(二)中阿含七法品晝度樹經第二(初一日誦)
(二)中阿含七法品 晝度樹経 第二(初一日誦)
我聞如是:
私はこのように聞きました。
一時,佛遊舍衛國,在勝林給孤獨園。
ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。
爾時,世尊告諸比丘:「若三十三天晝度樹葉萎黃,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹葉不久當落。復次,三十三天晝度樹葉已落,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹葉不久當還生。復次,三十三天晝度樹葉已還生,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹不久當生網。復次,三十三天晝度樹已生網,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹不久當生如鳥喙。復次,三十三天晝度樹已生如鳥喙,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹不久當開如鉢。復次,三十三天晝度樹已開如鉢,是時,三十三天悅樂歡喜,晝度樹不久當盡敷開。若晝度樹已盡敷開,光所照、色所映、香所熏,周百由延,是時,三十三天於中夏四月,以天五欲功德具足而自娛樂,是謂三十三天於晝度樹下集會娛樂也。
その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「三十三天の昼度樹の葉が萎れて黄色くなるとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹の葉はまもなく散るでしょう。 次に、三十三天の昼度樹の葉がすでに散ったとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹の葉はまもなくまた生えてくるでしょう。 次に、三十三天の昼度樹の葉がすでにまた生えたとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹はまもなく網のようなものを生じるでしょう。 次に、三十三天の昼度樹がすでに網のようなものを生じたとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹はまもなく鳥のくちばしのようなものを生じるでしょう。 次に、三十三天の昼度樹がすでに鳥のくちばしのようなものを生じたとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹はまもなく鉢のように開くでしょう。 次に、三十三天の昼度樹がすでに鉢のように開いたとき、三十三天の天衆は喜び楽しみます。昼度樹はまもなく完全に開ききるでしょう。 昼度樹がすでに完全に開ききると、その光は照らし、その色は映え、その香りは漂い、百由旬の範囲に及びます。そのとき、三十三天の天衆は夏の四か月の間、天界の五欲の功徳を具えて、そこで歓楽します。これが三十三天が昼度樹のもとに集い楽しむ様子です。」
「如是義,聖弟子亦復爾,思念出家,是時聖弟子名為葉黃,猶三十三天晝度樹葉萎黃也。復次,聖弟子剃除鬚髮,著袈裟衣,至信、捨家、無家、學道,是時聖弟子名為葉落,猶三十三天晝度樹葉落也。復次,聖弟子離欲、離惡不善之法,有覺、有觀,離生喜樂,得初禪成就遊,是時,聖弟子名葉還生,猶三十三天晝度樹葉還生也。復次,聖弟子覺觀已息,內靜、一心,無覺無觀,定生喜樂,得第二禪成就遊,是時,聖弟子名為生網,猶三十三天晝度樹生網也。復次,聖弟子離於喜欲,捨無求遊,正念正智而身覺樂,謂聖所說、聖所捨、念、樂住、空,得第三禪成就遊,是時,聖弟子名生如鳥喙,猶三十三天晝度樹如鳥喙也。復次,聖弟子樂滅、苦滅,喜憂本已滅,不苦不樂、捨、念、清淨,得第四禪成就遊,是時,聖弟子名生如鉢,猶三十三天晝度樹如鉢也。
このように、聖なる弟子もまた同じです。出家を思い立つとき、その聖なる弟子は「葉が黄ばむ」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹の葉が萎れて黄ばむようなものです。
さらに、聖なる弟子が髪やひげを剃り、袈裟をまとい、信心を抱き、家を捨てて無家となり、道を学ぶとき、その聖なる弟子は「葉が落ちる」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹の葉が落ちるようなものです。
さらに、聖なる弟子が欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、覚りと観察を保ちながら、離れて生じる喜びと楽しみを得て、初禅を成就して遊ぶとき、その聖なる弟子は「葉が再び生える」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹の葉が再び生えるようなものです。
さらに、聖なる弟子が覚りと観察を静め、内に静まり、一心となり、覚りも観察もなく、定から生じる喜びと楽しみを得て、第二禅を成就して遊ぶとき、その聖なる弟子は「網が生じる」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹に網が生じるようなものです。
さらに、聖なる弟子が喜びの欲を離れ、捨てて求めず遊び、正しい念いと正しい智慧をもって身に楽を覚え、聖なる者が説き、聖なる者が捨て、念い、楽しく住み、空を得て、第三禅を成就して遊ぶとき、その聖なる弟子は「鳥のくちばしのように生じる」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹が鳥のくちばしのようになるようなものです。
さらに、聖なる弟子が楽を滅し、苦を滅し、喜びと憂いの根源がすでに滅し、苦もなく楽もなく、捨て、念い、清浄を得て、第四禅を成就して遊ぶとき、その聖なる弟子は「鉢のように生じる」と呼ばれます。それは三十三天の昼度樹が鉢のようになるようなものです。
「復次,聖弟子諸漏已盡,心解脫、慧解脫,於現法中自知自覺,自作證成就遊,生已盡,梵行已立,所作已辦,不更受有,知如真,是時,聖弟子名盡敷開,猶三十三天晝度樹盡敷開也。彼為漏盡阿羅訶比丘,三十三天集在善法正殿,咨嗟稱歎:『某尊弟子於某村邑剃除鬚髮,著袈裟衣,至信、捨家、無家、學道,諸漏已盡,心解脫、慧解脫,於現法中自知自覺,自作證成就遊,生已盡,梵行已立,所作已辦,不更受有,知如真。』是謂漏盡阿羅訶共集會也,如三十三天晝度樹下共集會也。」
また、聖なる弟子はすべての煩悩がすでに尽き、心は解脱し、智慧は解脱し、現世において自ら知り自ら覚り、自ら証得して成就し、遊行する。生はすでに尽き、清らかな行いはすでに成り立ち、なすべきことはすでに為され、再び有を受けることがなく、真実のままに知る。この時、聖なる弟子は満開の花と名づけられる。ちょうど三十三天の昼度樹が満開となるように。彼は煩悩を尽くした阿羅漢の比丘であり、三十三天の神々は善法正殿に集い、讃嘆して言う。『ある尊き弟子が、ある村や町で髪を剃り、袈裟を着て、深く信じ、家を捨て、家なくして道を学び、すべての煩悩がすでに尽き、心は解脱し、智慧は解脱し、現世において自ら知り自ら覚り、自ら証得して成就し、遊行する。生はすでに尽き、清らかな行いはすでに成り立ち、なすべきことはすでに為され、再び有を受けることがなく、真実のままに知る。』これが煩悩を尽くした阿羅漢の共に集う会であり、三十三天の神々が昼度樹の下に共に集う会のようである。
佛說如是。彼諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。
このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。
晝度樹經第二竟(七百五十二字)
『昼度樹経』第二巻 終わり(七百五十二字)