ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 法華経持験記 (法華經持驗記)
  2. 第一 (第一)
  3. No. 1541-A 法華経持験紀序 (No. 1541-A 法華經持驗紀序)
←と→
矢印キーでページをめくれます

法華経持験記 (法華經持驗記)


No. 1541-A法華經持驗紀序

法華経持験紀序

法華為眾經王。世尊以廣長舌。演拈華之勝因。會諸法之秘要。開權顯實。三一同圓。前後七軸。凡六萬餘言。洋洋灑灑乎。真大觀也。雖然。當日靈山會上。五時各說一法。華嚴一。阿含二。方等三。般若四。乃猶以未暢厥懷。最後復說此經。化無量無邊之法身。演無量無邊之法口。顛倒淋漓。不嫌辭費。世尊於此。又多乎哉。昔佛臨涅槃。文殊請佛再轉法輪。佛咄云。吾住世四十九年。未甞說著一字。汝請再轉法輪。是吾曾轉法輪耶。夫一語說不來。九年面壁坐。既曾面壁九年。即此一語。亦正何須說得。有能善悟此六萬餘言。則可以破六萬言而為一言。更可以破一言而還無言。又何不可衍無言而為六萬餘言。又何不可化六萬言而為千百億萬言。知見既開。圓宗頓澈。妙法如斯。多乎哉。不多也。今以微塵世界。勞勞火宅之中。幸邀白光普燭後。獲奉是經。誠哉生死路之津梁。淨土門之梯級矣。經中所言。汲汲以受記為囑付。其流傳之法。殆有五門。最上曰受持。其次解說讀誦書寫供養是也。如或一句一偈。矢志皈依。雖至村朴之夫。帷閤之子。纍囚痼疾之徒。暨夫鱗羽知識有血氣之倫。凡屬精虔。共沾慈雨。而況振大覺之宗風。暢迦文之奧義。所稱導師龍象。法界干城者乎。夫蓮之為華。取其出淤泥而不染也。五濁之微塵火宅。何啻淤泥。求於此特立不染。非聞妙法。無由解脫。故知當日以是名經。世尊殆欲挈震旦國中。遍植之青蓮一朵中耳。因華覔蒂。因蒂覔根。玉井秋塘。較德水華池。是一是二。請從三世中間寶座看來。如果立現千層。何處別尋優鉢。不離色香。顯標因果。豈欺我哉。豈欺我哉。余既集金剛經持驗竟。念是經尤音教淵海。弘通為亟。感應靈異。代著曩編。爰取累朝古德名賢事驗。足徵信者。倣前集條例而綜次之。庶幾見聞之下。精進脩持。同證三昧。從說三歸一。而究竟一無可說之微旨。曹溪偈云。心迷法華轉。心悟轉法華。了此經出現一大事因緣。真覺靈山一會。儼然千古。予之文字。又多乎哉。

『法華経』は多くの経典の中で王であり、世尊が広長舌をもって拈華の勝因を演べ、諸法の秘要を会するものです。権を開いて実を顕し、三と一が同じく円満するのです。前後七軸、およそ六万余言、洋洋洒洒として、まことに大観というべきです。そうではありますが、当日の霊山会上では、五時それぞれに一法を説かれました。華厳が一、阿含が二、方等が三、般若が四、しかしまだその思いを十分に述べられなかったため、最後にまたこの経を説かれたのです。無量無辺の法身を化し、無量無辺の法口を演べ、顛倒淋漓として、言葉が多いことをいといません。世尊はここにおいて、また多くを語られたのでしょうか。

昔、仏が涅槃に入ろうとされたとき、文殊が仏に再び法輪を転ずることを請いました。仏は叱ってこう言われました。「私は世に住むこと四十九年、かつて一字も説いたことがない。お前が再び法輪を転ぜよと請うのは、私がかつて法輪を転じたということか」と。一語も説くことができないまま、九年間面壁して坐したのです。すでに九年間面壁したのなら、この一語も、いったいどうして説く必要がありましょうか。よくこの六万余言を悟ることができるなら、六万言を破って一言とすることができます。さらに一言を破って無言に還ることができます。またどうして無言を衍べて六万余言とすることができないでしょう。またどうして六万言を化して千百億万言とすることができないでしょう。知見がすでに開け、円宗が頓に徹すれば、妙法とはこのようなもの、多いでしょうか、多くはありません。

今、微塵の世界、労労たる火宅の中にあって、幸いに白光が普く照らした後に、この経を奉じることができました。まことに生死の路の津梁、浄土門の梯級であります。経の中に説かれるところでは、汲々として受記をもって嘱付とされています。その流伝の法には、ほぼ五門があります。最も上は受持といい、次は解説・読誦・書写・供養です。あるいは一句一偈でも、志を皈依に矢のように定めるなら、まことに村朴の夫、帷閤の子、纍囚や痼疾の徒、さらには鱗羽の知識で血気のあるものに至るまで、およそ精虔なものは、ともに慈雨に沾うのです。ましてや大覚の宗風を振るい、迦文の奥義を暢べる、いわゆる導師龍象、法界干城の者であればなおさらです。

そもそも蓮が華であるのは、淤泥より出でて染まらないことを取るのです。五濁の微塵火宅は、どうして淤泥だけでありましょうか。ここにおいて特に立って染まらないことを求めるには、妙法を聞くにあらざれば解脱の由がありません。ゆえに知るのです、当日これをもって経と名づけられたのは、世尊はまさに震旦国中を挙げて、遍くこれを青蓮の一朵の中に植えようとされたのだと。華によりて蒂を求め、蒂によりて根を求むれば、玉井の秋塘と徳水華池と、これが一か二か。どうか三世の中間の宝座から見てください。もし果として千層が立ち現れるなら、どこに別に優鉢を尋ねましょうか。色香を離れず、顕かに因果を標す、どうして私を欺きましょうか、どうして私を欺きましょうか。

私はすでに『金剛経』の持験を集め終えましたが、この経はとりわけ音教の淵海であり、弘通が急務であると考えました。感応霊異は、代々昔の編に著されています。そこで累朝の古徳名賢の事験の中から、十分に信を徴すべきものを取り、前集の条例に倣ってこれらを総合し次第しました。庶幾くは見聞の下、精進修持し、ともに三昧を証し、三を説いて一に帰し、究竟して一も説くべきものなきの微旨に至らんことを。曹渓の偈に云います。「心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず」と。この経が出現した一大事因縁を了れば、まことに霊山一会は、厳然として千古に存するのです。私の文字、また多いでしょうか。

陽羨淨業弟子 周克復 齋沐譔

No. 1541-B 勸流通法華持驗引

CBETA コード: X1541

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません