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円覚経大疏 (圓覺經大疏)


No. 243-B大方廣圓覺經大疏(本序)
終南山草堂寺沙門 宗密述

終南山草堂寺沙門 宗密 述

元亨利貞,乾之德也,始於一氣。常樂我淨,佛之德也,本乎一心。專一氣而致柔,脩一心而成道,心也者冲虗妙粹,炳煥靈明,無去無來,冥通三際,非中非外,洞徹十方,不滅不生,豈四山之可害,離性離相,奚五色之能盲,處生死流,驪珠獨耀於滄海,踞涅槃岸,桂輪孤朗於碧天,大矣哉,萬法資始也,萬法虗偽,緣會而生,生法本無,一切唯識,識如幻夢,但是一心,心寂而知,目之圓覺,彌滿清淨,中不容他,故德用無邊,皆同一性,性起為相,境智歷然,相得性融,身心廓爾,方之海印,超彼太虗,恢恢焉,晃晃焉,逈出思議之表,我佛證此,憫物迷之,再歎奇哉,三思大事,既全十力,能摧樹下魔軍,爰起四心,欲示宅中寶藏,然迷頭捨父,悟有易難,故仙苑覺場,教興頓漸,漸設五時之異,空有迭彰,頓無二諦之殊,幽靈絕待,今此經者,頓之類歟,故如來入寂光土,凡聖一源,現受用身,主伴同會,曼殊大士創問本起之因,薄伽至尊首提究竟之果,照斯真體,滅彼夢形,知無我人,誰受輪轉,種種幻化,生於覺心,幻盡覺圓,心通法徧,心本是佛,由念起而漂沈,岸實不移,因舟行而鶩驟,頓除妄宰,空不生華,漸竭愛源,金無重鑛,理絕修證,智似階差,覺前前非,名後後位,況妄忘起滅,德等圓明者焉。然出廐良駒,已搖鞭影,薶塵大寶,須設治方,故三觀澄明,真假俱入,諸輪綺互,單複圓修,四相潛神,非覺違拒,四病出體,心華發明,復令長中下期,克念攝念而加行,別徧互習,業障惑障而銷亡,成就慧身,靜極覺徧百千世界,佛境現前,是以聞五種名,超剎寶施福,說半偈義,勝河沙小乘,實由無法不持,無機不被者也。

元亨利貞、これは乾の徳であり、一つの気に始まります。常楽我浄、これは仏の徳であり、一つの心に基づきます。一つの気に専念して柔らかさを成就し、一つの心を修めて道を成し遂げます。心とは、虚ろにして精妙、明るく輝き、去ることも来ることもなく、三世に冥かに通じ、内でも外でもなく、十方を徹見し、滅することも生じることもなく、四大の山がどうして害することができましょうか。性を離れ相を離れるなら、五色がどうして盲目にできましょうか。生死の流れにありながら、驪珠が大海にただ一際輝き、涅槃の岸に留まりながら、桂の月輪が青空にただ朗らかにかかっています。なんと偉大なことか!万法はここに始まります。万法は虚偽であり、縁が和合して生じます。生じる法は本来無く、すべてはただ識而已です。識は夢幻の如く、ただ一心のみ。心は寂滅でありながら知る、これを円覚と言います。完全に清らかで、その中に他のものを容れません。ゆえに徳のはたらきは限りなく、すべてが一つの性と同じです。性が起こって相となり、境と智が明らかです。相は性に溶け込み、身心は広々として、海の印に喩えられ、あの太虚を超えています。広大であり、明らかであり、思議の及ばない領域を超えています。我が仏はこのことを証し、物に迷うことを憐れみ、再び「奇なるかな」と嘆き、三度大事を思いました。すでに十力を完全に備え、樹下の魔軍を打ち破り、ここに四つの心を起こし、家の中の宝蔵を示そうとされました。

しかし、頭を迷い父を捨てるように、悟りには易しいと難しいがあります。ゆえに、仙苑と覚場において、教えは頓と漸に興りました。漸は五時の異なりを設け、空と有が交互に顕れます。頓には二諦の別はなく、幽霊は絶対です。今この経は、頓の類ではないでしょうか。故に如来は寂光土に入り、凡聖は一つの源となり、受用身を現し、主と伴が同じ会に集ります。文殊菩薩が初めて本起の因を問い、世尊がついに究竟の果を説き示されます。この真の本体を照らし、あの夢の形を滅ぼし、我も人も無いと知れば、誰が輪廻を受けるのでしょうか。様々な幻化は覚心から生じ、幻が尽き覚が円らかになれば、心は通じ法は遍く充ちます。心はもともと仏であり、念が起きて漂い沈みます。岸は実は動かないのに、舟が進むために慌て進むのです。忽然と妄りの主を断てば、空には華が生じず、徐々に愛の源を尽くせば、金には重ねて鉱石が無くなります。理には修証がなく、智には階梯のような差があります。前の前の誤りを覚って、後の後の位と名付けます。まして妄が起滅を忘れ、徳は円明に等しいのです。

しかし、厩から出た良駒はすでに鞭の影が揺れ、塵に埋もれた大宝には、なお治める方法が必要です。ゆえに三観が澄み明らかになれば、真も仮も共に入ります。諸々の輪は互いに織り成し、単と複、円の修め方があります。四相は心に潜み、覚は拒まず、四病が体から出ると、心華が発明されます。さらに長・中・下の期間を設け、念を起して念を収め、加行を行い、別々に、遍く互いに習えば、業障と惑障は消え去ります。慧身を成就し、静けさの極みに達すれば覚は百千世界に遍く、仏の境が眼前に現れます。ゆえに五種の名を聞けば、刹土の宝を施す福を超え、半偈の義を説けば、河の砂の如く多くの小乗よりも勝れています。実に、法を説かないものは無く、機根に合わないものは無いからです。

噫,巴歌和眾,似量騰於猿心,雪曲應稀,了義匿於龍藏,宗密髫專魯誥,冠討竺墳,俱溺筌罤,唯味糟粕,幸於涪上,針芥相投,禪遇南宗,教逢斯典,一言之下,心地開通,一軸之中,義天朗耀,頃以道非常道,諸行無常,今知心是佛心,定當作佛,然佛稱種智,修假多聞,故復行詣百城,坐探羣籍,講雖濫泰,學且師安,叨沐猶吾之納,謬當真子之印,再逢親友,彌感佛恩,久慨孤貧,將陳法施,採集般若,綸貫華嚴,提挈毗尼,發明唯識,然醫方萬品,宜選對治,海寶千般,先求如意,觀夫文富義博,誠讓雜華,指體投機,無偕圓覺,故參詳諸論,反復百家,以利其器,方為疏解,冥心聖旨,極思研精,義備性相,禪兼頓漸,使游刃之士,無假傍求,反照之徒,不看他面,斯其志矣。

ああ、巴歌(俗な歌)の群れは、猿の心のような量りが高く、雪曲(高雅な曲)に応える者は少なく、真実の意味は龍蔵(経典)の中に隠れている。宗密は幼い頃に魯の経典(儒教の教え)を学び、成長してからはインドの典籍を研究したが、いずれも言葉という罠に溺れ、ただ粕のみを味わっていた。幸いにも涪の地で、針と芥(まぐさ)のように投合し、禅は南宗に出会い、教えはこの経典に巡り合った。一言の下に、心の地は開通し、一軸の中に、義の天は明らかに輝いた。

かつては「道は常なる道にあらず」、諸行は無常なりと説いていたが、今は心こそが仏の心であり、必ず仏となるべきことを知った。しかし仏は「種智」と称され、その修行には多くの聞くことに仮(よ)る必要がある。故に再び百城を巡り、多くの典籍を読破し、講義は泰のようでありながらも、学問は安(安慧)に師事した。過分にも我が師に受け入れられ、誤って真実の弟子の印を与えられた。再び親友に出会い、さらに仏の恩を感じ、長く孤貧を嘆いていたが、法施を施そうと決意した。

般若を採集し、華厳を貫き、毘尼(戒律)を引き継ぎ、唯識を明らかにした。しかし医方には万種の品があり、対治を選ぶのが良く、海の宝には千般あるが、まず如意宝珠を求めるべきである。見るところ、文は豊かで義は広く、誠に雑華(華厳経)に譲るが、本体を示して機に投じるには、円覚に勝るものはない。故に諸論を参考にし、百家を繰り返し研究し、道具を研ぎ澄まして、ようやく疏解を作り上げた。心を聖旨に沈め、極限まで思考を研ぎ澄まし、義は性相を備え、禅は頓漸を兼ね備える。これにより、刃を自在に操る者には、他に求める必要がなく、内省する者には、他人の顔色をうかがう必要がない。これこそが私の志である。

大者絕諸邊量,方廣正而含容,圓者德無不周,覺者靈源不昧,修多羅總指諸部,了義者別歎斯文,經者貫穿義華,以之攝化羣品,故云大方廣圓覺修多羅了義經也。

No. 243-A 大方廣圓覺經疏序
大方廣圓覺經大疏目錄

CBETA コード: X0243

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