現觀莊嚴論略釋卷二
現觀莊嚴論略釈 巻二
道相智品第三(攝《般若》第二會二五卷〈帝釋品〉至三六卷〈清淨品〉)
道相智品 第三
(戊二)釋趣彼方便道相智,分二:(己一)釋道相智之支分、(己二)釋道相智之本性。今初。
調伏諸天故, 放光令隱闇, 境決定普遍, 本性及事業。
天たちを調伏するがゆえに、光を放って闇を隠れさせる。境は定まり普遍であり、本性および事業もまたそうである。
道相智因果自性三法隨一所攝大悲任持之殊勝功德,是道相智支分之相。界限從醒覺大乘種性乃至佛地。
由如來本性之光明隱蔽欲色諸天異熟光明者,為令了知由摧伏其增上慢心故,乃能發心及生道相智之智德,又為摧彼諸天增上慢令堪生道相智故,此顯遠離生道相智之障礙增上慢現行;次明道相智唯發菩提心者乃生起故境各別決定;總謂一切有情皆可生道相智故云普遍;不求斷自身欲有諸漏為本性;成就利他殊勝作用。是為道相智之五支也。
如来の本性の光が、欲界や色界の諸天が受ける異熟の光明を隠すのは、彼らの増上慢(おごり)の心を打ち砕くことを知らしめるためである。それによって、菩提心を発し、道相智(さとりへの道を理解する智慧)の智徳を生じることができるようになる。また、その諸天の増上慢を打ち砕いて、道相智を生じるに堪えうる状態にすることを示している。これは、道相智を生じる妨げとなる増上慢の現れを離れることを明らかにするものである。
次に、道相智は菩提心を発した者だけに生じるものであるから、その対象はそれぞれに区別され決定されることを示す。総じていえば、すべての有情は道相智を生じることができるので「普遍」という。自身の欲有(欲望に基づく生存)の諸漏(煩悩)を断つことを求めないのが本性であり、他者を利益する殊勝なはたらきを成就する。これが道相智の五つの支分である。
(己二)釋道相智之本性,分三:(庚一)知聲聞道之道相智、(庚二)知獨覺道之道相智、(庚三)知菩薩道之道相智。初又分二:(辛一)自性、(辛二)順決擇分因。今初。
(己二)解説「道相智」的本質,分為三個部分:(庚一)了知聲聞道的道相智、(庚二)了知獨覺道的道相智、(庚三)了知菩薩道的道相智。第一部分又分為兩點:(辛一)自性、(辛二)順抉擇分的因。現在先講第一部分。
道相智理中, 由諸四聖諦, 行相不可得, 當知聲聞道。
道相智の理においては、四つの聖諦による行相は得られないと知るべきである。これにより声聞の道を理解せよ。
由發心廻向通達空慧三法任持,為欲攝受聲聞種性所應知之現觀種類大乘聖智,即是知聲聞道道相智之相。界從大乘見道乃至佛地。
発心と廻向によって、空の智慧と三つの法を保持しつつ、声聞の種性を持つ者たちを導くために知るべき現観の種類である大乗の聖なる智慧、それが声聞の道を知る道相智の特徴です。その領域は、大乗の見道から仏の境地に至るまでに及びます。
道相智理者,即此品中四聖諦上無常等十六行相。由發心廻向真實不可得之空慧三法任持門中,當知修此聲聞道相。四諦無常等十六行相者,謂因緣生故無常,隨煩惱業轉故苦,無異體清淨之我故空,無自體之我故無我。是苦諦上之四相。是苦之根本故名因,數數生苦故名集,招猛利苦故名生,與後生果作助緣故名緣,是集諦上之四相。是斷除煩惱之離繫故名滅,是寂滅苦之離繫故名靜,是利樂自性之離繫故名妙,是苦不再生之離繫故名離,此是滅諦上之四相。是趣解脫之道故名道,是對治煩惱之道故名理,由現證之體性不顛倒行故名行,能從根本拔除苦及煩惱故名出,此是道諦上之四相。苦諦上四相互違,餘三諦上四相義同。
(辛二)順決擇分因。
(辛二)順決擇分の因。
聖聲聞道中, 由色等空故, 空無別為煖, 由彼無所得, 許為至頂位。 忍位於色等,
破住常等理。 依於十地等, 由廣說無住, 即名第一法。 由佛以現智, 不見諸法故。
聖なる声聞の道においては、 色などの空であるがゆえに、 空には別のものとしての暖位はない。 その空において得るものがないことから、 頂位に至ると認められる。 忍位は、色などにおいて、 常住であるなどの理屈を破ることにある。 十地などに基づいて、 広く「住することなし」と説かれることにより、 これを第一法と名づける。 仏は現智をもって、 諸法を見ないがゆえに、である。
了知聖聲聞道之道相智因,有四順決擇分。謂色等勝義空故,通達空性與色等無分別慧所攝持之加行道即煖位;通達色等勝義無所得慧所攝持之加行道即頂位;通達色等於勝義中破除安住常無常等理,此慧所攝持之加行道即忍位;依於十地者謂通達極喜地等勝義無所住,如經廣說,此慧所攝持之加行道即世第一法。何故如是十地勝義無耶?謂十地是無,以佛世尊現知一切法,於勝義中不見有十地故。
聖者の声聞の道における「道の智慧」の因について、四つの順決択分があると説かれています。
色などは勝義においては空であると通達し、空性と色などが無分別である智慧によって支えられた加行道を「煖位」といいます。
色などについて勝義において得るものがないと通達する智慧に支えられた加行道を「頂位」といいます。
色などについて、勝義において常住や無常などの捉え方を破ることを通達する智慧に支えられた加行道を「忍位」といいます。
十地(菩薩の修行段階)に基づく場合、極喜地などの十地は勝義においては安住するところがないと通達します。経典に広く説かれているとおりです。この智慧に支えられた加行道を「世第一法」といいます。
なぜ十地は勝義においては存在しないのでしょうか。十地は存在しないからです。なぜなら、仏世尊はすべての法を現に知っておられますが、勝義においては十地を見ることがないからです。
若爾,此處之加行道與第一品所說之加行道有重複失。答云:前品所說是為了知勝出聲聞之加行道,此中所說是為令了知以通達空性慧攝持而修四諦無常等十六行相,故無過失。
(庚二)知獨覺道之道相智,分三:(辛一)所依差別、(辛二)如何了知彼道、(辛三)釋順決擇分因。初又分二:(壬一)正說、(壬二)斷諍。今初。
自覺自證故, 亦不依他教, 是故當宣說, 麟喻智甚深。
自ら悟り、自ら証する故に、他者の教えにも依らない。それゆえに説くべきである、麟の喻えのごとき深遠な智慧を。
由三別法(發心廻向空慧)任持門中,為欲攝受獨覺種性所應了知之現觀種類大乘聖智,即知獨覺道道相智之相。界從大乘見道乃至佛地。言自覺者,指獨覺阿羅漢。此於最後有時,不須依仗他師教授,自能證得菩提。其亦字者,表於彼時自亦不用言語為他說法。此麟喻智當說較聲聞為甚深,非如聲聞可依言教能了彼智,唯以身表現神通說法甚深智故。
三つの特別な法(発心・廻向・空慧)によって支えられる門の中で、独覚の種性を持つ者を導き入れるために知るべき現観の種類である大乗の聖智、すなわち独覚の道と道の相を知る智について説明します。その領域は大乗の見道から仏地にまで及びます。「自ら覚る者」とは、独覚の阿羅漢を指します。彼は最後の生において、他の師の教えに頼ることなく、自ら菩提を証得することができます。「亦」の字は、その時には自らも言葉を用いて他者に説法しないことを示しています。この麟喻の智は、声聞の智よりも深遠であると説かれています。なぜなら、声聞のように言葉による教えによってその智を理解できるのではなく、身をもって神通を示し、説法するという深い智であるからです。
(壬三)斷諍。
(三) 止息紛爭。
若誰於何義, 欲聞如何說。 於彼彼彼義, 無聲如是現。
もし、ある人が何らかの意味について、どのように説かれているのかを聞きたいと望むなら、そのその意味に応じて、声なき中にもそのように現れるのです。
獨覺無聲云何說法耶?如是說法無違。若有誰等所化有情,於何等義欲聞如何行相言說。即於彼等所化有彼彼義,雖無聲音亦如是現也。
独覚(ひとりで悟りを開いた者)には声がない、どうして説法するのか?しかし、このように説法することは違わない。もし、誰かが教え導かれるべき人々で、どんな意味を聞きたいと思い、どのように語られるかを望むなら、その人々に対して、それぞれの意味が、たとえ声がなくても、そのように現れるのである。
(辛二)如何了知彼道。
(辛二)どうすればその道を理解できるのだろうか。
遠所取分別, 未離能取故。 當知由所依, 攝為麟喻道。
遠くの対境を取る分別は、 能取を離れていないからである。 その所依によって、 麟喻の道に摂せられると知るべきである。
當知麟喻道,由三法差別所攝。謂遠離色等外境所取分別,未能遠離內識能取實執分別。就所依差別,是依獨覺乘所攝法之法性為所依種性故。
ここに知るべきです。麟の喩えの道は、三つの法の違いによってまとめられています。すなわち、色などの外の対象を取る分別からは離れているものの、内の識が取る実体としての執着の分別からはまだ離れていないことです。所依の違いについて言えば、独覚乗に含まれる法の法性を所依の種性とするからです。
(辛三)釋順決擇分因。
順決択分の因についての解説。
開闡假法性, 無違相為煖。 頂由達色等, 無減等所顯。
忍由內空等, 不執色等故。 色等無生等, 相為第一法。
仮の法性を開き示し、 相に違わないことが煖位である。 頂位は色などの法を悟り、 減ることのないことなどによって示される。 忍位は内の空などによって、 色などを執着しないからである。 色などに生じることもないことを、 その相として第一の法とする。
了知獨覺道之道相智因,順決擇分有四。謂開闡色等勝義中無名言中假有,不違法性,是為煖位;頂位是由通達色等勝義無減等所顯;忍位由通達內空等故了知色等勝義不可執;世第一法了知色等勝義無生等相。
独覚の道を知るための道相智の因として、順決択分には四つの段階があります。すなわち、色などの現象が勝義においては存在せず、名言の上では仮に存在すると開示し、法性に逆らわないこと、これが煖位です。頂位は、色などの勝義が減ずることがないと通達することによって示されます。忍位は、内空などを通達することにより、色などの勝義が捉えがたいと了知します。世第一法は、色などの勝義に生じることもないという相を了知します。
(庚三)知菩薩道之道相智,分二:(辛一)見道、(辛二)修道。初中又二:(壬一)略標剎那、(壬二)廣釋修相。今初。
由諦與諦上, 忍智四剎那, 說此道相智, 見道具功德。
真理とその真理の上において、忍耐・知恵・四つの瞬間が、この道の智慧と説かれ、見道の境地の功徳とされる。
現證空性慧所攝持之大乘諦現觀,即是大乘見道之相。界限唯在大乘見道。
此說大乘見道人身中具大功德勝利之見道,由依苦集諦及滅道諦上忍智四剎那而說故。
大乗の見道に達した人の身には、大きな功徳の利益を持つ見道が具わっていると説かれています。これは、苦諦と集諦、そして滅諦と道諦に基づく「上忍」と「智」の四つの刹那によって説かれるからです。
(壬二)廣釋修相。
壬二 修行の姿を詳しく説く
真如與諸智, 無互能所依, 故不許差別。 廣大無能量, 無量無二邊, 住彼於色等,
執為佛自性, 無取無捨等, 慈等及空性, 證得佛陀性, 遍攝諸淨法, 除遣諸苦病,
滅除涅槃執, 諸佛守護等, 不殺害生等, 一切相智理, 自住立有情。 所修布施等,
廻向大菩提, 是道智剎那。
真如と諸々の智は、互いに依り所とする関係がなく、それゆえに差別を認めない。広大にして量ることはできず、無量であり、両極端の二辺もない。そこに安住して、色などの諸法を、仏の自性として執着せず、取ることも捨てることもない。慈悲や空性などを通じて、仏陀の性質を証得し、一切の清らかな法を遍く含み取り、あらゆる苦の病を取り除き、涅槃への執着をも滅する。諸仏の守護など、殺生しないことなどの一切相智の理法に、自ら安住し、有情をも安立させる。修行する布施などの善根を、大菩提に向けて廻向する——これが道智の刹那である。
道相智所攝之見道中有十六剎那。謂苦諦真如與佛現證彼之智,於勝義中無互相能依所依之性,於勝義中不許能所依差別現證無彼之大乘見道即苦法忍;廣大者謂色等由勝義實空法界體性故,其能緣之般若波羅蜜多亦成廣大即苦法智;現證苦諦於勝義中無能量之量,是苦類忍;現證苦諦勝義無量,即苦類智。此是苦諦四相。四中第一剎那是所治種子之真能治無間道,後三剎那是從彼所治種子解脫之解脫道。以下諸相准此應知。現證集諦勝義無常斷二邊是集法忍;住彼集法忍之瑜伽師,於色等上定執佛性實空,即集法智;現知集諦於勝義中無取捨等,即集類忍;修慈悲等四無量之功德,即集類智。此是集諦四相。現證色等真實空之空性,即滅法忍;所修善根能得佛果,即滅法智;具足遍攝滅類忍中一切淨法種類功德,即滅類忍;具足除遣外界一切苦害及內身一切病惱之功德,即滅類智。此是滅諦四相。息滅實執湼槃之戲論,即道法忍;安住道法智之瑜伽師有為諸佛守護之功德,即道法智;能得斷除殺生等十惡,遍知十善相一切相智之因理自己安住亦安立他,此智即道類忍;所修布施等六度廻向大菩提果,即是大乘見道道類智。此是道諦四相。道相智品此十六剎那一座無間而生故。
(辛二)修道分二:(壬一)修道作用、(壬二)有作用之修道。今初。
遍息敬一切, 能勝諸煩惱, 怨敵不能害, 菩提供養依。
あらゆるものに敬意を払い、静かにすべてを和らげる者は、すべての煩悩に打ち勝つことができる。怨み敵も害することができず、菩提への供養のよりどころとなる。
由修大乘修道力故所得勝利,即是大乘修道作用之相。界從修大乘修道第二剎那乃至佛地。
大乗の修行の力によって得られる勝利、これこそが大乗の修行の働きの姿である。修行を始めた第二の瞬間から仏の境地に至るまで、その境地は続いていくのである。
大乘修道作用有六。起上諸道心得自在名遍息滅,由摧慢故恭敬善知識等一切眾生,由不隨煩惱轉故勝伏貪等諸煩惱,他諸怨敵不能損害。此四是士用果。自力能辦大菩提果是等流果,修道位菩薩隨所住處皆成可供養處是增上果。
大乗の修行には六つのはたらきがあります。 上位の諸道を起こして心に自在を得ることを「遍息滅」といい、慢心を打ち破るゆえに善知識や一切の衆生を敬い、煩悩に従わないゆえに貪りなどの諸煩悩に勝ち、他の怨敵は害することができません。これら四つは「士用果」です。 自らの力で大菩提の果を成し遂げることは「等流果」であり、修道位の菩薩は、その住むところすべてが供養に値する場所となるのは「増上果」です。
(壬二)有作用之修道,分二:(癸一)有漏修道、(癸二)無漏修道。初又分三:(子一)勝解修道、(子二)廻向修道、(子三)隨喜修道。初中又二:(丑一)正釋、(丑二)勝利。今初。
勝解謂自利, 俱利及利他, 當知此三種, 各有下中上,
別別為三品。 又以下下等, 復各分為三, 共二十七種。
勝解とは、自己の利益のため、あるいは自他共の利益のため、他者の利益のための三つがあると知るべきである。それぞれに下・中・上の三つの段階があり、さらにそれぞれの下の中の下などによって、再び三分され、合わせて二十七種となる。
信解佛母(即般若波羅蜜多)為三利之根本大乘隨現觀,即大乘勝解修道之相。界從初地乃至最後心。
仏母(般若波羅蜜多)を信じ理解することは、三つの利益の根本である大乗の随現観であり、すなわち大乗の勝れた理解による修行の道の姿である。その境地は初地から最後の心に至るまでである。
當知大乘勝解修道有三種、謂有自利、自他俱利、利他之勝解修道故。此三種勝解修道復各分下中上三品、其下中上品又各分為三種,謂下下品等,如是許勝解修道為二十七種。
大乗の勝解による修道には三種類があると知るべきである。すなわち、自利のためのもの、自他ともに利益するためのもの、そして他を利益するためのものである。この三種類の勝解による修道は、それぞれさらに下・中・上の三つの品に分けられ、その下・中・上の各品もまた、それぞれ下下品などの三種類に分けられる。このようにして、勝解による修道は二十七種あると認められる。
(丑二)勝利。
勝利。
般若波羅蜜, 於諸勝解位, 由三種九聚, 讚事及稱揚。
般若波羅蜜は、悟りの境地において、三種九つの集まりによって、讃えられ、供養され、称えられる。
由修勝解修道之力所得勝利,即勝解修道勝利之相。界從修勝解修道第二剎那乃至佛地。
修行による勝利の力によって得られる功徳、それが修行の勝利の相です。その境地は、修行の第二の瞬間から仏の境地に至るまで続きます。
若於教、道、果三種般若波羅蜜多修勝解時,佛以三類九品如其次第後後轉勝,讚美承事稱揚令發歡喜故。
もし教・道・果の三種の般若波羅蜜多を勝れた理解(勝解)をもって修行するならば、仏は三種類・九つの段階に応じて、順に後ろのものがより勝れているとして、その人を賞賛し、敬い、称え、喜びを起こさせるのである。
(子二)廻向修道。
廻向して修道すること。
殊勝徧廻向, 其作用最勝, 無所得行相, 不顛倒體性。 遠離佛福品, 自性念行境,
有方便無相, 諸佛所隨喜。 不繫於三界, 下中及上品, 是餘三廻向, 生大福為性。
殊勝なる遍廻向は、その働きが最も優れており、得るもののない行相であり、顛倒しない体性を持つ。仏の福徳の品を離れることなく、自性は念と行の境涯である。方便を有しつつ相に執われず、諸仏が喜び随喜するところである。三界に縛られることなく、下・中・上の品々においても、これら他の三種の廻向は、大きな福徳を生むことを本質とする。
能轉自他隨一善根令成大菩提之支分有分別大乘隨現觀,即大乘廻向修道之相。界從初地乃至最後心。
大乗の随一の善根を自他のために転じて、大菩提を成就させる支分とするもの、すなわち大乗の廻向修習の道のすがたについて分別して示すものが「大乗随現観」である。その境地は初地から最後の心に至るまでである。
成就殊勝廻向之修道位菩薩,具足最勝作用,能轉自他善根為大菩提之支分。此廻向有十二種。謂有勝作用之廻向;於所廻向物破除實執無所得行相之廻向;於能廻向心破除實執不顛倒體相之廻向;於廻向者破除實執遠離之廻向;於自善法與佛善法破執實好惡,名念佛福德資糧自性為行境之廻向;於六度善法破執實好惡,名有善巧方便之廻向;破執實三輪為無相廻向;知名言中緣起如幻而緣佛地名諸佛隨喜廻向;於名言中不廻向為三有之因,名不繫三界廻向。餘有下中上三品廻向出生廣大福德為性。
殊勝な廻向を成就した修道位の菩薩は、最も勝れた作用を具え、自他の善根を大菩提の支分へと転じることができます。この廻向には十二種あります。すなわち、勝れた作用を持つ廻向であり、廻向される対象について実執を破し、無所得の行相を有する廻向です。廻向する心について実執を破し、顛倒しない体相の廻向です。廻向する者について実執を破し、遠離の廻向です。自己の善法と仏の善法について実執の好悪を破する、念佛の福徳資糧を自性とする行境と名づく廻向です。六度の善法について実執の好悪を破する、巧みな方便を有すると名づく廻向です。実執を破し三輪を清らかにする無相の廻向です。名言において縁起が幻の如くであると知り、仏地に縁して諸仏に随喜する廻向です。名言において三有の因としない、三界に繫がらない廻向と名づく廻向です。その他に、下品・中品・上品の三品の廻向があり、広大な福徳を生み出すことを自性とします。
(子三)隨喜修道。
(子三)善く喜び、道を修行すること。
由方便無得, 隨喜諸善根, 是此中所說, 修隨喜作意。
方便によって執着なく、あらゆる善い行いを喜ぶこと。これがここで説かれる、喜びの心を育む修行です。
於自他隨一善根而修歡喜有分別大乘隨現觀,即大乘隨喜修道之相。界從初地乃至最後心。
自他のいずれかの善根に対して喜びを修する、分別大乗の随観現――すなわち大乗の随喜の修道の相である。その境地は初地から最後の心に至るまでである。
修道位菩薩之隨喜,由名言中有所得之方便與勝義中無所得之智慧二所攝持,於自他善根深修隨喜相應之淨信,即此處所說大乘有漏隨喜作意修道。此諸修道立為有漏者,是就有分別漏而立,非所治品之有漏也。
修道位の菩薩の随喜は、世俗の立場からは「得るものがある」という方便と、勝義の立場からは「得るものがない」という智慧の二つによって支えられています。自他の善い行いに対して、深く随喜する心と清らかな信を育てることが、ここで説かれる大乗の有漏の随喜としての修道です。
これらの修道を「有漏」と立てるのは、分別を伴う煩悩の側面から見てそう呼ぶのであって、対治すべき対象としての煩悩を意味するのではありません。
(癸二)無漏修道,分二:(子一)引發修道、(子二)清淨修道。今初。
(癸二)無漏修道分為兩部分:(子一)引發修道、(子二)清淨修道。先講第一部分。
此自性殊勝, 一切無作行, 立法不可得, 是大義利性。
この自性は殊勝であり、一切の作為なき行いにおいて、法は得るべきものとして存在しない。これこそが大いなる利益と意義を持つ本性である。
能立究竟智德之大乘無漏隨現觀,即引發修道之相。界從初地乃至十地。
大乘無漏の随現観——すなわち、究竟の智徳を成就するための観照は、修道の相を引き起こすものである。その境地は初地から十地に至るまでの諸地にわたる。
引發修道就所相不同,差別為五。謂此修道自體性,是無倒見色等實性之慧。若不由此慧攝持,布施等餘五度不能成佛,故是殊勝方便。此慧行相,謂知一切法無勝義生,即於一切不起實有作行。即由自性殊勝等之道,將通達諸法不可得之慧,安立於行者相續,令得究竟義利廣大之佛果,是大義利性。
修道を発起する際、その対象となるものの違いによって、五つの種類に分けられます。この修道の本質は、倒れた見解なく、色などの諸法の実相を如実に見る慧(智慧)です。もしこの慧に摂持されなければ、布施などの他の五度(六波羅蜜のうちの五つ)だけでは成仏することはできません。それゆえ、これ(慧)は殊勝な方便(手段)なのです。この慧の働きとは、すべての法が勝義(究極的な真理)としては生じることがないと知り、すべてのものに対して実在するという捉え方を起こさないことです。すなわち、自性が殊勝であるなどの道によって、諸法の不可得(捉えがたい本質)を悟る慧を、修行者の心の流れの中に確立し、究極の利益である広大な仏果(悟りの境地)を得させるのです。これは大きな利益をもたらす性質のものです。
(子二)清淨修道,分四:(丑一)因差別、(丑二)境差別、(丑三)果差別、(丑四)自性差別。今初。
(子二)清らかな修行について、四つの観点から説明します。(丑一)原因の違い、(丑二)対象の違い、(丑三)結果の違い、(丑四)本質の違いです。まず最初に、原因の違いについて述べます。
依佛及施等, 善巧諸方便, 此是勝解因。 諸法衰損因,
謂魔所魅著, 不信解深法, 執著五蘊等, 惡友所攝持。
仏と施しなどに依り、巧みなさまざまな方便が、これが勝解の因である。諸法が衰え損なわれる因とは、すなわち魔に魅了され執着され、深い法を信解せず、五蘊などに執着し、悪友に摂持されることである。
能立究竟斷德之大乘無漏隨現觀,即清淨修道之相。界從初地乃至十地。外緣親近諸佛,內緣修行施等,及善巧方便止觀雙運,是於清淨修道勝解之因或順緣。此清淨修道等法衰損之因或違緣者,謂被魔所魅著及惡友所攝受,是外違緣。若種性下劣不能信解深法,及根器下劣執著五蘊等實有,是內緣違。此等即不生清淨修道之因也。
五蘊をはじめとする実在の執着を離れ、大乗の無漏の智を随って観ずることで、清らかな修道(修行の道)を完成させる境地に至る。この清らかな修道の様相は、初地から十地に至るまでの段階にわたる。
外的な条件としては、諸仏に親しく近づくこと。内的な条件としては、布施などの修行を積み、巧みな方便である止観(心を静め、物事を明確に見ること)を両方とも実践すること。これらは、清らかな修道を深く理解するための因または順調な縁となる。
逆に、この清らかな修道などの教えを衰えさせる因、つまり妨げとなるものには、外的な障害として、悪魔に魅入られることや、悪友に惑わされることがある。また、内的な障害としては、素質が劣っているために深い教えを信じ理解できないこと、また根機が低いために五蘊などが実在すると執着することがある。これらの条件が整うと、清らかな修道は生まれないのである。
(丑二)境差別。
(丑二)境の違い。
果法清淨性, 即色等清淨, 以彼二無異, 不可分故淨。
果そのものが清らかであるということは、すなわち色(形あるもの)などが清らかであるということである。この二つの間に違いはなく、分けることができないからこそ、清らかであると言えるのである。
沙門果解脫道,由自因無間道斷垢之清淨,彼境色等亦由彼垢斷而清淨。以由一種所治遠離所成之二種清淨,自性無異,亦不可用異理分別令異,故說為一種清淨。
(丑三)果差別。
丑三時の違いによる果報の違い。
惑所知三道, 斷故為弟子, 麟喻佛子淨, 佛一切最淨。
迷いを断ち切る三つの道により、弟子たちは煩悩を尽くして清らかになり、麟のような独覚の仏子も清らかですが、仏はすべてにおいて最も清らかです。
聲聞阿羅漢解脫道,由自所治品之清淨,即聲聞弟子之清淨,以是唯斷貪等煩惱所顯之清淨故。獨覺者為麟喻之清淨,是斷煩惱及斷所取分別一分所知障所顯之清淨故。聖位菩薩者,為聖佛子之清淨,是斷煩惱障能取所取分別三道垢所顯之清淨故。最極清淨法界所出生之佛果滅諦,即無上佛陀之清淨,是一切種斷煩惱、所知二障及習氣所顯之清淨故。
声聞阿羅漢の解脱道は、自分自身が対治すべき煩悩を清らかにするものであり、それは声聞の弟子たちの清らかさです。なぜなら、これは貪りなどの煩悩を断ち切ることによって現れる清らかさだからです。独覚は麟喻のような清らかさを持ち、これは煩悩を断つとともに、執着の分別の一部である所知障も断つことによって現れる清らかさです。聖位にある菩薩は、聖なる仏子の清らかさを持ち、これは煩悩障と、能取・所取の分別という三つの道の垢を断つことによって現れる清らかさです。そして、最も清らかな法界から生まれる仏果の滅諦、すなわち無上の仏陀の清らかさは、あらゆる煩悩障と所知障、さらにはその習気までも完全に断ち切ることによって現れる清らかさです。
(丑四)自性差別,分二:(寅一)是否最清淨之差別、(寅二)立佛清淨為最清淨。今初。
對治九地中, 上上等諸垢, 謂由下下等, 諸道能清淨。
九つの境地における、上上などのさまざまな煩悩は、下下などの修行の道によって清められるのです。
有作是念:此非說二乘清淨之時,云何於此宣說清淨之餘,而說佛與二乘是否最清淨耶?答:亦可述此差別。以於三界九地中對治修所斷能取所取分別上上品諸垢,其對治自性如其次第,謂大乘修道下下品等道能清淨二障,二乘不能斷二障故。
このように考える者があるかもしれない。「今は二乗(声聞・縁覚)の清らかさを説く時ではない。それなのに、どうして清らかさの残りをここで説いて、仏と二乗が最も清らかであるか否かを論じるのか」と。
答えよう。この違いについても説くことができる。三界の九つの地における、修行によって断除すべき能取・所取の分別の上上品の垢(煩悩の障り)に対する対治について、その対治の自性を順に説明すれば、大乗の修道における下下品などの道が二障(煩悩障と所知障)を清めることができる。なぜなら、二乗は二障を断ち切ることができないからである。
(寅二)立佛清淨為最清淨。
(寅二) 仏の清らかさを、最も清らかなものとして示す。
由斷諍門中, 道能量所量, 由是平等性, 遍對治三界。
争いを断つ門において、道は量るものと量られるものを超えて、平等なる性質により、三界を遍く対治する。
佛清淨為最清淨者,由於能治所治次第斷過門中,許大乘修道由能量之智與所量實空平等性故,是能盡清淨三界諸障之真對治故。
仏の清らかさは、最も清らかであるとされる。それは、対治すべきものと対治するものを順に断ち切る過程において、大乗の修道が、量る智と量られる真実の空が平等であるという性質を持つからである。そのため、三界のあらゆる煩悩の障りを完全に尽くす、真の対治法となるのである。
此處之諍者,謂下下等九種修道,斷除上上等九種實執不應道理。譬如羸劣士夫不能摧伏強力怨敵,於劣怨敵不須強力士夫。如是下品修道不能斷除上品實執,斷下品實執不須上品修道故。答云:無過。譬如浣衣,洗除粗垢不待勤勞,洗除細垢須大劬勞,如是能治所治亦應理故。
ここでいう論争とは、「下下等の九種の修道によって、上上等の九種の実執を断ずるのは道理に合わない」というものです。たとえば、弱い力の者が強い敵を打ち負かすことができず、弱い敵に対しては強い力の者を必要としないのと同じです。このように、下品の修道は上品の実執を断ずることができず、下品の実執を断ずるのに上品の修道を必要としないからです。
答えていわく、「過失はありません。たとえば衣服を洗うとき、粗い汚れを洗い落とすにはそれほどの労力を要しませんが、細かい汚れを洗い落とすには大変な労力を要します。これと同じように、対治法と所対治(の関係)もまた道理にかなっているからです」。