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仏説仁王般若波羅蜜経 (佛說仁王般若波羅蜜經)


仁王般若波羅蜜護國經菩薩教化品第三

仁王般若波羅蜜経 菩薩教化品 第三

白佛言:「世尊!護十地行菩薩云何行可行?云何行化眾生?以何相眾生可化?」佛言:「大王!五忍是菩薩法:伏忍上中下、信忍上中下、順忍上中下、無生忍上中下、寂滅忍上下,名為諸佛菩薩修般若波羅蜜。

白く仏に言う:「世尊よ、十地の行を護る菩薩は、どのように行じればよいのでしょうか。どのようにして衆生を教化すればよいのでしょうか。どのような相の衆生を教化すべきでしょうか。」仏は言う:「大王よ、五つの忍は菩薩の法である。伏忍(上・中・下)、信忍(上・中・下)、順忍(上・中・下)、無生忍(上・中・下)、寂滅忍(上・下)である。これらを諸仏菩薩が般若波羅蜜を修めるというのである。」

「善男子!初發想信,恒河沙眾生修行伏忍,於三寶中生習種性十心:信心、精進心、念心、慧心、定心、施心、戒心、護心、願心、迴向心。是為菩薩能少分化眾生,已超過二乘一切善地。一切諸佛菩薩長養十心為聖胎也。

善き男子よ、初めて信の思いを起こし、ガンジス川の砂の数ほど多くの衆生が修行して煩悩を調伏し、三宝において習い性を生じる十の心がある。すなわち、信心、精進心、念心、慧心、定心、施心、戒心、護心、願心、廻向心である。これらは菩薩がわずかに衆生を教化し、すでに二乗の一切の善き境地を超えたことを示す。一切の諸仏菩薩はこの十の心を長く養い、聖なる胎とされるのである。

「次第起乾慧性種性有十心,所謂四意止,身受心法,不淨、苦、無常、無我也;三意止;三善根,慈、施、慧也。三意止,所謂三世,過去因忍、現在因果忍、未來果忍。是菩薩亦能化一切眾生,已能過我人知見眾生等想,及外道倒想所不能壞。

次第に乾慧の性種性が起こるには十の心がある。すなわち四つの意止(四念処)――身・受・心・法について、不浄・苦・無常・無我と観ずること。三つの意止――三世について、過去の因忍、現在の因果忍、未来の果忍と観ずること。三つの善根――慈・施・慧である。この菩薩はまた一切の衆生を教化することができ、すでに我・人・知見・衆生などの想を超え、外道の倒錯した見解によっても壊されることがない。

「復有十道種性地,所謂觀色識想受行,得戒忍、知見忍、定忍、慧忍、解脫忍;觀三界因果,空忍、無願忍、無想忍;觀二諦虛實,一切法無常,名無常忍;一切法空,得無生忍。是菩薩十堅心作轉輪王,亦能化四天下,生一切眾生善根。

さらに十の道種性地があります。それは、色・識・想・受・行を観じて、戒忍・知見忍・定忍・慧忍・解脱忍を得ること。三界の因果を観じて、空忍・無願忍・無想忍を得ること。二諦の虚実を観じて、一切の法は無常であると知り、無常忍を得ること。一切の法は空であると知り、無生忍を得ることです。この菩薩の十の堅固な心は転輪王となり、また四天下を教化し、一切の衆生の善根を生じさせることができます。

「又信忍菩薩,所謂善、達、明、中行者,斷三界色煩惱縛,能化百佛千佛萬佛國中,現百身千身萬身,神通無量功德,常以十五心為首:四攝法、四無量心、四弘願、三解脫門。是菩薩從善地至於薩婆若,以此十五心為一切行根本種子。

また信忍菩薩とは、いわゆる善・達・明・中行の者であり、三界の色煩悩の束縛を断じ、百仏・千仏・万仏の国土において化導し、百身・千身・万身を現じ、神通と無量の功徳を具えている。常に十五の心を根本とする。すなわち四摂法、四無量心、四弘願、三解脱門である。この菩薩は善地から薩婆若に至るまで、この十五の心を一切の行いの根本の種子とするのである。

「又順忍菩薩所謂見勝現法,能斷三界心等煩惱縛故,現一身於十方佛國中無量不可說神通化眾生。

また順忍菩薩は、勝れた現法を見ることで、三界の心などの煩悩の束縛を断ち切ることができるため、一つの身で十方の仏国において、数え切れないほど多くの神通力をもって衆生を教化するのです。

「又無生忍菩薩所謂遠不動觀慧,亦斷三界心色等煩惱習故,現不可說不可說功德神通。

また、無生忍の菩薩は、遠く離れた不動の観慧を具え、三界の心や色などの煩悩の習気を断じたゆえに、言い尽くせぬほどの功徳と神通力を現じます。

「復次,寂滅忍,佛與菩薩同用此忍入金剛三昧。下忍中行名為菩薩,上忍中行名為薩婆若,共觀第一義諦,斷三界心習,無明盡相為金剛,盡相無相為薩婆若,超度世諦第一義諦之外,為第十一地薩婆若。覺非有非無,湛然清淨,常住不變,同真際,等法性,無緣大悲,教化一切眾生,乘薩婆若乘來化三界。

さらにまた、寂滅忍において、仏と菩薩は共にこの忍を用いて金剛三昧に入る。下忍の中を行ずる者を菩薩と名づけ、上忍の中を行ずる者を薩婆若と名づける。共に第一義諦を観じ、三界の心の習気を断じ、無明の尽きた相を金剛とし、尽き相の無相を薩婆若とする。世諦と第一義諦の外を超え渡り、第十一地の薩婆若となる。有にあらず無にあらざることを覚り、湛然として清浄であり、常住不変にして、真際と同一、法性と等しく、縁なき大悲をもって一切の衆生を教化し、薩婆若の乗り物に乗って三界に来たりて教化する。

「善男子!一切眾生煩惱不出三界藏,一切眾生果報二十二根不出三界,諸佛應化法身亦不出三界。三界外無眾生,佛何所化?是故我言,三界外別有一眾生界藏者,外道大有經中說,非七佛之所說。

善男子よ、一切の衆生の煩悩は三界の蔵を出ずることなく、一切の衆生の果報である二十二根も三界を出ずることはない。諸仏の応化の法身もまた三界を出ずることはない。三界の外に衆生は存在せず、仏は何を教化するというのか。それゆえに、三界の外に別に衆生界の蔵があるというのは、外道の『大有経』に説かれていることであり、七仏の説くところではない。

「大王!我常語:一切眾生斷三界煩惱果報盡者,名為佛;自性清淨名覺薩婆若性。眾生本業,是諸佛菩薩本業,本所修行,五忍中十四忍具足。」

大王よ、私は常々こう申し上げております。

すべての衆生が三界の煩悩とその果報を断ち尽くした者を、仏と名づけるのである。 自性が清らかで汚れないことを覚り、それがすなわち一切智の本性である。

衆生の根本の業こそが、諸仏と菩薩の根本の業であり、 彼らが本来修行するものは、五忍の中の十四の忍びをすべて具えているのである。

白佛言:「云何菩薩本業清淨化眾生?」佛言:「從一地乃至後一地,自所行處及佛行處,一切知見故。本業者,若菩薩住百佛國中,作閻浮四天王,修百法門,二諦平等心化一切眾生;若菩薩住千佛國中,作忉利天王,修千法門,十善道化一切眾生;若菩薩住十萬佛國中,作炎天王,修十萬法門,四禪定化一切眾生;若菩薩住百億佛國中,作兜率天王,修百億法門,行道品化一切眾生;若菩薩住千億佛國中,作化樂天王,修千億法門,二諦四諦八諦化一切眾生;若菩薩住十萬億佛國中,作他化天王,修十萬億法門,十二因緣智化一切眾生;若菩薩住百萬億佛國中,作初禪王,修百萬億法門,方便智願智化一切眾生;若菩薩住百萬微塵數佛國中,作二禪梵王,修百萬微塵數法門,雙照方便神通智化一切眾生;若菩薩住百萬億阿僧祇微塵數佛國中,作三禪大梵王,修百萬億阿僧祇微塵數法門,以四無礙智化一切眾生;若菩薩住不可說不可說佛國中,作第四禪大靜天王三界主,修不可說不可說法門,得理盡三昧,同佛行處,盡三界原,教化一切眾生,如佛境界。是故一切菩薩本業化行清淨,若十方諸如來亦修是業,登薩婆若果,作三界王,化一切無量眾生。」

菩薩が仏に尋ねました。「菩薩の根本的な修行は、どうすれば清らかになり、衆生を教化できるのでしょうか?」

仏は答えられました。「初地から最終地に至るまで、自らが歩む道と仏が歩まれた道を、すべて知り見極めるからです。根本的な修行とは、次のようなものです。

菩薩が百の仏国土に住み、閻浮提の四天王となって百の法門を修め、二諦(世俗の真理と究極の真理)を平等の心で一切の衆生を教化する。

菩薩が千の仏国土に住み、忉利天の天王となって千の法門を修め、十善の道をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が十万の仏国土に住み、炎天王となって十万の法門を修め、四禅定をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が百億の仏国土に住み、兜率天の天王となって百億の法門を修め、三十七道品の実践をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が千億の仏国土に住み、化楽天の天王となって千億の法門を修め、二諦・四諦・八諦をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が十万億の仏国土に住み、他化自在天の天王となって十万億の法門を修め、十二因縁の智慧をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が百万億の仏国土に住み、初禅天の王となって百万億の法門を修め、方便智と願智をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が百万の微塵の数ほどの仏国土に住み、二禅天の梵王となって百万の微塵の数ほどの法門を修め、方便と神通の智慧を同時に照らし出して一切の衆生を教化する。

菩薩が百万億阿僧祇の微塵の数ほどの仏国土に住み、三禅天の大梵王となって百万億阿僧祇の微塵の数ほどの法門を修め、四無礙智をもって一切の衆生を教化する。

菩薩が言葉で言い表せないほどの仏国土に住み、第四禅天の大静天王、三界の主となって、言葉で言い表せないほどの法門を修め、理を尽くす三昧を得て、仏の行われるところと同じく、三界の根源を究め尽くし、一切の衆生を教化する。それはあたかも仏の境地のようである。

このゆえに、一切の菩薩の根本的な修行と教化の行いは清らかなのです。もし十方のすべての如来もこの修行を修めれば、一切智の果実に至り、三界の王となって、一切の無量の衆生を教化されるのです。」

爾時,百萬億恒河沙大眾,各從座起,散無量不可思議華,燒無量不可思議香,供養釋迦牟尼佛及無量大菩薩,合掌聽波斯匿王說般若波羅蜜,今於佛前以偈歎曰:

その時、百萬億恒河の砂の数ほどの大衆が、それぞれ座から立ち上がり、無量不可思議の花を散らし、無量不可思議の香を焚いて、釈迦牟尼仏と無数の大菩薩たちに供養を捧げました。そして手を合わせて、波斯匿王が般若波羅蜜を説くのを聞き、今、仏の前で偈をもって讃嘆して言いました。

「世尊導師金剛體, 心行寂滅轉法輪,
八辯洪音為眾說, 時眾得道百億萬。
時六天人出家道, 成比丘眾菩薩行,
五忍功德妙法門, 十四正士能諦了,
三賢十聖忍中行, 唯佛一人能盡原,
佛眾法海三寶藏, 無量功德攝在中。
十善菩薩發大心, 長別三界苦輪海,
中下品善粟散王, 上品十善鐵輪王,
習種銅輪二天下, 銀輪三天性種性,
道種堅德轉輪王, 七寶金光四天下。
伏忍聖胎三十人, 十信十止十堅心,
三世諸佛於中行, 無不由此伏忍生。
一切菩薩行本原, 是故發心信心難,
若得信心必不退, 進入無生初地道,
教化眾生覺中行, 是名菩薩初發心。
善覺菩薩四天王, 雙照二諦平等道,
權化眾生遊百國, 始登一乘無相道。
入理般若名為住, 住生德行名為地,
初住一心足德行, 於第一義而不動。
離達開士忉利王, 現形六道千國土,
無緣無相第三諦, 無無無生無二照。
明慧空照炎天王, 應形萬國導群生,
忍心無二三諦中, 出有入無變化生。
善覺離明三道人, 能滅三界色煩惱,
還觀三界身口色, 法性第一無遺照。
炎慧妙光大精進, 兜率天王遊億國,
實智緣寂方便道, 達無生照空有了。
勝慧三諦自達明, 化樂天王百億國,
空空諦觀無二相, 變化六道入無間。
法現開士自在王, 無二無照達理空,
三諦現前大智光, 照千億土教一切。
焰勝法現無相定, 能洗三界迷心惑,
空慧寂然無緣觀, 還觀心空無量報。
遠達無生初禪王, 常萬億土教眾生,
未度報身一生在, 進入等觀法流地。
始入無緣金剛忍, 三界報形永不受,
觀第三義無二照, 二十一生空寂行。
三界愛習順道定, 遠達正士獨諦了,
等觀菩薩二禪王, 變生法身無量光。
入百恒土化一切, 圓照三世恒劫事,
返照樂虛無盡原, 於第三諦常寂然。
慧光開士三禪王, 能於千恒一時現,
常在無為空寂行, 恒沙佛藏一念了。
灌頂菩薩四禪王, 於億恒土化群生,
始入金剛一切了, 二十九生永已度。
寂滅忍中下忍觀, 一轉妙覺常湛然,
等慧灌頂三品士, 除前餘習無明緣。
無明習相故煩惱, 二諦理窮一切盡,
圓智無相三界王, 三十生盡等大覺。
大寂無為金剛藏, 一切報盡無極悲,
第一義諦常安隱, 窮原盡性妙智存。
三賢十聖住果報, 唯佛一人居淨土,
一切眾生暫住報, 登金剛原居淨土。
如來三業德無極, 我今月光禮三寶,
法王無上人中樹, 覆蓋大眾無量光。
口常說法非無義, 心智寂滅無緣照,
人中師子為眾說, 大眾歡喜散金華。
百億萬土六大動, 含生之類受妙報,
天尊快說十四王, 是故我今略歎佛。」

世尊、導師、金剛の体、 心の行いは寂滅し、法輪を転ず。 八つの弁舌、洪音をもって衆生のために説き、 時に衆、道を得ること百億万。

時に六天の人、出家の道に入り、 比丘の衆となり菩薩の行を行う。 五忍の功徳、妙なる法門、 十四の正士、よく諦らかに了知す。 三賢十聖、忍の中を行い、 ただ仏一人のみ、能く源を尽くす。 仏衆の法海、三宝の蔵、 無量の功徳、中に摂めらる。

十善の菩薩、大心を発し、 長く三界の苦輪の海に別る。 中下品の善は粟散の王、 上品十善は鉄輪の王。 習種は銅輪、二天下、 銀輪は三天、性種の性。 道種堅徳は転輪王、 七宝金光、四天下。

伏忍は聖胎、三十人、 十信、十止、十堅心。 三世の諸仏、中に行い、 これより伏忍生ぜざるはなし。 一切の菩薩行の本原、 ここに発心、信心は難し。 もし信心を得れば必ず退せず、 無生の初地に入る。 衆生を教化し覚の中を行い、 是れを菩薩の初発心と名づく。

善覚菩薩は四天王、 二諦を双照し平等の道。 権に衆生を化し百国に遊び、 始めて一乗の無相道に登る。 理に入る般若を住と名づけ、 住に生ずる德行を地と名づく。 初住の一心、德行足り、 第一義に於いて動ぜず。

離達開士は忉利の王、 六道に形を現し千の国土。 無縁無相の第三諦、 無無無生、二なく照らす。 明慧空照は炎天王、 万国に応形し群生を導く。 忍心に二三なく、三諦の中にあり、 有を出で無に入り、変化して生ず。

善覚離明の三道人、 能く三界の色煩悩を滅す。 還って三界の身口の色を観じ、 法性第一、遺すところなく照らす。 炎慧妙光は大精進、 兜率天王、億国に遊ぶ。 実智、縁寂、方便の道、 無生を達し空有を照らして了す。

勝慧は三諦自ら達明、 化楽天王、百億の国。 空空諦観、二相なく、 六道を変化し無間に入る。 法現開士は自在の王、 二なく照らずして理の空を達す。 三諦現前、大智の光、 千億の土を照らし一切を教う。

焰勝法現は無相の定、 能く三界の迷心の惑を洗う。 空慧寂然、無縁の観、 還って心の空を観じ無量の報を受く。 遠達無生は初禅の王、 常に万億の土にして衆生を教う。 未だ度せざる報身、一生に在り、 等観の法流の地に入る。

始めて無縁の金剛忍に入り、 三界の報形を永く受けず。 第三の義を観じ二なく照らし、 二十一生、空寂の行。 三界の愛習、順道の定、 遠達正士は独り諦らかに了知す。 等観菩薩は二禅の王、 法身を変生し無量の光。 百恒の土に入り一切を化し、 三世の恒劫の事を円照す。 楽虚を返照し尽きざる原、 第三諦に於いて常に寂然たり。

慧光開士は三禅の王、 能く千恒に於いて一時に現じ、 常に無為空寂の行に在り、 恒沙の仏蔵を一念に了す。 灌頂菩薩は四禅の王、 億恒の土に於いて群生を化す。 始めて金剛に入り一切を了し、 二十九生を永く已に度す。

寂滅忍の中、下忍の観、 一転して妙覚、常に湛然たり。 等慧灌頂の三品の士、 前の余習、無明の縁を除く。 無明の習相、故に煩悩あり、 二諦の理窮まり一切尽く。 円智無相は三界の王、 三十生尽きて等しく大覚す。

大寂無為は金剛蔵、 一切の報尽きて無極の悲。 第一義諦、常に安隠、 窮原尽性、妙智存す。 三賢十聖は果報に住し、 ただ仏一人のみ浄土に居す。 一切の衆生は暫く報に住し、 金剛の原に登り浄土に居す。

如来の三業、徳極まりなく、 我今月光、三宝に礼す。 法王無上、人中の樹、 大衆を覆い無量の光。 口常に法を説くも無義に非ず、 心智寂滅、無縁に照らす。 人中の師子、衆のために説き、 大衆歓喜して金華を散ず。 百億万の土、六大動き、 含生の類、妙報を受く。 天尊快く十四王を説く、 是の故に我今略く仏を歎ず。

時諸大眾聞月光王歎十四王無量功德藏,得大法利,即於坐中,有十恒河沙天王,十恒河沙梵王,十恒河沙鬼神王,乃至三趣得無生法忍;八部阿須輪王現轉鬼身,天上受道,三生入正位者,或四生五生乃至十生得入正位,證聖人性,得一切無量報。

その時、大勢の聴衆は月光王が十四人の王たちの無量の功徳蔵を称賛するのを聞き、大いなる法の利益を得ました。その座の中から、十恒河沙の天王、十恒河沙の梵王、十恒河沙の鬼神王、さらには三界の衆生までもが無生法忍を得ました。八部衆の阿修羅王たちは鬼の身を転じて天上で道を受け、三生で正位に入る者、あるいは四生、五生、さらには十生を経て正位に入り、聖人の性を証し、あらゆる無量の果報を得たのです。

佛告諸得道果實天眾:「善男子!是月光王已於過去十千劫中,龍光王佛法中,為四住開士,我為八住菩薩。今於我前大師子吼。如是,如是!如汝所言,得真義說,不可思議,不可度量,唯佛與佛,乃知斯事。

仏は、悟りの果実を得た天の衆生たちに告げられた。

「善き男子よ。月光王は、すでに過去十千劫の昔、龍光王仏の教えの中で四住の開士(菩薩)であり、私は八住の菩薩であった。今、彼は私の前で大師子吼をあげた。その通りだ、その通りだ。あなたがたの言うとおり、彼は真実の義を説き、それは思議を超え、はかり知れない。ただ仏と仏のみが、このことを知ることができるのだ。」

「善男子!其所說十四般若波羅蜜,三忍地地上中下三十忍,一切行藏一切佛藏不可思議。何以故?一切諸佛是中生,是中滅,是中化,無生無滅無化,無自無他,第一無二,非化非不化,非相非無相,無來無去,如虛空故。一切眾生無生無滅,無縛解,非因非果,非不因果,煩惱我人知見受者我所者,一切苦受行空故。一切法集,幻化五陰,無合無散,法同法性,寂然空故。法境界空,空、無相,不轉、不顛倒、不順幻化,無三寶、無聖人、無六道,如虛空故。般若無知無見,不行不緣,不因不受,不得一切照相故,行道斯行道相如虛空故。法相如是,何可有心得、無心得?是以般若功德,不可眾生中行而行,不可五陰法中行而行,不可境中行而行,不可解中行而行。是故般若不可思議,而一切諸佛菩薩於中行,故亦不可思議。一切諸如來於幻化無住法中化,亦不可思議。

善男子よ、その説くところの十四の般若波羅蜜、三忍と地地上中下の三十忍、一切の行蔵、一切の仏蔵は、思議を超えています。なぜなら、一切の諸仏はここから生まれ、ここで滅し、ここで教化されるが、実は生も滅も教化もなく、自も他もなく、第一であり二つがなく、化すものでも化さないものでもなく、相があってもなく、来ることも去ることもなく、虚空の如きものだからです。

一切の衆生も、生も滅もなく、縛られることも解かれることもなく、因でも果でもなく、因果でないわけでもありません。煩悩、我、人、知見、受ける者、我が所有する者、一切の苦しみを受ける行いは、空なるがゆえです。

一切の法は集まり、幻の如き五陰は、集まることも散じることもなく、法は法性と同じく、寂然として空なるがゆえです。法の境界は空であり、空であり相なく、転ずることもなく、顛倒することもなく、幻化に順ずることもなく、三宝もなく、聖人もなく、六道もなく、虚空の如きがゆえです。

般若は知らず見ず、行わず縁取らず、因とせず受けず、一切の相を捉えることを得ません。道を行ずるこの行道の相は、虚空の如きがゆえです。法の相はこのようであるならば、どうして心を得たり、心を得なかったりすることがありましょうか。

それゆえ、般若の功徳は、衆生の中で行じるべきでないのに行じ、五陰の法の中で行じるべきでないのに行じ、境界の中で行じるべきでないのに行じ、解き放たれる中で行じるべきでないのに行じます。ですから、般若は思議を超えており、一切の諸仏菩薩がその中を行じることもまた、思議を超えています。

一切の諸如来が、幻化の如き住むことなき法の中で教化されることもまた、思議を超えているのです。

「善男子!此功德藏,假使無量恒河沙第十三灌頂開士說是功德,百千億分中,如王所說如海一渧。我今略述分義功德,有大利益一切眾生,亦為過去來今無量諸如來之所述可。三賢十聖讚歎無量,是月光王分義功德。

善きかな、善男子よ。この功徳の宝庫は、たとえ無量の恒河の砂の数ほどの第十三灌頂の開士たちがその功徳を説いたとしても、百千億分の中の、王が説かれた大海の一滴にも及ばない。私は今、その分義功徳を簡略に述べるが、それはすべての衆生に大いなる利益をもたらし、また過去・未来・現在の無量の如来たちによっても認められ、称賛されるものである。三賢十聖も限りなく讃嘆する、これが月光王の分義功徳である。

「善男子!是十四法門,三世一切眾生、一切三乘、一切諸佛之所修集,未來諸佛亦復如是。若一切諸佛菩薩不由此門得薩婆若者,無有是處。何以故?一切佛及菩薩無異路故。是故一切諸善男子,若有人聞諸忍法門:信忍、止忍、堅忍、善覺忍、離達忍、明慧忍、焰慧忍、勝慧忍、法現忍、遠達忍、等覺忍、慧光忍、灌頂忍、圓覺忍者,是人超過百劫千劫無量恒河沙生生苦難,入此法門,現身得報。」

善男子よ、この十四の法門は、三世のすべての衆生、すべての三乗、すべての諸仏が修め集めたものであり、未来の諸仏もまた同じです。もし一切の諸仏菩薩がこの門を通らずに一切智を得たならば、それはありえないことです。なぜなら、一切の仏と菩薩には別の道はないからです。ですから、すべての善男子よ、もし人が諸々の忍法門――信忍、止忍、堅忍、善覚忍、離達忍、明慧忍、焔慧忍、勝慧忍、法現忍、遠達忍、等覚忍、慧光忍、灌頂忍、円覚忍――を聞いて、この法門に入るならば、その人は百劫、千劫、無量の恒河沙の生々世々の苦難を超え、現世においてその報いを得るでしょう。

時諸眾中有十億,同名虛空藏海菩薩,歡喜法樂,各各散華於虛空中,變成無量華臺,上有無量大眾,說十四正行。十八梵、六欲天王,亦散寶華,各坐虛空臺上,說十四正行,受持讀誦,解其義理。無量諸鬼神,現身修行般若波羅蜜。

その時、十億の虚空蔵海菩薩という同名の菩薩たちが、法の喜びに満ちて、それぞれ虚空に花を散らすと、無量の花の台となり、その上には無量の大衆がいて、十四の正しい行いを説いていました。十八梵天や六欲天の王たちも宝の花を散らし、それぞれ虚空の台上に座り、十四の正しい行いを説き、それを授け持ち、読み誦し、その意味を理解していました。無量の鬼神たちも姿を現し、般若波羅蜜を修行していました。

佛告大王:「汝先言:『云何眾生相可化?』若以幻化身見幻化者,是菩薩真行化眾生。眾生識初一念識異木石,生得善、生得惡,惡為無量惡識本,善為無量善識本。初一念金剛終一念,於中生不可說不可說識,成眾生色心是眾生根本。色名色蓋,心名識蓋、想蓋、受蓋、行蓋。蓋者陰覆為用,身名積聚。

仏は大王に告げました。「あなたが先に『どうすれば衆生を教化できるのか』とお尋ねになりました。もし幻の身をもって幻の者を見るならば、これが菩薩の真実の衆生教化の行いです。衆生の識は、最初の一念の識が木石とは異なり、生まれながらに善を得、生まれながらに悪を得ます。悪は無量の悪しき識の根本となり、善は無量の善き識の根本となります。最初の一念は金剛の如く、最後の一念に至るまで、その中に言い尽くせないほどの識が生じ、衆生の色(肉体)と心を形成します。これが衆生の根本です。色とは色蓋(肉体の覆い)を指し、心とは識蓋(認識の覆い)、想蓋(表象の覆い)、受蓋(感受の覆い)、行蓋(形成力の覆い)を指します。蓋とは陰り覆う働きを意味し、身とは積み重なったものを指します。」

「大王!此一色法生無量色:眼所得為色,耳所得為聲,鼻所得為香,舌得為味,身得為觸,堅持名地,水名潤,火名熱,輕動名風;生五識處名根。如是一色一心有不可思議色心。

大王よ、この一つの色法から無量の色が生じるのです。眼が捉えるものを色とし、耳が捉えるものを声とし、鼻が捉えるものを香とし、舌が捉えるものを味とし、身が捉えるものを触とします。堅く支えるものを地と名付け、潤いを与えるものを水と名付け、熱を帯びるものを火と名付け、軽やかに動くものを風と名付けます。五識が生じる場所を根と名付けます。このように、一つの色、一つの心の中に、計り知れないほどの色と心が存在するのです。

「大王!凡夫六識麤故,得假名青黃方圓等無量假色法;聖人六識淨故,得實法色香味觸一切實色法。眾生者,世諦之名也。若有若無,但生眾生憶念,名為世諦。世諦假誑幻化故有,乃至六道幻化,眾生見幻化,幻化見幻化,婆羅門、剎利、毘舍、首陀,神我等色心,名為幻諦,幻諦法無。佛未出世前,無名字,無義名;幻法幻化,無名字,無體相,無三界名字,無善惡果報六道名字。

大王よ、凡夫の六識は粗雑であるため、仮の名である青・黄・方・円など、無数の仮の色法を得る。聖人の六識は清浄であるため、実法である色・香・味・触など、一切の実色法を得る。

「衆生」とは、世諦(世俗の真理)における名称に過ぎません。存在するかしないかに関わらず、ただ衆生の心に思い起こされるものを、世諦と呼ぶのです。世諦は偽りであり、幻のように変化するものゆえに存在する。六道の幻化に至るまで、衆生が幻化を見、幻化が幻化を見る。バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、アートマン(我)など、色と心のすべてが幻諦と呼ばれ、幻諦の法は実在しません。

仏がこの世に現れる前には、名もなく、意味も名称もありませんでした。幻の法は幻のように変化し、名もなく、形もなく、三界の名称もなく、善悪の果報や六道の名称もなかったのです。

「大王!是故佛佛出現於世,為眾生故,說作三界六道名字。是名無量名字,如空法、四大法、心法、色法。相續假法,非一非異,一亦不續,異亦不續,非一非異故,名相續諦。相待假法,一切名相待,亦名不定相待,如五色等法,有無一切等法。一切法皆緣成,假成眾生,俱時因果,異時因果,三世善惡,一切幻化,是幻諦眾生。

大王よ、それゆえに仏々が世に現れ、衆生のために、三界六道の名を説かれたのです。これは無量の名と呼ばれ、虚空の法、四大の法、心の法、色の法のようなものです。

相続仮の法は、一でもなく異でもなく、一としても続かず、異としても続きません。一でもなく異でもないゆえに、相続諦と名づけられます。

相待仮の法は、すべての名が互いに待ち合うもので、不定相待とも呼ばれます。例えば五色などの法、有無などの一切の法がそうです。

すべての法は縁によって成り立ち、仮に衆生を成します。同時の因果、異時の因果、三世の善悪、一切の幻化、これらは幻諦の衆生なのです。

「大王!若菩薩如上所見眾生幻化,皆是假誑,如空中華,十住菩薩諸佛五眼,如幻諦而見,菩薩化眾生為若此。」

大王よ、もし菩薩が先に述べたように、すべての衆生が幻のように変化するものと見るならば、それはすべて仮のものであり、空に浮かぶ花のようなものなのです。十住の菩薩や諸仏の五眼もまた、幻の真実として見るのです。菩薩が衆生を教化するのも、まさにこのようなものなのです。

說此法時,有無量天子及諸大眾得伏忍者,得空無生忍,乃至一地十地不可說德行。

この教えが説かれた時、無数の天子と大勢の人々が、煩悩を抑える境地を得、空と無生の境地を悟り、さらには第一地から第十地に至る、言葉では表せないほどの徳行を成就しました。


2 觀空品
4 二諦品

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