至誠品第八
誠実の章 第八
佛言:「乃往昔有佛,名薩遮那摩等正覺、無上士、天人師、佛、世尊。時有比丘名和輪,其佛般涅槃後,是比丘持是三昧。我時作國王剎利種,於夢中聞是三昧,覺已便行,求是比丘,即依作沙門,欲得聞是三昧,承事其師三萬六千歲,魔事數數起竟不得聞。佛告比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷:『我故語汝等,疾取是三昧無得忘失,善承事其師,持是三昧,至一劫、若百劫、若百千劫,莫得有懈倦。守善師不離,若飲食資用,衣被、床臥、珍寶以上勿有愛惜。設無者當行乞食給師,趣當得是三昧莫厭,常當自割身肉供養於善師,何況寶物,此不足言耳!承事善師當如奴事大家,求是三昧者當如是。得三昧已,當堅持常念師恩。是三昧難得值,正使求是三昧至百千劫,但欲得聞其名不可得,何況學而不精進。得是三昧精進學轉教人者,正使如恒河沙佛剎滿中珍寶,用布施甚多,不如學是三昧者。』」
仏陀はおっしゃいました。「遠い昔、サーキャナマという名の如来・等正覚・無上士・天人師・仏・世尊がおられた。その仏の涅槃後、和輪という名の比丘がこの三昧を護持していた。その時、私はクシャトリア(王族)の王であり、夢の中でこの三昧について聞いた。目覚めてからすぐに求め、その比丘を探し出して、ただちに沙門(修行者)となった。この三昧を聞こうとして、三万六千歳もの長きにわたり師に仕えたが、悪魔の妨害が幾度となく起こり、ついに聞くことができなかった。
そこで仏陀は比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷(在家の信者)に告げて言われた。 『私はあなたがたに告げる。速やかにこの三昧を求めなさい。忘れたり失ったりしてはならない。よく師に仕え、この三昧を保ちなさい。一劫、百劫、百千劫を経ても、決して怠り、疲れてはならない。善き師から離れず、もし飲食や衣服・寝具・珍宝などの資具があれば、惜しみなく捧げなさい。もし何もなければ、托鉢して得たもので師を養い、この三昧を得ることを願い、厭いてはならない。自らの身の肉を切ってでも善き師に捧げるべきである。ましてや宝物など、語るに足らない。善き師に仕えることは、奴隷が主人に仕えるようにしなさい。この三昧を求める者は、そのようにすべきである。三昧を得たならば、堅く保ち、常に師の恩を思いなさい。この三昧に出会うことは極めて難しい。たとえ百千劫にわたり求めても、その名を聞くことさえ叶わないこともある。ましてや、学びながら精進しないなどありえない。この三昧を得て、精進して学び、さらに他者に教え導く者は、たとえガンジス川の砂の数ほどの仏国土に満ちる珍宝を布施するよりも、はるかに優れた功徳がある。』」
佛告颰陀和:「若有人欲學者,當助歡喜,欲學而得,學者持佛威神使學,當好書是三昧著素上,當得佛印印之,當善供養。何謂佛印?所謂不當行、無所貪、無所求、無所想、無所著、無所願、無所向生、無所取、無所顧、無所住、無所礙、無所結、無所有、盡於欲、無所生、無所滅、無所壞、無所敗,道要、道本是印。阿羅漢、辟支佛所不能及,何況愚癡者?是印是為佛印。」
仏は颰陀和に告げられました。「もし学ぼうとする人があれば、その人を喜んで助けなさい。学びたいと願って得たなら、学ぶ人は仏の威神の力によって学ぶことができます。この三昧をよく素の上に書き写し、仏の印で印を押しなさい。よく供養しなさい。何が仏の印でしょうか。行じてはならないこと、貪ることがないこと、求めることがないこと、想うことがないこと、執着することがないこと、願うことがないこと、生に向かうことがないこと、取ることがないこと、顧みることがないこと、とどまることがないこと、妨げることがないこと、結ばれることがないこと、所有することがないこと、欲を尽くすこと、生じることがないこと、滅することがないこと、壊れることがないこと、敗れることがないこと、これが道の要であり、道の本であり、これが印です。阿羅漢や辟支仏でさえ及びつかないのですから、まして愚かな者には及びもつきません。この印こそが仏の印なのです。」
佛言:「我今說是三昧時,千八百億諸天、阿須輪、鬼神、龍、人民,得須陀洹道;八百比丘得阿羅漢;五百比丘尼得阿羅漢;萬菩薩得是三昧,得無從生法於中立;萬二千菩薩不復退轉。」
佛告舍利弗、目揵連、比丘颰陀和等:「我從無數劫求道,今已得作佛,持是經囑累汝等,學誦持守無得忘失。若有欲學者,當具足安諦教之。其欲聞者,當為具足說之。」
仏は舎利弗、目犍連、比丘の跋陀和らに告げられた。 「私は無数の劫の間、道を求めてきた。今、ついに仏となった。この経を汝らに託す。学び、読み、唱え、守り、決して忘れ失ってはならない。 もし学びたいと思う者がいるならば、十分に整え、落ち着いて教えなさい。もし聞きたいと思う者がいるならば、十分に詳しく説きなさい。」
佛說經竟,颰陀和菩薩等,舍利弗、目連、比丘阿難,及諸天、阿須輪、龍、鬼神、人民,皆大歡喜,為佛作禮而去。
佛說般舟三昧經