佛母大金曜孔雀明王經序
佛母大金曜孔雀明王経 序
《佛母大孔雀明王經》者,牟尼大仙之靈言也,總持真句、悲救要門,綰悉地之玄宗、息波瀾之苦海。二十八部之神眾,同誓護於斯經,羅剎吞毒之都軍,發慈心而警衛,藥叉大將數窮百姟,動石擎山,散支為首,捧香花於舍衛,起淨念於祇林,禮明行之牟尼,忻所談之深法,樂飡禪悅,希甘露以洗心。佛乃悲愍將來,託莎底而演教,自陳因地,為彼鳥王,被羂網羅,命如懸露。忽思古聖,無上覺皇,演陀羅尼,能超眾苦,發聲應念,繫縛氷銷,適樂青空,翔騰自在,迄於成佛,詶彼曩因,逝多林中,述斯密教。咨嗟末代,蠢蠢含靈,去聖遠遙,運生像季,多逢留難,異種魔生,修行者被惑情迷,居家者眾邪為患,妖祇祳怪,常現災祥,若不此經,何威能制?是以多聞慶喜,親奉聖言,結集貝多,周傳沙界。然此支那數朝翻譯,民雖遭難,尚未遍宣,即蓋緣往時譯者詞質而文梗,潤文者闕方便之妙言,雖聖旨不乖,尋讀者引肩而翥目。今所譯者,即中天竺國三藏國師和尚不空,善唐梵之言,窮五天之教,來於此國,勅令於大明宮,乃譯此經,勒成三卷,題云「佛母大金曜孔雀明王經」矣,莫不廣開佛日,高照重昏,祕密真詮,遍流同益,靈符既顯,萬障自袪,法藥普施,業患永滅。願此法燈常耀,總法界而清安,聖壽千春,保金枝而長茂,天龍警護,法化恒宣,佛勅流暉,塵劫不朽。
『仏母大孔雀明王経』は、釈迦牟尼仏の尊いお言葉です。 すべてを包み込む真言であり、苦しみから救い出す大切な教えであり、 悟りの深い真理をまとめ、波立つ苦しみの海を静めるものです。
二十八部の神々の衆は、共にこの経典を護ることを誓い、 羅刹や毒を呑む軍勢さえも、慈悲の心を起こして警護します。 夜叉の大将は百千の数に及び、岩を動かし山を支え、 散支大将を筆頭に、舎衛城に香華を捧げ、祇園精舎に清らかな念いを起こし、 明行足の釈尊を礼拝し、説かれた深遠な法を喜び、 禅悦に満ち、甘露によって心を洗い清めることを願いました。
仏は未来の衆生を哀れみ、莎底比丘に託してこの教えを説かれました。 ご自身の過去世において、あの孔雀王であった時、 網にかかり捕らえられ、命は露のようにはかなくなりました。 その時、古の聖者、無上の覚者(仏陀)が 陀羅尼(真言)を説き、あらゆる苦しみから超え出ることができると 思い起こし、声を発して念じると、縛りは氷のように解け、 喜びに満ちて青空を自由に翔け巡り、ついに仏陀となられました。 その過去の因縁に報いるため、祇陀林において、この密教を説かれたのです。
嘆かわしい末法の世、無明に蠢く生きとし生けるものは、 聖者の時代から遠く離れ、法の衰えた時代に生まれ、 多くの障害に遭い、様々な魔が生じます。 修行する者は迷いの情に惑わされ、在家の者は多くの邪なものに悩まされ、 妖しい神や怪異が常に災いや前兆を現します。 この経典なくして、どうしてそれらを制することができましょうか。
それゆえ、多聞第一の阿難尊者は、直接に仏の御言葉を受け、 経典を結集し、全世界に広く伝えました。 しかし、この支那(中国)では、幾朝にも渡って翻訳されながらも、 民は難に遭いながらも、まだ広く宣揚されていませんでした。 それは、かつての翻訳者が言葉が質朴で文章が硬く、 潤色する者が巧みな方便の言葉を欠いていたため、 仏の御旨は間違っていなくとも、読む者は肩をいからせ目を見張るような 難解さがあったからです。
今、翻訳するのは、中インドの国師、三蔵法師・不空和尚です。 和尚は唐(中国)と梵(インド)の言葉に通じ、五天竺の教えを究め、 この国に来られ、大明宮において勅命によりこの経典を翻訳され、 三巻にまとめられました。 題して「仏母大金曜孔雀明王経」とします。
これにより、仏の日輪は広く開かれ、深い闇を高く照らし、 秘密の真実の教えは広く流布し、共に利益をもたらします。 霊験あらたかな符呪が顕わになれば、あらゆる障りは自然に除かれ、 法の薬は普く施され、業による患いは永遠に滅びます。
願わくは、この法の灯が常に輝き、全法界を清く安らかにし、 皇帝陛下の御寿命は千年の春を保ち、皇室が長く栄えますように。 天龍八部が警護し、仏法の教化が常に宣揚され、 仏の勅命が光を放ち、塵劫の間も朽ちることがありませんように。
(此經須知大例,若是尋常字體傍加口者,即須彈舌道之,但為此方無字故借音耳;餘自准可依字直說,不得漫有聲勢,致使本音即便乖梵韻。又讀誦時,聲合長短,字有輕重,看注四聲而讀,終須師授方能愜當。又須粗識字義呼之,始可隨情。若至我某甲處,咸須具述所求之事。然此經有大神力,求者皆驗,五天之地,南海十洲,及北方吐貨羅等二十餘國,無問道俗,有小乘大乘者,皆共遵敬讀誦求請,咸蒙福利,交報不虛。但為舊經譯文有闕,致使神洲不多流布,雖遭厄難,讀誦者尚稀。故今綜尋諸部梵本,勘會委的,更重詳審,譯成三卷,并畫像壇場軌式,利益無邊,傳之永代耳。)
この経典を読む際には、大きな注意点を知っておく必要があります。通常の文字の脇に「口」が付けられている場合は、舌を弾いて発音しなければなりません。これは、この国(中国)に適切な文字がないため、音を借りているだけです。それ以外の部分は、基本的に文字通りに読むことができますが、適当に抑揚をつけてはならず、本来の音を損なってサンスクリットの韻律から外れてしまうことがあってはなりません。
また、読誦するときには、声の長短を合わせ、文字の軽重に気を配り、四声の注記を見ながら読む必要がありますが、最終的には師匠から直接指導を受けてこそ、適切にできるようになります。さらに、おおよその字義を知って呼称することも必要で、そうして初めて状況に応じて対応できます。
「我某甲」の部分に至ったときは、すべて求める事柄を具体的に述べなければなりません。
さて、この経典には大きな神力があり、求める者には皆、効果が現れます。五天竺の地、南海の十洲、そして北方の吐貨羅など二十余りの国々では、僧俗を問わず、小乗・大乗の区別なく、皆が共に尊び敬い、読誦し求請し、すべて福と利益を蒙り、その報いは決して虚しいものではありません。
しかし、旧訳の経文には欠落があり、そのため中華では広く流布していません。厄難に遭っても、読誦する者はまだ少ないのです。
そこで今、諸部のサンスクリット原本を探し求め、詳細に照合し、慎重に検討を重ね、三巻に訳出しました。さらに、画像や壇場の儀式も加え、その利益は計り知れず、永く後世に伝えられるでしょう。