五蓋初門第八
五蓋の初門 第八
一貪欲蓋 二瞋恚蓋 三睡眠蓋 四掉悔蓋 五疑蓋
五つの妨げ:第一に貪りの心、第二に怒りの心、第三に眠気と怠さ、第四に落ち着きのなさと後悔、第五に疑いの心。
次三毒而辨五蓋者。若論三毒之體。豈異五蓋。但科目不同。名字增減有異。故次分別。所以然者。若沒癡毒之名而離癡法。為睡眠掉悔疑三蓋。足貪瞋為五蓋也。若開五蓋則煩惱無量。通名蓋者。蓋以覆蓋為義。能覆蓋行者清淨善心。不得開發。故名為蓋。而此五蓋既的為在下所明諸禪正障。故須略辨其相。
次に「三毒」に続いて「五蓋」について説明します。三毒の本質を論じるならば、それが五蓋と異なるわけではありません。ただ、分類の仕方が異なり、名称や数の増減に違いがあるだけです。そこで、次にこれを区別して説明します。
なぜそうするのかというと、もし「癡(無知)」という名称を除いて、癡の法を切り離せば、「睡眠」「掉悔」「疑」の三つの蓋に、さらに「貪」「瞋」を加えて五蓋とするからです。逆に五蓋を展開すれば、煩悩は数えきれないほど多くなります。これらを総称して「蓋」と呼ぶのは、「蓋」という言葉が「覆い隠す」という意味を持つからです。すなわち、修行者の清らかな善心を覆い隠して、それが発現するのを妨げるので、「蓋」と名付けられます。
そして、この五蓋は、まさにこれから下文で明らかにされる諸々の禅定の修行にとっての主要な障害となるものです。したがって、その特徴を簡潔に弁別しておく必要があります。
一貪欲蓋 引取心無厭足為貪欲。分別體相。具如貪毒中說。三界五行中十五貪使。即是貪欲蓋。
一、貪欲の覆い——心が外のものに引き寄せられ、満ち足りることを知らないのを「貪欲」と呼ぶ。その性質や形を詳しく見れば、ちょうど「貪りの毒」のところで述べた通りである。三界(欲界・色界・無色界)と五行(五つの行き方)の中には、十五種類の貪りの煩悩があるが、これらがすなわち「貪欲の覆い」である。
二瞋恚蓋 忿怒之心名為瞋恚。分別體相。具如前說。欲界五行五種瞋使。即是瞋蓋也。
二つ目は、瞋恚の蓋です。怒りの心を瞋恚といいます。その本質や形については、前述の通りです。欲界にある五行の五種類の瞋恚の煩悩が、まさにこの瞋恚の蓋です。
三睡眠蓋 意識惛熟曰睡。五情暗冥名眠。若心依無記則增長無明。故意識惛惛而熟。五情暗冥無所覺知。謂之睡眠也。數人說為增心數法。猶屬見思所斷十五癡使攝也。
三つの睡眠蓋とは、意識がぼんやりして熟睡することを「睡」といい、五感が暗く沈んで無知覚になることを「眠」という。もし心が善悪の区別のない無記の状態に依れば、無明が増長する。それゆえ意識はぼんやりして熟睡し、五感は暗く沈んで何も感じ取らない。これを睡眠というのである。また、ある論師たちはこれを心の作用を増長させる法の一つと説くが、これは見惑・思惑のうちに断たれる十五の痴の煩悩に含まれるものである。
四掉悔蓋 邪心動念曰掉。退思憂悴為悔。若縱無明謬取。則戲論動掉心生。既所為乖失。退思則有憂悔也。亦是增心數法。正屬見諦所斷三十二見使。攝思惟斷。亦有少分也。
四つの掉悔蓋(じょうかいがい)について。心が邪な方向に動き、思いが乱れることを「掉(じょう)」と言い、退いて考え、憂い悲しむことを「悔(かい)」と言う。もし無明(むみょう)に従って誤った捉え方をすれば、無意味な論議や心の動揺が生じる。行ったことが正しさを欠いていれば、振り返って憂い悔やむのである。これはまた、心の働きを増長させる法でもある。正しくは、見諦(けんたい)において断たれる三十二種の見惑(けんわく)に属する。思惟(しゆい)によって断たれるものにも、わずかながら含まれる。
五疑蓋 癡心求理。猶預不決。名之為疑。若修道定等法。無明暗鈍。不別真偽。因生猶預。心無決斷。皆謂疑也。世間通疑。非一正論。障道之疑。即是見諦所斷。三界四行十二疑使也。
五つの疑いの覆いとは、心が惑いながら道理を求めるが、ためらい決断できないことをいう。これを「疑い」と名付ける。もし修道や禅定などの修行法を行うとき、無明のために心が暗く鈍く、真実と偽りを見分けることができない。それによってためらいや迷いが生じ、心に決断ができない。これらはすべて「疑い」である。世間一般の疑いは、一つの正しい議論にはならない。修行の妨げとなる疑いとは、真理を見通す智慧によって断ち切られるものである。それは三界の四つの行相に対応する十二種の疑いの煩悩である。