(三)中阿含七法品城喻經第三(初一日誦)
(三)中阿含七法品・城喩経第三(初一日誦)
我聞如是:
私はこのように聞きました。
一時,佛遊舍衛國,在勝林給孤獨園。
ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。
爾時,世尊告諸比丘:「如王邊城七事具足,四食豐饒,易不難得,是故王城不為外敵破,唯除內自壞。
その時、世尊は比丘たちに告げられた。「たとえば、王の辺境の城に七つの条件が整い、四種の食糧が豊かで、容易に手に入り難しくないならば、その王城は外敵によって破られることはない。ただ、内側から自ら壊れることだけが、その城を滅ぼすのだ。
「云何王城七事具足?謂王邊城造立樓櫓,築地使堅,不可毀壞,為內安隱,制外怨敵,是謂王城一事具足。復次,如王邊城掘鑿池壍,極使深廣,修備可依,為內安隱,制外怨敵,是謂王城二事具足。復次,如王邊城周匝通道,開除平博,為內安隱,制外怨敵,是謂王城三事具足。復次,如王邊城集四種軍力,象軍、馬軍、車軍、步軍,為內安隱,制外怨敵,是謂王城四事具足。復次,如王邊城豫備軍器弓、矢、鉾、戟,為內安隱,制外怨敵,是謂王城五事具足。復次,如王邊城立守門大將,明略智辯,勇毅奇謀,善則聽入,不善則禁,為內安隱,制外怨敵,是謂王城六事具足。復次,如王邊城築立高墻,令極牢固,泥塗堊灑,為內安隱,制外怨敵,是謂王城七事具足也。
王の城が七つの条件を備えているとは、どういうことでしょうか。
第一に、王の城には見張り櫓が築かれ、地盤が固く整えられて、壊されることがありません。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第一の条件です。
第二に、王の城の周りには堀が掘られ、深く広く、頼りになるように整備されています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第二の条件です。
第三に、王の城の周囲には道が通じ、平らに開かれています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第三の条件です。
第四に、王の城には四種の軍勢、すなわち象軍、馬軍、車軍、歩軍が集められています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第四の条件です。
第五に、王の城には、弓、矢、矛、戟などの武器が備えられています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第五の条件です。
第六に、王の城には城門を守る大将がいて、聡明で弁が立ち、勇猛で優れた策略を持ち、善き者は通し、不善き者は通さないようにしています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第六の条件です。
第七に、王の城には高い城壁が築かれ、非常に堅固で、漆喰が塗られています。これによって内側を安らかに保ち、外敵を防ぐのです。これが王の城の第七の条件です。
「云何王城四食豐饒,易不難得?謂王邊城水草樵木,資有豫備,為內安隱,制外怨敵,是謂王城一食豐饒,易不難得。復次,如王邊城多收稻穀及儲畜麥,為內安隱,制外怨敵,是謂王城二食豐饒,易不難得。復次,如王邊城多積秥豆及大小豆,為內安隱,制外怨敵,是謂王城三食豐饒,易不難得。復次,如王邊城畜酥油、蜜及甘蔗、餹、魚、鹽、脯肉,一切具足,為內安隱,制外怨敵,是謂王城四食豐饒,易不難得。如是王城七事具足,四食豐饒,易不難得,不為外敵破,唯除內自壞。
王城が四種類の食糧に恵まれ、容易に手に入るとは、どういうことでしょうか。
第一に、王の都の周辺には水や草、薪や木材が豊富に備えられています。これは内部を安らかに保ち、外敵を防ぐためのものです。これが王城の第一の食糧の豊かさ、容易に得られる恵みです。
第二に、王の都の周辺では多くの米や麦が収穫され、蓄えられています。これも内部の安寧を保ち、外敵を制するためのものです。これが王城の第二の食糧の豊かさ、容易に得られる恵みです。
第三に、王の都の周辺には、豆類や大小さまざまな豆がたくさん蓄えられています。これも内部を安らかにし、外敵を防ぐためのものです。これが王城の第三の食糧の豊かさ、容易に得られる恵みです。
第四に、王の都の周辺には、バターや油、蜜、砂糖きび、砂糖、魚、塩、干し肉など、あらゆるものが十分に備えられています。これも内部の安寧を保ち、外敵を制するためのものです。これが王城の第四の食糧の豊かさ、容易に得られる恵みです。
このように、王城は七つの条件を備え、四種類の食糧に恵まれ、容易に手に入る状態にあります。外敵によって破られることはなく、ただ内部から自らが崩れることだけが恐れられるのです。
「如是,若聖弟子亦得七善法,逮四增上心,易不難得。是故聖弟子不為魔王之所得便,亦不隨惡不善之法,不為染污所染,不復更受生也。
このように、聖なる弟子たちも七つの善き法を得て、四つの増上心に到達します。それは難しくなく、容易に得られるものです。ですから、聖なる弟子たちは魔王の手に落ちることもなく、悪しき不善の法に従うこともありません。汚れに染まることもなく、再び生を受けることもないのです。
「云何聖弟子得七善法?謂聖弟子得堅固信,深著如來,信根已立,終不隨外沙門、梵志,若天、魔、梵及餘世間,是謂聖弟子得一善法。復次,聖弟子常行慚耻,可慚知慚,惡不善法穢汙煩惱,受諸惡報,造生死本,是謂聖弟子得二善法。復次,聖弟子常行羞愧,可愧知愧,惡不善法穢汙煩惱,受諸惡報,造生死本,是謂聖弟子得三善法。復次,聖弟子常行精進,斷惡不善,修諸善法,恒自起意,專一堅固,為諸善本,不捨方便,是謂聖弟子得四善法。復次,聖弟子廣學多聞,守持不忘,積聚博聞,所謂法者,初善、中善、竟亦善,有義有文,具足清淨,顯現梵行,如是諸法廣學多聞,翫習至千,意所惟觀,明見深達,是謂聖弟子得五善法。復次,聖弟子常行於念,成就正念,久所曾習,久所曾聞,恒憶不忘,是謂聖弟子得六善法。復次,聖弟子修行智慧,觀興衰法,得如此智,聖慧明達,分別曉了,以正盡苦,是謂聖弟子得七善法也。
聖なる弟子はどのようにして七つの善き法を得るのでしょうか。
聖なる弟子は、揺るぎない信心を得て、如来に深く帰依します。信の根が確立され、もはや外道の沙門やバラモン、あるいは天、魔、梵天、その他の世間の者に従うことはありません。これが、聖なる弟子が得る第一の善き法です。
次に、聖なる弟子は常に慚(自らを恥じる心)を行じます。恥じるべきことを知り、恥じる心を持ちます。悪しき不善の法は、心を汚し煩悩をもたらし、さまざまな悪い報いを受け、生死の根源を造り出すからです。これが、聖なる弟子が得る第二の善き法です。
次に、聖なる弟子は常に愧(他を恥じる心)を行じます。恥じるべきことを知り、恥じる心を持ちます。悪しき不善の法は、心を汚し煩悩をもたらし、さまざまな悪い報いを受け、生死の根源を造り出すからです。これが、聖なる弟子が得る第三の善き法です。
次に、聖なる弟子は常に精進を行じます。悪しき不善を断ち、さまざまな善き法を修めます。常に自ら心を起こし、一つのことに専念して確固とし、すべての善き行いの根本とします。努力を怠ることはありません。これが、聖なる弟子が得る第四の善き法です。
次に、聖なる弟子は広く学び多く聞き、それを守り持ち忘れず、博く聞いたことを積み重ねます。いわゆる法とは、初めも善く、中ほども善く、終わりも善く、意味があり言葉があり、完全に清らかで、清浄な行いを明らかに示すものです。このような諸々の法を広く学び多く聞き、繰り返し学んで千回に至り、心で思惟し観察し、明らかに見て深く理解します。これが、聖なる弟子が得る第五の善き法です。
次に、聖なる弟子は常に念を行じ、正しい念を成就します。長く慣れ親しんだこと、長く聞いてきたことを、常に思い出して忘れません。これが、聖なる弟子が得る第六の善き法です。
次に、聖なる弟子は智慧を修め行じます。物事の興りと衰えを観察し、このような智慧を得ます。聖なる智慧は明らかで透徹しており、物事を分別し明らかに理解し、正しく苦を滅尽します。これが、聖なる弟子が得る第七の善き法です。
「云何聖弟子逮四增上心,易不難得?謂聖弟子離欲、離惡不善之法,有覺、有觀,離生喜樂,逮初禪成就遊,是謂聖弟子逮初增上心,易不難得。復次,聖弟子覺、觀已息,內靜、一心,無覺、無觀,定生喜樂,逮第二禪成就遊,是謂聖弟子逮第二增上心,易不難得。復次,聖弟子離於喜欲,捨無求遊,正念正智而身覺樂,謂聖所說、聖所捨、念、樂住、空,逮第三禪成就遊,是謂聖弟子逮第三增上心,易不難得。復次,聖弟子樂滅、苦滅,喜憂本已滅,不苦不樂、捨、念、清淨,逮第四禪成就遊,是謂聖弟子逮第四增上心,易不難得。
聖なる弟子は、どのようにして四つの増上心を容易に、難なく得ることができるのでしょうか。
聖なる弟子は、欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、覚(尋)と観(伺)があり、離れて生じる喜びと楽しみを得て、初禅を成就し、その境地に遊びます。これが聖なる弟子が初の増上心を容易に、難なく得るということです。
さらに、聖なる弟子は覚と観がすでに静まり、内に静寂を得て心が一つになり、覚も観もなく、定から生じる喜びと楽しみを得て、第二禅を成就し、その境地に遊びます。これが聖なる弟子が第二の増上心を容易に、難なく得るということです。
さらに、聖なる弟子は喜びへの欲を離れ、捨てて求めずに遊び、正しい念と正しい智をもって身に楽を覚え、聖者が説き、聖者が捨て、念と楽に住み、空を得て、第三禅を成就し、その境地に遊びます。これが聖なる弟子が第三の増上心を容易に、難なく得るということです。
さらに、聖なる弟子は楽が滅し、苦が滅し、喜びと憂いの根本がすでに滅し、苦も楽もなく、捨と念と清浄さを得て、第四禅を成就し、その境地に遊びます。これが聖なる弟子が第四の増上心を容易に、難なく得るということです。
「如是,聖弟子得七善法,逮四增上心,易不難得。不為魔王之所得便,亦不隨惡不善之法,不為染污所染,不復更受生。如王邊城造立樓櫓,築地使堅,不可毀壞,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子得堅固信,深著如來,信根已立,終不隨外沙門,梵志,若天、魔、梵及餘世間,是謂聖弟子得信樓櫓,除惡不善,修諸善法也。
このように、聖なる弟子は七つの善き法を得、四つの増上心に到達し、容易に得ることが難しくない。魔王の手に落ちることもなく、悪しき不善の法に従うこともなく、汚れに染まることもなく、再び生を受けることもない。
王が辺境の城に望楼を築き、地盤を固めて壊れないようにし、内を安らかにし、外の敵を制するように、このように聖なる弟子は堅固な信を得て、如来に深く帰依し、信の根が確立され、終に外道の沙門やバラモン、あるいは天、魔、梵天、その他の世間のものに従うことはない。これこそ聖なる弟子が信の望楼を得て、悪しき不善を除き、諸々の善き法を修めることである。
「如王邊城掘鑿池塹,極使深廣,修備可依,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子常行慚耻,可慚知慚,惡不善法穢汙煩惱,受諸惡報,造生死本,是謂聖弟子得慚池塹,除惡不善,修諸善法也。
王様が城の周りに堀を掘り、池を造り、極めて深く広くし、頼りになる防備を整え、内を安穏にし、外の敵を制するように。このように、聖なる弟子は常に恥を知り、恥ずべきことを恥じ、悪しき不善の法、穢れ煩わしき煩悩、諸々の悪い報いを受け、生死の根本を造ることを知る。これを聖なる弟子が恥の堀と池を得て、悪しき不善を除き、諸々の善き法を修めるというのである。
「如王邊城周匝通道,開除平博,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子常行羞愧,可愧知愧,惡不善法穢污煩惱,受諸惡報,造生死本,是謂聖弟子得愧平道,除惡不善,修諸善法也。
王の辺境の城のように、周囲に通路を巡らせ、平らに整え、内は安穏にして、外の敵を防ぐように。
このように、聖なる弟子は常に恥じる心を保ち、恥じるべきことを恥じ、悪しき不善の法が煩悩を汚し、悪い報いを受け、生死の根源となることを知る。
これが聖なる弟子が恥じる心という平らな道を得て、悪しき不善を除き、善き法を修めることなのです。
「如王邊城集四種軍力,象軍、馬軍、車軍、步軍,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子常行精進,斷惡不善,修諸善法,恒自起意,專一堅固,為諸善本,不捨方便,是謂聖弟子得精進軍力,除惡不善,修諸善法也。
王が辺境の城に四種の軍勢――象軍、馬軍、車軍、歩軍――を集めて、内を安穏にし、外敵を制するように、聖なる弟子は常に精進を行い、悪しき不善を断ち、もろもろの善き法を修めます。常に自ら心を起こし、一つのことに専念して確固たる意志を持ち、善き行いの根本とし、方便を捨てることなく、これをもって聖なる弟子は精進の軍勢を得て、悪しき不善を除き、もろもろの善き法を修めるのです。
「如王邊城豫備軍器弓、矢、鉾、戟,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子廣學多聞,守持不忘,積聚博聞,所謂法者,初善、中善、竟亦善,有義有文,具足清淨,顯現梵行。如是諸法廣學多聞,翫習至千,意所惟觀,明見深達,是謂聖弟子得多聞軍器,除惡不善,修諸善法也。
王様が城の周りに武器を備え、弓や矢、矛や戟を整えて、内を安らかに保ち、外の敵を防ぐように、聖なる弟子もまた広く学び、多くを聞き、それを守り忘れず、知識を積み重ねます。法とは、初めも善く、中程も善く、終わりも善く、意味があり、言葉も整い、清らかで完全な、梵行を明らかに示すものです。このような法を広く学び、多くを聞き、繰り返し修練し、心を集中して観察し、明らかに見極め、深く理解する。これこそが、聖なる弟子が得る多聞の武器であり、悪しき不善を除き、善き法を修めることなのです。
「如王邊城立守門大將,明略智辯,勇毅奇謀,善則聽入,不善則禁,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子常行於念,成就正念,久所曾習,久所曾聞,恒憶不忘,是謂聖弟子得念守門大將,除惡不善,修諸善法也。
王の城の門を守る大将のように、明るい知略と勇気ある奇策を持ち、善き者は通し、不善き者は禁じ、内を安穏にし、外の怨敵を制する。このように、聖なる弟子は常に念を行じ、正念を成就し、久しく習い、久しく聞いたことを常に思い出して忘れない。これが聖なる弟子が念の守門大将を得て、悪しき不善を除き、善き法を修めることである。
「如王邊城築立高牆,令極牢固,泥塗堊灑,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子修行智慧,觀興衰法,得如此智,聖慧明達,分別曉了,以正盡苦,是謂聖弟子得智慧牆,除惡不善,修諸善法也。
王が国境の城に高く堅固な城壁を築き、泥を塗り漆喰を施し、内を安穏にし、外の敵を防ぐように、聖なる弟子も智慧を修め、物事の盛衰を観察します。この智慧を得て、聖なる慧眼は明らかに達し、物事を分別し理解し、正しく苦を滅ぼします。これこそ聖なる弟子が智慧の城壁を得て、悪しき不善を除き、善き法を修めることです。
「如王邊城水草樵木,資有豫備,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子離欲、離惡不善之法,有覺、有觀,離生喜樂,逮初禪成就遊,樂住無乏,安隱快樂,自致涅槃也。
王が城の周囲に水や草、薪や材木を備え、内を安らかにし、外の敵を防ぐように、聖なる弟子もまた、欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、覚と観を保ちながら、離れることから生じる喜びと楽しみを得て、初禅に到達し、安楽に住み、不足なく、安穏で快適に、自ら涅槃へと至るのです。
「如王邊城多收稻穀及儲畜麥,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子覺、觀已息,內靜、一心,無覺、無觀,定生喜樂,逮第二禪成就遊,樂住無乏,安隱快樂,自致涅槃也。
王が城の周辺に多くの稲や麦を蓄え、内を安らかにし、外の敵を防ぐように、聖なる弟子は、覚と観を静め、内に静まり、心を一つにし、覚も観もなく、定から喜びと楽しみが生じ、第二禅を成就して遊び、楽しく安らかに住み、乏しきことなく、安穏で快適に、自ら涅槃に至るのである。
「如王邊城多積秥豆及大小豆,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子離於喜欲,捨無求遊,正念正智而身覺樂,謂聖所說、聖所捨、念、樂住、空,逮第三禪成就遊,樂住無乏,安隱快樂,自致涅槃也。
王の辺境の城が、多くの豆や大小の豆を蓄えて、内を安穏にし、外敵を防ぐように。同じく、聖なる弟子は喜びや欲望を離れ、求めも捨てて遊び、正しい念いと正しい智恵をもって、身に楽を覚える。これは聖なる者が説き、聖なる者が捨て、念い、楽しく住み、空に至り、第三禅を成就して遊ぶことである。楽しく住んで不足なく、安穏で快適であり、自ら涅槃に至るのである。
「如王邊城畜酥油、蜜及甘蔗、餹、魚、鹽、脯肉,一切充足,為內安隱,制外怨敵。如是,聖弟子樂滅、苦滅,喜、憂本已滅,不苦不樂、捨、念、清淨,逮第四禪成就遊,樂住無乏,安隱快樂,自致涅槃。」
王の辺境の城が、酥油(乳製品)や蜜、砂糖、魚、塩、干し肉などを蓄え、すべてが満ち足りて、内は安らかで外の敵を防ぐように、聖なる弟子もまた、楽が滅し、苦が滅し、喜びや憂いの根本がすでに滅して、苦もなく楽もなく、捨てる心と正しい気づきが清らかとなり、第四禅を成就して安住する。楽しみに満ちて不足なく、安らかで快適であり、自ら涅槃へと至るのである。
佛說如是。彼諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。
このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。
城喻經第三竟(一千九百二字)
城の譬え経第三 終わり(千九百二字)