りました。また、善男子よ。虚空王は雷音如来に合掌して、次の偈を唱えました。」

「『我問最勝法, 唯願人尊說。
云何得最勝, 丈夫人中尊?
對於世尊前, 我以廣供養,
以心無所依, 未曾發迴向。
獨處生是念, 一緣繫此心:
「已作廣大福, 云何而迴向?
為求於釋梵, 及以轉輪王?
為求於聲聞, 并及於緣覺?」
心中作是念, 諸天告我言:
「若發下劣心, 其福當損壞,
大王發勝願, 作諸有情利,
為度世間故, 應發菩提心。」』
我問於遍覺, 諸法自在者:
『云何發是心, 成於等正覺?
以何獲此處, 為我而顯示,
應發菩提念, 等同於牟尼?』
從空聞是語, 故白於如來。
『大王汝當知, 我今次第說,
諸法屬因緣, 樂欲為根本,
如彼所希願, 獲果亦如是。
我昔於過去, 亦曾發此心,
利益諸有情, 發如是勝願,
由彼勝願故, 而獲殊勝果,
我證大菩提, 滿足勝希願。
大王應勇猛, 當發如是心,
而行此妙行, 汝必成正覺。』
從佛聞是語, 其王大歡喜,
而作師子吼, 世間皆振動:
『乃至本初際, 及盡生死邊,
利益諸有情, 我行無邊行。
對於大眾前, 我發菩提心,
誓度諸群生, 皆離於眾苦。
願從今已後, 若我有染污,
瞋恚嫉妬心, 并我慢貪愛,
是欺誑十方, 及現在諸佛。
從此而已後, 乃至證菩提,
誓行於梵行, 我捨貪欲罪,
隨佛而修學, 淨戒柔和忍,
不以怱遽心, 速求成正覺。
我盡未來際, 於一一有情,
淨於佛剎土, 無量不思議,
稱揚彼名號, 普聞十方國,
我今自授記, 成佛不應疑。
對於導師前, 我淨於意業,
及淨於身業, 乃至於語業,
悉皆令清淨, 不應起不善,
以我真實行, 得佛利世間。
由斯誠實言, 地當六種動,
我若不實語, 四大互遷易。
以言誠實故, 當有諸音樂,
空中而自奏。 以我實無矯,
亦無諸結使, 以斯誠實故,
願雨天妙花。』 由說不妄語,
真實警覺故, 於十方無量,
俱胝剎振動。 剎那於虛空,
俱胝音樂奏, 雨妙曼陀花,
高七迷盧山。 二十俱胝人,
隨彼王而學, 皆出微妙音:
『我等當成佛。』 如二十俱胝,
一切人亦爾, 學王求正覺。

『私は最勝の法について問いたい、どうか人尊(世尊)よお説きください。 いかにして最勝を得るのか、丈夫人の中の尊よ。 世尊の前で、私は広大な供養を行いましたが、 心をどこにも執着させず、まだ回向をしたことがありませんでした。 独りで座ってこう思いました―― 「私はすでに広大な福徳を積んだ。いかにしてそれを回向すべきか。 帝釈天や梵天、あるいは転輪聖王を求めるべきか? 声聞や縁覚を求めるべきか?」 そう心に思い巡らせていると、天人が私に告げました。 「もし劣った心を起こせば、その福徳は損なわれてしまいます。 大王よ、勝れた願いを起こし、一切の有情を利益しなさい。 世間を救済するために、菩提心を発すべきです。」 そこで私は、全てを遍く覚った方、諸法に自在な方に問いました。 『いかにしてこの心を発し、等正覚を成就するのですか。 どのような方法でこの境地に至るのか、私に示してください。 牟尼と等しい、菩提の念を発すべき方法を。』 虚空からこの言葉を聞いたので、如来に申し上げました。 『大王よ、あなたは知るべきです。今、私は順を追って説きましょう。 諸法は因縁に属し、楽欲(願い)がその根本です。 人が願うように、得られる果もまた同じです。 私は過去世において、この心を発しました。 一切の有情を利益するために、このような勝れた願いを起こしました。 その勝れた願いによって、勝れた果を得ました。 私は大菩提を証得し、勝れた願いを満たしました。 大王よ、勇猛に、このような心を発すべきです。 この妙行を実践すれば、あなたは必ず正覚を成就するでしょう。』 仏の言葉を聞いて、その大王は大いに喜び、 獅子吼を発すると、世間がすべて震動しました。 『元初の際より、生死の果てに至るまで、 一切の有情を利益し、私は限りない行を実践します。 大衆の前で、私は菩提心を発します。 誓って一切の衆生を救済し、皆を苦しみから離脱させます。 願わくば、今より後、もし私に汚れや、 瞋り、嫉みの心、我慢、貪愛があれば、 それは十方の諸仏と現在の諸仏を欺くことになります。 今より後、菩提を証得するまで、 誓って梵行を実践し、貪欲の罪を捨てます。 仏に従い学び、清浄な戒、柔和、忍辱を実践し、 軽率な心で速やかに正覚を求めません。 私は未来際の尽きるまで、一人ひとりの有情に対して、 仏国土を清め、無量で不可思議な功徳を積み、 その名号を称え、十方の国に広く聞こえさせます。 今、私は自ら授記します。成仏することに疑いはありません。 導師の前で、私は意業を清め、 身業も清め、さらには語業も、 すべてを清らかにし、不善を起こしません。 私の真実の行によって、仏となって世間を利益します。 この誠実な言葉によって、大地は六種に震動すべきです。 もし私の言葉が真実でなければ、四大は互いに入れ替わるでしょう。 言葉が誠実であるゆえに、諸々の音楽が 虚空に自然と奏でられるでしょう。私に偽りがなく、 また煩悩の結使もない、この誠実さによって、 天の妙花を降らせてください。』 偽りのない言葉を語り、 真実の覚醒によって、十方の無量の 俱胝の世界が震動しました。刹那の間に虚空では、 俱胝の音楽が奏でられ、妙なる曼陀羅花が 七つの迷盧山の高さまで降り注ぎました。二十俱胝の人々が、 その王に従って学び、皆、微妙な音声を発しました。 『私たちは成仏するでしょう。』二十俱胝の人々と同様に、 すべての人々もまた、王に学び正覚を求めました。』」

「善男子!彼時虛空王者莫作異觀,今文殊師利童真菩薩是也!童真菩薩當彼之時為虛空王,過七十萬阿僧企耶百千殑伽沙劫,最初發於菩提之心,又過六十殑伽沙劫,得無生法忍,從此已後滿足十地具足十力,亦滿一切如來之地,亦滿足一切佛法,亦不曾於一念起如是心:『我證無上正等菩提。』

「善き男子よ。その時の虚空王を、他の者と思ってはならない。今の文殊師利童真菩薩こそがその方である。童真菩薩はその時、虚空王であり、七十万アサンキヤ百千ガンジス河の砂の数の劫を過ぎて、初めて菩提心を起こした。さらに六十ガンジス河の砂の数の劫を過ぎて、無生法忍を得た。それ以来、十地を満たし、十力を具え、すべての如来の境地をも満たし、すべての仏法をも満たした。そして、一度たりとも『私は無上正等菩提を証する』という心を起こしたことはなかった。」

「復次,善男子!彼時二十俱胝人同與彼王,於雷音如來所發菩提心者,皆已證於無上菩提、轉不退法輪,為阿僧祇有情而作佛事,作佛事已,以佛涅槃而般涅槃。彼等皆是文殊師利之所勸發,於施戒忍進定及慧悉皆次第承事,彼等諸佛所有教法皆悉護持。餘有一佛在此下方,過四十殑伽沙佛土,世界名地,佛號地天,壽命無量,今現住世,有無量聲聞之所圍繞。」

また、善き息子よ。その時、あの二十俱胝の人々は、かの王と共に、雷音如来のもとで菩提心を発した者たちであり、皆すでに無上菩提を証得し、不退転の法輪を転じ、無数の有情のために仏事を行い、その仏事を終えた後、仏の涅槃に入って般涅槃したのである。彼らはみな文殊師利によって勧められ発起した者たちであり、布施、戒律、忍辱、精進、禅定、智慧を順に修習し、それぞれの諸仏の教えをことごとく護持した。なお、一仏がこの下方にいる。四つのガンジス川の砂の数ほどの仏土を下ったところに、地という世界があり、仏の名は地天という。その寿命は無量で、今現在も世に存在し、無数の声聞の弟子たちに囲まれている。

說此文殊師利往昔事,時眾中七千有情,皆發無上正等大菩提心。

さて、文殊師利が過去世に修行していたこの話を聞くと、その場にいた七千の生きとし生けるものたちが、みな最高の正しい悟りを求める菩提心を起こしたのであった。

大聖文殊師利菩薩佛剎功德莊嚴經卷中

**巻中**


第一
第三

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