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title: "正法念處經 · 1"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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### 觀天品第六之四三十三天初

> 観天品第六の四

「復次，比丘觀於持戒，若有離於持戒智慧，不得生天。彼以聞慧見：持戒者生於天中，受天快樂。以有智故，命終退時，不墮惡道。以何等戒、有幾種戒，生於天中？以何相生？見七種戒化生天中，有上中下：不殺生戒，生四天王處；不殺、不盜，生三十三天；不殺、不盜、不行邪婬，生夜摩天；不殺、不盜、不邪婬、不妄語，不兩舌、惡口、綺語，生兜率陀天；受世間戒，信奉佛戒，不殺、不盜、不邪婬，不妄語、兩舌、惡口、綺語，生化樂天，他化自在天亦如是。比丘如是觀於戒業繫諸眾生，上生天中。

> また、比丘は戒律を守ることについて観察する。もし戒律を守る智慧から離れているならば、天界に生まれることはできない。彼は聞き、智慧によって見るのである：戒律を守る者は天界に生まれ、天の楽しみを受ける。智慧があるがゆえに、命が終わり退く時も、悪しき世界に堕ちることはない。どのような戒律が、いくつの種類の戒律が、天界に生まれることになるのか。どのような相をもって生まれるのか。七種類の戒律が、天界に化生するのを見る。上・中・下がある：殺生しない戒律は、四天王の住処に生まれる。殺生せず、盗みもしない戒律は、三十三天に生まれる。殺生せず、盗まず、邪淫を行わない戒律は、夜摩天に生まれる。殺生せず、盗まず、邪淫せず、妄語をせず、両舌・悪口・綺語をしない戒律は、兜率陀天に生まれる。世間の戒律を受け、仏の戒律を信奉し、殺生せず、盗まず、邪淫せず、妄語・両舌・悪口・綺語をしない戒律は、化楽天に生まれる。他化自在天もまた同様である。比丘はこのように、戒律の業によって縛られたすべての衆生が、天界に上って生まれることを観察するのである。

「云何持戒？生於何處？彼以聞慧見：此眾生受不殺戒，生四天處，身量、色力、富命第一。若受不殺、不盜戒，生三十三天，身量、色力、富命轉勝。若受不殺、不盜、不婬，親近修習，生夜摩天，身量、色力、富命轉勝。信智勝故，生兜率陀天，身量、色力、富命轉勝。不殺、不盜、不邪婬，不妄語、兩舌、惡口、綺語，生化樂天，身量、色力、受樂富命轉勝於前。受持不殺、不盜、不邪婬，不妄語、兩舌、惡口、綺語，生於他化自在天中，身量、色力、壽命、富樂勝於餘天。非魔波旬自在所使，亦不使魔。

> 戒めをどのように保つのでしょうか。どのような場所に生まれるのでしょうか。彼は聞くことと智慧によって見ます。この衆生は殺生をしない戒めを受け、四天王天に生まれます。身の丈、色つや、力、富、寿命は第一です。もし殺生をしない、盗みをしない戒めを受けるなら、三十三天に生まれます。身の丈、色つや、力、富、寿命はさらに勝れます。もし殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしない戒めを受け、親しく修習するなら、夜摩天に生まれます。身の丈、色つや、力、富、寿命はさらに勝れます。信と智が勝れているため、兜率天に生まれます。身の丈、色つや、力、富、寿命はさらに勝れます。殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしない、嘘をつかない、二枚舌を使わない、悪口を言わない、綺語を言わないなら、化楽天に生まれます。身の丈、色つや、力、楽しみを受けること、富、寿命は前に勝ります。殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしない、嘘をつかない、二枚舌を使わない、悪口を言わない、綺語を言わない戒めを受け持つなら、他化自在天に生まれます。身の丈、色つや、力、寿命、富、楽しみは他の天に勝ります。魔王波旬の自在によって使われることもなく、また魔を使うこともありません。

「復次，比丘知業果報，觀微細因生於天上。彼見：思心為勝戒因，上中下戒，生六欲天，心勝業勝，生於六天，以心勝故生處亦勝。

> さらにまた、比丘は業とその果報を知り、天上に生まれる微細な因を観る。彼は見る：思う心が優れた戒の因となり、上・中・下の戒が六欲天に生まれる。心が勝れ、業が勝れることによって、六天に生まれる。心が勝れているゆえに、生まれる処もまた勝れているのである。

「復次，比丘觀戒幾種？彼見世間有二種戒：一者自生；二者從他。自生者，自性能持；從他者，和合而生。復有二種戒：一者在家；二者出家。在家戒者，所謂五戒；出家戒者，持解脫戒。復有二種戒，謂一行戒，非一行戒。一行者，所謂一戒；非一行者，或受二戒，或持三戒。復有二種：一者久時；二、不久時。久時者，盡形護戒；不久時者，隨心所要，隨力持戒。復有二種：一者有垢；二者無垢。有垢戒者，生於天中；無垢戒者，至於涅槃。復有二種戒：一者世間戒；二者出世間戒。世間戒者則有流動，出世間戒則無流動。復有二種戒：一者自護；二者護他。自持戒者，名曰自護；他護者，令他住於世間染戒。復有二種：一者止；二者作。作者，成就諸行，轉於生死；止者，知因知緣而不進學。復有二種：一者智攝；二者施攝。布施攝戒，得大富樂；智所攝戒，得至涅槃。復有二種：一者內行；二者外行。外行者，依於淨身；內行者，心口意淨。復有二種：一者修習；二者不習。修習者，已於無量世來修習；不習者，一世持戒。如是比丘觀如是等無量二戒。

> さらに、比丘は戒律にはいくつかの種類があるかを観察する。彼は世の中に二種類の戒律があるのを見る：一つは自ら生じるもの、もう一つは他から得るものである。自ら生じるものとは、自らの本性によって保たれるものであり、他から得るものとは、和合によって生じるものである。 また二種類の戒律がある：一つは在家の戒律、もう一つは出家の戒律である。在家の戒律とは、いわゆる五戒であり、出家の戒律とは、解脱の戒律を保つことである。 さらに二種類の戒律がある：一つは一行戒、もう一つは非一行戒である。一行戒とは、いわゆる一つの戒律であり、非一行戒とは、二つの戒律を受けるか、あるいは三つの戒律を保つものである。 また二種類がある：一つは長期間のもの、もう一つは短期間のものである。長期間のものとは、生涯にわたって戒律を守ること、短期間のものとは、心の求めに応じて、力に応じて戒律を保つことである。 さらに二種類がある：一つは垢のあるもの、もう一つは垢のないものである。垢のある戒律は天界に生まれるが、垢のない戒律は涅槃に至る。 また二種類の戒律がある：一つは世間の戒律、もう一つは出世間の戒律である。世間の戒律は流動があるが、出世間の戒律には流動がない。 さらに二種類の戒律がある：一つは自らを護るもの、もう一つは他を護るものである。自ら戒律を保つことは自らを護ることであり、他を護ることは、他を世間の染まった戒律に住まわせることである。 また二種類がある：一つは止めること、もう一つは行うことである。行うことは諸行を成就し、生死を転ずることである。止めることは、因と縁を知りながら進んで学ばないことである。 さらに二種類がある：一つは智慧によって摂められるもの、もう一つは布施によって摂められるものである。布施によって摂められる戒律は大いなる富と楽しみを得、智慧によって摂められる戒律は涅槃に至る。 また二種類がある：一つは内なる行い、もう一つは外なる行いである。外なる行いは清浄な身に依り、内なる行いは心と言葉と思いが清浄であることである。 さらに二種類がある：一つは修習するもの、もう一つは修習しないものである。修習するものは無量の世から修習してきたものであり、修習しないものは一世だけ戒律を保つものである。 このように、比丘はこのような無量の二種類の戒律を観察するのである。

「復次，比丘觀微細戒，有幾種戒？比丘觀戒復有三種：一者少分戒；二者多分戒；三者盡受戒。少分戒者，持於一戒；多分戒者，或持二、三；盡受戒者，持一切戒。復有三種：一者愛；二者不愛；三者自性愛。愛者，為財利故而受禁戒；不愛者，疾病故而受禁戒；自性者，自性淨行，此功德勝。復有三種戒：一者禪行戒；二者無禪戒；三者離惡戒。禪行戒者，修世間禪，乃至入於城邑聚落而常修禪；非禪戒者，離禪行戒；離惡戒者，恐遭眾惡，捨之不為，如人醉酒，行不善業，智人見之，斷酒不飲。復有三種戒：一者諂曲戒；二者不諂曲戒；三者性善戒。諂曲戒者，垢染不淨，得少果報；不諂曲戒者，得大果報；性善戒者，若心增上則得大果，若心劣弱其果則小。復有三種：一者因緣持；二、非因緣持；三者法不應作。因緣持者，有因緣故，護持禁戒；非因緣者，無緣持戒；不應作者，生於大姓所不應作，護種姓故。復次，從緣持戒者，為得佛故、以思勝故，其果則大；無緣持戒，其果則小，不識果故；不應作者，求世名故，其果亦小，生於人中。復有三種：一者畏師；二非畏師；三者畏於惡道。畏師持戒，名下持戒；非畏師持戒，名中持戒；若畏惡道，名上持戒。復有三種：一者自持戒而不教人；二者自行、教人；三者於他行捨。復有三種：一者缺戒；二者不缺戒；三者一切缺戒。缺戒者，初善持戒，後則破戒，是名缺戒；不缺戒者，初中後時常善持戒，是名不缺戒；一切缺戒者，會諸外道而受齋戒，邪見殺生，是名一切缺戒。

> さらにまた、比丘は微細な戒律を観察し、戒律にはいくつかの種類があるかを考えます。比丘が戒律を観察すると、さらに三種類があることがわかります。一つは少分戒、二つは多分戒、三つは尽受戒です。少分戒とは、一つの戒律を守ること。多分戒とは、二つか三つの戒律を守ること。尽受戒とは、すべての戒律を守ることです。 さらに三種類があります。一つは愛、二つは不愛、三つは自性愛です。愛とは、財産や利益を得るために戒律を受けること。不愛とは、病気などの理由で戒律を受けること。自性とは、本来清らかな行いをすることであり、この功徳は最も勝れています。 さらに三種類の戒律があります。一つは禅行戒、二つは無禅戒、三つは離悪戒です。禅行戒とは、世間の禅定を修め、町や村に入っても常に禅定を修めること。無禅戒とは、禅定の修行から離れた戒律。離悪戒とは、悪い行いを恐れてそれを避けることです。たとえば、酔って不善な行いをする人を見て、智者は酒を断ち飲まないようにするようなものです。 さらに三種類の戒律があります。一つは諂曲戒、二つは不諂曲戒、三つは性善戒です。諂曲戒とは、心が汚れ清らかでなく、わずかな果報しか得られないこと。不諂曲戒とは、大きな果報を得ること。性善戒とは、心が向上すれば大きな果報を得ますが、心が弱ければ果報も小さくなります。 さらに三種類があります。一つは因縁持、二つは非因縁持、三つは法不応作です。因縁持とは、何らかの理由があって戒律を守ること。非因縁持とは、理由なく戒律を守ること。不応作とは、高貴な家柄に生まれた者がしてはならないことを、家柄を守るために避けることです。 さらに、縁によって戒律を守る者は、仏になるため、あるいは優れた考えを持つために守り、その果報は大きいです。縁なく戒律を守る者は、果報が小さく、結果を理解していません。不応作とは、世間の名声を求めるためであり、その果報も小さく、人間に生まれる程度です。 さらに三種類があります。一つは師を畏れること、二つは師を畏れないこと、三つは悪道を畏れることです。師を畏れて戒律を守ることは、下の戒律と言えます。師を畏れずに戒律を守ることは、中の戒律と言えます。悪道を畏れて戒律を守ることは、上の戒律と言えます。 さらに三種類があります。一つは自分だけ戒律を守り、他人に教えないこと。二つは自分も行い、他人にも教えること。三つは他人の行いを捨てることです。 さらに三種類があります。一つは欠戒、二つは不欠戒、三つは一切欠戒です。欠戒とは、最初はよく戒律を守るが、後で破戒することであり、これを欠戒と言います。不欠戒とは、初めから終わりまで常によく戒律を守ることです。一切欠戒とは、外道と共に斎戒を受け、邪見で殺生を行うことであり、これを一切欠戒と言います。

「復次，比丘觀四種戒。何等為四？離口四過：一者妄語；二者兩舌；三者惡口；四者綺語。復有五種戒，止五境界，是名為五。復有六種因緣而持禁戒：一者畏他求便；二者畏於罰戮；三者怖畏；四者因緣；五者不觀；六者自性。復有七種戒，謂身三戒，口有四戒。比丘如是觀無量持戒，眾生畏於惡道，持戒能度。如是持戒略說二種：一者世間；二者出世間。

> さらに、比丘は四種の戒律を観察する。それは何か。口による四つの過ちを離れることである。一つは妄語、二つは両舌、三つは悪口、四つは綺語である。さらに五種の戒律があり、五つの境界を止めることを五戒という。また、六つの因縁によって禁戒を保つ。一つは他者からの非難を恐れるため、二つは罰や殺害を恐れるため、三つは恐怖のため、四つは因縁のため、五つはよく観察しないため、六つは自性のためである。さらに七種の戒律があり、それは身に関する三つの戒律と、口に関する四つの戒律である。比丘はこのように無量の戒律を観察し、衆生は悪道を恐れて戒律を保ち、それによって渡ることができる。このように戒律を保つことは、大まかに二つに分けられる。一つは世間の戒律、二つは出世間の戒律である。

「如是比丘觀四天王天已，觀三十三天所住之地及觀業行。以何業故生三十三天？彼以聞慧見：三十三天所住之地，何等三十三？一者名曰住善法堂天；二者名住峯天；三者名住山頂天；四者名善見城天；五者名鉢私地天；六者名住俱吒天俱吒者山名也；七者名雜殿天；八者名住歡喜園天；九者名光明天；十者名波利耶多樹園天；十一者名險岸天；十二者名住雜險岸天；十三者名住摩尼藏天；十四者名旋行地天；十五者名金殿天；十六者名鬘影處天；十七者名住柔軟地天；十八者名雜莊嚴天；十九者名如意地天；二十者名微細行天；二十一者名歌音喜樂天；二十二者名威德輪天；二十三者名月行天；二十四者名閻摩娑羅天；二十五者名速行天；二十六者名影照天；二十七者名智慧行天；二十八者名眾分天；二十九者名住輪天；三十者名上行天；三十一者名威德顏天；三十二者名威德焰輪天；三十三者名清淨天。

> このように比丘は四天王天を観じた後、三十三天の住む地と、その業行を観じます。どのような業によって三十三天に生まれるのか？彼は聞慧によって見る：三十三天の住む地とは、どのような三十三か？第一は善法堂天に住む者、第二は峯天に住む者、第三は山頂天に住む者、第四は善見城天に住む者、第五は鉢私地天に住む者、第六は俱吒天に住む者<note>俱吒とは山の名である</note>、第七は雑殿天に住む者、第八は歓喜園天に住む者、第九は光明天に住む者、第十は波利耶多樹園天に住む者、第十一は険岸天に住む者、第十二は雑険岸天に住む者、第十三は摩尼蔵天に住む者、第十四は旋行地天に住む者、第十五は金殿天に住む者、第十六は鬘影処天に住む者、第十七は柔軟地天に住む者、第十八は雑荘厳天に住む者、第十九は如意地天に住む者、第二十は微細行天に住む者、第二十一は歌音喜楽天に住む者、第二十二は威徳輪天に住む者、第二十三は月行天に住む者、第二十四は閻摩娑羅天に住む者、第二十五は速行天に住む者、第二十六は影照天に住む者、第二十七は智慧行天に住む者、第二十八は衆分天に住む者、第二十九は住輪天に住む者、第三十は上行天に住む者、第三十一は威徳顔天に住む者、第三十二は威徳焰輪天に住む者、第三十三は清浄天に住む者。

「如是三十三天，比丘觀於微細業之果報，持戒善業，集何等業生於善道？善業因緣，得善果報，樂報處生。彼以聞慧，聞佛說法，非外道法。彼見：諸天所生之處，遊戲受樂不可稱說，帝釋天王之所擁護，住善法堂。外道說為常住不滅。初觀善法，次分別觀善修何戒，生善法堂？彼見聞知：若人持於七種之戒，不缺戒、不穿戒、不隟戒，堅固持戒不可譏嫌；布施修心，於福田中稱時而施，若施阿羅漢、若看病人、若父母、若阿那含、若斯陀含、若須陀洹、若起滅定、若道行人，行慈悲心歡喜捨與，於怖畏者，施其壽命。是人命終生善法殿，作釋迦提婆，姓憍尸迦，名能天主。有九十九那由他天女以為眷屬，恭敬圍遶供養帝釋，如一女人供給丈夫。諸天女等心無嫉妬，供養天后同奉帝釋，亦無妬心。

> このように三十三天において、比丘は微細な業の果報を観察し、戒律を守る善い行いについて考えます。どのような業を積めば善い世界に生まれるのでしょうか？善い業の縁によって、善い果報を得て、楽しい報いの場所に生まれるのです。彼は智慧によって聞き、仏の説かれた法を学びます。外道の教えではありません。彼は見ます：諸天の生まれるところで、遊び楽しみを受ける様子は言葉では言い尽くせません。帝釈天王に守られ、善法堂に住んでいます。外道はこれを常住不滅であると説きます。まず善法を観察し、次にどのような戒律を善く修めれば善法堂に生まれるかを分別して観ます。彼は見聞して知ります：もし人が七種類の戒律を守り、戒を欠かさず、戒を破らず、戒に隙間なく、堅固に戒律を守って非難されることがなく、布施を修め心を養い、福田において時宜にかなって施しを行い、もし阿羅漢に施し、病人を看護し、父母を養い、阿那含、斯陀含、須陀洹に施し、滅定を起こし、道を行く人に慈悲の心をもって喜んで施し与え、恐怖に陥っている者にはその寿命を施す。このような人は命終わって善法殿に生まれ、釈迦提婆となり、姓は憍尸迦、名は能天主となります。九十九那由他の天女が眷属として、恭敬して取り囲み帝釈を供養します。あたかも一人の女性が夫を支えるように。諸天女たちは心に嫉妬がなく、天后を供養し共に帝釈に仕えても、やはり嫉妬心がありません。

「其善法殿廣五百由旬，毘琉璃珠以為欄楯，珊瑚為柱，頗梨車𤦲馬瑙莊嚴，閻浮檀金而為殿壁，如融金色。其床皆以金剛摩尼、赤蓮華珠、青珠玉寶以為莊嚴。其諸蓮華，金剛為鬚，真金為莖，清淨華池以為莊嚴。復有眾鳥，毘琉璃翅，赤蓮華珠以為其嘴，青因陀寶以為其身，遍滿池中。其池四岸，青摩尼華、摩尼布地。復有眾鳥，青因陀寶以為其足，車𤦲為嘴，珊瑚為眼，充滿池中。其池復有眾鳥，具足其身皆如閻浮檀金，珊瑚為翅，因陀羅寶以為其眼。復有浴池，眾蜂莊嚴，其蜂色相如毘琉璃，莊嚴浴池。

> その善法殿は広さ五百由旬、瑠璃の珠で欄干を造り、珊瑚を柱とし、水晶の車𤦲と瑪瑙で飾り、閻浮檀金を壁として、溶けた金色のようである。その床はすべて金剛摩尼、赤蓮華珠、青珠玉宝で飾られている。その蓮華は、金剛を蕊とし、純金を茎とし、清らかな華の池で飾られている。また多くの鳥がおり、瑠璃の翼を持ち、赤蓮華珠を嘴とし、青い因陀宝を体として、池中に満ちている。その池の四つの岸には、青摩尼華があり、摩尼が地を敷いている。また多くの鳥がおり、青い因陀宝を足とし、車𤦲を嘴とし、珊瑚を目として、池中に満ちている。その池にはさらに多くの鳥がおり、全身が閻浮檀金のように輝き、珊瑚の翼を持ち、因陀羅宝を目としている。また浴池があり、多くの蜂で飾られ、その蜂の姿色は瑠璃のようで、浴池を飾っている。

「其善法堂有十大華池。何等為十？一名難陀蓮華池；二名摩訶難陀蓮華池；三名歡喜蓮華池；四名大歡喜蓮華池；五名遊戲蓮華池；六名正憶念蓮華池；七名一切義蓮華池；八名正分別蓮華池；九名如意樹蓮華池；十名因陀羅覆處自在大光明蓮華池。是為十種大蓮華池，以用莊嚴天善法堂。復有其餘蓮華林池，其華清淨，白銀為莖，真金為鬚，琉璃為葉，金剛為臺。復有蓮華，金剛為莖，雜色為葉，一一華葉如赤寶華、如毘琉璃、有如車𤦲、有如金色，有如是等雜色蓮葉，或有百葉、有二百葉乃至千葉，種種色華各各差別，以為莊嚴。釋迦天王善法殿堂，其蓮華中多有眾鳥——常欲之鳥、一切行鳥、常音聲鳥。若天帝釋與諸天女入蓮華池娛樂遊戲，鳥亦遊戲；天奏音樂，鳥亦發聲。復有眾鳥，名欲放逸，若天帝釋遊於華池，鳥亦遊戲，如天女身。復有眾鳥名曰遊行，於華池岸，口銜華鬚，遍於池側，舞弄遊戲，出妙音聲。釋迦天王有如是等勝蓮華池。

> その善法堂には、十の大きな蓮華の池があります。どのような十の池かというと、第一に難陀蓮華池、第二に摩訶難陀蓮華池、第三に歓喜蓮華池、第四に大歓喜蓮華池、第五に遊戯蓮華池、第六に正憶念蓮華池、第七に一切義蓮華池、第八に正分別蓮華池、第九に如意樹蓮華池、第十に因陀羅覆処自在大光明蓮華池です。これらが十種の大蓮華池であり、天の善法堂を荘厳するために用いられています。 さらに、ほかにも蓮華の林や池があり、その華は清らかで、白銀が茎、真金が鬚（めしべ）、瑠璃が葉、金剛が台となっています。また別の蓮華は、金剛が茎で、様々な色の葉を持ち、一つ一つの華や葉は、赤い宝の華のようであり、瑠璃のようであり、車𤦲（瑪瑙）のようであり、金色のようであり、このような様々な色の蓮の葉があります。あるものは百枚の葉、あるものは二百枚、さらには千枚の葉を持ち、種々の色の華がそれぞれに異なり、荘厳をなしています。 釈迦天王の善法殿堂には、その蓮華の中に多くの鳥たちがいます――常に楽しみを求める鳥、あらゆる行動をする鳥、常に音声を出す鳥です。もし天帝釈が天女たちと蓮華の池に入り、娯楽や遊戯を楽しむときには、鳥たちもまた遊戯をし、天が音楽を奏でれば、鳥たちもまた声を発します。また、欲放逸という名の鳥たちがおり、もし天帝釈が華の池で遊ぶときには、鳥たちもまた遊戯をし、天女たちの身のようになります。さらに、遊行という名の鳥たちがおり、華の池の岸辺で、口に華の鬚をくわえ、池の側を巡り、舞い遊びながら、妙なる音声を発します。釈迦天王には、このような優れた蓮華の池があるのです。

「復次，比丘觀天帝釋善業所化。彼見：華池真金為魚，或白銀魚、毘琉璃魚，赤蓮華寶以為其翼，車𤦲為目——若瞋恚時如赤蓮花，種種雜寶以為鱗鮔或七寶翅，遊戲受樂於蓮花池。

> また、比丘は天帝釈の善業によって生み出されたものを見つめます。彼は見ます――華池に、真金でできた魚、あるいは白銀の魚、毘瑠璃の魚がいて、赤蓮華の宝がその翼となり、車𤦲が目となっています。もし瞋恚の時には、赤蓮華のようであり、さまざまな雑宝が鱗や鰭となり、あるいは七宝の翅を持ち、蓮華の池で遊び楽しんでいるのです。

「復次，比丘復觀帝釋蓮華林池。彼以聞慧觀蓮華池以何為地？彼以聞慧見：天帝釋真珠為沙以覆其地，或以銀沙、或以金沙、或毘琉璃以為其沙。如是種種雜色莊嚴，悉分別見。帝釋天王善業所化。

> さらに、比丘は帝釈天の蓮華の林と池を観察する。彼は聞く智慧によって、蓮華の池の地面は何でできているのかを見る。彼は聞く智慧によって見る：天帝釈の池は真珠の砂で地面を覆い、あるいは銀の砂、あるいは金の砂、あるいは瑠璃の砂でできている。このように様々な色で飾られ、すべてがはっきりと見える。これは帝釈天王の善い行いによって現れたものである。

「復次，比丘如是分別觀察地分。彼以聞慧見：彼波頭摩華之林，周匝皆以真金欄楯，或毘琉璃以為欄楯，或以白銀而為欄楯，真金羅網以覆其上，種種眾鳥出妙音聲遊戲池邊。復次，比丘知業果報，觀善法堂蓮華池中，其蓮華池眾蜂雜色出眾妙音，金色華中白銀色蜂，金剛為翅，其身柔軟；白銀蓮華，金色為蜂。如是種種眾蜂遊戲其中。如是善業成就種種果報。

> また、比丘はこのように分別して地の部分を観察する。彼は聞く智慧によって見る：その波頭摩華の林は、周囲に真金の欄干があり、あるいは毘瑠璃を欄干とし、あるいは白銀を欄干とし、真金の羅網がその上を覆い、さまざまな鳥たちが妙なる音声を出して池の辺りで遊んでいる。さらに、比丘は業の因果を知り、善法堂の蓮華池の中を観る。その蓮華池には、さまざまな色の蜂が集まり、妙なる音を響かせている。金色の華には白銀色の蜂がおり、金剛の翅を持ち、その身は柔らかい。白銀の蓮華には金色の蜂がいる。このように、さまざまな蜂がその中で遊んでいる。このような善い業が成就して、種々の果報が現れている。

「復次，比丘觀善法堂。彼以聞慧觀善法林釋迦天王，幾種園林？彼以聞慧見善法堂所有園林，一一觀察善法諸天。帝釋天王與諸天女在何等林遊戲受樂，五欲自娛？彼見：有林名天女遊戲，天樹華果皆悉具足，眾鳥充滿。樹名如意，隨天所念，悉從林生。若諸天眾遊戲林中，勝華開敷，天女入林，若近其樹，華即下垂，授諸天女。時諸天女，既取華已，枝條還舉。如是眾華色香相貌各各差別，隨其念生，故名意樹。若念音樂亦復如是，聞種種音，隨心所念，善業之風吹諸樹葉互相𢾊觸，其聲美妙如天樂音，故名意樹。復有無量憶念之樹，隨諸天女心之所念，莊嚴之具、天衣、天華隨念皆得，故名意樹。復有意樹毘琉璃色，真金莖葉，白銀為枝、毘琉璃葉；珊瑚為枝，或七寶葉，流出美味。復有意樹，若諸天女欲見帝釋，以善業故，即於此林見化帝釋，與之娛樂。此林功德，見化帝釋，如是林中，九十九那由他天女，一一天女各見與己共相娛樂，不見餘女與天主會。隨諸天女心念莊嚴，見帝釋身，即隨所念，故名意樹。如是林中無量欲樂，於此林中次第遊戲，至喜樂山。其山莊嚴，七寶所成，以金剛身巖崿莊嚴，真金樹枝彌覆周遍猶如宮殿，金銀青珠以為麞鹿莊嚴其山，多有眾鳥出妙音聲。其山有殿，名曰勝上，殿有千柱，其柱皆以金毘琉璃、青摩尼寶之所成就。金剛廁填，百千天宮猶如紅色，端嚴殊特，師子之座敷具柔軟。殿有千床，毘琉璃寶以為莊嚴。

> さらにまた、比丘は善法堂を観察する。彼は聞慧によって善法林の釈迦天王を観る。どのような種類の園林があるのか？彼は聞慧によって善法堂にあるすべての園林を見、一つひとつを観察して善法の諸天を知る。帝釈天王はどのような林で天女たちと共に遊戯し、楽しみを受け、五欲をもって自らを楽しませているのか？彼は見る：天女遊戯という名の林があり、天の樹木には花も実もすべて備わり、多くの鳥たちで満ちている。樹の名は如意といい、天の思いのままに、すべて林から生じる。もし諸天の衆が林の中で遊戯すれば、優れた花が開き、天女が林に入り、もしその樹に近づけば、花はすぐに垂れ下がり、諸天女に授ける。その時、諸天女は花を取ると、枝は再び上がる。このような多くの花は、色や香り、形がそれぞれ異なり、思いのままに生じるので、意樹という名がある。もし音楽を思っても同じであり、さまざまな音を聞き、心に思うままに、善業の風が諸々の樹の葉を吹き、互いに触れ合い、その声は美妙で天の楽の音のようであるので、意樹という名がある。さらに無量の憶念の樹があり、諸天女の心に思うままに、荘厳の具、天の衣、天の花を思いのままに得るので、意樹という名がある。さらに意樹は毘瑠璃色で、真金の茎と葉を持ち、白銀を枝とし、毘瑠璃を葉とする。珊瑚を枝とし、あるいは七宝の葉を持ち、美味しい味を流し出す。さらに意樹があり、もし諸天女が帝釈を見たいと思えば、善業の故に、この林の中で化現した帝釈を見て、彼と楽しむ。この林の功徳は、化現した帝釈を見ることである。このような林の中には、九十九那由他の天女がおり、一人一人の天女はそれぞれ自分だけが天主と共に楽しんでいるのを見て、他の女が天主と会うのを見ない。諸天女の心に荘厳を思うままに、帝釈の身を見れば、すぐに思いのままになるので、意樹という名がある。このような林の中には無量の欲楽があり、この林の中で次第に遊戯して、喜楽山に至る。その山は荘厳で、七宝によって成り、金剛の身で岩や峰を飾り、真金の樹の枝が周りを覆い尽くして宮殿のようであり、金銀や青珠を鹿のようにしてその山を飾り、多くの鳥たちが妙なる音声を出す。その山には勝上という名の殿があり、殿には千の柱があり、その柱はすべて金や毘瑠璃、青摩尼宝によって成し遂げられている。金剛で敷き詰められ、百千の天宮は紅色のようで、端正で殊勝であり、師子の座には敷物が柔らかである。殿には千の床があり、毘瑠璃宝によって飾られている。

「釋迦天王攻阿修羅軍，既得勝已，一切天眾皆懷歡喜，讚歎帝釋，共諸天女昇於此殿遊戲歌舞共相娛樂，隨其本業，各各自受上中下樂。既遊戲已，復入山中遊戲受樂，一心念欲。何以故？女人多欲，天欲勝故，天欲熾然。復詣一河，於其河中，上味飲食隨河而流，種種色香上味之飲充滿其中，若有飲者，離於醉亂。飲名歡喜，天女飲之，心大歡悅。復有美飲，名曰能觀，既得飲已，悉能遍觀一切天中所有園林、無量山障，一切皆見。復有天飲，名曰眾味，其飲甚多，飲之色力百倍增長。天女飲已，復入食地，以其自作上中下業，得如是報，種種色香美味具足。既飲食已，復往詣於音樂之地，遊戲山中，毘琉璃寶以為樂器，真金為絃，眾寶鼓音，馬瑙雜寶以為簫笛，諸天女眾無量音聲，如是無量無數音樂、乾闥婆音。諸天女眾遍身莊嚴，身諸樂具遊戲受樂，以自娛樂，歌樂音聲宮商和雅，音曲齊等，皆悉具足。為增欲樂，既作歌音，復往詣於鈴音之地。其地鈴網微風吹動，出於無量百千妙音，聞之歡喜歌舞戲笑，種種妙寶莊嚴其身。復往詣於眾鳥莊嚴蓮華之池，其池眾鳥，金銀雜寶以為莊嚴，天女入中遊戲受樂，各取金華而共遊戲，以華相散，心無嫉妬，種種遊戲，其聲美妙。八功德水，遊戲其中。

> 帝釈天が阿修羅軍を攻め、勝利を得た後、すべての天界の衆生は喜びに満ち、帝釈天を讃えながら、天女たちと共にこの宮殿に昇り、遊戯し、歌い、踊り、互いに楽しみました。それぞれの過去の行いに応じて、上・中・下の楽しみを受けました。遊戯を終えると、再び山中に入り、遊び楽しみ、一心に欲望を念じました。なぜなら、女性は欲望が多く、天界の欲望は特に強く、燃え盛るからです。また、ある川に赴くと、その川の中には上等の飲食が流れ、様々な色と香りの良い飲み物が満ちており、飲む者は酔いや乱れから離れます。その飲み物は「歓喜」と呼ばれ、天女たちが飲むと心は大いに喜びに満ちます。また、「能観」という美しい飲み物があり、飲むとすべての天界の園林や無数の山々をくまなく見渡すことができます。さらに「衆味」という天界の飲み物があり、その量は多く、飲むと色つやや力が百倍に増します。天女たちは飲み終えると、再び食事の場所に入り、自らが行った上・中・下の行いに応じて、様々な色と香り、美味しさを備えた報いを受けます。飲食を終えると、再び音楽の地へ赴き、山中で遊戯します。瑠璃の宝が楽器となり、純金が弦となり、様々な宝でできた太鼓の音、瑪瑙や雑宝で作られた簫や笛、無数の天女たちの声、これら無量無数の音楽や乾闥婆の音が響きます。天女たちは全身を飾り立て、様々な楽器で遊び楽しみ、自らを楽しませます。歌や音楽の音色は調和がとれ、旋律は整い、すべてが完璧です。欲望の楽しみを増すために歌を歌い終えると、再び鈴の音の地へ赴きます。その地には鈴の網が微風に揺られ、無量百千の妙なる音を響かせ、それを聞いて喜び、歌い踊り、笑い遊びます。様々な妙なる宝で身を飾り立てます。再び、多くの鳥が飾る蓮華の池へ赴きます。その池の鳥たちは、金銀や雑宝で飾られ、天女たちは中に入り、遊び楽しみます。それぞれが金の華を取って共に遊び、華を散らし合い、心に嫉妬はなく、様々な遊戯をし、その声は美しく響きます。八功德の水の中で遊び楽しみます。

「既遊戲已，為增欲故，自欲難滿，貪著欲燒，不知厭足。復往詣於鏡樹之林，於此林中自見其身種種莊嚴，功德具足，種種鏡中見種種色，十倍放逸。何以故？女人之性，三種放逸。何等為三？一者自恃身色而生放逸；二者自恃丈夫而生放逸；三者憍慢而生放逸。自見身色，輕餘女人。復捨此地，更詣一林，名一切時。其林一日具有六時，常不斷絕猶如輪轉，以六種時而為莊嚴。林中眾鳥無量雜色，隨其林中時分相似，共遊林中，離於嫉妬，心懷悅樂。見此林已，隨心所念，入六時林，隨時遊戲而受悅樂。種種時鳥自集遊戲，與諸天女而相娛樂，於此林中受五欲樂，不念餘林。時天帝釋既至此林，天女歡喜歌舞戲笑，供養帝釋。如是帝釋，一林之中種種功德皆悉具足。

> 遊び終えた後、欲を増すために、自らの欲望は満たし難く、欲に執着して焼かれ、満足を知りません。さらに鏡の森へと向かいます。この森の中で、自らの身体が様々に飾られ、功徳を備えているのを見て、様々な鏡に映る様々な色を見て、十倍も放逸になります。なぜなら、女性の性質には三つの放逸があるからです。それは何か。一つは、自らの身体の色を頼りにして放逸になること。二つは、夫を頼りにして放逸になること。三つは、驕り高ぶって放逸になることです。自らの身体の色を見て、他の女性を軽んじます。そしてこの地を離れ、さらに一つの森へと向かいます。その名は「一切時」です。この森は一日に六つの時を持ち、常に途切れることなく、まるで輪が回るかのように、六種の時で飾られています。森の中には無数の様々な色の鳥がいて、その森の時分に合わせて、嫉妬を離れ、心に喜びを抱きながら、共に森を遊びます。この森を見て、心に思うままに六時の森に入り、時を追って遊び、喜びを受けます。様々な時の鳥が自ら集まって遊び、天女たちと共に楽しみます。この森の中で五欲の楽しみを受け、他の森のことは思いません。その時、天帝釈がこの森に至ると、天女たちは喜び、歌い踊り、笑い遊び、天帝釈を供養します。このように天帝釈は、一つの森の中に様々な功徳をすべて備えています。

「復次，比丘觀天帝釋第二園林有幾種林？名字何等？彼以聞慧見：帝釋林名一切遊戲。有何功德？彼見聞知：其林自體名一切林，於此林中多有天子，共諸天女遊戲受樂，百千天女隨念遊戲。於遊戲處有八萬四千行殿，毘琉璃寶以為其輪，閻浮檀金以為鈴網，白銀羅網以覆其上，七寶莊嚴。第一天子或有乘馬、或有乘鵝，或有乘空、或有地行，或有伎樂、或作歌音，圍遶帝釋向遊戲處。八萬四千龍象，金網覆身，寶鈴莊嚴，柔軟繒褥以覆象上。若象念慾，頤則開敷，香汁流出。第一勝天乘此龍象，瞻仰帝釋，前後圍遶，詣遊戲處。八萬四千天女種種莊嚴，瞻仰帝釋，或歌或舞、或奏天樂、種種遊戲，詣遊戲處。八萬四千天女作眾伎樂，遊戲歌舞娛樂帝釋，種種莊嚴，瞻仰帝釋。天后舍脂，乘千輻輪七寶之殿，真金毘琉璃、硨𤦲馬瑙、天青珠寶、大青珠寶以為莊嚴。駕百千鵝，閻浮檀金為身，珊瑚為足，赤寶為目，赤蓮華寶以為其身，珊瑚為嘴，真珠為翅，以駕其殿。隨帝釋念而有所至，帝釋坐上，以種種寶莊嚴其身，威德光明勝百日光同時並照，與后舍脂詣遊戲處，勝餘一切天女莊嚴足一百倍，共天帝釋分座而坐，詣遊戲處。如是諸天受於色聲香味觸樂，與三十三天向一切樂林。一切天眾圍遶帝釋及以舍脂，如前所說，受於無量百千種樂。龍象之殿，大臣侍衛歌樂音聲娛樂帝釋，向一切樂林遊戲受樂。欲至彼林，先住天女聞天樂音，手執蓮華作眾伎樂出迎帝釋。帝釋見之，告諸天眾：『此諸天女，一切林中種種眾寶以為莊嚴，種種音聲。我今與之遊戲林中。』時諸天眾聞帝釋說，白言：『天王！此諸天女，王之給侍，常歸於王，以王為主。』帝釋告言：『此天女等，非我給使，非歸於我，非我業力；以自業力，自業受身，隨其自業有上中下，是故天女有上中下，非是我力。』

> さらに、比丘は天帝釈の第二の園林に、どのような種類の林があり、それぞれどのような名前があるのかを観察する。彼は聞慧によって見る。帝釈の林は「一切遊戯」と名付けられている。どのような功徳があるのか。彼は見聞し、知る。その林そのものが「一切林」と呼ばれ、この林の中には多くの天子たちがおり、天女たちと共に遊び楽しみ、百千の天女たちが思いのままに遊戯している。遊戯の場には八万四千の行殿があり、毘瑠璃宝が車輪となり、閻浮檀金が鈴の網となり、白銀の羅網が上を覆い、七宝で飾られている。第一の天子たちは、馬に乗る者もいれば、鵞鳥に乗る者もおり、空中を進む者もいれば、地上を歩く者もいる。ある者は伎楽を奏で、ある者は歌を歌い、帝釈を取り囲んで遊戯の場へと向かう。 八万四千の龍象は、金の網で身を覆われ、宝の鈴で飾られ、柔らかな絹の敷物が象の上に掛けられている。もし象が欲を念じれば、頤が開き、香りの汁が流れ出る。第一の勝れた天たちがこの龍象に乗り、帝釈を仰ぎ見ながら、前後を取り囲んで遊戯の場へと赴く。 八万四千の天女たちは、さまざまに飾り立てられ、帝釈を仰ぎ見ながら、歌い踊り、天楽を奏で、種々の遊戯をして遊戯の場へと向かう。八万四千の天女たちが多くの伎楽を奏で、遊戯し、歌い踊り、帝釈を楽しませる。さまざまに飾り立てられ、帝釈を仰ぎ見る。 天后シャチーは、千輻の輪と七宝の殿に乗り、真金、毘瑠璃、硨磲、瑪瑙、天青珠宝、大青珠宝で飾られている。百千の鵞鳥が牽き、閻浮檀金が体となり、珊瑚が足となり、赤宝が目となり、赤蓮華宝が体となり、珊瑚が嘴となり、真珠が翼となって、その殿を牽く。帝釈の思いに従って行くところへと至る。帝釈は座に着き、さまざまな宝で身を飾り、威徳の光明は百の太陽の光に勝り、同時に照らし出す。后シャチーと共に遊戯の場へと赴く。他のすべての天女たちの飾りより百倍勝れ、天帝釈と共に座を分かち合い、遊戯の場へと向かう。 このように諸天は、色・声・香・味・触の楽しみを受け、三十三天と共に一切楽林へと向かう。すべての天衆が帝釈とシャチーを取り囲み、先に説かれたように、無量百千の種類の楽しみを受ける。龍象の殿では、大臣たちが侍衛し、歌楽の音声で帝釈を楽しませ、一切楽林へと向かい、遊戯して楽しむ。 その林に至ろうとする時、先に住む天女たちが天楽の音を聞き、手に蓮華を持ち、多くの伎楽を奏でて出迎え、帝釈を迎える。帝釈はそれを見て、諸天衆に告げる。「これらの天女たちは、一切の林の中で、さまざまな衆宝で飾られ、さまざまな音声を出す。私は今、彼女たちと共に林の中で遊戯しよう。」その時、諸天衆は帝釈の言葉を聞き、言う。「天王よ、これらの天女たちは、王に仕える者であり、常に王に帰依し、王を主としています。」帝釈は告げる。「これらの天女たちは、私の給仕ではなく、私に帰依しているのでもなく、私の業力によるものでもない。自らの業力によって、自らの業を受けて身を得ており、その自らの業に従って上・中・下がある。それ故に天女にも上・中・下があり、私の力によるものではない。」

「爾時，帝釋而說頌曰：

> その時、帝釈天はこの偈を説いた。

「『下業得下報，眾生道成就，中業得中報，上業丈夫身。若人所作業，隨業得果報，其人時處業，於此身中受。若天光明輪，遊戲種種樂，斯人得善果，清淨勝業故。若丈夫作業，或善或不善，受於果報時，或苦或受樂。此種種樂報，種種天遊戲，此非我因緣，由彼前業得。』

> 「下の業を行えば下の報いを受け、衆生の道が成就し、 中の業を行えば中の報いを受け、上の業を行えば丈夫の身を得る。 もし人が行った業に従って、業に応じた果報を得るならば、 その人の時と場所における業は、この身の中で受け取られる。 もし天の光明の輪のように、さまざまな遊びと楽しみがあるならば、 その人は善い果報を得る。清らかで優れた業を行ったからである。 もし丈夫が業を行い、それが善であれ不善であれ、 果報を受ける時には、苦しみであれ楽しみであれ、それを受ける。 このさまざまな楽しい報い、さまざまな天の遊びは、 これらは私の因縁によるものではなく、彼の過去の業によって得られるのだ。」

「時諸天眾聞天帝釋說此偈已，皆生隨喜，合掌頂受，向一切樂林，欲共遊戲。諸天女等，或百或千，手執蓮華種種莊嚴。一一天女形貌色相悉無差別，歌音亦爾，善業所化。瞻仰帝釋舞戲而行向遊戲林。其林寶樹，白銀為葉，白銀為地，銀色眾鳥充滿其中，出種種音。帝釋為首與諸天眾次第而入，種種寶光，若身若地，光明旋轉遍虛空中，帝釋見已，心大歡喜。天女歌音，宮商齊等，天樂音聲。八萬四千行殿，駕以龍象，鈴網莊嚴出眾妙音。無量天子、九十九億天女讚歎帝釋，受六欲樂。

> 時に諸天の大衆は、天帝釈がこの偈を説くのを聞き終え、皆、随喜の心を生じ、合掌して頂戴し、一切楽林に向かい、共に遊戯せんと欲した。諸天女らは、あるいは百、あるいは千、手に蓮華を執り、種々の荘厳を施していた。一人一人の天女の姿形、色相は悉く差別なく、歌う音声もまた同じく、善業によって化現されたものであった。天帝釈を仰ぎ見て舞い戯れながら、遊戯林へと向かって行く。その林の宝樹は、白銀を葉とし、白銀を地とし、銀色の多くの鳥がその中に満ち、種々の音を出していた。天帝釈を先頭に、諸天衆が次第に入っていくと、種々の宝の光が、身にも地にも、光明が旋回して虚空に遍く満ち、天帝釈はこれを見て、心に大いに歓喜した。天女の歌う音声は、音律が整い調和し、天の楽の音声と響き合う。八万四千の行殿は、龍象を駕して進み、鈴の網で荘厳され、優れた妙音を奏でる。無量の天子、九十九億の天女が天帝釈を讃歎し、六欲の楽を受けた。

「時天帝釋與諸天女復往詣於一切樂林，乘大龍殿，亦如前說。天主釋迦及餘天眾，次入金林，金葉金果五丈夫量，其味甜美，眾香具足，食之增欲。龍象食之，醉欲而行，聞眾樂音，舞戲自娛；諸天見之，生希有心，舞戲可愛。食已舞戲，種種鳥音於此林中，銀色眾鳥住於金林，第一端嚴。

> その時、天帝釈は諸々の天女たちと共に、再び一切楽林へと赴いた。大龍の宮殿に乗り、先の通りに進んだ。天主釈迦とその他の天衆たちは、次に金林に入った。そこには金の葉、金の果実が五人の大人の高さに実り、その味は甘美で、あらゆる香りを備えていた。これを食べれば欲が増す。龍や象がこれを食べると、欲に酔って歩き、様々な楽の音を聞き、舞い戯れて自ら楽しんだ。諸天たちはそれを見て、稀有な心を起こし、その舞い戯れが愛らしいと思った。食べ終わって舞い戯れると、この林の中には種々の鳥の声が響き、銀色の多くの鳥たちが金林に住み、第一に端正であった。

「時天帝釋與后舍脂，及諸天眾、天子天女遊戲受樂，餘天子等各與天女歌舞戲笑互相娛樂，以善業故，不生嫉妬。復往金林，林中有池，名曰清涼，金色蓮華、毘琉璃華種種和集，圍遶帝釋天善法堂，共天帝釋娛樂受樂，與天女眾久時在於蓮華池邊作眾伎樂。共善法殿一切天眾，復入一切樂林，其林皆悉毘琉璃樹，金果具足，美味充滿如波那婆果，色香味具。諸天取果，開而飲之，其味勝於人中上味摩偷之酒，諸天飲之，無有醉亂。天有三種放逸受樂：一者天女；二者食果；三者五欲。是為三種受放逸樂。如釋迦天主所食天飯蘇陀之味，自業成就。一切天眾恭敬圍遶，一一方面於毘琉璃林遊戲受樂，種種眾鳥及以眾蜂，鈴網彌覆。

> 時に天帝釈は后の舎脂と、諸々の天衆、天子天女と共に遊戯して楽しみを受け、他の天子たちはそれぞれ天女と歌舞し戯れ笑い、互いに楽しみを交わした。善き業のゆえに、嫉妬の心は生じなかった。 さらに金の林へと赴くと、林の中には清涼という名の池があり、金色の蓮華や毘瑠璃の華が様々に集まり、天帝釈の善法堂を取り囲んでいた。彼らは天帝釈と共に楽しみを受け、天女たちと長く蓮華の池の辺りで様々な伎楽を奏でた。 善法殿のすべての天衆と共に、さらに一切楽林に入った。その林はすべて毘瑠璃の樹で、金の果実が満ち、美味が充実しており、まるで波那婆の果実のようであった。色・香・味がすべて備わっていた。諸天はその果実を取って開き、中の味を飲んだ。その味は、人間界の最上の味である摩偷の酒よりも勝っていた。諸天がそれを飲んでも、酔い乱れることはなかった。 天には三種の放逸による楽しみがある。一つは天女、二つは果実の食、三つは五欲である。これが三種の放逸の楽しみである。釈迦天主が食する天飯・蘇陀の味のように、自らの業によって成就したものである。すべての天衆が恭敬して取り囲み、それぞれの方角で毘瑠璃の林において遊戯して楽しみを受けた。様々な鳥たちや蜂の群れが、鈴の網のように一面に覆っていた。

「既遊戲已，還與天眾入善法堂，有第三林，名曰無比。釋迦天王有五百子，天女圍遶遊戲其中，其園廣博，所受之樂，次如帝釋。常順法行，正見無邪；以正見故，於鬪戰時，勝阿修羅。若人供養父母，恭敬沙門、婆羅門，隨順無諍。彼作是念：『我今當將諸天女等，詣無比林。』一一天子有一那由他天女以為眷屬，妙色具足，皆共一心，遊戲受樂。時諸天子詣帝釋所，白言：『天王！我今欲往至無比林遊戲娛樂，願與我等，至彼林中。』時天帝釋告天子言：『吾已遊戲，今欲順法以自利益，樂從欲生，不可滿足。我今捨樂，畏放逸過，放逸過毒，是故捨離。』

> 遊び終えた後、天の衆と共に善法堂へと戻りました。そこには第三の林があり、無比林と名付けられています。釈迦天王には五百人の子がおり、天女たちに囲まれてこの園で遊び楽しんでいました。その園は広大で、受ける楽しみは帝釈天に次ぐものでした。彼らは常に法に従って行い、正しい見解を持ち、邪な心はありませんでした。正しい見解を持つがゆえに、戦いの時には阿修羅に勝つことができたのです。もし人が父母を供養し、沙門や婆羅門を敬い、争いなく従順であるならば、彼らはこう考えます。「今、私は天女たちを連れて無比林へ行こう」と。一人一人の天子には一那由他もの天女が眷属としており、美しい姿を備え、皆が心を一つにして遊び楽しんでいました。 その時、天子たちは帝釈天のもとへ赴き、こう申し上げました。「天王よ、私たちは今、無比林へ行って遊び楽しみたいと思っています。どうか私たちと共に、あの林へ行ってください。」すると、天帝釈は天子たちに告げました。「私はすでに遊びを終えました。今は法に従い、自らの利益となることを行いたいのです。楽しみは欲から生まれ、満たされることはありません。私は今、その楽しみを捨て、放逸の過ちを恐れています。放逸の過ちは毒のようなものだからです。だから、それを離れるのです。」

「時天帝釋而說偈言：

> その時、天帝釈は偈を説いて言った：

「『不放逸不死，放逸是死處；不放逸不死，放逸常生死；不放逸不死，放逸是死句；我以不放逸，今得天中勝。我今信如來，汝當修行法，我於佛教法，不敢有違失。若違如來語，貪欲愚癡人，不得脫眾苦，常受諸衰惱。』

> 「不放逸は不死であり、放逸は死の場所である。 不放逸は不死であり、放逸は常に生死を繰り返す。 不放逸は不死であり、放逸は死の言葉である。 私は不放逸によって、今や天界の勝利を得た。 私は今、如来を信じる。あなたは修行の法を実践すべきである。 私は仏の教えの法に、敢えて違反することはない。 もし如来の言葉に背くならば、貪欲で愚かな人は、 多くの苦しみから逃れることができず、常に衰えと悩みを受けるだろう。」

「時天帝釋說是語已，入善法堂。爾時，帝釋子、諸天子等，生大歡喜，共詣本宮，金寶莊嚴，歌頌娛樂；還其所止，擊鼓相命，欲詣園林遊戲受樂。爾時，七萬天子各乘寶殿，有乘天鳥，與諸天女遊行空中，天眾圍繞。或有遊於蓮華池間，奏諸天樂歌舞戲笑，詣無比林。時帝釋子天鬘莊嚴，雨栴檀香，其明晃耀猶如日光，或有光明如月盛滿、有如星宿，隨其自業，向無比林，各各愛戀，其心無間。入彼林中受天快樂，其林端嚴不可喻說。入彼林時，香氣無比，牛頭栴檀香十六分中不及其一，聞此香已，生希有心。復入飲林，為求樂故，次第入林。以善業故，毘琉璃樹、金樹銀樹、頗梨迦樹，各有百數種種雜色，猶如雜綵，其樹雜色，莊嚴奇妙，亦復如是無量色相。天子見之，如淨明鏡無量百千，四顧觀視生大歡喜，天女圍遶，聞眾樂音，心甚歡喜。復於異處遊戲自娛，其林眾鳥，真金為翅，毘琉璃為胸，珊瑚為足，白銀為背，赤真珠寶以為其目，出眾妙音。復有天子聞斯妙音，各相謂言：『諦聽，諦聽！眾鳥之音，無量音曲，與天女音不可分別。』聞鳥聲已，復詣異林遊戲受樂。見諸池中千葉蓮華，光明如日。至彼池間，種種莊嚴如前所說，與諸天女圍遶華池，歌舞戲笑娛樂受樂。復與天女更至異林，於此林中河泉流水，於其河中有種種水，所謂流乳及以流飲，甜美眾水，天子飲之。多有眾蜂、眾鳥百數，金銀珊瑚雜色寶石集在河中。天子天女於此林中遊戲自娛，經於多時，受五欲樂。復往詣於華樹林中，其林眾華悉不萎變，香氣普熏滿十由旬，所謂月光明華、月色華、白色華，清涼無熱如星色華。復詣果林，其林有果，所謂蜜搏樹果、辛味樹果、柔濡樹果、香鬘樹果，聞香即飽。六味樹果、如意味果、無厭足果，如是無比林中，具足此果，善業所生。於此林中，遊戲受樂，飯食餐飲。

> 時に天帝釈はこの言葉を説き終えると、善法堂に入った。その時、帝釈の子である諸天子たちは大いなる歓喜を生じ、共に本宮へと向かった。金や宝で荘厳された宮殿では、歌を歌い楽しみ遊び、やがてそれぞれの居所に戻ると、太鼓を打ち鳴らし互いに声をかけ合い、園林へ遊びに行き楽しみを受けようとした。 その時、七万の天子たちはそれぞれ宝の乗り物に乗り、ある者は天の鳥に乗り、諸天女を伴って空中を遊行し、天の衆に囲まれていた。ある者は蓮華の池の間を遊び、諸天の音楽を奏で、歌い舞い戯れ笑い、無比の林へと向かった。 時に帝釈の子は天の花鬘で身を飾り、栴檀の香りが雨のように降り注ぎ、その明るさは日光のように輝き渡った。ある者の光は満月のように盛んであり、ある者は星宿のようで、それぞれの自業に従い、無比の林へと向かい、各々愛着し、その心に間隔はなかった。 彼の林に入ると、天の楽しみを受け、その林の端正な様は言葉では言い表せない。林に入る時、その香りは比類なく、牛頭栴檀の香りの十六分の一にも及ばず、この香りを嗅いで希有の心を生じた。 さらに飲み物の林に入り、楽しみを求めるため、次々と林に入っていった。善業の故に、毘瑠璃の樹、金の樹、銀の樹、頗梨迦の樹がそれぞれ百数種の様々な色をなし、ちょうど様々な彩りのように、その樹々の雑色は荘厳奇妙であり、また無量の色相も同様であった。 天子たちはそれを見て、清らかで明るい鏡が無量百千あるかのように、四方を見回して大いなる歓喜を生じ、天女たちに囲まれ、多くの楽の音を聞いて心は大いに喜んだ。 さらに別の場所で遊び自ら楽しんだ。その林の多くの鳥は、真金を翼とし、毘瑠璃を胸とし、珊瑚を足とし、白銀を背とし、赤真珠の宝を目として、衆妙の音を出していた。またある天子たちはこの妙なる音を聞き、互いに言った。「よく聞け、よく聞け。衆鳥の音は、無量の音曲であり、天女の音と区別がつかない。」 鳥の声を聞いた後、さらに別の林へ行き遊び楽しみを受けた。諸々の池の中に千葉の蓮華があり、その光は日のようであった。その池の辺りに至ると、種々の荘厳は先に説いた通りで、諸天女と共に華の池を囲み、歌い舞い戯れ笑い、楽しみを受けた。 さらに天女と共にまた別の林へ行った。この林の中には河泉の流水があり、その河には種々の水が流れていた。すなわち流れる乳や流れる飲み物、甘美な衆水であり、天子たちはそれを飲んだ。多くの蜂や百数の鳥がおり、金銀珊瑚や雑色の宝石が河中に集まっていた。天子と天女たちはこの林の中で遊び自ら楽しみ、長い時を経て五欲の楽しみを受けた。 さらに華樹の林へと赴いた。その林の衆華はすべて萎れることなく、香気は普く十由旬に満ちていた。すなわち月光明華、月色華、白色華、清涼で熱さのない星色華である。 さらに果樹の林へ行った。その林には果実があり、すなわち蜜搏樹の果、辛味樹の果、柔らかくしなやかな樹の果、香鬘樹の果で、香りを嗅ぐだけで満腹になる。六味樹の果、如意味の果、厭き足りない果、このように無比の林にはこの果が具足し、善業によって生じたものであった。 この林の中で、遊び楽しみを受け、飯食や飲み物を楽しんだ。

「復往詣於鳥舞之林，其林眾鳥遊戲歌舞，出妙音聲，天子聞之，即受快樂。復詣雜林，其林異色，一切華果如前所說，河池眾鳥亦復如是，故名雜林。於此林中，五欲自娛，乾闥婆音，久受快樂。釋迦天王作是思惟：『我諸子等，何處受於放逸之樂，不覺退沒？』時諸天子知天帝釋心之所念，至帝釋所，諸天女等，各還本宮遊戲受樂。

> また、鳥が舞う林へと赴いた。その林では、多くの鳥たちが遊び戯れ、歌い踊り、妙なる音声を響かせており、天子はそれを聞いて、たちまち楽しみを受けた。さらに、雑林へと赴いた。その林はさまざまな色に彩られ、すべての花や果実は前に述べたとおりであり、川や池、多くの鳥たちもまた同様であった。それゆえ、雑林と名づけられた。この林の中で、五欲をもって自らを楽しませ、乾闥婆の音色に包まれながら、久しく楽しみを受けた。 釈迦天王はこのように思惟した。「我が子たちは、どこで放逸の楽しみを受け、退転に気づかずにいるのだろうか。」その時、諸天子たちは天帝釈の心に思うところを知り、帝釈のもとへと向かった。諸天女たちは、それぞれ自らの宮殿に戻り、遊び戯れて楽しみを受けた。

「爾時，帝釋見諸天子而說頌曰：

> その時、帝釈天は諸天子たちを見て、次の偈を唱えられた。

「『悕望諸境界，愛心難厭足，離愛則知足，此人無憂惱。若人愛欲境，則不得安樂，境界如毒害，後世受苦惱。若初若中後，若現在未來，求樂不可得，後則受苦惱。一切諸世間，增長於生死，流轉不暫停，和合必有離，未曾有免者。樂為苦所覆，無量諸誑惑，眾生癡所誑，遊戲於愛欲。一切癡愛人，未曾有厭足，境界難滿足，如火益乾薪。世間愛所誑，難滿亦如是，雖近於死地，猶不生厭離。為愛境所誑，不求善資糧，天退不自在，為愛所誑惑。我今教呵汝：汝為欲所迷，當作自利益。法為第一道，若有行法者，從樂得樂報，能如是行者，得寂滅涅槃。是故應修福，以求涅槃樂，若有常修福，得至無盡處。天聞帝釋說，寂靜心調柔。是時帝釋子，調伏順父教。』

> 「諸々の境界に執着し、愛する心は満たされ難く、 愛を離れれば足るを知り、この人は憂い悩まない。 もし人が欲の境界を愛すれば、安楽を得ることができず、 境界は毒害の如く、後世に苦悩を受ける。 初めであれ中であれ後であれ、現在であれ未来であれ、 楽を求めても得られず、後には苦悩を受ける。 一切の世間は、生死を増長し、 流転して暫しも止まらず、和合すれば必ず離別あり、 未だに免れる者はない。楽は苦に覆われ、 無量の欺き惑わしがあり、衆生は愚痴に欺かれ、 愛欲の中で遊戯する。一切の愚かな愛する人は、 未だに満足を知らず、境界は満たし難く、 火が乾いた薪を増すが如し。世間は愛に欺かれ、 満たし難いこともまた同様、死地に近づいても、 なお厭離の心を起こさない。愛の境界に欺かれて、 善き資糧を求めず、天の退転も自在ならず、 愛に欺き惑わされる。我今、汝を教え諭す： 汝は欲に迷わされている、自らの利益を為すべし。 法は第一の道なり、もし法を行う者があれば、 楽より楽の報いを得、かくの如く行う者は、 寂滅の涅槃を得る。故に福を修めるべし、 以て涅槃の楽を求めん、もし常に福を修めるならば、 尽きることなき処に至る。」天は帝釈の説くを聞き、 寂静の心は調え柔らぐ。時に帝釈の子は、 調伏して父の教えに順う。

「時天帝釋教呵諸子令順正道、修行善業，閉惡道門。詣於雜林遊戲受樂，諸善所生。帝釋天王有五百殿，種種諸寶頗梨珊瑚金銀、天青寶王、天大青寶種種諸寶。釋迦天王見種種林，諸蓮華葉如日初出，以為莊嚴。

> 時に天帝釈は諸子を教え諭し、正道に従い、善業を修行して悪道の門を閉ざすよう命じた。雑林に赴き、遊戯して楽しみを受け、諸々の善いことが生じる場所へと向かわせた。帝釈天王には五百の宮殿があり、様々な宝玉、水晶、珊瑚、金銀、天青宝王、天大青宝など、多種多様な宝で飾られていた。釈迦天王は、様々な林を見渡し、蓮の花や葉がまるで朝日が昇るかのように輝き、それを荘厳としていた。

「帝釋見已，而說頌曰：

> 帝釈天はこれを見て、次の偈を説いた。

「『人中造福德，人中無量種，作種種福德，種種皆成就。不作眾善業，為心怨所誑，退時不自在，墮於極惡處。一切諸宮殿，諸業所莊嚴，以善業增長，成就天人報。』

> 「人々の中で福徳を積み、人々の中で無量の種をまき、 様々な福徳を営み、様々なものが皆成就する。 善き業を営まなければ、心の怨みに欺かれ、 退く時は自在ならず、極めて悪しき処に堕ちる。 すべての宮殿は、諸々の業によって荘厳され、 善き業によって増長し、天人の果報を成就する。」

「爾時，釋迦天王說此偈已，復詣餘殿，其殿敷置無量柔軟寶莊嚴座以為嚴飾，善業所化。時憍尸迦見此宮殿，處之受樂。復至銀殿，無量光明、無量眾寶、無量眾華嚴飾其殿，無量天女遊戲受樂。復至園林諸天女等，其地柔軟，眾華莊嚴，其林廣博，種種金鳥出眾妙音，眾蜂圍遶如意之樹。釋迦天王普眼所觀，天眾圍遶遊戲受樂，其身威德勝於日月。金樹林中毘琉璃殿，以眾寶柱而為莊嚴，諸蓮華池青寶莊嚴。時天帝釋作如是念：『我入寶殿遊戲受樂。』諸天亦念：『天王欲入，與諸眷屬、天女圍遶歡娛受樂。』爾時，帝釋知天所念，告諸天子：『汝等各各遊戲園林。』時諸天子聞天王教，各入華池與其天女遊戲自娛。

> その時、釈迦天王（帝釈天）がこの偈を説き終えると、さらに別の御殿に赴かれました。その御殿には、善業がもたらした無数の柔らかな宝で作られた見事な座が敷き並べられ、荘厳な飾りが施されていました。時の僑尸迦（帝釈天）はこの宮殿を見て、その中に留まり楽しみました。 次に銀の御殿に赴くと、そこには無量の光明、無量の宝、無量の花が飾られ、無数の天女たちが遊び楽しんでいました。さらに園林に赴くと、天女たちは柔らかな地に立ち、様々な花で飾られていました。林は広大で、色とりどりの金の鳥が素晴らしい音を奏で、多くの蜂が如意の木の周りを飛び交っていました。釈迦天王はその普く照らす眼で全てを見渡し、天の衆に囲まれて遊び楽しみ、その身の威光と徳は日月よりも勝っていました。 金の樹林の中にある瑠璃の御殿は、多くの宝玉の柱で飾られ、青い宝で荘厳された蓮の池がありました。その時、帝釈天はこう思いました。「私は宝殿に入り、遊び楽しもう。」また、天の者たちも「天王が入ろうとされている。眷属や天女たちと共に囲み、歓楽を楽しんでおられるのだ。」と思いました。 そこで、帝釈天は天の者たちの思いを知り、天子たちに告げました。「あなたがたはそれぞれ園林で遊びなさい。」と。その時、天子たちは天王の教えを聞き、それぞれ蓮華の池に入り、天女たちと共に遊び楽しみました。

「天王入殿，坐於清淨毘琉璃床。以善業故，其殿清淨猶如明鏡，於此淨壁，悉見古昔諸天王等退沒之相及以名字，其名曰：鉢浮多天王、自在天王、無憂天王、正慧天王、一切樂天王、善住天王、普明天王、一切愛天王、千見天王、威德天王、持德天王、青色天王、不退天王、如幻天王、齋戒天王、福德天王、諸遊戲天王、挮羅天王、憍尸迦天王。以善業故，見如是等三十三天王。如是天王善業盡故，退墮地獄、餓鬼、畜生，隨所生處受大苦惱。若入地獄，壁上見其受大苦惱；若墮餓鬼，見其壁上受大苦惱，飢渴燒身羸瘦苦惱，筋骨相連；若墮畜生，見其壁上互相殘害，受大苦惱；若生人中，追求作業，受種種苦。如是見諸生死無可樂處，於生死中多諸過患，無堅無常，變易破壞。如是天王皆悉退沒，以自業果，生於地獄、餓鬼、畜生。云何捨於如是大樂，受斯苦惱？云何可忍？奇哉！生死甚為大苦，能將天人至大怖處。第二天王受斯大苦。釋迦天王第一勝人，見此事已，生大厭離，自觀其身閉三惡道，從天中死生於人中，人中命終還生天上。若生人中，生安樂國城邑聚落，生大姓家，行正法處，離於邪見憍慢諂曲。復有自見生於人中，為國王子、大臣之子、正見家生，大富自在。人中命終，當生何處？即自見身還生天中，具大神通，第一光明，共餘天眾食於雜食，心生愧恥，以業薄故，隨所作業，如業得食。後於生處，不見勝食，愧心思惟：『我當幾世受如是報？』以善業故，於殿壁中自見其身，天中七生，人中七生，去來七返，無第八生，非於天中，非於人中，非地獄中，非餓鬼中，非畜生中。帝釋心念：『云何我身無復生處，我生何處而不可見？』心生驚怪，何故無有第八生處？久思惟已。即自念知：『先聞世尊說如是言：「須陀洹人，七生之後入無餘涅槃。」我必如是。』以清淨心敬禮世尊，發歡喜心，坐其金座，閻浮檀金以為床座，眾寶莊嚴。復於壁中見諸先世退沒天王，復念入於善法堂上，見諸天眾，利益諸天。

> 天王が殿堂に入り、清らかな毘瑠璃の床に座った。善行の果報により、その殿堂は明鏡のように清らかであり、この清浄な壁には、昔の諸天王たちが退没した姿やその名前がすべて映し出されていた。その名は、鉢浮多天王、自在天王、無憂天王、正慧天王、一切楽天王、善住天王、普明天王、一切愛天王、千見天王、威徳天王、持徳天王、青色天王、不退天王、如幻天王、斎戒天王、福徳天王、諸遊戯天王、挮羅天王、憍尸迦天王である。善行の果報により、このように三十三天の王たちを見るのである。 これらの天王たちは、善行の果報が尽きると、退没して地獄・餓鬼・畜生に堕ち、生まれたところに従って大きな苦しみを受ける。もし地獄に入れば、壁にその者が大苦悩を受ける姿が映る。もし餓鬼に堕ちれば、壁にその者が大苦悩を受け、飢えと渇きに身を焼かれ、痩せ衰えて苦しみ、骨と筋がつながったままの姿が映る。もし畜生に堕ちれば、壁にその者が互いに害し合い、大苦悩を受ける姿が映る。もし人間に生まれれば、仕事を追い求めて様々な苦しみを受ける姿が映る。 このようにして、生死には楽しむべき所がなく、生死の中には多くの過失や患いがあり、堅固なものはなく無常であり、変異し壊れていくものであることが見て取れる。これらの天王たちは皆退没し、自らの業の果報により、地獄・餓鬼・畜生に生まれる。どうしてこのような大いなる楽を捨てて、このような苦しみを受けるのであろうか。どうしてこれに耐えられようか。ああ不思議だ、生死というものは実に大きな苦しみであり、天人の身さえも大いなる恐怖の場所へと導いてしまう。第二の天王もこの大いなる苦しみを受けるのだ。 釈迦天王という第一の勝れた者は、このことを見て、大きな厭離の心を生じ、自らの身が三悪道を閉ざすものであると観じた。天界で死んで人間に生まれ、人間で命終えて再び天界に生まれる。もし人間に生まれれば、安楽な国、城邑、集落に生まれ、大いなる家系に生まれ、正しい法を行う所で生まれ、邪見や驕りや慢心や諂曲を離れる。また、自らが人間に生まれ、国の王子や大臣の子として、正しい見解の家に生まれ、大いに裕福で自在であるのを見る。人間で命終えた後、どこに生まれるのか。すると自らの身が再び天界に生まれ、大きな神通力を具え、第一の光明を放ち、他の天の衆と共に雑食を食べ、心に愧恥の念を生じる。業が薄いため、なした業に従い、業に応じて食べ物を得る。後に生まれた所では、より勝れた食べ物を見ることができず、愧じ思い巡らす。「私は何世もこのような報いを受けるのだろうか」と。善行の果報により、殿堂の壁に自らの身が映る。天界に七生、人間に七生、往来して七度の生を経るが、第八の生はない。天界にもなく、人間にもなく、地獄にもなく、餓鬼にもなく、畜生にもない。 帝釈天は心に思う。「なぜ私の身には生まれる所がなくなり、私はどこに生まれるのか見えないのか」。心に驚き怪しみ、なぜ第八の生まれる所がないのかと。長く考えた後、自ら悟った。「かつて世尊がこう言われるのを聞いたことがある。『須陀洹人は、七生の後、無余涅槃に入る』と。私は必ずやそうなるのだ」。清らかな心で世尊を敬礼し、歓喜の心を発して、金の座に座った。閻浮檀金で作られた床座であり、衆宝で飾られていた。さらに壁の中に、先世の退没した天王たちを見て、また善法堂に入り、天の衆たちを見て、諸天を利益することを思った。

「時天帝釋從其座起，往詣雜林，共諸天子天女眷屬遊戲自娛，受五欲樂。種種眾鳥莊嚴林樹，及以蓮華以為嚴飾。諸天見已，作諸伎樂乾闥婆音，至帝釋所，皆為作禮圍遶帝釋。天子天女歌舞遊戲，種種歡喜。善法堂天種種莊嚴，共諸天女圍遶帝釋，作眾伎樂，詣善法堂，一切歡喜歌舞戲笑。時善法堂所住諸天，隨帝釋行，供養帝釋，種種音聲，鼓天伎樂，種種歌舞出美妙音，遍諸天眾。異住諸天聞此樂音，皆來詣於善法堂上，皆為天王稽首作禮，右遶而住。無量百千詣善法堂，善知歌舞，種種莊嚴。以善業故，生在其中，戒善所護，受斯大果，一切天眾樂報成就。其善法堂縱廣五百由旬，其色鮮妙如融金聚，毘琉璃樹以為莊嚴，種種寶花周匝嚴飾。其花香氣滿五由旬，常若新出，令心愛樂，未曾厭足。如是天眾給侍帝釋，九十九那由他天女隨天帝釋入歡喜殿，金毘琉璃車𤦲寶柱以為莊嚴，其床柔軟，敷以天衣，釋迦天王悉令就坐。諸天受教，即皆就坐。

> その時、天帝釈は座を立ち、雑林へと向かわれた。天子や天女たちと共に戯れ楽しみ、五欲の快楽を味わわれた。様々な鳥たちが林の木々を飾り、蓮華もまた美を添えていた。天部の者たちはそれを見て、楽器を奏で、乾闥婆の音色を響かせながら帝釈天のもとに集い、皆、礼拝し、帝釈天を取り囲んだ。天子と天女たちは歌い踊り、実に様々な歓びに浸った。善法堂の天部もまた、様々に飾り立てて、天女たちと共に帝釈天を取り囲み、楽器を奏でながら善法堂へと向かい、皆が歓喜して歌い踊り、笑い合った。その時、善法堂に住む天部たちは、帝釈天に従い、帝釈天に供養を捧げた。様々な音声で天の楽器を打ち鳴らし、様々な歌舞によって美しい音を響かせ、天部のすべてに届けた。他の場所に住む天部たちもこの楽音を聞きつけ、皆、善法堂へとやって来た。そして、天の王にひれ伏し礼拝し、右に回ってから立ち止まった。無数の百千の者たちが善法堂に集い、歌舞に優れ、様々に飾り立てていた。善い行い（善業）のゆえに、そこに生まれ、戒めと善行に守られ、この大きな果報を受けたのである。すべての天部の者は、快楽の報いを成就していた。その善法堂は、縦横五百由旬もあり、その色は鮮やかで麗しく、溶けた金が集まったかのようであり、毘瑠璃の樹が荘厳として立ち並び、様々な宝の花が周りを飾っていた。その花の香りは五由旬にも満ち、常に咲き誇ったばかりのようで、心を愛おしませ、決して飽きることがなかった。このように天部の者たちは帝釈天に仕え、九十九那由他の天女たちが天帝釈に従って歓喜殿に入った。金や毘瑠璃、車渠、宝の柱が荘厳として輝き、その床は柔らかで、天衣が敷き詰められていた。釈迦天王はすべての者に坐るように命じられ、天部の者たちはその教えを受けて、皆、席に着いた。

## 正法念處經卷第二十五

> 正法念処経 第二十五巻