蓮花色比丘尼經第十四
蓮花色比丘尼経 第十四
聞如是:
私がこのように聞きました。
佛在忉利天上,當竟夏月,波利質多樹花適好盛,坐濡軟石上,欲為母說經,及忉利天上諸天。爾時,天王釋到佛所,為佛作禮,便白佛言:「今當用何時待遇尊?」佛告天王:「用閻浮利時待我。」天王得教,即禮佛,歡喜而去。
仏は忉利天(とうりてん)におられました。夏の終わりが近づき、波利質多樹(はりしったじゅ)の花がちょうど美しく咲き誇る頃、柔らかな石の上に座って、母と忉利天の天人たちのためにお経を説こうとしておられました。
その時、天主の帝釈天(たいしゃくてん)が仏のもとにやって来て、仏に礼拝し、こう申し上げました。「今、どのような時にお目にかかればよろしいでしょうか?」
仏は天主にお告げになりました。「閻浮提(えんぶだい)の時をもって、私を待つがよい。」
天主はその教えを受けると、仏に礼拝し、喜んで去って行かれました。
爾時,賢者摩訶目犍連,亦在舍衛,亦竟夏月,於祇樹給孤獨園中。爾時,四輩悉到目犍連所——比丘輩、比丘尼、清信士、清信女——四輩悉禮目犍連,各一面住,便共問目犍連:「今世正眼為在何所竟是夏三月?」目犍連便告四輩:「今佛在忉利天上,當竟夏三月。念母懷妊勤苦,故留說經,及忉利諸天。在波利質花樹下,濡軟石上。樹高四千里、布枝二千里、樹根下入二百八十里。所坐石,按之即陷入四寸。捨便還復。」摩訶目犍連廣復為四輩說經法,便默然。諸四輩聞經,歡喜著念,便禮目揵連悉去。
その時、尊い大目犍連もまた舎衛にいて、夏の安居の期間を祇樹給孤独園でお過ごしでした。ある時、四つの集まり(比丘、比丘尼、清信士、清信女)が皆、目犍連のもとを訪れ、礼拝してから、それぞれ一方に立ち、目犍連に問いました。「今、世の正しい眼である仏陀は、この夏の三ヶ月の間、どこにおられますか?」目犍連は四つの集まりに告げました。「今、仏陀は忉利天にいて、夏の三ヶ月をお過ごしです。母が子を身ごもった際の苦しみを偲んで、その故に教えを説き、忉利天の天人たちと共に、波利質多羅樹の下の、柔らかい石の上に座しておられます。その樹の高さは四千里、枝張りは二千里、根は地下二百八十里に及びます。お座りの石は、押すと四寸ほど沈み込みますが、離れれば元に戻ります。」大目犍連は詳しく四つの集まりのために経典の教えを説き、その後、静かになりました。四つの集まりは経典を聞いて、喜び、心に留めて、目犍連に礼拝してから、それぞれ立ち去りました。
至竟夏三月,復眾四輩皆悉來到目揵連所,頭面禮竟,悉就座,共白目揵連:「善哉,賢者!學中獨多神足。願煩威神到佛所,為人故禮佛足,以我人語白佛:『閻浮利四輩,飢渴欲見尊。善哉!佛愍念世間人,願下閻浮利。』」目犍連聞如是默然,可四輩復以經法戒,四輩眾歡喜,目犍連辭,四輩悉起禮,復起繞目犍連而去。
夏の三ヶ月が終わり、再び大勢の四衆(出家・在家の男女)が皆、目犍連のところにやって来ました。頭を地につけて礼拝した後、皆が席に着き、一緒に目犍連にこう申し上げました。「善きかな、賢者よ!あなたは修行者の中で特に神通力に優れておられます。どうかその御威神力を頼みに、お釈迦さまのところへお出向かいください。私たち人間のために、お釈迦さまの足に礼拝し、私たちの言葉をお伝えください。『閻浮提の四衆は、飢え渇くように尊師にお会いしたいと願っております。善きかな、お釈迦さま、どうか世の人々を哀れみ、閻浮提へお越しくださいませ。』」
目犍連はこれを聞いて黙って承諾しました。そして四衆に法と戒について教え諭すと、四衆は大いに喜びました。目犍連が別れを告げると、四衆は皆立ち上がって礼拝し、さらに立ち上がって目犍連の周りを巡ってから、それぞれ去っていきました。
爾時,目犍連便取定意,如壯士屈伸臂頃,從閻浮利滅,便往天上,去佛不遠。是時,佛在無央數天中央坐,說經法。目犍連便生想:「如來在天眾中,譬如閻浮利。」佛即知目犍連意想所念,告目犍連言:「不與世間等,迅去即便去、欲使來即來,去來隨我意所念。」
そのとき、目犍連は心を定め、力強い者が腕を伸ばし曲げるほどの短い間に、閻浮提から姿を消し、天界へと赴いて、仏から遠くない場所に到着した。そのとき、仏は数えきれないほどの天の人々のただ中に座り、教えを説いておられた。目犍連はこう思った。「如来は天の群れの中におられる。まるで閻浮提でのように。」仏はすぐに目犍連の心の思いを察知し、目犍連に告げられた。「世間の常とは異なる。すぐに去りたければ去り、来たければ来る。去来は我が心のままに働くのだ。」
目犍連白佛言:「是天眾多好甚樂,天中有先世,一心自歸於佛,壽盡來生天上;或有身歸法者、或自歸僧者,壽盡皆來生天上;或有先世淨心樂道,壽盡來生天上。」佛言:「目犍連!如是,是天中先世一心歸佛、歸法、歸僧,心樂道,壽盡皆來生天上。」
目犍連が仏に申し上げました。「この天の衆は大変多く、素晴らしく楽しいものです。天の中には前世で一心に仏に帰依し、寿命が尽きて天上に生まれ変わった方々がいます。あるいは法に帰依した方、あるいは僧に帰依した方もおり、寿命が尽きると皆天上に生まれます。また前世で清らかな心で道を楽しんだ方々も、寿命が尽きると天上に生まれます。」
仏は仰せになりました。「目犍連よ、その通りです。天の中には前世で一心に仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依し、心から道を楽しんだ方々がおり、寿命が尽きると皆天上に生まれるのです。」
爾時,天王釋坐在佛前,意尊佛語及目犍連所言,即言:「賢者目犍連所說實如是。先世有身歸佛、歸法、歸比丘僧,及淨心樂道,皆來生天上。」是時,有八萬天坐在天王釋後,諸天悉欲尊佛所言、及目犍連、亦其王所言,便言:「賢者目犍連可所說者,實如賢者言。其有先世作人時,身歸三正,淨心樂道,壽盡皆來生天上。」爾時,八萬天因緣目犍連,各各自陳我得溝港。
その時、天王の帝釈天(たいしゃくてん)は仏の前に座り、仏の言葉と目犍連(もっけんれん)の言葉を尊び、こう言った。「賢者・目犍連の説かれたことは、まことにその通りです。前世で身を仏に帰し、法に帰し、僧伽(さんが)に帰し、また清らかな心で道を喜んだ人々は、みな天界に生まれるのです。」 その時、八万の天人が帝釈天の後ろに座っていたが、彼らも皆、仏の言葉と目犍連、またその王の言葉を尊び、こう言った。「賢者・目犍連の説かれたことは、まことに賢者の言葉の通りです。前世で人として生きていた時、身を三つの正しい宝に帰し、清らかな心で道を喜び、寿命が尽きると、みな天界に生まれたのです。」 その時、八万の天人は目犍連の縁によって、それぞれが自ら「私は預流果(よるか)を得ました」と述べたのである。
目犍連便前作禮,頭面著佛足,便白佛言:「諾閻浮利四輩,飢渴欲見佛。善哉!願尊愍念世間,以時下到閻浮利。」佛便告目犍連:「汝且下,語世間四輩:『佛却後七日,當從天上來下,安詳會於優曇滿樹下。』」目犍連言:「諾。」受教便起作禮,繞佛三匝,便取定意,譬如壯士屈伸臂頃,便滅於忉利天,即住閻浮利地上,悉告世間人:「佛却後七日,當從天上來下,安詳會於優曇滿樹下。」
目犍連はすぐに前に進み出て、頭を仏の足元に付けて礼拝し、仏に申し上げました。「閻浮提(この世)の四衆(出家・在家の弟子たち)は、飢え渇くように仏にお会いしたいと願っております。どうか尊きお方、世の衆生を哀れみ、お定めの時にこの閻浮提へお下りくださいませ。」すると仏は目犍連に告げられました。「汝、まず下りて、世の四衆に伝えなさい。『仏は七日の後、天上より来たりて、優曇満の樹の下に安らかに集い給うであろう』と。」目犍連は「承知しました」と答え、教えを受けて立ち上がり礼拝し、仏の周りを三度巡って、心を定めました。すると、力強い者が腕を伸ばし曲げるほどの短い間に、忉利天から姿を消し、閻浮提の地上に立っていました。そして世の人々に告げました。「仏は七日の後、天上より来たりて、優曇満の樹の下に安らかに集い給うであろう。」
佛於天上便取定意,如力士屈伸臂頃,佛於忉利天上至鹽天,為諸天說經;滅於鹽天,即至兜術天;復從兜術天滅,即至不憍樂天、化應聲天、梵眾天、梵輔天、大梵天、水行水微天、無量水天、水音天、約淨天、遍淨天、淨明天、守妙天、玄妙天、福德天、德淳天、近際天、快見天、無結愛天,已說經,悉使大歡悅;便與天上色天俱下,住須大施天;從上下悉從二十四天上,至第三天上住;悉斂上有色天;悉復斂有欲天,來至第二天須彌巔上住。
仏は天上でただちに定に入り、力士が腕を伸べ縮めるほどの瞬間に、仏は忉利天から塩天へと至り、諸天のために経を説かれた。塩天で滅し、ただちに兜術天に至り、また兜術天から滅して、ただちに不憍楽天、化応声天、梵衆天、梵輔天、大梵天、水行水微天、無量水天、水音天、約浄天、遍浄天、浄明天、守妙天、玄妙天、福徳天、徳淳天、近際天、快見天、無結愛天に至り、経を説き終えて、すべての天を大いに歓喜させた。そこで天上の色天とともに下り、須大施天に住まわれた。上から下まで二十四の天をすべて巡り、第三の天の上に住まわれた。すべて上の有色天を収め、またすべて有欲天を収め、第二天の須弥山の頂に来て住まわれた。
是時,有天子墮彼邏,被王教意,便化作三階——一者金,二者銀,三者琉璃——佛從須彌巔,下至琉璃階住;梵天王及諸有色天,悉從佛右面,隨金階下;天王釋及諸有欲天,從佛左面,隨銀階下。佛及諸無數有色天釋,亦諸無數有欲天,悉下到閻浮利,安詳會優曇滿樹下,是使無數人民悉來會,欲見佛、欲聞法。
その時、一人の天子がその場所に現れ、王の教えを受けて、三つの階段を化作した——一つは金、二つは銀、三つは琉璃(るり)である。仏は須弥山の頂から琉璃の階段に降り立ち、そこに留まられた。梵天王および諸々の有色の天人は、皆仏の右側に従い、金の階段に沿って降りた。天王釈(しゃく)および諸々の有欲の天人は、仏の左側に従い、銀の階段に沿って降りた。仏と無数の有色の天人、また無数の有欲の天人も、皆閻浮利(えんぶり)に降り立ち、優曇満(うどんまん)の木の下に安らかに集い会われた。これにより、無数の人々が皆集まり来て、仏にお会いし、法を聞こうと欲したのである。
是時蓮花色比丘尼,化作金輪王服,七寶導前,從眾力士兵,飛來趣佛。是大眾人民、及長者、帝王,遙見金輪王,悉下道,不敢當前,廣作徑路,蓮花色比丘尼到佛所。是時,天亦見人、人亦悉見天,以佛威神,天為下、地為高、人悉等,天亦無貪意在人、人亦無貪意在天,時有人貪著樂金輪王。
その時、蓮花色比丘尼は黄金の輪王の姿に変身し、七宝を先頭に、大勢の兵士を従え、飛んで仏のもとへ向かいました。大衆や人々、長者、帝王たちは、遠くから黄金の輪王を見て、皆道を避け、前に立ちはだかることができず、広く道を開けました。蓮花色比丘尼は仏のもとに到着しました。その時、天人も人々を見ることができ、人々も天人を全て見ることができました。仏の威神力によって、天は低くなり、地は高くなり、人々は皆平等になりました。天人も人々に対して貪りの心を持たず、人々も天人に対して貪りの心を持ちませんでした。その時、ある人は黄金の輪王に執着し、楽しみを貪っていました。
是時有一比丘,坐去佛不遠,便箕坐直身,意著撿戒。比丘見天樂會、亦人樂會,自生念言:「是一切無常、一切苦、一切空、一切非我,何貪是?何願是?已是何有?」比丘即在坐得溝港道,已自證。
そのとき、一人の比丘が、仏から遠くないところに座っていた。彼は足を組んで体をまっすぐにし、心を戒めに集中させていた。その比丘は、天の楽しみの集いも、人の楽しみの集いも見て、心にこう思った。「これらはすべて無常であり、すべて苦であり、すべて空であり、すべて非我である。何を貪ることがあろうか。何を願うことがあろうか。これらに何の意味があるのか。」比丘はその場に座ったまま、初果(悟りの第一段階)を得て、自らそれを証得した。
佛知人、知天、知彼比丘生意所念,說偈言:
仏は人を知り、天を知り、その比丘の心の思いをも知って、偈を説かれた。
「有利得人形, 持戒得為天,
於世獨為王, 見諦是獨尊。」
徳を積めば人として生まれ、持戒によって天に生まれる。 世の中で王者となることもあるが、真理を見極める者こそが最も尊い。
是時蓮花色比丘尼,適到佛前,便攝神足,七寶及兵眾悉滅不現,獨住無髮衣法衣,便頭面著佛足。
そのとき、蓮花色比丘尼はちょうど仏のみ前に到着し、神通力を収めると、七宝や兵士たちの姿はすべて消え去り、ただ一人、髪もなく法衣をまとった姿で、頭を仏の足元に伏せて礼拝しました。
佛因到優曇滿樹下坐,成布席坐適坐,便為大眾人民,廣說經法,說布施、持戒、善現天徑,說欲五好痛說具惡。
仏は憂曇満樹の下に至り、座を敷いて坐られました。坐られるやいなや、大勢の人々のために広く経典の教えを説かれました。布施、持戒、善現天への道筋を説き、五欲の楽しみと、それに伴う苦しみを詳しく説かれました。
佛知人意稍濡離麤,便現苦諦習盡道諦。中有身歸佛、歸法、歸比丘僧者;中有隨力持戒者;中有得溝港自證頻來,至不還道自證。
仏は、人々の心が少しずつ柔らかくなり、粗さから離れていくのを知ると、苦諦・集諦・滅諦・道諦を説かれた。その中には、仏に帰依し、法に帰依し、比丘僧に帰依する者がいた。その中には、自分の力に応じて戒を守る者がいた。その中には、預流果を得て、自らその証を認め、一来果に至り、さらに不還道を自ら証する者もいた。
是時賢者躬自在座,便起偏袒向佛,叉手面於佛前,以偈讚佛言:
そのとき、賢者が座にいたが、立ち上がって片方の肩を露わにし、仏の前に合掌し、仏を偈で褒め讃えて言った。
「今恭禮雄遍觀, 見諦現說被度,
常慈哀見福想, 然人天得何讚?
度無極復道彼, 捨恐怖就安樂,
廣說法遍照世, 聞每樂不死安。
尊戒海廣無度, 義深大善行明,
無穢淨垢不著, 慧船大度三界,
無缺傷無減增, 尊不著已行捨,
從戒尊三界師, 從見世去無還。
心住賢無過尊, 自在定人天雄,
明慧力致金色, 何人天不禮尊?
師觀世兩眾會, 雖觀捨不著過,
意觀意無垢心, 三界空尊所空。
是世行拔後根, 定至定趣甘露,
今神天服於尊, 悉叉手觀覺身。
已無疑樂法堅, 悉知識人天心,
亦如行蟲獸心, 宴淨然愍苦槖。
自恣化在天下, 正真定收取易,
意制念伏彼信, 天人世覺獨尊。
道德妙與誰雙? 觀尊形何時厭?
於三界獨步行, 戒義堅若寶山。
垂綺願三界恐, 捨嫉念無恩愛,
慧在定明如日, 無瑕穢夜月光。
著淨戒現淨行, 有淨慧善過淨,
住淨法現淨光, 高山雪見照然。
十五夜星中月, 今觀尊人天雄,
法悉照明人天, 身相現絡真珠。
諦復諦猛善說, 自行致本無師,
釋家子獨見妙, 慧千眼去瘡疣。
言盛濡意無麤, 出聲悲人天坐,
聞尊語甜美法, 渴飲飽如流海。
取法爾有何非? 審奉行到彼安。
說議斷後不思, 聞尊聲眼每滅。
慧現徑直無邪, 涉先迹致故成,
顧念後告冥者, 如梵王悉照空。
神天尚念世人, 神行義無所比,
從法計捨世念, 尊繫著無餘處。」
今、雄遍観(ゆうへんかん)の尊き御方を恭敬し礼拝いたします。 真理を見極め、今まさに教えを説いて人々を救済に導かれます。
常に慈しみの心で、あらゆる者に幸福をもたらす想いを抱かれます。 それならば、人々も天の人々も、いったいどのように讃えるべきでありましょうか。
慈悲の施しは限りなく、道を示し人々を導かれます。 恐怖を取り除き、安楽へと至らせてくださいます。
広く教えを説き、世の中をあまねく照らし出されます。 聞く者はみな喜び、不死の安らぎを得るのです。
尊き戒は海のように広く深く、限りがありません。 義理は深遠で、すぐれた行いは明らかに輝いています。
汚れもなく清らかで、けがれに執着することもありません。 智慧という大きな船で、三界を渡りきられるのです。
欠けることも傷つくこともなく、減ることも増えることもありません。 尊き御方は執着せず、行いを終えてすべてを捨て去られます。
戒による尊き御方は、三界の師であり、 この世を見通し、去って還ることのない御方です。
心は賢者のもとに安住し、過ちのない尊き御方、 自在の定(じょう)を得て、人々や天の人々の中でも雄としておられます。
明らかな智慧の力によって金色の身を得られました。 どのような人や天人が、この尊き御方を礼拝しないでありましょうか。
師は世の二つの集まり(在家と出家)を見通され、 観察しても執着せず、過ちに留まることがありません。
心で心を観察し、汚れのない心を知っておられます。 三界は空であり、尊き御方はその空を悟っておられます。
この世の行いの根を抜き去り、 定から定へと進み、甘露(不死の教え)に至られました。
今、神々や天の人々は尊き御方に服従し、 みな両手を合わせて、悟りを開かれたその身を観じています。
すでに疑いなく教えを楽しく堅く保ち、 人々や天の人々の心をすべて知っておられます。
また、生物や虫や獣の心も知り尽くされ、 静かに清らかにして、苦しむ者たちを哀れんでおられます。
自在にこの世に現れ、教化されます。 正しく真実の定によって、容易く人々を救い取られます。
心を制し、念いを調え、彼らの信仰を得られます。 人々や天の人々の世界の中で、悟られた御方はただひとり、尊い存在です。
道徳の妙なること、誰がこの御方と並び得ましょうか。 尊き御方の姿を観て、いつ飽きることがありましょうか。
三界の中でただひとり歩まれ、 戒の義は堅固で、寶山のようです。
願いを垂れて三界の恐怖を除き、 嫉みや執着の念を捨て、恩愛に縛られることがありません。
智慧は定のうちにあって日のように明らかであり、 汚れのない夜には月の光のように照らします。
清らかな戒を保ち、清らかな行いを現し、 清らかな智慧をもって、善き浄らかさを超えています。
清らかな法に住み、清らかな光を放ち、 高い山の雪が照り輝くかのようです。
十五夜の星々の中の月のように、 今、尊き御方を観ます。人々や天の人々の中の雄です。
法はすべてを照らし、人々や天の人々を明らかにし、 その身の相には真珠の飾りが輝いています。
真理を重ねて説き、力強く善く説かれ、 自ら行じることによって元来の師なしに悟りに至られました。
釈迦族の御子は、ただひとり妙なる理を見極め、 智慧の千の眼で、人々の苦悩のしこりを取り除かれます。
言葉は豊かで柔らかく、荒々しさがなく、 その声は人々や天の人々を悲愴に包みます。
尊き御方の言葉を聞けば、甜美な法を聞き、 渇きをいやすように満たされ、流れる海のように飽くことがありません。
法を取り入れることに、何の迷いがありましょうか。 まさに実践すれば、かの安らぎに至ることができます。
説き明かし、議論を断ち、後の思い煩いを残しません。 尊き御方の声を聞くたびに、目の曇りも消え去ります。
智慧はまっすぐな道を示し、邪なものがなく、 先人の歩みをたどって、故に成し遂げられました。
後の世の闇に迷う者たちを顧みて教え告げられ、 梵天のようにすべての虚空を照らされます。
神々や天の人々はなお世の人々を思いやり、 神々の行いは義にかなって比類がありません。
法によって計らい、世の執着を捨て、 尊き御方は何にも縛られることなく、余すところがありません。
是時賢者舍利弗,在眾中坐,便起座,偏袒叉手,以偈歎曰:
そのとき、尊者舎利弗は会衆の中に座っていましたが、立ち上がり、右肩を露わにして合掌し、偈を唱えて讃嘆しました。
「未嘗見有是者, 未嘗聞有說者,
尊如是威神天, 從兜術來至是。
天人世悉擁護, 重愛俗如身眼,
一切安不為轉, 樂獨行著中央。
無憂覺我善行, 到上教復還世,
饒心解壞欲身, 惡行出有善義。
若比丘有厭心, 行有敗有空生。
在樹下若曠野, 在深山于室中,
若高處下床臥, 來恐怖凡幾輩?
行何從志不畏? 或久後所行處?
世幾輩彼來聲, 若往來在方面。
比丘處不著意, 所止處寂無嚮,
口已出善惡響, 在行處當何作?
持戒住行不捨, 比丘學求安祥。
云何學戒不漏? 獨在行常無伴,
欲洗冥求明目, 欲鼓𪖞吹內垢。」
まだかつてこれを見た者はおらず、まだかつてこれを語った者もいない、 尊いこのような威光ある天人、兜率天からこの地に来られた。 天も人も世の中すべてが守り、俗の愛を身や目のように重んじる、 すべての安らぎのために変わらず、独り歩みを楽しみ中央に着く。 憂いなく私は善き行いを覚え、最高の教えに至り再び世に還る、 心を満たし解き放ち、欲の身を壊し、悪しき行いを出でて善き意味がある。 もし比丘に厭う心があれば、行いには敗れ、空が生じる。 木の下にいても、荒野にいても、深い山の中で部屋にいても、 高い所から低い床に臥しても、恐怖が来ることはどれほどあるのか? どのように行けば心は恐れないのか? あるいは久しく後の行く先は? 世の中にどれほどの彼らの声が来るのか、もし行き来があれば方面に。 比丘は場所に心を留めず、留まるところは静かで響きがない、 口からすでに善悪の響きが出たなら、行く場所で何をすべきか? 戒を保ち、行いに住して捨てず、比丘は学び安らぎを求める。 どうやって学び戒をもらさないのか? 独りで行き、常に伴侶がいない、 暗闇を洗い流し明るい目を求め、鼓を打ち内部の垢を吹き出す。」
佛謂舍利弗:「意有所厭惡,及有所著,在空床臥行欲學,如法今說,令汝知聽:
仏は舎利弗にこう説かれた。「心に嫌悪すること、また執着することがあり、空の床に臥し、行いながら学ぼうと欲するなら、法のごとく今説こう。あなたに知らせ、聞かせよう。
「五恐怖慧不畏, 至心學遠可欲,
勤蚱蜢亦蛻蟲, 人惡聲四足獸。
非身法意莫識, 無色聲光無形,
悉非我悉忍捨, 莫聞善貪𨽁縣。
所被痛不可身, 恐若各悉受行,
是曹苦痛難忍, 以精進作拒扞。
願綺想念莫隨, 掘惡栽根拔止,
著愛可若不可, 有已過後莫望。
存黠想熟成善, 越是去避麤聲,
忍不樂坐在行, 四可忍哀悲法。
常何止在何食? 恐有痛云何止?
有是想甚可悲, 學造棄行遠可,
有未有苦樂苦, 知其度取可止。
聞關閉縣國行, 麤惡聲應莫願,
舉眼人莫妄瞻, 與禪會多莫臥。
觀因緣意安祥, 止安念疑想斷,
取莫邪與無欺, 慈哀視莫恐氣。
如對見等心行, 冥無明從求鮮,
被惡語莫增意, 故怨語於同學。
放聲言濡若水, 媿慚法識莫想。
若為彼見尊敬, 有行意離莫受,
若色聲若好味, 香細滑是欲捐。
於是法莫媟著, 學制意善可脫,
戒遍觀等明法, 行有一舊棄冥。」
五つの怖れを智慧で超え、心を尽くして学び、欲を遠ざけよ。 蚱蜢(ばった)や蜕虫(ぬけがらむし)の如き儚きもの、人の悪声(あくせい)や四足の獣も恐れるな。
己のものにあらざる法(ものごと)、心に想うなかれ。色(いろ)も声も光も形もなく、 すべては我(わが)ものにあらず、すべては捨てよ。善きものに貪ることなく、聞くがよい。
受ける痛みは身のものにあらず。恐れるならば、それぞれに受けて通るのだ。 この苦しみは耐え難いが、精進の力で防ぎ守れ。
空想の想いには従うな。悪の根を掘り起こし、その根を抜いて止めよ。 愛着は可しと見るものも不可しと見るものも、過ぎ去った後に望むな。
智慧を保てば良きものへと熟す。これを越え去って、粗やかな言葉を避けよ。 坐して行には楽しまずとも耐えよ。四つの悲しみの法(ことわり)をも耐え忍べ。
常に何に止まるべきか、何を食むべきか。恐れや痛みは如何に止めるべきか。 そうした思いがあるのは、まことに悲しむべきことだ。学んで捨て、行を離れて、遠ざかれ。
未だ有らずとも苦も楽も知れ。その渡り方を知って、執着を止めるがよい。 門を閉ざし、国を行く遠き遊びを聞けども、粗悪な言葉を望むなかれ。
目を上げて人をむやみに見ず。瞑想の友と会っても、多く臥すことなかれ。 因縁を観じて心を安らかにせよ。安らかな念に止まり、疑いの想いは断て。
邪なものを取らず、欺くことなく。慈しみの眼差しをもって見て、怖れ気を出さず。 対う者に等しく心を行え。暗黒の無明のうちから求めて明りを得よ。
悪しき言葉を受けても、心を増すことなかれ。ゆえに怨み言葉は同輩に対して語るな。 声を放つとき潤みあるがごとくにせよ。恥と悔いを知る法を識り、想わざれ。
もし彼らに尊敬されて見られても、心を離れてそれを受けず。 色・声・佳き味・香り・細やかな触れ合い。これは欲なれば、捨てよ。
この法に執着するな。制した心を学んで、善く解脱せよ。 戒を遍く観じ、法を等しく明らめよ。行いに一つ身を舊しく悪らしきを捨てよ。
佛說是義足經竟,比丘悉歡喜。
仏がこの義足経の教えを説き終えると、比丘たちは皆、喜びを抱いた。