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般舟三昧経 (般舟三昧經)

「般舟三昧經」について

後漢 · 底本の訳者:支婁迦讖

2.1 万字 · 約 71 分

『般舟三昧経』は、後漢時代の著名な経典翻訳家・支婁迦讖によって漢訳された重要な仏教経典です。この経典は大乗仏教興隆の初期に成立し、主に「般舟三昧」という重要な禅定の法門を説いています。経中では、修行者が七日七夜にわたり精進して仏を念じることで、十方の諸仏が眼前に現れることを得る修行方法と境地の体験が詳述されています。中国に早期に伝来した大乗禅観経典として、『般舟三昧経』は中国仏教の浄土思想や念仏禅修の伝統に深遠な影響を与え、中国仏教の初期発展を研究する上で重要な文献となっています。支婁迦讚の訳本は質朴な言葉遣いで経典の原初の風貌を保ち、漢伝仏教経典の中でも独特の地位を占めています。


般舟三昧經卷上(一名十方現在佛悉在前立定經)

般舟三昧経 巻上(別名:十方現在仏悉在前立定経)

後漢月氏三藏支婁迦讖譯

後漢 月氏三蔵 支婁迦讖 訳

問事品第一

問事品 第一

佛在羅閱祇摩訶桓迦憐,摩訶比丘僧五百人,皆得阿羅漢,獨阿難未。

仏は羅閲祇(ラージャグリハ)の摩訶桓迦憐(マハー・ガンダーリ)という場所におられた。そこには五百人の大いなる比丘の僧たちがおり、みな阿羅漢の境地に達していたが、ただ阿難(アーナンダ)だけはまだ達していなかった。

爾時,有菩薩名颰陀和,與五百菩薩俱——皆持五戒——晡時至佛所前,以頭面著佛足,却坐一面。并與五百沙門俱至佛所,前為佛作禮,却坐一面。

その時、颰陀和(はつだわ)という名の菩薩が五百人の菩薩たちを伴って——皆、五戒を守っていた——夕方に仏のもとへやって来た。そして頭を仏の足に付けて礼拝し、退いて一方に座った。また五百人の修行者たちも共に仏のもとへ来て、仏に礼拝をしてから退いて一方に座った。

時佛放威神,諸比丘所在遠方無不來者。即時十萬比丘俱相隨來會佛所,前為佛作禮,却坐一面。

その時、仏は威神力を示されたので、遠くにいた比丘たちも皆、集まってこない者はありませんでした。たちまち十万もの比丘が連れ立って仏のもとへ集まり、仏の前に進み出て礼拝し、後ろに下がって一方に坐りました。

佛復放威神,摩訶波和提比丘尼與三萬比丘尼俱相隨至佛所,前為佛作禮,却坐一面。

仏が再び威神力を示されると、摩訶波闍波提比丘尼は三万の比丘尼たちと共に仏のもとへ向かい、仏に礼拝してから一方に座った。

佛復放威神,羅憐那竭菩薩從舍衛墮梨大國出、橋曰兜菩薩從占波大國出、那羅達菩薩從波羅斯大國出、須深菩薩從加羅衛大國出、摩訶須薩和菩薩與阿難邠坻迦羅越俱從舍衛大國出、因坻達菩薩從鳩睒彌大國出、和輪調菩薩從沙祇大國出,一一菩薩各與二萬八千人俱來到佛所,前為佛作禮,皆却坐一面。

また、仏はその神威を示された。羅憐那竭菩薩は舍衛の堕梨大国から、橋曰兜菩薩は占波大国から、那羅達菩薩は波羅斯大國から、須深菩薩は加羅衛大国から、摩訶須薩和菩薩は阿難邠坻迦羅越と共に舍衛大国から、因坻達菩薩は鳩睒弥大国から、和輪調菩薩は沙祇大国から、それぞれ来られた。各菩薩は二万八千人を伴い、仏のもとに到着した。彼らは前に進み出て仏に礼拝し、皆それぞれ一つの席に座った。

羅閱祇王阿闍世與十萬人俱來到佛所,前為佛作禮,却坐一面。

羅閲祇国の王である阿闍世が、十万人の人々と共に仏の御許に参りました。仏の前に進み出て礼拝し、その後、片隅に座りました。

四天王、釋提桓因、梵三鉢摩夷亘天、阿迦膩吒天,各各與若干億億百千天子俱來到佛所,前為佛作禮,却住一面。

四天王、釈提桓因、梵天、三鉢摩夷亘天、阿迦膩吒天の各々が、それぞれ数十億百千の天子たちと共に、仏のもとにやって来ました。そして仏の前に進み出て礼をし、その後、一方に立って控えました。

難頭和難龍王、沙竭龍王、摩難斯龍王、阿耨達龍王,各各與若干龍王億億百千萬俱來到佛所,前為佛作禮,却住一面。

難陀龍王と跋難陀龍王、サーガラ龍王、マナスヴィン龍王、アナヴァタプタ龍王が、それぞれ数えきれないほどの多くの龍王たちと共に、何億何千何万という仲間を引き連れて、仏のもとへやって来ました。そして、仏の前に進み出て礼拝し、その後、一方の側に控えて立ちました。

四面阿須倫王各與若干阿羞倫民億億百千萬俱來到佛所,前為佛作禮,却住一面。

四人の阿須倫王が、それぞれ幾億百千万もの阿修羅の民を伴って、そろって仏のもとへ参りました。前に進み出て仏に礼を捧げ、そして退いて一方に止まりました。

時諸比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,諸天、諸龍、諸阿羞倫民、諸閱叉鬼神、諸迦樓羅鬼神、諸甄多羅鬼神、諸摩睺勒鬼神、諸人非人無央數都不可計。

そのとき、多くの比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、また多くの天、多くの龍、多くの阿修羅たち、多くの夜叉鬼神、多くの迦楼羅鬼神、多くの緊那羅鬼神、多くの摩睺羅伽鬼神、多くの人や人ならざる者たちが、数えきれないほど大勢集まっていました。

颰陀和菩薩從坐起,正衣服,叉手長跪白佛言:「願欲有所問,既問者為有所因故。天中天!聽我言者,今當問佛。」

跋陀和菩薩が座を立ち、衣を整え、合掌して長く跪き、仏に申し上げました。 「どうかお尋ねしたいことがございます。お尋ねするのは、それに理由があるからです。 天中天よ、私の言葉をお聞き届けくださるなら、今、仏にお尋ねいたします。」

佛告颰陀和菩薩:「所因故者便問,佛當為若說之。」

佛が颰陀和菩薩に告げられました。「あなたが質問された理由について、私があなたのために説き明かしましょう。」

颰陀和菩薩問佛言:「菩薩當作何等三昧?所得智慧如大海、如須彌山,所聞者不疑,終不失人中之將,自致成佛終不還、終不生愚癡之處。豫知去來之事,未曾離佛時,若於夢中亦不離佛。端政姝好,於眾中顏色無比。少小常在尊貴大姓家生,若其父母、兄弟、宗親、知識無不敬愛者。高才廣博,所議作者與眾絕異,自守節度,常內慚色終不自大,常有慈哀。智慮通達於智中明,無有與等者。威神無比,精進難及,入諸經中,多入諸經中,諸經中無不解。安樂,入禪、入定,入空、無想、無所著,於是三事中不恐,多為人說經,便隨護之。在所欲生何所,自恣無異。本功德力、所信力,多所至到處。其筋力強,無不欲愛力、無不有根力,明於所向力、明於所念力、明於所視力、明於所信力、明於所願力。在所問如大海,無有減盡時,如月盛滿時悉遍照,無有不感明者,如日初出時、如炬火在所照,無所罣礙。不著心如虛空無所止、如金剛鑽無所不入、安如須彌山不可動、如門閫正住堅。心軟如鵠毛,無有麁爽;身無所慕樂,於山川如野獸。

颰陀和菩薩が仏に問うて言った。 「菩薩はいかなる三昧を成就すべきなのでしょうか。そうすれば、得る智慧は大海のように広く、須弥山のように高く、聞いたことを疑わず、ついには人々の導き手となる地位を失わず、自ら成仏して退転することなく、愚かさの世界に生まれることもありません。過去未来のことを予知し、仏から離れることがなく、夢の中でもなお仏を離れません。姿は端正で美しく、大衆の中で比べるものがないほどです。幼い頃から常に高貴で尊い家に生まれ、その父母、兄弟、親戚、知人から敬愛されないことはありません。優れた才能と広い知識を持ち、行うことは衆人と格段に異なり、自ら節度を守り、常に内省して決して慢心せず、常に慈しみの心を持ちます。智慧と考えは通達して智慧の中でも明らかであり、並ぶ者がありません。威光神通は比類なく、精進は及び難く、諸経典に入り、多く諸経典に入り、諸経典において解しないことがありません。 安楽であり、禅定に入り、空・無想・無著に入り、これら三つの境地においても恐れることなく、多くの人のために経を説き、そのまま守り導きます。生まれたいところに自由に生まれ、障りがありません。本来の功徳の力、信じる力によって、多くのところに至り到達します。その筋力は強く、愛されない力はなく、あらゆる根力を持ち、向かうところの力に明らかであり、念じる力に明らかであり、見る力に明らかであり、信じる力に明らかであり、願う力に明らかです。問われるところは大海のようで、尽きることがありません。満月がすべてを照らし、照らされないものがないように、日が昇る時のように、灯火が照らすところに滞りがありません。 心に執着がなく、虚空のようで何も止まらず、金剛のような鑽ですべてに入り込み、須弥山のように動かず、門の閫のように確かに立ちます。心は柔らかく鵠の羽のようで、荒々しさがなく、身に慕い楽しむものがなく、山川にいる野獣のようです。」

「常自守,不與人從事。若沙門道人多所教授皆護視,若有輕嬈者終無瞋恚心,一切諸魔不能動。解於諸經,入諸慧中。學諸佛法,無有能為作師者;威力聖意,無有能動搖者。深入之行常隨無所行、常柔軟,於經中常悲,承事於諸佛無有厭。所行種種功德悉逮及,所行常至、所信常政,無有能亂者;所行常淨潔,臨事能決,無有難。清淨於智,慧悉明,得所樂行,盡於五蓋,智慧所行稍稍追成佛之境界。

常に自らを守り、他者と交わらない。もし沙門(僧)や道人が多くを教え導き、皆を護り見守るならば、仮に軽んじたり騒いだりする者があっても、ついに怒りの心を起こさない。一切の諸々の魔も動かすことはできない。諸々の経典を解き明かし、あらゆる智慧の中に入る。諸仏の教えを学び、師とできる者はいない。その威力と聖なる意図は、動かせる者はいない。深く入り込んだ行いは常に「行うことなき行い」に従い、常に柔らかく、経典の中で常に慈悲を持ち、諸仏に仕えることに厭うことがない。行うところの様々な功徳は全てその身に及び、行いは常に極まり、信じるところは常に正しく、乱す者はいない。行いは常に清らかで、事に臨んでよく決断し、難しいことはない。智慧において清らかであり、智慧は全て明らかで、楽しむべき行いを得て、五つの蓋(煩悩)を尽くし、智慧の行いは少しずつ仏の境地を成就していく。

「莊嚴諸國土,於戒中清淨,却羅漢、辟支佛心,所作為者皆究竟。所作功德常在上首,教授人民亦然。於菩薩中所教授無有厭,當所作者度無有極,一切餘道無有能及者。未嘗離佛、不見佛,常念諸佛如父母無異。稍稍得諸佛威神,悉得諸經。明眼所視無所罣礙,諸佛悉在前立。

諸仏の国々を荘厳するために、戒律を清らかに守り、阿羅漢や独覚の心を超えて、行いをすべて究めました。功徳を積むことでは常に最前線に立ち、人々を教え導くことも同様です。菩薩たちの間で教えを説くことに飽きることなく、その行いは無限に広がり、他のあらゆる道は及ぶことができません。決して仏から離れず、仏を見ないことはなく、常に諸仏を父母のように念じています。少しずつ諸仏の威神力を得て、すべての経典を会得します。清らかな眼で見るものには、何の障りもなく、諸仏がみな目の前に立たれています。

「譬如幻師自在所化,作諸法,不豫計念,便成法,亦無所從來、亦無所從去。如化作,念過去、當來、今現在如夢中,所有分身悉遍至諸佛剎。如日照水中影悉遍見,所念悉得如嚮,亦不來、亦不去。生、死如影之分,便所想識如空,於法中無想,莫不歸仰者。一切平等無有異,於經中悉知。心不可計,一切諸剎心不著,無所適念;出於諸佛剎,無所復罣礙。悉入諸陀憐尼門,於諸經中聞一知萬,諸佛所說經悉能受持。

例えば、幻術師が自在に様々なものを生み出すように、彼はあらゆる現象を創造する。それらを前もって思い計らなくとも、そのまま法は成り立つ。それはどこからも来たのではなく、どこへも去っていかない。幻が造り出されるように、過去・未来・現在は夢の中の出来事のようなものである。その全ての身体の分身は、あまねく諸仏の浄土に達する。太陽の光が水中に映る影のように、全てがはっきりと見える。思い描くことは全て、こだまのように応じるが、来ることもなく、去ることもない。生と死は影のようなものであり、思い描く認識は空のようなもの。法の中に固定的な観念はなく、それに帰依しない者はない。一切は平等で差異はなく、経典の教えをことごとく知る。心は計り知れず、あらゆる浄土に執着せず、特別に思いを寄せることもない。諸仏の浄土を超え出て、もはや何の障りもない。全ての陀羅尼の門に入り、諸々の経典において一を聞いて万を知る。諸仏の説かれた経典を、ことごとく受持することができるのである。

「侍諸佛悉得諸佛力、悉得佛威神,勇猛無所難,行步如猛師子無所畏。於諸國土無不用言者,所聞者未曾有忘時,一切諸佛之議等無有異。悉了知本,無經不恐,欲得諸經便自知說,如諸佛終無厭。為世間人之師,無不依附者,其行方幅無有諂偽;諸剎照明朗,不著於三處,所行無所罣礙。於眾輩中無所適、於本際法中無所慕,持薩芸若教人入佛道中,未曾恐怖、無有畏懼時。悉曉知佛諸經所有卷,所在眾會中無不蒙福者。見佛極大慈歡喜,所學諸佛經通利,於大眾中無所畏、於大眾中無有能過者,名聲極遠。破壞諸疑難無不解,於經中極尊、於師子座上坐自在,如諸佛法教,悉曉知佛萬種語、悉入萬億音。愛重諸佛經,常念在左右側,未曾離於諸佛慈。於佛經中樂行、常隨佛出入、常在善知識邊,無有厭極時。

すべての仏に仕え、すべての仏の力と仏の威光神通をことごとく得て、勇猛にして困難なことはなく、その歩みは猛々しい師子のように恐れるところがない。どの国土においても、その言葉を用いない者はなく、聞いたことは決して忘れることがない。一切の仏の教えは同じであり、異なるところがない。すべての根本を知り、経典に恐れることはなく、諸経を求めれば自然と説くことができるようになり、諸仏のように決して飽きることがない。世の人々の師となり、寄り添わない者はなく、その行いは方正で偽りがない。諸々の世界は明るく照らされ、三つの境地に執着することがなく、その行いは何ものにも妨げられない。人々の集まりの中で偏ることがなく、本来の境地の法に憧れることもない。一切智を保ち、人々を教えて仏道に入らせ、決して恐れたりおののいたりすることがない。仏のすべての経典の内容を完全に知り、あらゆる集会の場では、福を得ない者はない。仏を見ては大きな慈しみと歓喜を抱き、学んだ仏典はすべて通暁しており、大衆の中にあって何も恐れず、大衆の中で彼を超える者はいない。その名声は非常に遠くまで届く。あらゆる疑いと困難を打ち破り、解けないものはなく、経典の中でも最も尊ばれ、師子座に座って自在である。諸仏の法の教えのままに、仏の万種の言葉をことごとく知り、万億の音声をすべて悟る。諸仏の経典を愛し重んじ、常にそのそばにありたいと願い、決して諸仏の慈しみから離れることがない。仏の経典の中で楽しんで行じ、常に仏と共に出没し、常に善知識のそばにあり、飽きるということがない。

「於十方諸佛剎無所適止,悉逮得願行;度脫十方萬民,智慧珍寶悉逮得經藏。

十方の諸仏の淨土に留まることなく、すべての願いと修行を成就し、十方のすべての人々を救い導く。智慧という宝玉をことごとく得て、経典の宝庫を会得する。

「身如虛空無有想,教人求菩薩道,使佛種不斷。行菩薩道未曾離摩訶衍,逮得摩訶僧那僧涅極曠大道,疾逮得一切智。諸佛皆稱譽,近佛十力地,一切所想悉入中、一切所計悉了知、世間之變悉曉知,成敗之事、生者、滅者悉曉知。入經海寶開第一之藏悉布施、悉於諸剎行願亦不在中止,極大變化如佛所樂行。心一反念,佛悉在前立,一切適不復願、適無所生處;十方不可計佛剎悉見,聞諸佛所說經;一一佛比丘僧悉見。是時,不持仙道、羅漢、辟支佛眼視,不於是間終生彼間佛剎爾乃見,便於是間坐悉見諸佛、悉聞諸佛所說經、悉皆受。譬如我今於佛前面見佛菩薩,如是未曾離佛、未曾不聞經。」

「身体は虚空の如く、とらわれの思いがありません。人々に菩薩道を求めるよう教え、仏の種を絶やさないようにします。菩薩道を行じながらも、大乗(摩訶衍)を離れたことはなく、大いなる誓い(摩訶僧那僧涅)と極めて広大な道を得て、速やかに一切智を成就します。諸仏は皆、これを称賛し、仏の十力の境地に近づきます。すべての思いはその中に収まり、すべての計らいは明らかに知り、世の中の変化をことごとく理解し、成功と失敗、生じるものと滅するものをすべて知り尽くします。経典の宝の海に入り、最上の宝庫を開き、すべてを施し与えます。あらゆる仏の国で願いを行じ、その中でとどまることもありません。仏の楽しみにかなう、計り知れないほどの変化を示します。心に一たび思いを起こせば、仏はみな目前に立ち現れます。すべての願いはすでに不要となり、生まれるべき場所もありません。十方の無数の仏の国をすべて見渡し、諸仏が説く経を聞き、一人一人の仏のそばにいる比丘の僧団もすべて目にします。その時、仙人や阿羅漢、独覚の目で見るのではありません。この世で命を終え、あの仏の国に生まれ変わって初めて見えるのではなく、まさにここに座したままで、すべての仏を見、すべての仏の説く経を聞き、すべてを受け取るのです。ちょうど今、私が仏の前にあって仏や菩薩を目の当たりにするように、このようにして決して仏から離れることなく、決して経を聞かないということはありません。」

佛告颰陀和菩薩:「善哉善哉!所問者多所度脫、多所安隱,於世間人民不可復計,天上、天下悉安之。今若能問佛如是,若乃前世過去佛時所聞地行作功德所致,供養若干佛以所致,樂於經中所致,作道行、守禁戒所致。自守法,行清白不煩濁,輒以乞匃自食。多成就諸菩薩合會,教語諸菩薩。用是故極大慈哀,一切人民皆於等心,隨時欲見佛即見佛。所願極廣大甚深之行,常念佛智慧,悉持經戒、悉具足佛種聖心如金剛、悉知世間人民心所念、悉在諸佛前。」

仏は跋陀和菩薩に告げられた。「善きかな、善きかな。汝の問いは、多くの人々を救い導き、多くの人々に安らぎをもたらす。世の中の人々は数えきれないほど多く、天の上も天下もことごとく安らかとなる。今、汝がこのように仏に問うことができるのは、汝が前世の過去仏の時に、地を歩みながら功徳を積んだことによるものであり、数多くの仏に供養したことによるものであり、経典を喜んだことによるものであり、道行を行い、戒律を守ったことによるものである。自ら法を守り、行いは清らかで濁りがなく、常に乞食して自らの食を得る。多くの菩薩たちを成就させて集め、菩薩たちに教えを説く。そのゆえに、限りない大いなる慈悲をもって、すべての人々に対して平等な心を持つ。時に応じて仏を見たいと思えば、即座に仏を見ることができる。願いは極めて広大であり、深遠なる行いをなし、常に仏の智慧を念じ、経典と戒律をことごとく持ち、仏の種である聖なる心を金剛のごとく具えている。世の中の人々の心に思うところをことごとく知り、すべての仏の前に在るのである。」

佛告颰陀和菩薩:「若功德以不可復計。」

仏は跋陀和菩薩に告げられた。「もし功徳があれば、それはもはや数えきれないものとなるのだ。」

佛言:「今現在佛悉在前立三昧,其有行是三昧,若所問者悉可得。」

仏が言われた。「今、現にいる仏がすべて前に立つという三昧(サマーディ)がある。この三昧を実践する者があれば、その問いかけることについては、すべて答えを得ることができるのである。」

颰陀和菩薩白佛言:「願佛哀說之。今佛說者,多所過度、多所安隱,願佛為諸菩薩現大明。」

跋陀和菩薩が仏に申し上げました。「どうか、仏様のお慈悲でお話しください。今、仏様がお説きになれば、多くの者を救い、多くの者を安らかにしてくださいます。どうか、仏様は菩薩たちに大いなる悟りの光を示してください。」

佛告颰陀和菩薩:「一法行,常當習持、常當守,不復隨餘法,諸功德中最第一。何等為第一法行?是三昧名現在佛悉在前立三昧。」

ブッダは跋陀和菩薩に告げられました。「一つの教えを実践し、常にこれを習い保ち、守り続け、他の教えに惑わされることなく行えば、それはあらゆる功徳のうちでも最も優れたものとなる。その第一の教えとは何か。それは三昧であり、その名を『現在仏悉在前立三昧』(あらゆる仏が今まさに目の前に現れる三昧)という。」


2 行品

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