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大智度論 (大智度論)


摩訶般若波羅蜜經釋論序

大般若波羅蜜多経釈論序

長安釋僧叡述

長安の僧侶、僧叡が記す

夫萬有本於生生而生,生者無生;變化兆於物始而始,始者無始。然則無生、無始,物之性也。生、始不動於性,而萬有陳於外、悔吝生於內者,其唯邪思乎!正覺有以見邪思之自起故,阿含為之作;知滯有之由惑故,般若為之照。然而照本希夷,津涯浩汗,理超文表,趣絕思境。以言求之,則乖其深;以智測之,則失其旨。二乘所以顛沛於三藏,雜學所以曝鱗於龍門者,不其然乎!

万物は生じることによって生まれるが、その生じるものには実体がない。変化は物事の始まりに兆すが、その始まりには本当の始まりがない。それゆえ、無生・無始こそが物の本性なのだ。

生も始まりも本性を動かさないのに、外界に様々な現象が現れ、内面に迷いや後悔が生じるのは、邪な思いのせいではないだろうか。

正覚者は邪な思いが自ら起こるのを見て、阿含経を説いた。存在に執着するのは迷いからだと知り、般若の智慧で照らした。

しかし、その智慧の源は微かで広大であり、道理は言葉を超え、真実の境地は思考の及ぶところではない。言葉で求めれば深みから外れ、知恵で測れば真意を失う。

二乗の者が三蔵に翻弄され、雑多な学問を修める者が龍門で挫折するのは、まさにこのためではないか。

是以馬鳴起於正法之餘,龍樹生於像法之末。正餘易弘故,直振其遺風瑩拂而已。像末多端故,乃寄跡凡夫示悟物以漸,又假照龍宮以朗搜玄之慧,託聞幽祕以窮微言之妙,爾乃憲章智典作茲釋論。其開夷路也,則令大乘之駕方軌而直入;其辯實相也,則使妄見之惑不遠而自復。

馬鳴は正法の余韻に生まれ、龍樹は像法の末に生まれた。正法の余韻は広めやすかったため、馬鳴はその遺風を振るい、磨き上げるだけでよかった。像法の末は複雑多岐だったため、龍樹は凡夫の姿を借りて、人々に徐々に悟りを開かせ、また龍宮の光に照らされて玄妙を探求する知恵を明らかにし、秘奥を聞き極めて微妙な言葉の妙を究めた。こうして智恵の経典を手本としてこの釈論を作ったのである。その開いた平坦な道は、大乗の車が二輪を揃えて真っ直ぐに入ることを可能にし、その弁じた実相は、妄見の迷いを遠くに行かずして自ら立ち返らせる。

其為論也,初辭擬之,必標眾異以盡美;卒成之終,則舉無執以盡善。釋所不盡,則立論以明之;論其未辯,則寄折中以定之。使靈篇無難喻之章,千載悟作者之旨,信若人之功矣!

この論を為すにあたり、初めの言葉を構えるときには、必ず多くの異なる見解を示してその美を尽くし、最終的に完成させる終わりには、執着のない境地を挙げてその善を尽くす。釈迦の説き尽くせなかったところは、論を立てて明らかにし、論じ尽くせなかったことは、中道の立場に寄せて定める。霊妙な経典に理解し難い章句なく、千年の時を経て作者の意図を悟らせる。まことにこの人の功績は確かなものだ。

有鳩摩羅耆婆法師者,少播聰慧之聞,長集奇拔之譽,才舉則亢標萬里,言發則英辯榮枯,常杖茲論為淵鏡憑高、致以明宗。以秦弘始三年,歲次星紀,十二月二十日,自姑臧至長安。秦王虛襟既已蘊在,昔見之心豈徒則悅而已!晤言相對,則淹留終日;研微造盡,則窮年忘倦。又以晤言之功雖深,而恨獨符之心不曠;造盡之要雖玄,而惜津梁之勢未普。遂以莫逆之懷,相與弘兼忘之慧,乃集京師義業沙門,命公卿賞契之士五百餘人,集於渭濱逍遙園堂。鑾輿佇駕於洪涘,禁禦息警於林間。躬覽玄章,考正名於梵本;諮通津要,坦夷路於來踐。

鳩摩羅什法師という方がいらっしゃいました。幼い頃から聡明さで知られ、成長するにつれて非凡な評判を集められました。才知を発揮すればその名声は万里に響き渡り、言葉を発すれば栄枯盛衰を鮮やかに弁じられました。常にこの論を拠り所として、深遠な教えの鏡とし、高みに立って宗義を明らかにされました。

弘始三年、星紀の年に当たる十二月二十日、姑臧から長安へと到着されました。秦王(姚興)は虚心坦懐に迎えられ、かねてからの想いを胸に秘め、ただ喜ぶだけでなく、深く敬意を表されました。語り合えば終日時を忘れ、真理を探究すれば一年中倦むことを知りませんでした。

しかし、語り合うことで得られた功徳は深いものの、心を通わせる機会が十分でないことを残念に思われました。真理の探究は奥深いものの、その道筋を広く示すことができていないことを惜しまれました。そこで、互いに逆らうことのない心で、一切を忘れて智慧を広めようと、都の学僧や教理に通じた公卿・士人五百余人を集め、渭水のほとりの逍遙園の堂に招かれました。

御車は川辺に停められ、禁中の警護も林の中で休みました。自ら経典の玄妙な章句を読み、梵本に照らして正しい名義を確かめられました。要所を尋ねて理解し、来るべき人々のために平坦な道を開かれたのです。

經本既定,乃出此釋論。論之略本有十萬偈,偈有三十二字,并三百二十萬言。梵夏既乖,又有煩簡之異,三分除二,得此百卷。於大智三十萬言,玄章婉旨,朗然可見,歸途直達,無復惑趣之疑,以文求之無間然矣。

経典の本文が定まった後、この釈論が編纂されました。論の略本は十万の偈からなり、一偈は三十二字で、合わせて三百二十万字に及びます。梵語と漢語は言語体系が異なり、また煩雑さと簡潔さの違いがあるため、三分の二を削除し、この百巻を得ました。大智度論三十万字の中には、深遠な章句と婉曲な旨趣が明らかに見て取れ、悟りへの道はまっすぐに通じており、もはや迷いや疑いの余地はありません。文章を通じて求めるならば、何の隔たりもないでしょう。

故天竺傳云:「像、正之末,微馬鳴、龍樹,道學之門其淪胥溺喪矣!」其故何耶?寔由二未𢍆微邪法用盛,虛言與實教並興,嶮徑與夷路爭轍,始進者化之而流離,向道者惑之而播越,非二匠其孰與正之!是以天竺諸國,為之立廟,宗之若佛。又稱而詠之曰:「智慧日已頹,斯人令再曜;世昏寢已久,斯人悟令覺。」若然者,真可謂功格十地,道侔補處者矣!傳而稱之,不亦宜乎!幸哉!此中鄙之外,忽得全有此論。

それゆえ、天竺の伝承にこう言われています。 「像法・正法の末期、もし馬鳴と龍樹がいなければ、仏道の門はすっかり沈み失われてしまったであろう!」と。

その理由は何でしょうか? まことに、二つのことが明らかでなく、邪法が盛んになり、虚言と真実の教えがともに興り、険しい道と平らな道が入り乱れたためです。 初めて入門する者は教化されて迷い出てしまい、仏道を志す者は惑わされて道を踏み外してしまう。 この二人の匠(すぐれた師)でなければ、いったい誰がこれを正すことができたでしょうか。

このため、天竺の諸国は彼らのために廟を建て、仏のように尊崇しました。 また、彼らを称えて詠い歌いました。 「智慧の日はすでに傾き、この人(馬鳴・龍樹)が再び輝かせた。 世の闇は久しく眠っていたが、この人が目覚めさせてくれた。」と。

もしそうであるなら、まさにその功績は十地に及び、その道は補処(弥勒菩薩)に匹敵するといえるでしょう。 伝承が彼らを称えるのは、まことにふさわしいことです。

なんと幸いなことでしょう。この辺境の地に、この論書が完全な形で伝わっているとは。

梵文委曲,皆如初品。法師以秦人好簡故,裁而略之。若備譯其文,將近千有餘卷。法師於秦語大格,唯譯一往;方言殊好,猶隔而未通。苟言不相喻,則情無由比。不比之情,則不可以託悟懷於文表;不喻之言,亦何得委殊塗於一致。理固然矣,進欲停筆爭是,則交競終日卒無所成;退欲簡而便之,則負傷於穿鑿之譏以二三。唯案譯而書,都不備飾。幸冀明悟之賢,略其文而挹其玄也!

サンスクリット語の原文は細部に至るまで、すべて初品と同じように詳しいものです。しかし、法師は秦の人々が簡潔さを好むことを考慮し、内容を取捨選択して簡略化しました。もし原文をすべて訳し尽くすならば、千巻近くになってしまうでしょう。法師の秦語(漢語)の理解は、おおまかなところは把握できても、細かな方言や表現の好みについては、まだ隔たりがあって十分には通じていません。もし言葉が互いに理解し合えなければ、思いも通じることはありません。思いが通じなければ、文章の奥にある真意を託すことはできず、言葉が理解できなければ、異なる道筋を一つの結論にまとめることもできません。これは当然の道理です。

前に進んで筆を止めて論争しようとすれば、終日争い続けても結局何も成し遂げられず、後退して簡略化してしまおうとすれば、穿鑿(無理な解釈)の非難を負うことになります。そこで、ただ訳文に従って書き記し、一切の飾り立てはしません。悟りに明るい賢者の方々には、どうか文章の細部にはこだわらず、その奥深い真髄を汲み取っていただければ幸いです。

大智度初序品中緣起義釋論第一(卷第一)

大智度論 初序品 縁起義釈論 第一巻

龍樹菩薩造

龍樹菩薩の教え

後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯

後秦・亀茲国三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳


1 序品

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